ベンチャー経営者と「家族」という名のリスク

ベンチャー経営者と「家族」という名のリスク
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日本には、起業という非合理的なマネをする人たちがたくさんいる。
働き口も少なく、自ら行動を起こさなければどうにもならない国や環境ならともかく、日本に住んでいる限りよほどのことがない限り食いっぱぐれることなどないにも関わらずだ。独身者であれば、1ヶ月20万円もあれば贅沢な暮らしができるが、それはアルバイトでも賄える額だろう。
結婚し子供を育てていても、公営住宅に住み公立学校に通わせ子供を育てるには、月額30万円もあればなんとかなる。
夫婦2人でアルバイトをすればお釣りがくる金額だ。つまり、生きるための手段としてであれば、日本はノーリスクミドルリターンで人生を過ごすことが出来るというわけだ。

にも関わらず、わざわざ安定した生活を捨て借金を背負い、ある意味で狂気でもある起業に挑む「バカな経営者」は後を絶たない。私自身も、そんな非合理的な事をやらかした経営者の一人だが、独立をしたのは2011年5月の東日本大震災の直後。
CFOとして15年、幾つかの会社で奉職したものの、いろいろなことがあり人の意志に従うことがバカバカしくなったことがそもそもの動機であったので、決して高い志を持って独立したようなカッコいい経営者ではない。しかし、自分の力で生きようと決めてしまったものは仕方がない。
僅かばかりの技術と想いを基に、ビジネスを立ち上げるために必要なお金を試算してみたが、初期投資で450万円、売上0の状態が半年続くと試算して、運転資金は役員報酬0でも300万円。
その他もろもろで900万円は必要であった。
しかし金はない。

だから、まずは金策だ。
日本政策金融公庫に借金の申込みをするのはもちろん、人生で初めて親戚中を周り、借金を申し込むことから始めた。
正直、起業で何が一番辛かったかといえばこの最初の金策であったかもしれない。
お金を借りられそうな親戚を回るというのは、やはり相当ハードだ。
それは借金を申し込む側もだが、申し込まれる側はさらにそれ以上にキツいだろう。

私が申し込んだ相手は兄やおじ、おばなどだったが、ほとんどの場合
「そんなことしていないでまじめに働け!」
と説教をするおじもいれば、
「少ないけど、これしか出せへんねん、でも、もうこれで終わりやで?」
といいながら、30万円を貸してくれたおばもいた。

妻には黙っての行動だったが、当然耳にも入ってくる。
しかし、応援するでもなく文句を言うでもなく、ただ何も言わなかったが、きっといろいろ辛いことも言われたはずだ。
私も敢えて、気が付かないふりをした。

そのようにして500万円を金策し、不足の分は初期投資から知り合いの事業者に協力してもらい、分割してもらうことでなんとか事業の形を作るだけのキャッシュの目処はついたが、次は自分自身のキャッシュフローの計算だ。
生活を切り詰め、少しでも生き延びる時間を伸ばす必要がある。
そのためにはとりあえず、自分が1ヶ月にいくらぐらいのお金を使って生活をしているのかを正確に把握しなければならないが、早速計算をしてみると、毎月60万円ほどの出費があるセレブのような生活をしていることがわかった。

ほとんど見ていないケーブルテレビに誰もいない部屋でつけっぱなしのエアコン、勢い良く流れる水道の水に使いもしないのに毎月支払っている会費など、バカみたいな出費に溢れており、まさに小金持ちの調子に乗った家計そのものだ。
それも全て自分の責任ではあるが、まずは「生活費のリストラ」に取り組まなければならない。

生活に必要のないサービスは全て解約、エアコンはリビング以外を物理的に利用不可の状態に設定、洗面の水は元栓を絞り勢いを弱め蛇口を全開にしてもたいした水量が出ないように調整、子供に聞き取りを行い自らの意志でやっていない習い事も全て解約など、あらゆることを行った。
さらにフローだけでなく、ストックの面でもお金に代えられるものはすべて代えるべく漫画本までブックオフで1冊5円で始末。
家の車も売ろうとしたが、得られるお金とプラスで必要になるお金の割が合わないので、これは思いとどまった。

