今を生きる経営者必見!会社組織のあり方~敗戦分析で見える真実~

今を生きる経営者必見!会社組織のあり方~敗戦分析で見える真実~
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先の大戦を振り返る時、
「空母主力の時代にあって、大艦巨砲主義にこだわった愚かな日本軍は時代を読めずに惨敗した」
というステレオタイプの意見を信じる人は今も多い。もしあなたが経営者であり、同様にこのような俗説を信じているとすれば、あなたの会社は残念ながらかなり危ういだろう。
なぜか。それはあなたが以下の5つのような特徴を持っているからだ。

  1. 出所不明の一見もっともらしい意見を信じやすい
  2. 事実を追求する姿勢に欠け、疑問点を潰そうとしない
  3. 歴史や過去の経験に学ぶ意志がなく、少なくともこれまでまともに興味を持ったことがない
  4. 義務教育という極めて稚拙な学習の場で身につけたことを真実だと思い込み、今に至る
  5. そもそも頭が悪い

ひとつひとつ説明したい。

1.出所不明の一見もっともらしい意見を信じやすい
まず1つめだが、この説明は簡単だ。
単純に事実に反するからであり、むしろ事実はその逆だからだ。

2.事実を追求する姿勢に欠け、疑問点を潰そうとしない
根拠も示さずただ説明を受けただけで盲信するような経営者が、まともな経営判断が出来るわけがない。
きっと営業部長が「営業は順調です」と説明すれば、詳しい説明を聞くまでもなく上機嫌で「ご苦労さん」と言ってしまう社長かもしれない。
定量的・定性的な根拠のない説明を信じるような経営者の会社が長続きするとは思えない。

3.歴史や過去の経験に学ぶ意志がなく、少なくともこれまでまともに興味を持ったことがない
人間の一生は短い。
失敗に学び人は大きくなるという人もいるが、それは自分の判断が致命傷になることがない学生や若手の話だ。
経営判断のリスクを少しでも下げ、求める成果を最短距離で得たいと思う経営者であれば、先人の失敗や組織マネジメント、ことに失敗すれば生命に関わる軍事組織のマネジメントから学べることは多いはずだ。
日本軍には致命的でどうしようもない失敗、とりわけ組織マネジメントの失敗が顕著に見られるが、このようなことに興味がないというのであれば、あなたの会社の社員は不幸である。
なぜなら、社長自身が「人は失敗から学ぶ」と考えており、いつ死ぬかわからないのだから。

4.義務教育という極めて稚拙な学習の場で身につけたことを真実だと思い込み、今に至る
おそらく「大艦巨砲主義で惨敗した」というステレオタイプの考え方は、義務教育の現場で刷り込まれたものであろう。
公刊「戦史叢書」などのような客観的事実を底本にしているまともな近代史の本であれば、このような記述を見かけることはあり得ないからだ。
このような考え方は、筆者の中学生時代にも何度も社会科の教師から授業を受けた記憶があるが、主に1980年代の「左派系知識人」全盛時代に教師が好んで用いた説明であって、このように信じる世代が大量生産された理由ではないだろうか。
それに故に、当時の記憶を未だに真実として守り続けているのであれば、ある意味でキレイな心の持ち主とも言える。

5.そもそも頭が悪い
この説明も簡単である。
単純に事実検証を行う想像力が欠如しており、非現実的な説明すら鵜呑みにする相当危うい事実認識能力の持ち主だからだ。
軍事組織は極めて保守的な本能を持っており、新しい考え方や論理を嫌う。
実績のない未知数なやり方の採用は直ちに人命の喪失に繋がり国を失う原因となるからであり、そのため、戦場で実際に証明されたことには直ちに飛びつくが、証明されていないことの採用の可能性は0であると言っても良い。
そのような、少し考えればわかる常識がある中で、太平洋戦争開戦時が航空機・空母全盛時代であったと本気で信じている人は、かなり知性の乏しい人であると言えるだろう。

