特に中小ベンチャー企業にとっては、育てた人材に離職をされると大きな痛手でもあり、その向上には大きな関心を払っているはずだ。
しかし、従業員にとって会社で、しかも中小ベンチャーで働く満足度とはそもそも何なのだろうか。
経営者であれば、明確な目的と自己実現に邁進する強いモティベーションがある反面、不安定で必ずしも待遇が良くない小さな会社で働くには、相当な魅力がないと満足度を高めることは難しい。
このことは、ベンチャー企業経営者にとって非常に大きな課題であり、そして経営者としての考え方がまともに出る部分でもある。まずはこの問題について、テクニカルなお話からすると、2つのアプローチで考える必要があるだろう。
すなわち、労働環境を良くするなどの手段を通じてストレスを軽減しようとするものと、人事評価制度を整備するなどを通じて、モティベーションを高めやる気を引き出す方向に作用する施策だ。
前者の代表的なものには、例えば飲食などの調理場で、蒸し暑い過酷な現場で働く従業員。
その現場にスポットクーラーを入れると、不満は減少するが働くことの満足度を向上させる効果は弱い。しかし、その導入効果は長く続き、一般にコストに対して成果が見えやすい。
一方で後者の例は、従業員自身が公平と感じる人事制度の導入と、それに伴う実際の昇進や昇給だ。
これは直接、働くことの満足度の向上につながる。但し、持続性に難があり、その効果が継続する期間は余り長くない上にコストの効果を測定しづらい。この2つは常に対で考える必要がある。
従業員は給与条件など働く満足度が高くても、職場環境が過酷であれば離職する可能性は高くなる。
そのため、極端な高給などで従業員の就業意欲をつなぎとめる必要がある場合が多く、いわゆる3K(きつい、きたない、きけん)の職場などはこの典型的な例だ。
一方で働く満足度が低くても、快適でストレスを感じない緩い職場であれば、急いで転職することもないか、という方向に意識が働くこともあるだろう。
人は、自分の仕事から大した負荷を感じず、また快適な環境で仕事をしているという自覚があれば、給与の低さも受け入れる幅が広がる。不満を減らすことしかできない施策と、満足度を高めることができる施策。
この2つは人事制度を考える上で分けて考える必要があり、自社が置かれている会社の状況に応じて優先順位を付けて実施することを意識しなければならない。
では経営者は、自社の現在と未来を考え、従業員満足度を高めるためにはどのような施策を打つべきなのだろうか。
この考え方は極論すると、経営者の経営思想そのものであり、そこから従業員が敏感に感じ取るものは、経営者が従業員という存在をどのように理解しているのか、ということそのものになる。
それだけに、会社の数だけ正解があり、あらゆるケースで有効な処方箋を示すことなどとてもできない。
そのためここでは、私自身がどのような状況でどのような処方箋で手当をしたのか、またそれはどのような考え方に基づいてそうしたのか。
そのケーススタディと結果についてお話し、事後分析も含めてお話したい。
概ねそれは、以下のような切り口になるはずだ。
なおこの話の舞台となるのは、経営危機に瀕し様々な待遇の切り下げが行われ、従業員満足が極めて低い状態に陥っていた会社で、経営企画担当役員として務め、様々な施策に取り組んだ際のお話だ。
以下、その具体的な状況とあわせ、筆を進めていきたい。
最悪の状況において、応急手当をすべきは不満の減少
話の前提として、当時私が直面していた状況について少しお話したい。
その会社は製造業で、製造部門では常時200名を越える正社員とパート・アルバイトが稼働している事業規模。
先進的な取り組みが評価されメディアに載ることも多く、そのため数次の第三者割当を経て資本金も億のふた桁も見える規模で資金調達が進んでいた、話題の多い会社だった。
一方で、潤沢な資金は時に経営者の感覚を容易に狂わせる。
当社もその典型であり、身の丈を越えた設備投資による固定費の増大を営業が全く回収できない状態に陥っており、極めて深刻な経営危機に陥っていた。
いわば、ビジネスそのものは評価されているものの、マネタイズに苦しみ立ち行かなくなる、ベンチャー企業には極めてありがちな状況にあった。
その会社で経営企画担当役員兼CFOとして着任し、すぐにわかったことは、その会社では全てがどんぶり勘定で誰一人として正確なリアルタイムの数字を把握していないことだった。
