ゼロ戦から学ぶベンチャー経営の戦い方

ゼロ戦から学ぶベンチャー経営の戦い方
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会社経営者には、致命的な失敗を実践で学ぶことが許されていない。
おおよそ従業員を雇い顧客を持つ会社という存在には、健全な事業の継続がもっとも優先されるべきものであり、支払いの遅れや給与の未払い、納期の遅延はもっとも不道徳なものだからだ。
だからこそ、大胆な施策を採る場合でも、致命的な失敗を回避する方策は2重3重に担保しておく。経営者なら誰でも心得ていることだが、しかし意外にも、ビジネスパーソンが書店で手に取るビジネス書のたぐいは「どうすれば成功できるのか」というアプローチのものがとても多い。
そしてビジネス書売上の上位ランクには、成功した経営者に学ぶ生き方や考え方に学ぶものが溢れていることから考えても、おそらくそう間違った認識では無いのだろう。
実践では絶対にやらかすことができない誰かの失敗からこそ、本来は学ぶべきものが多いにも関わらずだ。突然話は変わるようだが、私は学生時代から20数年間、素人マージャンでは無敵の強さを誇っていると自負している。
相手がプロであれば別だが、アマ上級者やセミプロクラスであればそう簡単に負ける気がしない。
そしてマージャンほど、その人の性格や思想考え方、視野の広さが顕著に現れるゲームも珍しいと思っている。マージャンで勝つことができない人物にもっとも多いのは、勝負に勝とうとして場に臨むタイプだ。
特に4人打ちマージャンの場合、大きな手で和了(あが)れる可能性は高いとは言えない。
にも関わらず、勝とうとしてマージャンを打とうとする人物は、どんな手牌であっても必ず和了ることを目指し、与えられた環境(手牌)や他の打ち手の意志(捨て牌)から得られる情報を軽視し、自分のゴールを目指そうとする。
自然とその打ち方は独善的になり、捨て牌からは何を求めているのか、その意志が丸見えに透けて見える。

マージャンのような、自分の意志と他人の意志が衝突する狭い環境で、なおかつ自分にだけ特別な運が回ってくることがアテにできない状況であれば、勝ちを追求するのではなく、負けない勝負を心掛けるべきだ。
そして何回かに1回だけ回ってくる自分に有利な局、即ち他者にとって不利な局を見計らって勝負に出て、勝てる勝負だけを拾いに行く。
勝てる見込みがない流れであれば、負けない(振り込まない)ようにすることはもちろん、相手の求めるものを流さないように手牌に組み込み、流れを食い止め我慢するのが負けない打ち方だ。

ビジネスの場でも同様であり、何とかして勝つ方法を模索するのではなく、負けない方法をこそベースに置くべきだと常々考えている。
先に上げたビジネス書の類で言えば、成功した偉大な先人に学ぶよりも、壮大な失敗をやらかし、その失敗を赤裸々に語っている、あるいは詳細に分析している書籍をこそ、経営者は手に取るべきだ、ということだ。
もしくはせめて、成功した経営者の自著を読む文量と同じくらい、失敗した組織や人物の敗因にも興味を持つべきだろう。

考えてみて欲しい。
成功した経営者の話は確かに参考になるかも知れないが、成功はその人が立たされた環境、事業の流れ、キャッシュの状況やステークホルダーの協力度合い、そして何よりも経営者のパーソナリティに依る所が極めて大きい。
そこから転じて、自分や自社でも応用できる普遍的な「勝ち方の原理」を抽出することは極めて困難だ。
せいぜいが、「強い意志であらゆる困難に打ち勝った凄い経営者だな」という感想を持つくらいであり、このような本を読んだことで経営者の習慣や考え方が変わることなどまずありえない。

しかしながら、
「このようにすれば必ず組織は崩壊する」
「上手く行っている事業であってもやがて衰退する理由は、こういうものだ」
という、説得力のある研究成果があるとすれば、どうだろうか。
おそらく経営者としては相当気になり、そして自社の経営でも参考にして自らの行動すら変えるインパクトを受けるのではないだろうか。

