幹部・役員として採用すべき人材、してはいけない人材とは

いつの時代も経営者を一番悩ませる問題といえば、幹部社員の採用とその戦力化だ。
ことにそれが、ベンチャー企業や中小企業のような一人ひとりの役割が大きく、また会社の規模に比べ高い人件費を負担することになる幹部社員の中途採用などであれば真剣勝負そのものだろう。
まさに、一つの失敗が取り返しの付かない致命傷にもなりかねないことになる。突然自分の話になって恐縮だが、そんな私は「採用を失敗された」経験を持つ。

CFOとして一つの会社の再建に形を付けた後、再建に目処を付けた会社の株主であったベンチャーキャピタルから要請をもらい、別の投資先のCFOに就任したことがある。
その会社は、ある先進的な技術で業界では知られ、日刊紙やテレビ番組にも何度か取り上げられたことがある話題性のある会社であった。また国策にも合致した商品とサービスを提供する看板を掲げていたことから投資家受けもよかった。そんな会社に株主や経営者からも歓迎されCFOに着任したものの、私は2年も経つ頃にはすでにその会社のCFOであることに限界を感じ始めていた。私がそう感じるということは採用側も同じであろう。この採用は失敗であったと感じ始めていたに違いない。

まずは、採用された側である私目線での「失敗」だ。
その会社は売上高が年間でわずか数億円しか無いのに、従業員数が70名を数えていた。しかも全員正社員である。
1ヶ月数千万円に満たない売上で70名の従業員を支えられるわけがない。

中期経営計画でたてた売上予想は、5年で急成長カーブし、その先にIPOを果すという看板を上げてはいたものの、私がCFOに就任してからの3年間の売上は、計画とは大幅に乖離していた。

そして資金が枯渇するたびに経営計画の練り直しと必達を、役員会を通しCEOに強く要請するものの、結局予算が達成されるどころか、それに向けた具体的なマイルストーンのチェックすら行う気配がない。

読者の中に会社役員の方がいればわかると思うが、こういう会社はまさに「ベンチャーCEOあるある」だ。
十分ヤバイことはお分かり頂けると思うが、しかし実は、こういう会社はそんなに珍しいものではないという恐ろしい実態がある。
外部からの資金をあてにして会社を運営し、経営計画の達成にはまるで現実感をもって取り組もうとしない姿勢に変化がなければ、当然、CFOの機能を果たせず、次第に私のCEOに対する要求と怒りは先鋭化し、対立は大きくなっていった。

一方で採用する経営者からの目線だ。
彼の価値観では、従業員はもちろん役員も「機能」であり、その機能に対して自分が要求することをやらせるというスタイルだ。議論は必要ない。
それが現実的であるか、反社会的ではないか、中長期的に見てデメリットはないか、という検討も全て自分の価値観だけで消化すると、あとは目的達成のために指示を出し、「できました」という報告を待つのみである。株主に対しても同様であった。
かくして株主の心配や懸念は募り、その窓口である私には多くの声が寄せられるものの、意見具申は時間のムダであって、自分の意向通りに動こうとしない私のことは次第に「採用して失敗だった」という評価にもなってきたのであろう。

ほどなく私とCEOとのコミュニケーションは最悪の状態になり、完全に機能不全に陥る。

さすがに事がここまでに及んでは、CFOとしての仕事が出来るはずがない。
私は一部の株主にだけ、辞任の本当のところの理由を説明し会社を去ることを決め、「幹部社員として採用してはいけない人材」を採用した会社と、私の関係は終わった。

さて、一度採用したCFOの辞任というものがどれほどのインパクトがあるものなのか。

中小企業やベンチャー企業においては、幹部社員の採用とその辞任は、時にステークホルダーに対し致命的な悪影響をおよぼすことにもなる。
取引先によっては、新たに口座を作る時にはその会社の登記簿謄本を取り寄せることがある。
私自身も気になる会社の場合、登記簿をチェックすることがあるが、役員の出入りが激しい会社、エクイティに奇策を使って資金調達をしている会社には最大限の注意を払う。

