―「世界の働き方を変える」。そんなミッションを掲げたチャットワークがリリースされたのは2011年。当初は自社用のコミュニケーションツールとして開発されたものが2017年4月末時点で205の国と地域で13万5,000社以上のユーザーを獲得し、日本は勿論、もはや世界のインフラと言えるまでに普及。そして2015年、ChatWork社は外部からの資金調達を決定し大胆な世界戦略を打ち出した。変革期を迎えた同社においてCLOとして、円滑な組織成長戦略を担う田口氏にお話しをうかがった。
田口 光(たぐち ひかる)
早稲田大学大学院(MBA)修了。戦略的人材組織マネジメント専攻。グッドウィル・グループにて創業から廃業までを新規事業開発、事業戦略、人事総務、人材開発の部門長として歴任。上場準備・M&Aプロジェクトにも携わる。その後、テクノプロ・ホールディングスを経て、Learning Strategy Partnersを創業。組織開発と学習戦略コンサルタントとしてスタートアップやベンチャー企業を支援する。2016年ChatWork社へ参画。執行役員CLOとして管理部門を管掌。
シリコンバレーでの出会い。「日本発世界」を目指す痛快さ。
―まず田口さんとChatWork社との出会いのからお聞かせいただけますでしょうか。
某大手技術サービス企業を退職して以後、スタートアップやベンチャーのコンサルタントとして独立しました。事業内容としては経営戦略・事業戦略・組織戦略、これらを組み立てて、アライメントを取って実行できるようにする、ということですが「戦略だけでは組織は動かない」「やれることだけでは人は成長しない」というベンチャーの課題に対し戦略とオペレーションの両輪を回すことが自分の事業だったと思います。
やがて自身の事業についての論文を書くことになり、もともと注目していたChatWorkを題材にしょうと思ったのが最初のきっかけでしょうか。時期を同じくしてシリコンバレーに行く機会があり、現地のプレゼンテーションツール『prezi』 のマーケターの方とお会いしたんです。
場所は現地では有名なコワーキング風のカフェだったのですが、ミーティング終了後に同行した仲間と「写真を一枚」ということになり、たまたま通りかかった日本人と思しき人に「すみません、写真を撮ってください」とお願いしました。
快く応じてくれたお礼も込めて名刺交換をしたところ、連れの方が2人おられて。
それが実は今のChatWorkの取締役3人だったのです。すぐさま取材を申し込み、後日時間を頂けることになりました。
―それは運命的な出会いと言えますね。
ええ。その後いろいろ取材をさせていただいたのですが、インタビューやデータ取りなどあらゆる面でCEOより格別の協力をいただきましてね。
これは何かお返しをしなければいけないなと思いました。自分にできることはないかとお話を伺っていったところ、組織が拡大しているにも関わらず、マネジャーに対しさしたるトレーニングを行っていないということがわかりました。
人材開発・組織開発はまさに私のフィールドでしたので「それなら無料でやりますよ」と提案を差し上げたんです。
「無料」というところが響いたのか(笑)、とりあえずやらせてもらうことになりました。実施したところ、これが高評価をいただきましてね。「今後も更なる組織拡大を図っていくので、ぜひ顧問として参加してほしい」とのオファーをいただき、正式にお付き合いを始めることになったわけです。
―現在はCLOとして活躍されていらっしゃるわけですが、「顧問」という立場から執行役員となるまでの経緯について教えてください。
少し遡って前々職の時のあたりからお話しますね。その会社は起業意欲旺盛な人材が多く、OBの多くは現在、起業家として活躍しています。
「ゼロからイチを創り、立ち上げた事業を大きくしていく」という気概を持った人間が集まっていて、振り返ると少なからず自分にもそういう指向性はあった気がします。
新しいものを創り育てていくというところは自分の得意とするところであり、やりがいも感じていました。
その会社は不幸にもいまはなくなってしまったのですが、そのプロセスを振り返るといろいろ思うところがありました。
「あの時こうしていれば」「なぜこうなってしまったのか?」など思いを巡らすと、
『成功に法則はないけれど、失敗には法則がある』のだと実感しました。
その研究を始めたことで「戦略」と「オペレーション」という2つのキーワードに紐付いていったのだと思います。
―そうしますと、過去の経験を原体験にした研究や、田口さん自身の興味関心から事業ドメインを決めたということでしょうか?
