「現場の課題解決と会社の成長が自分を鍛える」
株式会社スクー
執行役員・サービス開発部門責任者 伊東 弘満

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Q:まず、伊東さんの生い立ちと技術との出会いについてお聞かせください。

 幼少期を過ごしたのは横浜の神奈川区です。確か小学校2年生の時にファミコンが発売されて、初めて買ったソフトは「アイスクライマー」でした。もちろんゲームをするのも大好きでしたが、ゲーム機の仕組みにも興味を持ち、高学年になった頃には自分でファミコンを改造したりしていましたね(笑)
そして、中学生になると親の仕事の関係で家にパソコンが来ました。当時はこれでN88-BASICでゲームを作ったりしていました。そういう環境で育ったので、エンジニアの道に進むのはごく自然なことでした。
ただ、高校卒業を目前に控えた頃にバブルがはじけた影響で、一応大学に受かってはいたのですが、入学は諦めざるを得なくなりました。とはいえ高卒で働くのも厳しそうなので、アルバイトをしながらコンピューター関係の専門学校に通うことにしたんです。ゲームのプログラミングもハードウェアの世界も大好きだったので、ソフトウェア、ハードウェアの両方が学べるところを選びました。

Q:そして、エンジニアとしての道がスタートしたのですね。

 はい。ただこれもタイミングが悪く、就活をしたのが就職氷河期の中でも特にひどい年だったんです(笑)。80社ほど受けましたがうまくいかず悩んでいたところ、同級生が勤務先に私の話をしてくれて、お誘いをいただきました。そちらが、新卒で最初に就職した日本SEという会社です。ただ、配属された部署が丸ごとスピンアウトして新しい会社を立ち上げることが決まり、2ヶ月で次の会社に移ることになりました(笑)それが2社目のアカシックですね。
アカシックには約9年間勤め、エンジニアとして大きく成長する機会をいただきました。同社は受託開発がメインで、最初はCやC++、Visual Basicを使い、MS-DOSからWindows95への乗せ換えなどをやっていました。やがてWindows98が出るとインターネットが盛んになり、第1次ITバブルが到来します。ホームページ作成やWebベースの業務システム構築の依頼が立て続けに入ってくるようになり、ほとんど家に帰らず仕事に没頭していましたね。

Q:非常に熱心だったのですね。エンジニアの場合、最初は量をこなすことが大切なのでしょうか。

 そうですね。コードを大量に書くと、経験則が蓄積されます。それらを整理すると、ある程度パターン化できるようになるんです。そうすると自分の中で整理がしやすくなりますし、お客さんと話す時にも「こういうことがやりたいんだな」と想像力が働きます。ですから、まずは経験を積むことが大事ですね。
当時の僕は、とにかくあらゆる経験が楽しかったです。CやC++で通信系のプログラムを書いたりもしました。そうやって幅広く経験を積むことができたのは、大きな収穫でしたね。今の僕ができることの6割は、アカシック時代に培ったものだと思います。

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Q:アカシックさんの後は、コンシューマ向けサービスに転身されたそうですね。

 はい。一時期体調を崩してしまい、それ以降は社内SEになりました。ずっと会社の中にいることになり、インターネットを使える時間が増えたんです。今のように手軽にインターネットを使える時代ではありませんでしたから、これはとても貴重な時間でした。そこでインターネットを通じてコンシューマ向けサービスが普及し始めていることを知り、興味を持つようになったんです。ちょうどブログという新たなサービスも出てきたタイミングで、GMOブログという会社に転職しました。
こちらで私が担当したのは、Yaplogのインフラシステム運用です。インフラ回りの実務経験がまったくありませんでしたし、受託開発では運用フェーズまでは関われないことが多かったので、非常に興味深い領域でした。それに当時は「しょこたん☆ブログ」が注目を集めていたことので、大量のトラフィックを扱うことができたんです。これはいい経験でしたね。最初は対応で精一杯でしたが、1年後には対策まできちんと考えられるようになっていました。大量のトラフィックと共に経験できることの量がすさまじかった分、自分の成長スピードも速かったと思います。

Q:ブログシステム運用をご経験されたのち、動画サービスに移行されたのはなぜですか?

