15歳で起業したボクが35億の会社を経営するまでの話 ―中学生起業家の失敗のすべて – TIGALA株式会社 代表取締役CEO 正田 圭氏

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―まだまだ起業後進国である日本の中に異色の経歴を持ったシリアルアントレプレナーがいる。
15歳で起業し、その会社を19歳でM&Aイグジット。売却益を元手に22歳にして年商35億の会社を築き上げた、TIGALA株式会社代表取締役の正田圭氏だ。
現在はストラクチャードファイナンスや企業グループ内の再編サービスを手がける正田氏だが、一見順風満帆に見えるそのキャリアには成功の数と同じくらいの失敗があった。「成功したことより、失敗のほうが勉強になっている」と語る正田氏の起業の理由と起業後の失敗談、現在手がけるM&A事業とその展望についてうかがった。

■PROFILE
正田 圭(まさだ・けい)
1986年奈良県出身。2001年、15歳でインターネット関連事業会社を起業。インターネット事業を売却後、未公開企業同士のM&Aサービスを展開。事業再生の計画策定や金融機関との交渉、企業価値評価業務に従事。2011年TIGALA株式会社設立。ストラクチャードファイナンスや企業グループ内の再編サービスを提供。2013〜2015年税理士法人、法律事務所、社労士事務所等の専門家による総合コンサルティンググループ会社汐留パートナーズ、汐留総合研究所の非常勤務役員を務める。2016年『15歳で起業したぼくが社長になって学んだこと』、『ビジネスの世界で戦うのならファイナンスから始めなさい。』(いずれもCCCメディアハウス)を出版。
■INDEX
―15歳で起業。キッカケは「金持ちになりたかったから」
―ビジネスマナーはすべて「詐欺師」から教わった
―19歳ではじめての事業売却。売却益を元手に投資を開始
―日本にも起業文化を当たり前に
―「ものを読まない仕事はない」読書は情報処理のトレーニング
―起業家にも得意・不得意がある。今後のM&AマーケットにはAIが不可欠である理由

15歳で起業。キッカケは「金持ちになりたかったから」

―正田さんは昨年、初の著書『15歳で起業したぼくが社長になって学んだこと』を上梓されました。この「15歳で起業」というトピックはほかの方にはない強みだと思います。まずは起業の理由からお聞かせいただけますか。

起業の理由は、少し不謹慎な言い方かもしれませんが、正直に言いますと、「遊ぶ金欲しさ」です。当時、僕は愛知県にある中高一貫校の生徒でした。周りは医者の子どもや会社経営者の子どもばかりという状態です。小遣いのケタは違うし、親からクレジットカードを渡されている友人もいました。みんなで服を買いに行くにしても、彼らと同じ金銭感覚で買い物はできません。
親が金持ちの彼らにくらべると、僕は小遣いが圧倒的に少なかったのです。

「自分ももっとお金が欲しい」「どうすればお金持ちになれるのか」と考えた結果、僕の導き出した最終的な答えは「起業して会社経営すればいい」というものでした。ちなみに、お金を稼ぎたい同年代の子はアルバイトを見つけたり、パチンコやスロットをやったりしていました。

―当時の正田さんはなぜアルバイトではなく、「起業」を選択したのでしょうか。

15歳前後になればお金に対する興味が出てくる子が多いと思いますが、僕はとくにお金儲けに対する関心が強かったのだと思います。その上、大きなことをやってみたいという願望もあったため、アルバイトやパチンコでなく会社経営に関心が向いたのでしょう。その頃、メディアに登場し始めた孫正義氏や堀江貴文氏らに対する憧れもありました。「会社をつくってみたい」気持ちは人一倍強かったと思います。

―起業にあたっては世界的ベストセラー『金持ち父さん貧乏父さん』(ロバート・キヨサキ、シャロン・レクター、筑摩書房)にも影響を受けたとうかがっています。

当時はいわゆる「お金儲け本」みたいなものが多く出始めた時期でした。僕もいろいろと読み漁りましたが、なかでも感銘を受けたのが『金持ち父さん貧乏父さん』です。自己資金だけでなく銀行からお金を借りて不動産を買い、それを担保にまた借金をして投資を繰り返して資産を増やす方法が書かれていました。まずはそれをやってみようと思い、不動産を買うために銀行に足を運んだのですが、金融機関が中学生にお金を貸すわけがなく、門前払いされました。

