日本の経営者が台湾で活躍する経営者から学ぶべきもの

日本の経営者が台湾で活躍する経営者から学ぶもの
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1990年代半ば、日本経済の凋落が決定的になって以降の20年間は、時に「失われた20年」と言われているほどに、厳しい時代が続いた。そしてこの時代に学生時代を過ごし、社会に出てから20年間をずっと不景気という空気の中で過ごした40代のビジネスパーソンには、一層その深刻さが身に沁みているという人も多いだろう。1990年代半ば以降の就職状況は、毎年が戦後最悪と言われる状況であった。高校生はもちろん、大学を出ても就職率が70%に届かない。新聞をめくれば、経済欄は大手企業のリストラを伝える記事ばかりだ。そんな筆者もこの頃に社会人になった一人だが、その頃の株価は22000円を越えていたと記憶している。さらに当時、公社債投信という、預金と同等に事実上原本が担保されている金融商品の金利は年利2.3%であった。
つまり、世の中にはまだバブルの残り香があり、人々の心の何処かには「景気は廻りもの」という楽観論さえ漂っており、いずれ近いうちに日本は息を吹き返すという根拠のない楽観論を持つ人がまだまだ多かったという時代背景だった。

しかしそれから実に20年以上低迷を続け、ようやく当時の水準を取り戻してきたことになる。まさに、第二次ベビーブーム世代にとっては、極めて暗い世相の中で過ごした20年だった。

ところで今、私の手元には1冊の本がある。タイトルは、「2010年中流階級消滅」。著者はカリスマアナリストとして人気を博した故・田中勝博氏。私が社会人になったばかりの頃に偶然手にした本で、要約すると日本経済は2010年頃までに完全に崩壊し、社会は富めるものと貧しいものに二極化するというものだ。そして能力のないものは低付加価値の仕事に従事し、一生給料が上がらない労働の中で苦しい生活を強いられるようになるだろうというもの。

当時の私は、日本経済は必ず近いうちに復活すると盲信していたので、本を売らんがための刺激的な見出しにはあざとさすら感じたと記憶している。それでも読まずにはいられなかったので読み進めたが、その荒唐無稽とも思える予言には全く共感しなかった。
しかし、現在、田中氏が予言した日本社会は現実のものになり、世の中には非正規社員という働き方が定着し、現預金は高齢者層に集中して、現役世代は年収500万円で高給取りという時代になった。
それでもなぜか、一般派遣社員という非正規労働が世の中で広がり始めた2007年頃には、「ハケンの品格」というドラマが人気を博し、派遣という働き方が最高にクールであるという風潮すら広がったこともある。なぜ派遣社員をもてはやすようなドラマが作られ、そして人気を博したのかは今から覚えば不思議な気がするがいずれにせよ、派遣社員を始めとした非正規労働者の所得は今や社会問題となり、田中勝博氏が予言した「2010年」よりも更に悪い方向に、日本経済は推移していく。

そしてこの間に台頭したのが、アジアでは台湾と韓国、そして中国であった。
日本経済がどんどん傾き活力を失ってく中、これら東アジアの3つの隣国は目覚ましい台頭を続け、今や分野によっては日本企業を大きく凌駕する勢力を持つようになった。中国に至ってはGDPで完全に日本を追い越し、今やアメリカを抜いて世界1位の経済大国も視野に入ったほどだ。そして台湾企業では、ホンハイ精密工業がシャープを買収し、日本の家電メーカーが完全に終わったことを印象づけることになったのは、未だに多くの人にとって記憶に新しいだろう。

一方で、おそらく40代以上の年齢で、社会人になった前後からパソコンやインターネットが急速に普及した世代にとっては、台湾製のデバイスやハードは「安かろう悪かろう」の典型だと感じた記憶をお持ちの人が多いのではないだろうか。

