究極の場面で、No.2が忠誠を誓うべきは株主or経営者or従業員!?

究極の場面で、No.2が忠誠を誓うべきは株主or経営者or従業員!?

まだ29歳の若造だった頃の話だが、債務超過に陥った会社の経営企画室長への就任を打診されたことがある。

話を持ち込んできたのは都銀系VC(ベンチャーキャピタル)の投資部長で、私が証券会社出身でエクイティに明るく、経営の計数管理と可視化に通じていたことをその理由にあげたが、本当のところはいろいろな人に就任を打診して断られたのだろう。最後に私に話を持ってきたのは明らかという感じだった。

「責任は持てないけど、火中の栗を拾ってみるか?」

大まかな財務状況を言いにくそうに話す投資部長の顔には、再建の可能性は高くないとハッキリ書いてあったが、その頃、私はまだ背負うものがそれほど多くない20代最後の年。
リスクを取らず穏やかにルーティンをこなす20代・30代では確実に「つまらない」人生になると考える血気盛んな頃だったので、私は二つ返事でこのオファーをありがたくお受けした。

その会社は年商50億円ほどの小さな会社だが、業界では知られた会社で、薄利多売の安定的な事業を中核に、創業から30年近くが経っていた。
しかし、第二の創業として始めたメーカー事業で工場を複数建てたことを機に固定費負担が増加し、多額の借り入れ返済がキャッシュフローを圧迫。
営業計画も未達が続き、工場経営が従来事業で上がる利益をすべて食い尽くす状態だった。
第二の創業で取り組み始めたメーカー事業は当時、非常に画期的で将来性のある事業分野だったので、銀行系VCや独立系VCの投資が入っていたことから、私に白羽の矢が立ったというわけだ。

私に期待された役割は大きく3つ。
・会社の問題を明らかにし、経営を立て直す中心的役割を果すこと
・経営状況を定量的に把握できる仕組みを作り、それを可視化し、社長の経営判断の五感になること
・可能ならIPO(株式の新規上場)を、難しい場合既存の株主に出口(株の現金化)を用意すること

もちろんその前提には、数次の給与カットを経て精神的に疲労していた従業員の士気を鼓舞し、彼ら・彼女らの生活を安定させ、経営状況とバランスを取りながら生活の充実を図っていくことも含まれている。
いわば、株主、社長、従業員に対して奉職をするポジションだ。

多かれ少なかれ、会社のNo.2を務めている人であれば同じような状況であろうと思うが、これら3者の利害得失は必ずしも一致しない。
そしてもしその利害が鋭く対立した場合、どのプレイヤーに対して、何を基準にしてプライオリティを判断していけばよいのか。
そんなことを考えてみたことはあるだろうか。

今回は株主、経営者、従業員、各種ケーススタディからそれぞれへ忠誠を誓う理由を考察し、最終的にNo.2はどのような判断を行えば良いかを解き明かしていこうと思う。

INDEX
ケーススタディ1:株主
ケーススタディ2:CEO
ケーススタディ3:従業員
それぞれのケースにおける重要な共通項
土壇場でどれだけ自分を信じられるか

ケーススタディ1:株主

会社は一義的に株主のものであり、株主総会は株式会社の最高意思決定機関だ。
CEOやNo.2以下の取締役を含めて、経営者の任命は株主の意志によるものであり、その要請を受諾して経営を委任されているのだから株主の利益を最優先しない理由はない。
創業社長であれば唯一の株主であることも多いのでなおさらだろう。
創業社長が唯一の株主である場合は利害の対立は起こり得ないとしても、ベンチャービジネスである場合に不可欠なVCや取引先、従業員持株会など、経営者以外の株主がいる場合はどうだろうか。

例えば、持株比率の上でこそCEOが80%の株式を持っているとしても、残り20%を持っている取引先に売上依存しているような場合、株主としての影響力は持株比率とは無関係だ。
銀行系VCがわずか3%の株式を持っているだけ、という場合も同様であろう。
多くの場合、銀行系VCの投資があるときには、母体行からの融資も受けている。
借入残高が大きく、またつなぎ融資などで多くのことを頼っている状況であれば、たかだが3%の持株比率は、時に97%の持株比率であるCEOの意志を変えさせることもある。

つまり、例えわずかでも外部株主がいる会社であれば、持株比率にかかわらず株主の合意形成にはNo.2は極めて神経質にならなければならない。
大株主であるCEOは当事者であり、時に少数株主の意向を読む上で客観性を失うこともあるからだ。