親戚にまでお金を借りるという行為は、当たり前だが、自分自身の生活に少しの贅沢があっても許されるものではないので、徹底した「リストラ」を行った。
その結果、60万円使っていた家計は、住宅ローンの返済を入れても32万円で生活するめどをつけることができた。
子供2人を育てながらこの切り詰め方は相当厳しいことはわかっていたが、やると決めたからにはやるしか無い。

妻が理解してくれていたかどうかは分からないが、私は状況を説明し素直に頭を下げ、協力を依頼したが、それは以下のようなものだった。

必要最低限以外の出費は全て禁止
家族旅行も外食も全て中止
食費は1日1500円以下

その他どれだけの事を伝えたか正直あまり覚えていないが、いろいろなことを定量的・定性的に説明し、ただお願いをするしかなかったように記憶している。
そして妻は、「わかったよ」とだけ言って、少し悲しそうな顔をして了解してくれた。

ベンチャー企業といえばおこがましいが、少なくとも、資金力のない個人が起業をするというのはこういうことだ。
それが自分ひとりであるならまだしも、家族がいれば、自分の人生の浮沈に家族の人生の浮沈まで強制的にシンクロさせることになる。

ちなみに妻は私と結婚するまで働いており、当時の私の勤務地の都合で遠方にまで来てくれることになったので、仕事を辞めることになった。
しかも年収600万円ほど稼いでいた、20代半ばの女性としては当時相当な高給取りであった。

妻には私と人生を共有してもらうことを望んだ上に、さらに自分は1円の収入がないかもしれない起業リスクを取り、自分の人生と、妻と子供の人生まで強制的にシンクロさせるというのはいくらなんでも酷いことであると思ったが、それでもやるべきことをやろうと決めた。

もう少し楽しげで楽観的に始めたかったがそうもいかずに、何はともあれ会社は動き出す。

INDEX
生きるべき時に生き、死ぬべき時に死ぬ
「胸に眠るヒーローを揺り起し、命より重い夢を抱きしめて走る」者たち
家族という名のリスクは背負うべきか

生きるべき時に生き、死ぬべき時に死ぬ

突然の仰々しいタイトルだが、何も政治的な主義主張をしようというわけでも、哲学的な話をしたくなったわけでもない。
日本人がほんの100年前まで持っていたであろう価値観についての話だ。
40代以上の人には懐かしい話だと思うが、テレビドラマ「スクールウォーズ」で麻倉未稀が歌った主題歌「ヒーロー」の一節。
「胸に眠るヒーロー揺り起こせ 命より重い夢を抱きしめて走れよ」
という歌詞は、ラグビーというスポーツで仲間から預かったボールに託す想いと、人生の生き方を重ね合わせて歌い、当時小学生から大人までを巻き込んだ大ブームになった。

そしてこの歌詞のような価値観は、私達日本人が長い歴史の中でそのDNAに刻み込まれている想いであろうと考えている。

一般に日本人はお行儀がよくモラルが高く、感情的にならずに冷静に物事に対処する民族であると思っている日本人は多い。
もちろん私自身もそう考えており、そのような日本人でありたいと願っているが、一皮むけばどうやらそういうわけでは無さそうだ。

それはなぜか。
日本人なら誰でも聞いたことがあるであろう「武士道」という言葉。
言葉だけが独り歩きし、「サムライジャパン」など、なんとなくその言葉の響きに誇りを持つ日本人は多いが、「武士道」という言葉を世界的に広め、日本人の代名詞にしたのは、かつて5000円札に印刷されていたことでお馴染みの新渡戸稲造だ。
その起源は意外に新しく、新渡戸稲造が1899年にアメリカで出版した「Bushido: The Soul of Japan」が大本になる。

なおこの本は、その後日本にも翻訳版が逆輸入され広く日本人の間に「武士道とは何か」を見つめ直すきっかけになったのだが、その中で新渡戸は日本人を感情的な民族であると分析し、アメリカ人に紹介している。
また、信念に悖る領域に踏み込まれるとその感情を爆発させかねない特性についても触れているが、奇しくもこの出版から6年後の1905年、日露戦争に「勝利した」ことで、日本人はその怒りの感情を爆発させ、東京がエライことになってしまう事件が発生し、新渡戸の分析が正しかったことを証明することになる。