当時、台湾製のCD-Rはソフマップの目玉商品であり、日本製であれば1枚300円ほどするものが、30~50枚の束で1000円ほどで売られていた。当然のことながら、1990年代~2000年代初頭にかけて日本に訪れたITブームの時代、その担い手であるIT企業は会社の備品として、日本企業が作ったCD-Rではなく、安価な台湾製CD-Rを大量購入し、仕事に用いることになる。当時はまだフロッピーディスクすら現役であり、600MB以上も記録できるCD-Rというメディアは主力であって、それがここまで安価に購入できるとあっては極めて魅力的なツールだったからだ。

一方でこの台湾製CD-R。本当にクオリティが低かった。書き込みエラーが頻発し、30枚買って実際に書き込めるのは20枚と言うことすらあり、さらに最悪なことは、書き込めたフリをしたデータが呼び出せなくなり、データが失われてしまうことすらあるということだった。実際にアテにできるのは30枚のうち15枚ほどであっただろうか。
それでも、1枚あたりの単価は100円以下であり、大量にデータをバックアップするためにCD-Rを使っている時代には、やはり重宝された。

要するにこの時代、台湾企業は品質では日本製品に極めて劣るものの、産業として大きく成長する可能性が極めて高いIT分野において必要とされるものに対し、コストとクオリティのバランスを取って参入することに成功したということだ。もちろん不良品を掴み、またデータが消え失せるというリスクを抱えているこれらサプライ品はストレスフルなものであった。
しかし、そのうちの幾つかはアテにできるのであれば、そのような低クオリティの商品を買うか買わないか、またどのようにリスクを回避するのかという使い方はいずれ消費者のほうが学習するものだ。そのようにして台湾製CD-Rは、日本のIT事業者の中に大きく浸透していくことになり、市場を席巻していく。「顧客に満足してもらえるクオリティが完成するまで販売しない」という原則を持つ日本企業とは、全く違う文化であると言えるだろう。

一方でこれは、私達の仕事に欠かせないWindowsPCにも言えることだ。致命的な欠陥に関する深刻な修正パッチを、いったい何回アップデートさせれば気が済むのか。
ウインドウズ3.1はともかくとして、95の時代から数えても、既に20年以上の時間が経つのに、未だに不意打ちの自動アップデートで朝一番の予定が狂う修正プログラムを流し続けている企業が世界屈指の大企業である。一般に、日本企業とは違う組織文化を持つ会社が大きく台頭し、そして日本企業を席巻した2000年代と言っても良いかもしれない。

しかし言うまでもなく、ビジネスは巧遅よりも拙速だ。会社を立ち上げたことがある人なら誰しも、自分が起業した時の考え方の未熟さ、サービスの拙さ、そのクオリティの低さを思い出さない人はいないだろう。結局のところ、ビジネスは顧客に鍛えられニーズに対応しレベルを上げていくことでしか、現実の需要を満たし続けることなどできない。言い換えれば、最初はどの程度のクオリティであったとしてもまずはマーケットのニーズに訴えて、マーケットと共に成長していくべきであるということだ。

そういった意味では、台湾製CD-Rをして「不良品の粗悪品」というイメージを持つ人など、2018年の今ではまずいなくなった。マーケットニーズに合わせ見切り発車をしたサービスや製品であっても、その時代に応じた需要を満たし、真剣に顧客ニーズを追求することができるなら、直ちに製品化するべきであるということだ。
そのような戦略を通して、台湾という国とその企業の成長は日本企業と経営者にとって、本当に多くの教訓を与えてくれる。それは、ものづくり企業の経営企画担当役員を務めていた時に多くの台湾企業と取引をして感じた、偽らざる本音だ。

本コラムでは、そのような台頭著しい台湾企業の経営者から何を学び、そして日本的な企業経営とどのようにして融合することができるのか。日本企業の経営者と海外の経営者にはどのような違いがあるのか。主に台湾企業の台頭に注目をした上で、そんな観点からベンチャービジネスの成長にお役に立てる視点を提供してみたい。