そしてなぜ儲からないかわからないままに、数次に渡り従業員の待遇を切り詰め、また必要な正社員の補充を中止し、パートやアルバイトの稼働時間を減らして正社員にサービス残業に近い稼働を要求する。
その結果さらに従業員のストレスが溜まり、離職率が高止まりして採用コストもかさみ、さらに相場より低い賃金は採用もままならないという悪循環に陥っていた。
当然のことながら、現場の空気は極めて悪い。
経営トップに対する不信感、暑い・寒い・熱い・冷たいといった環境への不満、こんな仕事やってられないと公然と言い放つ程に崩壊した仕事への熱意。
要するに、不満を減らすか満足度を高めるか、という研究を悠長に考えている間など無く、そうこうしているうちに現預金は直ちに溶けて、あっという間に法的整理まで考えなくてはならない事態を迎えるだろう、という状況だ。
私が直面した現場は、それほどまでに厳しいものであった。
そんな中、新参ものの役員として経営立て直しの最前線に立った私への風当たりは決して優しいものでは無かった。
中には公然と非協力的な態度を取り、あからさまな仕事の妨害と誤った情報の提供などで非常に厳しい思いをすることもあったが、それでも役員として常識的な振る舞いと従業員への奉仕が自分の仕事であることを体を持って示せば、協力者を得るまでにそれほど時間は掛からなかった。
逆に言うとそれほどまでに、経営トップと役員は機能をしていなかったということだ。
そしてこの際、現場責任者やラインの職長などと話した結果、非常にわかりやすい現場の不満を嫌という程理解することができた。
それはほとんどが感情的なものに起因していると言うことであり、そして大きなものだけで以下のように集約できるものであった。
- 尊敬できない上司の存在が目障り
- 現場を知らない偉い人からの理不尽な指示で仕事が回らない
- 必要な人員がいないために長時間のサービス残業に近い仕事を余儀なくされている
- 無意味で機械的な仕事に精神をやられている
- 暑い、熱いなどの環境要因
これらの不満をレベルが低いとお感じになるだろうか。
もちろん、会社を経営しようとする人間や役員を張ろうとする人間から見れば、信じがたいほどのレベルの低さだろう。
しかし敢えて言葉を選ばず断言するが、従業員の幸せを願っているとも思えない経営トップの下で、人生の大事な時間を提供することでお金に変えて生活をしようとする人が感じる素直な感情としては、十分に理解できる不平不満の数々だ。
その後、別の工場で同様に現場を回った際に聞いた言葉も、概ねこのような内容であった。
そして、仕事に対する満足度も低く、極めてストレスフルな職場で働く人たちは、ふと求人雑誌に目をやり、あるいは別の会社に就職した同期からの話を耳にして、あらゆる待遇と環境で劣っていると考える会社に見切りをつける。
このような環境にあって、応急手当をすべきは間違いなく不満と感じる要因の把握とその排除だ。
もちろん、場合によっては仕事に対するやり甲斐を徹底的に引き出し、あるいは待遇を改善することでその他の不満に対して鈍感にさせるという手段も効果がないわけではない。
しかしながら、コストが掛かり、なおかつ効果の持続が見込めない施策はこの局面において有効ではない。
まず目指すは、「待遇は悪いしやり甲斐もないけど、特に不満がないから働くことができる」というレベルの確保。
それは、いつでも辞めてもいいと思っているけど特に急ぐ必要がない状態で、ある程度のコストでその環境は構築できて、なおかつその効果は一定程度の持続が見込めるという状態だ。
ここで私は先述の5つの問題をどう考え整理したのか。
少しお話してみたい。
まずこれら5つは、暑い・熱いという物理的な環境要因以外は、その言葉をまともに聞くべき話ではなく、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」のたぐいだ。
嫌いな人間であれば、その立ち居振る舞いや喋り方、終いには来ている服まで目障りになり気に障る存在になるだろう。
そのため、問題の所在は別にあると考えるべき話になる。
但し不満を訴えている以上解決策を図らなければ、私自身が、
「なんだあいつ、不満を聞くだけで何も問題解決ができない無能じゃないか」
と、時間の問題で“他の幹部と結局一緒”という評価を下されることになる。