具体的に考えてみたい。
近い将来のIPOに備えて、優秀な人材を確保するため、あるいは社長の持株比率を維持・回復させるためにストックオプションの発行を検討する。
キャッシュが薄いアーリーからミドルステージの会社にあっては非常に有効でメジャーな手段なので、IPOを考えている経営者であれば考えない人はいないだろう。

一方でこの施策は言うまでもなく、多くの場合ストックオプション付与の対象にならない外部株主には迷惑な話でしか無い。
潜在株の発行は株式の希薄化であり、一株あたりの価値の切り下げそのものだからだ。
2~3%程度ならともかく、5%を越えるような希薄化を打ち出されたらいい顔をする株主はまずいない。
場合によっては本気で怒り出す株主もいるはずだ。
CEOにとっては、優秀な人材を確保することが結局は株主利益に繋がるのだから、ということで理屈は通る。
流動株の比率を下げることが結局はIPO時の株価維持には有効なので、長い目で見れば株主利益に繋がる、というのも十分な建前だが、その発行には極めて慎重になる必要がある。

さらにもっと直接的に、既存株主の利益を損なう経営判断もある。例えば、種類株式の発行だ。
念のために種類株式について説明すると、普通株式とは異なる、何らかの特別な条件がついた株式のことで、一般には配当優先株式などが多く発行されている。
種類株式は会社の定款で定めれば法律に違反しない限りかなり自由な内容で発行ができる。
会社の経営が厳しい時や、どうしてもキャッシュを調達する必要がある際などに発行される傾向があり、例えば普通株主には配当をしない経営状況でも種類株Aの株主には必ず配当を出します、というものや、種類株Bの株主には、種類株主総会で3名の取締役選任権を付与します、といった条件設計もできる。

わかりやすく言うと、資金の出し手から見れば、相手が喉から手が出るほど欲しいキャッシュを何の工夫も無く普通株で出資するのではなく、既存の株主に比べより大きな権限を、より小さなリスクで手に入れられるようにしようとするものだ。
このような株式を発行されたら普通株の価値は下がり、またIPOの際にも市場に歓迎されない傾向があることから普通株主への影響は極めて大きい。

しかし、経営状況が厳しければ背に腹は変えられず、手段を選ばず現金を調達する必要があることもまた事実だ。
そしてそのような時に限って、精神的に追い詰められているCEOに対し、そのような出資をささやき、あるいは中途半端に入れ知恵をして手数料を稼ぐ商売をするような人が、世の中には多い。

このような状況に際して一番カッコ悪いのは、「何が正しいのか判断できない」No. 2だ。

「誰に忠誠を誓うべきか」を考える以前に「何が正しいのか」。

CEOの心情や会社の利益、株主の定量的な利害を考えて、職を賭してステークホルダーに意志表示するほど、考え抜く覚悟を持つ必要がある。
その緊張感を維持する自信がないのであれば、名前だけのNo.2 がストレスになるだけなので、身の丈に応じたポジションに下がったほうが良いかもしれない。

 

ケーススタディ2:CEO

会社のトップとNo.2 の意志がバラバラでは会社がうまくいくはずがない。
最高経営責任者の経営判断を尊重することは、No.2であれいち従業員であれ立場に変わりはなく、意見が異なっても、CEOの判断には従うべきだろう。
CEOは会社の全てに責任を負っているからこそ、それだけの権限がある。
まして中小・ベンチャー企業であれば大株主とCEOはイコールな事が多い。
そうなれば、CEOに対して一番の忠誠を誓わずその意志に反する行為をすることは株主の委任にも反することになり、事と次第によっては背任罪に問われることもあるだろう。

人事や給料のことはもちろん、次年度以降も取締役でいさせてもらうためには、難しい事は考えずに、CEOの言うことに素直に従うのが、いろいろな意味でオトクなNo. 2の振る舞いと言えるかもしれない。
程度の差はあれ、このような気持ちが全くない、というNo.2はあまりいないかもしれないが、実はこれは忠誠ではない。

