2003年の創業以来、「パソコンのJAF」をめざして着実に歩んできた日本PCサービス株式会社。パソコンやデジタル機器のトラブルを即日で出張修理する「パソコン生活応援隊!」を筆頭に、スマートフォンのトラブルに対応する「スマートレスキュー」、スマートハウス「HEMS」のサポートサービス「e-おうち」など、時流に即したサービスを次々に提供。2014年11月には名証セントレックス上場を果たし、営業利益は昨対比6倍以上という快進撃を続けている。逆転の発想で画期的なビジネスモデルを打ち出し、見事に成功を収めた代表取締役社長・家喜信行氏のビジョンとは?
■略歴
1976年生まれ、兵庫県出身。桃山学院大学卒業後、翼システム株式会社に入社。営業職として3年連続のトップセールスを記録し、大阪営業所所長を務める。2003年に退社し、日本PCサービス株式会社を設立。即日対応でのパソコン出張修理という画期的なビジネスモデルで注目を集め、次々に大手企業と提携。2014年11月、名古屋証券取引所セントレックス上場を果たす。
Q: 家喜さんは営業職のご出身だそうですが、前職のお話から伺ってもよろしいでしょうか。
そうですね。実は、私はもともと起業を志していたわけではありません。大学卒業後は新卒で翼システムに入社し、大阪で営業職に就く予定でした。しかし入社してまもなく違和感を覚え、退社を決意したのです。決め手となったのは、先輩社員の仕事に対する考え方の違いや、配属先の変更が後押しとなりました。そこで人事責任者の方に辞意を伝えたところ、「営業には空きがないが、フィールドエンジニアとしてなら大阪で働ける」と提案を受けたのです。もともとパソコンには詳しかったので、そちらの道に進むことにしました。
大阪ではフィールドエンジニアとして充実した日々を送りましたが、どうしても営業職への憧れを断ち切ることができませんでした。すると上司の1人が社長に掛け合ってくださり、「近畿圏の主任以上の営業実績を挙げられたら、営業にしてもいい」というチャンスをいただいたのです。そのチャレンジに成功し、念願の営業職に就くことができました。
しかし、やがて大きな壁にぶつかりました。会社の成長にしたがって社内が年功序列型になり、トップセールスでも年齢のせいで主任になれないのです。そこで再び社長に直談判をして(笑)特別に条件を出していただきました。そうやって主任、係長、営業所所長とステップアップし、「いつかは翼システムの社長になりたい」という夢に近づいていったのです。
Q: 順調にステップアップされる中、なぜ退社を選ばれたのですか?
社長が替わり、営業方針が一変してしまったのです。それまでは全国をエリア分けし、営業は自分の担当エリアを回っていました。そうやってエリアとお付き合いすることで、営業スキルを高めていたのです。しかし、新社長が打ち出したのは大人数でマニュアル通りのテレアポをするという、金太郎飴方式の営業でした。それでは営業の力などつきませんし、もともと担当営業がいるエリアにも無差別に電話をかけるわけですから、エリア管理など到底できません。これを新社長に直談判した結果、「大阪営業所は従来のスタイルでやっていい」ということになりました。つまり全社としては、金太郎飴方式を採用するということです。これにはどうしても納得がいかず、2003年7月に退社しました。正直なところ、辞めた時は何も考えていなかったですね(笑)
ただ、今となれば当時の社長が言ったこともわかります。一営業所の所長と、全社を見なければいけない立場では視点が違うのです。今でも金太郎飴方式の営業が正しいとは思えませんが、そういうマネジメントの必要性は理解できるようになりました。
Q: 起業に際し、どのようにしてビジネスモデルを作られたのでしょうか。
まずは、知り合いの社長達から情報収集をしました。そこで、団地で中古パソコンを回収し、部品取りして組み立て直したものをまた団地に売りに行っている会社が、急激に伸びているという話を聞いたのです。不用品回収のように、車にスピーカーを付けて「いらないパソコンはないですか」と呼びかけるイメージですね。当時の大阪にはそういう会社がなかったので「これはチャンスだ」と思い、同じことを吹田市の江坂でやることに決めました。ただ、吹田市ではスピーカーを付けて車を走らせるのは条例違反だったんです(笑)そこでもう一度考えてみたところ、フィールドエンジニア時代のことを思い出しました。お客様から「インターネットに繋いでくれ」「デジカメの使い方を教えてくれ」といろいろな要望を受けるのですが、フィールドエンジニアは自社製品しかサポートしてはいけないというルールがあるのです。しかし、営業としてはお客様と良い関係を築きたいので、私は営業外で個人的に対応していました。そうやっていろいろなパソコンのトラブルを見てきたのですが、どうしようもない時にサポートセンターに電話をかけても濁されてしまい、結局解決できないこともあったのです。