発行済株式数と資本金、その頻度、その時の株価、種類株などの奇策の使い方、役員の性質と言った情報など、登記簿には、経営者が見ればいろいろなことを読み解くことができる情報に溢れている。
そういった意味でも、会社の幹部社員の採用は公開情報であると考えて、真剣に取り組まなければならない。

では実際のところ、自社の現状に鑑みて、どういった人材を採用するべきなのか、あるいは採用してはいけないのか。
その考え方について、拙い意見ではあるが、参考までに書き記してみたい。

INDEX
「仕組みを作る人間」と「仕組みの中で動く人間」
ベンチャー企業の現場で採るべき人材
成功する採用に必要な考え方

「仕組みを作る人間」と「仕組みの中で動く人間」

ベンチャー企業や中小零細企業の幹部社員の採用でまず考えるべきは、自社が必要としている人材は、「仕組みを作ることに長けている人間」なのか、「今ある仕組みを忠実に執行することに長けている人間」なのか、ということだ。
どういうわけか、会社を大きく育てたいと願っているベンチャー企業経営者であるのに、「大手企業勤務経験者」や、「50人以上の組織をマネジメントした経験がある方」など、思わず失笑してしまうような求人条件を出している経営者をよく見かける。
端的に言って、予算や権限が定められており、仕組みの出来上がっている企業で部下50人を「マネジメント」する能力より、従業員5人を採用し5人の社員にメシを食わせている経営者のほうが、遥かに経営能力、すなわちマネジメント能力は高いだろう。
0から始めて5人を食わせることができる社長なら、定められた条件の下という生温い環境での50人くらいの組織など、わけもなく運用できる。

もしこのような求人条件を出す会社が、自社もそれなりに体制が整っているので優秀な業務執行者を求めているのであればわかるのだが、
「当社は成長途中にある会社なので、一から組織づくりに参画してもらいます」
などと添え書きしてあることも多く、こうなると経営者はいったい何を期待しているのだろうかと、冗談で言っているのかとすら思ってしまう。

ベンチャービジネスの幹部社員や役員は仕組みを作るフロンティアであって、今ある仕組みを優秀に執行する人物ではない。
従って、大企業で50人程度のチームを預かって「マネジメントしていた」人物というのは、必要な人物像からはもっとも遠いところにいる人材だろう。

にも関わらず、成長の途上にある会社では、近い将来50人ほどの組織のトップに就いてもらうことを想定して、そのような組織で中間管理職を経験していたような人材を引き抜くという安直な発想をする経営者は多い。
今ある組織を規則に従い運営する能力と、組織を組織として作り上げる能力は全く別物であるにも関わらずだ。

このような時に採用するべきは、小さな組織であっても0から作り上げたことがある人物であって、それがベンチャー企業の役員経営者であれば最高だ。
そして最悪なのが、大企業で同程度の規模を運営していたサラリーマンであろう。
成長途上にあるベンチャー企業では、もっとも必要のない、それでいて優秀な人材なので、どちらにとっても不幸な結果に終わる。

ところで、組織を作る上で一つの事例を挙げたい。
唐突なようだが、陸上自衛隊の特殊作戦群であり、海上自衛隊の特別警備隊と呼ばれる、極めて特殊な組織についてだ。

私は組織づくりや組織運用の参考に、日本軍や自衛隊の事例にそのヒントを求めることが多い。
なぜなら、そこには「極めて優秀」とされるエリートたちが寄ってたかって知恵を出し合い、文字通り失敗すれば生命を失うリスクを背負いながら出した結論でありながらも、時に大失敗に終わり、時に大成功した事例などが溢れており、学ぶべき教訓に溢れている。

