個人のノウハウをどう組織に標準化させていくか

個人のノウハウをどう組織に標準化させていくか
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言うまでもないことだが、CFOとは会社のあらゆる数字について、CEOよりも詳しくなければならない。
そしてその守備範囲は、CEOの財布の中身にも及ぶ必要がある。
経営トップが個人名義で動かす事ができるフリーキャッシュが今現在いくらあるのか。
そのことすらも経営の一部として、情報を持っているのが当たり前だ。
なぜなら、資本政策を考える上で時に経営トップの持株比率の調整は現実的な課題であり、経営トップの個人資産を含めて、会社の選択肢を最大化するのがCFOの役割だからだ。また経営トップの資産状況は、時に経営判断上の意見の食い違いが生じた際に、なぜCEOがそう考えているのかを知るための重要な手掛かりになることもある。
CFOは会社の最高幹部であると同時に、CEOの女房役でもあるのだから、その考え方や判断の機微に影響を与える個人資産の状況にも興味を持ち、把握しておく必要があるだろう。

だが今回の話は、そのような定量的な経営判断のスペシャリストとしての、CFOの役割についてではない。
定量的に経営を把握しているがゆえに、定性的な部分を改善するためにCFOとして何が出来るか。
そして何をしなければならないのか、という話である。

会社経営には大きく、定性的な要素と定量的な要素がある。
定性的な部分で言えば、経営方針、行動計画、組織づくり、人材教育、人事評価制度などがその代表的なものだが、もちろんそれだけではない。
定量的な部分は、経営計画、予算、実績、予実差異分析、各種財務諸表などといったところだが、もちろんその他にもいくらでもある。

大事なことは、これらの定性的・定量的と呼ばれ分けて考えられがちな要素は、表裏一体の同じものであるという考え方だ。
にも関わらず、世の中には、定量的な部分だけを自分の守備範囲だと決めてかかり、定性的な部分の経営課題に興味を持とうともしないCFOが多く存在する。

言うまでもなく、それは役員として怠慢だ。
むしろ、定量的な部分をもっとも理解しているからこそ、CFOは定性的な経営課題にも積極的に取り組む責務を負っている。
会社によっては、CFOが経営企画室長を兼任していることも多くあるが、それはこのような理由による。

そもそも、行動計画や人材教育、人事評価制度などは、経営計画と予算・実績を正しく策定し、その進捗を正確に把握する仕組みがあってこそのものだ。
経営計画のない行動計画は絵に描いた餅であり、その目標は曖昧で、達成のためのモティベーションすら喚起することすらできない。
人事評価制度も、予算と実績の正しい把握と、行動計画に対してどの程度の貢献を果すことができたのかを明らかにすることで、初めて客観的な物差しになりえる。

定性的な経営課題と定量的な経営課題。
この2つをともにCFOの仕事の範疇と捉え、あるいは経営企画室長などの名刺と使い分け役割を担うことは、会社の財務をもっとも理解している者にとって、ぜひ身につけたい必要不可欠なスキルだ。

私自身、従業員が700名を越える中堅のものづくり企業でCFOを務めていた時には、やはりその両方の役割を担った。
一時期、経営企画担当という幹部と役割を分けたこともあったが、やはり数字を理解しないままに会社の制度設計でウンチクを垂れる「偉い人」にはろくな人材がいない。
定性的な役割を切り口に経営企画担当というポジションを得た人物には、CFOとは逆に、会社の数字は自分の守備範囲外であると決めて掛かるものが多い。
そして、過去の経験や教科書的なロジックを当てはめ、組織づくりや人事評価制度を構築し運用しようとするが、その内容は現実性を欠いているものも多い。

では、ひとことで言って定性的な経営課題と定量的な経営課題の融合とはなんだろうか。

私はそれを、属人性の排除であると考えている。
定性的な経営課題の解決をややこしくするのは、その課題に属人的要素が多くあるということだ。
職人的な要素が必要なものづくり企業であれば、その職人的な技術を理由として、一人ひとりの職人に特化したような特別な評価制度を要求する上司もおり、また本人もその職人的な技術故に、単一的な評価を嫌う傾向がある。
しかしながら、敢えて厳しい言い方をすれば、これは多くの場合、自分のできることをブラックボックス化し、特別な立ち位置を失いたくないという自己保身の表れであることがほとんどだ。