そこで始めたのは株取引です。友人といっしょに始めたのですが、友人の親に口座を貸してもらっていたため、制約がありました。また学校に携帯電話持ち込み禁止の校則ができて昼間に株価をチェックできなくなり、そのうち株取引は止めることになります。

次に目をつけたのがインターネットです。起業に関心をもっている友人たちと話していると「インターネットが流行っているらしい」という話題が出てきました。当時アメリカでインターネットビジネスの会社を立ち上げ、15歳でCEOを務めたキャメロン・ジョンソンという少年がおり、そのニュースにも触発されました。そんな流れでホームページ制作事業、企業向けのSEO対策事業とビジネスを拡大させていったのです。

ただ当時は「自分は起業したんだ」という意識は正直薄かったですね(笑)。何もわからないままビジネスを始めてしまったんです。そのうち、会社経営をしている人たちから「ちゃんと税理士をつけたほうがいいよ」とアドバイスをいただくようになって。どうやら会社という「箱」をつくって、税理士に頼んで税務をきちんとしなければいけないらしい、とようやく気づいたのです。

―事業が先行して、会社づくり、組織づくりは後づけだったのですね。

そうですね。「起業」する時は、いかなる時も組織づくりよりも会社づくりが先行すべきだと思います。僕の場合も、組織なんて感じでは全然なく「部活」みたいなノリでした(笑)。はじめはお金儲けに興味のある友人4人ぐらいでカラオケや漫画喫茶に集まり、「俺はハンバーガー屋をやってみたい」「インターネットは儲かるって」「事業計画書がいるらしい」とワイワイガヤガヤやっていましたから。

そして最終は自分たちでサイトを作り運営するというアフィリエイトをやっていて、学生のお小遣い程度には稼げていました。でもこれを続けても規模は大きくなっていかないこともわかっていました。「どうすればもう一つ上のステージに行けるだろうか?」と考えたとき、法人と直接取引をすることを思いつきます。それまではアプリケーションサービスプロバイダのような中間業者を通していたのですが、中間業者を経由しなければ利幅は増えるに違いない、と。

しかし所詮は子どもです。制服で売り込みに行くわけにもいかないし、スーツも持っていない。「電話したら会わずに済む」と思い、電話営業を始めましたが、アポが取れたら、次はやはり「会いましょう」となる。そうすると名刺が必要になります。初めて見た名刺がロータリークラブの金箔押しの名刺だったために、金箔は当たり前だと勘違いし、たかだか名刺ごときに3万円ぐらいかけて箔押しの名刺を作ってしまったり、名刺入れの存在を知らないから、しばらく財布を名刺入れとして使っていたり、そんな幼稚なスタートでした。

ビジネスマナーはすべて「詐欺師」から教わった

―アフィリエイトに始まり、ホームページ制作事業、企業向けのSEO対策事業などビジネスを拡大されていかれたそうですが、幼いゆえの失敗はありましたか。

正直なところ、失敗だらけでした。しかし、失敗から学んだことは大きく、実際のところ、勉強になったことはすべて、成功した案件ではなく失敗した案件でした。もっとも勉強になったのは、間違えて顧問として迎え入れてしまった「おじいさん詐欺師」でしたね。

僕はその人のことを複数の会社を経営しているやり手の会長だと思っていました。紳士然とした出で立ちで、詐欺師には見えません。僕はその詐欺師を、詐欺師だと気がつかずに半年ほど顧問として迎え入れることになるのです。もちろん、最後は騙されて大変な損害を被ります。

ただ、勉強になったこともありまして、それは、ビジネスマナーを一度も学んだことのなかった僕にとって、その詐欺師がビジネスマナーをきちんと教えてくれたということです。僕は社会人経験なしで起業したせいで、ビジネスマナーなんて全くわかっていませんでした。それを詐欺師から徹底的に叩き直されたんです。

