ー高度経済成長期の終焉とともに、「自分の価値観」を軸に生きる時代が到来した。
大量生産・大量消費の全体主義社会から、個の自立が求められる社会へ。
そうした社会の変化を追いながら、これからのビジネスマンの在り方を考える。
成長社会から成熟社会へ
■戦後復興、高度経済成長を支えたもの
「和を以って貴しと為し、忤うこと無きを宗とせよ」
十七条憲法第一条の冒頭にある言葉である。
これは国家を形成・運営していく際の行動原理を説いたものであり、聖徳太子はそれを人間自身の進化・深化に求めた。
この一文に「世の中の物事はすべて調和が大切である」とする日本オリジナルの民主主義が示されていると指摘する識者も多い。
日本が驚異的なスピードで戦後復興を果たし、世界一の経済大国へと成長した背景には「日本人独特の勤勉さ」と「個より集団を重んじる全体主義的精神」があると言えるだろう。
高度経済成長期の日本において、ほとんどの日本人は「明日は今日よりもいい日になる」と信じていた。今やどの家庭にも当たり前にあるテレビ・洗濯機・冷蔵庫。これらは三種の神器と呼ばれ、これらを手に入れることが豊かさの象徴であった。大量生産・大量消費の成長社会において「人並みであること」の意味は大きく、全体主義の社会システムに依存する形で日本人は生きてきたのだ。
■成長社会の終焉
第一次オイルショック以降、日本経済は安定成長期に移行する。
1980年代後半、株式や不動産を中心とする資産の高騰が起こり、それに付随して未曾有の好景気が訪れた。
いわゆるバブル景気である。投機熱が一気に高まり、金融機関の投資が不動産へ向かうと、「土地は必ず値上がりする」という土地神話に支えられる形で転売目的の土地売買がブームとなる。
また日本企業による欧米企業に対するM&Aも積極的に行われるようになり、企業収益向上と共に個人所得も増加。これにより日本の消費需要は劇的に拡大していったのである。
1989年12月29日の大納会にて日経平均株価は史上最高値となる38,957円44銭の値を付け、翌日の新聞の一面には「来年の株価は50,000円超え」の見出しが躍り、好景気はまだまだ続くというのが大方の見通しであったが、翌1990年3月に大蔵省から金融機関へ発せられた「土地関連融資の抑制について」の通達と日銀による金融引き締めをきっかけに信用収縮が加速。日本経済は一気にデフレへと向かうことになる。
■成熟社会をいかにして生きるのか?
バブル崩壊以降の「失われた20年」は、日本人の生き方を大きく変えた。
小泉政権下の新自由主義政策による格差拡大。急速なIT化の進行。サブプライムローン問題をきっかけとする世界同時不況。リーマンショック。東日本大震災。
これらの出来事は、私たち日本人はもはや全体主義的価値観では生きられなくなっていることを教えるものだった。
成長社会から成熟社会への変化を具体的に考えてみよう。
私たちの日常生活に目を向ければ、それはすぐに分かるはずだ。
例えば電話。一家に一台の固定電話が、一人一台のスマートフォンへ。
子どものランドセルも様変わりした。男の子は黒、女の子は赤に固定されていたものが、好きな色を自由に選択できるようになり、カスタムメイドで10万円を超えるものもある。
結婚式の引き出物に目を付けた新サービスも登場した。出席者にカタログを渡し、好きなものを注文してもらうものだ。どうせなら喜ばれるものを贈りたいという心遣いから生まれたサービスである。
みんな一緒、の時代から「一人ひとり」の時代へ。
これが成熟社会のキーワードだ。
正解主義から共感主義へ
■正解主義の日本教育
終身雇用・年功序列の日本型雇用慣行においては、組織に適応し、正解をいち早く答えられる優等生こそが求められた。
日本の教育とは必ず存在する正解を答えるための訓練であり、欧米諸国の教育とは根本的に異なる。
欧米諸国では、小・中・高でクリティカルシンキングの完成を図り、大学教育でその能力を活用するスキルを習得させることを目的としているが、残念ながら日本の教育にはその概念がない。
■正解ではなく、独創解
先に挙げた「ランドセルのフリーカラー化」や「引き出物のカタログ化」をはじめ、私たちの周りにはあっと驚くサービスや商品が続々と登場している。これらに共通するのは、発想の原点が消費者側の視点にあるということだ。
「どんなものが売れるか」というサプライヤー目線でなく、「自分が欲しいのはこれだ」という発想である。
つまり成熟社会でのビジネス成功のためには、自分が納得し且つ他者の共感を得る独創解を紡ぎ出す思考が不可欠となっている。
◆社会の変化
成長社会 | 成熟社会 |
大量生産・大量消費 | 欲しいものがなければ自分で創る |
会社員として働く | 一人のビジネスパーソン |
みんな一緒の全体主義 | 一人一人の価値観重視 |
正解重視 | 共感性重視 |
独創解を紡ぎ出す思考
■思考の転換
では自分が納得し且つ他者の共感を得る独創解を紡ぎ出すにはどうすべきか?