その事件とは日比谷騒擾(日比谷焼打ち事件)。
日露戦争に勝ったはずの日本でなぜ、首都で暴動が起き戒厳令が布かれる事態にまで発展し、政府要人の邸宅や政府関連施設まで焼き尽くされ、2ヶ月もの間、戒厳令下に置かれることになったのか。
その理由は本筋から外れるので別に譲るが、この引用で伝えたかったのは、わずか100年ほど前の私たち日本人は、政府のやり方が気に入らないと、群衆が暴徒になって政府をも襲うかなり激しい民族であったという事実だ。

新渡戸もその著書では、日本人は普段は温厚に見え、感情を表に出さないと説明しているが、一旦「キレ」れば、ここまで激しやすい性質を併せ持っていると説明する。
そしてそれは、「武士道」という考え方と無縁ではない事を併せて示唆する。

ではその武士道とはどういうものなのか。
その解釈は今も、思想家によってまとめ方が千差万別で「これである」と概して言うことは難しいが、それでも概ね異論がないことがある。
それは、「生きるべき時に生き、死ぬべき時に死ぬ」というものだ。

人の人生は儚い。
だからこそ、死を意識して毎日を生きることが肝要だ。

もし予め自分が死ぬ年齢を知ることができたら、自分の生き方は随分と変わる気がしないだろうか。
おそらく多くの人は、それを知ることができたら、「その時」から逆算しできうる限りの意義がある人生を送ろうとするだろう。
そしてその思いをやり遂げることができたら、きっと安らかに眠りにつくことが出来るはずだ。
しかし残念ながら、人は自分がいつ死ぬかを予見できない。

まして武士は、いつ戦場で命を落とすかわからないからこそ、今という時間を真剣に生きて、毎日の時間を必死に過ごし、いつ死んでも良いように充実した時を過ごすことを心掛ける。
そしていざ戦場に臨めば、もはや生きている内にやるべきことは全てやり終えた、後は死ぬだけだと戦いに身を投じることができた、というのが、やや乱暴だが、武士道というモラルの生まれた思想的背景だ。

生きるべき時には必死に生き、死ぬべき時が来たら潔く死ぬ。
これこそが武士道の根本的価値であり、逆に言うと、生きるべき時に自分の譲れない価値観の領域に立ち入り、自分の信念に悖るふざけたマネをする人間は絶対に許さないという、「感情的な」一面も持ち合わせる。
このような考え方が、近世まで延々と受け継がれてきた日本人のモラルであった。

生きることに真剣に取り組むためには、死を意識しなければ現実味がない。
死を意識できないのであれば、本当の意味では、絶対に生きることに真剣になれない。

今の日本では命は何よりも大事なものとされ、そして、いつかかならず訪れる死を、全く意識しない生活を送ることが出来る人生が誰にでも保証されている。
それ故に、私達が日常で死を意識することなどほとんど無くなり、武士道はその考え方に対する需要を失ってしまった。

しかしながら今日本で、重病などで死を宣告された人が「自分の人生は最高だった」と、「死ぬべき時」に死を迎えられると考える人間がどれほどいるだろうか。
残念ながらほとんどの人は自分の生き方をその時になって悔み、もっとこうすればよかった、このように生きたかったと後悔するばかりであろう。

極めて皮肉で残酷なことだが、今の日本では、死を意識する機会が無くなってしまったがゆえに「その時」が来て初めて、生き方を悔やむ人が多い。
言い換えれば、「生きるべき時に生きず、死ぬべき時に死にきれない」人が、その人生の最後の瞬間で、自分の中に眠る本当の欲求に気がついてしまうといえるだろう。

そしてそれは、残念ながらサラリーマンをしている以上、なかなか避けることが難しい人生でもある。
なぜか。

あくまでも一般論であるが、サラリーマンは自分の人生の目標と自分の仕事が一致していない。
というよりも、自分の人生の目標を達成するためにサラリーマンをしていることが多い。
いわば、生きる目的と生きる手段が乖離している状態だ。