なお同様に、「日本軍は竹槍で空を突き、B29 を落とそうとした」
という話もよく聞くネタだ。
日本本土に不時着した米軍爆撃機の兵士を制圧する術として、日本各地にある町内会の婦人組織が竹槍教練を行ったという事実は確かに記録がある。
拳銃で武装し抵抗するアメリカ軍兵士に対し、留守にある婦女子が家族を守るための最低限の護身術を教えようとしたものだが、なぜかこれが「日本人は爆撃機を竹槍で突き、落とそうとした」という荒唐無稽な話として戦後、喧伝されるようになった。

あるいは、愛国心に溢れ国民を戦争に駆り立て勇気づけていた朝日新聞あたりが、戦時中、「婦人部の竹槍は爆撃機をも落とす」というような勇ましい見出しを付けて報道した新聞記事あたりを戦後引用し、
「日本人はこんなに愚かだった」
というプロパガンダに利用されたのであろうか。
マッチポンプも甚だしいが、いずれにせよ竹槍で爆撃機を落とそうとした軍事教練が日本で行われた記録の存在は、寡聞にして知らない。

だが率直に言って、この手の話を少しでも信じたことがある人は、同様に事実に対する想像力があまりにも欠如している。
70年前の世代といえば自分の祖父母かその1世代前の世代だが、自分の祖父母はここまで頭が悪いと思える個人的な環境があったのであれば同情するものの、おそらく頭が悪いのは祖父母ではなく自分の方だと疑うべきであろう。

その上で、では事実はどこにあるのか。
日本軍はなぜ太平洋戦争に敗れ国を失うことになったのか。

その本当の原因を突き詰め、歴史から事実を学ぼうとすると、
「誇らしい日本人の近現代史」と、「余りにも酷すぎる日本人の組織マネジメント」の実態が見えてくる。
そしてその組織マネジメントの失敗は驚くほど、今の時代に通じる教訓にあふれている。

今回は、そのような切り口で、日本人の「組織マネジメントの失敗」を解説してみたい。

INDEX
定説「空母主力の時代にあって、大艦巨砲主義にこだわった愚かな日本軍は時代を読めずに惨敗した」の真実
日本軍の組織マネジメントと戦闘術の評価
敗戦から学ぶ組織マネジメント

定説「空母主力の時代にあって、大艦巨砲主義にこだわった愚かな日本軍は時代を読めずに惨敗した」の真実

論を進める前に、
「空母主力の時代にあって、大艦巨砲主義にこだわった愚かな日本軍は時代を読めずに惨敗した」
という「定説」について、まず客観的事実を検証してみたい。

・日本は空母について無知であったのか
航空機という新しい戦力の登場には当時の列強各国が注目し、上空からの敵情視察といった偵察業務を中心として、その黎明期から積極的に採用されてきた事実がある。
その一方で、空母について積極的に採用を検討した国は、3カ国を除いて当初世界には存在しなかったと言っていい。
イギリス、アメリカ、そして日本だ。
なぜか。

当時も今も先進国といえばヨーロッパ、アメリカ、そして日本であり、列強といえばドイツやフランスなどの欧州各国とソ連、イギリス、アメリカ、そして日本といったところであった。
そのなかで激しく戦争を繰り返していたのはイギリスを除く欧州各国とソ連であり、これら地続きの国同士の戦争に空母など必要であるはずもなく、まともな検討すらされなかったのは当然であろう。
代わりにこれらの大陸国家では開発競争で戦車の性能がインフレ化するのだが、それは別に譲る。

仮想敵国が海の向こうにいるイギリス、アメリカ、日本の3カ国だけがこの兵器の開発に取り組むのは当たり前であると言えるが、その上でアメリカは当初、空母の可能性に否定的であり、導入に積極的ではなかった。

イギリスについては日本と同様、研究を進めたが、イギリスの戦争スタイルは、
「他国にリスクを取らせて検証し、上手く行けば採用する」
という方式だ。

当時の日本とイギリスはまだ日英同盟が有効であった時代。
いろいろな事情があり空母開発に熱心であった日本にイギリスは積極的に協力し(=予算を使わせリスクを取らせ)、結果として日本は世界初の正規空母「鳳翔」を就航、戦力化することに成功した。

大正10年(1921年)のことであり、公試排水量約10000tの正規空母であった。
排水量10000tといえば海上自衛隊最大の輸送艦である「おおすみ型」よりも更に巨大な艦であり、今現在港で見かけても見上げるような巨艦である。