 少し複雑なのですが、社長の退職もあり、その社長の移動先であるアッカ・ネットワークスから声をかけていただき、動画共有サービス「zoome」の立ち上げに参画することにしました。企画からシステム設計、サーバー選定まで、GMOブログで培った経験が100%生きた仕事でしたね。また、アッカ・ネットワークスはもともとADSLの回線事業者ということもあり、新たにネットワーク回りの知識も身につけることができました。入社を決めた時点で期待していた部分ではあったので、これはラッキーでしたね(笑)
やがて「zoome」の別会社化に伴って私はそちらに移動し、システム設計、構築、運用をほぼ1人でやっていました。当時の動画サービスでは「ニコニコ動画」に次いでNo.2の状態だったので、トラフィックはそれなりにありましたね。深夜は個人事業主の方にお願いし、最終的にはシステム部長として全体を見ていました。
ただ、システム運用をしていると空き時間ができます。何の障害もなく、システムが安定している時は監視しかすることがないときが発生するんです。そこで「何か作りたいな」と思い、アプリに目が向きました。ちょうどAndroidが出始めた頃で、iPhoneアプリに比べてAndroidアプリが圧倒的に少なかったんです。当時「zoome」ではiPhoneアプリはリリースしていたものの、Androidアプリはありませんでした。Xperiaユーザーだった僕は不満を持ち、自分で作ることにしました。そこで作ったのが、初音ミクのコンテンツに特化した「zoome」のiPhoneアプリのAndroid版です。ただそれだけには留まらず、zoomeのすべてのコンテンツを視聴できるアプリも作成しました。約1ヶ月で計2本リリースしました。

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Q:伊東さんは、未経験の領域にも積極的にチャレンジされていますね。

 そうですね。僕はエンジニアとして、幅広く見られるゼネラリストをめざしているんです。ですから自分に足りていない部分を選び、1つずつ補ってきた感じですね。
エンジニアにとって、自分の将来像をきちんと捉えられているかどうかはすごく重要だと思います。僕がゼネラリストという将来像を意識し始めたのは、GMOブログに入社した30歳くらいのタイミングでした。ちょうど区切りの年でもありますから、今までやってきたことや、この先やりたいことについて考えてみたんです。そこで「いろいろできるのが楽しいな」と思い、幅広くやっていこうと決めました。そしてGMOブログでインフラを、アッカ・ネットワークスではネットワーク回りを学び、zoomeではアプリ開発にも着手したんです。もともと流行りものにすぐ飛びつく性格なので、それも良い方向に作用したかもしれませんね。その分飽きるのも早いんですけど(笑)
最近はものすごいスピードで技術の流行り廃りがありますから、何から手をつければいいかわからないエンジニアも多いと思います。ただ、今も昔も基本的な技術は変わっていません。技術の組み合わせ方が変わっているだけなんですよね。本当に基礎的な部分をしっかり学んでさえいれば、その上にあるものはすぐに習得できるんです。言語もいろいろと出てきていますが、言語はあくまでも手段でしかありません。なので、スペシャリストをめざすのでなければ、自身のスキルとしては特にこだわる必要はないと僕は考えています。自分の将来像がはっきりと定まっていれば、どんなチャレンジをすればいいかはおのずと見えてくるのではないでしょうか。

Q:新しい技術やサービスの情報は、どのように収集されているのでしょうか。

 過去と今では手段が変わりました。最近はエンジニアの知り合いも随分増えたので、人づての情報が圧倒的に多いです。zoome以前はまだ知り合いが少なかったので、インターネットからほぼすべての情報を拾っていましたね。 ただ、インターネットは情報量が多い分、危険でもあります。余計な情報が大半なので、そこを捨てられない人は失敗するでしょうね。必要な情報を探すのではなく、必要ない情報を除くことができるかどうかが大事だと思います。
この「調べる能力」は経験に比例するところも大きいですし、「地頭力」でもあると考えているので、採用でも重視していますね。例えば、面接時に「苦労した時にどうされましたか」と聞きます。そこで「ネットで調べました」と返ってきたら、どんな単語で調べたのかを聞くんです。今でこそGoogleなどは自然言語を入力しても検索できますが、基本的には単語単位で区切らないとうまく引っかかりません。その単語のチョイスや検索条件などは、「調べる能力」の判断材料になると考えています。

Q:エンジニアとして、ご自身の成長の要因をどう分析されますか?

