ターンアラウンドの現場-荒みきった会社をマネジメントするには

ターンアラウンドの現場-荒みきった会社をマネジメントするには
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リーダーとは全体への奉仕者-。
そんな「きれいごと」を耳にしたことが無い人は、おそらくいないだろう。
自己啓発本のたぐいで好まれるフレーズで、その論調は概ね、部下と組織のために献身的に仕事をするものこそが真のリーダーである、というような内容を説く。果たしてこのような本を読み、どの程度の人が参考になるのだろうか。
ましてそのうちのどれくらいの人が、それを実践的に活用できるだろうか。
おそらく0%に近いのが厳しい現実のはずだ。

しかし、このような考え方は本当に正しい。
特に、うまくいっている組織ではなく、経営が傾き従業員の心が会社から離れ、リーダーシップ不在の状態に陥っている組織では、このようなリーダーが状況を一変させる存在にすらなりえる。

今から10年ほど前に、そんな現場に立った。
私自身がターンアラウンドの現場でマネジメントを担った時の話だ。

私は元来、面倒見のいい人間ではない。
自分に与えられた職責について、120%の成果を上げることには興味があるが、人を育てたり、まして人の仕事に関与しその成果を上げることに貢献しようなどという発想が皆無な人間だった。
つまり、自己啓発本でいうところの理想的なリーダー像からはもっとも遠いところにいる人間だった。

そんな人間が不思議なもので、ターンアラウンドマネージャーの職責を持ち、会社を立て直し業績を回復するためには、まず従業員と組織に対し役に立つ人間であることを証明しなければ何もできないことを思い知らされることになる。

具体的に話をしてみたい。
私は以前、すでに債務超過に陥っている会社で、ある人脈の繋がりで業績の立て直しを任され、取締役経営企画室長の肩書を背負った。
しかしながら、その会社は30年近い業歴があり、古参社員は20年超のベテランである。
ぽっと入ってきた人間がいきなり役員でございますと名乗ったところで、肩書を重んじてくれるような空気は皆無であり、むしろその肩書を背負ったことそのものが、反感を買う材料ですらあった。
さらに女性社員の比率が8割でもあり、その多くの社員が当初、敵意を隠そうともせずに私を排除しようとした。

仕事に対する姿勢の違いで性差に言及することはナンセンスであることは十分理解しているが、それでも敢えて誤解を恐れずに言うと、私は仕事に対する責任感は、女性の方が強いと常々感じている。
更に踏み込んで言うと、成果に対して実直であり、成果を上げることに障害になることを排除することに躊躇がないのは、女性の方がより強い傾向があると考えている。

男性であれば、仕事の成果を上げるために時間が足りないような場合でも、例えば組織としての円滑さを、成果を上げることそのものよりも上位のプライオリティに持ってくることが珍しくない。
例えば、時間が押しているレポートが未完であるにも関わらず、上司からプライオリティの低い仕事を振られたら、そちらを優先するような傾向は男性の方が高いのではないだろうか、という意味だ。

つまり、自分が任されている仕事がある時に、“経営企画室長様”が、自分の成果とは無関係に思われるような依頼をしてきた場合、男性の場合はまだそれなりの協力はしてくれるが、女性の場合は最初から露骨に拒否をしてくることを覚悟しなければならないと言うことだ。

このような仮説は多くの場合残念ながら的中し、そしてターンアラウンドの現場で直面した深刻な課題だった。
現場を把握するために現場に赴いても協力が得られないということは、私の仕事そのものが否定され、何もできないことを意味するからだ。

当初、失敗するパターンは決まっていた。
要旨、部長以下の社員を集め、この部署は残業時間が毎月突出しており、状況を調査したいのでご協力をお願いします、というような依頼のパターンだ。

「なんですか、また新しいレポートを書けというのですが?」
「偉い人って本当にそういう人ばっかり。何種類の報告書を書けば満足するんですかね」
「私達が無駄な時間を使って、無駄な仕事をしているって言いたいんですよね?」
「仕事内容を調べて何かを改善をした気になるなら、まずこの無駄な仕事をさせないで下さい」
「この時間すら無駄です。もう終わってもらってもいいですか?」
と言った具合で、とにかく散々な目にあった。

