「いい上司」になるための唯一、絶対の条件とは。

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久しぶりに、学生時代の友人に再会した。
彼は今、医師をやっており、忙しい日々を送っている。

飲んでいるうちに、自然に仕事の話になったが、医師の現場の話はなかなか聞く機会がないので、興味深い話が連なる。

「病院のレベルは、医師よりもむしろ、設備で決まる」
とか、
「地方の病院だと、治療のガイドラインがアップデートされていないので、適切な治療がなされていないかも」
とか、
「皆保険制度は、実は金持ち優遇制度だ。」
とか、普段は聞けないような話題は興味をそそった。

そんな中、特に興味をひいたのが「いい先生だけど、いい上司ではない。」という話だ。

「どういうこと?」と聞く。
「そのまんま。いい先生だけど、いい上司ではない医師って、いるんだよ。」
「もっと詳しく」
「患者さんや看護師さんからの評判はめちゃめちゃいいのに、部下に対してはとても厳しい人がいる。」
「へえ」
「「医者を紹介して」って言われたら、絶対その人を紹介するけど、「職を紹介して」って言われたら、その人のところは多分紹介しない。」
「なるほどー。」
「怒鳴ったり、暴力とかはもちろんないんだけど、部下を詰めるんだよ、冷静に。何も言い返せないくらい。」
「……。」

*****

私も昔一緒に働いた人で、そのような人がいた覚えがある。

その人はクライアント先の部長だった。
良く仕事ができる人で、礼儀正しく、社外の私に対しても非常に親切に接してくれた。

ところが、プロジェクトの途中で参加した飲み会において、その人の噂話は私の認識と大きく異なるものだった。
「高圧的」
「厳しすぎる」
「要求が多すぎる」
……

皆、はっきりとは言わないものの、言葉の端々から、部長への根深い嫌悪感がわかる。

私はメンバーの一人に尋ねた。
「そんなに厳しい人なんですか。」
「んー、そうだね……ちょっと人間的にね……。」
「意外です。すごく親切な人かと思っていました。」
「ああ……、部長、お客さんとか取引先、あと上には、評判いいんだよね。厳しいのは部下に対してだけ。」
「……」
「なんでですかね。」
「さあ。」

私は事実を確かめるため、その後、様々な機会に彼を観察した。
すると確かに、彼はミスを繰り返す部下や新人に対しては非常に強い態度で接していた。

特に、彼の主催する会議においては、非常に部下に厳しかった。

「こんなこともわからないのか。恥ずかしいと思わないのか」
「すみません……。」
「前に、同じミスを繰り返すなと言ったはずだな。」
「……。」
「もういい。君には担当を外れてもらう。」
「申し訳ありません……。」

もちろん彼は、内弁慶、ということではない。
「外面だけがいいやつ」という言葉で片付けられないところが、この問題を難しくしていた。

実力はある。ただ、人への優しさがない。
そんな人なのかもしれない、と思った。

*****

そして、そのクライアントとの仕事は終りを迎え、私は部長と最後にサシで飲みに行くことになった。

その時、私の中での彼への評価は
「良く仕事ができる人で、礼儀正しく、社外の人には親切、だが上司としては人望がない人」
に変わっていた。

居酒屋で席に着くと、私は彼から厚く礼を言われた。
そして、彼は「会社の将来像」について語り始めた。

「ビジョンを実現したい」
「うちの会社は、まだまだ可能性がある」

そんな話を、彼は語った。

そして最後に、部長は私にいった。
「うちに来ないか」

彼が本気だったのかどうかは、今でもよくわからない。
だが、仕事にかける熱意が本気であることはよくわかった。

私は、ちょっとずるいと思ったが、彼に回答をせず、質問をした。

「ご自身でわかっておられると思いますが、なぜ、部長は部下から「厳しすぎる」と言われているのですか。我々外部の人間や、お客さんからはとても評判が良いのに不思議でした。」

部長は、一息ついていった。

「お客さんや、外部の人に対しては、私は「育成」の責任がないからね。」
「育成の責任……。」
「そうです。我々の業界はとてもシビアですからね。大きなお金を預かりますし、時に人の命がかかっていることもある。そんな世界で、簡単にミスをしてヘラヘラしている部下には、キツく言うしかない。」
「しかし、部長は人望を失ってもよいのでしょうか。」
「わかっている人にはわかっていると思います。現に、社長は私を理解してくれている。」

*****

ピーター・ドラッカーが「マネジャーの資質」として掲げている唯一のものは、「真摯さ」である。

マネジャーは、人という特殊な資源とともに仕事をする。

人は、ともに働く者に特別の資質を要求する。人を管理する能力、議長役や面接の能力を学ぶことはできる。管理体制、昇進制度、報奨制度を通じて人材開発に有効な方策を講ずることもできる。

だがそれだけでは十分ではない。根本的な資質が必要である。真摯さである。

最近は、愛想よくすること、人を助けること、人づきあいをよくすることが、マネジャーの資質として重視されている。そのようなことで十分なはずがない。

事実、うまくいっている組織には、必ず一人は、手をとって助けもせず、人づきあいもよくないボスがいる。この種のボスは、とっつきにくく気難しく、わがままなくせに、しばしばしばしば誰よりも多くの人を育てる。

好かれている者よりも尊敬を集める。一流の仕事を要求し、自らにも要求する。基準を高く定め、それを守ることを期待する。何が正しいかだけを考え、誰が正しいかを考えない。真摯さよりも知的な能力を評価したりはしない。

このような資質を欠く者は、いかに愛想がよく、助けになり、人づきあいがよかろうと、またいかに有能であって聡明であろうと危険である。そのような者は、マネジャーとしても、紳士としても失格である。

出典:ピーター・F・ドラッカー、 上田 惇生――マネジメント[エッセンシャル版] – 基本と原則(ダイヤモンド社)

顧客や外部の人間、仕事ぶりは嘘をつかない。

そして、私は部長からの返答を聞き、この成果をあげ続ける部長に「真摯さ」を確かに見た。

最近は「厳しい上司」に対する風当たりが強い。
確かに、保身に走るような、酷い上司も多いのだろう。
真摯に成果を追求しているにもかかわらず「パワハラ上司」などとレッテルを貼られてしまい、風見鶏のような「日和見上司」と一緒にされてしまうことすらある。

だが、本来「一流」を育てる人は、ほとんどの場合厳しい。
普通の人ができないことをやらせようとするならば、当然のごとく、要求水準も高いからだ。

私はそれ以来、その上司の良し悪しを判断する場合、

「部下の意見」
「お客さんの意見」
「経営層の意見」
「協力会社など、外部の意見」
をすべて聞いた上で、
「真摯さ」を基準に良し悪しを判断するようになった。

部下の好き嫌いも、上司からの受けの良し悪しも、一面的な情報にすぎない。

インターネットには、様々な会社への恨み節が並ぶ。

もちろん発言は勝手だし、事実のひとつの側面を表しているのだろう。

だが、その殆どは、実体とはおそらく異なる、聞くに値しないものであることを、私は知っている。

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