〈中野賀通氏 プロフィール〉
工業中学・高校の教員を4年経験した後、上場直後のベンチャー企業にエンジニアとして従事。クラウド事業の立ち上げや国内大手企業のマーケティング基盤構築のプロジェクトにPL、PMとして参画。2014年TEMONAにCTOとしてジョインし、インフラ整備から技術者採用・教育にまで幅広く携わる。
Q.まずは、TEMONAさんがどのような事業をされているのか教えてください。
運営効率を高めると共に、リピーターの増加に貢献するサービスを提供し、EC事業の収益を安定させるサービスの提供を行っています。具体的にはまず、「たまごリピート」。カタログ通販やネット通販などの定期購買で発生する管理業務を自動化するサービスをクラウドで提供しています。配送や在庫管理、またメールなどでの販促や受注管理業務などをトータルに網羅しているサービスです。
Q.ネーミングがユニークですよね。もう一つの販管サービスも「ヒキアゲール」。
これは、ベトナムでの開発拠点で制作した昨年の10月にリリースしたサービスです。例えば、売り手にしたら、まずはお試し商品を安く購入していただいて、「いいものだ」と納得されてから本商品を愛用していただきたい気持ちがあるじゃないですか。そういうオフライン的な対応をオンラインでも実現するサービスです。EC業界ではこのような流れに至る数字を “引き上げ率”と言います
広告費が高騰している中で、「追加広告費ゼロで引き上げ率の向上が目指せる」と好評をいただいていますし、ECに限らず、コンバージョン率を上げる目的のあらゆるシーンで使えるサービスになっています。
Q.TEMONAさんにジョインされて1年とちょっとになりますが、実は当時、ご自身での起業も考えられていたとか。
フルコミットしたのは昨年(2015年)の1月1日です。前職で働きながら起業準備を始めた頃に(弊社代表の)佐川と出会いまして、「うちを手伝ってほしい」と言われました。前職からも「退職後も手伝ってほしい」と言われていたので、結局半分ぐらいずつ関わって、TEMONAの方は技術顧問的な立場で見るというのが最初でした。
Q.仮に起業するとしたら、どのようなスタイルでの活躍を考えていたのでしょう?
もともとがITとシステムのコンサル業務がメインだったので、これにマーケティングも含めた業務で生計を立てつつ、自社サービスを作っていきたいと思っていました。
最終的には、飲食店のサポートをやりたくて。なぜかというと、飲食店って企業生存率が3年とか5年とか、すごい失敗率ですよね。僕も、起業家が失敗するさまを間近で見ることが多かった。でも、「もっと上手くやれる方法があるのに…」と感じることも多く、ならばIT知識やアイディアを持っている自分が手伝えばいいんじゃないかと思うに至ったんです。
Q.前職のベンチャーでの経験から、起業の手応えを感じられたのですか?
いや、実は我が家には、親戚も含めて会社勤めをしている人間がほとんどいないんです。父もバイク屋を営んでいますし、兄も今、9社ぐらいやっているのかな。親戚も起業家だったり社長やっていたりという一族なので、“会社を興す”ということはごく自然なことだったんです。
「やりたいことがあるなら、それを実現する最短距離にあるのが起業という方法だ」というのは、幼い頃からなんとなく確信していたんですよね。
Q.お父様がバイク屋さん。では、中野さんはどこでITに関心を持ったんですか?
もうひとつ、うちの一族の特性として「やるなら全力で」というのがあって、父も一時期は日本で一番ぐらいに年商を伸ばしていました。結構裕福な幼稚園児だったんですよ、僕(笑)。ところが、バブルがはじけたのと「バイク王」のようなネットを使ったビジネスモデルが入ってきたのが同時ぐらいで、一気に会社が傾いて…というのをリアルに経験したんです。ご飯がないとか、学校に行く交通費がないとか。ただ、その中でも感じていたのは「ネットの力、ハンパないな」ということでした。昔の商売なら、商圏というか1店舗あたりのテリトリーが物理的にだいたい決まっていたけれど、ネットを入れることによってそれがいきなり全国区、グローバルになる。「なんだこれは!、すげー!」って。
Q.一族のならわしに従わず、最初から起業する道を選ばなかったのは、そのあたりの経験も影響していそうですね。
本当は、父の仕事を継ぎたいという気持ちが強かったんです。だから、工業高校付属の中学校に入学したのですが、やはり、小規模経営者でも時流を読む目はあるんでしょうね。「機械工学という領域は今後廃れていくから、おまえは絶対に継ぐな。この店は俺一代でつぶす」と、父に強く言われました。それで、電気工学と言われる領域を専攻したんです。中学卒業後は、電気電子情報工学というなんだか守備範囲の広いところを学んで。
Q.それから、ITの領域に本格的に入ってくるわけですね。話は戻りますが、そしていよいよ起業という段で、佐川代表と出会われてTEMONAに参画された。その決め手は何だったのですか?
