永遠の課題「経営者と従業員の埋まらない溝」を埋めたら会社は成功するのか

永遠の課題「経営者と従業員の埋まらない溝」を埋めたら会社は成功するのか
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突然だがあるとき、テレビ東京の人気経済番組を見ていたら興味深い、経営トップと従業員のやり取りが流れていた。
それは、あるベンチャー企業が先進的な家電製品を開発し、その新作発表会を有名デパートで行った時のもの。
展示即売会を兼ねており、画期的な機能を持つその製品の当日の販売目標を、会社では50台と設定したにもかかわらず、フタを開けてみれば10台余りという大惨事。
帰社後、社長は営業部長と営業部員を集めて反省会をするが、その場で営業担当者から出る「敗戦理由の分析」は、ざっと以下のようなものだった。
・お客さんからの具体的な質問に即答できなかった
・製品の良さをアピールできなかった
・競合する他社製品に対して優位性を説明できなかった
これを聞いていた社長の顔は、テレビカメラの前なので努めて冷静に頑張ってはいたが、それでもみるみるひきつっていく。
無理も無いだろう。
その家電製品は、私達が毎日必ずと言ってもよいほどの頻度で使うものだ。
その製品を家に持ち帰り、或いは実際に使ってさえいれば、その程度のお客さんからの質問に回答できないはずがない、というレベルの分析ばかりである。
そして案の定、社長からの
「この中に、実際にこれを使ったことがある人は?」
という問いかけに、誰一人手を挙げることはなかった。
どう考えても、売れるわけがない。

一方で従業員の心の声に耳を傾ければ、
「なんで家に帰ってまで仕事しなきゃならないの?残業手当もでないのに」
という不平不満が聞こえてきそうでもある。

結局この後の流れは、テレビ番組のご都合主義もあり営業スタッフ皆で製品勉強会を開催し、やがて心が一つになって商品は飛ぶように売れるようになる、という感動のエンディングで幕を閉じる。

言うまでもないことだが、会社経営者であれば、製品を理解せず、実際に自分で使うこともしないで営業の現場に立とうという感性はとても理解できないだろう。
お金を頂くということは、間違いなく顧客のお役に立つということであり、立とうという熱意そのものだからだ。
だから四六時中、どうすればもっとお客さんに喜んで貰えるのかを考え、あるいはもっとこうすれば喜んで貰えたのではないかと、布団の中ではもちろん、夢の中でも考えるのが経営者の性分である。

しかし一部の熱意がない従業員は平気で、自分たちが1度も使ったことがない商品を手に店頭に立ち、
「これ、オススメですよ」
と、薄っぺらなセールストークを展開する。

このテレビ番組では、典型的な従業員と経営者の意識の乖離を見た思いだったが、では果たしてこのような意識の乖離を埋めることはできるのだろうか。
そして意識の乖離を埋めることができたら、会社は成功するのだろうか。

私自身、かつてCFOや経営企画担当役員の立場として、経営トップを支えながら、同時に一般従業員とボードメンバーのつなぎ役をしていた。
そしてその後独立し会社を経営しているが、その間にも似たような課題に多く直面し、時にはこの課題を克服し、時には課題の解決を諦めたこともある。
その経験を通じ、一つの考え方をオファーしながら同時に経営者側にも大きな問題があるのではないか。
そんなことについて、考えてみるきっかけをご提供してみたい。

INDEX
朝令暮改という暴君
経営トップは何を見ているのか
経営者は従業員との溝を埋めるべきか

朝令暮改という暴君

まず考えたいのは、経営者と従業員の溝を埋めるために、経営者は従業員の意識に歩み寄る必要があるのか、ということだ。
話は私がCOO兼CFOを務めていたある会社でのこと。
その会社は女性従業員比率が高く、また腕に覚えがある専門職の頼もしい女性ばかりが揃っていたので、男性従業員はいつもその勢いに押されているような職場である。
私自身、COOでありCFOであっても、現場のトップである年上女性のパワーをなかなか力技で押し切る事ができず、コンセンサスを得ながら仕事を進めていくというスタイルで仕事を進めていた。