INDEX
台湾という国の背景とものづくり企業
台湾経営トップの日本に対する考え方
フロンティアなのかフォロワーなのか

台湾という国の背景とものづくり企業

私が初めて台湾企業の経営者と接点を持ったのは2009年だった。
自社の製品製造コストについて、何とかクオリティを維持しながら大幅に切り詰めたいと考えていた私は、成長著しい台湾のセットメーカーと取引することを思い立ち調査を開始。幾つかの伝手を使い、台湾の大手証券会社の法人部にあたることができ、取引先の紹介を依頼。快く応じてくれた彼らは、私に台湾の有力セットメーカー15社を紹介してくれて、さらにアポ取りまでしてくれた。

顧客の利益になる可能性があることとは言え、無償に近い条件でこのような骨折りをしてくれた彼らには、本当に心からの感謝である。そして、5日間の行程を組んで15社の担当者と会うべく台湾に渡り、強行日程で台湾の北、台北から、台湾の南端である高雄までを廻り、多くの台湾上場企業董事長(会長)や総経理(社長)と会い、多くの刺激を受けることになる。

私にとっての台湾企業との初めてのビジネスはこんな形でそのスタートを切ったが、この際、台湾の人たちが私や日本に向ける感情は極めて良好であった。さらに驚いたのは、多くのビジネスマンが日常レベルの会話程度であれば、日本語での意思疎通に問題がないことだった。中でも驚かされたのは、証券会社で案内役を務めてくれた若者だった。
彼は日本への留学経験も無く、日本語学校などに通ったこともないと自己紹介したが、その日本語は完璧であり、スラングに近いような言葉すら使いこなす。
一体どこで日本語を勉強したのかと質問すると、彼は
「日本からアニメのオリジナル版を個人輸入し、アニメのオリジナルな世界を体験するため、必死に勉強しました。」
と答えた。
そして好きなアニメが見つかると必ず日本からオリジナルを取り寄せ、その内容を理解するために日本語の勉強を重ねているのだという。

アニメというソフトパワーの強さには改めて驚かされるが、それ以上にやはり、日本人を除くアジア人の語学学習能力の高さは際立っている。なぜ日本人だけが、これほどまでに語学学習能力が低いのか、そこには何か民族的な特徴の違いもあるのかもしれないが、一方でこれが、知識に貪欲であり、向上心の強い国に生きる若者の姿なのだろう。残念ながら、日本企業であってもその多くの会社で、日本の新卒よりもアジア諸国から採用した学生の方が能力が高いという評価を受けるのも、無理はないと思える出来事にもなった。

話を元に戻す。
台湾において、多くの企業を廻った際の経営者観をお話する前に、実は日本人と台湾企業には非常に密接な関係があるという背景について、言及しておきたい。そのことが、台湾企業の成長と大幅なクオリティの向上にも大きく関与しているからだ。

多くの人にとって記憶に新しい「失われた20年」の時代。有名メーカーがこぞって大幅なリストラを繰り返し、幹部クラスの技術者すらも切り捨て、ただコスト削減に汲々としていたことを記憶している人も多いだろう。しかしその時に退職した人たちの受け皿など、国内にはない。
大手が傾くということは下請けが傾くということであり、なおかつこの時代、日本企業の多くが下請けを安価な海外企業に求めコスト削減を図ったことで、国内の産業は空洞化と言われる状況に陥っていた。つまり、大手の優秀な技術者であっても、その多くの人達に日本国内での受け皿が無かったということだ。

この際に、生活レベルを守るために多くの人達が海を渡った。そしてその多くの人たちが引き抜かれ、あるいは高給で迎えられたのが韓国と台湾の企業であった。日本は「失われた20年」で、会社の屋台骨となる人材までも失い、さらに多くの優秀な人材が東アジアのライバル国に渡ることで、競争力を大幅に失う結果を招いたということだ。1990年代後半から2010年頃にかけての時期は、まさにこれら東アジアの新興国で経済が大きく成長した時期に重なる。