その目標とは、配偶者を幸せにすることや子供を育てること、家族がいつも笑顔で一緒にいられることであるかもしれない。
あるいは自分の趣味を楽しみ、もしくは極め、何かを達成することであるかもしれない。
しかしそのベクトルと仕事のベクトルはほとんどの場合、異なる方向にある。
だから仕事が苦痛になり、仕事が生きる手段になって、かくして人生のほとんどの時間を費やしたサラリーマン人生を後悔する。

「生きること」ばかりを意識し、「いつか死ぬこと」を意識しないのであれば当たり前だ。
今生きることだけを意識すれば、人は誰しも目の前のリスクのみを避け、目に見えるリスクとリターンを秤にかけ、自分の生き方を決めるであろう。

そしてその対極にいるのが、「ベンチャー企業」を起こす狂気の経営者だ。
私は本当の意味でベンチャー企業と言えるような仕事をしていないが、本当の意味でフロンティアになり生きようとする人間は、こんなところで現代の価値観とは乖離し、ネジが振り切れている。
生きることに真剣で時間を無駄に使うことを嫌いそわそわしており、とにかく落ち着きがない変人が多い。

そしてそのような経営者は恐らく、サラリーマンとしての長寿よりも、経営者としての短命を選ぶだろう。
なぜか。

命よりも大事なものがあるからだ。
それは、命そのものではなく、生き方であると見極めているからであろう。
 

「胸に眠るヒーローを揺り起し、命より重い夢を抱きしめて走る」者たち

これらの話はもちろん、組織に属しその意志や命令で動く人間の生き方を否定するものではない。
自分の生き方を定め、その上でその生き方が組織の在り方とシンクロするのであれば、その人の人生は経営者と同様に自らの目標と生き方が一致するはずだ。
おそらくそのような人生は間違いなく、「死ぬべき時に死ねる」ものとなるだろう。
あるいはわかり易い例が、2011年3月11日に起こったあの東日本大震災と自衛隊員たちの生き様かもしれない。

あの震災に際して自衛隊員たちがみせてくれたストイックで献身的な活動は、恐らく多くの私たち日本人の記憶に強く焼き付いているであろう。
押し寄せる津波に流される人を救うために濁流に飛び込んだ自衛官の姿。
日本全国から10万人を越える自衛隊員が被災地に入り、不眠不休で生存者の捜索と救出にあたったこと。
避難所では被災者に温かい食事を振る舞い風呂を用意したにも関わらず、自らは冷えたレーション(缶詰め)を食べ野営し、凍える夜を過ごしていたこと。

公に奉仕する事を自分の生き方と定め、そしてその生き方を達成するために厳しい訓練と任務に励んでいた自衛隊員たちがその危機に際しみせてくれた行動は、個人の生き方と組織のあり方をシンクロさせ、そのためには命も張れるプロフェッショナルの姿を見る思いであった。

しかしその一方で、実はほとんど報道されていない事実がある。
それは、あの震災に際して出動した自衛隊員の中には、自衛隊員本人とその家族も被災者であるものが多く含まれ、そして自衛隊員本人やその家族にも、多くの犠牲者が出てしまっていた事実だ。

一つの事例を挙げたい。
震災発生当時、震源からほど近い宮城県の多賀城駐屯地の司令を務めていたのは國友昭・1等陸佐。
震災が起こると直ちに隷下部隊に対し担当警戒区域に出動を下令するが、あの激しい津波は多賀城駐屯地にも襲来し、車や救援物資は全て水没してしまっていた。
この状況に際し、國友はボートを出して直ちに出動することを改めて下令し、一人でも多くの人命を救助することを命令する。

しかし、東北に所在する自衛隊の駐屯地は、その多くが地元出身の曹士で構成される部隊だ。
当然のことながら、駐屯地にまで押し寄せた津波は自分の家族や親戚も呑み込んでいることは確実であり、一人の人間として、一人の父親としてあるいは母親として、その安否が気にならない訳がないであろう。
そして実際にこの多賀城駐屯地では、休暇中でありながらも震災発生後直ちに駐屯地に向かっていた所属自衛隊員1名が津波に巻き込まれ死亡し、隊員8名の家族に犠牲者が出ている。

