ベンチャー経営は「仕事」じゃ勤まらない  株式会社ディー・エル・イー 取締役CFO 川島 崇

cropped-IMG_905211.jpgQ.ご経歴をお聞かせください。

 1998年公認会計士試験に合格、同年朝日監査法人(現有限責任 あずさ監査法人)に入所し、2008年現職のDLEに転職しましたが、それまで紆余曲折ありましたね(笑)そもそも会計士という資格を目指すようになったのは、大学受験に見事に失敗し、ポジティブな言い訳を考えていたときに、ふらっと立ち寄った本屋で、たまたま資格取得の本を手に取ったんです。当時自分が、将来どんなビジネスで、どうやって生きていくかは、まったく不透明だったものの、少なくとも損にならない資格として「公認会計士」の存在を知りました。しかも、その資格推奨本には、経済系の中で「最高峰の資格」と書いてあったので、これだ!これに出会うために浪人したんだ!と思いましたね(笑)。しかも大学受験に失敗したくせに、公認会計士は合格率6%もあって楽勝なんじゃないかと思いました(笑)ただ、真剣に調べれば調べるほど資格の可能性に魅了され、会計士になるための作戦を練りました。まず会計士合格率の高い、首都圏の大学の商学部を手当たり次第受験、2年生までは独学で簿記を勉強しつつ、アルバイトをして3年生以降の専門学校の学費を貯めました。と、ここまではカッコいい感じなのですが、やっぱり大学生は勉強しないものです(笑)学生合格は叶わず、卒業後フリーターとなり、カラオケ店でアルバイトを始めることになりました。社員よりも年上でしたし、バイト友達とも仲が良かったので、店長のオファーをもらっていましたが、残念ながらその年に会計士試験に合格してしまったので、店長のポストは辞退しました(笑)

 

 

 試験合格後、監査法人に入所したのですが、とにかく何でも過剰に(笑)やらしてもらいました。入所2年目の、監査法人内の事業部再編がきっかけです。当初は金融事業部への異動が決まっていたようなのですが、私は自分の将来と興味を考え、IT・エンタテインメント事業部への異動を強く要望しました。私の所属していた部署から、IT・エンタテインメント事業部へ異動するのは少数派。当然、スタッフも十分にあてがわれないわけです。その結果、入所2年目でしたが、全ての担当クライアントで現場責任者を担うことができました。自分の経験は乏しい、上司は超放任主義、部下は新人のみ、担当クライアント数は多いと、なかなかハードな環境でしたが、この時期に「やれないことなど存在しない」「自分が責任をとる覚悟でやる」「決して妥協しない」といった意識と姿勢が刷り込まれた気がします(笑)

 

 

 2年目から現場責任者をやっていたものですから、数年経つと経験も積み、部下も育ち、しかし上司はまだいるといったアイドリング状態となりました。体力的にはきつい環境が続きましたが、基本的に刺激がなく精神的には暇なんです(笑)。そこで、経営理論を勉強する目的で中小企業診断士の資格を取得しました。マネジャー昇格と同時に、組織運営の一端を担わせてくれるという約束で、小規模な地方事務所へ異動しました。担当は、当時J-SOXブームで人材不足が深刻だった人事採用責任者でした。

 

 

 私は「いずれ転職・開業等を」と漠然とは考えていましたが、2年ほど人事担当をやる中で、このタイミングだ!と思いました。監査法人では高待遇で会計士を大量に採用をしていたので、事業会社に応募する会計士というのは少なくなります。労働市場で希少であることは付加価値ですので、会社とも納得のいくまで話ができましたし、気持ちに余裕を持てましたね。結果的に2008年8月にDLEに転職しました。

 

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Q:時流に逆行するとは?

 90%の人が同じ方向を向いている時に、自分も同じ方向を向いていたら、その人達と戦わないといけない強烈な競争環境だと思うんです。例えば、事業会社への転職を希望する会計士には、基本的に事業会社のバックグランドがありません。事業会社側からすると、監査法人での経歴や経験だけでは優劣をつけられず、みんな同じに見えるんです。しかも資格を持っていない事業会社経験者とも競合しますから、往々にして年齢や年収などの価格競争に巻き込まれがちです。

 

 DLEが私を採用したポイントは、フィーリングもあったかもしれませんが、当時J-SOXブームで高待遇先が複数ある中、あえて年収を落としてベンチャーに飛び込むなんて気が狂った会計士が他にいなかったから、しかも即決する前のめり感があったから、だけかもしれませんね (笑)

 

Q:ベンチャーでの仕事は?

