突然だが2017年10月22日、「因縁の対決」を制して村田諒太がハッサン・エンダムを破り、WBA世界ミドル級チャンピオンに戴冠したことは、覚えている人はいるだろうか。
感動的な試合ではあったが、一方で、試合会場で選手が見せるパフォーマンスは積み上げた練習の結果であって、結果そのものよりもそこに至る過程の方にこそ、興味を持つ人も多いのではないだろうか。
例えば競輪選手の業界には、こんな言葉がある。
「練習が仕事 レースは集金」
素人目には、レースこそが仕事に見える業界に思えるが、プロのアスリートにとっては練習こそが仕事であって、試合は流した汗と涙の対価をお客さんから回収しに行く場所であると言う考え方だ。
当然、流した汗と涙が少なければ、それだけの回収しか得られないということになる。
話を村田に戻す。
なお登場人物について、敬称略で書き進めるがご容赦願いたい。
このあたりはさすがにNHKだと思わせる番組が、村田の世界戦から1週間ほど経った後日、放送されていた。
内容は、リベンジマッチ1ヶ月前から村田諒太に張り付き、その世界戦に臨む過程を徹底取材するというものだ。
試合そのものも感動的だったが、私にはこの、1ヶ月間の精神的・肉体的なブレの大きさや不安定さ、人間臭さのほうがとても興味深く、ある意味で試合以上の感動をもって番組を楽しませてもらった。
その番組の中で村田は、スパーリングパートナーのパンチすら避けられず、またパンチを当てることができないほどに、スランプに陥る時期がクローズアップされていた。
目は虚ろで精神的に不安定になり、その表情はまるで不安にうろたえる子供のようだ。
その時村田は、カメラに向かってこんなことを告白した。
「実はね僕、最近発見したことがあるんですよ。自分にも何人か経営者の知り合いがいるんですけど、成功している経営者って、本当に好き勝手に生きていますよね・・・。」
何を言おうとしているのか。
言っていることが理解できるだけにとても気になり、必死になって行間を読もうとテレビに釘付けになる。
「好き勝手っていうのとはちょっと違うかな・・・」
「あのね、自由なんですよ、行動が」
言葉を選びながら、自分の心情を表現しようと一生懸命思いを打ち明ける村田の顔が印象的だ。
「きっとね、思いのままに動けてるんです。自分の考えているように、自分のやりたいことができてるんですよ。そういうやつが成功するんです。成功してるんです。」
概ねこんな内容であったと思うが、細部の違いはご容赦願いたい。
そして最後に、
「僕ね、全然思い通りにできてないんです。自分の思いのままに振る舞えて無くて、だからこんなことになってるんですよ・・・」
と、そのスランプの原因を分析してみせた。
番組を通して思ったことだが、この時の村田は、自分がやりたいボクシングを貫ける自由がなく、またマッチメイクをしてくれた電通やスポンサーの期待に応えなくてはならないという思いが先に立ち過ぎて、全くもって何のためにボクシングをしているのかを見失っていた。
番組の中では全くそのようなシーンはなかったが、どのような勝ち方を期待しているのか。
どのようなボクシングスタイルを期待しているのかなど、いろいろ細かな注文もあったのであろう。
これを会社経営者に例えれば、銀行や株主、取引先、幹部や従業員から様々な要求をぶつけられる経営者の姿にダブる。
にも関わらず、成功している経営者は自由でやりたいことをやれているようにみえる。
その姿が羨ましいと感じたのであろう。
とても良くわかるが、言葉選びとしては村田の単語はおそらく正しくない。
成功している経営者は、もしくは成功しているように見える経営者は、ただ単に迷いがないだけだ。
自分のやりたいことが極めてクリアであり、失敗をした時のリスクなど考えもしない。
その担保についてアイデアはあるかもしれないが、そんなことは脳のリソースのせいぜい5%ほどだろう。