パソコンのトラブルを解決できずに困っている人がたくさんいる。それはつまり、事業としてニーズがあるということです。翼システムは「カーコンビニ倶楽部」という車のキズ・へこみを修理する子会社を抱えていますが、私はそのパソコン版を作ってみようと考えました。この思いつきが、現在のビジネスモデルの原形になっています。
Q: 前職でのご経験がヒントになったのですね。
はい。そこで類似企業を調べてみたところ、初期設定しか対応していない会社ばかりだったのです。私はお客様のサポートや修理などの細かい部分に目を向けていたので、「どうして初期設定だけなんだろう」と疑問に思いました。そこでさらに調べていくと、面白いことがわかりました。当時はヤフーさんが精力的にモデムを配布していたのですが、配布数に見合うだけの回線が開通していませんでした。なぜなら、自分では初期設定ができないお客様が多かったからです。そこで無料設定サービスが次々と現れた、というのが当時の状況でした。
しかし、買った時に設置をしてくれるのは当たり前です。冷蔵庫やエアコンを買って、「設置は自分でやってください」と言われることはありませんよね。本当に必要なのは、その後のトラブルに対応してくれる存在なんです。
例えば家庭のトイレにはよくTOTOのマークが入っていますが、トイレが詰まったからといってTOTOに電話する人はあまりいないと思います。鍵が壊れた、ガラスが割れたといったトラブルが起きても、メーカーに直接連絡することはありませんよね。「クラシアン」や「カギの救急車」、工務店などの身近なサービスを頼るのではないでしょうか。車も同じで、例えば「車が動かなくなった」とディーラーに電話すると、JAFが取りに来てくれます。どんなものにも、メーカーと販売店以外にトラブルを解決してくれる「第3の選択肢」があるのです。ただ、パソコンと家電にはそれがありませんでした。そこで、困っているお客様を直接助けられる「パソコンのJAF」のようなサービスを作ることにしました。
Q: 「第3の選択肢」を作るにあたり、意識されたことはありますか?
とにかく無料設定サービスの「逆」を意識しましたね。初期設定がメインなら、うちは修理・サポートをメインにする。お客様ではなく企業からお金を貰うなら、うちはお客様からお金を貰い、メーカーさんや販売店さんに紹介手数料を払う。また当時の無料設定サービスは、人件費を抑えるためにアルバイトや派遣社員を出張させていました。それならうちは、正社員を出張させる。そうやって、全部反対をやっていくことにしたのです。
Q: まさに逆転の発想ですね。創業から軌道に乗るまでの経緯を伺いたいです。
最初はとにかく大変でした(笑)「このままでは潰れる」と思い、とにかく営業をかけて、北摂エリアに200万枚のチラシを撒いたのです。しかし、電話は5件ほどしかかかってきませんでした。困り果てて下請けの仕事などもしつつ、個人のご家庭と密着している会社に提案書を作って送ったのです。先ほどお話しした「第3の選択肢」のようなサービスを行っている会社ですね。すると、ジャパンベストレスキューシステム(以下JBR)の榊原社長から連絡をいただきました。「今なら新大阪にいる」ということだったのですぐに駆けつけて話を伺うと、JBRが行っている「生活救急車」にパソコントラブルの問い合わせが来ているが、大阪で対応できる会社がなく困っているとのことでした。そして、その翌日から提携が始まったのです。
さらに追い風になったのが、NHKの取材です。私のブログを見たという連絡が入り、「まちかど情報室」という番組でご紹介いただいたのです。当時はパソコンの修理というと初期化が当たり前でしたが、うちではデータを保存したまま修理しています。放映後は営業もスムーズになり、トレンドマイクロさんや東芝さんが契約してくださいました。量販店もヨドバシカメラさんが契約してくださり、そこから順調に提携先が増えていったのです。