早速私は、それぞれの問題を深掘りしたが、何のことはない「暑い・熱い」の環境要因は全て、たった一つの原因に行き当たることができた。
それはなにか。
敢えての言い方をすると、上司が無能極まりないことに依るものであった。
但しそれは、上司そのものが原因と言うよりも、経営企画やCFOなどのポストを置いてこなかった会社が無能と言うことだ。
別の言い方をすると、数字で客観的な会話をする手段を組織が持ち合わせておらず、
「どっちの言い分も正しいよね」
という状態が存在することを許していたことだ。
具体的にお話する。
「必要な人員がいないために長時間のサービス残業に近い仕事を余儀なくされている」
という不満について話してみたい。
これについては、上司は経営陣からの要請もあり、社員が辞めても新しい人員をそのまま採用することはできない。
そのため、欠員が発生しても現行の戦力で回すように現場に命令する。
一方で現場からすれば、これまで当たり前にあった戦力が純減すれば、それだけで仕事が回らなくなると危惧するのは当然だ。
なぜなら現場の人間は、納期と品質を守ることがその最大の仕事であり、純粋に人手が減ることは、これまで頼りになった戦力がいなくなり仕事が難しくなることを意味するからである。
補充をしてくれないと仕事ができません、というクレームを上司に返すのはむしろ健全で責任感のある態度であり、決して非難されるべきではない。
しかし上司は首を縦に振らない。
かくして、上司は会社の要求を実行するために全力を尽くし、部下は自分に与えられた責任をまっとうするための解決策を必死に訴えるわけだが、最後に意見が通るのはどうしても会社の意志を受けている上司の言い分だ。
そしてどんどんと抜けていく従業員の補充は為されず、
部下は上司に対し、
「尊敬できない上司の存在が目障り」
「現場を知らない偉い人からの理不尽な指示で仕事が回らない」
「必要な人員がいないために長時間のサービス残業に近い仕事を余儀なくされている」
という不満が溜まっていくことになる。
そして一度この感情が生まれれば、上司のあらゆる指示はこのフィルターを通して部下に伝わることになり、全ての指示命令は素直に聞き入れられなくなっていく。
では、このような場合に経営企画担当者はどのように問題を解決するべきなのだろうか。
私はその答えは、「わかりやすさ」すなわち数字にしかないと考えている。
このケースの場合、双方の言い分は決して間違っているわけではない。
それぞれに理があり、自分の考えを通すべき責任がある。
このような時に正解を見つけるためには、問題を可視化する以外にないだろう。
私はさっそく、従業員たちの勤務記録を分析し、製造ラインではどのような製品の製造にどれほどの「製造時間」が投入されているのかを詳らかにした。
その結果、ある程度予想していたことだが、現場責任者の裁量に委ねられていた勤務シフト表では、製造の波と投入労働時間の波が全く一致しておらず、結果として製品単位あたりの投入労働時間は、時間と曜日によっては倍近い開きがあることが確認された。
なお、製造されている製品は規格に基づいた画一的な製品であり、合理的に考えれば生産数と必要労働時間は比例の関係にあるべきものである。
それが、ある時には1000個製造するための総労働時間が200時間になり、時には100時間近くまで減るのである。
こうなれば、ここから見えることは、余剰人員が暇を持て余している日と、ギリギリの人員でなんとか製造ラインを回している日があるという事実以外にない。
そして人は、もっとも辛い日を強烈なインパクトとして記憶に残すために、その日を基準に人手の足りなさを訴えるだろう。
率直に言って、もっとも人手が足りない時のラインはたしかに過酷であっただろう。
しかし、もっとも余剰がある日のラインを見ると、少なくとも3割程度は削減しても全く問題のないことが予想される水準であった。
つまり、言葉は悪いが一人や二人退職をしても補充する必要はなく、勤務シフトをまともに組めばさらにコストが抑えられる可能性すらある状況が明らかになったということだ。
私はこの事実を製造ラインの責任者と上長クラス、それに部門責任者の揃っている会議の場で数字で伝え、更にその上で、採用には多くのコストを掛けられない会社の事情を説明した。
そして、退職した社員の補充について、社員ならではの役割に理解を示し最低限の採用コストを掛けることを許可した上で、勤務シフトの合理的な編成を要求した。