ところで率直に言って、いくらCOOやCFOといったところで、経営トップではない。
経営トップという存在は会社経営においては特殊な存在で、いくら役員と言ったところで、会社は経営トップ以外は経営トップのスタッフである。
創業経営者が率いる中小ベンチャー企業では、特にその傾向が大きい。
そしてそのスタッフとして、能力の希少さや高さ、経営トップからの信頼度、経験や知識といった要素で収入や役職は決定されるものの、敢えて誤解を恐れずに言うと、役員も従業員も同じスタッフに過ぎない。

それも当たり前であり、会社のNo2以下は、何が起ころうと会社の責任を負うことができない存在だからだ。
仮に本人が責任を負うと言いだしたところで、銀行も株主も、オーナーシップやリーダーシップに裏付けられない役員あるいはそれより下の者の言うことなど、経営トップの1/10ほどにもまじめに聞きはしないだろう。
むしろ、役員の能力や人柄を通じて、経営トップの考え方や組織の可能性を探る材料にするだけであり、究極的には役員以下の人格はほとんど参考にされない。

このことは、人の会社で長年に渡り、COOやCFOを務めていた時に感じた限界であった。
どれほど理路整然と、数字に裏付けられた計画や見通しをCFOの立場で説明したところで、
「ところで社長さんはどう考えているのですか?」
と、その見通しや考え方は経営トップと共有ができているのかと、確認されるのが関の山である。
当然のことだ。
経営計画の成功も失敗も、経営トップがどれほど強く念じ、どれほど強い意志で推し進めていくかで決定されるものだからであり、決してCFOのエクセル表の上で進行するものではないからだ。

曲がりなりにも自ら会社を経営するようになって、その理由はとても良くわかる。
むしろ、会社の数字について経営トップである私のところに銀行が聞きに来ないことはありえず、スタッフのところであらゆる処理が済むようであれば、そのCFOはもはや人の下で働いているレベルを越えているだろう。

そして当時の私は、まだそのレベルに達することなく、ステークホルダーにとって私の存在は参考程度。
そして経営トップに対する従業員からのクレームだけは、頻繁に持ち込まれるポジションであった。
これは良く言えば従業員の心を掴んでいたと言えるかも知れないが、結局のところ経営者とみなされていなかっただけに過ぎない。
より直接的に言うと舐められていたと言ってもよいだろう。

その内容は様々だが、もっとも多かったものといえばやはり、
「社長はいつも言うことが変わるじゃないですか。何とかして下さい、これでは仕事になりません!」
というものだ。
これは本当に、毎日のように聞かされた。
朝礼で経営トップが口にしたことが、まさに文字通り、夕方にはその通りにしたことで従業員が叱られている。
あるいは「なんでそんなやり方をしているんだ!」と、まるで朝の指示がなかったかのような叱責をすることもある。
従業員は従業員で、「何を言っているんですか!朝こうしろって言ったじゃないですか!」と経営トップに対したくましく切り返せば良いのだが、さすがに経営トップにだけはそこまでの言い方はできない。
そして一通り叱責を受け、泣きべそをかいたところで私の内線を鳴らし、
「少し話があります!時間を取って下さい!」
とクレームを持ち込んでくる、という流れである。

経営トップほどではないにしても、COOやCFOをしていればやはりそれなりにやることはある。
そのため定時内は人と会う時間か誰かの為に使う時間で、それ以降、周囲の仕事が終わる頃合いにデスクワークの時間が始まる

そしてその「貴重な定時以降」にも関わらず、社内のクレーム処理にあたりガス抜きの面談を毎日のようにこなすわけだが、そのほとんどのことに答えなど無い。
従業員に満足の行く回答をしてやれるわけもない。
しかしこのような作業に不慣れな頃は、
「言っていることはわかる」
「解決したい問題は何であって、この会話に期待することは何だ?」
「わかった、タスクをブレイクダウンしよう。何が問題で、何が問題じゃないのか、その整理からだ」
と、一緒になって本気で解決策を模索していたこともあった。