自分のやりたいこととやれること、立ち位置、手持ちのリソースなどを全て理解した上で、絶対にやり切ってやるという思いがあるだけであり、目的の邪魔になるものはただ単に邪魔だとしか思っていないに過ぎない。
だからこそ、傍目には大切なステークホルダーに見える相手にでも容赦なく罵声を浴びせ、場合によっては会社から叩き出すこともする。
このような振る舞いが自由で気ままに見えるのかもしれないが、このような場合、多くはその「ステークホルダー」の真剣さが足りないことがほとんどだ。
あるいはサラリーマン根性丸出しで上辺の会話に終止し、ただでさえ人生の時間が足りないことにストレスを感じているベンチャー企業経営者の時間を浪費するのだから、会社から叩き出されるのも無理はないだろう。
そしてこのような、経営者の真剣で真摯な「怒り」が、いかにステークホルダー相手の振る舞いであっても、会社の致命傷になるようなケースというのは、私自身ほとんど見たことがない。
まさに村田が言うように、「経営者って自由に生きてますよね」という状況である。
やりたいことを好き勝手にやれているようにみえる所以だ。
しかし、経営者も好き勝手にやれているわけではなく、常に自分の想いがなかなか伝わらないもどかしさ、意識レベルが違いすぎる幹部、なかなか組織として動けない会社にストレスを感じ続けている。
決して好き勝手に生きているわけではなく、目的を見据え迷いが無いからそのように見えるに過ぎないわけだが、きっと日本人として2人目のミドル級王者に昇り詰めた村田なら、今ならその事実に気がついたのではないだろうか。
しかし一方で、肝心のCFOを始めとした幹部社員の話だ。
迷いなく目標に突き進み、幹部社員やステークホルダーに対し時に激烈な対応をし、また何を考えているのかわからないような振る舞いをする経営トップについていくのは、このような経営トップの思いを理解していなければ至難の業である。
というよりも、上辺だけ理解したつもりでついていこうとすれば、確実に心身が破壊される。
私は常々、ベンチャー企業のCFOになるような割の悪い真似は止めたほうがいいというのは、この所以だ。
真剣に生きている人間の参謀になるには、その真剣に生きている人間以上に真剣になり、時に本気で喧嘩し、意見をぶつけ合う覚悟が必要になる。
なおかつこの場合の意見のぶつけ合いとは、決して「我慢せず言いたいことを言い返せ」などという軽はずみなことではない。
対等の土俵に立ち、真剣に議論ができるほどに会社と事業の事を考え、なおかつ経営トップの思いを理解した上で本気の議論を挑めということだ。
ぶっちゃけていうと、ここまでするくらいなら自分で会社を立ち上げたほうが楽しい。
人の夢を実現するために、人の夢を本人と同じレベルで理解し、そして事業そのものを本人以上に真剣に考えることが要求されるなら、CFOなどやる価値はないだろう。
だから私は人に、ベンチャー企業のCFOなど止めたほうがいいと説く。
ここまで要求されるなら、独立して自分の夢と思いに対し真摯に向き合う方が色々と楽しいからだ。
そして、ここまでの段階で「その通りかもしれない」と少しでも思ったら、本当に独立を考えて欲しい。
そしてその独立は、恐らく失敗する。
他の何かと比較して自分の行動を決定するような、絶対尺度を持たない人には、経営トップなどまず務まらないからだ。
いろいろややこしいことを言ったが、ではなぜCFOを始めとした経営幹部はCEOについていこうとするのか、あるいはついていけるのか。
そのモチベーションについてお話をしながら、CFOとCEOの両方を経験した立場から、これから経営幹部になろうとする人たちに、あるいは経営幹部として迷いがある人たちに、その経験談をお話してみたい。
ちなみに私自身は、最後はCFOであることをやめた。
私を育ててくれた経営トップの話