それ以前にも日本は、「水上機母艦」と呼ばれる空母の前身のような船と、海面離着水方式の水上航空機を採用し第1次世界大戦に実戦投入し、ドイツの植民地基地攻撃にも水上航空機を参加させているが、それを進化させ、文字通り航空機の離発着の拠点となりうる専用艦種の就役と戦力化に成功した。

繰り返すが、これは世界初のことであった。
日本は空母に無知であったというよりもむしろ、空母の必要性を感じていた数少ない国の1つであり、実際に世界に先駆けて戦力化した国である、という評価が妥当であろう。

・なぜ大胆な新戦力の採用と兵器改革ができたのか
それではなぜ、保守的な軍事組織においてこのように革命的とも言える開発が可能であったのだろうか。
それは当時の日本人が柔軟な発想力と先見の明があったからである、と言いたいところだが、残念ながらそのような要素は、客観的な事実からは一切見当たらない。
現代を生きる私たち日本人に置き換えて想像してもらいたいが、往々にして日本人の組織は保守的だ。
新しいことを嫌い、変化を好まず、居心地の良い空間を守り続けようとする。

もちろんその先にあるものは衰退であり、組織の崩壊だが、シャープがそうであったように、日本人は組織の崩壊間際であっても、なお何とかしてこれまでの居心地の良い環境を死守しようと条件交渉を重ねる。
そのような日本人的組織が大胆な自己変革を出来た事例は数少ないが、その代表的な事例がこの「空母の戦力化」と言えるだろう。
そしてその原動力となったのは「外圧」であり、「そうしなければ死ぬ」という単純な理由であった。

どういうことか。

当時の国際情勢の中で、「戦略兵器」といえば戦艦であり、巨大な戦艦を数多く持っている国が太平洋と大西洋の制海権、すなわち世界の海の覇権を握ることができた。
今で言う核軍縮にも相当する軍事大国間の条約といえば戦艦の保有制限であり、そして1922年(大正11年)、日本は主に米英相手に戦艦の保有総量を制限する「ワシントン海軍軍縮条約」を締結する。
この条約では、米英が保有できる戦艦の総トン数が50万トンと規定されたのに対し日本は30万トン。

対米英6割であり、これは海軍主力である戦艦同士の砲戦では勝負にならないほどの戦力差となる条件だが、外交交渉の中で呑まざるをえないものであった。
ただ、当時米英の国力・工業力は日本の比ではなく、軍縮条約を結ぶこと無く軍拡競争を続けていれば対米英60%どころか、米英は対日比で2~3倍の戦艦を保有するのも可能なほどの国力を有していた。
その意味では、対米英60%の条約を勝ち取ったとも評価できる側面も持っている。

とはいえ、仮想敵国となりつつある対米英相手に戦争にならない戦力に制限されたのも事実であり、軍事バランスの均衡を保つため、追い込まれた日本が採るべき道は一つ。
条約の制限を受けない「誰も注目をしていない、奇抜な兵器」の戦力化であった。
正確には、ワシントン海軍軍縮条約では空母の保有数も制限していたのだが、当時はまだ日本が世界初の正規空母「鳳翔」を就役させて1年であり、空母などまともに制限されていなかった時代で、実効性のある制限を受けていなかったという背景がある。

このような中で日本は、どうしようもなく、空母鳳翔で積み上げたノウハウを発展させ空母の数を揃え、戦艦戦力を削り取られた穴埋めとして、航空戦力を何とかして戦力化できないかを真剣に検討することになった。
ある意味で弱者の戦略の見本とも言える戦い方であろう。

王道の戦いでは間違いなく負ける環境に追い込まれた中で、どうすれば敵に勝つことが出来るのか。
王者は王道の戦い方を貫き、定石通りに戦い、弱者を粉砕するだけだが、弱者は王道ではない戦い方に活路を求め、空母という全く実績のない兵器に国の未来を委ねた。
その結果生まれた戦い方が、「世界初の空母の集中運用」であり、真珠湾攻撃であった。
そして真珠湾攻撃の成功で、日本は世界で初めて空母を戦力化しただけでなく、世界で初めて航空機攻撃の対艦優位性を証明し、時代は戦艦ではなく空母であることを、結果として証明して見せた国となった。