そのような状況に際し國友は、隷下の隊員たちに私情を優先することを厳禁し、家族の安否確認のために隊を離れることを一切認めず被災者の救出に向かうことを厳命する。
そして隷下隊員たちは一人も欠けること無く自らの使命に従事し、その役割を果たし、多くの国民から信頼を勝ち得た。

しかしながら、自衛隊員たちも人であり、父であり母であり、父や母を思う若者でもある。
災害発生時に命のリミットとされる「72時間の壁」を過ぎたあたりから、國友は、隷下隊員たちに交代で任務を離れ、身内の安否確認に赴くことを初めて許可する。

しかしそこで隊員たちが見たものは、破壊された自宅であり、跡形もなくなった街の光景であり、多くの手付かずの犠牲者の姿であった。

そのような中で、運が良かった隊員の家族は避難所に逃れていたのだが、震災後初めて家族と再開した隊員たちの中には、妻や子供の姿を見つけると走りより抱きしめ、周囲を気にすることなく大声で泣き出すものもいたという。

しかしながら、ひとしきり再会を喜びあうことができても、
「お父さんは僕が怖かった時、そばに居てくれなかった」
と責める子供たちもいて隊員たちを悩ませたそうだが、言うまでもなくこのような子供の思いはいつか父の生き方を理解し、その恨みはすぐに氷解するだろう。

ただ、公に奉仕することを決め、私情よりも優先するべきことのために生きることを決めた防人たちにはこのような、どのメディアも伝えることがない人間模様があった。
自衛隊員として、未曾有の有事から離脱するわけにはいかないものの、家族もまた大事な存在だ。

生き方を優先し、仕事を優先する究極の選択であったが、我が国の自衛隊に所属する本物のプロたちは自分の為すべきことを完遂し、「顧客」である日本国民から絶対の信頼を勝ち取ることに成功した。

そしてこのような生き方は、どこか「本物の」ベンチャー企業の経営者に似ている。
ベンチャー企業の経営者や役員に限らないだろうが、多くの経営者は家族を支える前に会社を支え、その従業員の生活を守る義務を背負っている。

そのため、眠いから今日は寝る、疲れたから今日は帰るといった、人間の生理的欲求に素直に従う時間すら、時には十分に得られない。
特に、ターンアラウンドマネージャーのような物好きであればこの傾向が強いだろう。

子供が小学生であろうが幼稚園児であろうが、人としての生き方を定め組織のために自分の人生をシンクロさせることを誓った以上、配偶者や子供のことはどうしても後回しになり、まずは自分のなすべきことが至上命題になる。

誠にバカである。
今の日本でここまでしてカネを稼ぎ生きる必要があるのか。
全くその必要はない。
しかしバカだから、会社を起こし自分の生き方を定め、そのために作った組織に自分の人生までもシンクロさせ、時に家族よりも自分が為すべきことを優先してしまう。
しかし、だからこそ本物の経営者は従業員の尊敬を勝ち得て人心を掴み、その思いを達成することが出来るのであろう。
自ら好んで死地に足を踏み入れ、リスクを背負って生きることを選んでしまう愛すべきバカだ。

ところで武士道の話だ。
日露戦争で「東洋一の要塞」と呼ばれた旅順要塞を陥落させ、日本の勝利に大いに貢献した明治時代の陸軍将軍、乃木希典を知る人は、今となっては少数派であろう。
アイドルグループの「乃木坂46」を知っていても、「乃木坂」が乃木希典とその静子夫人を祀る東京の乃木神社に続く坂の名前であることすら知らない日本人が多い。
もっとも私も、このアイドルグループの名前がこの坂由来なのかまでは知らないし偶然の一致なのかどうなのか、興味もないが。

その乃木希典は、時に武士道を再現した最後の軍人とも呼ばれることがある陸軍軍人で、大正、昭和時代には教科書にも載った日本人なら誰でも知っている武人であったが、まだ若かった頃、留学先から立ち寄ったフランスで、こんな質問を新聞記者から受ける。

「社会主義をどう思いますか。素晴らしい考え方だと思いませんか。」

そしてその記者は、社会主義が平等を愛し、人が助け合い共に生きる素晴らしい考え方であると伝え、日本にもそのような考え方があっても良いのではないかと改めて問い直した。
それに対し乃木はこう応える。

