私が芸能活動をしていた時、演技指導の先生にこんなことを言われました。
「いいか川口、売れるためには二つの素養が必要になる。なんだと思う?」
「やっぱり演技力と、、、あとは例えば番組に出た時のトーク力とかでしょうか。」
「それは、”スキル”の話だな。そうじゃなくて、こういうやつは後々伸びる、ってやつに共通する人間性みたいなもんだ。」
「いやぁ、皆目見当がつかないですね。どんな素養があればいいんですか?」
「俺も多くの人間を見てきたけど、うまくいってたやつには、上に可愛がられる力と、目指している基準の高さが共通してあったと思う。」
「??具体的にはどういうことでしょうか?」
「つまりだな…」
素養その1、可愛がられ力
ここで読者の皆さんには、俳優という職業の少し不思議な立ち位置に関して、簡単に説明を加えておきたいと思います。
俳優は肖像権や著作権というややこしい問題のために、自分自身で勝手に仕事を取ってくることはあまり好ましく思われません。このため俳優は事務所が仕事を取ってきてくれる、もしくはオーディション情報をくれるのを常に「待っている」状態を余儀なくされます。
仕事の話の多くが「口コミ」で行なわれている世界ですので、「情報を取りに行きたいのに行けない」というのは、営業マンが外部への営業活動をできないと同じくらい致命的なことです。
また事務所の先輩や共演者は、その時は同志でも明日のオーディションでは競い合うライバルになる可能性がありますから、積極的には「情報」を共有したがりません。では、俳優たちはどのように仕事を取るのか?
一番正確なのは「事務所のマネージャーもしくは社長」か「キャスティングディレクター」という仕事情報を持っている上流の人間にアクセスすることです。とはいえ、簡単には情報をもらえるわけではありません。
そこで必要なのが「可愛がられる力」なのです。一度可愛がられれば、どんどん情報が入ってくるようになりますので、その量に比例して出演するチャンスも増えていきます。そして現場に出られれば、当然その分だけスキルが向上していき、また情報を持っている人との関係も増えていくのです。
この正のスパイラルの起こし方は、私の今の仕事にも生かされています。これは決して「媚びを売る」だけではできない、ある種の処世術のようなものだと認識しています。
■可愛がられる力の3要素
上に可愛がられるようになる人の特徴は3つの要素に分解できると言えます。それは
- 「ポジショニング」
- 「吸収力」
- 「気遣い」
の3つです。まず「ポジショニング」ですが、ここでは、〇〇のことならあいつに任せよう、ブランディングをすることを指します。
その組織なりコミュニティにおいて、「必要だけど誰もやってないこと」を率先して引き受け、あたかもその専門家であるようなPRをしていきます。(実際に専門家である必要はなく、人よりもちょっと詳しいくらいで問題ありません。)
私が芸能活動をしていた頃は、今ほど誰もがスマホを使いこなせる状態ではありませんでしたので、スマホの使い方を教えてあげるだけでも喜ばれました。結果「機械のことなら川口に聞け」というポジションが上の人との接触頻度を上げてくれました。そうすると今度は向こうからお礼とばかりにいろいろ有益な情報をくれるようになりました。
その関係性が築けたら次に必要になるのが「吸収力」です。いいお店を紹介されたら行く、オススメの映画を聞いたら観る、指摘をされたら素直に受け入れる。スポンジのように自分にありとあらゆる情報を吸収していきます。そしてその感想を感謝の気持ちを添えて伝えます。
「こないだのお店めちゃめちゃうまかったです!」「あの映画はかなり考えさせられました。」「その視点はありませんでした。ご指摘、ありがとうございます!!」と言った具合でしょうか。
人の役に立てて嫌な気持ちになる人はまずいません。情報を渡した相手が喜んでくれればくれるほど、もっと情報を渡したくなるのが人間の性というものです。
そういったやりとりの先に相手の好みや人間性が理解できるようになったら、その人がやられたら嬉しそうなことをさりげなくやる、という「気遣い」が功を奏します。
その人が仕事なり作業を進めやすいようにあらかじめこちらで手配しておく、もしくは期待を越えるパフォーマンスを出すことです。
この気遣いは関係性が浅い時にやると「仕事ができるヤツ」という客観的な評価になり、関係性が築けている時にやると「私のことをよくわかっているヤツ」という主観的な評価になりやすくなります。この主観的な評価こそ、「可愛がられる」ために必要不可欠なものなのです。
素養その2、目指す基準の崇高さ
日本が誇る名優、浅野忠信さんと居酒屋で飲んだ時に言われた言葉があります。
「俳優として飯を食っていく方法は一個しかない。今やってるアルバイトをやめて、明日から俳優として飯を食っていくと決めることだよ。」
当時の私からすると「アルバイトをやめるなんて食べていけないじゃないか!」という感覚でしたが、その感覚がすでに俳優として食べていけないことへの証明なんだと気づいたのは、残念ながら自分で仕事をやり始めた後でした。
私は、夢や目標はその人の経験やスキルに応じて大きくなるものだと思っていました。「自主制作映画の次はTVドラマのちょい役。その後に全国公開の映画にちょっとでも出て、徐々に経歴を積んで行って、いつかアカデミー賞に出られたらいいなぁ」ぐらいに思っていました。
一方振り返ってみて、売れていた人たちに共通して言えたことは、目指している基準がそもそも高く、売れてない時からその世界の最高基準を目指していたということです。
そういう人たちは何の実績もない時でも「俺はアカデミー賞最優秀男優賞を獲る」という目標を掲げることができるのです。どちらかというと私はそれを他人事のように聞いていた側の人間でした。
どちらの方が伸びしろがあるのか、と聞かれたら一目瞭然ですよね。TVドラマのちょい役を目指す人間と、アカデミー賞を目指す人間。同じ稽古をしても得られるものが全く違うことは想像に難しくありません。
いまの自分にできる最高のパフォーマンスを出し切ろう、というのはアマチュアの発想です。そうではなく、「どうしたら自分の目指す理想にふさわしいパフォーマンスに近づけるのか?」の発想で毎日の活動をしていた人たちが、いまも活躍されている人たちなんだと思います。
可愛がられ力×目指す基準の高さ=?
「この二つの素養はな、足し算ではなく、掛け算なんだよ。」
「掛け算、ですか?」
「どんなに可愛がられる素養があっても、本人の中で目指す基準が低ければ、吸収できるものに限界がある。逆に、どれだけ基準を高くしても、可愛がられなかったら独りよがりな芝居しかできないんだよ。可愛がられることによって入ってくる情報が横の枠を広げてくれ、自分の目指す基準が縦の枠が広げてくれるんだ。その面積の大きさがお前の可能性だ!」
「おお!なんかかっこいいですね!!」
「とにかく、この二つの素養は掛け算だ。どっちが欠けてもいけないぞ!!」
「はい、わかりました!」
…
当時の私に会いに行けるなら、「わかってないだろ!」と思いっきり引っ叩いてやりたい気持ちでいっぱいです。ただ、自分で仕事をするようになったいまでは、この時の先生のおっしゃっていたことがよくわかります。
この二つの素養は掛け算です。そしてそこから求められるのは本人の可能性、つまり「伸びしろ」です。どこまでいきたいかという本人の目標と、それを応援してくれる人たちのアドバイスが、自分の可能性をいかようにも広げてくれるのです。
俳優として売れることができなかった私がもし、これから新しいキャリアを踏み出す人に言えることがあるとすれば、ぜひその業界の最高基準を目指してください、ということです。
そうすればあなたの可能性はきっと無限大に広がっていくはずです。