「己より優れし人物を集める術を知る者、ここに眠る」
有名な一節なので、耳にしたことがある人も多いかもしれない。
イギリスからアメリカに渡り、一代で全米有数の鉄鋼会社を築きあげ、「鉄鋼王」の名で今もよく知られるアンドリュー・カーネギーが、自分の死後、その墓石に刻むよう遺言した言葉だ。
そのカーネギーが家族とともに米国に渡ったのは12歳の時。
アメリカンドリームを夢見て起業した父は程なくして事業に失敗し、渡米から1年後にはカーネギー自身も紡績工場で働き始めるなど、苦難の少年時代を過ごす。
教育も受けられず、地縁も人の縁も一切ないこの異国の地で苦難に満ちた若年期を過ごした彼はやがて、その経験から、成功を収めるためには、
「自分で仕事をするのではなく、その仕事ができる適材を見つけることが大切だ」
という哲学を持つに至る。
そして、CEOにとってもっとも必要な資質とは、優れた人物を集められる求心力を磨くことである、という考えに至り、その考えを終生貫いた。
その上で、ありふれた言葉で言えば「適材適所」の配置が可能となる人物眼を磨くこと。
さらに、組織の優れた点、至らない点を定量的・定性的に把握し、その「でこぼこ」を埋めていくセンスこそが、CEOとしての企業経営に何よりも大事だと、その著書で語っている。
立志伝中の人であり、歴史上の偉人と言ってもよいこの実業家の哲学や生き様は、「CEOに向く人材」の典型例といえるだろう。
とは言え、考えるだけなら誰でも出来るが、このような事を実行できる人は少ない。
ところで、大組織を率いる、あるいは将来大きな組織を率いるCEOになることを考えた時には確かに、カーネギーのような志を持つ必要があるかもしれない。
しかしながらCEOとはその数だけ会社の個性があり、会社の経営方針があるものだ。
私はかつて、ある先進的なビジネスに取り組む会社のCFOを務めていたことがあるが、その際に安価な仕入先を求め台湾に渡り、現地の証券会社の仲介で3泊4日の滞在中に15社の董事長(=CEO)と面談するハードな日程をこなしたことがある。
経済成長著しい台湾は、ある意味で日本のCEOより、考え方も経営者の個性も際立っていたことが印象的であったが、その際に幾つかの会社の董事長に言われた言葉が今も耳に残る。
それは、
「日本人は難しいことをやろうとし過ぎる。だから経済がダメになった。」
というものだ。
要旨、ビジネスとは冒険ではなくリアルな世界で利益を稼ぐものであり、夢を叶えるものではない。
世の中にないものを新たに生み出すのではなく、今あるものをより良くすれば誰でも儲かる。
日本人経営者にはこのビジネスセンスが欠けている。
といったような趣旨だ。
正直、この意見はやや極端ではあるものの、大いに耳を傾けるべき含蓄があるようにも思われる。
ちなみに私は長年、人の会社でCFOを務め、その後独立してCEOをやっている。
しかし私は、自分がフロンティアに挑む人間ではなく、リスクとリターンを計算し、成功の期せるビジネスにしか手を出さない小心者であることを理解しつつ、経営をしている人間だ。
独立して最初に国金(政策金融公庫)に借金を申し込んだ際に提出した自分のビジネスモデルのコンセプトは、
「少し安くて少し良い」
であった。
つまり、フォロワービジネスの王道ど真ん中で、リスクとリターンのバランスを取りながら事業を成功させようという考え方だ。
今世の中にないサービスや製品を提供しビジネス化しようという経営者は勇気あるフロンティア精神に溢れた素晴らしい人だ。
しかしながらそのようなビジネスは、往々にして高確率で失敗する。
その最大の理由は、「世の中に需要がないからそのようなサービスや製品がない」ためであり、幾多の経営者が思いつきはしたものの、取り組まなかったものだからだ。
あるいは需要があってもビジネス化に成功するためには、努力とは違った部分での運のよさも必要になり、資金力の乏しい個人起業家がやるにはあまりにリスクが大きい。
