「ド素人集団だったからこそ起こせたネット×リアルのイノベーション」
株式会社ホワイトプラス
取締役 兼 CTO  森谷光雄

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 Q:まず、森谷さんの生い立ちからお聞かせください。

 僕は東京生まれで、3人兄弟の末っ子です。長兄とは15歳、次兄とは7~8歳離れているので、かなり甘やかされて育ちましたね。しかしある時、大きな転換期が訪れました。中学2年生のときに父親を亡くしたのです。そのことをきっかけに、自分の人生について真剣に考えるようになりました。

 当時僕は公立の中学校に通っており、勉強はそんなに得意ではありませんでした。ですから、なるべく勉強しなくても将来的に有利になる方法を選びたかったんですよね(笑)そこで思いついたのが、高校の推薦入試です。法政大学の附属高校に進学し、今度は高校3年間で何をするか考えました。いろいろと調べた結果、僕は運動が好きでしたし、体格も良い方だったのでアメフトを始めることにしたんです。練習はかなりハードでしたが、「この先、これ以上つらい経験をすることはないだろう」と一種の自信がつきましたね(笑)

 しかし、大学に入ってアメフトは諦めました。最初はアメフトを続けようと考えていたのですが、法政大学のアメフト選手は180cm以上、100kg以上が当たり前だったんです。僕は当時178cm、95kgくらいでしたが、体格の差は埋められません。「勝てるところで戦おう」と考え、心理学を学んでスポーツ選手のメンタルトレーナーをめざすことにしました。

Q:「勝てるところで戦う」というのが、森谷さんのお考えのベースになっているのでしょうか。

 そうですね。年が離れた兄弟には力では勝てませんから、物心つく前から「勝てるもの」を探す癖がついたんだと思います(笑)ただ、法政大学の心理学科ではスポーツメンタル心理学を扱っていなかったんです。そのことに気づいた頃には時すでに遅く、2年生くらいまでは途方に暮れていました。しかし、無駄に大学生活を過ごしても仕方ないので、お金を稼ぐことにしました。そこで始めたのが、塾講師とパチプロです(笑)塾は専業の方と同じくらいクラスを持つようになり、パチプロも順調だったので、3年生の時は年間4桁以上は稼ぎました。

 しかし、周りが就活の時期を迎え、「このままでいいのか」と自問自答するようになりました。ギャンブルは一過性のゲームですし、塾講師は社会との接点を持つためのアルバイトに過ぎません。そこで、大学最後の1年をかけて、自分の身一つで稼げるかどうか試してみたんです。しかし思い通りの結果は出せず、自分の未熟さを痛感しました。そこで就職を決意し、近所のベンチャー1社を受けたんです。面接で志望動機を聞かれ、「家から近かったからです」と答えたら唖然とされましたね(笑)

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Q:前職では、人材系の会社にお勤めだったそうですね。

 そうです。ワークポートという会社で、本当に多くのことを学ばせていただきました。最初は管理部に配属されて人事総務からスタートし、次にシステムの統括を手がけるようになりました。いわゆる社内情報システム業務ですね。その後のプロセスは変わっていて、営業推進を経てから新サービスの営業もやらせてもらいました。普通は逆ですよね。

 しかし、そのプロセスを辿ったからこそ見えたものもあります。現場の大切さです。バックオフィスで数字だけ見ても現場のことはわかりませんから、いい企画も出せないんです。これは開発にも言えることで、ユーザーのことを理解しないといいものは作れません。

 少し遡りますが、塾講師時代にも同じようなことを学びました。当時の上司からよく言われていたのは、「目線を折れ」ということです。授業で教科書を読むだけでは、生徒達は理解できません。彼らがどういう目線で物事を見ているのかを理解し、彼らにわかる言葉で説明しないと伝わらないんです。例えば、当時は「だんご3兄弟」がヒットしていたので、掛け算を兄弟の人数に例えて説明することもありました。何事においても、相手と同じ視線や視点を持って、同じ言葉で話さないと相手に入らないということですね。

 