「そのような考え方は日本にない。しかし日本には武士道というものがある。
武士道とは身を殺して仁をなすものであって、自分を犠牲にして人を助けるものである。
ゆえに、社会主義の平等を愛する考え方よりも、武士道の方が優れたものである。」

武士道の最後の体現者と言われる男は真顔でこう答え、フランス人記者を唖然とさせたと言うが、恐らく明治以前の日本にはこんなリーダーがゴロゴロいたのであろう。
あるいはもしかしたら、このような教育を受けた最後の世代である1920~30年代生まれの経営者で、日本を世界の経済大国に育て上げる原動力となった経営者には、このようなモラルを持つ人が多かったのではないだろうか。

今となってはすっかり前近代的な考え方と見做されているかもしれないが、志の高いベンチャー経営者には、こんな匂いを感じる者が少なくない。
そしてその価値観は多くの日本人がもつDNAに刻み込まれているはずだ。

そしてそれは何かのきっかけで目を覚まし、人をベンチャー経営者にすら変えてしまう。
「胸に眠るヒーロー揺り起こせ 命より重い夢を抱きしめて走れよ」
という歌のように。
 

家族という名のリスクは背負うべきか

しかし、そんな自由奔放な生き方をして楽しいのは恐らく経営者本人だけであろう。
私自身の経験も踏まえ、私のメチャメチャな人生に妻の人生をシンクロさせてしまっていることは誠に申し訳ない思いでいっぱいだ。
自分には結婚は向かなかったのでは無いかと思うことすらある。
さらに家のことだ。
人の会社で役員をしてノーリスクで高給を稼いでしまっていたため、贅沢な家を立てたことで住宅ローンの固定費がかさみ、起業の際にいっそ売ってしまおうかとも思ったものの、確実に残るローン残高と借家の家賃を考えると割に合わず、売ることすらできないジレンマを感じたこともある。

しかしそれらの事を重荷と考えるか、なんとかなるだろうと楽観的に考えむしろ最低限クリアする当たり前のことであると考えるか。
幸い私には、重荷と考えるほどのヘタレた弱さまでは無かったようだ。

話はますます私事になるが、よろしければもう少しお付き合い願いたい。
私が人の会社でCFOをしている時、確かに自分の果すべき役割は一筋縄ではいかないキツいものであって、家に帰れない日もある楽なものではなかったように思う。
何かのドラマであるような、会社のソファで寝て洗面で頭を洗うような事も何度もしていた。

精神的にも肉体的にもキツイものであったが、正直今から思えば何かが違った。
何が違うのかうまく言えないが、一つはっきり言えることは、充実感がまるで違うものだということだ。

私は今、その頃と同様に1日おそらく15時間くらいは仕事をしている。
肉体的にはオッサンになったこともありますますきつくなり、キャッシュフローが楽なわけでもないが、なぜか精神的に気楽だ。
おそらく自分で全く計算ができず、自分でコントロールできないどうしようもないことがほとんど無くなったからであろう。
思えばCFOとして疲弊していた多くの部分は、自分がこうあるべきと信じる、やるべきことのほとんどができなかったからではないだろうか。
もちろんそれはCEOの責任ではなく、CEOを動かす影響力がない自分の能力不足であることは間違いない。

CEOはCEOで自らの信念があり、だからこそCEOをしている。
そして自らのリスクで自分の生き方を決め、「生命よりも大事なもの」を背負い生きていたはずだ。
むしろ時には、CEOにとっては物分りの悪いCFOである私こそが、いい加減にうっとおしい存在になっていたことであろう。

結局自分には、どっちのポジションのほうが居心地が良いか、ということだ。
無制限のリスクを背負ってでもCEOのポジションが心地よいか、制限的なリスクの下で人の意志に従いながら経営をするか。
私には恐らく前者のほうが心地よく、鈍感力を活かしてリスクに敏感にならないようにはしているつもりだが、それでもまだ、突発的で想定していなかったリスクが発生するとやはり3時間くらいは気持ちを引き摺る。
ちなみに先日は、黄色信号に突っ込んだつもりでパトカーに呼び止められ、信号無視で切符を切られてしまったが、そんなどうでもいいことすら3時間くらいムカムカして自分のマインドをコントロールできなかった小人だ。
自分の器の小ささは理解しているものの、そんな人間はとにかく自分で自分の心と体を計画的に使いこなし、自らにやるべき仕事の予定を課し続けるしか無いだろう。

