Q: エンジニアとしてのご経歴をお聞かせください。
私はエンジニアというよりIT起業家で、今は経営者としての仕事が主なので、エンジニアとしての経歴が参考になるかわかりませんが・・・。
もともとクリエイティブなことが好きで、プログラミングは趣味としてやっていました。22歳のときに映像制作会社を起業し、ビデオ制作のために富士通のFM77AVを購入したのが始まりです。その後はマッキントッシュを買ってHyperCardやFileMakerで自社システムを作っていました。
契機になったのは、MacとPalmTopの互換ソフトウェアを作ったことです。当時はまだノート型のMacがなかったので、データを外部でも扱えるようにしたかったんです。SONYのPalmTop PTC-300という電子手帳がMacと同じCPUを使っていたので、ケーブルで接続して互換表示や入力ができるようにしたところ、『日経アントロポス』に取り上げられて製品化することになりました。その時に、自分が作ったソフトはパッケージにして売れるレベルだと知ったんです。
Q: もともとは自社のためのシステムを作られていたのですね。
そうですね。当時の会社ではマニュアルビデオや会社案内のビデオを作っていたのですが、ビデオ制作は一度手順を覚えてしまえばほぼルーチンワークなんです。新しく学ぶことがない分時間が余るので、ずっと社内システムを作っていました。シナリオから分数を割り出すソフトも作りましたし、顧客情報の管理やパッケージ作りなどもすべてコンピューターでできるようにして、業務の合理化を図ったんです。自分の会社をシステム化するところから始めたので、その後のエンジニアとしての仕事はすごくやりやすかったですね。
Q: エンジニアとしてお仕事を始められてから、Javaに出会うまでの道のりをお聞かせいただけますか。
エンジニアとしての初仕事は電話受付システムの開発でした。もともとは顧客に応対するためのマニュアルビデオの制作依頼だったのですが、「これをコンピューターでできたらいいな」と思い、自社用のシステムを作ったんです。電話を受けるとデータベースが立ち上がり、依頼内容に合わせてプルダウンを選べば文面が出てきて、新人の女の子でもそれを読み上げれば応対できる自動応答のようなシステムです。それをクライアントにお見せしたところ、「ビデオはいいからこっちをやってくれ」という話になりました(笑)それから企業のシステムを作るようになったんです。
そしてある時、久保田さん(久保田達也/株式会社イッツ代表取締役)に呼ばれたので行ってみると、Javaがサン・マイクロシステムズのワークステーションに走っていました。「これを組んでほしい」と言われて、見様見真似で分析しながら作ったんです。それがJavaとの出会いでした。
Javaと出会ってから私の人生は一変しましたね。今でこそJavaはフリーウェアのようになっていますが、当時はサン・マイクロシステムズ社の専売特許だったんです。同社から外注の仕事をもらうようになり、多くのチャンスをいただきました。「iアプリ」がいい例ですね。自著に書いた「携帯電話にJavaが採用されるだろう」という文章がサン・マイクロシステムズ社員の目に留まり、docomo 504シリーズのプロジェクトに参加することになったんです。その後もAndroidのプログラミングや某飲料メーカーのプラットフォーム構築など、Javaがプラットフォームとして選ばれたときには私が呼ばれるようになりました。オープンガバメント・コンソーシアム(OGC/一般社団法人オープンガバメント・コンソーシアム)の顧問に迎えていただいたのも、国のプラットフォームをクラウド化することになったからです。
Javaは一度誰かが作れば、他の人がそれを継承して流用することができますよね。私が今までしてきたのは、川を泳いで渡り、向こう岸に着いたら橋を架けるような仕事なんです。人が作ったプログラムを借りて橋を渡れる人は大勢いますが、一からプラットフォームを作ることができる人はそういません。Javaでプラットフォームを作るプロジェクトがあれば、今後も私のところに話が来ると思います。
Q: 木寺さんはJavaの今後をどう予想されますか?