そのような、いわば「CFOの価値観」を持つ私には、台湾でいくつかの董事長から聞くことができた苦言は大いに耳を傾ける価値があるものであったが、しかしそれとは同時に、違和感もあった。
それは、「この人たちは賢いかもしれないが、大きなことはできない」と言う思いだ。
なぜか。
自分自身の哲学に照らしても言えることだが、まずリスクを計算し、リスクとリターンを計算してモノになるビジネスに取り組む人間は、いつまで経っても腰が引けている。
どれだけ数字ができたところで、まず失敗することに思いが至り、バカになりきることができない。
できない理由を考え、失敗する可能性を最初に考える人間には、人の2番手、3番手で薄い利益のおこぼれを回収するビジネスは運営できても、0から組織を大きくし、世の中に新しい価値観を創出するビジネスを起こすことなど、まず不可能であろう。
そして、私見だがおそらく、世の中の95%以上の経営者は、フロンティアではなくフォロワーの経営者だ。
なおかつ、創業当初こそはバカになりきれていても、そのほとんどは数字が安定すればリスクに敏感になり、キャッシュフローに余裕ができたところで新しいビジネスに取り組むとなれば、すでに世の中にあるものばかりに取り組む。
いわばリスクヘッジを求めることになるわけだが、これはこれでCEOの生き様であり、優秀なCFOが参謀に就いた証左であるとも言えるだろう。
それはそれで、一つ組織が出来上がり会社が大きくなる基盤ができたということでいいのかもしれないが、リスクに腰が引けたCEO率いる多くの会社は、ここで成長が止まるのは当たり前だ。
では会社を成長させ続けることが出来るCEOとはどのような存在なのか。
ある意味それが、「CEOに適した人材」と言えるかもしれないが、カーネギーのように、小さな組織から大きな組織まで成長させ、さらに大企業になっても、そのCEOの魅力で会社を大きくし続ける人材とはどのような人たちなのだろうか。
そしてそのような経営者たちを支えることができるCFOとはどのような者たちであったのか。
拙い経験と知見から、僅かばかりでもお役に立てればと、お話をしてみたい。
痛快なイタズラっ子たち
私は自分のことを、とても運がいい人間だと常々思っている。
それは、自分のやりたいことや考え方をわがままに主張しても、役員として重用してくれるトップリーダーに恵まれたからだ。
CFOとしてもっとも経験値を磨くことができた会社での話だが、正直その現場は、CFOというよりもターンアラウンドマネージャーの現場であって、資金繰りに窮し、夢にまで月次決算帳簿が出てくる毎日だった。
しかし、この創業から30年以上が経ち、売上高で50億円程度を稼ぎ出す中堅企業の社長は、まだ29歳でCFOになった私を重用し、デッドからエクイティまでその全てを任せた。
我が身に置き換えて貰いたいが、親子ほども年が離れている若造にCFOを任せ、株主対応や銀行対応を任せる経営者というのは相当豪胆だ。
いろいろあって会社はうまく行かなかったが、私は縁あってそのポストに就いたこと、多くの仕事に取り組めたことを今もその社長に感謝している。
そんな中で、伝手を辿り縁を持つことができた一つの会社があった。
冷凍うどんの代名詞とも言える会社で、一部上場企業の押しも押されもせぬ業界のリーディングカンパニーの会社だが、その会社との関係を深めることができた私は、程なくして持株比率で3%程度の出資を取り付けることに成功する。
そしてそれを機に、財務担当の常務に随分と気に入られ、自社の社長よりもさらに一回り年上の常務取締役との長い付き合いが始まった。
その常務はその時でこそ大きな会社のエライさんだが、その会社がまだ地方の小さな水産物問屋の頃からの番頭だ。
つまり、田舎町の中小零細企業のオヤジが大企業の経営トップになるまで全ての時間を共にし、なおかつそのすべての時期を金庫番として支えた歴史の生き証人でもある。