・新しい戦い方
このような戦い方はもちろん一朝一夕に出来るものではなく、当時の日本海軍が空母と航空機搭乗員に課した訓練は極めて苛烈なものであった。
航空機から魚雷を発射し戦艦を沈め、あるいは爆弾を投下し戦艦に命中させ無力化するという発想は今の常識から考えれば有効な気がするかもしれないが、当時は魚雷も爆弾も無誘導の「落とすだけ」「投げるだけ」の兵器だ。
時速500kmを越えるような航空機で移動しながら、なおかつ海上を移動中の敵の戦艦に上空から爆弾を投下し当てるなど、常識で考えれば出来るはずがない。

出来ると思うなら、静止目標でいいのでビー玉を1個握り、2階の窓から地面にある同じ大きさくらいの石に自由落下でビー玉を当てることが出来るか、実験してみて欲しい。
1回や2回では、絶対に当たらない。
同様に、高速で移動する航空機から魚雷を投下し、移動中の戦艦を始めとした敵艦に無誘導で命中させるのも極めて困難な技術だ。

しかし日本軍はそれをやってのけたわけだが、なぜできたのか。
それは人間の限界を超えるほどの訓練を繰り返し、航空機搭乗員の練度を磨き、属人的な能力を超人的なレベルまで高めたからに他ならない。
言い換えれば、新しい戦い方が確立されようとしている時代に、日本軍は属人的な能力を磨くことで戦争に勝とうとした。

一方のアメリカ軍は、航空攻撃の有効性を嫌というほど、多くの犠牲と代償を払い思い知られたものの、今さら日本軍のような練度の高いパイロットを育てている時間など無い。
その中で、追い込まれた米軍はどういう戦い方を採用したのか。
それは、「練度の高いパイロットでなくても、誰にでも出来る戦い方で勝つ」方法の確立だ。
すなわち戦場のシステム化であり、特殊な能力を持つ人間を失うと計算が狂う戦いを進めるのではなく、少し訓練をすれば誰にでも出来る戦い方の確立であって、それを可能にする兵器の開発であった。

皮肉にも、航空機攻撃の優位性を世界に先駆けて証明した日本の戦い方からもっとも多くのことを学んだのはアメリカ軍であり、そして真珠湾攻撃の奇襲が大成功に終わったことで、属人的な戦い方の優位性が高いという間違った学習をしたのは日本軍となってしまった。
このあたりが、開戦準備から開戦にかけての日本と世界の軍事事情のざっとしたあらましであるが、

「空母主力の時代にあって、大艦巨砲主義にこだわった愚かな日本軍は時代を読めずに惨敗した」

という定説がデタラメであることを、少しはご理解頂けたであろうか。

 

日本軍の組織マネジメントと戦闘術の評価

日本軍の組織力と米軍の組織力。
双方の手の内と戦い方は定まったが、それでは日本軍の組織マネジメントと戦闘術は機能したのだろうか。
結論から言うと、おそらく多くの読者が想像する以上に、相当なレベルで機能した。

昭和16年12月(1941年12月)の開戦以来、用意周到に準備を進め、極めて練度が高く、なおかつ「航空機優勢」という時代の到来を結果として先読みした形となった日本軍は、アメリカ太平洋艦隊の戦艦を始めたとした艦隊群を次々に撃破する。
さらに、イギリス軍がアジアに派遣していた当時最新鋭の戦艦でアジア方面の旗艦であったプリンス・オブ・ウェールズと随伴艦のレパルスも、開戦からわずか2日で、驚くほどあっけなく撃沈してしまう。

この報告を受けた当時のイギリス首相チャーチルは、その後に著した回顧録の中で、

「第二次世界大戦の中で、この報告ほど私に衝撃を与えたものはなかった」

と振り返ったほどに、米英政府には言葉に出来ないほどの衝撃として受け止められたのが日本軍の新しい戦い方であり、太平洋戦争の開戦であった。
このような海軍の戦いに伴い制海権を広げた日本軍であったが、陸軍もまた手柄を競うように、南方方面へとその戦いの場を広げる。
そして開戦翌年の1942年6月までの半年間、無傷とも言える破竹の快進撃を進め、欧米列強の植民地であったアジアの国々からこれらの駐留軍を駆逐することに成功した。