このような考え方は、「一番かわいいのは自分であって、自分の保身のためには会社やCEO、従業員がどうなっても構わない」という考えに他ならない。

言うまでもなく、CEOも時には致命的な間違いを犯すことはある。
というより、創業社長であまり腹心に恵まれてこなかったCEOは独断専横に走るので、相当間違う。

その時に、CEOと確実に意思疎通を図り、目的を正確に理解し、その目的に沿った方策を実現するために最適な判断をすることが、「CEOに忠誠を誓う事」だ。
この点はまず、入り口で確認をしておきたい。
その上で、No.2であるあなたとCEOの価値観が全く相容れない場合を考えてみたい。

例えば国策として、あるいは地方自治体から支援・給付を受けられる各種助成金の受取りについて。
正しい内容で正しく給付申請を行う分にはもちろん問題はないが、中小・中堅企業の経営者の中にはこのような制度でギリギリのところを狙う人もいる。

中には完全に虚偽の内容で申請をし、あからさまに公金を不正受給しようとするCEOもいる。
従業員を休ませて教育訓練を行った企業に給付される雇用調整助成金制度を悪用し、実態のない休業と訓練実績を元に助成金の申請を行い経営者が逮捕されるケースに至ったものも数多くあった。

また、アジア各地から一定期間、技能を習得させることを目的に有期で雇用を行う「外国人技能実習制度」を本来の目的とは違う形で利用し、研修の名目で最低賃金に満たない極めて僅かな給与しか支払わない雇用契約を行う経営者が続出したことが大きな社会問題になったことも、ご記憶の人は多いだろう。

残念ながらそのトラブルが経営者の殺人事件にまで発展した、悲惨な出来事もあった。

犯罪にまで至るのは究極な例ではあるが、経営のすべてに責任を持ち、会社の存続のためなら手段を選ばないのがCEOというものだ。
会社の生き残りと成長・発展にかけるCEOの執着心は、例えNo.2と言えども比べ物にならず、ギリギリの時に価値観の違いを感じることがきっとあるはずだ。

実際に、No.2 の立場でこのような施策を採用したいとCEOから相談されたら、多くの人はおそらく反対するだろう。
事後のリスクが予想不可能になる問題を抱え込み、場合によっては株主や従業員もろとも会社が飛ぶかもしれないので当たり前だ。

しかし一方で、CEOの施策に反対すれば当然対案を求められるだろう。
仕事が減って従業員が遊んでいる分の仕事を作り出すか、垂れ流している給与をなんとか補填する方法を考えなくてはならないかもしれない。
高い人件費で募集をかけること無く、人手不足の工場に直ちにパート・アルバイトを採用する現実的な方法を考える必要があるかもしれない。
良くない方法だが悩みに悩んだ末に相談してきたCEOに対し、対案は皆無であるにも関わらず、

「社長、それは間違っています、悪いことです」

と言うだけのNo.2なら、クビにならないだけまだ温情があるというものだ。
しかし、長い目で見れば明らかに会社のためにも株主のためにもならず、当然CEO自身のためにもならないこのような施策。
CEOの意思に従い行動することはCEOに一番の忠誠を誓っていることと言えるだろうか。
従業員や株主のために、CEOの意思に反し、対案の有無は無関係にこのような施策をとにかく阻止するべきだろうか。

 

ケーススタディ3:従業員

社員が増え、会社が組織の体をなしていくに連れて、CEO一人のマンパワーで業績を作っていくのは難しくなっていく。
それは創業社長であっても同じで、一人の人間が会社の業務を完結させる事ができる規模はせいぜい3億円程度までだろう。

製造業であれば5000万円も難しいかもしれない。
個人事業ならばともかく、組織が出来上がってきた会社にとって不可欠な存在は、次第にCEOではなく従業員になっていくことは明らかだ。

一方で株主はどうだろう。
創業社長一人しか株主がいない組織はさておき、投資会社や個人株主、取引先なども株主として出資している場合。
程度の差はあれ、株主が出資する目的はほとんどの場合、そうすることに合理的な理由があるからだ。
合理的な理由を言い換えれば、何らかの利益になるからと言ってもいい。

経営者や会社に惚れ込み、何の利益や見返りも目的とせずに出資する株主もいるかもしれないが、それはレアケースと考えて良いだろう。
つまり株主は、利害に合理性がある場合に限り株主であり続けてくれるが、利害が対立すると容易に株主の地位を降りようとする。

株主の地位は容易に入れ替わり定まらない事が前提である以上、株主という集団に対して会社法上の忠誠を誓う必要はあっても、会社の重要な経営判断を考える上で、合理的な配慮以上のものは必要無さそうだ。