もはやこの時には財界人と言っても良いであろう「大物」だったが、その人物像は気さくで、仕事の話を早く終わらせ、趣味のボーリングやゴルフの事を話したがる、とてもおもしろいオヤジだった。
仕事の話は1割、今自分が何に興味を持っているのかという話が9割の財界人の話が、当時まだ30歳そこそこであった私に刺激にならないわけがない。
なおかつ、自社の創業の頃からの苦労話や自慢話は、これから会社を大きくしようという野心をもつ私には、その世界をよりリアルに組み立てる構想を与えてくれるものにもなった。
詳細は別に譲るが、その中でもっとも印象的であった話は、常務が楽しそうに話す経営トップに振り回された苦労話であろうか。
とにかく思いつきで無茶なことをする。
一緒に大阪に出て街を歩いていたら、面白そうなお店を見かけたら初見でも構わずまず入ってしまう、気がついたらはぐれていて、どこに行ったかわからない・・・。
まだ携帯電話もない時代のことで、経営トップの好奇心の旺盛さに振り回され全然連絡が取れなくなる苦労話や、おかしなことに着手して事後報告でばかり無茶なことを聞かされたこと。
その尻拭いをしていたらなぜか大きなビジネスにいくつも発展したことなど、その話はまるで夏休みの思い出を語る少年のようですらあった。
ちなみにヒット商品になった「冷凍骨なし魚」も、こんな経営トップがある日突然社内に持ち込んできた案件で、その常務を含め、当初役員会ではものにならないと考えていたようだが、そこはワンマン企業のことだ。
トップの鶴の一声ですぐに製品化されると、すぐに病院給食などの「誤嚥」が命に関わる現場で採用され、それを皮切りに一般のスーパーでも販売されるようになった。
まるで小学生のように落ち着き無く、それでいてビジネスの種を見つけてくる経営トップの話を苦労話として語る金庫番だったが、その表情は楽しそうで、会社と経営トップを愛していることは明白だった。
同様に、中堅企業のCFOとして、経営トップの無茶振りに泣かされることも多かった立場であったが、その壮絶な経験談は、自分などまだまだ甘いことを教えてくれるものであった。
この経営トップと常務は、いわば
「無茶なイタズラっ子の種まき」と、「ビジネスとして形にする優秀な参謀」
という意味では、これ以上ないCEOとCFOのコンビだったのだろう。
そして、型破りなCEOと、その無茶振りを形にする力量を持ち合わせていた番頭の活躍で、会社は日本を代表する企業に成長したが、そのサクセスストーリーはある日突然終わりを告げる。
終わりは突然であったが、しかし私見を少し混じえさせてもらうと、7年越しの非常に仕組まれたものであった。
その会社は突然、「不正な取引」をしていた事実が明るみになり、なおかつ立て続けに、「廃棄予定であった食品を売っていた」という“スクープ”をリークされ、世間からの徹底的な批判に晒され、創業経営者が退陣に追い込まれる騒ぎに発展した。
なお、ここからは完全な私見であり根拠のない憶測なので、当事者の名誉を害する意志はない。
憶測故にデタラメである可能性も高いことを理解した上で読み進めてほしいが、この一連の騒動は、仕組まれたものであったと思っている。
その会社は、この騒ぎから遡ること7年ほど前に、ある一部上場企業と資本提携をし、取締役を1名受け入れていた。
資本業務提携先の会社は、本業である嗜好品が世界的に規制され、経営の多角化が必須になっている経営状況である。
その中で、比較的業績が安定して望める国内の食品業界をM&Aで広く傘下に入れる計画を立てていたのだが、その時に資本提携をしたのがその会社だ。
それから7年。
持株比率は経営の意思決定に大きな影響を与えるほどでは無かったが、それでも大株主であり、その役員の出身母体の大きさや政治力も相まって、経営に対する発言力が高まりつつあったのであろう。
長年「手を染めた」とされる「不正な取引」を指摘され創業経営者は退陣に追い込まれ、更に消費者にとってはよりセンセーショナルに響く「期限切れ食品の販売」というスクープ。