さらに印象深いのは、この頃は台湾企業のものづくりのクオリティが飛躍的に伸び、「安かろう悪かろう」という印象を一気に払拭した時期とも重なるが、これは単なる偶然ではない。話を先取りするようで恐縮だが、実は台湾企業15社を廻った会社のうち、10社程度では台湾人経営者と共に、日本人経営者も同席するという経験をした。そして、その多くの人達が持っていた肩書きは副総経理。つまり、日本で言うところの副社長だ。彼らの多くが、日本の誰もが知る一流企業で本社部長クラスのポジションにいた人たちであり、自分たちのキャリアを隠すこと無く自己紹介してくれることも多かった。中には、台湾企業から引き抜きの誘いが来ていたので、早期退職優遇制度に応募した上で台湾に渡ったと話してくれた人もいたほどだ。

早い話が、巷でよく言われる「リストラをすると優秀な人間から逃げて会社が傾く」という典型を目の当たりにしたということである。日本では指名解雇は厳しく制限されており、その前に希望退職者を募ることなどが法律で定められている。逆に言えば、戦力にならない人を名指しで解雇する前に、自ら退職を申し出る人を募らなければならないということだが、このような仕組みも、希望退職は優秀な人から辞めていくという背景の一つなのだろう。

このようにして日本は、多額の税金を投入して公教育を受けさせ、日本企業において新卒社員から手間暇と多額のコストを掛けて育てた優秀な人材を、他国の経済成長に資する優秀な人材として奪われることになった。そして凋落する日本企業でおもしろくない仕事ばかりに従事していた彼らは、製造能力はあるもののクオリティを追求しきれていない台湾ビジネスのフィールドに立ち、自らの知見でどんどん製品をブラッシュアップしてしまったのである。さらに台湾企業においては、その実力が認められるとどんどん昇給と昇進が与えられ、副総経理クラスへの昇進も果たした。こんな仕事が面白くないわけがない。
このようにして日本企業はますます凋落し、台湾のセットメーカーはどんどん強くなり、ついにホンハイ精密工業は日本を代表すると言ってよいであろう、シャープを買収するに至った。あるいはホンハイ精密工業にもこの時代、日本でリストラされた技術者が力を発揮したのかもしれないが、もしそのようなことがあれば本当にやりきれない時代を日本は経験したことになる。

私がお会いした台湾企業の日本人経営者たちはみな、自信に満ち溢れていた。そして日本のものづくりの先行きを憂い、このまま日本は本当にダメになるのではないかと危惧していたことがとても印象的な台湾行きであったがそれもそうであろう。ここでお話している私の台湾訪問は2009年のことであり、経済だけでなく政治も大混乱をしていた頃にあたる。民主党政権が誕生した年で、異常なペースで進んだ円高はさらに日本のものづくり企業を痛めつけ、株価は8000円台で推移していた時代だ。

これほどまでに大底にあった日本経済にあって、日本企業と海外企業の経営者の差は一体どこにあるのか。とりわけ台湾企業経営者との差が大きいことに暗澹たる思いであったが、一方で必ずしもそうでもない一面も感じる、台湾での一連の行程になる。
なお余談だが、この時代に台湾企業に移ったこれら幹部の人たちがいる一方で、韓国企業に渡った多くの人たちは2年程度で解雇され、日本に帰国した人がほとんどであったという。
韓国企業は、最初の条件は台湾企業よりも破格な数字を積んでくる会社が多かったと何人かの幹部は語ってくれたが、必要な技術を会社のノウハウとして吸収するとすぐに解雇され、実際に昔の仲間はそれで苦しんでいると言うことだった。そういった話も含め、成長を続ける台湾企業の強さとマインドを、これからお話することの下敷きにして読み進めて頂ければ幸いだ。

台湾経営トップの日本に対する考え方

さて、満を持して臨んだ台湾でのパートナー探し。結論から言うと、台湾には2種類の経営者がいることを感じた。
一つには、日本のものづくり技術に対し未だに敬意を払い、それ故にその底力に警戒をする経営者。このタイプの経営者の会社には日本人が技術担当の副総経理でいることが多く、極めて親日的な人が目立った。
もう一つが、日本のものづくりは既に衰退を極め、何も学ぶことがないと考えている経営者。このタイプの経営者は、具体的な日本企業の名前とそのビジネスを名指しし、「だから日本人には経営が向かない」という意味のことを熱心に語る董事長(会長)もいて、どちらかと言うと日本に良い感情がないことも、下敷きになっているようであった。