特に、「なぜ日本軍は失敗したのか」という観点から組織を見つめ、その教訓を「自衛隊はどう活かしているのか」という観点から見ると、とても興味深い組織運営と個人の生き方が見えてくる。

そんな中で、陸上自衛隊の特殊作戦群と海上自衛隊の特別警備隊の話だ。
この組織は、我が国で2つしか存在しない「特殊作戦」に従事する部隊であり、少数精鋭の猛者たちが極めて特別な軍事作戦を実行するために組織されている。
その任務は要人警護や或いは逆に要人の奪還、敵拠点への潜入と破壊、あるいは武装船への立ち入り調査や強行突入といったもので、海上自衛隊特別警備隊は2001年に、陸上自衛隊特殊作戦群は2004年に創設された。

注目するべきは、その創設を担った幹部自衛官の話だ。
海上自衛隊特別警備隊を0から組織し作り上げたのは伊藤祐靖・2等海佐(中佐に相当・当時)。
陸上自衛隊特殊作戦群を同様に0から作り上げたのは荒谷卓・1等陸佐(大佐に相当・当時)。

我が国で初めてとなる、特殊作戦を担うチームを0から作り上げたのだから、恐らく防衛大学校をトップクラスで卒業したエリート中のエリートであろうと思われるかもしれないが、実はこの二人はいずれも防衛大学校を卒業していない。
一般大学を卒業し自衛隊に入った経歴を持ち、伊藤氏は日体大の体育学部卒業で、荒谷氏は東京理科大学の卒業生だ。
なおかつ伊藤氏は、海上自衛隊入隊は幹部ではなく、最下級兵士である2等海士からのスタートであった。

そしてこの二人に共通しているのは、組織の上下関係や組織内営業に無頓着であり、「偉い人が推薦した」「実績に優れている」などと言った理由で、その立ち上げメンバーを選ばなかったことにある。

率直に言って、自衛隊の昇進は人間関係に依存する部分も大きい。
上官や上役の言うことを聞かずにその推薦メンバーを落とすと言うのは、将来の昇進を考えると暴挙とも言える行為であったが、この二人は「目的達成のために必要なものは何か」を見極め、そのことのみを判断基準として人員を採用し、組織を作り上げた。

これだけの事ができた背景には、もちろん、2人の強い意志と使命感があったことは間違いないが、一方で防衛大学校卒業のお行儀の良いエリートでは無かったことも関係しているだろう。
昇進と出世が最も大事な者であれば、その生き方の目的は自らの利益が一番になり、あるべき組織を作るという本来の目的は2番以下になる。

だからこそこの2人が選ばれたのだと思うが、その中でも特に海上自衛隊特別警備隊を作り上げた伊藤氏の場合は、その組織づくりは輪をかけて「酷い」ものであった。
初期の頃に合格をさせ訓練を始めた隊員は、敬礼すらできず階級章すら認識できず、所属部隊では懲戒処分を受けた経歴をもつものまでいたという。

しかし、新しい組織を作り、戦力に変えていくためには、決められた枠の中で優秀な成績を収めている者など必要ないということなのであろう。
任務に対して何が必要で、何が不要かという思いに真摯であり、その他の事は余計なことであるという信念を持つものを集めたということのようだが、自衛隊という組織の中ではそのような人材は稀であり、いたとしても相当浮いた存在であったのではないだろうか。
懲戒処分を受けたものすらいたというのも無理がないように思われる。

このようにして伊藤氏と荒谷氏はそれぞれ、海上自衛隊と陸上自衛隊にわが国初の特殊作戦群を作り上げることに成功したのだが、その後2人は、組織化の目処が付いたところで極ありふれた部署に異動を命じられたことを機に、自衛隊に愛想をつかし、迷わず退役してしまう。
特に伊藤氏の場合、「自衛隊はまじめに組織を作る気がない」と、その著書でまで悪態をついているが、言ってみればベンチャー企業で0から組織を作る経験をしたものが大企業に採用されたようなもので、もはや自分の存在意義を感じられなくなったのであろう。

