Q: まず、加藤さんの生い立ちからお聞かせください。
僕は3歳から6歳までの3年間、父の仕事の都合でブラジルに住んでいたんです。日本語が一切通じない現地の幼稚園で過ごし、帰国した頃にはポルトガル語と日本語の区別がつかなくなっていました。そこから人と話すのが苦手になり、非常に内向的な性格のまま育ったんです。
転換期になったのは、大学時代です。マクドナルドの厨房でアルバイトをしていたのですが、ある日「マネージャーとして教育を受けないか」という話をいただきました。面白そうなので承諾したものの、マネージャーになるためには店内のすべてのオペレーションがこなせなくてはいけません。そこでしぶしぶ接客を始めたところ、これが楽しかったんです。知らない人とコミュニケーションを取る面白さを知り、生活が一変しました。
マネージャーは店舗全体をマネジメントするので、売上管理や人のリソースの管理、商品管理などをきちんとやらないといけません。コミュニケーションの魅力に加え、自分の能力を発揮できることが働く楽しみに繋がり、「早く社会人になって働きたい」という思いを強く持っていましたね。結果的にはアルバイトに夢中で、1年留年してしまったんですが(笑)
Q: 充実した大学生活を送られたのですね。大学ではどんな分野を学ばれていたんですか?
教育学部で数学を専攻し、研究者をめざしていました。ただ、大学に入って数学への熱が一気に冷めてしまったんです。それもアルバイトに熱を入れた理由の1つかもしれませんね。
高校と大学の数学は、性質がまったく違います。高校までの算数、数学は人が作った問題を解くので、ある意味コミュニケーションに近いんです。問題を作っている人も人間ですから、作成者の意図を読み解くことができれば意外と簡単に答えが見つかります。僕はそこに、数学の面白さを見出していたんです。それに対し、大学での数学は証明が多く、人の意志が介在しません。言ってみれば、世の中の真理が本当に事実かどうかを確認する作業に過ぎないんです。そこで興味をなくしてしまい、数学にはあまり深入りしませんでした。
Q: その後、エンジニアの道に進まれたきっかけを教えてください。
1年早く就職していた同級生のエンジニアから、仕事の話を聞いたんです。人とコミュニケーションを取りながらプログラミングをして成果物を作っていると聞き、楽しそうだなと感じました。もともとBASICで簡単なアルゴリズムを作ったりはしていたので興味はありましたし、コミュニケーションも問題なくできるようになっていたので、エンジニアをめざすことにしたんです。
ただ、僕は就活を始めたのがすごく遅かったんです。当時は就活の時期になるとハガキなどが大量に届いていたんですが、特に気に留めていませんでした。僕は1浪1留なので2つ下の妹と同じ時期に就活をするはずだったんですが、そうしているうちに彼女が内定を取ったと聞き、ようやく焦り始めました(笑)そこで慌てて就活を始めたのですが、もう有名どころの募集はほぼ終わっている状態で、名の知れていない会社しか残っていなかったんです。それに、説明会に行っても学生の自分には業務内容などが具体的にイメージできず、興味を持つことができませんでした。どこも大差ないように感じたので、いちばん給与がいい会社を選んだというのが最初の就職活動です。
Q: 1社目はどのような会社だったのでしょうか。
半導体生産制御システムなどを開発する、いわゆるSIerですね。僕は入社してすぐに優秀そうな人を捕まえて、いろいろと教えてもらっていました。大学時代に培ったコミュニケーション能力を生かし、自分がステップアップできる状況を作ったんです。その結果、研修での課題解決能力などが評価され、入社から数日で重要なプロジェクトにアサインされました。
ただ、これが今で言うデスマーチで、残業時間が月200時間くらいになってしまったんです(笑)しかしそれに伴うメリットもあり、通常の人の倍以上働くことで成長速度が上がりました。1年過ぎた時点で入社2年目の先輩を越え、こちらが教える立場になっていたんです。最終的には全世界を交えたサプライチェーンマネジメントのシステム設計をしました。
ただ、そこでは半導体生産制御システムというごく限られたプログラミングしかできません。当時はちょうどインターネットの世界が広がってきた頃で、周りのエンジニアはWebアプリケーション開発など、多くの人に使ってもらえるサービスに携わり始めていました。そこでクライアントアプリケーション開発だけを作り続けることに疑問を感じ、インターネットの世界に飛び込むことにしたんです。そして2社目に転職しました。
Q: そこから一気にWebアプリケーション開発の世界に入っていかれたのですね。
はい。Webアプリケーションに関しては完全に素人の状態で入ったんですが、合併によりエンジニアが一気に辞めたばかりで、1人で開発をしなければいけない状況でした。保守運用しなければいけない案件が大量にある中で、新規開発案件もどんどん増えていきます。最初の3ヶ月でLinux、OS、ミドルウェア、サーバーなどあらゆる勉強をしながらこなしていき、一気に10kgくらい体重が落ちました(笑)
それに、この会社での最初のお客さんがすごく厳しかったんです。OSやミドルウェアの全設定について最適化した上で、なぜその設定にしたのか細かく納品書に書かなくてはならず、文章の書き方などについても毎日電話で怒られていました。ただその分、成長することはできましたね。最初の案件がLinux上のインフラ設計だったんですが、そこでWebに必要なOSやミドルウェアのチューニングまである程度のことはできるようになりました。
Q: 心身ともに苦しい状況だったかと思いますが、辞めたいと感じたことはありませんでしたか?
その選択肢はありませんでした。僕は基本的に負けず嫌いで、悔しさや怒りをバネにしてパワーを発揮するタイプなんです。それで結果を出してきたことが成功体験になっているので、追い詰められるほど「絶対にやってやろう」という気持ちが強まるんですよね。