やりたいことをやっていたはずの人が、ある日突然辞めたいと言い出す本当の理由

やりたいことをやっていたはずの人が、ある日突然辞めたいと言い出す本当の理由

ビジネスパーソンを襲う「感情」という魔物

私が単身大阪で自分のビジネスの拡大を挑戦しに行った時の話です。東京生まれ東京育ちの私には、大阪は縁もゆかりもない土地でした。

コネも土地勘もない土地で、自分の腕一本でゼロからビジネスを興せるようになりたい。そう思い意気揚々と大阪の地に下りました。

結果は惨敗。約9ヶ月間のチャレンジをもって、撤退を余儀なくされる経験をしました。単純に大阪でのビジネスがうまくいかなかったのであれば、東京に戻ってまた基盤を立て直せばいいだけのことだったのですが、その時は「自分はこの仕事に向いてないんじゃないか」「もっと他に自分を活かせる仕事があるんじゃないか」と考えていたのです。

● 「自分には向いてない」
● 「思ったのと違った」
● 「もっと自分にふさわしい仕事がある」

この3つの言葉が出てきた時は要注意です。すでにその人の頭の中は、感情という魔物に支配され、正常な判断ができなくなってしまっているのです。

私の場合「地方展開の失敗」という事実を目の前にした時に、「いかに自分に能力がないか」を突きつけられるのが嫌で、持っていた(無駄な)プライドを傷つけないために、そもそも自分に向いてない仕事だった、と「仕事のせい」にしたのです。

そしてさらにこの魔物が厄介なのが、その「自分には向いてない仕事だったのでは?」と思い始めると同時に、過去の出来事から「いかに自分が向いてなかったか」の証拠探しを始めてしまうのです。

感情という魔物に取り憑かれた人の思考回路

例えばここに「仕事を辞めたい」といっている人がいたとします。上司が詳しく経緯を聞いてみると、「そもそもやりたいと思っていたことと違っている」とか「先輩たちのスピード感や熱量についていけません」などの理由を挙げます。

「どうしてそう思ったのか?」と尋ねると、「あの時の何々がこんな風に思った」とか「もともこういう思いで始めたのに、組織の方向性が変わってしまった」とか「社長の考え方と合わないと感じている」とか、色々な理由を挙げます。

この主張は一見正当な理由のように思います。「自分のビジョンや性質・スキル・指向性などが今の仕事とマッチしなかった」と言われると、本人が言うんだからしょうがないよね、としか言えなくなります。しかし、この主張には大きな落とし穴があるのです。

100万部を越えたベストセラー『嫌われる勇気』の中で、アドラー心理学の目的論というものが紹介されています。今までの心理学では、例えば引きこもりになる理由は、両親に虐待を受けたなどのトラウマ(原因)があり、結果として家に引きこもってしまうという行動(結果)を生み出しているという説が一般的でした。

しかしアドラー心理学で主張されている目的論では、「親にもっと心配して欲しい、構って欲しい」という目的のために、過去にあったひどい出来事を理由にして、家に引きこもる口実にしている、と説かれているのです。つまり、原因があったからそうなった、のではなく、ある目的の達成のために、過去の出来事や経験に意味づけをしていると説いたのです。

これを当時の私に置き換えると、「自分の能力の不足を受け止められない、自分自身の弱さと向き合うことを避けたい」という感情(目的)が先にあって、その目的を達成するために「自分がこの仕事が向いてない」と思える過去の出来事を引き合いにして、いかに向いてないかを探し始めてしまう、ということなのです。

ところがこの問題の厄介なところは、言っている本人の頭の中は、すでに正当化されてしまっている点です。「これだけやって成果が出ないと言うことは、向いてないということだ」という証拠集めがすでに終わった状態なのです。当然「自分の弱さと向き合いたくないだけでしょ」という指摘を受け入れることは難しくなります。

感情に支配された決断では成功しにくい

就職する、独立する、起業する、、、仕事に関しては色々なスタートがあります。新しいことを始めるときは誰でも希望を持ち、明るい未来に向けて一歩を踏み出します。しかし多くの人が、月日が経つにつれ理想と現実とのギャップに耐えられなくなり、自信を失い、成功するまで続けることができずにやめていきます。

この続けることができない、という病気の原因のほとんどがこの「感情の魔物」に支配されてしまったことなのではないかと思うのです。しかも続けようかどうか迷ってる時に限って、魅力的な案件が自分に降ってきます。

私の場合は、まさにそれが「執筆」の依頼でした。大阪での事業の失敗と並行して、執筆の仕事が開始し、そしてそれが幸か不幸かどんどん成果が出てしまっていたのです。

これは正当化の悪魔からすると格好の材料です。「ほら!お前にはこんなにピッタリの仕事があるんだ!こっちをやったほうが嫌な気持ちになることもなく、すぐ結果が出るぞ!」と囁くのです。

私の知り合いが立ち上げたスタートアップの会社も、とにかく稼げる仕事をという一心でどんどん事業体を変え、一時期は売上も立っていたようですが、結局は潰れてしまうことになりました。彼は当時を振り返ってこう言っています。

「どこかに自分がうまくいく正解があって、それにたどり着ければうまくいくと思っていた。自分が描いた理想を現実にするのが経営なのにね。」

続けるかどうかの哲学をどうもつべきか?

とはいえ、世の中には本当に労働環境のひどいところは沢山ありますし、スタートアップも失敗を重ねてなんぼみたいなところもありますから、今の仕事(や取り組み)を辞めることで道が開けることもあるでしょう。

自分の状態が理想の通りになっていない時、それが自分自身の問題なのか、周りの環境に問題があるのかを考えた時に、自分自身を正当化していないかどうかを見極めるための判断基準はどのように定めたら良いのでしょうか。

一つは、その環境下(もしくはビジネスモデル)で、自分の理想とする成功を手にしている人がいるかどうか、というのが基準になります。すでに成功事例があり、その成功者と同じことやって同じく成功できる仕組みなのであれば、結果が出ていないのは完全に自分の責任です。

また成功事例を「これから作って行く」新規事業の場合は、「もっといい方法があるのでは?」という問いは常にし続ける必要があるでしょう。しかし、周りに自分の理想とする人が誰一人おらず、かつ労働環境も劣悪で、改善の見込みがないのであれば一度進退を考えた方が良いかもしれません。

私がこのビジネスパーソンの末期症状とも言える状態から脱した時には、まさに「すでに成功者がいた」という事実への直視が救いの一手になりました。そしてそこで「誰かができたのであれば、できないのは完全に自分の責任。納得のいく結果が出るまで辞めない。」という「辞めどき」のルールを自分に課したのです。

今では、その時に逃げ出さなくて本当に良かったなと思っています。なぜなら、自分の問題があった場合には、どこにいったって同じ問題にどこかでぶつかってしまうからです。どこかで乗り越えなくてはいけない課題は、今乗り越えなくてはいけない課題であり、それこそが本当にビジネスパーソンが本当に向き合わなくてはいけないことなのだと思います。

ABOUTこの記事をかいた人

川口 美樹(かわぐち よしき) 元俳優。 東日本大震災をきっかけに、浅野忠信さんや、田中真弓さんなどとの関わりを経て、芸能界のあり方に疑問を持つ。 海外の政治家やCEOが必ず学んでいる、パブリック・スピーキングの技術を日本でいち早く取り入れ、俳優経験を活かしたプレゼンテーションやスピーチのコンサルティングを行う。