0から組織を作り上げることに長けているものは、その経験を一度してしまうと、もはや大組織の一部で決められた職務の執行者に戻れるわけがない。

ある意味で、ベンチャー企業で採用するべき幹部の在り方と、採用してはいけない幹部の在り方が見えてくる気はしないだろうか。
少なくとも、これら組織を作り上げる際に、防衛大学校を卒業した出世コースにあるエリートに任せようとしなかった防衛省の人事センスは慧眼であると言っていいだろう。

なお余談だが、伊藤氏が自衛隊を去った後の話。
特別警備隊で隊長に就任した防衛大出身のエリート幹部は、伊藤氏が特別警備隊に採用し育てた隊員を、「敬礼がなっていない」という理由で追放したそうだ。
その隊員は、「尊敬できる上官にしか敬礼はしない」と公言していたはみ出し者で、伊藤氏はそんな隊員をかわいがっていたと言うが、やはりエリートにはエリートのやり方があるということだろう。
そしてその価値観は、ほとんどの場合ベンチャー企業の現場では通用しない。

 

ベンチャー企業の現場で採るべき人材

賛否はあるかもしれないが、ベンチャー企業の経営の現場で役に立つ人材は結局のところ、ベンチャー企業で役員を経験している人材か、あるいはそのような経験がなくとも、組織の目的から自分の為すべきことを理解し、「いつまでに」「何をしなければならないか」を考え、なおかつ実行できる人材であろう。
このような人材であれば、大企業出身者であってもむしろウエルカムであり、大きな組織を率いてきた分、アドバンテージにすらなり得る。

そのような中で、具体的なケーススタディを少しお話してみたい。
状況は、私がCFO兼経営企画担当役員で、会社が大きな投資を数年先まで控えていた時の話だ。
新工場の設立は考えるべきことが多岐にわたり、また初期計画がその後の利益にまで大きな影響を与えるので、できれば経営企画一本に絞り、CFOの役割は適任者を採用しメインでやってもらいたいと考えていた。

誤解を承知で言うが、ある程度仕組みができている状態でのCFOであれば、経験者であれば最低限のことはできる。
しかしながら、新しい組織を作り、新しい工場を設立するような仕事は、新しい人材を採用して任せることなどできない。

そのため、とりあえず自分の補佐的なポジションでCFOの職務代行者を採用するべくトップと話し合い、人材の採用活動を行ったのだが、その際に最終面接まで残ったのは2名。

1名は大手都銀出身のエリートで、50歳を超えてからベンチャー経営の現場に飛び込んだ紳士だ。
なおかつCFOのポジションで1社、IPOを成功させた実績も持っている。
金融関係の知識も豊富ということであり、この先会社が大きくなっていく中ではいろいろと使い勝手のいい人材であるといえるかもしれない。

もう1名は大手証券会社の出身だが、まだ30代になったばかりの年齢。
証券会社では法人部や企業公開部といったIPOに携わる部署がやりたかったものの、自分の学歴では一生リテール(個人営業)部門から異動が無いであろうと考えた末、証券会社に見切りをつけ退職というのが本人の弁。
ベンチャー企業のCFOを1社経験しているものの、IPOに至らず事実上経営破綻し、次の働き口を求めているという状態だ。

この時、私が求めていた能力は、
・IPOに向けた計数管理の仕組みづくりの継承
・監査法人対応、可能であれば株主対応も引き継ぎ
・第三者割当増資などの必要があれば、経営者と同レベルでの経営計画のプレゼンが可能なコミュニケーション能力とファンづくり

求めていた資質は
・組織の目的から自分の役割を理解できる行動原理を持っていること
・目的達成のために純粋な意志を持ち続けられる強さを持っていること(簡単に意志を変えないこと、人の意見に左右されないこと)
などであった。