実際は独立した段階で事業ドメインがはっきりあったわけではありません。まあ半年とか時間をかけてゆっくり探せばいいかなぐらいに考えていました。
ところが会社を辞めることを周囲にアナウンスし始めると周りから様々なオファーが届きました。うれしかったですね。自分のバリューを認めてもらっている気がして、とにかく来るものは拒まず何でも引き受けました。するとひとつの発見があったのです。
仕事には、『儲かる・儲からない』の軸と『面白い・面白くない』の軸で4象限のマトリクスが存在すると。
理想は面白くて儲かる仕事ですが、実際は2番目として何を選ぶかが大事なんですね。
独立してしばらくは、儲かるけど面白くない仕事もやりましたが、継続してクオリティが上がっていったのは『儲からないけど面白い仕事』だったんです。
まあそれが今の領域ということになりますけど。
ChatWorkでの仕事を4象限に当てはめると、『面白いけど儲からない』でした(笑)。でも面白いから頑張れました。
顧問になってから数ヶ月の間にマーケティング部門の人員が大量に増員され、キックオフ合宿が開催されることになりました。そこに来ませんかとい誘いがあり、こちらとしても少しでも役に立てればと同行しました。
これは後日談になりますが、私に正式に入社するよう口説くのが合宿の裏ミッションだったそうです(笑)。
―合宿に連れて行ってしまえば断ることができないと(笑)。田口さんに対する熱意の伝わるエピソードですね。そのような中、正式にChatworkへ入社しようと意思決定する決め手となったものは何でしたか?
CEOをはじめとする役員陣の人物像が大きいですが、同時に「日本発世界」というプロダクトの魅力も多分にありました。
日本から生まれたものがグローバルスタンダードになる。これは痛快だなと思いました。
じつは参画のオファーを頂いてからしばらくはお断りしていたんです。自分には『Learning Strategy Partners(以下、LSP)』という事業があり、そちらのお客様を第一に考えなければいけませんでしたから。
しかし、「自分の事業は継続可能ですよ」と言っていただき、ありがたいと思いました。そしてもうひとつ、ChatWorkという会社が人と組織にフォーカスする企業であったということですね。
「CLO」に込められた意味。外部環境に合わせて行動を変えていく。
―CLOというポジションはあまり一般的ではない気がします。CHRO、CHOといったポジションが公称として存在する中で、あえて「CLO」という冠をつけた背景、もしくはそこに込められた意味などを伺えますか?
私の事業LSPとCLOの2つのL=Learningは同じ意味であり、「外部環境や経験・体験をしっかり学び、合わせて組織の行動を変えていく」ということです。
一口に行動を変えると言っても、人間にとって習慣化した行動を変えるのは至難の業です。
自分が認知しない限り習慣は変えられません。
では、認知とは何か?と言ったら、それは学習なんです。忙しい日々に流されるのでなく、自らの経験や他者との触れ合いから我々は多くを学ぶのだということに気付き、そしてその学びへの気付きから行動が変わっていくのだと思います。
私が思うに、何を取捨選択し、何がビジネスの成長になるかというマジックナンバーを得ている大企業にとってはCLOという役職はさほど必要ではないと思います。
しかし、外部環境が目まぐるしく変わるスタートアップにおいては、その時々によって最適な行動を変えていかなければならない。どうやって学ぶかの手法は様々ではあるものの、Learningとは円滑に組織成長を成し遂げるために必要なものであり、私の役割と言えると思います。
学習を創り出すユニークな企業制度
―組織の安定成長という話題がでたところで、「学習」を基点とする制度、仕組みづくりへの取り組みについてお伺いしたいと思います。
御社はエンジニア組織という特徴を持った組織でしたが、昨年マーケティング人材を大量に採用されました。「多様性を生かしながら働いていく」という理念と、これまで培われてきた企業文化に対して、組織拡大がもたらす影響は何か感じましたか。また企業理念統一のための取り組みなどはありますでしょうか?
弊社創業からの理念というものは当然残っています。しかしかなりのビッグアイテムであり抽象度も高いわけですね。
資金調達前までは、10年もの間30人規模でずっとやってきたわけですが、そこには明文化せずとも通じる濃いコンテキストが存在していました。
しかし、人員が倍増し、もはやそのコンテキストはコンテキストではなくなりました。それに伴い、明確に大事にする行動指針が必要ということで、昨年コアバリューというものを定めました。そしてこれから目指しているのが組織自体を縦横無尽に交ぜるということです。
―「交ぜる」という部分をもう少し詳しくお聞かせください。
例えばエンジニアとビジネスサイドの人間を交ぜるとか、マネジャーとメンバーを交ぜる、拠点の異なる人間を交ぜるとかですね。具体的な例を挙げると、弊社はランチ時間に一斉に休憩をとるようにしています。目的のメニューやご飯屋さんの前で多種多彩な人が「交ざる」わけです。
その行動だけをみると明確には意味を感じづらいかもしれませんが、「交ざる」キッカケを会社側から常に提供していくこと、ここに大きな意味があると考えています。
こういった制度は『制度座談会』というものを開き決めています。
「お弁当代は支給するので、誰でも話したい人は来てね」
といったように、カジュアルに、そしてすべてのメンバーに門戸を開いています。任意なので、リアルに話したい人が来て様々なことを言ってくれます。
―それは面白いですね。他にどのような制度が存在するのですか?
