Q:2012年5月にサイバーエージェントからMBOで独立されましたが、資本政策は創業当時から様々な紆余曲折があったんじゃないですか?
創業は1999年、現在代表の宇佐美とO氏との共同創業でして、当時は代表がO氏、宇佐美がCOO、その半年後に私がジョインしてCFOに就きました。その当時はまだストックオプションが今ほど簡単に使える状況ではなく、ワラントを発行していた時代だったのですが、当社も代表であるO氏がワラントを多く持つという構造で出発していました。その時点では特に悪い資本政策ではないのですが、結果的にはそれが後々に大きな影響を及ぼすことになりました。
徐々に宇佐美とO氏の目指す方向が違っていった為社内に色々と齟齬が生まれ始め、簡単に言ってしまうとO氏が一歩引いて宇佐美が代表取締役になったということです。私も何とか二人が同じ方向を向きながら進めるように努力していたのですが、一時は会社分割私案まで作っていましたから、今となるとそれがお蔵入りして本当に良かったと思ってます。代表交代に至ると、色々な意味で宇佐美体制が浸透していき、最終的にO氏が辞めた時点では当社の事業も立ち上がっており、株価もそれなりの価格になっていました。もはやO氏の分を買い取れる金額ではなかったので、結果的にはサイバーエージェント(以後:CA)の傘下入りすることになりました。
創業時から「IPOを目指します!」と旗を掲げてVCからも資金調達していましたから、CAの連結子会社になったというのもある意味矛盾ですが、この業界は非常に変動が大きい業界なので、我々はもちろん親会社も株主も、未来のことは分からないから当面は事業基盤をきちんと作って事業を成功させることにフォーカスしていこう、ということで子会社としてのスタートを切りました。
一時期宇佐美がCAの役員もやっていましたし、人材交流も結構あり、経営の自由度も非常に高くて自由にやらせてもらっていました。当社も規模こそ大きくはないですが、連結利益貢献もしていたので、非常に良い親子会社関係だったと思いますし、今でもその関係は全く変わっていません。
一見とても回り道だったようにも見えるかもしれませんが、実はCAから学んだことは非常に多く、このプロセスがなければ現在の当社はなかったなと思います。
大きな転機となったのは2012年の5月のことで、開示している通り、CAの保有する当社株の多くをポラリスキャピタルに持ってもらうことになりました。きっかけは、当社において比較的大きな柱の一つだった検索関連の事業が急速に縮小する見込みになったことです。CAにも利益面で迷惑をかけるかもしれないし、当社の事業構造転換も大胆に進めなければならない。CA傘下から独立して、企業としてそれまでとは非連続の成長に挑むにはとても良いタイミングでは、という合意形成ができました。ただし金額はもちろん「1か月半で合意できること」という条件が付いていて、どうすれば良いのか途方に暮れながらも一晩思案し続けることになりました。
業績は短期的に悪化する(すぐに戻る保障はない)、極めて変動の大きい(不確実性の高い)業界、ウン十億円の投資規模、1か月半での意思決定。
以前から私の中では色々なスキームの思考実験はあったのですが、負債やSPCを使った一般的なMBOスキームは時間的に難しいし、複数のVCで分けて持ってもらうにしても、規模や時間制約が厳しい。一晩考えた末の結論としては、ポラリスキャピタル一社で引き受けてもらうという絵でした。
翌日、以前からお付き合いのあったポラリスの担当K氏とお会いして、「業績は短期的に悪くなりますがチャンスでもあります」というお話をさせていただきました。そこからの1か月半は当社内もポラリス側も文字通り全力疾走だったわけですが、外部のリソースももちろん使いながら、関係者が本当に頑張った結果、当社も売り手も買い手も三方良しな決着となりました。個々具体的な部分はお話できないことが多いですが、これが経緯の大枠です。
現在は昨年立てた中期経営計画に沿って事業構造を転換中ですが、計画を大きく上回りながら進展してきています。まだまだ再スタートをきったばかりですが、非連続な次の成長ステージに入っていきたいと考えています。
Q:もともとはベンチャーキャピタリストになりたかったそうですね。
そうなんですよ。もともとビジネスに興味があり、大学のゼミでは組織論・戦略論など色々な角度から企業 研究をやっていました。将来的には、組織には属さないいわゆるエンジェル的なベンチャーキャピタリストに憧れていて、ゆくゆくはアーサーロックみたいなべンチャーキャピタリストになれるといいなと思っていました。
とはいえいきなり投資家になってうまくいくわけでもないですし、結果として選んだのがコーポレイトディレクション(CDI)というコンサルティング会社でした。ここはベンチャーに社長を派遣したりそこに出資していたりもして、普通のコンサルティング会社というよりはそこに集まった人たちが好きなことをやろう!みたいな気質の会社で、これは面白いかもしれないと思って入社しました。
この会社には約4年ほど籍を置きました。その4年間では比較的大手の会社から中小企業のような小さい規模も含めていくつかのプロジェクトをじっくりやり、高速にいろんなことを経験させてもらいました。そこで社会人としてのベースは鍛錬されたかなと思います。
Q:どうしてVOYAGE GROUPに?