その結果として、明らかに労働時間の過剰な投入がある現象は完全になくなり、逆に人手が少なすぎて厳しいライン運営を余儀なくされていた日も完全に消滅し、あたり前のことだが単位あたりの投入労働時間は均一化していった。
そして、上司からの陰に陽に掛けられていたプレッシャーもあったのだろう。
理不尽な、サービス残業に近い就労をするものも見かけなくなり、その上で製造コストは削減できたのである。
こうなれば、
「尊敬できない上司の存在が目障り」
「現場を知らない偉い人からの理不尽な指示で仕事が回らない」
「必要な人員がいないために長時間のサービス残業に近い仕事を余儀なくされている」
という不満要因は大幅に抑えられ、殺気立っていた現場には僅かでも余裕が生まれた。
そしてその浮いたコストで、現場からもっとも要望が大きかったスポットクーラーの増設も実現でき、
「暑い、熱いなどの環境要因」
も一つ、解決することができた。
こうなれば、
「やり甲斐がないから会社を辞めたいけど、でも今すぐじゃなくてもいいかな」
と考え始めてくれる社員が増えてくる。
負のスパイラルを止めて、望ましいスパイラルに向かって動き出した第一歩である。
なお余談だが、2011年に発生した東日本大震災。
未曾有の大惨事は多くの人の記憶に新しいと思うが、その震災では、自衛隊が各地で献身的な活動を見せ、多くの人の心を掴んだのは衆知のとおりだ。
そしてその際、現場に入り人命救助の最前線に立ち活躍をした一人の指揮官がいる。
彼の名は、陸上自衛隊の関谷拓郎・1等陸佐。
1等陸佐なので、現場責任者クラスの高級幹部だが、彼は混乱する現場で部隊指揮を執る中で、多くの間違った情報や既に陳腐化している情報に接し、それでも多くの判断を瞬時に下していく必要に迫られた経験を通し、以下のような教訓を後日、語っている。
「必要な情報は現場に足を運び、自ら求める必要がある。黙っていても入ってくる情報は極めて膨大ではあるが断片的なものに過ぎないため、あてに出来るものは少ない。このような情報には優先順位が付けられないので、意思決定の役に立たない」
もし読者の中に、現場に足を運ばずに帳面だけを見て満足しているCFOや経営企画担当者がいれば、大いに自戒して欲しい。
意志決定を下すものが現場を知らなければ、表面的な数字だけを鵜呑みにして確実に誤った経営判断を下すことになる。
苦しくともやってはならない施策
不満を減少させることは、離職を思い留まらせる有効な手段になることは、ここまでお話してきたとおりだ。
そして、従業員が会社を辞める決定的な意思を固めるのは、ストレスフルな環境要因と、働くことの満足度の低さが重なり、その状態の解消が容易に見えない条件が重なった時となる。
よりわかりやすい個別の感情に置き換えれば、
- 休みがない、熱い、暑い
- 仕事にやりがいを感じられず自身の成長も実感できない
- 経営トップを信じることができず、このまま環境が変わると思えない
例えばこういうことになるだろう。
つまり言い換えれば、どれほど会社が苦しくとも、このような感情をまとめてしまうような施策は絶対に採るべきではない。
同じようにコストをカットするなら、いずれかの不満を増大させることはあっても、いずれかの不満は少なくとも現状維持、可能であれば減少させる方向に働く施策でなければ、組織全体が崩壊することになる。
その意味で、もっとも採用するべきではない施策は、従業員給与の一律カットだ。
給与カットは、それまで当然に得られていた報酬を経営トップの一言でいつでも減らされることがあるという意識を、従業員に深いレベルで刻み込むことになる。
なおかつそこに自分自身の過失はなく、自分ではない誰か(経営陣)の失敗により自分が罰を被るという理解として受け止められ、理不尽、不公平、卑怯・・・などというあらゆる負の感情が経営トップに向くことになる。
そして働くことの不満は増大し、やり甲斐は極端に減少し、このままでは会社はダメだろうという悲観的な感情から、この先の未来を信じられなくなり、従業員は次々に退職を選択していく。
そして私はこの施策の現場に実際に立ち会った。
正確には、自身も経営陣の一員である以上、自分が実施した施策であると言っても良い。
幹部社員以上は一律10%、一般社員は一律5%の給与削減である。
