■略歴
1985年岐阜県中津川市出身。2008年米国University of Central Oklahoma卒業後、保険の総合代理店、株式会社アドバンスクリエイト勤務。2009年7月株式会社みんれびの創業メンバーとして入社。葬儀業界に特化したメディア営業を通じ、600社以上のネットワーキング、24時間365日稼働のカスタマーセンターを構築。2015年12月Amazonジャパンで僧侶手配サービス「お坊さん便」の出品を開始し、反響を呼んだ。営業部長を経て2012年取締役就任。2015年6月より現職。
■海外留学を機に人生観が180度転回。
チャレンジを恐れない性格に。
Q. 秋田さんは、みんれびで一気に役員にまでなられています。私どもから見ると、失敗や挫折とは無縁で、つねに成功おさめているという印象です。
A. みんれび入社直後は正直に言いますと、自分にとって「どん底」の時期でした。仕事はハードなのに成果はなかなか上がらない。そういう時期から学びを得てがむしゃらにやってきたからこそ、今、何とか軌道に乗っていると思っています。
Q. それは意外です。これまでさまざまなターニングポイントがあったことと思います。秋田さんにとって転機となった出来事があれば教えていただけませんか。
A. そうですね、ターニングポイントの一つめは、留学を決意したことです。僕は岐阜県中津川市の出身です。いい町なのですが良くも悪くも田舎で、ここにいると先の人生が読めてしまう。このまま大学に進学して地元で就職し、結婚、ではつまらないなと思っていました。中学生、高校生と成長するにつれ、いろんなことにチャレンジしたいという思いがますます強くなり、最終的には留学を決意しました。実は留学を決めたのには、失恋したことも大きかったんです。英語が得意な彼女を見返してやりたいという不純な動機がありまして(笑)。このことがなければ日本の大学を出て就職し、地元で結婚していたと思いますが、おかげさまで人生が180度変わりました。
高校卒業後はアメリカの大学に留学し、国際貿易を専攻しました。留学で視野が格段に広がりましたね。わりとネガティヴ思考の人間でしたが、「挑戦する前からあきらめてはだめだ。興味を持ったことはとことんやってみよう」というチャレンジを恐れない性格にもなりました。自分で目標を設定すれば可能性が広がる、行動すれば結果もついてくると留学してみてわかったんです。
Q. 留学で人生観が変わり、ポジティブになったんですね。帰国後はウェブを中心とした保険の総合代理店に入社されています。これはなぜでしょうか?
A. これには、うちの父親が少し関係しています。父は家に帰らず、仕事ばかりしている人でした。そんな父が会社を経営していたことを高校生になって初めて知ったんです。それから、父を超えてみたい、将来は自分も会社経営をしてみたいと思い始めて。若いうちから経営にたずさわるなら、大企業よりも若手にチャンスが与えられる可能性の高いベンチャー企業がいいのではと考え、大阪府に本社をもつベンチャーに就職しました。しかし、入ってみたらミスマッチがあって。ヘラクレスに上場しているわりと大きな会社で、ベンチャーといっても社員数は数百人と多く、30歳前後の先輩で役員になっている人などいませんでした。この状況では若手にチャンスが回ってくることはほとんどないだろうと判断し、3カ月で退社しました。
■自信を打ち砕かれた、みんれびでの初仕事。
ブレークスルーの秘訣は「限界までやった」こと。
Q. ずいぶん思い切った決断です。そして、みんれびへ入社されたわけですね。
A. そうです。高校の同級生だった弊社代表取締役社長の芦沢雅治から誘ってもらい、みんれびの創立メンバーとなりました。といっても、初めは時給制のアルバイトです。芦沢からしてみれば、友人といってもどんなポテンシャルがあるかわからない人間を雇うわけですから、当然のリスクヘッジだと思います。
こうしてようやく念願のベンチャー入社を果たしたのですが、電話営業で自信を打ち砕かれました。これが2つめのターニングポイントです。僕は高校時代からアルバイトをし、海外留学でいろんな経験を積んできたので、ベンチャーでもそつなく仕事をこなせるだろうという変な自信をもっていました。ところが、初めの頃はまったく成果を出せませんでした。ポータルサイトの提携先を増やすのに1日200本もの営業電話をかけるんですが、なぜか1件も成約が取れないんです。月給13万円のアルバイトとはいえ、1円も利益を生まず、念願のベンチャーに来たのに“成果ゼロ”な自分に愕然としました。ベンチャーで活躍すると言って再就職した手前、地元へ帰るわけにもいきません。どうすれば出口が見えるのか皆目わかりませんでしたが、とにかくできることを徹底的にやり続け、失敗についてはなぜ失敗したか、次にどうすればいいかを真剣に考え、修正しながらまたチャレンジするということを限界まで繰り返しました。