この章では、まず前者についてお話してみたい。凋落しきった日本経済からもまだまだ学ぶものがあると考え、貪欲に学ぼうとする経営者たちだ。
ある董事長との話。
台湾でも大手に属する会社で、台湾証券市場にも上場している有名企業であり、副総経理には日本人が2名。董事長自ら、その2名を得て会社は飛躍的に成長を遂げることができたと紹介をしてくれるほどに、日本のものづくりに対する敬意の厚い人であった。

その会社の会議室に案内され、それぞれの出席者が揃う。そして名刺交換を終えると、始めに董事長がこう口を開いた。
「あなたたちはなぜ、パナソニックのパソコンではないのですか?」
おそらくここが台湾でなければ、日本人だと疑わないほどに流暢な日本語だ。アクセントにも違和感がないきれいな日本語で、董事長はまず私達のノートPCに興味を持った。なおこの時、私達のノートPCは全員、極めて安価なDELLのビジネスノートであった。今は知らないが、当時は1年と保たずにキーボードが脱落をはじめる、極めて粗悪な作りのPCであった。

「董事長、日本では消耗品はなるべく安く済ませることを推奨する企業が多いようです。PCは世代交代も早く、数年程度で陳腐化するので、高価なパナソニック製品を社用PCとして揃えているところは多くありません。当社でも安く済むDELLを採用しています。」
私はそう答えたが、目の前に座る董事長以下が机の上に並べているのは全て、レッツノートのビジネスモデルである。日本から来た我々が台湾のセットメーカーで安価に作られたDELLを持参し、台湾企業の経営者はパナソニックのレッツノートを抱えて向かい合うという、なんとも奇妙な光景だった。

「取締役、大変失礼ですが、それが日本企業衰退の原因の一つです。」
董事長はそう切り出すと、突然日本企業の姿勢に対し強い懸念と熱い思いを語りだした。この時に彼が語ったのは概ね以下のようなことだ。

「PCはビジネスの根幹です。その効率を無視して安価なPCを使用することは、結局コストの無駄になることを理解して下さい」
「1年に1回でもPCが起動できなくなくなれば、そのたびにデータが失われ、大変な時間と労力のロスが発生します」
「チームのメンバーの中で1台でもPCが不調をきたすと、直ちにチーム全員の効率が失われます。そえでも安価なPCの方が安くつくとお考えですか?」

その他の理由も幾つか聞いたような気がするが、耳に残っているのはこの部分だけである。返す言葉もなく、まさに貧すれば鈍するという思いで、お金がないと目先のわかりやすい効果しか見えなくなる余裕の無さをまともに突かれた気がした。話は冒頭から、PC一つでこちらの財布の具合や余裕の無さを見透かされた思いであったが、その後自社が求めるデバイスのクオリティや価格については順調に交渉が進み、1ヶ月以内に試作品を作ることまでこぎつけ、ビジネスの話は終わった。クオリティの面では同等の物を作れると回答してくれた日本企業は多くあったが、やはり単価が桁違いに安く、その後この会社とは良好な関係を築くことになる。

そしてミーティング後。
董事長は気を良くして私達をそのままランチミーティングに誘い、近くの台湾料理店に連れて行ってくれた。そこで出てきたのは、まさに満漢全席とでもいうのだろうか。食べきれるわけがない豪華な数々の料理だったが、その合間にも董事長は自身の日本に対する熱い持論を語る。

「取締役、私はPCは日本製を使いますが、実はほとんどの消耗品はやはり中国製で済ませています。車も日本製ですがこの違いは何かわかりますか?」
「耐久消費財は良いものを選ぶということですか?」
「それは厳密には正解とはいえません。私が日本製と中国製を使い分ける一番のポイントは、命を預けられるかということ、そして2番目が、信頼して用いられるかということです。」
「信頼して用いるとはどういうものですか?」
「例えば先程のノートPCです。ビジネスに使うものは、信頼性がもっとも重視されるべきであり、必要な時に当たり前に動くことを期待できるクオリティであること。それがビジネスツールの基本なのです。」
「信頼できなくても構わないものとはどういうものがありますか」
「例えば紙やペンなどは言うまでもなくコスト重視です。それが機能しなくても、すぐに代わりがあります。会議室の机にも、木目が揃った美しく高価な日本製の天板は必要ありません。ビジネスの目的に照らして考えれば当たり前のことです。」

