私がCFOを辞めた理由

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経営トップとCOO、あるいはCFOの間には、埋めがたい程の差がある。
それは、夢を実現しようとする人間か、人の夢を実現するためのスタッフか、という違いだ。
極論をすれば、経営トップと役員の意識の違いは、経営トップとアルバイトと同じくらいに遠い。確かに、アルバイト1週間の学生よりも役員の方が、経営トップのことを理解している。
会社の実務にも通じており、経営トップからすればより頼りになる存在なのは間違いないだろう。しかしながら経営トップにしてみれば、役員もアルバイトもどちらも大事なスタッフであり、その差は役割の違いにすぎない。
そして経営に対する本気度で言えば、経営トップが富士山の頂上だとすると、役員は公園の砂場の山であり、アルバイトはその砂山のふもとくらいのものである。つまり、役員とアルバイトの間に差はあるかもしれないが、経営トップからすれば、どちらも経営トップと同じ感覚で話をすることは難しいという意味だ。なぜか。
これはオーナー社長を前提にした話ではあるが、オーナー社長は会社と一体であって、会社そのものであり、会社を辞めるという選択肢がありえない。
一方役員は、COOであれCFOであれ、会社と経営トップが気に入らなければいつでも辞める権利と自由がある。
一定の法的責任は伴うが、大会社でもない限り、法律実務の上でその責任が追求されることなどほとんど想定できないだろう。

つまり、法的責任を負うという、気の弱い人間には多少の効果があるかもしれない有名無実の執行責任が伴うだけで、役員はオーナー社長とは全く異質の存在であって、そこには埋めがたいほどの深い溝があるということだ。

ではなぜ、経営者は役員を置き自分の片腕として頼りにするのか。
いろいろな理由が想定できるが、ひとことで言って、その役員が自分の想いを理解し、自分の夢を実現するために欠かせない何かを持っているからだ。
他の何かに例えると、恋人や妻(夫)と言えるかもしれない。

一般に恋人や配偶者は、自分の人生にとって不可欠なものであり、得難い存在だ。
自分が生きていく上で失いたくない存在感があり、どれだけ親しい友人や知人よりも大事に思っている。
それは自分が生きていく上で、大事な何かを共有してくれていたり、大事な何かを埋めてくれるからであろう。

役員もまさにこの役割であって、自分の夢を実現する上で欠かせない存在であり、失ったらエライことになる何かを持っている。
だからといって、恋人がそうであるように、自分の代わりになりえる存在ではなく、役員もまた、自分の代わりに経営トップを任せられる存在であるとは夢にも思っていない。

つまり経営トップにとっては、オーナー社長の夢の実現に大事な何かを持っているものを役員に据えて、経営体制の構築を図ると言っていいだろう。
そのため、オーナー企業における役員人事には、経営センスの良し悪しはほとんど影響していない。

果たしてこのような考え方にどれほど賛同をもらえるか自信がないところが、いかがだろうか。
少なくとも、私はそう考えている。

逆に言えば、経営トップ以外の会社役員は、それがCOOやCFO、ナンバー2やナンバー3であっても、オーナー社長の夢の実現に不可欠な何かを持っており、そしてその夢の実現にオーナーと一体になって取り組めること。
このことだけが、その会社で役員を任されている唯一の拠り所となるだろう。
もしこの前提を失えば、その前提を取り返そうと努力をするか、努力をしても無駄だとわかったら(ほとんどの場合、まず無駄である)潔く会社を去るべきであり、双方にとって無駄な人生の時間を費やすべきではない。

とはいいながら、役員にも生活がある。
妥協をしながら役員のポジションに留まり、なんとか責任をこなすという毎日に甘んじてストレスフルな生活をしている人がいるかもしれないが、矛盾するようで恐縮だが、そんな役員の生き方にも自信を持って欲しい。

なぜなら、オーナー経営者とはほぼ例外なくメチャメチャだからだ。
その言うことをまともに聞いていれば神経が保たないレベルでメチャメチャであり、時に理解しがたい仕事を投げてくることがある。
毎日の仕事で忙しく、CFOであれば公認会計士との打ち合わせもあれば銀行担当者の来社も予定されており、株主から月次決算の内容について次々に電話もかかってくるだろう。