これは生産現場だけではなく、ホワイトカラーの管理職にも多く見られることだが、自分の顧客は特別であり、自分でなければ対応できない理由を、とても滑らかに語り始める担当者は極めて多い。
「あそこは特別だから」「ちょっと特殊なルールがあって」「自分以外が行くことを嫌がる」など、自分が特別な付加価値を生み出しているかのように錯覚し、その立ち位置を死守する理由付けにするような行為だが、これは言うまでもなく経営者目線では、無能であることの告白に等しい。
なぜなら経営者とは、常に幹部社員に対し成長を求め、現場仕事をいつまでもやっていることに満足しているようなボンクラは幹部として必要ないと思っているからだ。
現場仕事で自分の立ち位置を死守するような人材は、永遠に現場担当者として以上の期待は掛けられないだろう。

誰にもできないことを自分ができている、という自尊心は大事だ。
長年に渡り身につけ、顧客と積み上げた信頼関係の心地よさもよく理解できるし、その立ち位置を守ることで自分の価値を失いたくないという心理状況もよく理解できる。

しかし残念ながら、会社は常に環境の変化に応じて変わり続けなければ生き残ることができない残酷な運命を持っている。
一つの仕事、一つのポジションで自分の価値が認められたなら、本来であればその仕事はさっさと後任に譲り、新しい立ち位置で自分の価値を作り出さなければならない。
それをすることができる幹部だけが、より重要な仕事を任され、上に昇っていくことが出来る。

そしてCFOは、このような高い志をもった者を、あるいは製造現場にある幹部社員を手助けする必要がある。
すなわち、その業務をフロー化し、一般化し、誰にでも出来る業務としてマニュアル化することの手助けだ。

もちろん、こなしてきた仕事をただフロー化するだけで誰でも同等の戦力になれるわけではない。
しかしながら、ものづくりの現場で一つの仕事を要素に分解した場合、難しいと思われる部分は極めて限定的なことが多い。
90%の仕事は誰でも出来る仕事であり、もし残りの10%が本当に職人的で天才的なカンが必要なのであれば、誰でも出来る仕事を若手にさせて、難しい部分だけをベテラン社員の業務にするという解決策も考えられる。
一般にものづくりの現場では、ベテラン社員自らが誰でも出来る業務もしていることが多く、それだけでも生産効率の向上についての、一つの解決策となるだろう。

ホワイトカラーでも同様だが、こちらはやや困難な事情がある。
ものづくりの現場にある社員は、自分のしていることを難しい仕事であるとして、その一般化や業務内容の要素分解に非協力的である社員はほとんどいない。
むしろ、「こんなん誰でも出来る仕事やん」と言いながら、超人的な感性のクオリティを見せる事が多い。
一方ホワイトカラーの管理職は、誰でも出来るようなことをいかにも難しく、一般化が困難であることのように語り、振る舞う人物が多い。

このようにして、定性的な経営課題と定量的な経営課題を解決するために問題を可視化し、組織やルールの再構築を行っていく過程では、ものづくりの現場にある幹部の価値が見直され、ブラックボックスを抱えて偉そうにしていたホワイトカラーの価値はことごとく地に落ちる。

残酷なようだが、これもCFOの仕事だ。
確かに、会社の業務には属人的な能力でしか解決できず、職人技の属人的な伝承でしか人が育たない要素も存在するだろう。

しかし、ほとんどの会社で作られる製品の、ほとんどの製造過程では、その90%は一般化出来るものばかりだ。
90%が一般化出来るのであれば、それを定量的な課題として捉え、客観的でわかりやすいルーチンに落とし込むことは難しいことではないだろう。
10%の例外部分は、例外的なルールにすればよいだけである。

このような考え方は、ものづくり企業でCFO兼経営企画室長を経験した上での確信だが、だからといって、私の業務はそう簡単なものではなかったし、このような理屈は、現実の前に何度か返り討ちに遭ったのも事実である。