この観点から見て、この銀行マンと証券マンは両極端であった。
銀行マンは、一見したところ能力は満たしているように思われるものの、資質は大きく欠落している。
「適切に指示をして頂けるのであれば対応可能です」
「マニュアルのようなものを整備していただければ引き継ぎ可能です」
など、まず自分のリスクを避け、自分から何かを作るという意志が感じられないか極めて弱い。

一方で若い元証券マンは同じ質問をすると、
「未経験ですが、なんとかなるでしょう。」
「予算をつけて貰えるなら仕事を引き継いだ上で、2ヶ月ほどで形にできるかもしれません」
というような答えを返してきた。

この時に感じたことはといえば、前者は優秀な管理者の発想だ。
後者は有能か無能かはともかく、ベンチャーの現場に向く楽観的性格であり、なおかつ予算と期限という、0から仕組みを作る者に最低限必要な発想をする素養が備わっている。
少なくとも、それを意識している。
しかしながら、実績という意味では見るべきものがない。

この状況でどちらを採用するか、私とCEOの意見は割れ、結局、「いざとなれば、文書仕事をさせるだけでも価値がある」という経営トップの“消極的リスクヘッジ”で元銀行マンの採用が決まった。

なぜリスクだらけのベンチャー企業を経営しながら、些細なところでリスクを恐れるのか、これがある程度大きくなってきた組織のトップであろうかという不満がないわけでは無かったが、とりあえず意志に従ったものの、現実は厳しかった。

IPO企業でCFO経験があるにも関わらず、資本政策を立案・修正することができず、第三者割当の計画も理解できず、追加発行する株式の株価によって発行済株式数が同じ価値で評価されるという当たり前のことを、ちょっと冗談のような話であるが理解できないという状況で、正直どうしようもなかった。

余りの状況に詳しく問い質してみれば、実は本人が担当したIPOに関する仕事は、ほぼⅡの部(上場申請のための報告書)に関する部分だけで、なおかつ用意された雛形を埋めていく作業。
正直、気持ちがこもっているとも思えず、その役割も厳しい。

仕方がないので最後は、上場審査時期になると主幹事証券から設置を要請されることが予想された内部監査室長のポストを用意したが、それすらも業務を理解しきれていないのでままならない。
最後はCEOが引導を渡し、会社を去っていったが、お互いにとって厳しい結果になってしまった。

この事例から言いたいことは、結局のところ、能力をあてにして人を採用する限り、試用期間を数ヶ月ほどは置いてみないと本当のところはわからないということだ。
しかしながら昔のように、3ヶ月の試用期間を置いて本採用か不採用か、というような採用方式をとることはできない。
なおかつ、本人の口述だけをあてにすると、なんでもできるスーパーマンしか面接に来ない。

この際に、元証券マンを採用していれば正解であったのかはもちろんわからない。
しかしながら、面接の段階で自分に期待されている役割を逆にヒアリングし、自分にできることとできないことを明らかにし、できることについてはどの程度の予算と期間が見込まれるのか。
このような発想をしてくる人材とは、正直一緒に仕事をしたかった。

ベンチャー企業の幹部社員を採用する現場では、何が正解で何が不正解かを論じるのは難しく、どのような局面でも通じると言えるような必勝法もない。
ただ、ひとつ言えることは、この元証券マンのような発想があれば、おそらく何とかして自分の居場所を作るために必死になっただろう。

「こういうことをやってきました」という実績は「こういうことができます」とは全く異なる、似て非なるものだ。
実績重視でベンチャー企業の幹部を採用することは、どうしても賛成できない。

 