しかしやがて、そのようなアプローチが無意味なことであり、むしろ従業員が私にすらモノを言いにくくする効果しかないことを悟ってからは、私はひとこと、こう回答するようになっていた。
「ほんまに困ったなあ・・・。ところで社長は、なんでそんなふうに、朝言ったことと違うことを言っているんだと思う?」
これに対する答えはいろいろだった。
「決まってるじゃないですか、あの人は現場を知らないからですよ!いい加減な気持ちで現場に口を出さないように、取締役からも言って下さい!」
「深い考えもなしに思いついた事を直ぐに口に出すからですよ!本当に迷惑しているんです。思いつきの適当な指示は止めさせて下さい!」
「多分、私のことが嫌いなんでしょうね。私も好きじゃないですから、いい加減にこんなことが続けば次の仕事探します!」

まさに言いたい放題で、こんな調子である。
経営トップには、あなたの耳に入らないところで従業員からこんなクレームを入れられているかも知れないことを、知っていても損はないだろう。
そしてそのほとんどのクレームに、
「まあ言われても仕方ないな笑」
くらいに思う所があるかもしれないが、だからといって考えも行動も改めることなどありえない。
経営者がそういう生態の生き物であることはよく知っているし、そこで考えを改めるような骨なしの経営トップであれば、会社の先行きも怪しい。

ある程度、COOやCFOを務めた人間であれば、経営トップの支離滅裂かつ憎めない根本的な生態はよく理解しているものだ。
ただ、それを従業員に話したところでまず理解は得られない。
理解を得られる素養を持ち合わせていれば、おそらくこのような解決策にならない時間の使い方をするような、センスの悪さは持ち合わせていない。

やむを得ず私はこのような時、対処療法で以下のように回答していた。
「現場を知らないことはないだろう、あの人は現場あがりでいい加減な気持ちで言っていることはありえないけど、昔のことなので現場感はズレてるかもしれない。それをミーティングで正式に意見提案しましょう。」
「深い考えもなしに思いつきでモノを言うことがあるのはその通りだ、それが経営トップというものだ、諦めた方がよい」
「好き嫌いの感情で相手を見て態度を変えるようなレベルの経営者なら、嫌いな人間をとっくにクビにしている。」

その上で、従業員がそう考えることは無理も無いことであり、「俺が同じ立場なら」きっと腹が立つということには一定の理解を示すようにした。
そして、よっぽど今後の成長に見込みが無いのであれば、はっきり言ってそこまでだ。
極論すれば頭ナデナデしてガス抜きをして終わりにする。
一方で、少し育ててみたいと思える従業員であれば、必ずこう付け加えて宿題を与えた。

「ところで、おかしなことでも人がすることには何か必ず理由がある。今回のことを一度、社長の立場になって考えてみろ。なぜそういったのか、そうしたのかということだ。考えた結果を後日俺に教えてくれ。」

今もこのような対応が正解であったのか、正直わからない。
ただ、小さいながらも会社を経営するようになって思うのは、経営トップの立場になって今起きている問題を一緒になって考えようとする社員ほど、かけがえのない存在はない。
極論すれば、役員にとって必要な素養とは、それだけだと言っても良いかもしれないと思っている。

自分自身も、というよりも従業員の100倍の頻度で経営トップの「朝令暮改」の絨毯爆撃をくらい続けたが、それでも経営トップの行動や考えを本気で理解しようとすること。
それが役員の最低限の条件というものだ。
CFOの頃には、既存株主から追加投資の要請を取り付ける話をまとめ上げ、意気揚々と経営トップに報告した時に、
「あ、それナシにしてごめん」
と言われたこともある。
COOの立場では、にわかには信じられないかも知れないが、M&Aで事業売却の話をまとめ上げ、経営トップ同士で握手をし、合意に至った後にもかかわらず、
「本当に申し訳ないけど、やっぱりこの話断ってきてくれ!」
と言われたことすらあるが、さすがにまあこれは極端な話だろう。
なおこの際のディール(取り引き)は二桁億円規模の大きな話で、相手方は東証一部上場の大手企業。
M&Aの仲介をしてくれたのも、株主の系列である大手M&A専業の会社であった。
そしてどれだけ翻意を迫っても、最終的にM&Aを反故にしてしまい、私は心から謝りに行った。
さすがに私もこの時ばかりは、こいつを殺してやりたいと本気で一瞬思った。

