1988年大阪生まれ。高校3年時に高校を中退し、カンボジアにてボランティアを行う。20歳時に株式会社メンズスタイルの4人目の社員として入社。4年勤めた後大手人材系企業にて新規事業立ち上げ等を行い、Web制作企業へ転職。国内最大手企業のECサイト制作、運営等を行ったのちに独立。2015年にメンズスタイルの執行役員として出戻り、現在はHDのCOOとして7社を牽引。
高校へ居る意味が無くなり、中退へ。
――中川さんは2015年にメンズスタイルに出戻られ、執行役員になられています。やはり今までのキャリアの中で成功されることも多かったのでしょうか。
成功することが多かっただなんて、そんなことはないんです。24歳で一度メンズスタイルを退職して、大手人材系の企業に転職、新規事業の立ち上げを行うことになりました。
5年で30億の事業を作ることがミッションだったのですが、当時の私にはその難しさがわかっておらず、安請け負いしてしまいました。
半年で月商1000万円位の事業にはなった記憶ですが、しかし私を抜擢した役員からすると、まだまだ足りないと。そりゃあ5年で30億ですから足りないですよね。終電後にタクシーで帰り始発前にタクシーで出社する、ということを10ヶ月ほど行い、最後は役員の方と壮絶なケンカ別れとなりました。憔悴しきっていましたね。そこからはあまり働きたくないなぁ、という「オフモード」に突入します。
――オフモード、ですか。
自分の中で理由付けをしてオンオフを昔から切り替えていました。例えば昔のオフモードだと高校3年生の時に学校を中退することがありました。
勉強は凄く好きだったんです。ずっと医者になりたいという夢があったので。ところが、高校2年の時参加したとある大学のオープンキャンパスで、「医者でもたばこ吸えるんですか?」といった低レベルの質問をしている人を目の当たりにしまして。
子供の時から医者に強い憧れがあり、医者という存在を神格化していたのもあって、「これからこの人達と一緒に医者を目指していくのか・・・」と一気に冷めてしまったんです。
当時の私には、明確に高校に居る理由が3つありました。
1つめは医者になるために勉強すること、2つめは友達と遊ぶこと、3つめは部活に打ち込むこと。
医者になる夢が冷めたのと、3年になり部活を引退したこと、友達とは学校でなくても遊べると気付いたことが重なり、合理的に考えて高校に行く理由が当時の自分の中ではなくなってしまったので、中退することにしました。この出来事も大きいオフモードではあったのですが、それに次ぐオフモードが働きたくない、という時期ですね。
――高校中退後の1度目の「オフモード」の後、どのようにしてオンモードに切り替わったのでしょうか。
メンズスタイルに入社するときです。ネットで見かけてメンズスタイルを初めて知ったとき、代表の宇賀神がほぼ1人でECサイトを運営していました。その1年後にネットを回っていると、偶然にも再度メンズスタイルのサイトにたどり着きます。ここでとても感動しました。
というのも、「ベンチャー企業って1年でここまで変わるんだ」というくらい組織成長していて、社長もまだ若いのにすごいなと。
「ここで働きたい!」という思いがふつふつと沸いてきました。このときに自分のスイッチがオフからオンモードへと切り替わります。
の競合他社比較資料をルーズリーフ30枚近く作成し面接に持参しました。なにせ私は働いたことがなかったですし、中卒ですし。普通にやっていては採用してもらえない、と思っていましたから。中退後トップクラスのオンモードになったのはこの時期ですね。
理由付けでスイッチはオンモード
――スイッチのオンオフが本当に明確なんですね。いつからなんでしょうか。
気づいたらこのようにオンオフが明確だったのですが、幼稚園生の時から公文式に通っていたのも大きい気がします。先生が少し変わった人で、すべての行動に対してなぜその行動をしたのか理由を必ず聞いてくるんです。
先生の影響を受け、その頃から行動の一つひとつに理由を考えるようになりました。結果的に今のように理由付けでモチベーションのオンオフがはっきりするようになったんだと思います。
――幼稚園生のときからとは、だいぶ前からだったんですね。
そうですね。昔は意識的に自分でオンオフができなくて、理由が先行していました。高校を中退したのも「高校にいる理由がなくなってしまった」から。けど今このように理由が先行してしまって仕事を辞めてしまうことは出来ないので(笑)、今は目的に対して理由付けを自分で行うようにしています。なので当たり前ですが基本オンの状態ですね。笑
――人材系企業を辞めた後は、2度目の「オフモード」に突入していたと思うのですが、その時はどのようにオンモードに戻したのでしょうか。
まずオフモードの度合いがひどくて、実際働くにしても一番楽な仕事をしようと思っていました(笑)。