私自身、本当に甘かったと思うが、私にとっては現場の状況を分析し仕事の効率を向上させることは、社員のためになることだと信じていた。
それこそ、「リーダーは全体への奉仕者」というのはこういうものだと、思っていたと言っても良いかもしれない。

しかし、相手側の目線に立てば、このようなアプローチは、
「お前らは無駄の固まりだ。そのムダを俺が今から調べ尽くして、明らかにしてやる。」
と言われているに等しい。
残業代が突出して多いから調査をしたいという物言いは、聞くものにそのような不快さを与える。
このような人の気持ちの機微すら理解できないバカがリーダーを任されると、勘違いしたリーダーシップを発揮して組織はますます荒んでいく。

幸い私には、この間違いに気がつくことができる程度には救いはあったので、根本的なアプローチ方法を変えることができた。
相手は前回と同じ部署で、女性課長が率いるもっとも残業時間がかさんでいる部門だ。
なおかつ前回、「この時間すら無駄です。もう終わってもらってもいいですか?」と、一方的に会議の切り上げを通告し、私に絶望感を与えてくれた課長さんである。

私は課長一人に時間を取って貰った上で、単刀直入に要旨、以下のように質問した。
「なんでこんなバカなことしなあかんねんって思っている、無駄な仕事ってありますか?」
この問いに対する回答は圧巻だった。

「あるに決まってるじゃないですか。だいたい、会社の偉い人はみんな、現場を知らずに無駄なことばかり指示するんですよ。」
「偉い人はみんなそう、貴方の前にも偉い人がいろいろ言ってきたけど、的はずれなことばかり命令する。」
「どうせ貴方も同じなんでしょ?今回はどんな無駄な仕事を増やしてくれるんですか?」

凄まじい負の感情が溢れる。
完全に、彼女を感情的にする何かのスイッチが入った瞬間だったが、その言葉の一つ一つが、これまでどれだけ現場の社員が、的はずれなマネジメントの犠牲になってきたかを語るものだった。

ひとしきり話を聞く中で、無駄でどうしようもない作業や報告書などの作成で現場が疲弊していることは把握できたので、私はその場でそれら業務を仕分け、物によっては即時の中止を指示。
直属上司への説明は私からするので、特に無意味な業務についてはそのまま放棄しても問題ないと伝えた。

そして、無駄でしか無いと思われる他の作業についても状況を調査の上で、順次廃止するか他の作業と統合する工夫を約束し、本来しなければならない仕事に注力する時間を確保するバックアップに協力を惜しまないことを伝えた。

黙って聞いていた彼女は、まだまだ疑心暗鬼の目でしか私を見ていなかったが、それでも最後にひとこと、
「あなたみたいな偉い人は初めてです。もっと無駄なことはたくさんあるし、また話する時間をとってくれますか?」
と、私に対して僅かに心を開いた。

このコミュニケーションは、私に多くの教訓を与えてくれた。
ターンアラウンド中の荒んだ会社で、上司と組織を信じられなくなっている現場に対し、ポッと入社してきた“偉い人”が、俺に協力をしろとアプローチをしたところで、まともに相手にされるわけがないという事実。
そしてもう一つが、相手の仕事を尊重し敬意を払い、自分の存在は現場に対して奉仕をすることであることを、誤解のない言葉で伝えることの大事さだ。

動機において正しければ、どんな言い方をしても伝わるなどと思ったら大間違いだ。
恋愛と同じで、回りくどい伝え方をしても相手に受け入れる意志がなければ、自分が意図した内容で伝わるわけがない。
現場の役に立ちたいと思っているなら、役に立ちたいとそのまま伝えること。
そして、自分が組織に対する奉仕者であることをわかりやすい言葉で伝え、直ちに行動に移すこと。
そうすれば、最初のコミュニケーションくらいなら、成立させることができる。