Q: そして2014年11月、上場を果たしたのですね。上場に踏み切った背景をお聞かせください。
上場する必要があったからです。業界に外資系が増えたことでサポート会社は「アジアの日本支店」という位置付けになり、アジア一括決済が主流になりつつあります。これが未上場だと結構大変でして、何期分もの決算書など膨大な資料を揃え、稟議を申請しなくてはいけません。上場していればこの負担を軽減できるので、会社としてはいち早く上場を達成させる必要がありました。
それに、パソコンの販売台数が年々減少しているのも大きな理由です。2008年頃はパソコンの買い替えサイクルが平均4.2年だったのですが、2013年には5.8年に延びています。買い替えが少なくなった分、販売台数も減っているということです。おそらく、初期設定メインの会社は厳しい局面に立たされているでしょう。うちは修理・サポートがメインですから、仮に今日パソコンを買ったお客様がいれば、あと5.8年はうちに用事があります。とはいえ徐々に減少してくるはずなので、今のうちにスマートフォンやタブレット、無線、スマートハウスなどにも手を広げておかなくてはいけません。そこでハウスメーカーなどへの営業も始めたのですが、他の業界では「日本PCサービス」の名はまったく知られていません。ですから安心感、信頼感を得るという意味でも、早急に上場する必要性があったのです。
Q: 上場先としてセントレックスを選ばれたのはなぜですか?
一言で言うと、類似企業がなかったからです。上場する時には必ず類似企業を参照するのですが、うちはあえて言うならNECフィールディングさんの個人版という感じで、まったく同じモデルの会社がありません。最初はPER15倍想定で進めていたのですが、リーマンショックの影響もあり、最終的には7倍まで下がってしまいました。そうなると、時価総額が5億6000万円くらいにしかならないのです。当初上場を考えていたヘラクレスは、時価総額10億円、浮動株時価総額5億円という基準を設けていました。そこには到底届きそうにもないので、一時は上場を諦めかけたのです。
しかし、2013年夏に監査法人さんから新興市場を薦められたことで、視野が広がりました。上場を考え始めた当時は新興市場が伸び悩んでおり、自分の中では無しにしてしまっていたのです。新興市場から東証上場を果たした会社も出てきており、新たな可能性が見えてきました。そこで時価総額基準を調べ、一番高かったセントレックスに決めたのです。名証に行って投資家の方々に見ていただけば、風向きが変わるのではないかという期待もありました。PER7倍というのは、未上場である限り解消できません。上場すれば投資家の方に見ていただく機会も増えますから、そこで時価総額を高め、いつか東証にチャレンジしようと考えたのです。現在はPER14倍くらいになり、ようやくPER7倍の呪縛から解放された感じです(笑)
Q: 経営者として、御社の成長の要因をどう分析されますか?
予算管理ですね。上場を視野に入れたことで、予算を徹底的に管理するようになりました。ベンチャー企業はどこもそうだと思いますが、最初は予算を組みつつも「これはいけそうだ」と思ったらすぐに投資していました。攻めていると言えば聞こえはいいですが、計画性がありませんよね。以前であれば、予算を10万円と設定していたとしても、「10万8000円でいい広告があります」と言われたら許容していました。そこをしっかり10万円以内に収め、投資も抑えるなどの管理を徹底した結果、徐々に利益が上がっていったのです。人件費に関しては、加盟店さんの存在が大きいですね。うちではコールセンターでスタッフを管理し、直営スタッフのほかに、加盟店さんの正社員にも対応してもらっています。仕事量に合わせて100%の人員を入れていると、仕事量が減った時にバランスが崩れてしまいます。ですから、直営スタッフは常に稼働している状態にして、補えない分を加盟店さんにお願いしているのです。それが人件費のコントロールに繋がっています。
あとは、トップラインです。トップラインが上がると、販管費が吸収されていきます。うちは売上総利益率43%前後、販管費率37~38%を1つの指標にしているのですが、売上のトップラインが上がったことで2014年8月期の販管費率が35%くらいになりました。これも大きかったのではないかと考えています。
Q: 多くのスタッフを抱えていらっしゃるかと思いますが、教育で力を入れている部分はありますか?