20万円の給与であれば1万円引かれるということになるが、このインパクトは相当大きなものだ。
こればかりは、どう説明を求められても、従業員に納得感のある説明をすることなどできない。
その施策が実施された時、各部門長や職長は次々に私のところに来て激しい罵倒をしていくようになった。
中には、
「社長の給料はいくらか教えて下さい」
と要求するものも出始め、
「社長の給料を100万円減らせば、若手社員全員分くらいの給与は削減しないで済みますよね?やって下さいよ」と、返す言葉もない要求を出すものもいた。
一方で、経営トップの給与は既に、右から左で会社からの巨額の借入金返済に充てているのが実情であった。
その会社からの借入金は、会社の帳簿で処理をすればIPOの審査上好ましくないと言う判断で迂回させた、取引先に差し入れた「営業保証金」だったのだが、そんなことを説明しても無意味である。
経営トップ自身が言い訳をすることも、経営陣が経営トップを弁明することも、経営の失敗に対する従業員のクレームには何の役にも立たない。
ではこの時、給与の一律削減ではなく、どうするのが正解だったのだろうか。
状況は、例えば毎月のコストを少なくとも500万円圧縮する必要があると仮定してみたい。
そして、原材料費の切り詰めや従業員の自然退職を補充しない結果としての人員削減の結果として、200万円ほどは削減を達成した状態。
従業員の一律給与カットを行えば、さらに200万円が削減できる見通しという状況とする。
私は結果として、給与の一律削減をするくらいなら、思い切って施策として人員を削減し、どうしても現場が回らないのであれば、利益率の低い仕事から切ることで、事業を縮小させた方が遥かにマシであったと考えている。
そうすれば少なくとも、会社に残る従業員の給与には手をつける必要がなく、今以上に不満を極大化させることはない。
もちろん、仲間を失うことについて経営トップへの不信感は増大するかも知れないが、自身の給与を直接減らされるよりも明らかにマシだ。
突然解雇を言い渡すような、生活の基盤を失うようなやり方ではない限り、ダメージは最小に抑えられるだろう。
さらに想定できるのは、先述のように、製造現場の配置を再検討すれば、シフトの適正な組み立てで現行の仕事量には相当な対応ができる見通しも立っていたことだ。
後は、どの程度の正社員を削減しパートやアルバイトに置き換えるか、という見通しになるが、おそらく正社員の1割までは削減しても現行の仕事量に対応が可能で、2割まで削減しても、利益率の悪い一部の仕事を契約解除することで現場が回る見通しもついていた。
同じ工業製品とは言え、ロットの大小で契約単価はやはり異なることがある。
であればこの際、ロットが大きい上に契約単価も高めの仕事を残し、ロットが小さく契約単価の安い仕事は切るのがセオリーだ。
もちろんこの際、ただ単に契約解除を申し入れることはしない。
まずは契約単価の見直しを要請し、大きなロットで仕事を出すか、あるいは小口ロットにかかる手間に見合った契約単価の再契約を打診する。
それでもダメなら、残念ながら契約は打ち切りと言う段取りだ。
そしてこの際、やはりやって見るもので、複数の契約先からは契約単価の引き上げを確保し、一部の仕事について利益率の向上を達成できた。
このような段取りを同時並行で進めていたものの、結局経営トップは、一部のラインで数字が改善したこともあって、従業員のカットには踏み切らずに、給与の一律カットを選んだのは既述のとおりだ。
その際に経営トップが説明した理由は、
「業績が回復してより多くの社員が必要になった時に、容易に取り戻すことはできない。減らした分は多めに戻せば理解が得られる。」
というものであった。
死にかけている時に金持ちになった時のことを妄想しても仕方がないと思うが、それもまた経営トップの判断だ。
一律カットに相当する人員の整理をすべきだと主張したが、最後まで受け入れられることはなく、その結果起きたことは先に述べたとおりである。
そして必要な社員から、一人また一人と会社を去っていき、会社は非常に大きなダメージを受けた。
さらにもう一つ、苦しくとも絶対に採用してはならない施策がある。
大企業などで仕事に精通していたという触れ込みの人材を、いきなり責任者クラスで採用することだ。
いろいろな意味で、或いはこちらの方がダメージが大きいかもしれない。