この結果に、もはや日本が敗れるという状況はあり得ないとも信じられるほどの世論が形成されつつあったが、やがて軍部は、オーストラリアの北方にあるパプアニューギニアを制圧することで、豪州とアメリカを分断し「人質」に取ることで早期和平を模索する作戦に出ようとした。

一方のアメリカ軍は連戦連敗で、反抗の端緒すらつかめず米議会は大統領の責任を追求し始め、世論にも動揺が広がり、このままパプアニューギニアを失い豪州を人質に取られれば日本と和平せざるを得ない、という意見まで出始めるようになった。
その中で米軍は、動揺する世論を沈めるために軍事作戦上全く意味がない、それでいて戦争の帰趨を結果として大きく変えた「ドゥーリットル空襲」という作戦に打って出る。

詳細な説明は避けるが、この作戦はわかりやすくいえば、

「作戦に従事した軍人は死んでもいいから、日本各地に数発、何とかして爆弾を落として世論を沈めてくれ」

という作戦であり、離陸は可能だが着艦は不可能なB-25爆撃機を空母に載せ、日本近海まで運び、日本に何発か爆弾を落としそのまま中国大陸まで逃げ不時着するという、なんともお粗末な作戦を実行することになった。
逆に言えば、アメリカはそこまで追い込まれ、日本本土に一矢報いなければ世論を抑えられない程度まで、敗戦色が濃厚になりつつある世論が形成されていたと言える。

そしてこのドゥーリットル空襲は成功し、日本各地に軍事上はほとんど意味がない損害を出すが、とは言え機銃掃射で小学生女児が狙い撃ちにされ殺されるなど日本人を激昂させる結果をもたらし、日本海軍は世論の後押しを受け、米軍の空母を殲滅する作戦を立案し、実行することになる。
これが太平洋戦争のターニングポイントとなったミッドウェー海戦の勃発の端緒であるが、本論ではないので今回は説明を避ける。

ここまでがざっと、1941年12月から始まった太平洋戦争の、1942年6月までの開戦半年間の流れだが、日本的組織はもはや無敵とも言える成果を挙げ、日本の必勝は確実と信じられつつあった。
だが、その快進撃もここで終わる。

賢明な経営者であればすでに想像がついていると思うが、属人的な能力に便り、不眠不休の全力疾走で突っ走る戦術は、間違いなく最初は強い。
敵はフルマラソンのつもりで走っているのに、いきなり100m走のダッシュをかければ、見た目の差は最初、大きく開くだろう。
別の例えをすれば、ボクシングの世界戦で12R戦うつもりの相手に対しいきなり全力攻撃の怒涛のラッシュを仕掛けロープ際に追い込むことはできても、そんな戦い方が出来るのはせいぜい3Rくらいまでであろうか。

まして日本は体力(国力)がない。
最初の3R 、全力で突っ込み何度かいいパンチを当てたとしても、相手をKO(米本土占領)する方法が無いのだから、やがて回復し、体力と重いパンチに物を言わせたヘビー級のハードパンチャーは日本軍を捉え始めるだろう。

だからこそ日本は、全力で殴り掛かり巨人の足を払い、相手が倒れている隙に致命傷を与えようとしたのだが、属人的な能力で優位に戦いを進めてきた組織は、少しずつ熟練のパイロットや艦船搭乗員を失うことで、負の二次曲線的に能力を喪失していく。

一方のアメリカ軍はパイロットに特殊な能力など求めず、また多少攻撃が当たっても死なない航空機の開発を進め、操縦が容易でなおかつ防弾性能に優れた各種航空機を戦場に大量に投入し始めた。
言い換えれば、バイトのおばちゃんが明日からラインに入り作業ができるマニュアルを整備し、そしてそのノウハウが失われない(死なない)仕組みを作り上げたわけだ。

一方の日本軍は、航空機のエンジン性能が極めて脆弱であったこともあり、防弾性能に優れるような重量のある航空機は投入できないという事情があった。
それでも、何かの漫画で赤いモビルスーツに乗った人が、