彼からは会食のマナー、商談の仕方、お礼状の書き方、あらゆることを教わりました。例えばクライアントと会食に行くと「メニューをゆっくり見て選ぶんじゃない」「醤油の中にわさびを溶いてはいけない」など、箸の上げ下げまで細かく指摘されます。また、営業の概念でもある「アイスブレイク」や「クロージング」なんて言葉も、その詐欺師から教えてもらいました。

変な話ですが、一流の詐欺師だけあって、そういうビジネスの基本みたいなところはそこらへんのビジネスマンよりもきちんとしているのです。

―正田さんがその方を信頼してしまったポイントは何だったんでしょうか。

ずば抜けてハッタリに長けているところですね。「ちょっとあの店、見に行くか」といって自分が経営していると言い張っている飲食店だという店に連れて行かれるのです。もちろん、自分の店でもなんでも無いのですが、僕は当然詐欺師の店だと思ってついていきます。店に入ると、「またトイレ汚れてたぞ」「水回りをきれいにしとかねぇと客が来なくなるから。わかってるよな」なんて店の人にオーナー風を吹かせて言うのです。すると相手は「社長、すみません」と言うわけです(笑)。店にとってはただの常連でも、お客さんにはこういう言い方をしますよね。僕はまんまとそれに引っかかったわけです。

ほかにも、その詐欺師と同じ名字の○○ビルを見せられて、「このビル、10年ぐらい前に買ったんだよ」「1階でイタリアンやらせてるんだけど不味いんだ。でもシェフがいいやつでな」なんて言いながら店に入る。そして「おう、がんばってるか」「社長、ご無沙汰しています!」というやりとりを見せられる。

―まるでテレビドラマのように、じつに巧みですね。

彼には芸能界の知り合いも多かったですね。彼らとみんなで食事に行くときに、著名なスポーツ選手もその食事会に参加していることもあります。そんな時に、著名スポーツ選手に向け「おい、ちょっとこっちに来い。最近どうだ、お前」など声をかけます。彼も誰だかわからなくてもスポンサーかなにかだろうと思うから、「お世話になっております。おかげさまで……」と丁重に応じる。それをみた僕はますます詐欺師が凄い人だと信じ込む。こうやって凄い人だという印象をつくっておいて、詐欺を働くんですね。彼の持ってくる儲け話に乗ってある程度の金額を預けたところで音信不通になりました。そこでようやく彼が詐欺師だとわかります。そういう痛い目にも遭ってきました。

19歳ではじめての事業売却。売却益を元手に投資を開始

―それでも22歳で会社を年商35億円にまで成長させていらっしゃいます。転機は何だったのでしょうか。

大きな転機は19歳のときにM&Aで会社を売却したことです。当時、同業他社が上場したニュースに刺激を受け、僕もIPOを視野に入れて監査法人と契約したり、証券会社の話を聞いたりと準備を進めていました。

するとさらに追い討ちをかけるように別の SEO企業にも上場を追い越されたのです。起業当時はSEO事業の先駆者として自社も伸びていましたが、いつのまにか同業他社の後塵を拝する形になってしまっていました。このことがきっかけで、将来のIPO後の経営に不安を抱くようになりました。加えて僕自身がパソコン音痴でプログラミングもできなかったために、果たしてそんな自分がインターネットビジネスを続けていてもよいのだろうかと考えていました。

そんなときM&Aという選択肢があることを知り、それに乗ったのです。すると10代にしてかなり大きな売却益が入ってきます。これを元手に次は何を始めようか、と考え出すのが年商35億円の会社を始めるきっかけとなります。ところがこれが新たな苦労の始まりでもありました。

―売却当時の社員数や年商はどのくらいだったのでしょうか。

社員数は15人ほどです。年商は2億円、利益は3,000万円ぐらいでした。この頃には学校の同級生は一人もいなかったですね。みんな会社経営がパチンコやアルバイトより面倒くさいものだとすぐに気づいたようです(笑)。

―M&Aで得たキャッシュで、まず始めたことは何だったんでしょうか。

投資です。できることは何もないけれど、お金だけはある。そうするとじつは投資以外にやることがないんです。世間知らずな若造が大金を持っているから、お金目当てで寄ってくる人がたくさんいました。自分は「なんだかやけにアポが入るな」ぐらいにしか思っておらず、危機意識はあまりなかったですね。