成功する採用に必要な考え方

ところで、大企業の採用であるならまだしも、ベンチャー企業の幹部社員になろうと考え、実際に面接を受けに来る人間の思いや本音はどこにあるのだろうか。
幹部社員の採用を成功させるためには、まずその本質を理解しなければならない。
率直に言って、ベンチャー企業の幹部社員として通用するような人材であれば、人の会社に就職し、他人の夢に自分の夢を重ね合わせるようなことはしない、というジレンマがある。
だからこそ、そもそもの前提で、ベンチャー企業の幹部社員として応募してくる人物には、能力も素養も申し分ない人物というのは稀であるという現実から受け入れなければならない。

大手銀行や証券に勤めていたにも関わらずベンチャーに流れてきたのであれば、必ず何か訳ありだ。
50代以上であれば早期退職勧奨であり、30代以下であれば仕事が続かなかったというのが最も可能性が高いだろう。

そのような「志望者」に対して、自社を志望した動機や会社に入ってやりたいことなどと言った寝ぼけた質問を面接で投げかけることはほとんど無意味であり、このような問いに模範的な回答を返すような人物はまず信用できない。

率直に、会社はその人物に対して何ができるのかを話すこと。
そしてその人物からは、会社に対してどのような貢献ができるのかを聞き出すことだ。
新卒社員の採用ではないので、お行儀の良い取り繕いでお互いをよくみせたところで、お互いにとって長続きをしないのだから、10年来付き合ってきた親友だと思い、本音をぶつけ合う以外に方法はないだろう。

話は急に変わるようだが、私が700名余りの従業員を抱える会社でCFO兼経営企画担当役員をしていた頃。
新卒の一次面接は私が全て行い、最終面接をCEOが行うという役割分担をしていたことがある。
地域では名の通った会社だったので、毎年専門知識を持った女子大生ばかり、100名以上が受験に来る会社であった。

そしてそんな採用面接のさなかで、一人の「女子大生」が採用試験を受けに来た。
その学生が少し変わっていたのは、身上書に自分が性同一性障害であることを素直に記し、女性ばかりの職場であるが男性として扱ってもらいたいこと、一所懸命活躍したいことが書かれていたことだ。

そしてその「女性」の面接の番が来た。
正直、私にとって初めての経験であり、私は会社の目的に照らし、この大学生とどう面接していいのか考えあぐねていた。
優秀な学生であれば採用すればいい。
ただし、女性が多い職場に自分は男性であるという自意識の「女性」が入ってくれば混乱を引き起こしかねない。

そのような偏見は許されないとは言え、5人や10人の会社ではないのでどうしても目が行き届かず、恐らく作業の現場では相当厳しい状況が発生することだろう。
場合によってはその学生の申し立てで訴訟に至る可能性など、万が一のことまで考えなくてはならないことになる。

優秀であると思われても私の段階で不採用にするべきなのか。
あるいは通常の学生と同様に面接し、もし採用に至るようなことがあれば、マイノリティであるという事実は現場の責任者に任せてしまうべきか。

どのように面接をすればいいのか考えあぐねた私は、困った時の出たとこ勝負で、とにかくその場に臨むことにした。

礼儀正しく入室してきた学生は、男子学生のような出で立ちのスーツにネクタイ。
童顔であどけなさの残る女性のような見た目であるが、男性として扱われたい意志を強く感じる立ち居振る舞いであった。

兎にも角にも、新卒であることもあり、会社が求める採用基準に達しているのか。
コミュニケーション能力や専門知識、意志の強さ、常識的なセンスの有無などをいろいろ試してみたものの、完璧であった。

正直言って、ここで力不足の学生であれば気楽だった。
にも関わらず、その学生に性同一性障害という事情がなければ、最終面接に通す上で迷う理由がない人物であったので、私は困り果て、一つの行動に出た。