話はまた突然に、ディープな経験談に深入りして恐縮だが、私はもともと、CFOとして自信があったわけでもなく、特別な資格や能力があったわけでもない。
人よりも優れていることと言えば、証券会社で経験したエクイティの基礎知識があることと、IPO担当者として幾つかの会社で新規上場の手伝いをしたレアな経験があるくらいだ。
簿記3級を持っていると言っても、そんなものは証券会社で強制的に2週間勉強させられてとっただけの知識である。
そんな私でも、IPOブームの中で、証券会社にいるよりも発行体(株式会社)に移り、経営者として力を発揮したいという舐めた動機で会社を辞めてしまうほどに、当時の世相はイカれていた。
しかし、証券会社出身のCFOというだけでも案外通用してしまったのが狂乱のIPOブームの時代だった。
私は証券会社を退職後に参加した会社で一定の仕事をこなし実績を作った後、程なくして従業員700名ほどの中堅ベンチャー企業に移り、CFOを任されることになる。
その会社は売上高が40億円を越えているものづくり企業だったので、もはや上辺だけの知識でCFOが務まるレベルではない。
資本金も最終的には8億円を越えるなど、VCを始めとして関西のVB業界で期待の銘柄になっている会社であった。
正直、大任を任されたことは光栄な反面、能力の足りなさと背中合わせの危機感を感じるポジションだった。
しかし同社の経営トップは我慢強かった。
親子ほどに年齢が離れている経営者だったが、要求は簡素で、求める成果は常にシンプル。
そしてその目的のために必要な権限と行動の自由は全て与えられた。
そのため私は、CFOでありながら問題の震源地である生産ラインで作業に参加することも自由にでき、また在庫の棚卸し作業や受発注業務などと言った現場作業に2週間没頭しても、苦言を呈されることはなかった。
ちなみに当時、私の給料はそれら現場担当者の3倍は貰っていただろう。
現場に入り若い女の子と遊んでいるのではないかと言われても仕方のない現場とのイチャつきぶりだったが、そんな私の振る舞いをみても、経営トップは面白そうに私を見ているだけだった。
また当時、私の大きな財産はエクイティ関係の人脈だった(と、当時は思っていた)。
そのため、現場作業の傍らこなしたことと言えば、VC関係者や古巣の証券会社の人間との付き合い、それに関係者との人脈作りだ。
加えて、エクイティ関係者の勉強会に参加したり、監査法人でIPO部門にある公認会計士と、意見交換と称した飲み会への参加といったところも積極的にこなした。
つまり、目先の利益としては会社の現金を食いつぶすだけで何一つ役に立っていない、文字通り穀潰しであった。
私をクビにして、現場担当者を3人採用したほうが、会社としてはよっぽどお買い得であろう。
ここでも経営トップは私が「遊びに行く」ことに寛容であり、特段の苦言を呈されたことはなく、ただ約束した成果に対し私が納期とクオリティを守れるのか。
そのことだけで私の仕事ぶりを判断した。
ちなみにこの時、私が経営トップに約束した成果といえば、CFO着任当初は、生産現場の可視化に加え様々な問題をあぶり出し、その問題の所在を明らかにすること。
その後は、明らかになった問題から中期経営計画を立て、それを役員会で共有し幹部とともに行動計画に落とすこと。
その後の段階としては、必要な資金についてはデット&エクイティを使い分け、後方支援部隊として過不足ない仕事をすることなどであった。
「なんだ、当たり前のことばかりじゃないか」
と思われるかもしれない。
役員の仕事とは、成果に対し忠実であることであって、月曜日から金曜日まで働くことや、従業員の誰よりも早く出勤し、誰よりも遅くまで残っていることではない。
にも関わらず、そのような価値観を持って、役員の行動を全て可視化し束縛し、まるで課長が新入社員を管理するかのように振る舞いたがる経営トップが、世の中には意外に多い。