一人ひとりの社員を見た場合、残念ながら会社を愛するものもいれば会社を去るものもいるが、株主、CEO、従業員の利害が対立し容易に判断がつかない場合、従業員という集団に忠誠を誓い信頼を勝ち取ることが、あるいは結局、CEOや株主の利益の最大化に繋がるのかもしれない。

この考え方は多くの場合、理に適う可能性がある。

CEOに人望がありNo.2にもCEOと違う魅力がある組織は柔軟性が高く強い。
CEO不在の際の組織マネジメントも容易であり、リスク管理を考える上でも望ましい。
NO.2は、CEOがいかに魅力的でカリスマがある人物であっても、そのカリスマに甘えることなく、CEOとは違った人望を磨くことを忘れてはいけないはずだ。

しかし果たしてこれは、いつでも必ずそうだと言いきれるだろうか。

わかり易い例はM&Aだ。
残念ながらM&Aは、従業員を含めた会社の資産を現金もしくは現金同等物に変えることであり、多くの場合、従業員も取引条件の対象になる。
いわば、CEOを含む経営者と株主の利益の最大化のために、一部の従業員を切り離す行為と言っていいだろう。

もちろん、M&Aに際しては譲渡先に対し、従業員の雇用と待遇の維持を条件とするディール(取引)も多いが、日本を代表する大手家電メーカーが海外メーカーの傘下に入った時の事例のように、具体性を伴わない約束は無視され、新しい経営者は必要な施策を適切と判断したタイミングで行うだけだ。
そもそも、従業員の生活と将来に対する責任を放棄しておきながら、そのことに責任を持とうとする譲渡先に対して条件を要求すること自体が偽善的でおこがましいとも言えるだろう。

では、もう少し悩ましい事例ではどうだろうか。
例えば、幹部社員や従業員がCEOに対しサボタージュを決心した場合だ。

そんなことがあり得るかと思われたNo.2がいれば、きっとあなたの会社は順調で幸せなことだと思うが、経営が傾き小さなことから破綻が始まっている組織では、そのようなことは容易に、そして頻繁に起こりえる。
特に給与カットや人員整理を何度か行ったような組織では、従業員のCEOに対する信頼は相当程度揺らいでいるにも関わらず、現場の声をCEOに入れようとする幹部社員はほとんどいない。
そしてある日、従業員の大量離職や職場放棄という形で問題が爆発する。

その前段階として、従業員のリーダー格がNo.2であるあなたに面談を求めてきた状況を想像して欲しい。
言い分としては、人員整理による人手不足で現場の負担が限界に達しているにも関わらず給料は以前から大幅に下がっている。
1ヶ月休み無しで出勤している女子社員もおり、このままでは離職を慰留できないから、No.2としてなんとかして欲しいというようなものだ。

尋常ではない空気から事態は切羽詰まっていることは明らかであり、おそらく本当に現場が崩壊する直前だが、一方で経営は確実に厳しさを増しており、人手を増やす、休みを増やす、給料を増やすという施策は現実的ではない。

完全に、従業員とCEO、株主の利害が鋭く対立する状況だが、No.2であるあなたはこのような時、キャッシュの枯渇を承知で従業員の確保と給与を優先し、彼らの利益にプライオリティを置いた施策を進言できるだろうか。

そしてそれは正しいだろうか。

 

それぞれのケースにおける重要な共通項

株主とCEO、従業員の3つの切り口で、やや現実的ではないかもしれないケーススタディを挙げさせてもらったが、現実に起こらないと断言できるものはない。
幸か不幸か、いくつか極限レベルの体験をしてきた自身の経験で言うなら、知恵も人生経験も不足していた際に直面したものには、時に嘔吐しながら問題に対応していたこともある。
そんなときでさえ、No.2として心掛けていたのは、例え明らかに間違いだと思えるようなCEOからの相談や経営判断の意思表示であっても、まず、

「その考えに至った経緯を教えて下さい」

と、CEOの考えの背景を理解しようとしたことだ。
そのため一義的には、大株主であり創業者でもあるCEOの考えを中心に経営判断を組み立て、ある意味で「一番忠誠を誓っていた」と言っていいだろう。
繰り返すが、CEOは多くの複雑な利害関係を背負い、その全ての中から最適と考えた施策を実施しようとする。