 僕の場合は、とにかくいろいろやったことですね。その中で、人に聞くということをあまりしなかったんです。自分で調べながらやってきたことで、力がついたのかもしれません。それに、特にコンシューマ向けサービスをやっていると、自分の選択が正しかったかどうかがリアルタイムで返ってきます。ここ数年はコンシューマの世界に身を置いているので、そこで判断力が養われたという部分も大きいですね。
そういう意味では、エンジニアは大量のトラフィックやビッグデータなどを扱うところにいた方が成長できるはずです。僕自身、GMOブログやzoomeではかなりの力がついたと感じています。ハードルは高いですが圧倒的な経験を積めるので、エンジニアとしてより早く成長したいと考えている人にはうってつけの環境ですね。成長意欲にあふれている人は、ぜひ挑戦していただきたいです。

Q:前職のgloopsさんではマネジメントを担当されたそうですが、どういった点を意識されていましたか?

 行動はあえて変えず、視野だけを変えることを意識していました。多分、マネジメント側に立つエンジニアは2つのタイプに分かれると思うんです。1つはマネジメント中心に生きていく人、もう1つは自分の手も動かしながらマネジメントをする、いわゆるプレイングマネジャーです。僕は60歳くらいまでは現役でプログラムを書いていたい人なので(笑)マネジメントを始めたタイミングで、後者の道を進むことを決めていました。ただ、gloopsに入って自分が部長であれば他の部長達と同じようにものを見なくてはいけないので、視点だけは変えたという感じです。
プレイングマネージャーをめざす以上、大切にすべきなのは現場に属することです。まったく違う立場でマネジメントだけしていても、現場のことはわかりませんよね。実際にやらなければ見えない部分は絶対にありますし、一緒に働けばどうすれば部下達が楽しめるか、幸せになれるかがわかります。そうすれば、マネジャーとして果たすべきことも見えてきますよね。
gloopsではまずシステム基盤部で部長を務めたのですが、そちらは最大でも20数名と小規模だったので、全員と1on1のコミュニケーションパスを築くことができました。ただ、その次に立ち上げた品質管理部は、僕が辞める時点で100名超の規模になっていたんです。常勤ではないアルバイトや契約社員もいたので全員とコミュニケーションを取ることは難しく、直下の人達に僕のやり方を教えることにしました。例えば僕はあまりぶつかり合うよりも、和を持ったマネジメントをしたいと考えています。そういう思いを伝えつつ、彼らが悩んでいる時はとことん相談に乗るようにしていました。
僕のマネジメントのやり方は、アカシック時代に憧れた先輩や上司から影響を受けている部分が大きいんです。ハードな仕事ながらも9年間同じところで勤めていられたのは、彼らの存在があったからだと思います。僕もマネジメント側に立つ以上は、部下達が気持ちよく働けるような環境を作ってあげたいですね。

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Q:ジャッジをする場面も多々あったかと思いますが、意思決定についてのお考えをお聞かせください。

 意思決定に関しては失敗ばかりですね。多分、成功は1割もないと思います(笑)ただ、基本的に失敗でいいと思うんですよね。特に人のマネジメントに関しては、1人の人に通用したことが次の人にも通用することはありません。それぞれ違う考え方を持っていますから、全員に通用するやり方なんてないんです。ですから、100%失敗するのを前提で取り組むようにしています。とりあえずやってみて、失敗したら改善をし続けるしかないでしょうね。

Q:失敗を恐れずに突き進むのが伊東さんのスタイルなのですね。その後、スクーさんに入社された経緯をお聞かせください。

 まずgloopsを辞めた理由からお話しさせていただくと、組織が大きくなるにつれて分業化が進み、自分のできる範囲が極小になってしまったんです。1つのことを極めるにはいい環境ですが、先ほどもお話しした通り僕はいろいろなことをやりたいタイプなので、方向性が合わなくなってしまったんですよね。同時に、人数が増えるにつれて優秀なエンジニアが増え、自分にしかできないことが少なくなります。品質管理部の立ち上げが一段落して「次は何をやろうかな」と考えた時点で、僕にしかできないことがなくなっていたんです。そこで辞め時だと感じ、当時のマネージャーに引き継ぎをしました。
あとは個人的な理由になりますが、ゲーム業界以外の領域に興味が出てきたんです。ソーシャルゲームという先端の業界で一定の経験を積むことができ、次のチャレンジをしたくなりました。そこで浮かんだのが、教育業界と人材業界です。僕は結婚していて上の子がもう高校2年生なんですが、そのくらいの年頃になると大学進学や就職が視野に入ってきます。そこで、親として自分の仕事をどう子供に説明するかを考えたんです。もちろんゲームも素晴らしいですが、もっと世間一般から見て万人と関わりがあり、社会的意義があることをやりたくなったんですよね。日本には義務教育があるので誰もが教育業界と縁がありますし、就職するタイミングで人材業界とも関わります。その2つを意識しながらエージェントさんに相談したところ、スクーの話が出てきたんです。もともとgloops時代から「スクーは面白そうなサービスをやっているな」と思っていたので、社長の森と話す場を設けていただきました。
森はまだ29歳と若いですが、ものすごい熱意を持っています。その熱意が、カリスマ性を生み出しているんです。僕は自分のことを二番手以降の人間だと思っているので、そういうカリスマ性に弱いんですよね(笑)森と話をして「この人と一緒に仕事をしたいな」と思ったことが、転職の決め手になりました。