ぐうの音も出ないほどに正論を語られ、嬉しくもあるような複雑な時間が過ぎたが、最後に私は董事長にこう尋ねた。
「董事長、日本企業がこの先も生き残っていくためには、どういった分野に強みが期待できるとお考えですか。」
この問いに対する董事長の回答はとても熱く、要旨以下のような会話となる。
「とても簡単なことです。中国や台湾、韓国の真似をしないこと。この3カ国でも作れる製品の価格競争に日本の優位性はありません。安物を作る競争に参加すれば、日本は必ず敗れます。白物家電のような日用品に特別な機能や付加価値をつけ単価を上げて売るという戦略も通用しません。日用家電は目的に対してシンプルであるべきであり、洗濯機は洗濯機能があればいいのです。」
「では具体的に、董事長が日本のメーカーでトップに就くなら、どのような戦略を採りますか。」
「高い技術力にしかなし得ないマーケットを取りに行きます。自動車はもちろん、航空機やロケットなども日本が積極的に取り組むべき分野です。なぜなら、高い信頼性がないととても任せられない仕事であり、そして高い付加価値が望めるからです。」
「しかしそれらを扱えるのは一部の大手だけです。中小企業であればどうしますか。」
「どのような小さなデバイスでもいいので、日本企業にしかできないクオリティのものを追求することです。安物の家電でも、日本企業のデバイスが無ければ作れないということであれば、他社の販売努力で高い付加価値が上げられるのですから。」

概ねこのような思いを語ってくれただろうか。
そしてその言葉を裏付けるように、日本の大手企業は2018年現在、ロケットや航空機に注力し、そしてパナソニックなどのように、最終製品に組み込まれるデバイスメーカーとして業績を回復することに成功している事例も顕著だ。台湾に居ながらにして、ここまで日本企業を理解し、だからこそ日本でリストラの対象になった技術者を雇い入れ、その才能を開花させて上場企業に育て上げた手腕は見事というほかない。

台湾企業と言えば、セットメーカーで大きくなった企業が目立ち、技術力にそれほどアドバンテージが有るものではない、というイメージは確かにまだ事実の一部であろう。しかしながら、こんな経営者がゴロゴロいる状況を考えれば、いずれ技術力でも大いに躍進して、あらゆる意味で日本企業が太刀打ちできなくなる時代が来るかもしれない。なぜなら、日本の企業経営者の中で、台湾企業経営者の文化や哲学を知るものなどほとんどいないにも関わらず、台湾企業経営者には日本を理解し、日本の企業経営者が積み上げてきた経営哲学や企業文化に精通している者が多いからだ。

成功者に学ぶという考え方について、日本人はもっと東アジア各国の経営者の考え方にも、目を向ける必要がある。

フロンティアなのかフォロワーなのか

さて、ここまでは日本企業の底力と付加価値を信じられると考えている台湾企業経営者との話だ。先述のように台湾企業経営者にはこのように考えず、既に日本のものづくりは回復不可能に凋落したと考えている人たちもいて、学ぶべきことが少ないという話をダイレクトにぶつけてくる人たちもいたが、ここからはそういった経営者との話である。これは地域的な偏在も感じ、首都台北を中心とした台湾北部エリアでは前者が。逆に台中以南の台湾南部では、日本から学ぶものは無いと考える経営者に多く出会う行程となった。

なおこの時に私が求めていたパートナーは、日本でも先進的な技術でものづくりに取り組む自社において、そのコアになるような極めて重要なデバイスを高いクオリティで安価に納品してくれるメーカーである。事業として取り組み会社も多くなく、マーケットはあるものの、未だに大きなビジネス化に成功している会社がいないという領域だ。大手企業も幾つか参戦していたが思い通りに成果を出せず、文字通りベンチャービジネスにふさわしい領域であった。

