― 年々需要の高騰が続いているエンジニア市場。
優秀なエンジニアを見極め、採用し、育成または組織化することはベンチャーのみならずとも多くの企業が大きな課題として直面している。
そのような中、「日本一のエンジニア組織を作る」というミッションを掲げ、6回の転職と10社での事業開発経験を生かし急速に拡大している株式会社Speeeの技術者採用責任者である是澤氏にそのキャリアの変遷とエンジニアマネジメントについてお話をうかがった。
是澤 太志(これさわ ふとし)
1979年愛媛県生まれ。地元のIT企業を経て20代前半で上京すると、さまざまな企業やプロジェクトに参画しキャリアを重ねる。20代はエンジニアとして。30代に入るとマネジメントを中心に頭角を表し、キャリア後半は技術・開発・採用など幅広いドメインで責任者を務める。株式会社Speeeには2013年4月にジョイン、現在に至る。
「Bit Valley」に憧れ愛媛から上京
― 是澤さんはもともと、地元の愛媛県でエンジニアとしてのキャリアをスタートさせたんですよね。
ええ。2000年、20歳頃に地元のIT企業に飛び込んだのが、キャリアの始まりです。当時はITバブルの最盛期でしたが、残念なことに地元ではビジネスがうまく回っていませんでした。一方、東京に目を向ければ、IT系ベンチャー企業が次々と生まれる羨ましい状況でした。
― 渋谷が「Bit Valleyビットバレー」と称されていた時期ですね。
それで、自分も東京に出て勝負したいと上京したんです。21歳の頃でした。最初はゲーム会社に入ってモバイルゲームの開発をしていたのですが、改めてITならびにビジネスについての理解度を深めようと、しっかりとスキルアップできる企業を選び、働き出します。
― モバイルに特化したインターネットサービスを展開する、サイバーエージェントグループのシーエー・モバイルですね。
同社では本当にいい経験を積ませてもらいました。まず、技術についての基礎を学びました。いちエンジニアとして結果を出すと、いろんな事業のリードエンジニアを次々と任せてもらいました。成長できるし評価されるし、自分でも手を挙げて仕事を取りに行きました笑。その後、役員直下で研究開発部署をつくらせてもらい、そこのマネージャーとして責任者を任されるようになります。権限委譲も寛容な組織で、伸び伸びと仕事をすることができました。入社時に100名ほどだったメンバーは、僕が出る頃には300名ほどの規模に拡大。マネジメントで大失敗し、マネジメントについて本気で学ぶことに繋がるきっかけもいただいたり、人生の中でも学びの多い時期でした。
― 失敗から学ぶことは多いですからね。中でも特に、どのようなスキルが身についたとお思いですか。
一番僕を変えたのは考え方ですね。ビジネスに対する姿勢や理解度、と言った方が正しいかもしれません。技術はビジネスを成功させるための手段であり、全てではない、ということを体験により学びました。言い方を変えれば、技術をビジネスにどう使のか、ということです。己の価値の出し方もあわせて学びました。
― その後は起業なども経験されたと聞いています。
個人事業主として受託開発、クライアント企業への技術指導やコンサルティングなどを行っていた時期もあります。そのうちシーエー・モバイル時代の上司の繋がりで、ビッグデータの分析・コンサルティングを手がけるALBERTに技術責任者としてジョインします。
― そちらの会社ではどのようなことを学ばれたのでしょう。
先の続き、課題に思っていたマネジメントを徹底的に学びました。ピーター・ドラッカーのマネジメント論やコトラーやポーターのマーケティング論などを積極的に読むようになったのもこの頃です。その上で組織論や評価制度について知識と実践を通じて学びました。
CTOのポジションを捨て再スタート
― Speeeに入社されたきっかけをお聞かせください。
より成長したい、と感じたからです。Speeeに入る前、スタートアップでCTOをしていましたが、その会社では目の前の業績ばかりに注力しなければいけないという状況であったからかもしれませんが経営者の意見が強く、自分の仮説を実証できず自分の成長も薄くなり、キャリアとしてこれでいいのかと疑問を抱くことになりました。もともと入社時には組織を創ることを目的でジョインしていたのでその食い違いもありました。
だから当時の僕は、40代以降での生き方にとても危機感を抱いていました。今大きく成長しないと40代以降は人生が積んでしまうな、ぐらいに。だから、このままではマズいと思ったんです。
― 具体的に、どのようなキャリアを築きたかったのでしょう。
一番は組織マネジメント力のスキルアップです。成長組織でそのための実戦経験を積みたいと思っていました。Speeeを知ったのは偶然でしたが、面接で代表の大塚と話すと、マーケットに対する戦略だけでなく、組織マネジメントや文化づくりについても重要視している姿勢が伝わってきました。同時に、人としての相性も含め、色々な面で共感できた。それで2013年4月、Speee当社にジョイン。当然CTOとしてではなく、役職もなしの一エンジニアとしての再スタートでした。