Q:実際に働いてみていかがでしたか?

 思っていた通り、素晴らしい環境です。まだスタートアップ期で社内が全然できあがっていない状態ですから、自分達でビルドしていくのがすごくダイナミックで楽しいんですよね。もともと高速で回していくのが大好きなので、スタートアップが向いているんだと思います。まだ勤めて1年くらいですが、時間が経つのが本当に早く、毎日がすごく濃密ですね。

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Q:現在の開発環境を伺ってもよろしいでしょうか。

 言語はPHPで、フレームワークはCodelgniterです。会社を立ち上げた4年前から使っているものですね。設定を見ると、ちょうど会社が立ち上がった当時に流行りつつあったフレームワークを、立ち上げ時の構築スピードも要求されることも選定時に考えられていた印象を受けます。今は、うちはマイクロサービス化を進めているので、全部の仕組みが疎結合になるように設計するようにしています。ですから、法人向けのものはRubyでRailsを使っているように、まったく違う言語で作成できるようになっています。新しい技術や言語を取り入れやすいですし、今後もモジュール化は促進していくつもりです。一緒に働くメンバーにはなるべく苦労をせずに成長してほしいので、チャレンジできる環境を整えているところですね。
ただ、技術の世界にはベストはありません。多分ベターしかない世界だと思うので、その時点で一番のベターを選びたいです。ビジネスの視点とエンジニアの視点は違いますから、技術をビジネスにどうコミットさせるかを中立的な視点で考えるのが僕の役割ですね。独りよがりにはならないように全員の意見を聞きながら、今後も積極的に新しい技術を導入していきたいです。

Q:スクーさんのエンジニアとして、今後はどのようなキャリアプランを立てられていますか?

 スクーがめざす未来に対して足りないものは、全部身につけたいです。まさに先ほどの、「60歳までプログラムを書くぞ」という気持ちですね(笑)
森の考えるビジョンって、すごく先にあるんです。おそらく10年後くらいを見ているんですが、5年くらいの短いスパンでそれを実現するためには、やらなくてはいけないことが結構たくさん出てきます。入社前に森から「今はインフラ系の人材がいないが、今後はインフラを含めてこういうことをやっていきたい」という話を聞いた時に、僕ができること、やるべきことが明確に浮かんだんですよね。まずはそれを実現するための知識や技術をくまなく身につけて、100%の力を発揮したいです。
それに、登山と同じように、登ってようやくその先の道が見えてくることもありますよね。会社が成長するにつれ、プラスアルファでやるべきことが増えてくるはずです。その時にはまたそれをやればいいので、先の見えない楽しさもありますよね。

Q:ありがとうございました。最後に、エンジニアとして活躍をめざす方へのメッセージをお願いします。

 1つだけ言わせていただくなら、たくさん苦労をしてください。もちろん楽な方がいいとは思いますし、楽をしても成長はできます。ただ、苦労した方が圧倒的に早く成長できるんです。楽な道と苦労の道、どちらを選ぶかは個人の自由ですが、僕だったら苦労を選びます。とにかく何でもチャレンジして、どんどん飛び込んでみてください。
できないことをできるようにすることが、技術の本質であり醍醐味です。チャレンジした結果できなかったとしても、「やったことがないからできない」と「やってみたけどできなかった」では大きく違います。手法を選択し、それを実現に導くのがエンジニアの力量だと思いますし、経験を積み重ねることで選択肢は増えていきます。僕自身そうなりたいですし、世の中のエンジニアにもそうなってほしいと考えています。ぜひ、「できない」を覆せるエンジニアをめざしてください。

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