Web以外にも活用の幅が広がっていくと思います。最近はIoTでもJavaが使われるようになり、家電製品や車など、今まではC言語やアッセンブラーで組まれていたものがJavaに変わってきているんです。
WebではJavaは敬遠されがちですが、私は単純なWebサイトであればJavaかWordPressのどちらかで組めばいいと考えています。一から作るのであればバックエンドの業務システムとの親和性がいいJavaが適していますし、そうでないのであればWordPressのテンプレートで十分です。PHPやRubyは中途半端だと思います。
あとはクラウドですね。人がたくさん利用するところにはJavaのプラットフォームが必要です。例えばPHPでプログラムを組むとワンルームマンションがたくさんあるような状況になりますが、Javaはスケーラビリティとポータビリティーを備えているので、小さく作って大きく発展させることができます。クラウドにはJavaが最適だと思うので、今後も活用されていくことでしょう。
Q: エンジニア業界の未来についてはどのようにお考えでしょうか。
今後のエンジニアは上流工程ができないといけません。プログラミング以上に、システム設計ができるかどうかが重視されるでしょう。実際に、下流工程しかできないエンジニアの単価は下がる一方です。上流工程のエンジニアにとって特に大切なのはアジャイル開発で、実際に動いたものを見せられないとクライアントは納得しません。そこでOKをもらってから仕様書を起こして、何の言語で組み立てるかを考えた方がいいと思います。
私は建築科出身なのですが、建築の世界では予算があればパースを描いて、模型も作ります。そして、全予算のうち2割が設計者に入るんです。今後はコンピューター業界も建築業界に近くなっていくのではないでしょうか。クリエイティビティが必要とされる上流工程は業務の要になるので、外注しなくなると思います。プログラミングのように、誰でもできる下流工程だけを外部に投げるんです。極端に言えば、フリーソフトで全部組んでしまうこともあり得ますよね。
アメリカの企業は社内にエンジニアを抱えていて、ソフトウェアの権利や仕様書をすべて自社で所有しています。ソフトハウスという特殊な例は日本だけです。日本で言うところのIT系企業と呼ばれるものは、アメリカの一般企業と同じなんです。今後は日本でも古い会社が駆逐されて、IT系というカテゴリーがなくなると思います。私も今でこそIT系と言われていますが、M&A事業のためにITを使っているのですから、いずれ金融業と呼ばれると思います。
Q: 木寺さんはなぜM&A事業を立ち上げたのですか?
きっかけは友人からの「会社を買収したいので協力してほしい」という依頼でした。友人の企業に情報提供を呼びかけたところ、売りたい企業と買いたい企業が集まったのでマッチングをするようになったんです。先ほどお話しした電話受付システムの話と同じですよね。こちらから売り込んだわけではなく、お金を出したいと言ってくれる人が現れたんです。ビジネスはお客様がお金を払うことで成立するものですから、自分が「こんなことをやりたい」という気持ち以上に、お金を払いたいと思ってもらうことが肝心です。そこは非常に重要だと思います。
Q: 今後は、エンジニアも経営者目線で仕事に取り組まなくてはいけないかもしれませんね。
ジャック・ドーシーが参考になりますね。彼はOdeo社が倒産しかけていたときにたった2週間で「Twitter」を作り、Twitter社を辞めてSquare社を立ち上げました。技術者として経験を積んでから、自分で会社を作ったんです。マーク・ザッカーバーグ(facebook創業者)もいい例ですよね。
あとは、サン・マイクロシステムズ社のビル・ジョイです。同社は4人で創業し、学生時代からUNIXを改良するなどの実績を挙げていたビル・ジョイはソフトウェア開発のトップに就きました。やがて経営がうまくいかなくなったときに創業メンバー全員で話し合い、「サン・マイクロシステムズの売りは何か」というテーマに「ビル・ジョイがいることだ」という答えを出したんです。そしてビル・ジョイが仕事をしやすい環境を整えたところ、経営が一気に伸びました。経営者がエンジニア目線になれるかどうかは重要で、経営者自身もプログラムを組めなくてはいけません。スティーブ・ジョブズもラリー・エリソン(Oracle共同設立者)もプログラミングができるんです。彼らは実際にはプログラミングには携わりませんでしたが、もしもプログラマーが辞めてたった1人になったとしても会社を潰さなかったでしょう。世の中には「経営者はプログラムなんて組めなくていい」と言う人もいますが、私は絶対にそうは思いません。
Q: 最後に、今後エンジニアとしてキャリアを積もうとしている人へのメッセージをお願いいたします。
プログラミングは今後自動化され、上流工程ができないエンジニアはいらなくなります。そもそも、仕様書をもらってプログラムを組むだけの人は、エンジニアではなくてプログラマーです。例えば車の業界では、上司に言われてスパナでネジを締めるだけの人をエン
ジニアとは呼びません。コンピューター業界ではネジを締めるだけの人もエンジニアと呼ばれているんです。
コンピューター業界は他の業界に比べるとものすごく甘いです。プログラミングはこうすればこうなるという経緯が決まった単純明快なものなのに、間違えたらバグということにして、直すのにもお金を取りますよね。例えばビルを建てたときに重大な欠陥があれば生死に関わりますが、プログラミングはブラックボックス化しているので、完成品のように見せかけて売ることができるんです。
上流工程ができて、かつ売れるものを提案できるセールスエンジニアがこれからのコンピューター業界には必要です。エンジニアをめざすのであれば、クリエイティブな部分から売るところまで一貫して責任を持てる人材になってください。