しかし、そもそもCFOであれば、9時から18時は人と会う時間であり、仕事が始められるのは夜の20時からであると覚悟するべきである。
なぜなら、世の中のサラリーマンと呼ばれる人たちの活動時間はその時間帯であり、その時間はそういった人たちと過ごすべき時間だからだ。

よほど優秀な人間でない限り、書類仕事という集中力を要する仕事に取り組みながら、集中力を寸断される人との面談を間に挟むことなど出来るものではない。
そうなれば、昼間は人と会う時間、書類仕事は夜20時からと割り切るほうがよほど合理的だ。

そして、にも関わらず経営トップとは、その夜20時を見計らってCOOやCFOの時間を削りに来る。
時に殺意すら感じることもあるだろう。
人のタイムマネジメントのことなどまるで考えられない鬼畜野郎と、内心毒づきながら社長との打ち合わせが始まる。
かくして書類仕事は深夜0時から始めることになり、今日も帰れない午前様が始まった。
さらにその時経営トップは、取引先との飲み会だと言って新地に出掛けるのである。

普通の感覚で言えばやってられない話だが、ではそんな経営トップに愛想をつかして辞めてやると、本気で思うだろうか。
もし思うようであれば、さすがに役員でいるのが不思議なレベルなので論外だが、多くの場合、いつか殺してやるとは思っても辞めてやろうとは思わないだろう。

それが役員というものだ。
経営トップを殺したいと思うほどにうっとおしいと思うことはあっても、心の何処かで愛しており、見捨てることはない。
だから役員をしている。

少なくとも私は、人の会社で役員をやっている時にはそのような感情と矜持を持って職責にあたってきた。

しかしそんな価値観を持つ私でも、CFOにある時に2度、自ら職を辞したことがある。
1度はそれほど長い時間在職していなかったので、一般化はできないかもしれないが、自分の価値観に照らして「越えてはならない一線」を経営トップが超えてきたら、役員と言えども時には職を辞するべきだ。

では、こんな価値観を持つ私がなぜCFOを辞めることにしたのか。
そんな話を少し詳しくお話してみたい。
なお、おそらくこれからお話する内容には救いがない。
教訓もないかもしれないが、退屈はさせないつもりなので、宜しければ少しお付き合い願いたい。

INDEX
相次ぐ従業員の自殺
違法な手段を使うこともいとわない経営者
M&Aで乗っ取られても諦めるつもりはない

相次ぐ従業員の自殺

いきなりの重いテーマで恐縮だが、救いがない内容ほど、先に済ませておきたい。
それほど長い期間ではないので一般化はできない話で恐縮だが、私がCFOをしていた会社で、従業員の自殺と失踪が相次いだことがある。
私はその会社に、その前職の会社の株主から就任を打診されてCFOに着任した。
10年来の飲み友達であり、またいろいろとお世話になっていた株主であったこともあるので、経営者の人柄については、旧知の株主を盲信して仕事を引き受けたところもあり、正直金を預かる身でありながら、軽はずみであったかもしれない。

まずは、何が起こったのかの私の立場での解釈だ。
その会社は創業から10年にもならない若い会社で、文字通りベンチャー企業であったが、理念が先行し全く売上が立っていない状態。
一時期のバイオベンチャーやプラズマディスプレイを扱う会社のような状態で、話題は先行し、5年後には日本経済をリードするかのように話題性を集めることには長けているものの、全く付加価値をあげることができない状態であった。

ただ、ベンチャー企業とはそういうものである。
理念が先行し売上が上がらないことを理由にしてベンチャー企業のCFOを辞めるというのであれば、そんなCFOは直ちに行き先を失い、無能の烙印を押され、ベンチャービジネス界から程なくして姿を消すだろう。