そんな感じで、この後実家に一旦帰ろうと思っていた時知人に声をかけられ、国内でも屈指の大手企業のECサイト運用を行います。やりたい!というよりは、知人が声をかけてくれたからというのが大きかったですね。
ところが、そこで働いている間に母がALSになりました。展開が急なのですが。笑
『アイスバケツチャレンジ』というチャリティキャンペーンで知れ渡った病気ですね。実はある好きな漫画の登場人物がALSだったというのもあり、ある程度どのような病気か知っていたので、その分滅茶苦茶ショックを受けました。大好きな親が死に直面していると理解したとき、無意識に自分も同じように死に直面する場面を想像しました。そのときでやり残していることは何かと思ったんですね。結論から言うと、私がやり残していたことは起業でした。
そのような事を考えているタイミングで兄貴分として慕っていた社長から電話がかかってきます。この社長はいつも私に「いつ起業するの?」と聞いてくるんです。 案の定その電話でも聞かれました。
本当に正に自分が起業を考えていた刹那という、奇跡的なタイミングも相まって、考えていること、を伝えたんです。
すると「今この電話で起業すると意思決定すればオフィスを間借りさせてあげるよ」と言われ決断しました。ここからオンのモードに再び突入します。決断をさせてくれたこの社長には本当に感謝しています。
――そしてご自身で起業されたのですね。
はい。ただ「オンモード」にはなったのですが、実は起業すること自体を目的にしてしまっていたので、「何をやろうかなぁ」と少し悩む時期が間にありました。
後に自分の価値を一番提供できることを考えると、やっぱりEC事業の支援というスキルが強かったのでECコンサルティングのようなことを始めます。
すると、予想以上に様々な方から声をかけてもらえるようになって、想像していた何倍もの売り上げを立てることが出来ました。
今振り返ると、このあたりから自分でスイッチのオンオフをコントロールできるようになっていたのかもしれません。そして、次はモチベーションを何に置くかを考えるようになります。
世の中に貢献しインパクトを与えることが出来ているのかとか、コンサルも楽しいけどやっぱり事業会社のほうが楽しかったなぁとか。この時クライアントの1社でもあり、付き合いの長い経営者である宇賀神に悩みを打ち明けました。その時にこれまで自分が知り得なかった壮大なメンズスタイルの未来予想図を宇賀神から教えてもらい、メンズスタイルでもう一度働きたいと思うようになってしまいました。そして2015年の12月に出戻りました。
ファンタジスタのCEOを支えるCOOに
――メンズスタイルに戻ってから、どのような事をされていたのでしょう。
メンズスタイルには執行役員として出戻りました。昔はメンズアパレル事業のみしか存在せず私は主にモール店舗を担当していました。自社サイトを宇賀神が、それ以外を私が、という形ですね。
宇賀神の苦手な所、ネガティブ領域を担当するイメージでいました。
宇賀神自身が得意分野に超特化しているタイプで、モノの魅せ方やブランディングに関しては凄く秀でているんです。考え方も素晴らしいのですが、一方でいわゆるファンタジスタみたいなタイプで。笑
得意分野以外のWeb領域は出来ないわけではないけど、好んでやりたくはないというこもありその部分を全般を担っていました。
現在は多角的に事業展開を行い、7事業7法人になっています。現段階ではメンズスタイル事業は宇賀神が、それ以外を私が責任者として運営しています。こ
――理想のCOO像や、自身の目指したい姿はありますか?
COOの理想像は正直あまりわかりません。ただ好きな経営者として孫正義さんがいます。イーロン・マスクよりも孫さんが好きです。 志高く、自分の道を自分で切り開く感じは憧れます。彼のようにしっかりと結果を出し続けると信頼が増えると思っています。COOの役割はあまり考えたことはないんですけれども、ベンチャー企業における様々な問題の最も有効な解決手段のひとつとして数字実績を出すことだと思っているので、自分自身結果を出し続けられればと考えています。
――ありがとうございます。では最後にCOOを目指している方に対してアドバイスをお願いします。
振り返ると私は断続的なステップアップを繰り返してきた気がしています。中卒からメンズスタイルで社会人を経験、転職して新規事業の責任者として揉まれ、起業した後メンズスタイルに戻ってくるという、1本道ではない断続的なステップを踏んできました。どんな環境にいても、一番はじめは誰でもできる仕事を誰よりも頑張ることです。次に小さなコミュニティでも自分にしかできない事を見つけ、最後は自分しかできなかった事を誰でもできるようオペレーションにしていく。そのような積み重ねで、キャリアをつくっていくことができると思っています。