このようなビジネスは、ある意味で「典型的な台湾企業」にとって、もっとも敬意を感じないビジネス領域であった。それが2018年現在も変わらぬ価値観であるかどうかはともかく、少なくとも2009年当時、台湾企業と言えばセットメーカーとして成功しているか。
あるいは白物家電やテレビ、パソコンと言った既に大きなマーケットが存在するものづくりの領域に参入し、価格競争で世界の市場を席巻し成功体験を重ねていた時代である。未だに十分なマーケットが存在しない領域に対してビジネスを仕掛け、大手とも争いながら成長に苦しむという中小企業(ベンチャー企業)の存在は、このような経営者には相容れない価値観であった。
そのため、台中で訪問したあるセットメーカーでは、総経理との面談で以下のような会話があった。

話は一通り、訪問の目的を説明し終えた後である。
その上で、自社のビジネスパートナーとしてコストとクオリティを満たしてくれる製品を作れないかと打診すると、総経理はこのように断じた。
「日本人は、こんな企業経営者ばかりだから国が傾くのですよ」
この際、居並ぶ相手企業の幹部には日本語を話すものは居らず、こちらは台湾人の通訳を同道していた。この通訳はその後も何度も一緒に仕事をしたが、ビジネス翻訳にも精通し頼りになる女性であり、そのスキルには全幅の信頼を置いて良いパートナーだが、その上で相手の総経理はまず、日本企業がなぜだめになったのかを、当社の訪問目的から否定し始めた。

「せっかくなので、そのように考える総経理のお話をぜひお聞かせ下さい。」
「そんな難しいことをやっていて金が儲かるわけがないじゃないか。もっと簡単なことで、多くの人の役に立つことを考える。それがビジネスの基本だよ。こんなビジネスは成功しないよ。」
総経理は一気にそうまくし立てると、周囲の幹部社員たちは小さく笑いだす。
総経理に便乗し、
「今会社にはどれくらいの現金が残っているの?」
「それだけのお金があるなら、○○のような物を作れば儲かるんじゃないかな」
「なぜ日本人は、わざわざ難しく時間がかかり、しかも儲からないことに興味があるんだ?」
ということまで質問されたように記憶している。
もはやなぜ、この人たちが台湾の証券会社からの要請に応じて当社と会う気になったのか、会話の落とし所にも困ったほどであったが、結局のところこの会社ではこのような雑談に終止して貴重な日程を消化することになってしまった。

一方で、これほどではないにしても、同様なことに興味を持つ台湾企業は他にも数社あり、目先の数字が見込めないようなアライアンスに興味はないという姿勢を見せる会社も多かった。
「1年間でどの程度の数量を発注できるのか」
「3年後や将来のことはアテにできない」
といったように、確定レベルでの約束できる発注が無いのであれば金型を起こす見積もりも時間の無駄だという会社もあったほどだ。
要するに、将来の発注や成長性という空手形など信じないと決めている経営者の信念は強烈であり、成長してからまた来いと言う姿勢である。強いものはいくらでも優遇するが、力がないのであれば特別扱いなど寝ぼけたことを言うなという考え方にかけては日本以上のものがある。

最終的に15社を廻り、見積もりにこぎつけられた会社が4社、うち取引に発展した会社は2社であったが、これら4社は将来性への投資に前向きであり、目先の利益には必ずしもこだわらない姿勢を見せてくれた会社であった。

