近年「多様な働き方」に注目が集まっています。女性の活躍推進から端を発して、リモートワークや育休制度の充実化、週休3日制など、企業が様々な施策に取り組んでいます。国としても、日本の労働人口の減少や、残業過多による労働生産性への課題などからダイバーシティマネジメントこそがそれらの課題の解決と直結するとし、「働き方改革」を掲げ、非正規労働者の優遇・長時間労働問題の解決・国籍や人種・セクシャリティを越えた人材の活用を目指し始めています。
<出典:首都官邸 – 働き方改革の実現>
このような流れの中で、クラウドソーシングも隆盛し、イラスト・ロゴ作成やキュレーション記事の作成、システム設計などの仕事も簡単に個人で受けられるようになっています。
確かに、専業主婦として家庭にいる女性や、定年退職をされてもなお働きたいという高齢者層に仕事が振られることで経済は活性化する可能性は大いにあると思います。
しかし、私は一つ疑問に思っていることがあります。それは「せっかく活かした労働力がいずれ活かされなくなるであろう未来を想定しているのか?」ということです。
急激なスピードで進化する人工知能
人工知能の研究の第一人者、レイ・カーツワイル博士によれば、このままAIや人工知能の技術が進化して行けば、いずれ「人間の脳をコンピューターがスキャンできるようになる」時がくるそうです。その時に人類は「シンギュラリティ」(技術的特異点)を迎え、そこから誰にも予想できないような進化を遂げるのではないか、と予想されているのです。そのシンギュラリティが2045年までにくると想定されています。
博士はその著書の中で、人類の進化の歴史は決して右肩上がりの直線ではなく、指数関数的に進歩しているため、その技術的特異点を迎えると、予想だにしないスピードで進化していくと主張されています。
2020年代にナノボット(※1)の時代が到来すれば、神経活動における重要な特徴をひとつ残らず、脳の内側から、非常に高い解像度で観察することができるようになる。脳の毛細血管に何十億個ものナノボットを送り込めば、脳の働きの全てを、非侵襲的にリアルタイムでスキャンすることができる。もうすでに、今日の比較的未熟なツールを用いて、脳の広範囲にわたる領域の効果的な(まだ不完全ではあるが)モデルが作られている。
(※1)筆者注。ナノサイズ(1メートルの100万分の1)規模の、非常に小さなロボット。肉眼では認識できない、機械的な細菌や微生物のようなもの。
実際に博士のコメントを証明するような技術はもうすでに存在しています。例えば体内をかけめぐるナノボットについては、2016年の段階でケンブリッジ大学の研究チームが、直径0.06㎛(1㎛=0.001㎜)の、人間の髪の毛の約1000分の1のサイズの超小型エンジンを開発しています。
<引用:ROBOTEER – 世界最小のナノロボット・エンジン「アント」が公開される>
つい先日も、テスラモーターズのイーロン・マスク氏が『Neuralink』という会社を立ち上げ、脳とコンピューターを直接接続する技術の実現を目指しているとの記事が報じられました。記事を読むと、イーロン・マスク氏はすでに、人間の体内に埋め込んだデバイスを通じて、脳内データを外部装置やクラウドへ移行できる技術をイメージできていることが伺えます。
<引用:WIRED – 実現は5年後? イーロン・マスクの新事業「Neuralink」は、脳とコンピューターの接続を目指す>
この二つの事実を見るだけでも、「脳の毛細血管に何十億個ものナノボットを送り込めば、脳の働きの全てを、非侵襲的にリアルタイムでスキャンすることができる。」と予想する博士の主張は、かなり現実的なものだと理解できます。
加えて、遺伝子やバイオ技術・ロボットやAIなどの技術が、様々な業種業態で掛け合わされて指数関数的に進化していくとなると、テクノロジーは私たちの想像の追いつけないスピートで圧倒的な進化を見せていくと博士が主張するのも頷けます。
であれば当初2045年と予想されていたシンギュラリティーは、それよりも早く実現するかもしれません。「働き方を多様化させよう」としている人たちは、このインパクトを どこまでイメージしているのでしょうか。
シンギュラリティ以降の、例えばライターという仕事
今、私はライターとしてこの記事を執筆しているわけですが、もし仮に私の脳の中にある情報を全てスキャンできるようになるとすれば、次のようなことが起こります。
コンピューターは、私の脳の中にある思考・イメージ・記憶などの情報はビッグデータとして蓄積し、過去の記事から記事構成や使用する単語のパターンを解析することで、いかにも「川口美樹らしい記事」を書き上げるでしょう。
そうなると私はMacBookに向かってカタカタと文字を打つ時間が必要なくなり、24時間永遠と「川口美樹らしい記事」を書き続けるコンピューターに、完全に仕事を丸投げできてしまう、というわけです。
この時、ある見方をすれば私はコンピューターに「書く」という仕事を奪われたとも言えます。しかし別の見方をすれば、その「書く」ために必要なアイデアの源泉は私の脳の中にあるので、私のライターとしての価値が「書くこと」ではなく「思考すること」に移行したとも取ることができます。
つまり、「書く」というスキルに価値がなくなり、何を考えているか?というその人の脳の中身に価値が出てくる未来がやってくるのではないかと私は考えているのです。
私のライティングスキルのように、これから多くのスキル・能力はコンピューターやロボットに代替されていきます。例えばネイリストの技術は自分の好きなデザインを正確に描ける3Dプリンターの技術でまかなえるようになり、タクシーの運転手は自動運転と配車アプリの組み合わせによって、その仕事を取って代わられるでしょう。(※2)
では、私たちはそういったリスクに備えてどのようにして自分という人間の価値を高めていけば良いのでしょうか?