そして私のように自分の小ささを理解し、リスクに怯え大きな仕事をすることができない人、リスクを背負うことそのものが怖い人に言いたいことがある。

リスクはとにかく背負ってしまうことだ。
家が必要だと思えば買えばいい。
好きな女性ができれば結婚すればいい。
私はリスクを背負うことに臆病な経営者だが、背負ったリスクの分だけ大きくなることが恐らくできたのであろうか。
今のところ破綻せずになんとかやりきることができている。

もちろんこの先のことはわからないし、不必要なリスクを背負うつもりはないが、会社や組織に貢献している以上、私生活でもリスクを負って、そのリターンである「家族の幸せ」を得るべきであろう。
結局経営者の力量は、背負ったリスクの分だけしか大きくなれないのだから、僅かずつでも自らの能力の範囲で、リスクテイクの幅を広げていけばきっと経営者として楽しめるはずだ。

そして、そんな無茶な経営者の家族になるというのはどういうことか。
私は妻ではないので彼女の本当のところは分からないが、私自身が妻に対する考え方で大きく変わった事がひとつある。
それは、妻の仕事ぶりに対する考え方だ。

サラリーマン時代、あるいは人の会社で役員をしている頃、ほとんど家の掃除をせず家事を疎かにする妻には怒りしか感じず、時にその感情を直接ぶつけていたこともあった。
しかし独立をしてからは不思議とそんなことが全く気にならず、どれだけ疲れていても自分が気になったら黙って自分でやるようになった。

自分のメチャメチャな人生に妻を付き合わせて初めて、妻にもいろいろな思いがあるのだろうということに思い至り、「どうしてもできない仕事なら、任せるより自分でやればいい」という、仕事では当たり前の態度で、気がついたことは黙って自分でするようになったのだが、まあこんなことでは、妻から言わせればまだ割が合わないだろう。
しかし私がそんなことをし始めると、気がつけば私のシャツはキレイに畳まれるようになり、家はいつも清潔に磨かれるようになってしまった。
不思議な事だ。なぜだろうか。

いずれにせよ、ベンチャー企業経営者の家族になるというのは相当な勇気がいる行為だ。
リスクに臆病な日本人であり、さらにそれが女性であれば、その気苦労はどれだけのものであろうかと、申し訳なく思いつつも、一步外に出れば気にせずやんちゃをさせてもらっている。

余談だが、私が独立して一番追い込まれたのは起業してから1年半ほど経った頃だ。
会社の預金残高と個人預金をかき集めた残高を併せても90万円ほどしか無いという、かなり危機的な状況に陥ったことがある。
この時は隠し立てせず、素直に妻にそのことを話し、場合によっては妻には覚悟してほしいとまで話したが、なんとかこの危機も乗り越えることができ、それから1年後にはなんとかキャッシュフローが安定し、先が見える状況になった。

この時もその状況をまず妻に話したが、彼女は笑い泣きしながら「じゃあ何か買って!」といったので、結婚してから初めて彼女にはコーチのバックを買ってプレゼントした。
そしてそれから1年も立たないうちに、なぜか家族が一人増えてしまい、うちは5人家族になってしまった。
上の子とは干支で一回りも違う子を授かってしまい、また新たな「リスク」を背負ってしまったが、小さな子供の寝顔は自分の生き方とは違うところで、自分の生きる意味を教えてくれて力を与えてくれる。

そんな経験を通して思う。
まずは結婚して家を立ててしまえ。
後はなんとかなる。

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ABOUTこの記事をかいた人

1973年生まれ。とある企業の経営者。 大手証券会社からキャリアをスタートし、広告代理店やメーカーなどを経験する。 CEOを2社、CFOを3社ほど経験し、現在はマーケティングと人材開発を主なサービスとした企業を経営している。