幸い私は、経営者としての駆け出しの時期に、このような当たり前のことを当たり前に行動できる経営トップに恵まれ、成果に対するマイルストーンに対し、真摯に行動することができた。
経営者であれば、経営計画がそうであるように、「成果を挙げるために必要なこと」をブレイクダウンし、自分がやるべきことを毎日、毎週、毎月の単位で管理してしかるべきだ。
後は自己管理するだけである。
必要なものは意志の強さのみ。
この場合で言う意志の強さとは、決して根性論ではない。
いつまでに何をするのかという、自分との約束事を必ず守るという約束事に対する誠実さだ。
自分との約束事を守らなくても平気でいられる素養のある人は、ある意味で生き易いかもしれない。
自分をストイックに追い詰めることは精神的にも肉体的にも楽ではないので、そのようなことは生半可な覚悟でしない方が良いだろう。
しかしながら、会社役員に就任するということは、他人との約束に名実ともに責任を持つということであって、そのブレイクダウンの先に、自分との約束も含めて、必ず守るということである。
ストイックでない人間には決して向かない仕事だ。
幸い私は、会社役員として本格的なデビューを果たした初めての舞台では、自分が約束した成果に対し忠実に考え、行動する自由を持っていた。
そのため、結果を残しながら多くのことを学び、なおかつ経営トップの要求に応えながらますます自由裁量を与えられる、とても仕事がし易い環境を貰えたことで、自分でも気が付かなかった能力を引き出された。
もちろんその結果は、会社に大いに還元できた自負を持っている。
この経営トップとの信頼関係と相性の良さは、CEOとCFOの組み合わせには欠かすことができない。
このようなCEOは、役員を大きく育てることが出来る最高の経営トップだ。
一方で、詰まらない話で恐縮だが、そうではないCEOと3年半も付き合い、人生の無駄な時間を過ごしたこともあった。
その経営トップは、私が先の会社でCFOを退任した後に奉職した経営者だったので、余計にその印象が強いのだろう。
外出に関する行動計画は、役員でも30分単位で事前申請し、なおかつ事後報告も要求。
終了後には直属の上司(すなわち経営トップ)に電話し、その内容を報告することを求める、まるで初めて彼女ができた男子高校生のデートDVのようであった。
さらにVB関係者との会合など、一見不採算に思える外出には誰か一人別の社員を帯同させ、その内容の「コストパフォーマンスを評価する」と称した行動分析の対象にするなど、徹底したものであった。
どうやらその考え方の根底には、「行動は緊急性と重要性でマトリックスに表して判断し、取捨選択して管理しなさい」という、コンサルタントからの助言があったようだが、なんとも言い難い。
確かに、仕事の軽重が管理できない社員には、緊急性と重要性を理解させ、行動管理をしてあげることは重要だ。
しかし、経営に対し約束した成果を挙げることがモノサシになる役員に対し、行動の軽重を全て的確に指示できるほど経営トップがなんでも出来ると思いあがっているなら、鍋蓋の組織を作ればいいだけの話だ。
役員を任命する必要などサラサラ無い。
増して経営に本気の役員は、経営トップが持っていない何かを持っていることで会社に貢献し、人よりも高い給料を貰おうとする野心家である。
不足があればクビにすればいいだけであって、その行動を管理することは愚の骨頂としか言い様がないだろう。
こんな経営トップについていける役員は、悪い意味で相当な変わり者に違いない。
そして、そこに居心地の良さを感じるなら、確実に無能だ。
なぜ経営トップは役員に我慢できるのか
ここもいきなりの問題提起だが、逆の発想だ。
なぜ経営トップは、力不足・能力不足の役員の存在に我慢できるのか、という話である。
それどころか、そもそもサラリーマンの延長でしか無いおっちゃんを役員に据えることもあるくらいだが、それはなぜなのだろうか。