一番は、佐川が信じられる人間だったということです。彼は、どのような決断をするにも家族がついてきます。社長としてだけではなく、夫として父としてもやらなければいけないことがある人間だったことは大きかった。それでも、彼自身はいつも本当に人の話をよく聞いて、真正直で「裸一貫でやる!」というタイプなので、「まぁ、コイツにだまされたら仕方がない」と思えたことが決め手でしたね。
もうひとつは、TEMONAが掲げている理念。3つあって、「ECで日本一」、「顧客感動」、そして「起業家を輩出する」なんですが、「起業家輩出」などというと、すぐに会社を辞めることを推奨しているのでは?などと思われがちですが、TEMONAとしては、社員にしっかりと教育することにコミットするという誓いなんです。また、会社組織である以上、もちろんガンガン売らなければいけないのですが、いかに売り上げが上がろうと、お客さんが感動しないことはしてはいけないわけです。そういう、上っ面だけではない理念にも非常に魅力を感じました。
実は、入社前にすべての社員と面談して、どんなビジョンを持っているのか?どんな自己実現をしたいのか?といったことを聞いたのですが、彼らの話を聞いているうちに、今の自分ならサポートできると確信できたことも大きかったです。
Q.ジョインされてから今までに、当初抱いていたイメージとのギャップはありましたか。
不思議とまったくないんです。すべて想定の範囲内というか。きっと、最初からウソ偽りなく、真正面から佐川なり当時のメンバーなりと対峙できていたんでしょうね。
Q.TEMONAでこれまでにおこなわれたミッションについてお聞かせください。
当時18人だったメンバーは、この4月で45人になりました。人を育てること、組織を大きくすることは、この1年とくに注力してきたことですね。
CTOとしておこなったのは、仕組み化の部分でしょうか。実は、アウトソースにマイナスなイメージを持っている組織だったのですが、やはりこれから勝負して行くには必要な手段だろうということで、ベトナムの開発拠点を立ち上げ、そこで新サービス(ヒキアゲール)を開発しました。あとは、マーケティングとかブランディングなどにも携わっています。プレスリリースの数とか、僕が関わる前と後とでは、桁違いに変わっているんじゃないかなぁ。
Q.かなり多岐にわたっていますが、ずばり、中野さんにとってCTOの仕事とは何でしょう?
単なる“技術顧問”だったら、テックの部分だけにリーダーとして入ってアドバイスをしていればいい。そこからCTOになって大きく変わってくるのは、経営の視点から技術を見たり選定したりしなければいけないということです。
とはいえ、技術の選定だけをしていればいいのかと言われるとそれも違っていて、会社のステージに合わせて関わり方を変えていかなければいけません。会社の成長過程になぞらえていうと、まずメンバーと一緒に「手を動かすフェーズ」があり、メンバーが育って仕組み化ができてきたら、現場から一歩引いて動機付けや雰囲気作りに注力する「手を動かさないフェーズ」に入ります。その後、最終的にはその組織のベースとなる「文化を創るフェーズ」に入っていく。
CTOですから、フックになるのはもちろん技術なのですが、チーフオフィサーでもある以上、採用にもブランディングにもしっかりとコミットしていく必要がある。会社の成長過程に合わせてカメレオン的に立ち位置を変えつつ、すべてに関われるのがCTOじゃないかと思いますね。
Q.この1年で大きく変わったことは何ですか?
とにかく、人が育ちました。TEMONAのおもしろいところは、新卒率85%とベンチャーにしては新卒比率が高く、人数が増えた今もそれが変わっていないところ。でも、そういう組織のネガティブ面として、代表以外あまり外の世界を知らなかったりしたんです。全体的に閉鎖的だし、マインドセットのマの字も知らないメンバーばかりで、(プログラムを)書くことはできるけれど、隣のメンバーが何をしているのかも知らない、みたいな人が多かった。
ただ、若いし、ベンチャーにわざわざジョインしてくるだけあって、熱意だけは人一倍というメンバーも多いんです。そこで、勉強会や技術者交流会を開催するうちに、下の人間を育てる大切さを一から学び、「品質をどう担保していくのか」とか、「書くだけじゃなく設計できる人になるにはどうしたらいいか?」といったことをみんなが理解して、さらに下の世代に伝えられるような文化・教育の土壌が、だいぶ根付いてきていると感じます。
Q.確かに、若い人ほど吸収力も高く、機会を与えられれば外に目が向きますものね。
ただ、TEMONAからしたら僕は新参者なんですよ。外からポッと入ってきたヤツが、今までの組織の文化をdisるというかある意味否定してしまうと、成長を妨げたり、最悪空中分解してしまうこともあるので、そこにはかなり気を遣ってやってきました。プロパーで会社のスタートからやって、ここまでの文化を創ってきたメンバーから見たら、「オマエ、外から入ってきて、なに文句言ってるの?」って話ですから。
なので、どれだけの思いがあって僕が発言しているのか、この組織をどうしたいからこんなことをしているのかといったことは、メンバー一人一人を口説き落とす勢いで言ってまわっていました。
今ではもう、気を遣う必要も次第になくなって、「お客さんのためになにができるのか」「僕たちが提供できる価値は何なのか」ということを腹を割って議論できるくらい、メンバーとの関係が構築できている実感がありますけどね。
Q.では、これまでに一番苦労されたことは?