―まったく知らない人が訪ねてくるんですか。

知り合いの知り合いみたいな人たちが連絡をとってくる感じでしょうか。そういう人たちが明らかな詐欺まがいの話からきちんとした仕事の話まで、いろんな案件を持ってくるんです。当初はあらゆる案件に投資しましたから、失敗は数知れずですよ。人生勉強をしていたらどんどんお金が減っていきました。

―案件は玉石混淆だったのですね。しかしそういう人生勉強の中からもうまくいくものが出てきたのですよね。うまくいった事業はどういうものだったんでしょう。

事業立ち上げのサポート業務です。ともにリスクテイクをするから、そこで生まれたリターンもシェアしましょう、という成功報酬型のコンサルティングのようなものですね。例えばある経営者と仲良くなったら、こちらでアイデアを出して出資もして共同でビジネスを立ち上げ、うまくいったら利益をシェアします。その事業を経営者が買い取る場合もありますし、共同で売却することもある。そこでまた利益が生まれるのです。これは現在、弊社が手がけているM&A事業の原形となるビジネスでした。

―なかでも印象深い案件はありますか。

ハードディスクの修理を手がけている企業の案件です。壊れたパソコンを送ってもらってデータを復旧させ、お客様に返却するサービスだったのですが、僕が関わるまでは相手からの依頼が来るのを待つインバウンド型の商売をしていました。

そこで僕がアイデアを出し、こちらから積極的に営業をかけるアウトバウンド型に変えたのです。オーナーとともに出資もして社内にコールセンターを立ち上げ、電話営業をして資料をファックスで送らせてもらい、困ったときに電話をいただくようにしました。これが思いのほか好評で、最終的には僕も大きな利益を手にすることができました。

当時は月1ぐらいのペースで新しい案件に500万円、1,000万円と投資していましたが、最初の1年めはほぼ利益ゼロです。2年目ぐらいからうまくいく案件が徐々に出始め、利益が生まれるようになりました。

もちろんうまくいかない案件も多いです。実際にうまくいくのは5つに1つらいでしょうか。

―数を重ねるうちに経験を積んで勝率が上がり、年商35億円に到達されるわけですね。

一度は資金が尽きるギリギリのところまでいったこともありました。でもそこからなんとか這い上がることができました。事業を精査する目も育って来て、やみくもに投資することもなくなっていきます。

気づいたときには複数の事業が立ち上がっていました。それらをまとめたらそれなりの規模の会社になっていたんです。この頃、経営の多角化をめざし、事業立ち上げのサポート業務だけでなく不動産投資も始めました。15歳で『金持ち父さん貧乏父さん』を読んで以来憧れていた、レバレッジを効かせて利益を出すやり方についに足を踏み入れたわけです。

本来、不動産投資はそれほど利回りの高いものではありません。ところが短期で転売することで利回りを上げたり、リノベーションで付加価値を付けて売却したりする方法で、大きな利益を生み出すこともできます。インカムゲインよりキャピタルゲインのほうが実入りが大きいですし、一回の売買で動く金額が大きく、おもしろかったですね。

日本にも起業文化を当たり前に

―日本で正田さんのような若い起業家を増やすにはどうしたらいいと思われますか。

僕みたいな起業家が良いか悪いかという話はありますが、起業家を増やすという意味では、もっともっと気軽に起業できる環境があればと思います。僕が起業した時よりは起業という事に対しての風当たりは弱くなってきましたが、起業して一度学生生活をリタイアすると、日本の就活市場では評価してくれる企業よりも、「傷物扱い」する企業のほうがまだまだ多い現状です。起業するような主体性のある人間は使いづらいと思われて、そのチャレンジ精神を買うより敬遠する向きが採用側に多いように思います。今でこそ、それをキャリアとして認める雰囲気も少しは出てきましたが、起業して失敗してしまった人に対しての評価は辛口です。

―確かにそうですね。起業していた既卒の人材より、ピカピカの新卒をありがたがる風潮は今もあります。もし正田さんが今、大学を卒業したばかりのお立場なら就職と起業、どちらの道を選びますか。