もちろん、本当に大変なのはここからだが、仕事すらさせて貰えない状況は、この意識だけでも何とかすることができる。
初めて経験したターンアラウンドの現場だったが、まずはこの一件で突破口を開くことができ、荒んだ現場に入り込むことにだけは成功した。

INDEX
「信頼できる上司」がいない世界
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「信頼できる上司」がいない世界

リーダーとは全体への奉仕者、という言葉に触れたが、裏を返すと、私利私欲を隠そうともしない者はリーダーに本当に向かないということだ。
まして経営トップにわずかでもそのような体臭が感じられる場合、その空気は幹部社員に伝播し、誰一人、顧客はもちろん、組織と部下に対して誠実であろうとしなくなる。
私が取締役として経営の再建を担った会社には、まさにそういう空気が蔓延していた。
業歴は30年ほどある地域では知られた会社だったが、経営トップは自身の配偶者に専務取締役の肩書を名乗らせているなど、わかりやすい大阪下町の町工場のまま、売上だけが大きくなっていた。

家族経営を否定する気はもちろん無いが、それであればIPOを目指して外部のエクイティを入れるべきではない。
外部のエクイティを預かりながら、町工場の延長で能力も職掌も無関係に配偶者に対し、専務取締役などという肩書を名乗らせるべきではない。
結局のところ、この専務の存在は「会社は経営者一族の私物」という、経営トップからのメッセージを従業員に与える効果が強烈であると言う以上に、何の効果ももたらさなかった。
そしてそのことを毎日、朝礼で専務の訓示を聞かされるたびに幹部社員以下が思い知らされる。
「今日も私達家族のためにお仕事頑張ってくださいね」と。

こうなると、幹部社員で肩書を持っているものでも、組織と部下の仕事に責任を持ち、自分の職掌でリーダーシップを発揮しようとする文化など育つわけがない。
興味があるのは経営トップとその配偶者からの評価だけで、仕事がなくとも頑張って仕事をしているように見せることだけは、驚くほど上手になる。
そして無駄な作業やドキュメントの作成、ルーティンワークの指示を出すことで部下を上手にマネジメントしているように見せ始め、部下はこの仕組の中でストレスフルな毎日を送ることになる。

これが、信頼できる上司がいないという恐ろしい組織の状況だ。
自分の仕事の延長上には、お客さんの笑顔も感謝もない。上司からのねぎらいもない。
挑戦はリスクになるだけであり、何のメリットもない。

このような組織を何とかするためには、もちろん専務に退いてもらい、組織をマネジメントしていない管理職にも相応のポストまで退いて貰うことだろう。
しかし、そんなことを現実に、いきなり実行するのは非現実的だ。

そうなれば、段階的に為すべきことの方向性が見えてくる。
まずは自分だけでも、「信頼できる偉い人」のポジションを勝ち取ること。
そして業務の効率化の作業をすすめる中で、無駄な作業や業務を全て、私自身がその上司や部長に直接持ち込み、潰していくことだ。

もっとわかりやすくいうと、部長クラスが取り入れた制度や業務を「なぜこの業務をやらせているのか」と突き詰め、それがいかに無駄であるか、非効率であるかを思い知らせるという作業になる。
いたずらに敵対をするつもりはなかったが、現場が無駄であると訴えてくる業務はほとんどの場合もっともな意見が多かった。
しかしそれを素直に受け入れる上司はなかなかおらず、実に上手に言い訳を考えてそれがいかに必要であるかをもっともらしく説明する。
そうなると、幹部社員クラスとは常に激しく議論をするのが日課になったが、元々の目的に致命的な差があるので、議論の結果は明白だ。

即ち、業務を効率化し経営を立て直すという目的から作業をブレイクダウンしている立場に対し、自分の考えた仕組みが絶対に必要であるという結論から理由を絞り出そうする者が相手である。
故意に議論をずらし、話を噛み合わないようにする以外に相手に勝ち目はない。