(※2)
<引用:IT media NEWS – 日本の労働人口の49%、人工知能・ロボットで代替可能に 10~20年後 NRI試算>
<引用:週刊現代 – オックスフォード大学が認定 あと10年で「消える職業」「なくなる仕事」>
人材としての価値はSTORYに移行する
私たちの仕事は、私たちの生きてきた中で培った「体験」から生み出されているとも言えます。その体験を元に、手を動かし頭を働かせて様々なものを創造しています。
ということは、その人がその人生の中で何を体験し、その体験をどう捉え、何を生み出していきたいと考えるのかによって、その人のアウトプットが変わってくるということでもあります。つまり、「生き方」=その人が生きてきたSTORYそのものに価値が生まれるのではないかと考えています。
そのアウトプットの作業をどこまで機械がやるのかは、その時の仕事の種類、機械の精度などによって変わってくるのでしょう。ただ、ひとつ確実なのはそのアウトプットを生み出すには「体験」が必要になるということです。
さらに、ロボットが人間以上の知能を持つようになるのなら、いずれ意志をもったロボットも生まれ、ロボットが意志をもってする体験にも価値が出るでしょう。
今までは人と人が「スキルや能力」によって人材としての価値を競っていましたが、今後は人と人に加えてロボットも含めて、その個体がする「体験」とそれによって生まれた「思考」によって価値の競争を行う可能性があるということです。
必要なのは「多様な働き方」の創造ではなく、「多様な生き方」の容認ではないか?
さて、冒頭の話に戻ろうと思います。「働き方」が多様化して、多くの労働力が最大に活かされるのはとても有意義なことだと思います。しかし、その多様化した働き方で活かされるスキルはいずれ、機械にとって替られます。
現代日本は、とても生きづらい社会です。「私はこう思います」と言えば誰かが非難する。そんな世界では自分らしい生き方は醸成されていきません。方やアメリカでは、その歴史的成り立ちゆえに、異なるバックグラウンドを持った人間を理解し、尊重する文化があると言います。(※3)
(※3)
<参照:学研出版サイト – ダイバーシティ(多様性)から創られる価値>
多様性(ダイバーシティ)を理解し、「自分はどんな価値観を持った人間であるか?」を個々人が考え追求し、共有し、そして周囲がそれを尊重することで、多角的な視点を持つようになりクリエイティブな発想も生まれてきます。
日本がダイバーシティを受け入れない状態が続けば、誰かの真似をした、ステレオタイプの生き方を強いられることになり、あぁしたいこうしたいという個人の「体験」が狭まっていきます。そうすると「体験」に価値がおかれるであろう未来では、価値のない人が量産されてしまうことになってしまうのではないでしょうか。
私は、その人がその人らしい「生き方」を選択し、そこから得られる「体験」をアウトプットする経験こそ養われるべきだと考えます。それがその人の財産となり、代替不可能な価値になっていくからです。
であれば、「多様な働き方」を促進された「だけ」の労働力はシンギュラリティー以降の未来において、無価値になるかもしれません。だからこそ日本が来たるべきシンギュラリティーに備えて促進すべきなのは「働き方」の創造ではなく、「生き方」の容認ではないかと思うのです。
そのさまざな「生き方」が認められて初めて、本当の意味での「働き方改革」が成功することになるのではないか、と私は思うのです。