本論ではないので詳細は割愛するが、そのような本の代表格に、東京都の小池知事が愛読書として発表してから再び脚光を浴びることになった、古いベストセラーの良書がある。
防衛大学校の教授など、安全保障の専門家たちが共著で発表した、「失敗の本質―日本軍の組織論的研究」だ。
この本は、明治期に世界の強国を次々に撃破し世界を驚かせた日本軍がなぜ、太平洋戦争で惨敗をすることになったのか。
その原因を組織マネジメントの観点から明らかにしようとする一冊だ。
そして、武器の質や資源の多寡、政治的意志という要因を排除し、成功体験に浸りきった組織がマネジメントの意志によってどのようにして衰退していくのか。
その過程を、人間がマネジメントする組織であれば必ず陥るであろう数多くの要因を明らかにして企業経営に警鐘を鳴らしている。

日本軍と言えば当時、日本中の秀才をかき集めて組織されたエリート集団である。
これ以上の人材を確保することなど期待できない存在だが、それでも組織が一直線に失敗に向かった理由が明らかになれば、成功した経営者の体験談よりも学ぶべきものは多いはずだ。

そういった意味で、本稿では、成功から学ぶことと併せ、失敗からも学ぶことができるサンプルとして、日本が誇る名戦闘機、「零式艦上戦闘機」通称ゼロ戦を引用しながら、ベンチャー企業の戦い方を考えてみたい。
ゼロ戦には、極めて短期間のうちに経験した成功体験と失敗体験の両方が、存分に詰まっている
そしてそこからは、ベンチャー企業経営者が実践に応用できる生々しい苦悩の跡が透けて見える。

ゼロ戦が誕生した時代背景と日米の国力をまとめてみると、ざっと以下のようになるだろう。

  • 日米の国力差は圧倒的であり、正面から戦っても勝ち目が無いことはわかりきっていた
  • 正面から戦っても勝ち目がないのであれば、非常識な戦い方を考え出さなければならない
  • 技術力にも劣っていた日本は、特定の強みを確保し米国を上回る戦略を立てる必要に迫られていた

このような時代と環境の要請から誕生したのがゼロ戦であったのだが、ベンチャー企業経営者を悩ませている経営課題に、どこか被って感じられないだろうか。

現預金も乏しく組織力も劣るベンチャー企業を取り巻く環境、それでも勝つために採るべき施策の考え方。
80年近く前の日本の英傑と技術者たちは、私達と同じ境遇に立たされた時、どこに突破口を見出し、そして世界最強と恐れられたゼロ戦の開発に成功することができたのか。
その栄光と盛衰を追いながら、勝ち方と負け方の教訓を引き出してみたい。

INDEX
マーケットのルールを変えてしまえ
ゼロ戦の設計思想から見えるベンチャー企業の戦い方
強い武器が結果を出す武器ではない

マーケットのルールを変えてしまえ

彼我の力の差が埋めがたいほどに大きく、正面から戦っても勝てないのであれば、どう頑張っても常識的な方法に勝ちを求めることは難しい。
ならば、常識を変えてしまえば勝てるのではないか。

一見バカな発想に思えるかも知れないが、軍事の世界でもビジネスの世界でも、このような発想で世界を変えてしまった事例は、意外にも事欠かない。
まずは、先述のような状況の中で日本軍が採った戦略についてみてみたい。

当時の状況は、生産力も資源量も圧倒的にアメリカが日本を上回っていることは衆知の通りだが、更に日本は開戦の5年前まで、米英を含む列強との間で、ワシントン海軍軍縮条約を締結していた。
これは、当時の戦争の帰趨を決定づけると考えられていた戦艦の保有数を制限するものであり、米英日の保有数はそれぞれ10:10:6とされた。
つまり日本は、資源も生産力もない上に、保有できる戦力の制限まで受けていたことになる。

しかし、日本と米英の関係はどんどん悪化し、有事に備えた準備をしなければならない。
この時に日本が苦心の末に編み出した戦い方が、世界初となる空母の戦力化だった。
太平洋戦争前、空母は実践で使用されたことがほとんど無く、戦争に大した影響を与えないと考えられていたために、軍縮条約の対象外だったからだ。
そこに目をつけた日本の英才たちは、ユニットコストが安価な航空機を、戦艦にも匹敵する戦力に育てることができないか、という発想を持つに至る。

日本の敗戦はしばしば、「航空機全盛の時代に戦艦にこだわり続けたために敗れた」と評する人物も多いが、これは明らかに客観性を欠いている。
太平洋戦争当時、世界で初めて正規空母を就航させたのは日本であり、そして空母機動部隊を運用し、世界で初めて実戦に投入したのも日本であった。
太平洋戦争開戦当時の日本は世界一の空母大国であり、航空戦力だけでみれば、日本に勝てる国は存在しなかったというのが客観的事実だ。