とはいえ、無駄であることをわからせたところで相手は絶対に納得しない。
この作業は、現場の状況を把握して業務を効率化する上では大いに役に立ったが、一部の幹部社員との人間関係の上では、必ずしも良い結果を残さず、後々まで深刻な傷跡になったが、それは別に譲る。

そんなある日のことだ。
信頼できる上司がいない会社であることを象徴する、極めて不愉快な出来事に遭遇した。
ある工場で、入社から5年ほどは経っていただろうか。
20代後半くらいの、中堅にかかり始めたくらいの世代の女子社員が顧客との受発注で単純なミスをしてしまい、原材料ベースで100~120万円程度の完成品を廃棄せざるを得ないロスが発生した。
受け持っている数字から考えると、決して少ないとはいえない額だ。

これに対し、例の専務取締役は激怒し、工場長と女子社員を会議室に呼び出して厳しく叱責。
その辺りからただならぬ空気を感じて私も同席させて貰い、ことの成り行きを見ていたが、女子社員はただ泣き続けるだけでミスオペレーションの原因が見えない。
工場長はと言えば、こんな単純なミスをされたら管理しきれないと、社員の無能が原因であって自分では責任の取りようがないという趣旨の弁解を続ける。

工場長は自己弁護、女子社員はひたすら泣き続けるという、極めて非生産的な時間が30分ほど流れ続けた頃だろうか。
ついにこの専務取締役は、驚くべき事件の責任のとり方を工場長に指示した。

「工場長、あんたの責任じゃないなら、この子に損害額を弁済させるっていうことでいいね?」

さすがに一瞬、このセリフに工場長は怯んだが、専務がそういうのであれば従いますという趣旨の返事をし、女子社員は女子社員で、私の責任なので私が弁償しますと、極めて異常でクレイジーな会話が成立しようとしていた。

おそらく、私が役員に就任する前には、こういう光景が日常的に繰り広げられていたのだろう。
いくら狭い世界しか知らない経営者と幹部社員、そして従業員の会社であるとは言え、こんなバカげた行為は想定以上であったが、いずれにせよ絶対に許してはならない。
というより、こんな信頼関係が崩壊した会社で、よくルーティンワークが成立しているものだと、私は日本人がもつ生真面目さや帰属意識に、おかしな形で改めて感心したが、だからといってもちろん認めるわけにはいかず、すぐに口を開いた。

「ちょっと待って下さい」
「ん?」
専務は露骨に、不機嫌そうな顔を私に向ける。その目には怒りの余韻と敵意がこもっている。

「話を聞いている限り、私には彼女(女子社員)の非が見えません。むしろ今回のミスで一番の原因があるのは専務、貴方じゃないのですか?」
「はああ?」

一気に空気が凍る。
工場長は、これ以上ことを荒立てないでくれ、という泣きそうな顔で私を見つめ、逆に今まで下を向いて泣いていた女子社員は僅かに目線を上げ、変な生き物を発見した時のような、いろいろな感情がこもった目線で、私を見つめる。
もちろん私も、敢えて挑発的な言葉を選んで場を荒らしたわけだが、そうでもしないとこのおかしな結論がまかり通る空気を感じたからだった。

この状況で私が理解した問題点は、正確には以下のようなものだ。
受注から発注までは、一気通貫で女子社員一人がオペレーションにあたっており、なおかつ1日以上の十分なリードタイムがある。
にも関わらず、その受注の証憑を確認する工程もなければ発注書に責任者の確認印を押す工程すらなく、極めて属人的で、ミスを防止することができない仕組みであり、ミスは起こるべくして起こったものでしかない。
そしてこの発注書に従い、実際に仕入先に原材料の発注を行うのが、専務取締役が事業部長をしている部門だった。

そのため私は、敢えて専務の責任を大きく取り上げ、要旨以下のように責任を追求してみせた。

「特定の原材料で、いつもよりも過大な発注書が上がってくれば、当然この工程で専務が止められますよね?」

これに対し専務は、扱っている品数が多いのにそんなことに気がつけるわけがない現実的ではない、と反論してみせたかと思えば、みんなたくさんの仕事を持っているからお互いを信頼して仕事をしているんだと、自分は社員を信じていると都合のいい理屈を持ち出す。