たいして苦労はしていないと思います。先ほども申しましたように、今までなかったところに新たな文化を創ろうとすれば、何かしらのアレルギー反応が起こるのは仕方がありません。開発スタイルの変更ひとつにしても、アウトソースしてオフショアすることにしろ、グローバル人材の採用をすることにしろ、最初は一定数の反発はありました。でも、本当にそのくらいですね。
Q.想定の範囲内だったということですか。
自分で決断する、自分で責任を取る、責任の所在を明確化するといったところは、若いメンバーなので普通に経験が少ないんですよ。だから、ドキドキ、不安もあったでしょうしね。
でも、そんなこと以上に、僕は今、仕事がめっちゃ楽しいんですよ!
「何が大変ですか?」「ご苦労されたことは?」———よく聞かれますが、そんなことよりも、僕は仕事が楽しくてしょうがない。3カ月に1度はみんなで開発合宿に行くし、半期に一度はキックオフをして、技術的に研鑽すべきところ、お客様に還元できること、会社に貢献できることをとことん話し合って、個々人のビジョンや夢も共有するし。
実際、今のスタイルになってから離職者は1人だけです。その1人も、もともと起業を志していて、時期が来たので“卒業”しますという去り方。「オマエがいなくなっても、俺ら、こんなに頑張ってるぜ!」「卒業してから俺、こんなに頑張ってるぜ!」というのをお互いに報告し合える関係になってもらえたらいいなと思っていますね。
Q.そう思えるところには、中野さんの仕事に対する揺るがないポリシーがあるように感じます。CTOとして…というより、中野さん個人の。
僕は前職時代から、どんな雑用でも、本当にプリント1枚から「僕にさせてください!」と言っていましたし、「誰がやるの?」みたいな状況であれば、率先して「任せてください!」と言っていました。「海外展開どうする?」のという時も、「じゃあ自分やりますよ」、と。今、目の前にある仕事に対して自分は何ができるのかということを常に考えていたい。あとは、100%絶対にやりきるという、それだけです。
Q.中には未経験の業務とか分野もありますよね。
「教えてください」と、人に頭を下げるのが一番だと思います。
僕自身、先輩や格上のライバルにこれまでもたくさんのことを教えてもらいましたし、仮に社内にそういう人がいなければ、「この人に」という相手を見つけて、アポを取って、自分で全国どこにでも行って聞いていました。誰にでも初めてのことはありますよね。初めてプログラムを書く、初めて営業する、初めて採用をする、初めて取締役の仕事をする。どんなときでも、自分一人だけでは絶対になし得ないので、素直に、ハングリーに教えを乞えばいいと思います。あと、どんなに頑張っていても上限が見えてしまうときもあります。そのときも素直に頭を下げればいいんです。「助けてください」って。
そうして、手を貸してもらったこと、教えて支えてもらったことへの恩返しとして、自分は一生懸命働くし、後続の人たちに自分がやってもらったように教えて行きたいという思いもあります。
Q.CTOを目指している方にアドバイスはありますか?
やはり、ビジョンをどう描くかというところをしっかり考えてほしいということと、今いま与えられている職責の中だけではビジョンを実現するための武器が揃わないことが多いので、地に足を付けながらも、新しい人に会う、新しいことにチャレンジする姿勢は常に忘れないようにしてほしいと思います。
目の前にいるお客さんが「こうしてほしい」と言っているオーダーに、なぜこんなことを言っているのか、それはどんなことに困っているからなのか、ではそのニーズに対して中長期的には何ができるのか…。そういったところまで深くヒアリングして、技術的な部分以外でもどんどん関わっていっていただきたいですね。ただ書くだけならネットでもスキルは拾ってこられますけど、お客さんのニーズが経営にどういった影響を与えるのかというところは、生きた業務の中でしかくみ取れない。非常に貴重な経験になるので、意識して興味を持ってほしいですね。