経営トップは、自分と同じレベルで会社を考え、事業を育て、エポックメイキングを実現しようとしてくれる人間などいないことを知り尽くしている。
だから常に、物事に対してベストの解ではなくベターな解を模索し、「その時のリソースで出来る」最大の効果を出そうとする。
会社が存続するためには、これ以外の方法はない。
経営は常にあらゆるものが不足している中で、その時に用意できるベターなリソースを駆使し、ベストの結果を得る芸術だと言ってもいいだろう。
そしてそれを実現し続けることができる人物を、経営者と呼ぶ。
どこからどう見ても力不足で、それほどの成果を挙げているわけでもないおじさんを、ただ勤続年数が長いという理由で役員にするのは、言葉は悪いがその会社のボトムがそういうことでだからだ。
特に創業から時間が経ち、理想と現実の折り合いを付けることが巧な経営者の会社では、このような人事をよく見かける。
問題は、そのような会社が何かのはずみでVBとして脚光を浴び、世間の注目を浴びた場合に発生する。
世間の注目を浴び、VCなどが投資をして外部株主が入ってくると、ますますややこしいことになる。
目的に迷いのない経営者は、外部の資本を受入れた段階で、創業メンバーだからという理由だけで役員にあったものを迷いなく適切なポストに移すが、それを迷いなく出来る経営者はそう多くない。
まして創業から時間が経ち、苦楽を共にしてくれた「番頭さん」であれば、そのハードルは更に高くなる。
下手に降格を申し渡すことで、年齢も年齢なら下手をすれば就業意欲をなくし、最悪の場合退職を申し出る「役員」もいるのが創業から時を経た会社の実態だ。
不要なリスクを背負うくらいなら、自分に忠実であるという理由だけで名前だけの役員に置いておくくらい、特段の問題はないだろう。
概ねこれらのようなことを理由にして力不足の役員が生まれるわけだが、このような役員を抱える会社が外部資本を受入れたら、という話だ。
話は私が、そのような会社に役員として入った時のことだ。
その会社は、創業から30年以上が経過している、事業規模こそ大きいが特段の目新しいことをやっているわけでもない会社で、いい意味でも悪い意味でも、目新しさの無い事業を維持することで成り立っている会社だった。
CFOというポジションは不要であり、計数管理で必要なのは、銀行と無難な折衝をしながら出納管理ができる経理の責任者くらいである。
しかしながらその会社で、業界の規制緩和で新たなマーケットへの進出が可能になり、大きなビジネスチャンスが生まれたことで状況は一変する。
社内のリソースをそのまま横展開するだけで、これまでの売上が10倍にもなろうかという巨大なニーズを拾うことが出来る可能性が生まれたことが、物事の始まりだった。
この状況で、証券会社の法人部やVCは色めき立ち、経営者に対し新たなマーケットへの進出を後押し。
そして多くの投資が集まり、新工場建設予定地の斡旋がなされるなど、もはやIPOは既定路線とばかりにVB関係者の出入りが激しくなり、この中小企業は一気に有名企業となった。
しかしながら、経営陣は必ずしも実力十分なメンバーではなく、CFOやCOOと呼べる人物もいない状況で、そのような中で縁あって、私がCFOに着任した。
その会社では、私がCFOに着任した当初、役付き役員は専務取締役一人であり、それは社長の奥さんという典型的な街の中小企業。
なおかつ、専務でありながら「○○部長」という、実働部門の責任者を兼ねている状況であって、全社を俯瞰する仕事を、名刺の表記から全力で拒否する肩書だ。
さらに経営陣は、財務諸表を読めるのは経理部長の取締役のみで、生産担当の役員、営業担当の役員、“専務取締役”も、単月の黒字か赤字かというレベルでしか数字を理解できない状況。