そして、ひとしきり喚いたであろう、気が済むタイミングを見計らって、
「専務、それは彼女も同じなのでは?」
と努めて冷静に、それでいて押し返すように突き放すと、専務はやっと黙った。

そして私は、今回の件は属人性に頼り業務を進めていること、そして会社に通常あるべきチェック機能が無いことが原因であり、特定の誰かの責任に帰することが間違いだと、それが組織で仕事をする上での正常な考え方だとひと演説ぶった。
加えてその仕組みは、近日中に必ず新しい業務フローに落とし、有効な再発防止策を出すから、少し時間がほしいとまとめた。
この間も専務は、じゃあ今回の損失は誰がどうやって穴埋めするのかと的外れなことをブツブツ言っていたが、企業文化は一朝一夕には変わらない。

まずはわかりやすいルールと仕組みを作り、業務から属人性を排することだ。
そうでもしない限り、理不尽な裁定で上司にも、納得できない処分が飛んでくる可能性が存在することを理解できた。
そういう組織では、「私が責任を取ります」などと口に出せる上司が育たないのも当たり前だ。
信頼できる上司がいないことには必然の理由があり、ある意味で上司も組織の被害者であった。

 

結果を出して見せる

真珠湾攻撃の作戦指揮をとった司令長官、山本五十六は、このまま開戦に踏み切っても日本は敗れると予見し、最後まで開戦に反対し続けた知米派の知将であるが、彼は生前、人材育成について以下のような歌を残している。

「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、 ほめてやらねば、人は動かじ」

果たして部下を預かった時にこのような意識を持ちながら組織をマネジメントできる人がどれほどいるだろうか。
ましてこの組織のように、あらゆる階層で「成果」の定義が顧客満足でもなく部下を育てることでもなく、ただ経営トップやその配偶者の評価を得ることになってしまっていれば、信頼できる上司を目指す動機は無い。
その結果何が起こったのか、その一端については先述のとおりだ。

しかし、組織運営が機能しないことを誰かのせいにしたところで現実は変わらない。
そして多くの場合、この山本五十六の歌を教訓にして行動することができれば、ほとんどの組織で最低限の上司としての職責は果すことができる。

すなわち、まず自分には自分が指示する仕事を全てこなすことができる能力があることを証明してみせること。
そしてそのやり方を丁寧に教えてやること。
さらにそれを部下にやらせて見せて、上手くやることができたら褒めてやるということだ。

まるで幼稚園の先生のようだが、しょせん人間はいくつになっても承認欲求に支配され続けるものだ。
それまでできなかったことをできるようになり、そしてそれを誰かに褒められることほど、モティベーションを高められることはない。
それがそのことを自分に教えてくれた師であり親であれば尚更だ。

ターンアラウンドマネージャーとしてCFO兼経営企画室長という肩書を持っていた頃、こんなことをあまり意識したことはなく、正直に言って書いていることは後付けのことばかりだ。
しかし確かに、山本五十六の歌には、「今から思えば・・・」という含蓄がある。

この場合で言うと、現場へのフィードバックでこの考え方が活きた。
つまり私は、現場に入り現場から「不満」「ストレス」「無駄」を集めてまわり、それらを全て排除することから「業務の効率化」を図る最初の一歩とした。
つまり、現場から答えを聞き、それを形にして見せただけのいわばカンニングをしたといっても良い程度の仕事なのだが、その回答を現場に戻し、仕事の手間を削減して結果を出して見せればある程度社員の心を掴むことに成功した。
さらに、その教訓を形にして、このように仕事を勧めて欲しいと依頼する。
そしてその結果、必要な情報がタイムリーに入ってくる仕組みが出来上がれば、現場担当者に対して心からの賛辞を送った。