では、現実問題としてどのような課題があるのか。
以下、そのあたりを詳述していきたい。

INDEX
業務の統一化と簡素化がもたらす効果
CFOに出来ること
改善に向けたアプローチ

業務の統一化と簡素化がもたらす効果

突然だが、先の大戦で我が国が戦争に敗れた原因を、経営者である貴方はどのように理解しているだろうか。

意外に思われるかもしれないが、我が国は1941年12月の開戦当時、世界最強の海軍を保有していたことは、まず疑いの余地はない。
実際、開戦から6ヶ月ほどの間、海軍は負け知らずであり、ほぼ無傷でアメリカ太平洋軍を次々に撃沈し、一時はアメリカ議会内にも早期和平論がでるほどだった。
しかし、その快進撃は1942年6月に戦われたミッドウェー海戦において、主力空母4隻を同時に失うという大敗を喫してから、一気にその優位性が失われる。
なぜか。
日本には、失われた人員や艦船を直ちに補えるだけの教育の仕組みがなく、またものづくりの仕組みが無かったからだ。
ではなぜ、我が国はこのような仕組みで戦い、またアメリカは戦争初期において、いくら艦船を沈められ、多くのパイロットを失っても組織が崩壊しなかったのか。

(1)ものづくりの観点
まずは艦船について、すなわちものづくりの観点から見てみたい。
当時の日本では自動車免許を持っているのが一部の特権階級に限られる時代にあって、一般市民が自動車の整備を行う知識のあった時代である。
アメリカはそのとき既に自動車大国であり、ものづくりの基本が出来上がっていて、我が国の50年先を行っている工業国であった。

当然のことながら、町工場のレベルでもものづくりの「標準化」という概念が行き渡っており、部品の統一と作業の統一が図られていて、ものづくりの現場に熟練工を要求するという仕組みを持ち合わせていなかった。

非常に皮肉なことだが、ものづくりに従事する一般市民の学識が非常に低かったことも要因だろう。
アメリカは移民の国であり、中にはまともに言葉も通じない者もいるような工員に仕事をさせるには、作業を単純化し、部品を極めて少数に抑え、簡単な説明で誰でも戦力になる仕組みを作る必要があった。

一方で我が国はどうであったか。
識字率も極めて高く、移民などほとんどいない時代であって、社会のボトムを支える市民の学識が世界的にも高い生産環境だ。
また、技術は先輩から教わるという奉公の概念が色濃く残る時代である。
作業やものづくりの簡素化や統一という発想は初めから無く、むしろ熟練工の高い能力と、それを支える作業者の高い能力を背景に、職人的であり美術品と言ってもいいような、極めて高性能な武器弾薬の製造を推し進めていった。

これは一つに、資源が少なく大量生産ができないという背景もあって、そのために一つ一つの武器弾薬を高性能化するしか無かったという事実も確かに存在する。
しかしながら、そのような発想はそもそも作業の単純化を必要としない人的リソースの賜であり、またモータリゼーションどころか、工場内手工業が主力である産業しか持たない国情がもたらした選択肢であった。

日本におけるこのようなものづくりの仕組みは、熟練工の属人的な能力に頼る生産体制だ。
人を育成する速度は極めて緩慢であり、戦況の悪化に伴い大量の武器や弾薬が必要になっても、供給する能力が絶対的に追いつかない。
この体制である限り、大量の予算と有り余る粗鉄、使い切れない石油があっても結果は同じである。

アメリカがその生産体制を誰にでもできる作業と、誰でも把握できるほどのパーツの少なさに統一した事実とは、非常に対称的なことをご理解頂けるのではないだろうか。
このようにして、有り余る資源を背景にものづくりの現場は唸りを上げてフル稼働し、我が国は「物量に圧倒」されていった。
ものづくりから属人性を排除し、ブラックボックスを無くして可能な限り、あらゆることを定量化した結果である。

(2)人材育成の観点
もはやある程度想像がついているかもしれないが、我が国の人材育成は「徹底した属人主義」であった。
すなわち、職人技で作り上げられた、極めて高性能で扱いが難しい戦闘機や攻撃機などを、猛訓練で使いこなし、乗りこなすことができる搭乗員の育成である。