まず、世の中の問いとは学校教育のように必ず正解がある問題ではないことを理解すべきだ。
正解のない問題を解くには、固定観念や常識に捉われない柔らかいアタマでの思考が不可欠となる。
「正解を当てる力」ではなく、「正解を創る力」こそが求められているのである。
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◎柔らかいアタマ・思考のキーワード
- 不自由さ・不便さを解決する工夫
- 知恵を絞る
- 言われてみれば納得
- 子どもならではの発想
- 空想の具現化
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こうした思考力は学校の授業ではなく、むしろ遊びの中で育まれる。
「よく学び、よく遊べ」は正しい理論なのだ。
あなたの子ども時代を思い起こしてほしい。
子どもにはどんなものも遊びにしてしまう好奇心がある。道具がなければ代用となるものを創る工夫もある。
「面白さ」や「楽しさ」を友達と共有する喜びは遊びにこそあり、それが独創解を紡ぐ基礎なのである。
つまりビジネスマンはもっと遊ぶべきなのではないだろうか。
あなたもご存知の通りビジネス界も過渡期を迎えている。
成長社会から成熟社会への変化に焦点を合わせた経営にシフトできた企業と、そうでない企業との2極化が進み、もはや企業規模や過去のブランドイメージで戦える時代ではない。
■柔らかアタマのネットワーク化 –処理と創造-
ビジネスマンのワークは、じつはほとんどが処理型の仕事で占められている。
正確性とスピードが求められる仕事であり、情報処理能力が発揮される。
しかし、サービス改善、商品開発、企画などの仕事は処理型モードでは対応できない。
つまり「処理モード」と「創造モード」という2つのモードの切り替えが必要ということになる。
アタマのモード切替えをスムーズに行うには、日常的に柔らかいアタマのネットワークを築く訓練をしておかなければならない。
例えばブレストの場面。
ありがちなのが、アタマの固い上司が口火を切って「正解めいたつまらない意見」を言い、その後は似たり寄ったりの意見しか出ず、改めて仕切り直しという例。
ブレストのルールは「他人の意見を否定しない」であるが、それだけでは不十分だ。
どんな意見も全員で大げさに褒めちぎるぐらいがいい。まずは脳のモード変換をすんなり切替えられる空気を作ることだ。
だが、私たちは実は「アタマとアタマを繋ぐ」という作業を日常的に行っていたりもする。たとえばプレゼンテーションがそれだ。
いいプレゼンテーションとは相手に誤解をさせることだ。
具体的に言うと、仮にこちらの提案が相手の好み・意向にそぐわないものであっても、最終的に相手側が「自分の意見」と誤解し受け入れてしまうプレゼンをするということだ。
それはアタマとアタマを繋ぎ、伝えるべき内容を相手の親和性の高い言語に変換し、相手の脳内にビジュアルを送り込む作業である。
アタマのネットワーク化を意識するとしないでは仕事の質が大きく違ってくるはずである。
■成熟社会における仕事術
成熟社会の進行に伴い、ビジネスマンの仕事への取り組み方も大きく変化する。
「処理型ワーク」の徹底的な効率化を図り、「創造型ワーク」の割合を高めなければならない。
なぜなら「正解のない問題に対しどれだけ独創的な解を紡ぐことができるか、こそがビジネスマンの価値となるからだ。
正解がないぶん、創造型ワークには伸びしろがある。最後はそこを楽しめるかどうかがカギとなるだろう。