褒め言葉は、多少大げさで見え透いていても、会社から認められ上司からねぎらいの言葉を掛けられたことがないような荒んだ組織では、前向きな効果をもたらす。
そして従業員が、仕事と自分に誇りを取り戻し始めると業務は前向きに転がり始める。

私は現場から預かった課題(不満や無駄)のほとんどを改善しつつある。
そしてそのほとんどは、明確に決め事に落として、業務フローとして部署内で共通認識を確立すれば解決するという程度のものだった。
言い換えれば、業務には全てわかりやすいゴールを定義し、その道順を文書に落とすだけで事足りたと言うことだ。

先に上げた事例のように、発注ミスは誰の責任であるのかを属人的な裁量にさせないこと。
つまり、発注責任者は誰であり、ドキュメントを作成する女子社員と、その内容を確認し決裁をする責任者の機能を明確に文書化して、そこまでの流れを業務フローに落とすことだ。
しかしこのことだけでも、何か問題が起こった時に、専務取締役という「絶対裁判官」の理不尽な裁定に苦しみ、そして無駄に業務が止まる時間を根絶することができた。

このようなことが続くと、私に相談すれば問題を解決してくれるかもしれないという期待値から相談事を持ち込む社員が増え始める。
私は私で、それが仕事で成果を挙げるために必要なことであれば、必ず解決への協力を惜しまないことを宣言していたので、私と現場との関係は極めて良好に構築され始めた。

こうなってくると、私も受け身で組織を立て直すにとどまらず、より大きな仕事に着手できるようになる。
例えば、受発注の仕組みを把握し作り直すことができれば、では原価管理の仕組みはどうなっているのか、それを私に教えてほしいという、こちらからも要望を出す人間関係が成立し、なおかつ気持ちよく応じてもらえるようになったということだ。

この場合、なぜ原価管理の仕組みが気になったのか。
それは、受発注が属人的なオペレーションで行われていた以上、適正な原材料を適正な分量で発注するようなオペレーションはまず確立していないだろうという推測されたからだ。
そしてその見通しはあたっており、同じ受注に対しても、どの程度のクオリティの原材料を発注するかは、担当者の経験で独自に決められているという、極めて非効率な状況が判明した。
人によっては、オーバスペックとも言うべき無駄にハイクオリティな原材料で納品物をイメージし、一方で別のベテランは、要求を満たす機能をもたせながら原材料のクオリティは値段とのバランスを取り、価格面でもユーザーに配慮するといういい仕事をしていた。

この状況を担当者同士で共有させると、それぞれの担当者で、
「えー、そんな無駄なことしてたんですか?」
「ちょっと、そんな裏技あるんですか?」
「この製品がこの型番でできるって、初めて聞きました・・・」
など、今更ながらの、それぞれの知識の共有が始まり、非常に前向きな変化が起こり始める。

私の仕事は、これら担当者たちの知見を共有し、そして組織化する仕組みを作るだけだ。
これまでは、それぞれの担当者が職人的に積み上げた知識と経験からそれぞれが良かれと思って自分の裁量で進めていた仕事を、例えば2人一組でお互いのレシピを確認させ、知恵を出し合う。
それぞれの指示書には、お互いの確認印を押させることだけでも、責任感は醸成できる。
そして最後には、管理職がその内容を確認して問題点がないかをチェックすると同時に、特別の仕事を依頼する。
それは、レシピのデータベース化に向けたこれら知見の積み上げだ。

どのような受注に対しどのようなレシピで製品を作り上げるのか。
そのデータベースを構築して雛形を構築するという作業である。
そうすれば、まずは「作業標準」ともいうべき、誰もが学び共有する価値のある資料が出来上がり、なおかつ、
「もっといいアイデアがあります!」
という、知識のブラッシュアップと組織力のスパイラルアップを目指すたたき台になりうる。

このようにして、小さな成果を積み上げ部下の仕事に貢献できることを証明してみせた私は、さらに大きな次元でも役に立てることを証明するために、より大きな仕事に取り組み始めることができた。
ここまでくれば、事業の立て直しは極めて前向きに進み始める。