ベンチャー企業の経営トップは、ヒリヒリするような緊張感の中でギリギリの資金繰りを繋ぎ、その中で夢の実現を追求するものだ。
そしてその参謀であるCFOは、夢の中でまで仕事をし、資金繰りに窮する悪夢に苦しむことを楽しめなければならない。

なんせ、調達した資金は安牌を残すこと無く、次から次へと投資に回すのである。
CFO気質の人間からすれば、こんな経営者はくそくらえだが、これが自分の選んだ人生だ。

その事自体は、CFOあるあるであり、大した問題ではないのだが、その会社では経営トップとCOOに、CFOの立場では許しがたい価値観の違いがあった。
それは、経営目的のためであれば、従業員への暴力やサービス残業、サービス出勤も許されるという経営姿勢だ。

サービス残業やサービス出勤をしても許されるのは役員だけである。
経営意識を持たず、人生の時間を人のために使いうことでお金に変え、生活の糧を得る生き方をしている社員というリソースは、ルールの中で活用させていただかなければならない。

例えば、100人従業員がいる会社があったとする。
その会社で全従業員に定時で帰ったとタイムカードを打刻させ、実際は2時間程度残業をさせていたとすれば、一人あたり最低でも2000円程度のお金を掠め取ったことになるだろう。
つまり1日で20万円、月間600万円を違法に利得していたことになる。

一般に、原材料を盗めばそれは犯罪行為だ。
にも関わらず、従業員の勤務時間を掠め取る行為には、無頓着である経営者が多い。
この場合、仮に従業員の2時間を盗んで300万円の利益をあげても、それは実質的に300万円の赤字である。

なお、ここでの例え話は、例えば近年の風潮のように、始業前5分のラジオ体操も出勤時間とみなすべきだという労働基準局の解釈などを支持するものではない。
正直、そこまで従業員の権利を認めるというのであれば、経営者側にもいろいろと言いたいことがあるが、それは本筋から外れるので割愛する。

ただ、この会社ではそういうレベルではなかった。
月間の実質残業時間は150時間をこえる者もあり、1ヶ月の間に1日も休んでいない者すらいた。
さらにCOOは、深夜までの残業を奨励し、帰ろうとする従業員に物理的な暴力を振るうことも珍しくなかった。

正直、いい大人がいい大人の頭を、グーやパーで殴る光景など、めったに見るものではない。
「お前なんやねんこれは!」
と叫びながら、サービス残業をさせている深夜に、乾いた高い音がするような勢いで人の頭を叩くような上司は直ちに解任するべきである。

具体的な業務の指示ではなく、改善策の提示でもなく、納品物に対する評価すらせずにいきなり怒りを爆発させ部下を殴るCOOは、人様からエクイティを預かって運営している会社で経営者をしていいような存在ではない(オーナー会社でももちろんダメだが)。
そのような本人にこそ、特別な治療が必要な病気を持っていると言うべきだろう。

しかしながらCEOは、その振る舞いを黙認し解任することはなかった。
なぜか。
そのCOOには、非常に言いにくいことだが官僚や政治家へのパイプがあり、特別の補助金を引っ張ってくるドアオープナーとしての能力があったからだ。

いわばCEOにとっては、自分の持っていない能力を持っている愛すべき役員であったわけだが、その代償がこのような振る舞いである。
そして遂に、連日過酷な違法残業を強いられ、COOの怒りを暴力で受け続けた一人の従業員は、ある日会社に来なくなった。

携帯を鳴らしても出ることはなく、無断欠勤がしばらく続いたある日、会社に警察から電話が入る。
それは、その従業員の自殺を知らせるもので、自宅の自室で首を吊ったというものであった。
その死に際は最後まで家族を思いやり、床にはビニールを敷き詰め、掃除が容易になるように配慮した上での死に際だったそうだ。

ただし、警察は事実を伝えに来たわけではなく、その原因が会社にあるのではないかと疑い、経営トップやCOOへの事情聴取に来たものである。
なぜか私は話を聞かれることはなかったが、葬式には役員の中から私だけが出席し、経営トップもCOOも来ることはなかった。
結局、この件は単純な自殺事件として処理されてしまったのか、続報はなかった。