しかしそんな時でも冷静になり、事態を打開し、なおかつ自分自身も成長させる事ができる方法が一つだけある。
それは
「この人は、なんでこんな事を言っているんだろう。なにか理由があるはずだ」
である。

もちろん結果として、経営トップの、或いは上司の言うことをどうしても理解できないこともあるだろう。
そもそもがアンモラルな命令であり拒絶することに正義がある場合もありので、そこまで考えた上で究極、会社を去ることもあっても良い。
もちろん理解できなければ、本気でぶつかるのもアリだ。
実は経営トップは、従業員が思っている以上に「本気で」ぶつかってきてくれることを喜ぶ。
決して薄っぺらじゃない、本当に考え抜いた上での本気のディベートなら、まともな経営トップなら大歓迎するだろう。

私自身は、どれだけ議論を尽くしてもわかりあえず、経営トップに見限りを付ける形で1度だけ、CFOを降りたことがある。
ただ感情的に動く前に、少し冷静になって「なぜ社長はこういう指示を出すのだろうか」と、一呼吸置く癖をつけて欲しい。
そうすれば、朝令暮改を連発する暴君であっても、何を考えているのかきっと見えてくるはずだ。
会社役員とは、その延長線上にいるものが選ばれ、責任を任される存在だということを知れば、きっと仕事に対する取り組み方が変わる。

経営トップは何を見ているのか

今の時代にあまり性差による傾向を安易に口にすると怒られてしまうが、それでもやはり経営トップに対する感情的でわかりやすいクレームは、女性から聞くことのほうが多かった。
そして朝令暮改以外によく聞いたものが
「社長はいつも遊んでいる」
というものだった。
思ったことは直言してくれる分、従業員たちが深層心理ではどのようなことにストレスを感じているのか、ということを早めに気が付かせてくれる、とてもありがたい存在である。

確かに経営トップは遊んでいる事が多い。
というより、遊びもせずに現場作業ばかりやっている経営トップがいれば、その会社は3年後まではなんとかなっても、5年後には危うく、10年後には確実に傾いているはずだ。
もちろんここで言う「遊んでいる」とは、現場に立ち手足を動かさず、書類を一生懸命作ることもせず、飛び込み営業の一つすらしない、という意味だ。
忙しいルーチンワークと期限を抱えている山積みのタスクにさらにタスクを上積みし、自分はどこかに行ってしまう経営者であれば、「自分はいつも遊んでいるくせに!」と言いたくなるのもムリはないだろう。
では社長は、何のために、何をして遊んでいるのだろうか。

それを理解するには、経営トップとはいつも、理想と現実の狭間で、短期と長期の狭間でバランスを取ろうとしている存在だということを理解する必要がある。
会社経営はおそらく、それを経験したことがない人にとっては想像もできないほどに変革し続けることを強制的に運命づけられている。

どれだけ優れたサービスや商品であっても、模倣もできないほど参入障壁の高いものなどほとんどない。
そして儲かっている商品やサービスであれば、必ず後発組がキャッチアップし、後発組だけができる後出しジャンケンを仕掛ける。
その後出しジャンケンとは、「少し安くて少し良い」商品やサービスをマーケットに投入することだ。
かつて日本の家電が世界のマーケットを席巻したにもかかわらず、今や見る影もなくなったのはこの負け方に依る所が大きい。

すなわち、テレビが売れていれば、少し安くて少し便利な機能を付加したテレビを同じマーケットに投入する。
あるいはパソコンなどは、同じような機能で圧倒的に安い商品を投入し、その製品開発に投じた研究開発費も回収できないような価格設定でマーケットを荒らしてしまう。
半導体でも同様であったが、よほどパテントで厳重に権利を守ることが可能なものでなければ、困難な製品開発など、やったほうが損というマーケットの常識が出来上がってしまうということだ。
このようにして日本の家電メーカーは次々に敗北し、白物家電などから撤退し続けた。

この例は、どれほど売れているものであっても必ずその数年後には陳腐化し、5年後には負債にすらなっている可能性がある、という話だ。
「会社は一番うまく行っているときが一番危ない」
という言葉を聞いたことがある人も多いと思うが、これは決して適当な言葉遊びではない。
なぜなら、物が売れているということは今がピークである可能性が高く、そこから得られた利益を元にして、会社は次にどのような方向に進まなければならないのか。
そのことに本気で、そして真剣に取り組む必要がある時期に当たる、ということだからである。