そんなタイミングでネットバブルと呼ばれていた時代を迎えていました。宇佐美(VOYAGE GROUP代表取締役CEO)や吉松くん(アイスタイル取締役兼CEO)、川田さん(DeNA共同創業者)達とは96年にコンサルティング業界に入った同期で、大学も違えば就職した会社もバラバラなんですけど横の繫がりがありました。当時ビットバレーと渋谷で騒がれている頃には吉松くんや宇佐美も先んじて出てきて99年10月に「会社始めるんだよね」というのを聞いて、ちょくちょく遊びに行っていたのがことの始まりですね。
当時はコンサルティングやプロジェクトにどっぷりはまっていたのでなかなか離れられなかったのですが、2000年の5月に正式に当社(当時アクシブドットコム)へ籍を移しました。
当時はインターネットがビジネスになるのかもわかっていない世の中で、当社も会社の体を成してないというか「夢と志だけがあります!」みたいなところに集まっている状態だったので、最初は何でも屋というか、今でも本質は何も変わらないですけど、こぼれて落ちてくるもの(仕事)は全部拾うみたいな役割ですよね。移籍した直後でいうと「2~3ヶ月後にはお金なくなるよね」っていう状況だったので資金調達をちゃんと出来るのかどうかが最重要課題で、先ずは事業計画書を作りました。ビジネスモデルはまだ固まってないんだけど事業計画書は作る、とにかく資金調達はしないといけないみたいな(笑)
そして2000年9月に宇佐美やO氏と駆けずり回ってベンチャーキャピタルから2億円の資金調達ができたんですけど、ちょうどネットバブルが終わる頃で「アクシブさんギリギリでしたね」と言われて、ある意味ラッキーの始まりだったかなと思います。
資金調達できたことによって、会社としては少なくとも1~2ヶ月どう生き延びるかではなく長い時間をかけてサイトを作りあげていくことができるようになりました。
同年の2000年9月に第一回定時株主総会があって、そこで取締役CFOになりました。肩書はCFOですが実際「落ちてくるものは全部拾います!」「カバー出来てないものは全部やります!」という役割は以前と全く変わらず雑用係りみたいなものですね(笑)
Q:CFOとは?
CFOのスタイルって人によって様々だと思いますし、理想的な一つの型が存在するわけではないですよね。私自身のCFOスタイルでいうと、とにかく「全体」と比較的「長い期間」を見てこぼれるものは全部拾う「最後の砦」的な役割だと思っています。小さいものでも何でも必要があればやるし、他人のせいにしない覚悟が必要かなと。
例えば、CFOって野球でいうと「キャッチャー」だと思うんです。エースピッチャーのような華やかさは全くないけれど、キャッチャーは表からは見えないものの実はいろんな機能を果たしているんです。キャッチャーはエースの相棒であると同時に、一人だけ反対方向を向いていますよね。ああいうのもCFOっぽいなと。唯一全メンバーが視野に入るポジションで、良くも悪くもチームは試合展開を客観的に見ている。あとはホームベースにいるっていうこともそうですけど、ここを踏まれると点が入ってしまう「最後の砦」のような。1塁2塁にランナーが進んでもここ(ホーム)を踏ませなきゃいいよねといったように長い時間軸で全体の物事を考えるイメージですね。
CSR活動としてECナビの森というのが山梨県の勝沼にあるんですけど、そこではChief Forest Officer(CFO)でもあります。最近でいうと女性がもっともっと活躍していけるために何が必要なのかを考える「voya女向上委員会」という社内組織に担当役員として参加してたりします。もはや何がCFOなのかよくわからないですね(笑)
Q:CFOを目指す人に向けてメッセージを。
当然自分自身もまだ完成形な訳でも何でもないのですが、それは脇に置いておいて思うことをお話しすると、「どんな仕事でも自分の血となり肉となっていく」に尽きると思います。スタイルは色々とは言え、CFOのカバーする領域ってやっぱり広いと思うんですよね。社長ももちろんそうなんですが、戦略や組織の議論にももちろん参加する一方で経理/財務に限らず情報システムや業務オペレーション、規程や労務まわり、リストとして挙げきれないほど多岐にわたります。とにかく視野を広く持って、いろいろなことにチャレンジしていってほしい。そうすれば良いCFOにもつながると思います。
VOYAGE GROUPはいろんなことにチャレンジして事業を作ってきました。「人を軸にした事業開発会社」といっておりますが、そういった仕事人たちの集団であり続け発展していきたいです。世の中にVOYAGEらしいプレゼンスが築けたらいいですね。