さらに、話はこれで終わらない。
そのCOOの部下が更に一人、今後は鉄道への飛び込み自殺をする。

この従業員と私との接点はなかったので、率直に言って原因を直接推測できるような材料はないが、恐らく大差なかったのではないだろうか。
なおこの時の従業員の葬式にも、役員で出席したのは私だけであった。

この時、経営トップは相次いだ従業員の自殺に対し、役員会で、
「遂に私も2人の人を殺してしまいました。だからこそ、この会社は大きくしなければならない」
と、さすがに理解を越える謎の演説を始める。

経営トップの理解不能さは、今に始まったことではない。
なぜなら、経営トップはほとんどの場合、従業員はもちろん、役員とは全く違うゴールを見据え、そのゴールに対して10年、20年スパンでのマイルストーンを踏んでいるからだ。
目の前のゴールを目指し業務を執行している役員と、5年先、10年先のゴールを目指し戦略を進めている経営トップとでは話が噛み合わず、お互いの理解がすれ違うのは当たり前である。
COOやCFOはそのことを強く心に刻んだ上で仕事を進めなければならない。

ただし、人として許せない価値観を越えた場合は別だ。
目的のためなら何をしてもいいというアンモラルな経営者は、もはや経営者ではなく、違法なネットワークビジネスや振り込め詐欺を働く輩と何も違いはない。

そんな人間に力を貸しては、絶対にならない。
そんな人間の「夢」を実現させては、絶対にならない。

状況に対するあらゆる直言をしても、それが聞き入れられ、改善される様子はまるでなかった。
こうして私は、その経営トップを見限り、CFOを辞任した。

 

違法な手段を使うこともいとわない経営者

経営は戦いの場であり、顧客の奪い合いでもある。
どの会社がより顧客を満足させ、あるいは付加価値を上げる手伝いができるのか。
血の流れない戦場であると言っても過言ではなく、あらゆる手段を使ってより大きな成果を上げることを考え、さらに考え続けなければならない。しかしそれは、法律とモラルの範囲内での話である。
100歩譲ってモラルは人それぞれであるとしても、法律を守らずに利益を上げるというのであれば、それは窃盗や強盗で「利潤」を手にする行為と変わらないだろう。

ところが世の中には、おかしな価値観を持つ経営者が一定数存在する。
それは、目的のためであればあらゆる手段が正当化されると考えている経営トップだ。

確かにそれほどまでに、経営トップの立場は過酷だ。
黒とは言わないまでも、どちらとも取れるグレーな手法を使うことは日常的であり、さらにスピード違反などのように、法律で決まっているとは言え必ずしも厳守されているとはいい難い決まりがあることも、一つの事実であり、このようなことを問題視するようなことはない。

しかしながら、国から支給される補助金や助成金を、その実態がないにも関わらず詐取しようとする考え方は、この一線を越えている。
一時期、厚生労働省の雇用調整助成金について、社員を休ませたと偽り、実際には仕事をさせながら休業手当を詐取していた会社が次々に摘発されていたが、当たり前である。
このような行為は、いわば法人版の違法生活保護受給者であり、従業員の労働の実態を隠して休業手当を受け取るなど犯罪行為そのものだ。
実際に、程度が酷い会社についてはその経営者が詐欺容疑で逮捕される例もあるが、当然であろう。

そして、私がCFOに就任した会社の一つには、不幸にしてそのような行為を平気でできる経営トップがいた。
先述のような雇用調整助成金はもちろん、他の省庁が実施している助成金や補助金についても、あらゆるものに、その有資格者であるかのように書類を偽造し、交付を受け続けた。

このような行為の妥当性はともかく、そもそもバレないと思ってやっているとすれば、それは相当マヌケな行為である。
なぜなら、雇用調整助成金一つをとっても、従業員を休ませたとして申告した休業日の全てで、従業員が働いていた痕跡を消すことなど不可能だからだ。