今会社が儲かっており物が売れているのであれば、その状況を必ず誰かが見ている。
そして会社や製品を冷静に分析し、それを模倣しようと虎視眈々とそのマーケットを狙っている。
その企みは近いうちに現実になり、時には自社の売値の半額ほどで、なおかつより便利な機能やサービスを付加してマーケットに現れ、直ちに自社の経営を危うくするはずだ。

その時に備え、自社は先駆者のアドバンテージとして、わずかに積み上げた利益を元にどうやって敵を迎え撃つかだ。
生産ラインや技術力に投資をすることでより安い製品を製造する仕組みを作るのか。
あるいはよりユーザーニーズに対応した機能を加えていくのか。
試験研究などに初期投資がかかっていない商品であれば、見切りをつけて早々に撤退するということも選択肢だろう。

そしてそのどれにも言えることだが、上手く行っている時にしか次の手を打てない。
状況が変わってから慌てて何かを考えても、もはや手遅れだ。
だから経営者は、上手く行っているときこそ利益を大事に温存して、次の仕掛けを考えている。
会社が忙しくて物が売れ、注文をさばききれない時に経営者が生産ラインに入り、注文をさばく作業を従業員とともにやらないのは当たり前だ。
そんなことをしている間に、後発組がキャッチアップして直ちに会社は経営危機を迎える。
こうして経営者は、「会社はこんなに忙しいのに、社長はいつも遊んでいる」と罵られる。

経営者はいつも、現在進行系で進んでいる会社の状況と、会社が向かうべき将来の方向を模索し、手元にあるリソースでどうやって生き残るべきなのか、という現実と理想の狭間でバランスを取りながら会社を経営している。
言い換えればそれは、短期の利益と長期の利益をどうやってバランスさせ、会社と従業員の「生存」をどのようにして確保しようかと、常に神経をすり減らしているということだ。
そのため、同業の経営者や異業種の経営者と交流をしながら、時には酒を呑むこともある。
極端な贅沢品を買い込んで、なにか社長室や会議室に設置して遊んでいることもある。
その全てとは言わないが、少なくとも9割くらいでは、その目的は常にみずみずしい感性を維持して時代と空気を読むための投資であり、あるいは次に何をしようかと具体的に悪巧みをしている時の行動だ。

従業員であればまだしも、幹部社員以上であれば、必ず経営トップはこのように遊ばせておかなければならないことを理解して欲しい。
繰り返すが、経営トップが作業に没頭し、狭い世界で同じようなことばっかりやり始めたら、確実に会社は危うい。

余談だが、海外勢にコテンパンにやられた日本の家電ものづくり企業の生き残り策だ。
当然のことながら、価格競争に直ちに巻き込まれ、製品の開発費すらペイしないような市場との関わりにはもはや重点を置いていない。
価格競争に巻き込まれるような家電製品であっても、その製品に不可欠な、高度な技術力を必要するデバイスの生産に自社のリソースを集中させ、デバイスの供給メーカーとして利益を確保する。
ある大手家電メーカーの経営方針はこのようにシフトしていることが窺える。
これであれば、アジアを始めとした最終製品の安さが売りであるメーカーたちとの直接対決は避けられる上に、それら企業へデバイスを卸すことで、マーケットの規模に応じた利益を得ることができる。
最終製品をどこが作り、いくらで売られても関係ない話だ。
自社は、最終製品に不可欠で、先駆者のアドバンテージでパテントに守られた、或いは高い技術力で優位にあり、それを使わないという選択肢が取りづらいデバイスの供給に特化する。
このようにして、開発費の回収から利益の確保までを計画的に行える事業計画を立て、順調に利益を上げている。