― 幹部というポジションからではなく、ボトムの現場から組織を見ることで、新たにスキル・キャリアアップしようと思われたわけですね。そして実際に成し遂げられた。
Speeeは現在、デジタルコンサルティング事業、インターネットメディア事業という大きな2本柱で事業を展開しています。その他にもいくつかの新規事業にもチャレンジしています。最初は一エンジニアとしてとある新規事業のエンジニアをしていたのですが、デジタルコンサルティング事業の前身であるWebマーケティング事業でのアドテク事業の立ち上げに開発責任者として参画することになりました。そこはエンジニアは僕以外、誰もいない状況からのスタートでした。
― つまり、現場仕事もしながらエンジニアの採用も行っていったと。
ええ。採用はもちろん、入社後のエンジニアのマネジメントも任されました。事業は順調に進み、1年ぐらいすると実績も出始めます。しかし開発組織全体を見た場合、技術力という点においてまだ理想には程遠い状況でした。そこで経営陣は、ヤフーやクックパッドで活躍された井原正博さんを開発部顧問として、Ruby言語開発者のまつもとゆきひろさんを技術顧問として迎え入れます。同時に僕には「現場兼任ではなく、採用など組織マネジメントに注力してほしい」とミッションを与えられました。
― エンジニアとしてはなかなか複雑な心境ですね。現場、技術から完全に離れろ、と言われたのですから。
不安でしたね。これまでは現場にいながら結果を出せてた部分もあったので。それが、これからは主に採用での成果が、僕の評価の全てになるわけですから。当時の僕は組織マネジメントとしてプレイングマネージャーの方が成果がだせるとも思っていましたし。だから最初は要求を受け入れることがむずかしかった。経営陣ともぶつかり、辞めようと思ったことも正直ありました。
― でも、実行した。そして結果を出されたのですよね。
結果的にですが笑。専任して半年後には採用チームを結成し、組織として動くこともできてきました。そして1年ほど経つとRubyに強いテクノロジーカンパニーとして、それなりの存在感を放つ組織になりました。そして2017年2月、Rubyコミッターのmrkn(村田賢太)さんが入ったことで、より一層業界で注目される存在になったと感じています。
成果を出すエンジニアこそが優秀
― 採用がうまくいったとしても、その後の教育や育成がしっかりしていなければ、現在のような技術者集団は構築できなかったと思います。そのあたりのポイントと言いますか、マネジメントのコツなどについてお聞かせください。
自分がやりたいと思うことをとにかく頑張れ、とメンバーには言っています。逆にやりたくないものはやらなくていいし、こちらもやらせない。その中で悩みや困ったことがあったら相談に乗る、というスタンスです。
― つまり、そのやりたいことをやれる環境を整備してあげるのが、是澤さんの役目だと。
チャレンジできる環境を整える、ということです。もう1つ大切なことがあります。「アウトプットと成果にこだわる」ことです。チャレンジした結果がどうだったのか。事前に立てた目標の何達成できたのか。その評価がきちんとできる体勢を、Speeeではしっかりと理想を定め整備し続けています。具体的にはIntelやGoogleも導入している目標管理手法「OKR」を取り入れています。ですからSpeeeでは、定性も大事にしながらも、エンジニアの評価としては「技術を使って何を成し遂げたか」の成果に重きを置いています。
― なるほど。では、御社における成果とは具体的にどのようなものを指すのでしょう。
一番わかりやすいのは、自分が参加した事業やプロダクトにおける実績です。それ以外であればTwitterやブログでの発信、勉強会での発表やOSSでの活動などそれらの影響力も評価対象となります。
成果とは自分で測るものではない、と僕は考えています。あくまで相手や市場からの評価だと。実際、OSS界隈で有名なエンジニアとかは、コミュニティで高い評価と影響力を持っていますよね。mrknさんのように。
― 成果を出すことがエンジニアとって重要だと。それ以外で、是澤さんが考える優秀なエンジニアに必要な要素はありますか。
若い頃の自分と真逆の考えや行動ができるタイプですかね。20代の頃の僕は、性格も行動もとにかく尖っていましたから笑。エンジニアがIT業界で一番偉いと考えていて、経営陣にも言いたい放題。リードエンジニアとして入ったプロジェクトでは、他のエンジニアが書いたコードを全て書き直すこともよくありました。俺様、的な感じでしたから、他人のことを思いやるなんてことは、まったくありませんでした。
― つまり人を思いやる優しい心を持つエンジニアが優秀だと