もちろん、本当に仕事に精通して人間的にも尊敬できる人であれば全く問題はないだろう。
しかし、冷静に考えても見て欲しい。
大企業で仕事に精通し、結果も残していた尊敬される人物が、本当に離職して不安定な中小ベンチャー企業に就職してくれるだろうか。
概して、安定した大企業を捨て中小企業に転じようとする人は、仕事ができなかったか、人間的に問題があるか、メンタルが弱いか、もしくはそのいくつかを持ち合わせている可能性が高い。
もちろん、これらに何の問題もないが大企業の組織文化についていけず、のんびりした中小企業でマイペースで仕事したい、という人もいるだろう。
だがそのような人物であれば、死にかけている中小ベンチャーで業績立て直しの旗振り役などできない。
つまり、いきなり組織のリーダーに据えると、何らかの問題を起こす可能性が高い人物ということである。
にもかかわらず、中小ベンチャー企業の経営者は時に、
「大企業で100人以上をマネジメントした経験がある」
「1億円以上のプロジェクトリーダー経験がある」
「一部上場企業で部長職の経験がある」
など、愚にもつかない条件で人材を募集し、あろう事か部下を付け、何らかの仕事の責任者に据えようとする。
繰り返すが、こんなピカピカのキャリアがあるのに、長い目で見れば条件が悪い中小企業に来るのは特殊な事情があると考えるべきだ。
もちろん、事業に惹かれた、経営トップに可能性を感じた、というキレイな理由を言う人もいるだろう。
だが自分が大企業のエリートであったと考えて欲しい。
僅か数回しか会ったことがない経営トップを尊敬し、その事業の将来性に夢を見たりするだろうか。
正直、「仕事はできますが空気が読めないので部下を持ちたくないので転職を考えています」などと、正直に申告をする人材のほうが余程信頼し、採用することができる。
にも関わらず、苦しい状況に陥った経営者は、外部からこのような「専門家」を連れてきて、製造部長や営業部長を任せて大失敗する。
ここで一つ、陸上自衛隊の幹部が必ず修養すべしとされる、リーダーシップ論をご紹介したい。
それによると、組織を率いるリーダーが、部下から信頼される条件は3つ。
「仕事に精通し、部下の力になる」
「誠実・公正に部下に対応する」
「オープンで率直である」
反対に信頼されないリーダーの条件は
「事なかれ主義で頼りない」
「部下の尊厳を傷つける」
「保身と出世しか考えていない」
というものだ。
大企業でマネジメントを経験したような、あるいは優れた技術を持っていたからと言って、突然経営的に厳しい環境に連れてこられた人物が、新しい環境の新しい仕事に精通するのは極めて困難だ。
もちろん、部下の力になることもできず、誠実で公正な仕事ぶりも見せることはできないだろう。
そんな状況では、自らの力量の無さを何とかして取り繕うので、オープンで率直な態度も取れない。
そしてこのような人物は得てして、大企業でのやり方が染み付いており自ら考え行動するベンチャーの基本姿勢が身についていない。
すなわち、冒険することも自分で判断することもないので、事なかれ主義となり頼りないリーダーになる。
もっとも問題なのは、自分が大企業で役職者であったというだけで部下からの尊敬を得られると勘違いし、上から目線で仕事の指示を出し舐めた態度を取り、部下の尊厳を傷つけ、しかもその事実に気が付かないことだ。
私がこのベンチャー企業で経営の立て直しにあたった際に、経営トップが外部から連れてきた幹部の多くがこの要件を満たしており、組織は荒れに荒れた。
そして、大手証券系の株主から取締役会の最中に厳しく結果責任を追求されると、そのうちの一人は、
「責任を取って辞めたらいいんだろう!」
と、机を叩いて出ていってしまい、二度と帰って来ないという子供じみた態度を最後に会社を去った。
会社を窮地から救う、部門長クラスの仕事ができるものを採用できることなど、宝くじを買うようなものである。
余程の確信がある人事であるならともかく、このような幻想に逃げてはならない。
従業員満足を高める上でもっとも大事なこと
最後に、従業員満足を高める上でもっとも大事なことについて考えたい。
先の見えない中小ベンチャー企業で働く従業員の幸せとは、一体何だろうか、ということだ。
その前に、そもそもなぜ従業員満足を高める必要があるのだろうか。
率直に言って、会社の目的は究極的には利益を上げることだ。