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非常に失礼な言い方であることは承知の上だが、日本人のまじめさと、パターンにハマった時の強みは相当なものがある。
日本の学校教育は、0から1を生み出すことができる人材を育てる仕組みにはなっていないため、仕組みもたたき台もない中小企業では右往左往するだけの「無能な人材」が多い。
しかしこと、一旦「マニュアル」と言っても良い作業標準を示すと、驚くほどその内容の再現性が高く、また決まりごとに忠実であろうとすることから、「無能な人材」が「極めて優秀な人材」に大化けすることが多いのも特徴だ。また、「標準」を示すと、「応用」を考えることができる人材にも困らない。
そして、わかりやすい「標準」さえあれば、それをより良いものにするためのアイデアを持ち寄ることができるのもまた、日本人的組織の強みだ。

一方で裏を返せば、その会社の根幹とも言うべき「標準」を定義して、属人的な裁量や価値観によらない業務の仕組みを作れることができる人間はなかなかいない。
その作業の難しさもさることながら、相手が誰であっても、どこの部署であっても、それだけのリーダーシップを発揮するほどの行動力と軋轢を恐れない意志の強さを持つ人材がいないからだ。
本来であれば経営トップの仕事なのかもしれないが、自身の裁量で社内のあらゆることを決定し、これからも決定していくつもりである経営トップには、そもそもそういう仕組を作ろうという意志がない。
かくして組織は属人性の固まりになり、中間管理職の意識は育たず、経営トップの意見だけを聞こうとする鍋蓋の組織になってしまう。

経営トップの馬力だけで大きくできる組織規模であればそれでも良いのだが、それはせいぜい従業員100名程度までだ。
それ以上になると、能力とは関係なしに、何らかの理由で集団を支配することに成功したものが小さな組織のイニシアティブを握りだす。

それは経営者の配偶者であったり、管理部のお局様であることもある。
かつて大人気を誇った英会話スクールでは、社長の愛人が会社の要職に就いて全社に無意味な影響力を持ってしまい、結果として組織が崩壊する遠因になった。

属人性に頼り、根拠のない裁量で経営判断が行われる組織は必ず崩壊する。
そして会社は失われることになるわけだが、幸いにして早期にこのような会社の立て直しに着手できた場合には、早急に属人性を排除し、業務のあるべき姿を整理し明確化するだけで会社がスパイラルアップする可能性があることは、既述の通りだ。

振り返り単純化してみれば、私が携わったターンアラウンドは、こんなストーリーで前向きな空気が芽生え始めていた。

このような理由で、会社には「あるべき姿」の存在が不可欠だ。
但し付け加えると、あるべき姿はしょせん過去の環境に適応した経験則であり、未来に対する成功の約束では絶対に無いことを知った上で運用しなければならない。
つまり、今会社に存在する「あるべき姿」の組織図や業務フローは、ブラッシュアップをした翌日には陳腐化が始まっているということだ。
そのため、3ヶ月もすればマイナーチェンジを。
1年に1回はオーバーホールをしなければならない「永遠の欠陥品」であり、決して不磨の大典ではないことにだけは、くれぐれも注意して欲しい。

その上で、一つの形が定まり動き出した組織における次の1手だ。
自分が為すべきことが明確になるということは、成果を挙げる上で必要な条件ではあるが十分な条件ではない。
すなわち、いつまでに、どの程度のクオリティで成果を挙げる必要があるのか、ということへの踏み込みだ。

成果というものの定義が内容、時間(時期)、品質の条件で明確になると、ほとんどの場合、あらゆる階層の従業員が、自分が毎日、どこまで何をしなければならないのかを意識し始める。
毎日の仕事が明確になるということは、成果を挙げるというゴールに対して作業がブレイクダウンされ、マイルストーンが明確になるということだ。
こうなると、夏休みの宿題のように、仕事は納期が意識され始め、お互いの仕事の納品時期が明確になることで仕事が繋がり始める。
繋がり始めた成果はお互いの成果をアテにできるようになるということであり、計画的に大きな仕事を進められるようになるということだ。