但しこれは、日本だけが先見の明を持ち合わせていたから、というようなカッコイイものでは全くない。
他に選択肢がない中で、今ある常識をどのように破壊することができるか。
どうすれば、戦艦同士の正面戦ではない方法で戦争に勝つことができるかを真剣に考えた上での、結果が見えない中でたどり着いた苦肉の策であった。
しかしこの苦肉の策は形になり結果を出し、それまで世界が信じていた、「戦争は戦艦の保有数で決まる」という常識を完全に壊すことに日本は成功する。

航空戦力の前には、戦艦は無力な存在-。
これまでの常識を180度ひっくり返し、世界にパラダイムシフトを起こした日本は、以降極めて短期間ではあるが、米英相手に連戦連勝を繰り返し、世界を驚かせた。

ビジネスに例えればこれは、正にマーケットの常識を完全にひっくり返し、既存のルールを破壊し尽くすほどのインパクトであった。
こうなると世界は、これまでの常識のために作り上げてきた組織や運営のあり方を根本的に見直す必要に迫られることになってしまう。

これを21世紀の世界に置き換えれば、インターネットが出現した時のインパクトに例えられるだろう。
大規模スーパーやデパートはこれまで、大掛かりな販売力と強固な流通網を持ってさえいれば、自分たちが敗れることなど考えもしていなかったはずだ。
大規模店舗を次々に進出させ街の電器屋さんを破壊し尽くし、勝利の方程式に勝ち誇っていた大手家電量販店も同様である。
出口(消費者)さえ抑えていれば、流通にもメーカーにも大きな影響力を行使できると考え、実際に体力に溢れる巨人たちは、そのようなマーケティングで勝利を上げ続けてきた。
大きな戦艦をたくさん保有していれば戦争に負けるはずなどないと信じていた大国のように、である。

しかしインターネットの出現は、生産者と消費者を直接結びつけてしまった。
マーケットのルールが完全に変わってしまい、もはやこれまでのやり方では太刀打ちできなくなったにも関わらず、大規模な流通機構を持つ会社はそこで働く人達の雇用を守る必要性もあって、大きな改革を断行できずに動きが鈍い。

そして、アイデアに溢れる生産者や小規模小売店舗は次々にインターネットを活用し、「常識を変えることができない」人たちが牛耳っているマーケットに新しいやり方を導入し、次々とシェアを奪い、消費者の支持を獲得するに至った。
戦艦という大きな存在ではなく、航空機という小さくて小回りの効く存在が戦場を制したように、である。

この事例は大きな話だが、どんな小さなマーケットにも、そのマーケットに当たり前のように存在するルールややり方があり、そこで飯を食ってきた経営者には、逃れがたい思い込みと習慣があるものだ。
だからこそ、どんなに小さなマーケットでも店舗でも、囚われている常識を越えた発想をすることで必ず勝機を掴むことができる。

例えば回転寿司や一部焼鳥居酒屋が取り入れた均一商法。
100円ショップでも同様だが、仕入価格に応じて売値を決めるという販売店側の常識と都合ではなく、
あくまでも消費者の利便性に立ち、サービスの新たな常識を考えた上でたどり着いた一つの形だ。

小売を展開する際には、個別の商品単位で目標利益を確保したくなるのが当たり前の感覚だ。
しかし、その常識に囚われていれば、お客さんに感動を持って受け入れてもらえるサービスは生まれなかっただろう。
そして個別の商品で見れば感動的に安くて品質の高いものもあるが、トータルで見れば十分目標の利益率を確保することに成功している。
今となっては新鮮味がないサービスだが、どんな小規模店舗でもやろうと思えばできたはずの、「小さくて大きな革命」であったことは間違いない。

またこれとは逆に、徹底的な品質の向上で流通の常識に逆らい続け、独自のマーケットを作ることに成功した事例もとても参考になりそうだ。
例えば滋賀県が誇るブランド豚である「蔵尾ポーク」。
滋賀県が誇る銘菓であるクラブハリエのバームクーヘンを餌にして育てられる、とんでもない幸せ者の豚だ。
直営店舗と限られた協力会社、それに一部高級デパートでしか販売されていない高級豚肉だが、その価格は国産牛肉並みであり、冷凍肉でも100g500円を超える。