新卒で入社した会社を3カ月で辞めたのに、次の仕事もすぐ投げ出したら、自分は本当にだめな人間になってしまうと思っていましたから、絶対にあきらめたくなかった。最後は「負けん気」だけで続いているような状態でした。
ブレークスルーは入社から6カ月後、あっけなくやってきました。ようやく1件取れたんです。鳴かず飛ばずだったのに、その後は面白いように仕事がうまくいくようになりました。お客様のニーズをしっかりととらえることができるようになったんだと思います。電話営業って、意外とできることはたくさんあるんですよ。電話口から聞こえるお客様の言葉や声だけでなく、声のトーン、話し方、間の取り方、言いよどむ個所などから、お客様自身でさえ意識していない本心や思いをすくい上げることもできるんです。社長として活躍している同級生の芦沢を横目で見ながら、自分の不甲斐なさに悩む半年間でしたが、この経験のおかげで営業の本質を身につけることができたと思います。
Q. 初めはアルバイト入社で、大変なご苦労もされたとのこと、驚きました。しかし、その苦労があったからこそ、御社の「葬儀レビ」や「歯科レビ」が生まれ、そこから斬新なサービスも派生していったわけですね。その後は順調だったのでしょうか。
A. いえいえ、その後も苦労はありました。入社から10カ月後に営業部長、さらに約2年後には取締役になりました。取締役になった時は26歳でした。これは本当にベンチャーにいる醍醐味だと思うのですが、若くても責任を持ち、事業を背負って立つという姿勢で仕事をすれば経営側に立てるんです。肩書きの変遷だけたどると順調に見えるかもしれませんが、社員が増えるにつれて、コミュニケーションの取り方で非常に苦労しましたね。これが3つめのターニングポイントだったと思います。
社員が少ないうちは、自分が動けば何とかなるものです。メンバーとの意思疎通もスムーズでしたし、問題解決も従来のやり方でカバーできました。しかし、組織が大きくなるとそうはいかない。社員数が30人になるかならないかのあたりで、壁にぶつかりました。いわゆる「30人の壁」といわれる問題ですね。結局、周りを変えさせるのではなく、自分が変わるしかないという結論にたどり着き、コミュニケーションの意識を変えようとセミナーにも参加しました。
そこで、「伝える」と「伝わる」の違いを知り、一方的に伝えて終わりではない、「伝わる」コミュニケーションの方法も学びました。やり方はいろいろありますが、社員の立場に立つことを意識したり、自分が直接話す相手だけでなく、その先にどう伝わるかまで考慮したり。その後は、スムーズなコミュニケーションができるようになりました。セミナーの受講者には経営者の方も多かったので、みんな同じところでつまずき、悩んでいるんだと感じましたね。
■会社を円滑に運営するためのフォローアップ、
中長期の視点で的確な意思決定をするのがCOOの仕事。
Q. 「30人の壁」は社員数が少なく組織が流動的な、ベンチャー企業ならではの悩みでもありますよね。2015年から取締役副社長兼COOを務めておられますが、御社におけるCOOの役割はどんなものでしょうか。
A. 基本的には「社長がやらないこと全部」です。弊社は「あらたな価値創造で、世の中を幸せに」を企業理念としており、インターネットで集めたお客様の声を基に、ライフメディア事業と生活に密着した新サービスを提供する事業をおこなっています。代表の芦沢は、特に葬儀業界や歯科業界に注目しており、業界の存在意義や今後のあるべき姿をつねに考えています。こうした業界の中で弊社が提供できる新たなサービスの発案・設計をおこない、マーケティングの具体的な施策をつくり上げていくのも得意です。反対に僕の強みは、人に興味があり、人付き合いが苦にならないことだと思っています。代表が考えた新サービスを、マネージャーと協力しながら会社のオペレーションに落とし込んだり、組織改変をしたり、部署間の調整を考えたりと、会社を円滑に運営するためのフォローアップを中心にやっています。代表と僕とで役割の住み分けが自然とうまくいったのが、長く続いている秘訣じゃないでしょうか。