このような経営方針については日本の経営者よりも、あるいは海外の経営者の方が岡目八目で、より深く理解しているようだ。
かつて私が商談でよく訪れていた先では、企業経営者はもちろん、一般の従業員でもノートPCはパナソニックのレッツノートを使っていることが多かった。
それに対しこちら側は当時、すぐに壊れすぐにフリーズはするものの、価格だけは圧倒的に安い某社の、海外製のノートPC。
それをみた会長を務める経営者は、
「なぜ、もっと生産的なツールを使わないのか」
と私達に質問してきたことがある。
いわく、HDDが安定せず、すぐに再起動を繰り返すようなPCでは、結局のところ安物買いの銭失いで、目先得をしたつもりでも必ず損をすることになるだろう、レッツノートが結局は一番いい買い物だ、ということだった。

ぐうの音も出ない正論だったが、その会長はさらに、
「私は、消耗品に関してはアジア製のものを使う。クオリティが会社経営や命にかかわらないテレビや洗濯機は台湾製のもので十分だ。もはやクオリティでも日本を超えていると思う。」
「しかし、やはりノートPCはもちろん、命を預ける自動車などは、どれだけ安くても中国製を買おうとは思わない。日本製にはそれだけの信頼性というアドバンテージがある。」
「日本は今、不況に苦しんでいるようだが、もっと自分たちの強みを理解するべきだ。ロケットなどの航空宇宙産業や鉄道、自動車といった失敗が許されない分野に注力をすることはもちろん、家電製品でも技術力の優位をもっと全面的に出すことを考えて欲しい」
といった意味のことを言った。

なおこの会長は、大の親日家であり日本で言うところの副社長には、日本の大手家電メーカーで部長職を務めていた幹部を2名引き抜き、経営を任せていたほどの人だ。
この会話は2009年頃の話だが、だからこそ日本の抱える問題点を理解し、正しい助言をしてくれていたのだろう。
結果として、日本の家電メーカーや重厚長大産業は、確かにそういった方向に舵を切っている。

経営者とはこのようにして環境の変化に適切に対応し、正しく生き残れる道を選べる者の事を言う。
現場には精通していても、現場作業に忙しく動き回ることで「何かをしている」と満足できる器の小さい人間のことではない。
敢えて言うのであれば経営者には、経営で圧倒的な成果を出し、
「いつも遊んでいる」
と、間違っても言わせない努力は必要かもしれない。
本当にすごい経営者であれば、
「なぜかわからないけど、ウチの社長いつも大きな仕事まとめてくるなぁ」
と言わしめる力があるだろう。
従業員や役員には、もう少し上を見て仕事をする努力が必要であることは間違いないが、経営者も結果で従業員に還元できなければ、遊んでいると非難されても当然ということだ。
長時間労働が続き、なおかつ給与もそれほど高くない水準で何年も変わらない生活に耐えるほど、従業員も結果を待ち続けてはくれない。

経営者は従業員との溝を埋めるべきか

では経営者は、このような従業員との意識の乖離を埋めるべきか、そもそも埋めることができるのだろうか。
そして何よりも、埋めることは正解なのか、ということだ。

結論から言うと埋めることはできるし、埋めるべきだ。
会社をいつまでも経営トップ一人で運営し、常に正しい判断を下し続けられるほど、神がかった人間などいない。
何よりも、一人のマネジメントで経営する鍋ぶた構造の組織など、せいぜい50人までが限界だ。
裏を返せば、経営者と従業員の意識の乖離を埋める努力をしなければ、会社はその程度の仕事しかできない組織にしか成長できないということである。
但し、従業員であれば誰に対しても経営者と同じ意識を求めて良いのかと言うと、もちろんその答はノーだ。
その対象になる人物は、慎重に選ばなければならない。

話は急に変わるようだが、そういった人物を選ぶための考え方についての例だ。
先には、どれほど優れた商品やサービスであっても必ずフォロワーにキャッチアップされるので、常に変革をし続けなければならないと言う意味のことを述べた。
しかしこれは、常に変革し続ける必要性の半分に過ぎない。
なぜなら、もっとも怖い「敵」は顧客だからだ。
より正確に言うと、顧客が求める自社の製品やサービスに対する期待値であり、会社は常に、自社が提供する商品やサービスを上回り続けていかなくてはならない。
そうしなければ、強力なライバルなどいないのに勝手に売上が落ちていくことになる。