社会貢献も顧客への奉仕も、その全ては利益に繋がって初めて考えられることであり、利益に繋がらない慈善事業は企業が取り組むべきタスクではない。
つまり、従業員満足を高めるのは、最終的に利益を上げるためであって、利益を上げていない会社に従業員満足はありえない。
従業員満足の向上は、会社の利益に直接結びつくものでなくてはならない。
そんな考え方を、非常に見事な経営手腕で実現した経営者がアメリカにいる。
全米最悪の航空会社と言われたコンチネンタル航空を立て直した、同社のゴードン・ベスーン元CEOだ。
1994年、10年間で10人も経営トップの首をすげ替えていたコンチネンタル航空の経営は、極めて深刻な危機に陥っていた。
株価はわずか3ドル程度で、新たに就任したCEOが実施する施策と言えば解雇と賃金カットばかり。
当然、従業員のやる気は地に落ちて、飛行機は定時に飛ばず全米最悪の定時到着率。
預けた荷物はすぐに無くなり、全米最悪の荷物亡失率。
顧客の満足度は極めて低く、利用者10万人あたりのクレームは全米最悪という惨状を呈していた。
この状況で経営トップに就任したゴードンが最初に着手したことといえば、お決まりの賃金カット・・・ではなかった。
まずは、やはり既存の戦力で顧客満足度を高めることができるための体制を作ること。
すなわち、不採算路線の徹底的な廃止である。
負け癖がつき、惨めなオペレーションがさらに従業員の就労意欲を削ぐという、完全に負のスパイラルに陥っていた状況を、まずは身の丈に応じた規模に縮小しようというのである。
そしてゴードンは、「Go-Forward plan」と呼ばれる従業員へのマニフェストを発表。
その内容は要旨、従業員が成果を上げれば、その分を必ず賃金で還元することを固く約束するものであった。
さらにその「成果」は、経営陣の解釈によってどうにでもできるものではない。
すでに経営陣に対する信頼感など完全に崩壊している中で、彼が採用したのは、「定時発着率」「荷物亡失率」など、顧客が航空会社を選ぶ上でもっとも大事にする、客観的な指標の改善だ。
これを「全米5位以内」という低めのハードルを設置し、これを実現できれば職位に応じた特別ボーナスを支給することを約束した。
これまで、散々に賃金をカットされ続けてきた従業員たちだ。
この、「特別ボーナス」などというありえないことを提案する、少し様子が違う新しいCEOには僅かに信頼を傾け、そして少しばかり、それら指標の実現に一人ひとりが努力を始めた。
その結果、会社におきた変革は、もはや全米にとどまらず、全世界の経営者にとって信じがたい奇跡となって、今も語り継がれるに至っている。
すなわち、あらゆる客観的な指標が次々に改善し、たった1年後の1995年には単年度黒字を達成。
さらにその翌年の1996年には、主要な指標で全米1位を獲得して、「エアライン・オブ・ジ・ヤー」を獲得するに至った。
この際に彼が採った施策の柱は、単純な指標の改善ということではない。
それは結果としてのツールの一つであり、その本質は、経営とは従業員一人ひとりと経営陣との信頼関係がなくては成り立たないというものだ。
そして経営とは従業員一人ひとりのオペレーションの延長にあるものであり、会社も利益も、従業員あってこそという意識を肌感覚で、全従業員に伝えること。
それを本当にやり遂げてしまったことが、彼の成功の要因であった。
何のことはない、従業員も経営者と同じ感性を持つ人間であるということである。
経営者にとっての醍醐味とは、自身が信じる価値観が世の中で評価され、顧客の支持を得て、その結果として利益が上がることだ。
自分が信じた考え方や新しい提案を顧客が次々に支持し、事業を通して社会に貢献し、顧客の笑顔と感謝を得られる。
そのおもしろさにドハマリしてしまうので、経営者は土日祝日というつまらない休みなど取らずに、24時間365日仕事のことばかり考え続ける。
まるで、どうやってお客さんを喜ばせようかと、誕生日のサプライズパーティーを企画する子供のようなものだ。
そして多くの経営者は、そんな肌感覚を従業員とシェアすることを半ば諦めている。
なぜなら、自分の夢や価値観など、従業員はもちろん、並大抵の幹部社員でも早々興味があるものではなく、仕事に対しておもしろいという肌感覚を持つものなどいないということを知っているからだ。