さすがに経営トップは話が通じたが、それでもこの経営陣で外部から多額のエクイティを預かり、なおかつその資金の運用を任されるCFOというポストに就くのは、スリルだけは間違いないなくある、という船出だった。
そんな中で、2人の好対照な役員がいた。
一人は、ほぼ創業当初から経営トップに付き合い、一度は会社を飛び出したにも関わらず3ヶ月ほどでまた舞い戻ってきた、営業担当の取締役だ。
20代後半から50代半ばを越えるまで、文字通り人生の半分を経営者とともに過ごしてきた古参の役員である。
成果という意味ではともかく、人生の多くの時間を一人の経営トップに捧げ、信頼を勝ち取るという行為はいろいろな意味で凄いことだ。
もう一人が、新規事業担当の役員で、入社1年ほどの60過ぎの恰幅のいい紳士。
大手商社を定年退職し、人材紹介会社に登録をしていたところ、その経歴と会社の事業が一致するということで経営者が気に入り、“専務取締役”に継ぐN0.3の待遇で役員に就任した取締役である。
特段の成果を挙げているわけでは無かったが、業界に太い人脈があるということで、「ドアオープナー」として、期待の新規事業担当の役員を務めていた。
ちなみに当時の私の立ち位置だが、会社には非常勤と私を含めて7名の取締役が在籍。
そして私を除く最年少役員は40代後半だったが、そこに30代前半の私がCFO兼経営企画責任者として取締役に就任した時の、役員の序列は最下位。
仕事をする上での不具合は特にないが、これもまた容易に代えがたい、街の中小企業の現実だ。
話を元に戻す。
その会社は、長年経営してきた「既存事業」と、新たなことにチャレンジする「ベンチャー企業」が同居する、余り多いとはいえない事業形態だったが、そのベンチャー要素の事業を期待して、多額のエクイティを集めている。
そして「古い」事業の責任者は、創業当初から経営トップに付いてきた取締役。
そして「新しい」事業の責任者は、エクイティの受入れが決まってから採用した、肩書は立派な新参の取締役。
これもまた、一つの「リストラ」だったのかも知れない。
すなわち、周囲の期待が熱い事業には生え抜きの役員を横滑りさせず、可能性のある人物を人材紹介会社を通じて探し出し、そのポストに据える。
そして既存の事業では、既存の役員をそのまま残して変わらない事業に従事させる。
経営トップの判断はわからなくもないが、いわば力不足が確実な番頭はベンチャー部門に一切タッチさせずに、未知数の「専門家」をベンチャー部門のトップに据えたと言うことである。
バランスという意味ではいいアイデアだが、その結果何が起こったか。
詳しい経過は割愛するが、多額のエクイティを受け入れながらも成果が出なかった新規事業は外部株主の猛攻撃に遭い、その担当役員である「外部から来た紳士」は、着任から2年ほどで退任。
なおかつ、役員会の途中に株主からの追求に耐えかねて、
「辞めればいいんやろ!」
と、子供のようなキレ方をしてそのまま会社に姿を現さなくなった。
そしてその後、会社はM&Aなど様々な非日常的なイベントを経験するが、役員を解任されても最後まで残ったのは、創業から経営トップに付いてきたベテランの「元取締役」であった。
これらの話で伝えたいことは、経営トップにとって信頼できる役員とは「安定性」のプライオリティが大きいということだ。
別の言い方をすれば、何があっても逃げないという肝の座った人物であり、だからこそ経営トップは、時に能力という物差しを無視し、不思議な役員人事を敢行する。
そしてその人物こそ、最後まで経営トップに付いていく信頼できる存在であることが多い。
アナログな判断基準かもしれないが、能力を超越した人物評価の判断基準というものも存在する。
だからこそ、経営トップはその役員を重用することもあるということだ。
もし貴方が中小企業やベンチャーの役員で、自分よりも明らかに経営に貢献していないように見えるにも関わらず、自分よりも経営トップに近い取締役がいることに不条理を感じていたら、この話を思い出して欲しい。