「当たらなければどうということはない」

という名セリフを吐いたように、イチローやダルビッシュのような特殊能力を持ったベテランパイロットが米軍に立ち向かい、一部で善戦を続けるが、やがてこれら熟練パイロットが敵に機銃弾をまともに命中させても落とせない程に、アメリカ軍の航空機はチート化していく。
いくら白いモビルスーツの中の人であっても、ビームサーベルがまともに入っても跳ね返され、ライフルがまともに入っても効かないのであれば戦いようがない。
このようにして歴戦の強者たちは次々に墜ち、日本軍は急速に航空優勢の支配権を喪失していった。

日本軍は航空機の対艦優位性を世界で初めて証明し確立したものの、その戦術を徹底できず、またその思想を活かすだけの戦い方を確立できなかった。
一方で米軍は、航空優勢の現実に気がつくと直ちに空母の大量生産に着手。
同時に空母艦載機(航空機)も大量に生産し、僅かな訓練で誰でも戦闘に参加できる戦場のシステム化を進め、開戦から1年後には日本軍を圧倒し始めた。

出来る人間に依存する日本軍的な組織と、出来る人間に依存する仕組みを徹底的に排除するアメリカ軍的な組織。
経営者であるあなたは心から、

「俺(私)なら日本軍のような失敗はしないし、していない」

と、いい切れるだろうか。

 

敗戦から学ぶ組織マネジメント

さてここまで説明をすると、まるで日本は物量に劣るから負けたのであり、また航空機のエンジン性能が良ければ善戦できた可能性を感じる人がいるかもしれない。
確かにそれらは敗戦の大きな要因である上に、これらの条件が対等であれば別の戦い方もあっただろう。

しかし日本軍の戦い方は、仮に物量があり、航空機の性能で上回っていたとしても、長い目で見て組織マネジメントの拙劣さから必ず敗れた。
それほどまでに日本軍の組織マネジメントは酷く、本気で戦争を出来るような組織とは程遠いマネジメントが行われ、またそれを軌道修正するような仕組みも持たなかった事実がある。

一例を挙げたい。
日本海軍が破竹の快進撃を止められたのは1942年(昭和17年)6月。
ミッドウェー海戦での敗戦であり、この戦いに参加した日本海軍4隻の正規空母はその全てが米軍に撃沈され、熟練搭乗員と真珠湾以来の歴戦のパイロットを大量に失い、戦争のイニシアティブを失う局地戦の敗退となった。

この際、まともな軍事組織であれば敗戦の原因を分析し、また指揮命令系統の責任を明らかにし、敗戦から多くの教訓を得て、また敵の攻撃からも多くの情報を得て、反抗の手掛かりとするだろう。
そのようにして米軍は真珠湾を教訓とし、反撃体制を整えた。

一方の日本軍は、敗戦に関して事実調査を行わず、関係者の責任を明らかにせず、生き残りの水兵は呉海軍病院に軟禁し、敗退の事実を隠した。
なぜか。
敗退の原因を分析し指揮官の責任を明らかにすれば、その事実が明らかになり、海軍の立場と軍高官の立場を危うくするからだ。

どうせ次には勝てる。
勝って手柄を上げ、この失敗の責任を取ればいいじゃないか。
そのようにして負け戦の原因は明らかにされず、拙劣な戦争指導は繰り返されることになった。

なお、この海軍のターニングポイントとなったミッドウェー海戦では、空母機動部隊(航空主力)の指揮を執ったのは、なぜか水雷屋(艦船からの魚雷攻撃)出身の南雲忠一であった。

同じ艦隊内には航空畑出身の指揮官有資格者である高級将校もいたのが、これら専門畑出身の将校ではなく、航空攻撃には全く知見がない南雲が指揮官に就任し、結果として最悪の惨敗を招いている。
なぜそのようなことが起こり得たのだろうか。

それは、日本海軍の「ハンモックナンバー制度」と呼ばれる人事ルールのためであった。

すなわち作戦行動においての指揮命令系統の決め方は海軍兵学校の卒業年次によって決定され、卒業年次が同じであれば卒業時の成績で上席が決まるというルールである。
噛み砕いて言うと、作戦指揮官は専門知識や実績ではなくどちらが先輩かで決まり、同期であれば何十年も前に卒業した海軍兵学校の卒業時の成績順で決められるというものだ。