最近『ヘルシー部活制度』というものを始めました。
自社のチャットワーク上に、『○○部』というルームがたくさんあり、みんな思い思いに参加しており、そこに補助金を付けています。
健康になって様々な交流ができるのならそれを支援しようという考えからです。健康になりそうと思えることと、3部署以上からの参加があることが条件で3ヶ月ごとの申請をもらっています。
―現在、社内にはいくつ部活があるのですか?
日々増えているので明確にはわかりませんが、ユニークなところでは『ポテトサラダ部』なんていうのもあって、スポーツ系・文化系を合わせると30は超えているかもしれません。
―一般的に企業内で飲み会などのイベントを催すとビジネスサイドとエンジニアサイドでは参加意欲、頻度に温度差がありますよね。御社においてはいかがでしょうか?
うちでは2つの仕組みがあって、ひとつは『ChatWork飲み会』というものがあります。これには会社が飲み代を支給することもあり、参加率がとても高く9割を超えています。
もうひとつは『今夜飲みません会』というチャットルームがあり、当日飲みたい人が自由に集まるものがあります。
私が思うに社内の制度が十分に運用されないのは、それがどこか一部でいつの間にか決められたものだからではないかと考えています。
会社としては、メンバーそれぞれが必要なものを自分から発信し実現する機会を用意すべきなのだと思います。
―ホームページを拝見すると他にもユニークな制度を導入されていますよね。
これらの制度は実は社員からボトムアップで誕生したものが多く、「健康とバランス」というキーワードが軸になっているところが特徴です。
当社は平均年齢が34歳とベンチャーの中ではそこそこ高く、既婚率も高め。そのためか仕事と健康、家庭のバランスに気を遣う人が多く、そのあたりから生まれた『チャット保健室』というサービスもあります。これは外部と提携しており、チャットを通して常に、そして気軽にお医者様との相談が可能となっています。
また、日本と世界は違うことを認識するためのサポートをする『ゴーグローバル制度』というものもあります。
もともと僕らは日本からグローバルに打って出て行こう、という企業なので、実際に自分の目で見て体験して、知見を積んで欲しいと思っています。
日本と世界って違うんだという認識、これを一人一人が原体験として持っていて欲しいのです。日本の中の当たり前を疑うきっかけにもなる。1人年1回までで、体験・経験したことのレビューが必要ですが、会社から海外渡航費用の助成金が出ます。
―御社は東京以外に大阪、シリコンバレー、台湾など複数の拠点にて事業運営を行っています。例えば東京拠点にいるマネジャーが他拠点にいる複数の方々をマネジメントする場合、どういったマネジメントをされているのでしょうか?
まず、リアルとチャットのバランスをとても大事にしています。
なぜなら単純に業務を進めるということのみで言えば、チャットワーク上で完結できるからです。情報共有も簡単に進むし、ミーティングが必要なら『チャットワークライブ』を立ち上げてフェイス・トゥ・フェイスの会話もできる。
ただし、価値基準の共有などは絶対にリアルで行うようにしています。
たとえば「このミーティングを行う必要はあるか?」というような議題です。
ですから日常業務は基本的にチャットワークにて行いつつ、定期的にリアルで会う機会を作るようにしています。
日常の中でマネジャーとメンバーが1対1で話す時間を極力取るようにもしています。当然それは仕事の話題に限ったものではなく、必要ならばいつでも会う用意をします。
本当に大事にすべきことは利害関係者を向いた意思決定
―一昨年から昨年にかけて、総額18億円の資金調達を実施し、大きく組織改革を進めています。
一方で、御社には前身となるECスタジオ時代から 15年連続で黒字を続けてきた礎となっている『しないこと14箇条』という組織のコア理念がありました。
「10連休を年4回とる」、「顧客に会わない」、「スタッフをクビにしない」など、独自性の強い理念が目立ちましたが、その中でも、上から2つ目、3つ目にあたる、「株式公開しない」、「他人資本を入れない」という掟を昨年の資金調達で覆した形となります。
CLOとして田口さんの視点からその意思決定に関してお伺いできますでしょうか。
まず、一言で言うと、その意思決定はエクセレントだと考えています。
経営サイドが何に注目しているかが明確だなと。
ひとえにユーザーを見ていれば答えは明白です。なのでその意思決定にも5分かからなかったと聞いています。
以前、『ECスタジオ』から『ChatWork』へと社名変更したときの決定もそうだったとのこと。