仕事ができるかもしれないが、きっと経営トップは、貴方のことを、その取締役よりも信頼していない。
なぜNo2は経営トップについていけるのか
結論の部分だ。なぜNo2は経営トップについていけるのか。
これはそれぞれの立場で考え方は様々だろう。
率直に言って「生活のため」という、現実的な答えもあるはずだが、ここではそういう事例は無視する。
その上で、自身のキャリアや能力に自信がある中で、“頭のおかしい”経営トップについて行ける理由だ。
話は変わるが、もっとも理不尽で従いたくない命令と言えば、恐らく「死ね」と命じられることだろう。
いきなり何を言い出すのかと思われるかもしれないが、世の中には上司が部下に死ぬことを命じ、部下はその命令に従うことを強要される職業がある。
軍隊だ。
仕事とはいえ、死ぬ確率が高い任務を命じられた時、人はどのようにしてその仕事という役割と、本能が全力で拒否する死という現実を受け入れることに、折り合いを付けるのか。
その一つのヒントが、自衛隊の幹部教育に見られる。
自衛隊では、防衛大学校を卒業したばかりの23歳の若者が、1年間の幹部教育を経て、24歳という若さで3尉に昇任する。
昔で言う少尉で、陸上自衛隊で言えば小隊長クラスであり、実際に30~40人クラスの部隊長を任されるものは多い。
当然部下には、自衛隊で30年飯を食ってきた古参の下士官もいるわけで、そんな若造の言うことなど素直に聞く事に心理的な抵抗感もあるだろう。
まして、そんな上官から場合によっては死ぬことを命じられるわけである。
訓練の最中でも、そんな上官から無謀な命令が下令されれば、抗命事件の一つや二つ、必ず起こると思うが、自衛隊ではそのような命令を下す幹部をどのように教育しているのだろうか。
一つには、徹底した人格統治だ。
リーダーは常に、組織の奉仕者であることを4年間の教育で徹底的に教え込む。
その一例を挙げると、
・部下と飯を食う時は、部下全員に行き渡ってから自分の箸を持て
・自分が下げている水筒は部下の死に水であり、自分が飲むためのものではない
・訓練や仕事の成果は、全て部下の手柄である
という価値観などだ。
実際に防衛大学校を出たばかりの若者でも、真夏の炎天下で行われる訓練に際して、部下が腰を下ろし水を飲んでいる時に同じ目線に腰を下ろし、休憩するものはいない。
これを企業経営に例えると、
・本能が拒否しても私利私欲は後回し
・自分の財産であっても、自分のものは全て組織のためのもの
・利益の分配はまず社員から
といったところであろうか。
これが、大組織を率いるために自衛隊が、23歳やそこらの指揮官である若者に実践を強く求める、最低限の考え方だ。
裏を返せば、この程度のこともできない人間から、命の危険がある命令を下令されたところで人は絶対に言うことを聞かないということである。
経営者であっても同じだ。
給与所得者にとって会社に入るということは、18年あるいは22年間勉強し身につけた技能を一つの会社のために使い、人生の大半の時間を共に過ごそうと言う志と覚悟を持つということだ。
さらにそれ以上の覚悟を持って取締役に就いているのが、役員だと言っていい。
この程度のことすら当たり前にできない経営トップになどついていく道理はなく、私利私欲丸出しで志のないCEOの命令を聞くくらいなら辞めるのが当たり前だろう。
社員の人生や、時には命に対しても責任を負う自信がある事業を、自分は本当に志すことができているか。
人の人生を預かり、その人の人生を充実したものにする覚悟を持って人を雇用し、役員に対して真剣にその役割を求めることができているか。
まずはこれが、ついていけるCEOの最低条件だ。
しかし、いくら人格統治をしたところで人的リソースの不足は会社経営者として避けがたい。