やはり接客です。技術はマニュアルで教えられますが、接客はそうはいきません。その人の生き方が出る部分ですから、教えればできるというものではないのです。ですから技術よりも接客重視で、もともとのベースを持った人材を採用しなくてはいけません。その上で、直営スタッフの場合は5日に一度、加盟店さんのスタッフは2~3ヶ月に一度のペースで研修を行っています。やはり加盟店さんですと研修頻度は低くなりますが、管理は行き届いていますね。全国的に見ても直営の訪問が78%、加盟店さんにお願いしているのは22%です。加盟店さん1件あたりの件数が少ない分、品質管理は徹底できていると思います。
うちのコンセプトは「売上よりもホスピタリティー」です。スタッフ達もホスピタリティー部分の意識が実に高く、接客・サービス面の向上を真剣に考えてくれています。もちろん売上も大事な要素ですが、ホスピタリティーを徹底すれば自然と売上は上がるのです。お客様にとって印象が良ければ料金にも満足していただけますし、追加で頼んでもらえることや、商品を購入していただけることもあります。もちろん、リピートやクチコミにも繋がるでしょう。ですから、「お客様に対するサービスをしっかりやれば、この売上を必ず達成できるはずだ」というのがうちの考え方です。逆に、予算を達成できなかった場合は接客品質を疑い、改善方法を考えます。お客様に満足してもらうために働き、それをやりがいに感じられる人が集まっているので、一体感が非常に強いですね。
Q: 素晴らしいですね。家喜さんが経営者として心がけていることを教えてください。
世の中に必要なサービスを作り上げ、ホスピタリティーで対応することは常に念頭に置いています。私は買い物に行った時に、店員の態度が悪いと何も買わずに帰るタイプなんです。自分の会社では決してそういうことをやりたくないという思いが強いので、私が社内で一番のクレーマーかもしれません(笑)サービスに関することはもちろん、「トイレが汚い」など細かいところまで徹底的に指摘しています。
あとは、人の顔色は見すぎるくらい見ています。実は、私は小学校の頃いじめに遭い、2年間学校に行っていないのです。そういう経験をした分、人に対してものすごく敏感なところがあるんですよね。翼システムでトップセールスを出せたのも、お客様と話をしながら「この人は今の話をあまり気に入らなかった」「この話の方が良いだろう」というのを感じ取れていたからだと思います。会議中も不満そうな顔をしている人がいればすぐにわかるので、気がついたらすぐに理由を聞きます。相手が納得できるまでしっかり話し合い、不満を解消できるように心がけていますね。
Q: ありがとうございました。最後に、経営者を志す読者に向けてメッセージをお願いいたします。
「何がしたい」よりも「何のためにやるのか」を意識してください。例えば、経営者にとって上場は1つの目標ですが、「とにかく上場させたい」という気持ちだけでは難しいと思います。うちの場合は、世の中に必要な第3の選択肢として「パソコンのJAF」作りに取り組んでいたところ、上場の必要性が出てきました。そして上場を果たした今、もちろん次のステップに進みたいという思いはありますが、まずはコミットしている内容を達成させなくてはいけません。上場に限らず、経営をしていく上では同じようなことが何度も起こります。経営者としてすべきことを見失わないよう、気をつけていただきたいです。
あとは、環境の変化を見極めることです。社会全体がそうなのか、うちの業界がそうなのかはわかりませんが、昨今は目まぐるしく環境が変わっています。綿密に1年間の予算計画を立てたとしても、環境の変化によってはその計画を進めること自体が間違っていることもあるのです。そこで計画通りに進めるのではなく、強引に決断を変えていくのも経営者の仕事だと思います。早めに撤退する、方向を変える、新しい手を打つなど、環境に応じてさまざまな決断をしなくてはいけません。ビジネスの流れが的確に読めていても、時には社会問題など、予想外の出来事で状況が一変することもあります。私自身心がけていることでもありますが、環境の変化には細心の注意を払い、臨機応変に対応できる力を養ってください。