我が国を代表する戦闘機であった零戦の初期型には、防弾性能が一切なかった。
そのため、敵の機銃弾がちょっと主翼をかすめるだけで零戦は火だるまになり、熟練のパイロットは次々に命を落としていった。
そして、その補充となるパイロットの育成には極めて多くの予算と時間がかかる。
なぜなら、我が国の航空機は扱いが難しく、その操縦方法も一般化できないほどに機種によって異なり、また多くのマイナーチェンジを繰り返し続けたからだ。

一方のアメリカ軍は、モータリゼーションのものづくりの現場で得た経験から、パイロットに特殊な能力を求めなかった。
誰にでも操縦できる容易な操作性と、多少の敵弾を食らっても容易に致命傷を負わない頑丈な作り。
これを最大のプライオリティにして航空機を作り続けた。

つまり、「属人性の徹底排除」である。
特殊な能力をあてにした組織づくりは絶対に脆い。
そのことを知り尽くしていたこの工業先進国は、余りある資源にあぐらをかいて、適当なものづくりをすることは決して無いばかりか、人員の育成と運用からも属人性を排除したわけだ。

このような相手に、資源でも劣り、なおかつものづくりの仕組みでも人材育成の仕組みでも劣っていた我が国が勝てるわけはないだろう。
その可能性があるとすれば、「1本目」の勢いだけで押し切れる短期決戦しか無いわけだが、軍部はそのことを十分に理解した上で開戦に踏み切り、その弱点を120%理解していたアメリカは長期戦に持ち込んで、我が国を叩きのめした。

これだけの歴史の出来事から、なんらの教訓も得られないとすれば、それは経営者として相当な無能だ。
にも関わらず、今、ものづくりの会社に限らず、サービス業の会社でも、作業の単純化と可視化に取り組み、成果を挙げているといえる会社がどれほど存在するのだろう。

「ブラックボックス」の存在に寛容であり、そのような環境で「頑張っている」社員を評価する経営者ばかりではないだろうか。
本コラムの大きなテーマは、「個人のノウハウをどう組織に標準化させていくか」であるが、どうかまずは、このような歴史の事実をおさらいした上で、このようなことを軽視する価値観に強い危機感を感じて欲しい。

 

CFOに出来ること

ここまで仕組みづくりの重要性を説いておきながら、その前提を台無しにするようであるが、CFOには、「職場体験」としてラインに入り、その上辺の問題点や課題を把握することはできても、そのラインに実際に入り数字の責任を背負い、切実な覚悟で生産現場の責任を負うことは不可能だ。
サービス業であっても同様であり、さらに特定の資格や免許が必要な現場であれば、もはや上辺だけの作業者に解決できることなど皆無と言って良いだろう。

私がCFOをしていた会社が買収した町工場での話だ。
その会社は巨大な産業用機器の修理・メンテナンスを行う会社だったのだが、修理とメンテナンスを専業で行う会社は、いつどのような機材が運び込まれるか、想定ができない。
なおかつ故障の箇所が想定できず、何が不具合を起こしているのかを特定するため、ほとんどの場合はネジ一本に至るまでバラし、完全にオーバーホールするというのがその仕事の進め方だ。

そうなると、色々なメーカーの様々な部品をつねにストックし、ネジ1本に至るまで、様々な長さや経の部材を大量に抱えることになる。
もはや素人目には、箱の横に記されている型番以外では、部品の違いが認識できないレベルで部品点数が増えるわけだが、こんな会社でもし貴方がCFOなら、どのようにして在庫管理を「標準化」し、「誰にでもできる作業」に統一するだろうか。

そもそも、クライアントが持ち込むものを想定しようがないという前提がある。
過去10年間のデータを洗っても、一つとして同じ型番の産業用機器が持ち込まれたことがない。
つまり、持ち込まれる修理・メンテナンスの機材そのものがもはや職人の経験をもってしても初めて見るものばかりという状況だ。
さすがに、バラしてみれば類似の構造を持つものは多いが、それでもメーカーの違いなどはどうにもならない。

修理期間のリードタイムを長く取る契約に改めて、必要な資材は必要になった時に発注するという運用も考えられるが、大型産業用機材は、大手企業の製造工場で使用されているものばかりだ。
定期メンテナンスのような仕事であればそのような事も可能だが、故障した機材の場合、クライアントが求める至上命題は、速やかな修理と納品であり、工場の一日も早い復旧である。