Q:その後、ホワイトプラス創業までにどのような道のりがあったのでしょうか。

 きっかけは、斎藤(斎藤亮介/株式会社ホワイトプラス取締役CMO)との出会いです。ワークポートに入社した頃に彼と知り合い、「いつかは起業したいね」と話していました。しかし、何か行動を起こさないと次のステップには進めません。そこで、「週末起業会」を開催することにしたんです。基本的には内輪の集まりでしたが、時々メンバーが人を連れて来ることもありました。その中の1人が、井下(井下孝之/株式会社ホワイトプラス代表取締役兼CEO)だったんです。彼が起業にあたってまず斎藤を誘い、僕にも話が回ってきました。

 当時はリーマンショックの直後で、立て直しの兆しが見えてきた頃でした。しかし今後、組織の拡大が進み人が増えると、自分の業務は平たくなることが見えていたので「辞めるなら今かな」と思い、彼らと一緒に起業することを決めました。

 

Q:そして、「新しい日常をつくる」というビジョンを掲げたのですね。

そうですね。僕らには、イノベーションを起こしたいという想いがありました。ちょうどその頃登場したiPhoneのように、人々の生活に浸透するプロダクトやサービスを提供したいと考えたんです。今から10年前には存在していなかったiPhoneが今ではない生活は考えられないという世界になりました。そういう世界を自分たちも創り出したい、そういう会社、サービスを自分たちの手で生み出したいと思ったんです。

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Q:なぜクリーニング事業を選ばれたのですか?

 具体的な事業を決めるにあたり、3人で何回か合宿をして150個くらいのビジネスプランを出しました。中には「大学でたこ焼き屋をやる」など、ビジネスプランとは呼べないようなものも混ざっていましたが(笑)そこから事業化できそうなアイディアをマーケットリサーチして、最終的には3つまで絞れたんです。その中の1つがクリーニングでした。

 クリーニングを選んだ理由は、3つあります。自分たちがいち利用者としてクリーニングに不便さを感じていて、まだネット化されておらず、イノベーションを起こす余地のある業界だと感じたこと、市場規模が4000億円、法人向けも入れると1兆円と大きなマーケットだったこと、ストック型のビジネスモデルだったことの3つです。

 

Q:3名で創業され、スタートアップ期は大変ではありませんでしたか?

 やはり経験もない若造達ですから、いろいろな壁にぶつかりました。最初は僕の実家の倉庫をオフィス代わりにしていたのですが、実際にサービスが回り始めるとやはり手狭になってきます。そこでアパートの倉庫をお借りして、そこに机を3つ並べて仕事をしていました。検品、出荷はすべて手作業で、システムもないのでデータはExcelで管理していたんです。最初のうちは1日3件くらいしか届きませんでしたが、全て手作業でデータ入力やデータ管理をしていたので1日3件対応するのも大変でしたね(笑)

 徐々に荷物が増えて1日30件ほど届くようになり、さすがにシステムが必要だということになりました。しかし外注するお金もありませんでしたから、僕が作ることにしたんです。最初は「何とかなるだろう」と思っていましたが、僕はそれまで1行もコードを書いたことがない上に、通常の業務も休むわけにはいきません。本当に大変でしたが3ヶ月くらいで何とか形にして、ある程度自動化することができました。

 

Q:未経験の状態から、わずか3ヶ月でシステムを完成させたのですね

 もう1回やれと言われたら絶対にやりません(笑)当然素人が作ったものですからいろいろと問題もありましたし、ビジネスが大きくなれば機能の追加も必要になります。創業から4年ほどは、その辺りをすべて1人でやっていました。

 体力的には厳しかったですが、責任感を糧に動いていましたね。自分自身の成長意欲や金銭欲だけでは、絶対にあのつらさは乗り越えられないと思います。一緒に起業した2人もそうですし、お金を払って「リネット」を使ってくださるお客様も少なからずいらっしゃいますから、放棄することはできません。自分自身を動かして何とかなるのであれば、頑張らないといけないという思いでやっていました。幸いにして、ビジネスがうまくいったことも追い風になりましたね。