実はこの時期も、私は自社の大株主であったことからその会社に足を運び、常務と創業者社長とも変わらぬ付き合いを重ねていたのだが、この時に聞いた話は、CFOとして聞く限り、果たして「不正な取引」と言えるのだろうか、という事件の実態であったように思えた。
ただ、この事件では結局その会社は黒と最終的に判断されたので、その善悪を論じるつもりはないのも事実だ。
しかしながら、この騒動で結局何が起こったのか。
創業者を含むプロパー経営者の全員追放であり、田舎町の本社ビル売却であり、資本提携先であった会社の、その会社の買収と完全子会社化であった。
そして程なくして、本社は田舎町から東京の、その親会社の下へ移転された。
一番得をしたのは誰か、ということから考えると、なんとも後味の悪い騒動になってしまった感があるが、おそらくそんなことを記憶しているのは、もう誰もいないであろう。
創業当初から常に経営トップのそばに仕え、会社を大きくすることに貢献した金庫番も、これほどの「仕組まれた」意図には無防備であったのかもしれない。
これらの話は全て、憶測の域を出ないが、最後の最後で、この経営トップと金庫番の素晴らしいコンビは足元を掬われることになってしまったのであろうか。
途中経過がどれほど優れたCFO(的なポジション)であっても、最後がこの形であれば、果たして「優れたCFOであった」という評価をもらえるのか。
恐らく難しいであろう。
余談だが、かつてこの常務が、私にこんな話題を振ってきたことがある。
「君はホリエモンをどう思う?」
時期的には、ホリエモンが逮捕され、その是非が経済界を賑わしていた頃だ。
以前私のコラムにホリエモンさんがコメントを寄せて頂いていた事があるので、或いはこのコラムもお目にかかることがあるのかもしれないと思うと恐縮だが、当時まだ30歳そこそこであった私は、
「証券市場をメチャメチャにしたとんでもない経営者だと思いますね」
と、やや感情的に答えた。
それに対しその常務は残念そうな顔をしながら、
「そう思うか・・・私は面白い男だと思う。」
とだけ言って、会話が途切れてしまった。
結局、常務のホリエモン評は聞けずじまいだったが、ただ、それから10年以上がたった今、今私が同じことを聞かれたらきっと、
「上手いか下手かはともかく、面白い男だったので逮捕は残念ですね」
と答えたように思う。
自分で会社をやってみてわかるが、事の善悪はともかく、自分には彼を論じるほどの器量の大きさも度胸もない。
真似をしたいとは思わないが、その意味において、一方でとても羨ましい生き方をしてきた豪放な男であるとも思っている。
それを「面白い男」という表現に込めるだろう。
世の中に無いものを生み出してきたCEOとともに会社を大きくしてきたその常務には、私とは全く違うものが見えていたのであろうか。
あるいは、フロンティアであったがゆえに、様々な規制やルールと戦い、勝ち残ってきたその記憶が、ホリエモンを「面白い男」だと感じさせたのかもしれない。
今となってはわからないが、ただ少しだけ、私の考え方は当時の常務に近づいたような気がする。
CEOの執念とも言える信念
先の例のような、いわば参謀に恵まれた経営者に対し、世の中の多くの経営者はほとんどが孤独であり、理解者がいない中で孤軍奮闘をしている。
それも当たり前で、特に未上場の中小企業の場合、会社の売上と利益に人生を本当の意味でシンクロさせているのはCEO一人だけだからだ。
いくらCOOやCFOといったところで、多くの場合会社が潰れても、家までは取られることもなく、銀行借り入れの債務保証までしていることはない。
どれだけ経営トップの意識レベルに近づこうと努力しても、土俵が違うので、近づくことも困難であろう。
わかりやすく言えば、「CEO以外にとって、会社経営はひとごと」なわけだ。
こればかりは、世の中の経営者の多くが越えることができない大きな壁だが、経営者であるあなたはこの状況をどれほど受け入れ、そして自分の信念を貫けるだろうか。