だから経営者は孤独であり、おもしろいことも辛いことも一人で享受するか、同じような経営者仲間とつるんで盛り上がろうとする。
しかしゴードンは違った。
彼は、経営のおもしろさを従業員の各レベルでも理解できるように、オペレーションをブレイクダウンし、その成果を可視化することにしたのがその成功の最大の理由だ。
さらに報酬に直結させ、成果が会社を大きくするという経営者体験を余すこと無く従業員とシェアした。
その結果、従業員一人ひとりがそれぞれのポジションで、経営陣と同じようなチャレンジとわかりやすい成果、さらに果実を得ることになったわけだ。
これで会社が大きくならないわけがないだろう。
この話の要諦は、経営者が会社を経営する中で楽しいと思う感性を、従業員ともシェアしようという経営トップの度量の大きさにある。
その一つの方法として、たまたま各種指標の改善と、その結果としての顧客満足の向上、それが利益につながるという構造を従業員に体験させたということだ。
それぞれの会社で、それぞれの事業構造の中でその考え方を汲んだ上で、参考にして欲しい。
その上で、私は大昔から、ストックオプションというものに極めて否定的だ。
もちろん、ストックオプションの意味するところを理解している役員クラスの人間には、一定程度有効かもしれないが、それもせいぜいCFOくらいであろう。
なぜなら、自社の経営状況がどの程度の株価形成に繋がり、IPOの出口においてどの程度のキャピタルゲインになる可能性があるのか。
そんなことを定量的に理解し肌感覚でやる気にできる存在は、CFOだけである。
どれだけ言葉を尽くして説明しても、従業員にとっては
「景品でもらった宝くじ」
のポジションであり、あたることなど全くあてにしていない。
しかも、抽選日は未定なのだから、こんなものを鼻人参にされて誰が一生懸命仕事に取り組むだろうか。
むしろ、ステークホルダーからは潜在株として嫌がられ、株価形成に悪い影響しかない上に、資本政策上も不確定要因になるだけである。
そしてその結果、会社が大きくなる中でもしIPOを達成した場合、入社時期が異なるだけで職務内容に大きな差はないのに、相当大きな報酬格差が発生するのである。
場合によっては、IPOを達成したことで数千万円にもなる報酬を得た従業員のわずか3ヶ月後に入社した社員が、IPOによる何の恩恵も受けられないということもあるだろう。
これでは、人が持つもっとも負のエネルギーの強い「妬み」の感情により、組織運営に悪影響を及ぼすことにもなりかねない。
従業員のモチベーションアップにも繋がらず、会社経営をともに楽しむ上での一体感も得られないストックオプションなど、決して採用するべきではない。
では、エクイティで従業員満足を図ることは全くの無駄なことなのか。
もちろんその施策を全否定するわけではない。
ちなみに、従業員持株会の導入を何となく考えている経営者がいれば再考して頂きたいのは、従業員持株会は給与からお金を引き落とし資金をプールしても、株が割り当てられない限りただの利息がつかない貯金である。
従業員にはまったくストックが割り当てられず、曖昧なモチベーションアップにしかならないので注意して欲しい。
ストックオプションもしくは潜在株や従業員持株会という曖昧なものを導入するくらいなら、従業員に直接株式を持たせたほうが余程効果が期待できるだろう。
従業員の方も、経営の成果がダイレクトに利益になる上に、リスクも小さいので喜んで株式を買うものが多い。
さらに、入社時期によってもちろん、未上場とは言え株価の評価は変わるので、先に入社したものとの差は納得感のある形での受益の差額ということになる。
結局のところ、これもゴードン・ベスーンよりはダイレクトではないといはいえ、従業員の経営参加である。
会社経営の楽しさを、僅かでも従業員とシェアしようと言う経営者のチャレンジだ。
経営者は、確かに従業員はもとより、幹部社員とですら、意識が余りにも違いすぎて、経営的な感覚をシェアすることを諦める事が多い。
しかし、これらの事例はもしかしたら、経営者であるあなた自身の力不足を示しているのではないだろうか。
従業員が経営者と同じ感覚で会社を捉えることができれば、あるいはそれぞれの立場で責任と成果をシェアできたら。
究極の従業員満足に繋がり、そしてそれは会社の業績に直結するような気がしないだろうか。
是非一度、それぞれの立場でできることを考えてもらえれば幸いだ。