元キュレーションメディアの内部ライターが感じた「SEO至上主義」の限界

WELQ問題はメディア関係者に多くの教訓を与えたことでしょう。「安い原稿料で、大量のライターを抱えてコンテンツを量産」した結果、市場に「読者を馬鹿にしている」「人のコンテンツを切り貼りしただけ」と批判されることになってしまいました。

実は私も、一時的にですがDeNAが手がけるキュレーションプラットフォームで筆をとっていたことがあります。内部の運用は各方面でも報じられている通りですので、私がここでそれについて書くことはあまり意味がありません。

そうではなく、今回の件で私が個人的に感じた、WEBメディアのこれからのあり方を、私なりの見方で問うていきたいと思います。

私たちは本当にGoogleの敷くルールに従うべきなのか?

検索エンジンというプラットフォームを作っているのはGoogleであり、その検索のルールとも言えるSEOの仕組みを作っているのもGoogleです。これまでのインターネットは広告モデルが主流であったために、サイト側は「とにかく上位表示されること」を至上命題にされて来ました。

もちろん、これまでもGoogleは何度もアップデートを繰り返し、ユーザー側に寄り添ったアルゴリズムを開発して来ました。検索をしたユーザーにとって最も最適化された情報を届けることを心がけて来たのであろうことは誰でも知っていることです。

しかし、私は自身が検索をするときに「ユーザーが知りたい情報を見つけるために本当に適切な検索ワードを打ち込んでいるのかどうか?」に疑問を抱えます。つまり、私は多くのユーザーが「本当に知りたいことの探し方を知らないのでは?」と思っているのです。

つまり、例えば「転職 方法」と検索した人間が求めているのは、本当に転職の仕方なのかどうか、ということです。私は1000人以上の働き方やあり方について触れて来た経験があるので断言できるのですが、「自分にとって適切な仕事を自分で理解している人」というのは全体の1%もいません。

Googleの検索窓を叩いて、ありとあらゆる転職の仕方を知れたとしても、本当の意味で本人が「どういう仕事がベストなのか」を知らない限り、その方法を選択することはできないはずです。

Google検索は、顕在化したニーズを解決するのに長けていますが、潜在化しているニーズの解決は難しいと言わざるを得ません。となると、企業が顧客の心を掴むためにしなくてはいけないことは、本当にSEO対策なのでしょうか?

顧客はすでにもうGoogle検索をしていない

私は、自身のFacebookで自分勝手な恋愛コラムを書いています。Facebookの投稿はSEOには一切関係ありません。自分自身の友達にのみ向けた発信です。個人的な繋がりにのみに提供される情報であり、対外的な意図はありません。

ところが、投稿には全く知らない人のからのいいね!やコメント、時にはアカウントフォローも入ります。これは私が「自分のことを全く知らない人が読んでも共感や気づきが得られるように」、私という一つの価値観を通じたコンテンツを投稿しているからです。これによりまだ見ぬファンを獲得することにも成功しています。

今経済は「コミュニティ単位」で動き始めており、「閉じた」繋がりの中で経済が完結するような流れが生まれて来ています。

人と人は「共有できる価値観」で繋がり、それはGoogle検索ではひっかかることのない目にみめない情報です。「共有できる価値観」で繋がったコミュニティーは、その中での情報を探そうとし始めるのです。

情報化社会の反動で、情報が溢れすぎた現代にあっては、人々は情報の洪水の中から自分にとって必要な情報を探し出すのに疲れてしまっているのです。その代わり、「共有できる価値観」で繋がった信頼できる人からの情報を頼りにするのです。

事実、最近私は新しい引っ越し先を探すのに検索窓を叩くことはしませんでした。閉じたコミュニティの中で、その分野のことに詳しい信頼できる人間を探すことを最初に行いました。「引っ越し おすすめ」の検索をしなかったのです。この事実は、賃貸不動産のサイトのSEO対策は、一人の見込み客に対して何の効力も発揮しなかったということを意味しています。

今、若い女性たちは「お気に入りのカフェ」を見つけるために食べログもRettyも使わずに、Instagramの写真を見つけようとするそうです。彼女たちに言わせれば「SEO対策をしているから」なのだそうです。つまり、掲載されている情報に「裏」を感じてしまっているのです。

これからのWEBメディアはどうあるべきか?

確かに、SEO対策は大事でしょう。まだ見ぬ見込み客の獲得には必要です。しかし、顧客が全ては「ネット上の情報を信じなくなったら?」。もうすでにゆるい繋がりから派生した閉じたコミュニティの中で共有される情報の方に価値を置かれるようになっているのです。

そんな中で、マスに向けて情報を発するWEBメディアはどうあるべきなのでしょうか。早くからキュレーションメディアの問題に気づいていたメディアは、自社のコンテンツ力を高めることに注力してきました。今回の問題によって、質の良い記事を書けるライターの需要も高まっています。

しかし、WEBメディアは気づかなくてはいけません。面白い・有益なコンテンツだけでは人の心をつなぎとめることができないということに。人の趣味嗜好は移ろい日々変わっていきますし、良いコンテンツを書けるライターがいなくなれば、顧客も離れていきます。

であれば、メディアは「共有される価値観」を発信する側にならなくてはいけません。

インターネットという広い海に漂う島に流れ着いた顧客を迎え入れ、その人たちが望む価値を提供し続け、そこに住まわせ続けるだけの「理由」を与えなくてはいけないのです。

SEOは大海の漂流者に島の位置を見せるための目印にすぎません。そしてメディアの中にあるコンテンツはあくまでコンテンツなのです。であれば、これからのWEBメディアに必要なのはSEO対策ではなく、良質なコンテンツでもなく、そこに集う人たちが欲しがる「共有される価値観」なのです。それがそこに顧客を定着させる「理由」になるのです。

その「理由」はWEBメディアにとっても、そのメディアがそこにある「理由」です。何のために存在し、誰のための価値を発揮し、どうあり続けたいと願うメディアなのか、そのアイデンティティーこそが、人を呼び、良質なコンテンツを生み、ファンを獲得していくための核になるのではないでしょうか?

これからのWEBメディアに必要なこと。その答えが私の意見一つだとも到底思えません。私がここで発信している内容もまた、私という価値観を通したコンテンツの一つにしかすぎないのですから。