先の例のような「やんちゃ坊主」のCEOとはまた違う、一人の経営者の例を上げてみたい。
男の名は鍵山秀三郎。
若干28歳にしてローヤル(現イエローハット)を起業し、一代で売上高900億円の東証一部上場企業を作り上げた経営者だが、彼の座右の銘の一つに禅宗の開祖、「達磨大師」の格言がある。
それは、
「唱道(しょうどう)の人多けれど、行道(こうどう)の人少なし」
と言うものだ。
道を説くものは多いが、道を行うものはほとんどいないという意味だが、同じような事を太平洋戦争開戦当時の日本海軍連合艦隊司令長官であった山本五十六は、以下のように歌っている。
「やってみせ 言って聞かせてさせてみて ほめてやらねば 人は動かじ」
どちらも、言うだけでなく自らも必ず実践してみせよ、という教えだが、鍵山はこの「率先垂範」を自らに厳しく課し、どのような仕事もまず自らやってみせるというのが、その信念であった。
そうしないと、絶対に人は育たないという確固たる思いがあったからだ。
しかしながら、自動車部品販売の小さな小売店に働きに来てくれるのは、時代背景もありやんちゃ坊主ばかり。
誰一人、鍵山の言うことを聞こうとせず、会社の業績は伸びるどころかやっていくのが精一杯の状況で、厳しい経営環境が続く。
このような中、鍵山は毎日早朝、誰よりも早く出勤してトイレ掃除を始め、会社を常にピカピカに磨くことを始める。
とはいえ、そんなことを始めたところでサラリーマンが共感するはずもない。
また社長がおかしな事を始めたと冷ややかな目で見るに過ぎなかったが、やがて鍵山の早朝掃除は、トイレだけでなく営業車にまで及んだ。
会社を大事に思わず、営業車も汚れまた事故率も非常に高かった社用車が変わり始めたのはこの頃だった。
社長自らがきれいに掃除し洗った車を、汚し放題で粗末に扱う様な社員はさすがにいない。
それどころか、一人ずつこの早朝掃除に加わるものが増え始め、やがて営業車は常にきれいな状態で整備され、事故率も激減したそうだ。
少しでも汚れているところには、人は平気でゴミを積む。
しかし、きれいに掃除をされた清潔な環境に平気でゴミを捨てることが出来るのは、相当な人でなしだけだ。
このようにして、たった一人で始めた掃除の作業はやがて従業員の価値観として浸透し、やっとのことで業績も伸び始める。
鍵山は当時のことを振り返り、
「掃除の大事さを社員に伝えるのに、30年かかった」
と語っているが、CEOとしての信念の強さ、絶対に諦めない確固たる意志は凄まじいものだ。
鍵山はそれを、「凡事を徹底して非凡に高める」と表現しているが、これもまた、CEOに向く人間の一つの典型的な例であり、我慢強さであり、気持ちの強さであろう。
良き参謀に恵まれない時の、孤軍奮闘の経営者には必要な素養であるのかもしれない。
ところでこのような「典型的な良い話」。
本当に早朝から掃除をしたくらいで会社が変わることが出来るものなのかどうか。
実はこの鍵山秀三郎氏の教えを実践するNPO法人、「日本を美しくする会 掃除に学ぶ会」と言うものがある。
正確にはかつてあった記憶があるので、このコラムを書く時に久しぶりに検索をしてみた。
すると立派なWebサイトがあり、今も活発に活動し、その詳細な活動報告が記載されていた。
何をする会かと言えば、鍵山氏に習い、経営者自ら掃除を実践して気付きを得ようとするものだ。
掃除一つでそんなに会社が変わるきっかけになるものなのかと試してみたくなり、10年以上前に3回ほど参加したことがあるのだが、その活動内容は相当なものであった。
日曜日の早朝に集合し、地域の小学校や公衆トイレの掃除を行う。
しかもボランティアではなく、参加費を支払ってだ。
そしてトイレ掃除はゴム手袋などしない。
皆素手で、汚れた便器をきれいに磨き上げる。
こびりついた汚れは指先でこそげ落とす。