 現在は、取締役CFO兼経営戦略統括本部長という肩書きです。簡単に言うと何でも屋ですかね(笑)。CFOになった経緯ですが、当時DLEでは社長の右腕として経営企画室長を募集していました。ただ、私としてはより広い範囲の仕事がしたいと思っていたので、企画を含むバックオフィス全般やらせて欲しいと交渉し、室長ではなく本部長として入社させていただきました。その後、信頼をいただけたのか、入社2ヶ月後に取締役のお誘いを受けCFOに就任しました。

 

 転職した当時、さあ上場準備頑張るぞ!と思った矢先、入社わずか1ヶ月後にリーマンショックが起こり業績は急降下。上場準備を進めるはずが、事業再生が初めのミッションとなりました(笑)。毎月の大赤字と多額のキャッシュアウトで、急速な勢いで資本金を食い潰して債務超過直前に・・・現金も底をつきそうになる中、銀行を回って資金繰りに奔走していました。当時は貸し剥がしなんて言葉も流行っていた時期で、メインバンクから数十万円借りることすらできませんでした。また、せっかく獲得した営業案件も、先方の与信調査に引っかかるので、クライアント先へ出向いて説明するのも私の仕事でしたね。ただ、悲壮感は全くなかったです。増資もごく自然に応じましたしね(笑)。

 

 その後、創業以来の大赤字を乗り越え、ビジネスモデルの転換を図るのですが、その際には、著作権の取得方針、投資案件の投資基準、原価管理など、数値を駆使して多面的に分析し、ローリスク型コンテンツビジネスへ進化させることに貢献しました。これは東証マザーズ上場時のビジネスモデル「ファスト・エンタテインメントモデル」の原型となっています。

 

 上場準備は2013年2月から本格的にスタートしました。準備過程は、非常にタイトなスケジュールの中で、膨大な量の課題をこなさなければいけませんので、大変ではありましたが、得るものが非常に大きかったです。個人としても組織としても、大きく成長することができたと思います。そして何よりも仲間と一つの高い目標に向かって、助け合いながら全力で立ち向かうこと。いつ、どこで問題が生じて上場準備がストップするかわからない緊張感の中で、目標を達成できた時・・・最高に嬉しかったですね。社会人になって、仲間とこんなに興奮できて、喜びを分かち合えることができるなんて、とても幸せなことだと思いますよ。

 

 転職して東証マザーズ上場までの約5年半を振り返ると、ジェットコースターを操作している感じでしたね。とにかく、環境変化が早い、良いことと悪いことが同時多発的に発生、しかも十分な情報もない中で即時に意思決定を行い、成功も失敗も受け入れる…とても刺激的でやりがいのある環境で、仕事というより趣味に近いですね。ですので、お仕事をしたい人には決して向かない環境だと思います(笑)

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Q:CEOとの関係は?

 CEOの椎木は、自分に持ってないものを圧倒的に持っています。アイデアがぼんぼん湧いて、面白いこと、新しいこと、人を喜ばせること、驚かせることが大好きなんです。また、カリスマ性が高く、人を引き寄せる力の強い人でもあります。私の役目は、どちらかというと、その無尽蔵のアイデアや玉石混淆の人物に、フィルターをかけることですね。すごく現実的で合理的な意見で、まあつまらないのですが(笑)、CEOも素直に意見を聞いてくれるし、必ず私に相談してくれます。

 

 ただ、 CEOは私に見えないものが見えていて、世にないものを生み出す力がある人だと思っているからこそ、止める方も真剣勝負です。止めることによってイノベーションの芽を摘むかもしれないという覚悟で進言します。それでも、どうしてもやりたいと言えばCEOを信じて、リスクが少ないビジネスモデルの提案やパートナーを引っ張ってくるなどの形で実現をサポートしています。

 

Q: CFOになるための準備はいらない?