逆に言えば、速やかに修理し納品できることがその会社の強みでも有り、高い単価を設定しても依頼が途切れないのはそのような理由であった。
つまり、在庫を持たないという解決策はアドバンテージの放棄であり、マーケットからの撤退を意味するに等しいものである。

先の段落で偉そうなことを散々に講釈を垂れてみたが、これが現場を知らないCFOの限界だ。
理屈では確かにそうだろう。
だが、問題が発生している現場にはそうなることが必然の理由があり、CFO目線では極めて非効率でお金の無駄遣いに見える立ち居振る舞いも、現場で働く人間には、必然的な理由を伴ってそうなっている現実が存在すると言うことだ。

現場では、経や長さが微妙に違う500本入りのネジ箱が無数に開封され転がっている。
それぞれに必要な工具も床に転がりっぱなしだ。
どう考えても、教科書的にはこのような職場環境はありえない。

工具棚には工具の絵を貼り、必ずここに戻しましょうという初歩的な「カイゼン」など、素人のCFOが口を出す前に整えられている。
型番ごとに上から左から順番になった倉庫の材料置き場の整理整頓も見事なものだ。
しかし、そこから作業場に持ち出した仕掛品の整理だけはどうにもならなかった。
それほどまでに、ビジネスモデルそのものが標準化と作業の統一化を全力で拒否をするものだったので、どうにもならなかったというのが本音だ。

この際にはもちろん、現場に入り作業責任者や若手作業者にも話を聞きながら、在庫管理の方法を模索もしたが、作業効率を損ね、なおかつ得られるものは皆無であるという結論になった。

そうなると、選択肢は一つである。
買収した事業ではあったが、廃業だ。
実はその町工場は、作業拠点として土地と上物、それに工場設備を評価しての買い物だったという背景もある。
但し、本業では安定的な黒字が僅かでも出ているので、その事業を可能であれば継続し、M&A資金を回収する一部にしたいというスケベ心もあったのが正直なところだが、その実態はとてもマネジメントしきれるものではなかった。

作業はどこまで行っても属人的であり、人の育成も全て熟練の職人が若手を育てるボランティア精神に頼るものである。
なおかつ、熟練の職人でも初めて見る機材が持ち込まれる現場だ。
長年の経験で、類似の構造を持つ機材の修理経験を援用し、仕事をこなす作業には、マネジメントが力になれる要素は極めて少ない。

そのため、思い切って黒字事業を全て廃業し、ある意味で想定通り、自社の製造拠点としての工場に改修して、元からいた熟練の職人達には自社の新しい仕事に移ってもらった。

もったいないと思われるかもしれないが、事業を大きく育て、また組織化するには、どうしても属人化を排除できない要素は切り捨てることもやむなしという事だ。
この場合、ベンチャー企業として20代や30代前半が主力であった元のものづくり企業に、50代や60代の超ベテラン職人が新たに加わってくれたのである。
ネジを回した結果でき上がるものこそ違うかもしれないが、素材に対する向き合い方、各種工具の取り扱い、職人としてクオリティにこだわる心構えなどは、極めて有意義なものばかりであり、B/Sで十分ペイすると考えていたM&Aは、簿外でもその価値を発揮してくれる買い物になった。

なおかつ、親会社のものづくりに関する在庫管理や発注に関するルーティンの構築である。
これまでの、冗談のように複雑で多品目に渡った在庫管理の中で何とか仕事をこなしてきた職人の目には、親会社の在庫管理はザルだらけであり、多くの改善案を貰うことができた。

CFOにできることなどほとんど無いのだ。
CFOや経営企画室長には、現場を知った上でルーティンワークを整理し、その構造を定性的・定量的に評価する仕組みを作ることは出来るかもしれない。
しかし、その現場における日々の作業の中で、何が本当に問題で、どうすればよりよいものづくり環境を整備できるのかを知っているのは、現場作業者だけである。
その中でも本気で会社を思い、より良いクオリティで仕事をしたいという意識を持ってくれている職人だけだ。