競争相手をより強く意識する必要がある業界のわかり易い例は、ネットビジネスだろう。
ブロードバンド黎明期、2000年1桁代に20代以上を過ごした世代であれば、あるいは無料通信ソフトと言えばICQであった人も多いはずだ。
パソコンのデスクトップに常駐させておけば、相手がPCの前にいるのかいないのかがすぐに分かり、呼びかければチャットもできるし、相手が不在であればメッセンジャーにもなる。
スカイプやラインと主要な基本機能は同じだが、だが廃れた。
目的に対しシンプルであるがゆえに使い勝手は良かったが、遊び心や拡張性はほとんど無く、後発のアプリに駆逐されてしまったことが原因だろう。
各種SNSも同様で、一時期SNSの代名詞であったミクシイは既にそのポジションを失って久しい。
フラッシュマーケティングと呼ばれる、格安クーポンを発行することで会社やサービスの宣伝を仲介するサービスも雨後の筍のように乱立したが、今やその大手の一角であったポンパレは、既にクーポンビジネスから撤退した。

これほど環境の変化が激しく、また次々に新しく、そしてよりよいサービスが生まれ続ける業界では、経営トップ一人の力量やセンスなどで経営を維持できるわけがない。
必ず、経営トップと同じ目線で危機感を持ち、次のビジネスを考える幹部を迅速に育てていく必要がある。

一方で、自社への満足度と戦う必要がある業界の最たるものは、飲食業だろう。
もちろん同じようなサービスを提供する同業他社を意識しないわけではないが、それでも自社の顧客を満足させ続けることができれば、他社の動向に関わらず固定客を引き止めることはできる。
その中でも、自社と自社製品への飽くなき顧客の満足度に勝負を挑み続けており、参考になるのは回転寿司業界だろうか。
その努力は、傍目にも胃が痛くなる思いがする。

先日、ふと見ていたテレビでの一コマだ。
それは100円寿司最大手のスシローで、商品開発の責任者をしている幹部への密着ドキュメントである。
聞けばその責任者、毎週10種類以上の新商品候補をボードメンバーに提案することが求められており、週1回のプレゼンでは社長自らが試食を行い、ダメ出しや採用の可否、あるいは条件付き採用と改善方向を示す。
そんな新メニューの考案をもう何年も続けているということだが、そのプレッシャーたるやいかばかりだろうか。
1年で600種類以上の新ネタを考えるなど、どう考えてもネタ切れになる未来がすぐそこに見えそうなものだが、その幹部は、敢えて言葉を選ばずに言うと、少しイカれたほどに活き活きした目で仕事に取り組む。

彼は自分のミッションを120%理解し、顧客を常に飽きさせず、新しいネタが数字として結果に現れることを楽しんでいた。
自分の仕事がスシローの屋台骨であり、顧客を繋ぎ止める唯一の方法は昨日よりも今日、今日よりも明日、さらにお客さんを満足させ続けることだけであると理解している目をしていた。
そして自分の仕事がどれほど重要であり誇らしいのか。
その意識で、「毎週10種類以上の新ネタ候補必須」という、常識では考えられない経営陣からの要求に全力で応えていた。

かつてこの業界は、かっぱ寿司が業界最大手だったが、かっぱは明らかに頂点をとってから変革を怠った。
もっとも売れている時期に自社のアイデンティティを確立できず、「安かろう悪かろう」が定着してしまったというのは、経営トップ自らが会見で省みていたことだが、まさにその通りだろう。
かっぱ寿司は昨日のお客さんを満足させたかも知れないが、今日になって飽きられ、明日には見放された存在になったということだ。

そしてその間に、スシローは次々に新商品をリリースし常に商品を入れ替え、顧客を満足させ続けることに成功している。
いまのところ、このような努力が続くのであれば更に後続との差が広がっていくだろう。