汚いものであると思い掃除をしても、本当にきれいにすることなどできないという考え方であったような気がするが、気のせいか同じような話が「金八先生」にあったような気がしないでもない。
いずれにせよ、こんなことを自社の経営トップが毎日早朝から率先垂範で行っていれば、その鬼気迫る姿に色々な思いが込み上げ、舐めた仕事ぶりなどできなくなるのは当然であろうと思えるものだった。
ちなみに私は3回参加しただけでギブアップした。
とても真似出来ないことだけはわかったが、「凡事を徹底して非凡に高める」ということの難しさを思い知らされる思いであった。
CFO化する経営者
CEOとは、常に新しい価値を生み出し続ける事ができる能力を持った者が、やるべき仕事であると考えている。
ここでいう新しい価値とは、何も世の中にない新商品を生み出し続け、あるいは画期的なサービスを生み出し続けるアイデアマンのことを言っているわけではない。
世の中には居酒屋という業態や焼鳥屋というサービスは溢れるほど存在するが、それでも「鳥貴族」を育てた大倉忠司社長が現在進行形で育てている焼き鳥チェーン店は、新しい価値を生み出したものであることは疑いがないだろう。
ワタミフードサービスの渡邉美樹社長がまだ若手経営者の頃で、日経ベンチャーオブザイヤーを受賞した頃に、氏が参加していた経営者懇談会に、私も参加したことがある。
その席で渡邉社長が言っていたことはどれも刺激的なものであったが、中でも記憶に残っているのは、
「居酒屋だからといってサービスを軽視する店が多すぎる。この状況なら、我々が勝てないはずがないと思った」
という趣旨の話だ。
要旨、世の中にある居酒屋は酒を呑むところであって、酔っぱらい相手だからサービスの質を重視するような店はほとんどない。
その中で、注文を取る時には必ず相手と同じ目線まで膝を落とし、笑顔で相手の目を見つめる。
お絞りを渡すときも同様に相手の目線まで膝を落とし、一つ一つ手渡しをする。
上からテーブルに置くような当たり前のサービスなど絶対にしない、というものだ。
スーパーマーケット事業を始めようと思っても、大資本には必ず負けるが、飲食店は大手の看板だけで客が来るわけではない。
そのお店に客がつく以上、近所に大手のチェーン店があっても何も怖くないから居酒屋を始めたということであったが、その中で、大手と同じ値段で同じような商品を出しても、サービスで群を抜いていれば必ず勝てると思ったと言うような話であったと記憶している。
今でこそ、どこの居酒屋でも当たり前にやっている「客目線でのサーブ」というサービスだが、私の知る限りこのような気持ちのよい接客をチェーン店で最初に始めたのはワタミではなかっただろうか。
これもまた、世の中にすでに存在する事業に「新しい価値」を創造する一つの事例だ。
そういう意味では、「少し安くて少し良い」のフォロワービジネスの考え方は、実は時にイノベーションすら起こす可能性がある、素晴らしい考え方にもなり得る。
要はそれを、「凡事を徹底して非凡に高める」まで、徹底することが出来るかだ。
会社が大きくなって経営が安定しても、この考え方は常に基本として持ち続け、自社のサービスや製品にイノベーションを起こし続ける力があること。
またそのようなイノベーションを通じ、社員に夢を与えることができること。
これこそがCEOに向く人物に不可欠な能力と言えるだろう。
その一方で、私は「証券市場」というものにやや否定的な考え方を持っている。
正確に言えば、証券市場が悪いわけではなく、株主の幼児性に問題があると言うべきであろうか。
それは、「会社は毎年、増収増益をしなければならない」という幻想的な期待値を持っていることであり、期首に発表した経営計画から実績が下回れば、経営トップの首を取るまで収まらなくなるような株主の存在だ。
しかしこのような風潮は確実に常識として定着しており、経営者側もそのような意識で会社を経営するため、かくしてまともな経営者が育つはずがない上場企業が量産される。
そもそもの問題は、「予算」という考え方だ。