大学を出たらまず就職したと思いますね。

―意外です。それはなぜでしょうか。

社会人経験ゼロで、右も左もわからない中でプレーしてもハンデが大きすぎることは身にしみてわかっています。スポーツに例えるなら、やはりスポーツの種類とルールを知ってから始めたほうが上達も早いですよね。起業も同じです。数年間は社会経験を積んでから起業したほうがいい。あとは資金的な問題でしょうか。

僕の理想とする起業モデルは2つあります。1つめは、サラリーマンとして会社の中で成り上がり、20代のうちに1億円くらいつくってから起業するモデルです。ベンチャーに入社して会社の中で頭角を現し、ボーナスでもストックオプションでもいいから1億円くらい自力で稼ぐ。その資金を元手に独立、というのが理想ですね。たまに、僕のところにも若い人が起業相談くるのですが、サラリーマンやってて1億くらい稼ぐ甲斐性がないと、起業しても頭角なんてあらわせないよとよくアドバイスします。

2つめは、40代か50代で資本金4,000万円程度で起業するモデルです。これは僕の実体験ではないのですが、これぐらいの年齢と資本金で起業するのが最も成功率が高いと聞きました。貯金と退職金を合わせた金額を会社の設立費用に充てられますし、新卒時から20数年にわたって築いてきた人脈とノウハウを活用すれば、ビジネスも軌道にのせやすいのでしょう。

今、学生時代にいきなり起業するか? を聞かれたら、おそらくしません。それでもやる気のある人が気軽にスタートできて、失敗した人にもリカバリーのチャンスがあるような社会の仕組みができたら、とは思いますね。

「ものを読まない仕事はない」読書は情報処理のトレーニング

―正田さんは若くして起業されたわけですが、高校卒業後、大学には行かずにビジネス一筋で行こうと決めた理由は何だったのでしょうか。

じつは大学にも行きたくて、会社を経営しながらも受験勉強は続けていたんです。高校在学中に会社を都内に移転したこともあり、出席日数を気にしながら週の半分は都内で仕事をして、合間に夏期講習も受ける生活を送っていた時期もありました(笑)。でも続かなかったですね。仕事をしているとクライアントから呼び出されたり、打ち合わせがあったりと、なかなか自分の時間をつくるのが難しく、結局大学には行けずじまいでした。同級生が大学を卒業する頃、「今さら大学へ行っても4年遅れてしまう。自分に残されているのは起業家、ビジネスオーナーとしての道だ」とようやく腹をくくることができました。

その代わり19歳でM&Aをした後、猛烈に勉強を始めました。理由は自分の経営手法を振り返り、会社を経営する上で必要な会計、財務、税務、法務などの知識を得たかったからです。経営者の先輩方から35歳までに身につけた知識がモノを言うと聞いていましたし、会社の器はやはりそのトップの器によって決まってきますから。とくに20代は自分自身の成長にかなりのウェイトを置いていました。

―どれくらいのペースで何を読まれますか。

僕の読み方は1日1冊ペースですね。どんなに忙しくても移動の時間とか次のアポまでの時間で読むことができます。本は「芋づる式」に選ぶことが多いです。今読んでいる本に出てくる本や、出てきた人物の著書を読んだり、気に入ったらその著者の本を全部買ったり。その繰り返しです。自分の能力とかけはなれたレベルの高い本はなかなか読むスピードが上がりませんが、そこで諦めずに読書の習慣を続けていれば前提となる知識も増え、読むスピードはどんどん上がっていきます。辛抱して読み続けることが大事です。

―社員の方々にも読書を推奨されているとうかがいました。

本を読むことで身につけてほしいのは、じつは本の内容ではないんです。むしろ理解の難しいものを一定量読みこなして理解できるようになったり、素早く情報整理をして必要な部分だけ身につけたりする能力です。

文字を読まない仕事はありません。弊社であれば有価証券報告書にスピーディーに目を通せなければ仕事は回っていかないですよね。ですから、読書は情報処理のトレーニングと捉えてほしいと思っています。同じ時間で30ページしか読めない人と300ページ読める人だったら、そのパフォーマンスの差は歴然です。