前置きが長くなったが、スシローの商品開発担当幹部のように、
「毎週新ネタ候補10個以上必須」
という過酷なノルマは、誰にでも課して良いわけではないという話だ。
前提として、できない人間にできない仕事を任せたところで時間だけがムダにすぎ、本人はストレスで発狂する結果だけが待っている。
多くのベンチャー企業や中小企業経営者に見られる大きな問題はここにある。
相手の意識レベルやモティベーションを理解すること無く、手当たり次第にいきなり高いレベルの要求水準を出すことにある。
先に挙げたスシローの幹部は、自分の仕事が会社の中でどういう意味を持っているのか。
それがどれほど誇らしい仕事であり、なぜそれをしなければならないのかを理解している。
どれほど厳しいダメ出しをされても、経営トップからの絶大な信頼を肌で感じておりモティベーションは非常に高い。
それに対し、自分の仕事の意味や重要性、それをすることで何がどうなるのか、という仕事全体を俯瞰することすらできていない人間にいきなり
「毎週新ネタ10個以上考えろ。締切厳守。遅れは許さない。」
などと言ったところでそうそう絞り出せるものではない。
経営トップから期待され、信頼されているという実感もないようであれば、さらに能力は落ちるだろう。

そして、このような状態で過酷な要求を課された幹部や従業員は、もはや形式的な数字を満たすことが目的になり、経営トップの怒りを避けることが至上命題になる。
そして、その先にある顧客を満足させるという意味を完全に見失う。
そんな幹部や従業員が出してくる「10個の新ネタ」は、顧客を満足させるどころか経営トップの要求水準すら通過することはないだろう。
かくして経営トップはますます怒り狂い幹部や従業員はますます萎縮し、組織は最悪のスパイラルに陥って立ち行かなくなる。

つまり、できない人間にできない仕事を任せるのが無意味であるように、経営者意識を求めることが難しい相手にそれを求めたところで、当人には苦痛であり、追い込むことにしかならないということだ。
ベンチャーや中小企業で、人材が十分でない組織であっても、経営者としての思いが勢い余ってこのようなことになることは、あってはならない。

ではどのような相手であれば、経営トップは経営者と従業員の間にある意識の溝を埋める努力をしてもよいか。
それは、一義的に相手にその意欲があるかないか、ということに尽きる。
将来、経営陣として活躍する意思があり、あるいは自分もいつか独立して経営者になりたいと希望しているか。
そのような意思がある従業員であれば、経営トップは遠慮なく「経営者教育」をして良いだろう。

なおこのような組織のあり方は、その組織運営が文字通り「命に直結する」世界の主な軍隊では当たり前に行われている教育体系であり、組織運営である。
自衛隊でも、幹部になるものと組織の中間管理職である下士官であり続けたいもの、その下の手足を動かすことだけで組織に貢献したいものを峻別している。
そして厳しい試験に合格し幹部になったものには、もはや温情など一切ない。
子供の学校や家庭の事情などほとんど考慮されること無く、2年に1回程度、北は北海道から南は沖縄まで、組織の都合だけを優先し徹底的に適材適所で飛ばされることになる。
もちろん異動し手足を動かすだけで良いはずもなく、武器のスペックや組織としての能力を定量的に改善する任務も求められ、達成できなければ直ちに評価を落とし将来が危うくなる厳しい競争も存在する。

それに対し、始めから現場の中間管理職でありたいと宣言している曹と呼ばれる下士官は、異動もなく、基本は現業が任務だ。
但し、自分が扱う武器や専門分野に関する能力ではエキスパートになる必要がある。
いわば職人として生きることを宣言している人たちということになる。
職人としての能力は厳しく要求されることにはなるが、基本的には専門分野を越えた能力を求められることはなく、組織に対し背負う結果責任は小さい分、精神的な負担も軽い。

そして組織にはそのどちらの人材も必要不可欠であり、それぞれを育てていく必要がある。
だからこそ経営トップは、幹部として育てる人物とそうでない人物への対応は、その仕事に対する要求も含めて厳しく分けていかなくてはならない。
決まり事もなく態度を変えると思わぬ誤解を生むことにもなりかねないので、人事制度で取り入れた方がスッキリするだろう。

経営者を目指すものとして、大きな責任を背負う意欲と覚悟を宣言させる。
そうすればお互いに、高い要求水準で遠慮なく仕事を進めていくことができる、一つのきっかけになるはずだ。
もちろんそれだけで全てが上手くいくものではないが、少なくとも無言で過酷な要求を求め続けるよりは100倍望ましい。
経営者と幹部・従業員の溝を埋めるための一つの処方箋にしてもらえれば幸いだ。

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