それは私の目の前にある書類を全て脇にやり、採用面接という枠を終わらせ、一人のビジネスマンとして語りかけるという、人を採用する上での本音の行動だ。

「○○さん、とりあえず書類は全て脇においてお話したいことがあります」
突然そう切り出した私に、その学生は急なことで緊張し身構えるのを感じたが、私は続けた。

あなたは優秀であり、このあとしっかりと採用を検討してみたいこと。
しかしながら、中小企業の現場では、性同一性障害を持つ社員には恐らく偏見を持つものがいることは避けられないこと。
更衣室やトイレなどは男性・女性の区分しか無く、あなたを受け入れるとなると、あなたの意志ではなく社員の総意で男性か女性か、いずれかの扱いになる可能性があること。

その他に何を伝えただろうか。
私は思いつくままに、想定される状況を伝え、当社に入社することは相当厳しい思いをすることが間違いないであろう予想を率直に伝えた。
その上であなたは当社で志を持って働くことができる覚悟を持てるのか。
その気持を聞かせて欲しいと迫った。

その学生は、私の話を聞いているうちに当初の緊張は解け、やがて話に聞き入り、最後は目を潤ませながら聞いていたが、最後に力強く「やれます!」と答えてくれた。
さらに私は、社労士とも協議した上でなんらかの労使契約が必要になるかもしれないことを、学生にも通じる言葉で説明したが、「今までの人生で色々なことがありましたので、想定の範囲です」と答えた。

こうなればもう、私の面接を通さない理由はない。
合格にしてCEOに送り、程なくしてCEOも採用を決め内定を出すが、残念ながら「彼」が、より入りたかった企業から内定が出たということで辞退の連絡をしてきてしまった。

なおその際彼は、電話で辞退の連絡をしてきた際に窓口の女性に、真剣に自分に向き合ってくれたこと、自分の将来を一緒に考えてくれたこと、会社ができることとできないことを率直に話してくれたことが嬉しかったと伝えたそうだ。
そして第1志望の会社に受かったにも関わらず、最後の最後まで悩んだ上での決断であったことを長々と話していたことを聞かされた。
その後、「採用担当者様」という私宛の封書も届き、そこには同様の内容が手書きで記された採用辞退に対するお詫びの言葉と、面接の際に交わした会話に対するお礼が記されていた。

この出来事は、ある意味で私にとって採用の原点になった。
これはある意味で当たり前のことなのだが、わからなければ面接を受けに来ている相手と一緒に悩み、答えを探せばいいと言うものだ。

相手の目的は、一義的には採用されることだろう。
しかし相手も、不本意な会社に入って経歴を汚すことは本意ではない。
そして何よりも、相手は会社に対する情報をほとんど持っておらず、会社は志望者の個人情報まで握っている状態。
アンフェアな状態では心を開いた採用に関する話し合い(=面接)などできるわけがなく、できるだけ相手が話しやすい環境を作ってあげて、会社の疑問点を全て消しこんであげることが何よりも重要だ。

その上で会社が今回の採用で期待している能力と素養、雇用条件をありのままに伝える。
面接を受けに来た者は、本音でぶつかってくる相手にはほとんどの場合、自分を取り繕うことをやめて、できることとできないこと、やってきたことやなぜ仕事を辞めたのか、辞めたいと思っているのかを素直に語りだす。
このようにして、初めて採用面接は本当に意味があるものになっていくことを強く感じ、初見で人を見抜く目がない私にとっては、何よりのやり方となった。

結局のところ、幹部社員の採用でも新卒社員の採用でも、そして営業先の開拓にも通じることだが、ここ一番の勝負どころでは小手先のテクニカルな小賢しいマネなどするものではない。
俺も本気で話すから、お前も本気で話して欲しいと真剣に迫ることだ。

雑な結論で恐縮だが、ベンチャー企業の成功する幹部社員の採用とは、結局のところそれに尽きるであろう。
何かの参考にしてもらえれば嬉しく思う。

ABOUTこの記事をかいた人

1973年生まれ。とある企業の経営者。 大手証券会社からキャリアをスタートし、広告代理店やメーカーなどを経験する。 CEOを2社、CFOを3社ほど経験し、現在はマーケティングと人材開発を主なサービスとした企業を経営している。