とは言え、このことを持ってして将来性への投資を考えられる企業が良い会社で、現実的な対応をする会社を悪い会社であるという二元論に落とすつもりはもちろん無い。この訪問で感じたことは、台湾で成長したセットメーカーには恐ろしく現実的な思考回路で利益を計算し、堅実で間違いのない企業経営の舵取りに優れる経営者が多いということだ。
この価値観だけで言えば、日本企業の経営者よりもかなり現実に対しての対応が確実であり、将来性や人脈などといった「目に見えない」価値観にはほとんど重きを置かない。ビジネスそのものにもその姿勢は現れており、既にあるマーケットに対しアプローチをするのみであり、決して大きなリスクは取らない。言い換えれば、このような人物はフォロワーのマーケットにおいては非常に大きな成果を出す経営者だ。フォロワーという言葉は、既にあるマーケットに対し先駆者の後を追って参入する経営者のことを指して使っているが、このような会社が成功する方法は極めて簡単である。
それは何か。先駆者が提供しているものやサービスよりも、「少し安くて少し良い」ものを提供するだけで、誰でも成功できるということだ。この場合のマーケットは、誰でも参加できるようなものやサービスの領域であればなお良い。
今あるものよりも少しだけ安価に、少しだけ良いものを提供できれば、必ずマーケットの一部を低リスクで抑えることができる。もちろん先駆者は、そのマーケットを最初に切り開いたフロンティアとして知名度とブランド価値の両方を手にすることだろう。そしてそれは一定のアドバンテージとなって、マーケットの中で失うことのないシェアを握り続ける効果も、長年に渡り期待できるかもしれない。

しかしながらそのような効果を得る為に費やす代償と労力は余りにも大きい。
多くのベンチャー企業が新たな価値観を確立しようとして道半ばで倒れるのもこのためである。洗濯機やテレビのメーカーとして確固たる地位を確立したとしても、フォロワーの経営者がより安価で、より良い製品をマーケットに投入してくれば、消費者はブランドイメージよりも実利を選ぶだろう。そして先駆者は、それまでの開発コストを回収し切る前にシェアを落とし、会社は傾く。

2000年代前半の日本企業が陥った負けパターンもまさにこれであったが、裏を返せば、その勝ちパターンでマーケットを奪ってきた一部の台湾メーカーにとっては、
「なんでそんな難しいこと考えているの?」
「だから日本企業はだめになったんだよ」
と言い放つ総経理がいるのは当たり前であり、そして幹部社員たちも同様に冷笑を浮かべるのは当たり前だろう。
「お前たち、まだわかっていないのか?」と。
フォロワーの経営者として成功を享受している真っ最中では無理からぬ話であり、この時代の台湾企業の経営者から日本人経営者が学ぶべき、現実に対応するための処方箋の一つと言って良いかもしれない。ビジネスの目的は金儲けだと考えれば、極めて合理的だ。

一方でこのような考え方は、どこまで行っても消耗戦である。
フォロワーのマーケットで戦うことを選ぶということは、低付加価値の世界でしのぎを削るということであり、「牛丼戦争」のような、勝者なき戦いが続く。そしてこのマーケットでは競合相手を倒しても次々に参入するものが続くので、文字通りの無間地獄が続き、自社もいつか必ず疲弊し、やがて消えていくことになる。

ある意味でそこから抜け出し上流を目指したのがホンハイ精密工業であり、新しい価値を創造できる可能性があることを見込んで買収したのが、シャープの買収劇であったはずだ。フォロワーの世界で生き残ることなどできないことを見越した上での経営判断なのだろうが、それでもまだ、ホンハイ精密工業の施策からはどこか、新しい価値の創造を追求することに不慣れなぎこちなさを垣間見ることができる。

いずれにせよ、フォロワーの経営者として「日本は終わった」と考える経営者の経営手腕は素晴らしいものかもしれないが、それほど脅威とは思えない。先駆者である日本企業の価値観を徹底的に分析し、その強みを模倣し、チャンスが有れば人材ごと引き抜こうとする経営者。このような台湾企業の経営者こそが本当の脅威であり、この先も長年に渡り、日本を脅かし続けるだろう。そしてそのような経営者は日本に対するリスペクトも持っていることが多いので、きっと切磋琢磨し合える競争相手になるはずだ。

世界には優れた経営者がたくさんいるが、低付加価値のマーケットから始まり新しい付加価値を生み出す領域に足を踏み入れ成功しつつある台湾企業経営者。
その活躍から日本人経営者が学ぶことは、非常に多い。

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