 準備している暇があったら飛び込んだ方がいいですね。会計士には一定水準以上の知識を試す資格試験がありますが、CFOになるために必要十分な知識や経験なんてものはないんです。私は、なれる時になるしかないというか、やっているうちに勝手になるものだと思います。会計士の試験では、正解のある学問を広く学びますが、ビジネス界で必要なのは評論家ではなく、今まさに必要な答えを出せる人間です。

 

 特にベンチャーでは過去や他社の事例なんて意味をなしません。今までにない事業ですし、そもそも環境が激烈に流動的ですから。いろんな意見や事例を知識として仕入れることは簡単ですが、「その瞬間に」「ベターな」決断ができるのは、その局面に直面している人間だけ。答えは、どこの教科書にも載ってないですし、どんなに準備してもしょうがないんです。局面を知らずに、準備だけを頑張るのって、試験範囲外を一生懸命勉強しているようなものだと思いますよ。

 

 ちなみに、「上場できる会社選びって、どうしたらいいですか?」と聞かれることもよくありますが、究極的には直観と運だけですよ。もしわかるんなら、一つしかない身体を労働という形で集中投資するより、キャッシュで分散投資した方がよっぽど効率的ですよ(笑)。「自分を投資することで、その会社を上場させる」くらいの気概がないと、そもそもベンチャーには向いていないかもしれませんね。

 

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Q:ディズニー勢をおさえ、LINEスタンプ世界1位となった「パンパカパンツ」。

 当社の看板コンテンツは「秘密結社 鷹の爪」ですが、実は数多くのコンテンツを継続的に生みだし成長させています。その中で、「パンパカパンツ」は鷹の爪を超えて世界へいけるのではと期待しています。

 

 私の転職後にビジネスモデルを転換したのですが、代表的なのが地方局との協業モデルで「パンパカパンツ」もそこから生まれました。アジア進出がはやりだった頃、当社は日本の地方に目を付けました。例えば、静岡県のGDPというのは、東南アジア一カ国に匹敵するほどの大きさですので、文化も言語も商習慣も同じ日本の地方って、コンテンツビジネスにとってはポテンシャルが高いと判断しました。一方、パートナーとなる地方局は、地元住民への強力なメディア力を持ちながらも、在京キー局の番組を流すことがメインビジネスでしたので、地デジ化に向けて「放送外収入」の獲得が重要課題となっていました。そこで、地方局の地元限定とニッチですが強力なメディア力と、当社のローコスト制作力、キャラクタービジネス展開力と地元以外へのメディア展開力を合わせた、共同キャラクター事業を開始しました。

 

 思惑通り、「パンパカパンツ」は誕生から早い段階で、地元の人気キャラクターへ成長しました。当時は放送エリアが静岡県だけでしたので、DVD販売も静岡限定となるのですが、なんとセールスランキングが全国4位になる快挙を成し遂げました。全国ランキングに突然無名のコンテンツがでるわけですから、「なにこれ!?」と話題になりましたよ。最近では、LINEスタンプを発売して、世界1位の販売数を成し遂げた実績から、海外の放送局からもオファーをいただけるようになりました。

 

 そんな、静岡県での実績を聞き付け、他県のテレビ局からも手を挙げていただき、今は38都府県で共同キャラクター事業を展開しています。このモデルでは、著作権をあえて共同所有としておりますので、キャラクターが成長し、広告キャラクターやアプリ開発等に起用されると、パートナーである地方局にも権利収入という放送外収入が入ります。ベンチャーである小さな当社が、多数のキャラクターを同時多発的にグローバル展開まで出来ているのは、共同権利者であるパートナーの協力があるからです。最近ではパートナーとして、映画館、SNSプラットフォーマー、インターネットメディアなどの特定メディアにも拡大させています。

 

 当社は、各キャラクターの成長に注力しておりますが、コンテンツビジネスですから、どうしても流行り廃りがあり得ます。しかし、当社のもつIPポートフォリオ(キャラクターの集合体)は安定的に成長することができると考えています。

 

Q:「えいがパンパカパンツ バナナン王国の秘宝」5月 10日公開決定!見どころは?

 「パンパカパンツ」は2008年に始まって6年経ちますが、パンパカくんがこれまでにしゃべったことはなく、映画ではしゃべる元気なパンパカくんを初めて見られます。公開劇場も全国TOHOシネマズ系に加えて静岡のみ超拡大ロードショーを敢行します。作品は、パンパカくん一家や、仲間たちとのやりとりに心が温かくもなりつつも、思わず笑ってしまう場面も沢山です。小さな男の子パンパカくんの冒険と成長の物語を、ぜひご家族揃って観て頂きたいなと思います!楽しみにしていて下さい!

【公開日】  2014年5月10日(土)
【公開劇場】 全国TOHOシネマズ系+静岡超拡大ロードショー
【ウェブサイト】http://www.panpaka.com/
【Twitter】   @panpaka_pants
【予告公開中】http://youtu.be/I9Tzb86SO5Q