経営計画はもちろんあっても良い。
しかしながら、達成するべき予算というものの存在は、どこかのタイミングで、捨て去るべきものであるとすら考えている。
なぜなら、この「予算」という考え方が、日本のCEOをCFO化させている元凶であるからだ。
そもそもこの予算という考え方は、いつから存在するものなのだろうか。
その起こりは、一説には1920年代のアメリカとされ、デュポンやネラルモータース、シーメンスといった大企業が導入したことから、一気に広がり始めたものとされる。
しかしこの予算というものほど、いい加減なものはない。
なぜなら、予算を立案した時に前提としたマクロ経済環境や競合他社の状況、天候や政治的動向などは全て静的で変わらぬ前提であり、実際にはそれらが複雑に絡み合い、自社の業績にも影響を与えて状況を変え続ける。
CEOで完全にコントロールできることなど、おそらく自分の報酬くらいのものであろう。
もっともそれすら、今の日本では自由にさせてくれない法人税体系になってしまっているが。
にも関わらず、多くの上場企業では、あるいは未上場企業であっても外部株主が存在する会社では、期首にたてたこの予算に手足を縛られ、かくしてCEOはその数字を守ることが至上命題になり、時にテクニカルな手段を使ってでも「予算達成」を図ろうとする。
もはやそのようなCEOはCEOではない。
しかしながら、よくご存知のように、日本を代表する大手企業でこのような行為が横行した結果、証券市場から退場を命じられたか、あるいは退場寸前になっている会社がある事はよくご存知だろう。
株主の期待に応えるために重ねた虚像がやがて破裂し、これ以上無い形で株主に大迷惑を掛けるのは、もはや悲劇を通り越して質の悪い喜劇ですらある。
そしてこれは、何も大企業に限った話ではない。
エクイティという資金調達手段を覚えると、まるでそれが万能な手段であるかのように錯覚する頭の悪いベンチャー経営者は多い。
かつて私がCFOとして務めた会社では、大量の仕掛品や在庫を計上するなどして、その決算書を元に増資をしたい、と、どこで聞きかじったのか小学生レベルの粉飾を行う相談を持ちかけてきた。
付き合いきれず短期間で辞任したが、このようにCEOが業績を「作りに来る」会社は、必ずダメになるという予感しかしない。
数字の「操作」などはCFOにさせるべきものだ。
一時しのぎのレベルであれば、手慣れたCFOなら、合法的で全く問題がなく、それでいて公認会計士にも問題無しのハンコを押させる帳簿を作る引き出しはいくつも持っている。
わかりやすく言えば、CEOはしょせん経営しかできないバカなのだから、バカに徹するべきということになるだろうか。
人を惹き付け夢を語り、社員の目を輝かせることが自分の天命であると自覚し、自社と自分に足りないものは何かを冷静に分析をした上で、足りないパーツを補うこと。
そして事業の実現を果すまでは絶対に諦めない強い意志を持ち、その延長線上に社員のやり甲斐と幸せをシンクロさせることができること。
これこそがCEOの役割であって、このポジションに就くべき人間が持ち合わせるべき素養であろう。
そしてCFOは、そんな愛すべきバカとその会社をこの世で一番愛していること。
CEOの夢と自分の人生をシンクロさせたら、そこに一点も迷いもなく突き進むことが出来ること。
時には、目的の達成のためにCEOに成り代わってでも汚れ役を引き受けられること。
このようなところが、ベンチャー企業のCFOに求められる素養であり、能力であろうと考えている。
逆に言うと、CFOはCEOを、バカでやんちゃで魅力的な経営者で居させ続けなければならない。
CEOは、CFOを始めとした役員以下幹部社員を信頼し、忍耐強く我慢する能力を身に着けなければならない。
それぞれが自分の役割を理解し、体を預け合いながら組織の最高幹部になる覚悟があるか。
それがCEOやCFOを始めとした、ベンチャー企業経営者に求められる素養であり資質であろう。