従業員は出張もすれば交通費も使い、あるいは経費精算をし、必ずその帳票と名前を紐付けた書類が会社に残っている。
賃金台帳だけ偽造をしたところで、こんな隠し方がバレないと思っているのは頭の悪い経営者だけだ。
数字を日常的に分析している立場からすれば、従業員を休ませたことにするという行為がどれほど不可能に近いかを知らないものはいない。

さらに他の補助金との兼ね合いである。
総務省や経済産業省などの補助金は、一般に研究開発費や、国策として推奨したい分野で実績があるか、あるいは実績が見込まれる会社に対して支給されるものだが、その申請には従業員の名前や勤務の実態が必要になる。

つまり、一方では休ませたといい助成金を受取り、一方では研究開発に従事させたと言ってお金を受け取るのである。
省庁間には横の繋がりはないからバレないと強弁し、このような国庫金の詐取を繰り返そうとして居た経営者だが、当然賛成できるものではない。
事の善悪はともかく、なぜこのような行為が必ずバレるのかを言葉を尽くして説明しても受け入れられることはなく、この時ばかりは本当に限界を感じた。

先の章でご説明した通り、私には、経営トップとそれ以外の間には、埋めがたい溝があることを自覚している。
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」という言葉があるように、経営トップの見据えているところは、それ以外の人間にとって想像を超えるところがあり、時には思考を停止させてその言葉に従うことも必要であるという考えも持っている。

しかしながら、どう考えてもこのような行為は自殺行為だ。

節税のような、解釈の違いがある行為で指摘を受ける行為とは次元が違う。
確実にバレる可能性が高く、なおかつそれが故意に為されたということであれば、各種支給された現金の返還命令が出ることはもちろん、場合によっては経営トップの逮捕にも繋がるだろう。

つまり役員としては、仮に経営トップにどれほどの高い志があり、どれほどに考え抜かれた戦略があったとしても、全力で止めに行かなくてはならない事案である。
自分の会社と事業を愛しているのであれば、盲信的に経営トップの言うことを聞くのではなく、羽交い締めにして止めなくてはならない場面もあるということだ。

しかし彼は、このような行為を辞めることはなく、私もこのような行為に加担し続けることはできないので、程なくして会社を去った。
行為自体を受け入れられないことはもちろん、CFOとしてマネジメントが不可能なリスクを背負い込み、さらにそのような行為で得たキャッシュを、自分の裁量で会社の資金に取り込むことなどできないからだ。

そして案の定、その会社は私が去った何ヶ月か後に厚生労働省の調査が入り、6000万円に昇る巨額の返還命令を受けた。
かつての仲間に聞いた話では、やはり調査の手法は帳票類による出勤の裏付けがメインで、休業させていない事が明らかであると判断されたためであったようだ。

このような経験を通しても、私にはなお腑に落ちないことがある。

繰り返しになるが、経営トップとは普通、深遠なビジョンを持ち、10年先、20年先の成功を睨んでマイルストーンを刻むものだ。
そのため、日々のルーティンワークのことなどまるで見えていないことが多い。
それがCEOというものであり、経営トップというものだ。

しかし、そんなCEOに対し、私からのこのようなリスクの警鐘はどのように聞こえていたのであろうか。
・無視するべき無意味なリスク(取り越し苦労であり、バレないと思っている)
・バレた場合にもお前がなんとかしろというCFOへの丸投げ意識
・そこまでしないとキャッシュが続かないという危機意識
考えられるのはこのあたりであろうか。

1番であれば、これはもはやただの無能だ。
2番であれば、これはわからなくもないが、犯罪行為のお手伝いは御免被りたい。辞任して当然である。
3番であれば、これはCFOとして申訳ないところがあるが、そもそもそこまでしないと他に資金を調達する手段が無いのであれば、その事業には生存価値が無いということである。
本当にどうしようもないのであれば、退場をするべきだ。

なおこの時、経営トップの言動を見ているとどうやら2であった節を強く感じることが多々あった。
他の事であれば、それが経営トップとCFOの役割分担であるので十分理解でき、覚悟を持って職務に当たることができるが、それが違法行為の責任者としてあらゆるリスクを背負えというのであれば、もはや暴力団の鉄砲玉である。