―これから3冊目、4冊目の出版も控えているという。

起業家にも得意・不得意がある。今後のM&AマーケットにはAIが不可欠である理由

―御社は現在、M&A事業を中心に据えておられます。今後の事業展開についてはどのようにお考えですか。

M&A事業を手がけているとさまざまなプレーヤーが出てきます。公認会計士、弁護士、投資銀行、証券会社などです。この中の、投資銀行によるM&Aアドバイザリー業務をより透明性高く、リーズナブルなサービスにして弊社で提供していきたいと考えています。

投資銀行はM&Aにあたり、会計税務などさまざまな専門的観点から企業を評価し、契約成立まで企業に助言したり交渉をサポートしていきます。複雑かつ難解な業務で、一般の企業にこのような業務を担当できる人材はなかなかいません。そこで投資銀行の出番なのですが、弊社も現在同様のサービスを提供しています。このサービスはIT化によって自動化し、わかりやすく整理できる余地がまだまだあると思うのです。

金融情報をAIに理解させ、どの企業とどの企業をM&Aしたら事業シナジーがどれくらい生まれるかを算出させる。またアドバイザーが徹夜で作っていた資料をAIに作らせ、それを共有してクライアントと打ち合わせができる状態にする。ITによって投資銀行業務の自動化が実現すれば、人でなければできない部分により多くのリソースを割くことができますし、サービスをよりわかりやすくリーズナブルに提供することも可能だと思っています。

会社をもうひと回り、ふた回り成長させたいと考えている中小企業、新興上場企業に対して外資系投資銀行並みのクオリティのサービスを安価に提供し、企業の成長に貢献する。それが現在、弊社がもっとも力を入れているところです。

―昨今のM&Aマーケットの動向についてはどのようにお考えですか。

M&Aエグジットの概念が昔にくらべると定着してきたように感じます。日本では過去に、村上ファンドや堀江貴文氏のニッポン放送に絡む報道にずいぶん偏りがあり、M&Aにネガティブなイメージがついてしまいました。しかし最近では、会社をより良くするためにM&Aも柔軟に考えられる経営者が増えた印象があります。

―なぜでしょうか。

理由は2つあると思っています。1つめは若い経営者が増えてきたことです。若い経営者は、発想が柔軟なため、株の希薄化や売却を嫌がりません。株式会社というものは自分のやりたいことを実現するための手段なのであるということを肌感覚で理解しています。

2つ目ですが、創業した会社をエグジットした後に新会社を立ち上げて2度めの起業をする「シリアルアントレプレナー(連続起業家)」と呼ばれる人たちが出てきたことです。家入一真さんや木村新司さんのような方々ですね。
このようなお手本のような方々が出てきたことで、シリアルアントレプレナーを目指している人も増えてきていると思います。

M&Aは決して「マネーゲーム」や「乗っ取り」などではありません。事業を大きくしたり、新しい事業領域へ進出するきっかけとなるポジティブなものです。またエグジットを得た起業家が次の事業を始めるまでに長期休暇を取って次の戦略を考えたり、海外の先端事例を見て回ってビジネスに活かしたりする例も増えてきました。

起業家にも事業の向き不向きがあります。自分がどの分野のビジネスに向いているのか、模索中の人もいるでしょう。会社が大きくなったからM&Aではなく、会社が小さなうちから一事業を売ったり買ったりしながらトライアンドエラーをするほうが、自分の得意な起業パターンや業種を見きわめられますから、起業家としての伸びしろは大きくなるのではないでしょうか。

ウォーレン・バフェット氏の名言で「私は事業家であるゆえに、より良い投資を行うことができる。そして、私は投資家であるゆえに、より良い事業を行うことができる。」という言葉があります。

起業とM&Aの関係もこれと同じで、良い起業家であるからこそ良い売却タイミング、良い買収タイミングがわかりますし、良い投資家としての視点を持ち合わせているからこそ事業を俯瞰的に見ることができるようになるわけです。
企業のポテンシャルを最大限に引き出して会社の価値を高める。そんな企業活動によって世の中にインパクトを与えられる経営者をこれからもめざしていきたいですね。

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・執行役員候補 営業責任者
・CTO候補 技術責任者

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