このような人材は時に、現場以外の人間を全力で拒絶し、自分の問題意識を共有してくれる事務方の人間などいるはずもないと考え、会話すらろくにしてくれない事が多い。
なぜなら、これまでに散々そのような問題意識を上司である事務方の人間に訴え、時には経営トップにも伝えたのに、何一つ改善されることなど無かったからだ。

まして、CFOでございますと入社してきた「経理もどき」が何かを聞きに来たところで、まともに相手してくれると思う方がどうかしている。
しかし、CFOはこのような壁を乗り越え、人間関係を築き問題の所在を正確に把握することで、初めて定量的な問題の解決を図ることが出来る。

この章では、ものづくりの現場の話にフォーカスしたが、これはある意味で、ホワイトカラーの生産現場でも同じことだ。
例えば、資格や免許が必要な業務についての標準化である。
弁護士の仕事が仮に標準化が可能であったとしても、そのような作業を受け入れ、ノウハウの共有に同意し、積極的に組織のためにその経験と知見を拠出するような弁護士が存在するだろうか。
多くの場合、将来的には独立をすることを考えており、また組織にその知見を拠出することにメリットを全く感じないので、業務の効率化などには全くの無関心だろう。

企業内での有資格者や各種のライセンスホルダーも、この傾向がある。
苦労して勉強し、また大金をはたいて取得した免許に関する知見は自分の努力の成果であって、組織のために提供することには消極的だ。

ではこのような姿勢をどのようにすれば改めることが出来るのか。
それは、そのような行為によって得をするという現実を肌感覚で理解させ、なおかつ実際の恩恵を有形無形の報酬で与えること以外に方法はない。
組織のために貢献することが個人の利益と直結するという制度であり仕組みづくりだが、ここまでしてやっと、組織は組織として機能するためのベースが出来る。
しかしもちろん、それだけでは十分ではなく、それも簡単には進まないという現実がある。

 

改善に向けたアプローチ

業務の標準化や一般化には、ノウハウや知見を拠出することで得をし、評価される仕組みを約束することが不可欠な前提は先述のとおりだ。
まずはこの部分を掘り下げてみたいが、知識や経験という目に見えず、また評価も難しいものをレポートで出されても、それを人事考課に結びつけるのは難しい。
営業であれば、小さくとも組織のトップに据えることで、個人の成果ではなくチームの成果を人事考課に反映させる仕組みにすれば、自身の持つノウハウややり方の共有にもある程度積極的になるかもしれないが、これは営業に限った考え方だ。
例えば製造指示書を作成するチームや、経理や総務と言ったチームにおいてはこのような解決策は考え辛い。
誰かを責任者に据えることで、残業の総時間を減らしつつ業務のクオリティを上げることを課したところで、サービス残業を強制するなど、リスクのある爆弾を作り出すのがせいぜいである。

このような状況で、私が現場に足を運び、取り組んだ解決策はどのようなものだったのか。
その詳述をする前に、従業員が現場で抱える「問題」には大きく2種類のものがあることを説明したい。
それは、
・問題を解決することでモティベーションが上がるもの
・問題を解決することで不満が減少するもの
という問題の切り分け方だ。

例えば、給料が少ないことに不満を持っている従業員が多い会社では、給料を上げれば不満の減少という消極的な問題解決を通り越し、モティベーションアップに繋がる解決策となる。
一方で、エアコンが全く効かずに熱気がこもる作業場に新型エアコンを設置するという問題解決策は、不満を減少する効果はあってもやる気を倍加させるような効果は全く無い。

会社によって異なることは承知の上だが、概ね営業系の職種には、モティベーションが上がる方法で問題を解決することで業務効率を上げられることが多い。
一方でデスクワーク系と現業系の仕事では、不満を減少する方向で問題解決にアプローチすることで、業務効率を改善できることが多い。

なおここで言う「業務効率を上げる」という言葉の意味は、営業系であれば売上のアップであり、デスクワーク系と現業系であればコストの削減だ。
もっと具体的にいうとデスクワーク系と現業系の場合、残業時間を極力減らし、可能であれば人員を減らし、常に定時で帰れるような環境を整え、なおかつクオリティを維持もしくは向上させるということを意味する。