冗談ではない、本当に存在したルールだ。
そして水雷屋の指揮のもとでミッドウェー海戦に臨んだ日本の4隻の空母は、圧倒的に優勢な戦力で戦いに臨んだにも関わらず、1隻残らず海の底に沈められた。

なんとも脱力しか感じない酷い結果だが、一方でこれは、日本が自滅したからなのであろうか。
そこでこの際、相手方であるアメリカ軍の組織マネジメントも見てみたい。

この時のアメリカ軍は、正確には21世紀の今も同じであるが、極めてユニークな他国では余り見られない人事制度をもっており、今も同様の制度が続いている。
それは、平時の軍事組織の階級には少将までしか存在せず、中将や大将といった階級は作戦行動のたびに、特に任命されるという制度だ。

会社組織に例えれば、どれだけ優秀な人間であっても昇進は取締役までしかない。

一方で、プロジェクトを立ち上げる時には株主総会(取締役会)を開き、そのプロジェクトに最も適した取締役を常務取締役(中将)、または専務取締役(大将)に任命し、必要に応じ他の取締役を全て配下に収め、作戦遂行のためにベストと思われる選択を行い、結果を追求する。
そしてプロジェクトが終わるとまた役付き役員を解任され、取締役(少将)に戻り、別のプロジェクトでは別に選任された常務や専務の指揮下に入る。
いうまでもなく、そこに先輩後輩といった選考条件はなく、学生時代のペーパーテストを倉庫から引っ張り出してきて答案用紙を見比べるようなこともない。

アメリカ軍はこのように、優れた軍人を少将までは昇進させるものの、あとは適材適所で仕事に当たらせるのみだ。
繰り返すが、決して、先輩後輩、学生時代の成績順などと言った仕事の成果を追求する上で意味のない尺度で指揮官を選んだりはしない。

自分はそんなバカげたマネジメントはしないと、おそらく多くの経営者が考えるだろう。
しかし、あなたの会社には本当に、能力本位の部長しかいないだろうか。

本当は優れた部下がいるのに、その部下にマネジメントさせること無く、長年会社に尽くしてくれた部長に仕事を任せ却って仕事の効率を悪くし、部下にストレスを溜めさせていないだろうか。
能力本位で肩書をころころ剥奪し、あるいは若手を抜擢してベテランの上に付けると組織マネジメントの上で好ましくないという意見はあるだろう。

もちろん日本人的な組織ではその考え方は説得力があり、配慮すべき一面はある。
しかし、そう少しでも思ったあなたは、程度の差があるだけでハンモックナンバー制度を運用していた日本海軍と基本的な違いはなく、いい意味でも悪い意味でも日本人的な経営者だ。

問題は、そういった課題を考慮に入れてもなお、結果本位で作戦(プロジェクト)のリーダーを決めることが出来るルールの構築であり、公平で納得性の高い会社組織の在り方であろう。
そういった仕組みを作ることこそがトップマネジメントの仕事であるのだから、それを難しいと考えるのであれば、少将ではなく大将であるあなたの交代を、自ら検討しなければならない。

日本軍が敗れた要因は決して物量だけにあるのではなく、航空機のエンジンにあるわけでもなく、資源の有無と言った環境要因にだけ、あるわけでもない。
それらを含め、組織マネジメントの拙劣さと、目的本位でない意思決定プロセスに大きな要因があったと考えるべきだ。
そしてその様なDNAは多かれ少なかれ必ず、今を生きる私たち日本人の中にも刻み込まれている。
このような歴史的事実を踏まえ、今を生きる経営者として組織マネジメントの中で何が出来るのか。

私には誰もが納得できるようなその答えは出せない。
そして、おそらくその答えは経営者一人ひとりが自分の与えられた環境の中で出すべきものであろう。
ぜひ参考にして、会社組織の在り方を、改めて考えて欲しい。

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1973年生まれ。とある企業の経営者。 大手証券会社からキャリアをスタートし、広告代理店やメーカーなどを経験する。 CEOを2社、CFOを3社ほど経験し、現在はマーケティングと人材開発を主なサービスとした企業を経営している。