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Q:現在は何名のエンジニアがいらっしゃるのでしょうか。

 私を含めて6名のエンジニアがいます。2012年の終わり頃に、僕らは「このまま成長しても、社会に対してインパクトを与えることは難しい」と考えました。そこで改めて事業を見直し、「人・物・金」が必要だという結論に至ったのです。まずはお金が必要なのでジャフコさんから3億円を出資をいただき、続いて人と物を蓄えることにしました。特に人は、弊社の事業を成長させていく上で、最も重要な資産だと考えています。ネット×リアルという領域でサービスを創っていくには人の力が不可欠です。いくらビジネスモデルが優れていて、マーケットがあったとしても、サービスを創り出して提供する人次第で本当に価値あるものかどうかが決まってきます。そのネット×リアルの事業を創り出すエンジニアの存在は弊社にとっては非常に重要なキーファクターになるのです。

 

Q:エンジニアの増員を受け、開発環境は変化しましたか?

 そうですね。やはりチーム体制になると課題も出てきますから、ここ1年間は開発環境の作り直しに力を入れてきました。以前はプレーンなPHPで書いていましたが、個人的にツライと思い続けていたこととチーム体制に移行していかなければならなかったのでフレームワークを導入することにしました。デプロイも自分でファイルをアップするだけというレガシーなやり方でしたが、複数人ですとデグレートが起こる可能性が高いので、バージョン管理にGitを使うことにしました。

 サービスインフラはコストパフォーマンスを重視してVPSに乗せていたところを、さくらのクラウドに載せ替え。AWSを使っていないのは、こちらの方が安いからです(笑)ただ、さくらのクラウドでは複数台構成時にやや難があったので少し工夫はしています。

 実際の開発・サービス環境では、LAMPをベースにLaravel、Angular、React、Goあたりを使っています。「必要に応じて適切な技術を使えるようになろう」というスタンスです。技術力の向上にも繋がりますし、純粋にエンジニアリングをやっていて新しいことに取り組めるっていうのは楽しいですよね。ただし導入の際の基準は、やはり皆の合意と、その技術に取り組む価値があるかどうかです。1人で使うものではないので話し合いの過程は大事にしていますね。また、新しいものに取り組む時って技術的な課題やビジネス上の課題が背景にありますしね。

 

Q:森谷さんにとって、CTOとはどのような存在でしょうか。

 会社によってもフェーズによっても違いますが、CTOとしての役割は、事業、経営をリード出来るように、テクノロジーの方向性をしっかりと示し、その為のチームと、エンジニアリング文化を作っていくことかなと思います。

 普通のITベンチャーだと、分光法に取り組んでいたり、コンピュータービジョンの可能性を真剣に探ってみたり。なんてことしないと思うんです。

 私も新しいことは好きですが、興味・関心でそういったことをしているわけではなく、経営課題、事業課題に対してテクノロジーサイドからどう貢献するか。なんてことを必死こいて考えていると、自然とノウハウの無いテクノロジー分野に飛び込んでいく必要が出てくる。当然、新しいことを始めるということはコストもかかってきますので、そこでCTOという役割は、誰にも決めづらいことを考えに考えて、テクノロジーの方向性を決めて引っ張っていく。ということが求められるのかなと思っています。

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Q:ありがとうございました。最後に、キャリアアップをめざすエンジニアに向けてメッセージをお願いいたします。

 自分にとって技術はどういう存在なのか、じっくりと考えてみてください。エンジニアは、十人十色です。純粋に技術が好きな方もいれば、ものを作ることが好きで、そのための道具として捉える人もいます。自分にとっての技術は何なのかを見極めた上で、環境を見定めることがとても大事だと思います。

 どんなにこういう技術を極めたい。技術を使ってこういうことをしたいと思っていても、それを活かせる環境が無ければ何も始まりませんからね。

 環境は外からみていてもわかりづらい部分がありますから、まずは動くことですね。人に聞いてもいいですし、試しに会社に遊びに行ってもいいと思います。社会に変化を求めても時間がかかりますから、自分自身が行動した方が早いのではないでしょうか。

 例えば、ホワイトプラスはライフスタイル領域でイノベーションを起こし、「新しい日常を創る」ことをめざしている会社です。社会に浸透するサービスを作る過程では、技術的にノウハウが出回っていない分野にもチャレンジしていく必要があります。特に今のフェーズではコンピュータービジョン、ディープラーニング、センシングの領域に力を入れています。こういうことに興味・関心を持てる方ならば活躍出来る環境がありますね。

 

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