いかに経営トップのためには大概のことが出来る覚悟をもたなければならないCOOやCFOであっても、このような時には職を辞するべきだ。
そして私は会社を去った。

 

M&Aで乗っ取られても諦めるつもりはない

さて、ネガティブな話題が続いたので、最後は少し、というよりもかなりレアで前向きな話をしてみたい。
恐らくこのような経験をした役員はそう多くないのではないかと思う。

別のコラムでもお話したことがあるが、私は役員をしていた会社を不本意な形で売却したことがある。
というよりも、表向きは売却ではなくただの運転資金の貸付なのだが、巧みな構図(そうでもないが)故に経営トップには相手方の意図が理解できず、私の直言が届かなかったという話だ。

その時、経営難に陥っていた会社は、最後の手段として利益が上がっている部門を分社化し売却するべく、準備していた。
簡略な説明にさせて頂くが、この時にビットに参加したのがA社とB社。
A社は10億円の買取価格を提示した一方で、B社はそんなにお金は出せないが、そのかわり必要な資金を本体に対し、転換条項付き社債の形で必要な分だけ貸し付けると言う条件だ。

わかる人にはわかると思うが、転換条項付き社債は毒まんじゅうであり、スケベな下心丸出しの貸付手段である。
何もしないから、休憩するだけだから、という男性の言葉を信じるに等しい。

にも関わらず、経営トップはこのM&Aに際し、B社を選ぶことを決断してしまった。
当然私は猛抗議し、株主も味方に引き入れながら翻意を迫ったが、どうしようもなかった。

もう少しだけ説明すると、この時に成立したM&Aは以下のような形だ。

・優良子会社はA社提示額よりも遥かに安価な価格で売却
・その代わり、不足する分を本体に対し、転換条項つき社債で貸付
・転換条件は時価
・本体に対しては大口の商品発注をすることで経営再建を支援

つまり、本体を建て直してあげるから売却額は負けておきなさい。
そして、ある時払いの催促なしの、夢のような転換条項付き社債で貸し付けてあげるから、経営再建に取り組むように。
表向きはこんな話だ。

しかしながらその本音は、言うまでもなく、利益が上がっている会社は利益確定のために安く買い叩く。
本体も手に入れたいので、転換条項付き社債を握らせ、キャッシュが枯渇したところで転換権を行使してどちらも頂くからね。
である。

こんな構図は、エクイティを少し知っているものであれば誰でも気がつくありふれたM&Aの形なのだが、経営トップはCFOの私の言葉よりも、相手の経営トップの善意を信じた。

この時私はどうしたか。
以前のコラムでは省略した部分なのだが、実は私はこのあと、少し大胆な行動に出ている。
それは、売却先の社長に対し、月例の経営報告で出向いた際の話だ。

要約すると私は以下のような申し出をした。
・今回のM&Aでは、御社への売却に最後まで抵抗して申訳ありませんでした
・ついては、負けを認めますので、この会社を私に任せて貰えないでしょうか
・私には直ぐにできる幾つかの経営再建策がある、今の経営トップよりも必ず貢献できます
という内容だ。

この申し出をした本意はいくつかあるが、それも箇条書きにすると以下のようなものになる
・今ならまだ、本体について経営権を失っていないので条件交渉ができる
・本体について、本気で立て直せば転換条件を行使させずに社債を償還することができるはずだ
・こんな会社に、社長と従業員を渡したくない
こんなところであった。

敢えて刺激的な言葉を使うようだが、私はこんな策にハマる頭の悪い社長でも、人間的に愛していた。
その数年前には胃がんで胃を全摘した際に、家族よりも誰よりも先に手術後、私を枕元に呼び、麻酔から覚めるなり、
「お腹減ったなあ、はよ焼き鳥食べに行こうや」
と言い放った愛すべきバカである。