エポックメイキングをしようと時に無茶なことを要求する「頭のおかしい」経営者に、ついていくことが出来る役員をどのようにして確保するのか。
最初の段階は、古今東西変わらぬ原則だ。
身内に頼るのがもっとも一般的だろう。
だからこそ、古来から世襲制という形態が自然発生的に根付き、経営者は自分の想いを実現する最良のパートナーとしてまず身内を選ぶ。
羽柴秀吉が、織田信長に仕えまだ足軽頭であり十分な禄を得ていなかった頃、最初に実弟であり、小作農に従事していた小一郎(羽柴秀長)を部下にしたのは当然のことだ。
同様に、中小企業経営者は妻を専務にして、息子をいきなり取締役にする。
そして、人格統治も能力も足りない妻や息子が幹部社員や従業員の反感を買い、会社が崩壊するのはお約束のパターンだが、それは別の問題なのでここでは一旦流す。
そして順調に出世を重ね、ある程度の禄を得た秀吉が次に取り込んだのは、近隣の土豪であった蜂須賀小六(正勝)だった。
まともな武家のものではなかったが、攻略目標であった美濃の地理に明るく、なおかつ武力集団としては十分な力を持ち、自分の手持ち財産で懐柔が可能な勢力である。
そして小六を取り込んだ秀吉は、その活躍もあって美濃の国攻略に際し、大いに武勲を上げた。
その後も秀吉は、自身で使える予算を投資し、身の丈に応じた勢力の取り込みを続けたわけだが、以降のことは割愛していいだろう。
結果として天下人に昇り詰めたわけだが、その過程から学べることは何か。
それは、「我慢強さ」と「現実」のバランスだ。
最初の家臣である、実弟の小一郎。
実兄の言うことなので、ある程度のことはどれほどでも受け入れられる辛抱強さがある。
なおかつ、一生を小作農で終えるくらいなら、地域の名家である織田家に使える兄の家臣になるという決断のハードルは低い。
どう考えても、そちらの方が人生として夢がある。
次に家臣になった蜂須賀小六。
利害関係の結びつきのみで得た家臣だが、新興勢力である織田家で、陪臣(家臣の家臣)とは言えまっとうな武家の禄を得ることは大きな魅力だ。
しかも勢いのある織田家の家臣であれば将来に夢も膨らむというものであり、先行投資として、エポックメイキングをしようという頭のおかしな人間にでも、ついていくモチベーションを掻き立てられるだろう。
このようにして秀吉は、「人誑(ひとたら)しのリーダー」と言われる巧みなスタッフの取り込みに成功し、天下人に昇り詰めた。
なおかつ、それぞれの段階で得た家臣を決して放逐せず、成長の段階で適切なポストを与え続けることも怠らなかった。
この話で伝えたいことはシンプルだ。
一つには、人格が卑しい上に、組織の利益でなく、私利私欲のために会社を経営しているような経営者には、どれほど甘い態度を取ったところで部下はついていくものではない。
まして、時に理不尽とも感じられるような脈絡のない指示命令の繰り返しには、多くの幹部社員が脱落していくことは間違いないだろう。
次に必要なことは、幹部や社員に対し、将来に対する夢を描いてみせる能力だ。
下品な言い方をすれば、「こいつについていけばいいことがある」と言って良いかもしれないが、能力に自信がある上に、特段お金にも困っていないような人間は、この要素でしか動かない。
羽柴秀吉の事例で言えば、蜂須賀小六がこれにあたるだろう。
理不尽極まりない経営トップになぜ幹部社員はついていくことが出来るのか。
それはそこに、自分では為すことのできない夢を重ねることが出来るからであり、なおかつその経営者が、掛け値なしに私利私欲のために会社を経営しているわけではないことを、感じることができるからである。
逆に言えば、その二つを満たす自信がないのであれば、会社を起こすべきではないし、社員を雇うべきではない。
なおかつこれは、経営トップだけでなく役員にも言えることなので、役員に着任する時はくれぐれも覚悟して欲しい。
人を採用するということは、本当に大変だ。