Q. 会社をスムーズに回すための働きを秋田さんが担うことで、代表が新サービスを生み出す仕事に集中できるわけですね。秋田さんにとっての理想のCOO像はありますか?
A. そうですね、会社が円滑に回っていて、COOが「何もしなくていい」のが理想ですね。それに加えて、中長期の視点をもち、ここぞというタイミングでの的確な意思決定ができれば。既存事業のオペレーションに関していえばCOOだけで事足りる、そんな状況がベストです。
Q. このウェブサイトを見る方の中には、ベンチャーで活躍したい、経営にたずさわりたいという意欲のある若い人が多いと思います。最後に、そんな読者の方々へ向けたメッセージをお願いします。
A. 若いうち、特に20代は「とことんやる」ことが大事です。仕事の質はもちろん大事ですが、20代はとにかく「量」。30代になってまで「量」を追求していると体を壊しますから、20代のうちは目の前のやれることを一生懸命やり、機会が巡ってきたらチャレンジもしてください。逃げなければ、おのずとポジションもついてくるはずです。責任を持って仕事をするという点でいえば、どんな職階であっても、部長もCOOも、マインドは同じだと思っているんです。もっと言えば、アルバイトであっても「自分は社員なんだ」という自覚をもつ。役職のない社員でも、課長や部長のつもりで責任をもって仕事をする。職階で細かいタスクは異なりますが、最初から最後まで責任をもって仕事をするという姿勢は、会社の成長には欠かせません。新入社員でもそういう覚悟をもって仕事ができる人は、2年目から役員になれる可能性も十分にあると思います。
じゃあ、「とことんやる」にはどうすればいいか? とにかく四六時中仕事のことを考えるしかないですね。寝ても覚めても、仕事のことを真剣に考える。ある時間は全て使ってやろうというぐらいの勢いがほしい。成果を出している人は、寝ないで仕事をしているか、寝ていても夢に出てくるぐらい真剣に仕事をしているか、このどちらかだと思います。僕の20代もそうでしたよ。夜中に寝言で仕事の指示を出したり、立ち上がったりしていたぐらいですから。睡眠中に抱えていた課題の解決法がひらめいたこともありました。こんな状態になるまで、真剣に仕事のことを考えられるかどうか。そこにかかっていると思います。
Q. 仕事に対してそれほどのコミットができるのはなぜなんでしょうか?
A. やはりベンチャーで仕事をしたい、いつかは会社経営をしたいという熱意があったからでしょうね。もう一つ挙げるなら、「使命感」でしょうか。何かを成し遂げなければ、と僕自身が強く思い込んでいるんです。僕らの地元から東京に出てきた人は非常に少ないんです。その中でベンチャーで働き、さらに経営陣として仕事をしている人となると、もう芦沢と自分しかいない。しかも、ポテンシャルのある事業を展開できていて、資金調達を受け、IPOも目指している。そういう恵まれた環境で仕事ができていることを考えると、会社の利益を追求するだけでなく、何としても社会的にインパクトを与える大きな仕事をしなければ、社会に貢献しなければ、という使命感がわいてきます。
僕は占いを信じていないのですが、うちの母親が占い師に僕のことをみてもらったところ、「息子さんは40歳で大物になります」と言われたそうなんです(笑)。僕は自分に都合のいい部分だけ聞くことにして、40歳までに大きな達成をすると目標を定めました。今、31歳ですからあと9年しかないという焦りもありますが、少しずつ近づいている手応えはあります。今後は、今の仕事とは別に何かを始めるかもしれないし、みんれびの中でグループ会社をつくることもあるかもしれない。40歳を一つの節目と考え、使命感をもって仕事をしていきたいと思っています。