自己の体面などに捉われることなく、本当に大事にすべき利害関係者を向いた意思決定ができる。しかも迅速に。これは素晴らしいと思いました。
ChatWorkはもともとCTOが社内向けに開発したシステムですが、それが現在205を超える国と地域13万5000社以上で使われています。これは予想すらしていなかったことであり、システム的に限界に近いところに来ていたと言えます。
ユーザーが増え、もはや社会インフラとも言えるわけで、これをしっかり提供していくには外部から資金と知恵を導入し、しっかり作っていく必要があるという意思決定だったと聞いています。
これからの働き方のキーワード「ミニマリズム」。
―ChatWorkと言えば、全員が「ミニマリスト」として既成概念に囚われないユニークな働き方をされていることで知られています。
まず、なぜミニマリズムを心がけているのか、という理由についてお伺いできますか
所有するモノを最小限にすることで、日々の業務の効率を最大限に高めようと創業当初から理念として持ち続けています。
人はどこに何を置くか、その意思決定にも時間を費やしていますし、モノが増えるにつれて、モノを探す時間が相対的に増えていきます。
代表の山本いわく、ビジネスマンは年間で約150時間もモノを探しているそうです。
―それは衝撃的なデータですね。実際に田口さんが入社されてから、ご自身の働き方に変化はありましたか。
モノが少ないことによりやることがクリアになったとは感じますね。うちのオフィスには紙も電話もないので、探す・片づける・捨てるという作業がなくなりました。
そうするとやるべきことに集中できるわけです。プライベートにこの考え方を持っていくと、考える時間がしっかり取れるようになります。
それにチャットで仕事をしているとすごく集中できて、仕事の密度が高まるんです。
あくまで感覚値ですが1日8時間働いたとして、他社の10時間以上の密度に相当するのではないかというほどです。年間トータルで見たらそれはかなりの差になると思っています。
―御社は会社としての年間休日も一般企業に比べて約20日多い140日ほどあるそうですね。
「しっかり働いてしっかり休む」という前提が創業当初からあり、休日が設定されていました。土日祝日休みは前提として、ゴールデンウィークや正月休みなども長期休暇を設定しています。
働くときに生産性の高い仕事を行っているからこそ、しっかり休みをとることが必要だと考えています。
―御社に「ないモノ」は他にどのようなモノがありますか?
そうですね、すべてのドアが指紋認証システムになっているので鍵もありませんし、社員証もありません。
紙がないからペンがなく、そもそも机に引き出し自体ありません。会議室もなく個人の所有物はPCだけなので「自分の席」という概念がないです。あ、役所には書類提出が避けられないので、家庭用プリンターは1台だけあります(笑)。
これからの未来について組織共有を行うこと。ジョブサイズに応じて言葉を使い分けること。
―最後に未来に向けてのお話をお聞きします。ChatWorkとして新たな体制で世界に打って出る中、今後の課題や組織像のイメージについて教えてください。
「いま起こっていること」に対する価値観は誰でも共有しやすいものだと思います。だから優先順位についての議論も必要ないし、オペレーションの統一も比較的容易です。
しかし、「これからの未来について」となると、その優先順位は人によって捉え方が違ってきます。
未来予測ではありませんが、これから起こりうることに対しどういう行動を取るか、どういう組織能力を持っていなければいけないか。
これを日々拡大していく組織の中でいかようにして共有していくかが課題ですね。
―組織成長における課題として、メンバーの価値観がより多様になっていったり、経験値に差が出てきたりする中で、理念浸透に悩む企業が多いですが、田口さんのお考えをお聞かせください。
私としては「ジョブサイズに応じて言葉を使い分けることが大事」だと思います。
メンバーに対して「経営者と同じ目線に立って欲しい」という言葉をよく耳にしますが、私はそれは難しいことだと考えています。
例えばシニアマネジャーにはこの危機を理解してもらわなければならないけれど、現段階でメンバーに話してもいたずらに怖がらせるだけだから言わないとか、マネジャーが自分の組織に順応しやすい言葉で語るとか、あるじゃないですか。
エンジニアにはエンジニアの共通言語のほうが伝わりやすいということもある。その人に伝わりやすい言葉をその時々で適切に判断して選ぶ。言葉の使い分けとはそういうことです。