そんな経営トップを支え切れず、土壇場で私よりも「おかしな会社」の経営トップの言うことを信じさせてしまったのは、全て私の能力不足であり、説得力不足であり、信頼関係の欠如であったのだろう。
そうなれば私は、この経営トップのためにこの会社を何とかして取り戻す。
そう考えての申し入れであったが、この日は
「子会社担当の常務と話して」
と言われ、ただ冷たく突き放された。

そして後日、私は指示された常務と会い、どのような考えがあるのかレポートで提出するように言われ、僅かな投資で1年以内に回収が可能なプランを中心に、即効性のある経営再建策を作成し、手渡した。
その内容は上辺に滑ることを避け、具体的な数字と発注先リストなども含め、クオリティを落とさずにコストを削減できるものに限ってまとめ、実現性の高い内容であったと自負している。

しかしその常務からはどれだけ経っても回答はない。
メールで催促をしても返事は無く、電話をしても取り次いで貰えることもなかった。
さらに月例の経営報告には、CFOであってもお前は来る必要が無いと言われ、経営トップが一人で来るように連絡があっただけであり、完全に蚊帳の外である。

言うまでもないことだが、被買収会社の役員やCFOなど、買った側からすればただの邪魔者であり、一番に解任するべき存在だ。
まだこの時点では、本体での形式上の経営権を失っていることはなかったが、一度心理的に相手会社の社長に依存してしまった経営トップのイニシアティブは完全に失われていた。

そして経営トップはある日、月例の経営報告会から帰ってきた翌週に私を呼び出しこういった。
「いつまでこの会社にいる?」
と。

どのような会話があったのかは明らかであり、私は経営トップに対し、このままでは会社を失うこと、それをみすみす見ていられないことなどを説いたが、状況が変わることはなかった。

いろいろな意味で、完全に負けた。
私は最後の最後まで、自分の愛すべき経営トップに背中から撃たれ続けたが、なぜか会社を去った後は極めて爽快な気分だった。
それは恐らくきっと、最後まで逃げなかったという自負だろう。
自分が信じたことに妥協せず、負け戦とわかっていても素直に負けを認めず徹底抗戦し、最後までなんとかしようと出来るだけの事をやりきったという自負だ。

何があっても、何をされても逃げないこと。
追い出されて初めて、そのポストを去ること。
ここまでやりきれば、人の会社で役員を任された上での退任としては本望である。

なおその後、その会社は予想通り転換条件を行使され、本体ごと乗っ取られた。
さらに悲惨なことに、その社長は、会社から直接出す事が難しい営業に必要な資金を社長個人に貸し付けた上で、営業先に「権利金」として渡すようなことをしていたのだが、その帳簿上の借金も全て会社からの借金として、貸付契約を巻かれたと聞いている。
その額は8000万円。
雇われ経営者となったサラリーから毎月大幅に天引きされ、さらに自宅を担保にする登記も打たれたと聞いたが、まさに悲惨そのものだ。

繰り返しになるが、私は創業社長というものは異世界の存在だと思い役員をしてきた。
然しながら、それもまた人によるのかもしれない。

ちなみに私はその後、自分が創業社長になって思うことだが、やはり自分の意識レベルで何かを人に期待することなど出来るとは思っていない。
自分が築きあげてきた会社について、クソ中途半端な覚悟で、経営方針について詰まらない意見具申をする社員がいれば、きっと聞く耳を持たないだろう。
少なくとも経営方針という経営トップの領域について、聞く価値がある意見を言える者がいると思えないからだ。

もしかしたら私もあの時、そもそもCFOとして有能であったのか無能であったのかということはともかくとして、この経営トップの越えてはならない領域を越えようとしてパージされたのであろうか。
今となってはそんな気がするが、それでも黙っていられなくてその領域を越えようとし、経営トップからも買収会社の経営トップからも疎まれ、CFOを辞任した。

後悔は全くない。
これもまた、役員の一つの終わり方である。

最後まで逃げないこと、薄汚くかっこ悪いのたうち回り方をしてでも、自分の信じることを最後までやりきること。
そして、追い出されるまで悪あがきをすること。

ある意味での、ベンチャー企業の役員が持つべき矜持である。

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