他人の意見に耳を貸す素直な気持ち、相手を思いやるホスピタリティーの心とリスペクトを、エンジニアには持ってほしいと思っています。ただその一方で、優しいけれど自分の得意領域では絶対に譲らない、相手が間違っていたら指摘するといった精神的強さは必要だと思います。
繰り返しになりますが、成果を出す人が優秀なエンジニアであり、“優秀”という定義は後づけのようなものだと思います。あえて具体的に示すならば、人から指示を受けなくても課題を見つけ、勝手に解決していく能力を持つ人。
そういう意味では課題解決には単なるプログラミングスキルだけでなく、クリエイティブな要素も必要かもしれませんね。このような活動を戦略的に、かつ継続して行い成果を出し続けていくエンジニアが、まわりから優秀だと評価されるのではないでしょうか。
教育に携わり世の中を変えたい
― 改めて、現在のご自身のポジションやこれまでのキャリアを振り返っていただけますか。
組織としていかに最大の成果を出せるか。それが今の僕の役割であり、それこそがマネジメントだと考えています。優秀と呼ばれるエンジニアを育成でき成果を出し続ける組織づくりです。ですから今の自分は脇役であり、ヒーローを輩出するための縁の下の力持ち的なポジションとも思っています。
経営陣と現場エンジニアとの調整弁のような存在とも言えるかもしれません。経営陣や幹部にとっては、小姑のような存在でもあるとも感じています。経営陣が決めたことであってもうまくいかないと思ったり、やり方やタイミングが違うと感じたら、意見しますからね。成果がでないと思うものを現場にやらせることはできない。
― CTOを目指している若きエンジニアにメッセージをいただけますか。
何度も申し上げてきましたが、エンジニアの価値は、とにかく成果を出すことだと強く伝えたいですね。厳しい言い方になりますが、成果を出せないエンジニアはどんどん自由がなくなってくる。これはエンジニアに限らずですね。僕自身も成果を残してきたから、今の自由なポジションもあると思ってます。
― 自由、ですか。具体的にはどういったことなのでしょう。
エンジニアの市場は以前と比べ、かなり広がりました。スタートアップCTOも増えましたね。キャリアを重ねたエンジニアになれば、そのようなスタートアップからCTOとしてヘッドハンティングされる機会は出てくるでしょう。ただ、僕のキャリアとも重なりますが、CTOがエンジニアのゴールではないと思うんです。ほかにも、経営者となり会社を興す、技術経験を生かしプロダクトマネージャーになる、など新しいキャリアパスがあると思うんです。技術顧問などとして所属する組織も複数だったり。成果を出し続けるエンジニアはその強みを生かしライフスタイルやワークスタイルを自由に選択してIT業界を闊歩できる、そんな文化というか雰囲気に業界全体がなればと考えています。
― エンジニアとしては働きやすい環境だといえますね。ただ会社側、マネジメントサイドとしては苦労が多そうです。
だと思います。育てあげた優秀なエンジニアを、ライバル企業に渡すこともあるわけですから。でもその際も喜んで送り出してあげたいんです。逆もしかり。出戻りも歓迎したい。これも先ほどの話と関連しますが、エンジニアのチャレンジを受け入れたいと考えているからです。もちろん、あくまで成果を出した優秀なエンジニアに限って許される自由だとは思いますが。
― では最後に、是澤さんご自身の今後の展望や目標についてお聞かせください。
最終的にはなんらかの形で教育に携わりたいと思っています。本音を言えば、政治家になってこの国の教育体制を変えたい。今の若者って、高校卒業時に自分の将来ややりたいことについて考える機会が多いじゃないですか。大学に行くのか、就職するのか、何をやるのかとか。でも、その段階では遅いと思うんですよね。特にITに限っては。もっと前の、小中高生の段階からプログラミングなどを学んでいれば、18歳の時点でそれなりのエンジニアになっている可能性もあるんじゃないかと僕は思います。
― そのような教育制度に変われば、エンジニアはもっと自由に先のようなキャリアパスを選べると。
ええ。高校卒業後に既にプロダクトをつくっていてそれで起業する者もでてくるでしょうし、若くしてリードエンジニアとして企業で活躍する者も増えるはずです。そうして働いた後に、学習意欲がでてきて興味のもった分野を大学に行って学びたい、というのもあっていいんじゃないかと思います。なのでイメージとしては、吉田松陰の松下村塾のように寺子屋みたいな学びどころを運営したいのです。そうして育てたエンジニアが成長し第一線で活躍するようになれば、世の中がもっとより自由に楽しく生きられ、次代のためにもっと良い方向に変化させられる気がするんです。松下村塾で学んだ久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文などが明治維新を成し遂げたように。