ここまでくれば、会社の業績は良くなる・・・と思われるかもしれないが、もちろんそんなに甘くはない。
確かに、成果を挙げることは楽しい。
最終的な目標から作業をブレイクダウンして日々のマイルストーンを意識し、日々それを消しこんでいくことは仕事そのものを楽しむことができる何よりの方法だ。
達成感もあり、仕事を進めている充実感もある。

しかし、その意識を従業員の自発性に期待することも、やはりマネジメントとしては十分ではない。
なぜなら、仕事で成果を挙げるということは夏休みの宿題を終わらせることではなく、わかりやすい対価が必要であるからだ。

もちろん、仕事をする上で働きのやりがいは人それぞれだろう。
社会の役に立っているという充実感。
お客さんの笑顔が何よりの報酬という幸福感。
人によっては、常に成績1位を目指し、数字にこだわるという働き方もあるかもしれない。

しかしその全てにおいて、仕事である以上対価は絶対に不可欠だ。
そしてその対価も、納得性の高い対価を用意しなければ、せっかくの事業再生が思わぬところから足元を掬われることにもなりかねない。

人事評価制度の観点からの話は別に譲るとして、ここで取り上げたいのは、わかりやすい成果に対するわかりやすい対価だ。
すなわち、ターンアラウンドの現場にはわかりやすい目標と、目標を達成した際にはどんなワクワクする報酬が待っているのか。
それをわかりやすく示し、なおかつ確実に履行する必要がある。

なおここで言う対価は、必ずしも給与などの現金である必要はない。
目標を達成した部署やチームには、全員に特別有給休暇10日間というような報酬もありだろう。
交代で取得するなど、その組織内で業務を回せることを条件にすれば人件費は固定である以上、会社の持ち出しは0で済むというメリットも有る。

厳しい営業ノルマで知られるリクルートでは、かつて「オフィス内で1日だけ、何をしても良い」という報酬を設定していたことがあるそうだ。
そして、この報酬を獲得したあるチームは、オフィス内の机の上、上司を含む机の上を走り回るというメチャメチャなことをして達成感を満喫した。
そんなことでいいのか・・・?と思わなくもないが、これもまた一つの報酬なのだろう。

なおこの際大事なことは、仕事のゴールは上司に依る裁量の余地を残さないことはもちろん、達成できたかできなかったのか、その当否が誰の目にも明らかな目標にする必要がある。
私が携わった会社の場合、最初に設定した現場への目標の例は以下のようなものだった。

  • 仕掛り在庫比率、前年同月比でマイナスを3ヶ月連続で達成(製造)
  • クレーム件数、前年同月比で半分以下を3ヶ月連続で達成(品質)
  • 定時納品率95%以上(スピード)

などだ。

仕事内容や業種までをなかなか明らかにしにくいが、これら目標は、数字を見ても、「何をしていいのかわからない」ではなく、「一人ひとりがなにをするべきか極めて明白」な目標を設定したと理解して欲しい。
この目標を課された部署の構成員が、直感的に何をすべきかを理解できて、万が一目標未達である場合、自分に何の努力が足りなかったのか。
それが極めて客観的に、明確に自覚できる内容であること。
これが、目標を設定する上でもっとも大事で必ず満たさなければならない条件になる。

この段階が回り始めたら、後は目標の次元をより大きく、より幅広く設定する作業を繰り返すだけになる。
事業の立て直しという意味では、ここまでで8割くらいの仕事は終わっており、後は現場に任せても良いだろう。
このようにして、私は債務超過に陥っていた会社を2年で黒字化することに成功した。

誤解を恐れずに言うと、事業の立て直しと言ってもほとんどの場合、その原因は極めてつまらないものであることが多い。
そしてその答えはほとんどの場合、現場に入り込むことで見つけることができる。
決して、管理職やマネジメント層からヒアリングをしても真実は見えてこない。

ターンアラウンドマネージャーとは言わなくとも、何らかの理由で組織の立て直しを任されるような事があれば、是非参考にして欲しい。

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