私がものづくりの会社で主に取り組んだのは後者のほうだ。
総労働時間を大幅に削り、新規や中途の採用を抑制しながらクオリティの維持をしようという試みだが、この作業には、普段どのような仕事にどれくらいの時間を使っているのか。
そしてどのような作業が省力化出来るのかを分析する必要がある。

しかし、ここで馬鹿正直に、
「貴方の一日の作業時間を毎日、1ヶ月間記入して下さい」
という様なアンケートを取ることは無意味である。
もしこのような記録を取ったとしても、デスクワーク系や現業系の従業員は、なぜその作業にそれほどの時間がかかったのか。
そしてその時間を短縮するのがどれほど難しいのかを流暢に語りだすだけだ。
そしてその内容は、CFOや経営企画室長である貴方には全く理解できない内容であり、そのまま受け入れるしか無いというレポートになる。
当然のことながら、何の解決策の立案にも役立たないばかりか、無駄な「日報」を書かされる新しい雑事が増えたことでストレスがより増加し、かくしてこのような業務を命じた黒幕である貴方はますます、従業員から敵視されることになる。

では、私はこの時にどのように問題解決にアプローチしたかだ。
私は現場に赴き、現場のリーダーと従業員のグループを最大で10名程の小さな単位に分けて毎日、30分だけでいいから終業後に会議の時間が欲しいと申し入れた。
そしてその会議のお題とは、「こんな作業やってられない不満大会」である。

当時の私がどれだけ信頼されていたかは分からないが、「絶対に口外しない」ことを条件に、普段の仕事の何が無駄だと思っているか。
こんな事をやっているからストレスが溜まり、毎日帰りが遅くなると思っている率直な意見を徹底的に聞かせて欲しいと従業員にお願いし、その解決に全力で取り組むことを約束した。
なぜか。
表現方法こそ違えど、実際に手足を動かす従業員が「無駄」だと思っているものこそが、作業の効率化の最大のヒントだからだ。

現場の従業員たちは本当に凄い。
業務の効率化に、経営層とは目的は違うが、真剣であり切実なのだ。
無駄なことをやってつまらない時間を過ごすことに本気でストレスを感じており、その改善を心から渇望している。

結果は絶大だった。
協力をして欲しい、ノウハウを提供して欲しいなどと言う表現では、ここまでの項目は出なかったであろう、様々な、笑ってしまうようなムダが現場には溢れていた。
このようにして、多くの現場で「不満を聞かせてください」と語りかけることで、私は現場仕事に於いて何が業務を不効率にしているのか。
どうすれば作業を単純化し、誰でも出来る仕組みに置き換えることが出来るのか、そのノウハウを次々に得ることができて、最終的にはシステムの大幅な入れ替えに際し、現場のリーダーたちから有り余るほどの協力を得ることができた。

不満を減少するという政策は、一義的には仕事に対する満足度を上げるということには直結しない。
しかしながら、人間なら誰しも、意味のある仕事で誰かのために役に立っていたいという願望や、仕事を通して組織に貢献できていることを実感したいに決まっている。

「業務を効率化して作業を一般化したいので協力して下さい」
などと言ってもだれも耳を傾けないが、「貴方がしているクソみたいな仕事を聞かせてください」と言えば、ほとんどの従業員が大喜びで語ってくれる。

そして会社は、そんなクソみたいな仕事で溢れている。
特にそのものづくりの会社は、創業から30年以上が経過していろいろな積弊が積み重なっていた組織だったので、私のアプローチは極めて有効だったのだろう。

どのような組織でも有効であるとは言わないが、その考え方は役に立てて貰えるはずだ。
ぜひ、あらゆる業務の効率化と可視化、定性的な経営課題と定量的な経営課題の解決に、このような経験を活かして貰えれば幸いだ。
個人のノウハウを組織として標準化するのは、思っているよりも難しいことではない。

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1973年生まれ。とある企業の経営者。 大手証券会社からキャリアをスタートし、広告代理店やメーカーなどを経験する。 CEOを2社、CFOを3社ほど経験し、現在はマーケティングと人材開発を主なサービスとした企業を経営している。