CEOに比べたら、No.2などお気楽でどうにでもなる立場と言ってもいいくらいだ。
そんなCEOが出した結論に対し、その結論に至った経緯を聞くことも無く否定から入れば、多くの場合自分も確実に間違える。
大事なことは、CEOの出した結論が方法論として間違っている可能性があったとしても、目的において正しければ一緒に正しい方法論を考えれば良い、というシンプルなものだ。
そして、正しい方法論はCEO自ら思いつくことが望ましい。

最近少し腰回りの肉が気になってきた妻に、

「少し太ったんじゃないのか?ランニングでもしたらどうだ」

と助言をすることは、妻に意地でもダイエットをしないという決心をさせる暴言にすぎず、助言の目的である「妻のダイエット」の手段として明らかに間違っている。
同様に、CEOの考えを変えることが目的であれば、選択メニューを示し、その判断材料を提供したほうがよほど現実的だ。
No.2の提示する判断材料に合理性があるならば、結局CEOはNO.2と同じ結論に至り、「あいつに相談すると何故か考えがすっきりまとまる」と、ますます頼りにしてくれることになるだろう。

一方で、このようなスタイルであっても問題なのは、CEOの話を聞いた上で、方法だけでなく目的においても明らかに間違っている場合だ。
例えば、経費削減の手段として、従業員の給与一律カットは考えられないか、という相談は「経費削減」をしたいという目的において正しいので、あとはその緊急性の有無と影響を考慮し、その結果得られる成果は悪い影響に対しペイするかどうかを定量的・定性的に計算した上で、時に同意し時に別のメニューを提示すれば良い。

しかし冒頭で述べたような犯罪レベルな事項のように、どう考えても目的においても方法においても間違っているもの、その時の状況を鑑みてCEOの気持ちをどれだけ最大限に斟酌しても、手段を選んでいられない、死ぬ直前というものでもない場合など、CEOが一線を越えてきたら、腹心であっても当然、見切りはつけないといけない。

 

土壇場でどれだけ自分を信じられるか

それぞれのケーススタディでお分かりになったことだろうが、忠誠を誓うとは、誰かの意見に盲従しその意志に従うことではない。
それは単なる依存であって、自分に自信のない人間の行動様式であり、そのような人間は経営判断に関わるべきではない。

結局のところ、No.2は誰に忠誠を誓うべきかと考えた時、どのような局面においても自分自身を信じられるくらいに、判断力を磨き知識を仕入れ、社内外の情勢に広く通じること以上の答えはない。

日常的にはCEOをサポートしその経営判断を助け、五感になって判断材料を提供し、時にはひとつの経営判断に別の見方を示す。
CEOの経営判断に誤りがあれば、それは自分のサポートが間違っているという厳しい自己批判も必要だ。
多かれ少なかれ、全てにおいて価値観が一致するわけがない人間のサポート役をするとはそういうことだ。

おそらくNO.2と呼ばれるポジションに居る人は、CEOの理不尽な要求や下品な経営判断に悩まされている人も多いだろう。
もしかしたら、もう辞めてやると考えている人がいるかもしれない。
もしそうであれば、少し冷静に考えてみて欲しい。

CEOの言っていることは目的において正しいか間違っているか。

よほどの人間でない限り、目的において間違った経営判断をするような自殺行為をするCEOはそうそう居るものではない。
であれば、目的には共感できるのに手段のオプションを提示できないのはNo.2である自分が無能なせいではないのか。

理不尽に思える要求や下品な経営判断をさせているNo.2の能力のなさを棚に上げていないか。
ストレスフルなことだが、現実から逃げないために常に自己批判は必要だ。

究極の判断を必要とする場面で苦い記憶となってしまったものたちにおいて、CEOに破滅的な経営判断をさせてしまったのは、最後の最後で私が頼りにならなかったからだと考えている。
誰でもわかるような常識的な経営判断すらさせることができなかったのだから、無能極まりないとも言えるだろう。

「私に任せて下さい、絶対に会社をなんとかしてみせます」

と、自信に満ちた態度で言い切っていれば、精神的に疲弊していたCEOを動かせたはずだ。
結局、最後は私も自分に自信がなく、最後の責任を取ることが怖かったのだろう。

本件が、今現在No.2 として悩んでいる人に僅かでも助けになれば嬉しく思う。

ABOUTこの記事をかいた人

1973年生まれ。とある企業の経営者。 大手証券会社からキャリアをスタートし、広告代理店やメーカーなどを経験する。 CEOを2社、CFOを3社ほど経験し、現在はマーケティングと人材開発を主なサービスとした企業を経営している。