そしてこの豚の生産が本格的に始められたのが平成14年。
アメリカはもちろん、メキシコやスペイン、フランスといった養豚大国から安価な豚肉が日本にどんどん輸入されつつある中で、ただでさえ国産豚は単価が切り下げられ、安価でなければ店頭に並べてもらうことが難しくなっていた時代だ。
しかし、自社でコントロールできない流通価格の中で勝負をしても勝ち目はなく、中小零細企業が大規模農場で生産される食肉と同じ価格で商売ができるわけがない。
そのような中でたどり着いたのが、黒毛和牛と同様に、極めて希少価値の高いブランド豚を育て上げ、供給を上回る需要を発生させようという戦略だ。
供給過多の食肉マーケットに勝負をかけるのではなく、「供給の存在しないマーケット」を作り出し、需要が供給を上回る環境を作ってしまえばいいという非常識な発想である。
こうして大阪の従業員数わずか14名の会社は食肉マーケットの常識を無視し、新しい価値を世に提供することに成功した。

ちなみにこの蔵尾ポーク。
そんじょそこらのスーパーで売られている、名前だけのブランド豚とは違い桁違いに旨い。
手に入れることは極めて困難だが、もし正規ルートで手に入れる機会があれば、ぜひ一度試して欲しい。

日本が空母という新たな戦力に頼り、世界の常識をひっくり返したパラダイムシフト。
それは、どれほど小さなマーケットでも、どれほど小さな店舗であっても、必ず実践できる改革があることを色濃く示唆してくれている。
自社を取り巻く環境を整理し、「前提条件無しに」、何かを変えれば新しい付加価値を生み出すことができるのではないか。
「できない理由」を全て無視した上で、「もしできたら何を変えられるか」。
そんな発想で、マーケットそのものを変えてしまえるのではないかと考えることは、十分考える価値がある試みだろう。
ぜひ、試してみて欲しい。

ゼロ戦の設計思想から見えるベンチャー企業の戦い方

話はさらに個別の領域に立ち入るが、あらゆる要素で米国に水を開けられていた日本が、当時世界最強と呼ばれたゼロ戦をどのように開発したのか、あるいはできたのか。
その思想と背景をご説明し、私達のビジネスに置き換えた上でも考えていきたい。

その前に、客観的事実をもう少しだけ積み上げたい。
ゼロ戦とは果たして本当に世界最強であったのかどうか、ということだ。

結論から言うと、ゼロ戦は太平洋戦争開戦当時、間違いなく世界最強であった。
ゼロ戦のデビュー戦は太平洋戦争に先立つ昭和15年の中国大陸であったが、この際の戦力はゼロ戦13機に対し敵勢力は27機。
相手戦闘機は型遅れの古いものであったことを考慮しても、倍の戦力は普通に考えれば埋めがたいほどの大きな戦力差だが、この交戦でゼロ戦は敵機を全て撃墜し、味方の被害は0。
この戦闘報告を本国に伝えた米国の将校は、「日本にそんな戦闘機が作れるはずないだろう」と、不確かとも思える状況報告を叱責されたほどであった。

しかし、太平洋戦争が始まると米国は、この“怪情報”が事実であることを深刻な被害と共に思い知り、各地で次々と精鋭部隊が落とされ続けることになる。
そして開戦当初、アメリカ海軍では命令と任務を放棄して戦場を離脱しても良いケースを2つだけ挙げ、以下のように通達するに至った。

  • 台風に遭遇した時
  • ・ゼロ戦に遭遇した時

それほどにゼロ戦は太刀打ち不可能な、突如現れた正体不明の最強の存在であった。

ただし、それはせいぜい開戦から1年間だけのことであった。
なぜか。
それはゼロ戦がその他のパラメーターを全て犠牲にして、小回りが利き、なおかつ航続距離の長さだけに特化した機体であったからだ。
小回りが利くというのは、素早く敵戦闘機の後ろに回り込み、撃墜をすることができる能力だ。
当時の戦闘機同士の戦闘では、どちらが早く敵の戦闘機の後ろを取るか、という格闘戦闘が常識であり、軽戦闘機が主力とされていた時代である。
ゼロ戦は、この常識に特化して設計された機体だった。
一方でこの機体設計は、防弾性能を完全に無視し極端な軽量化を施し、敵の機銃弾が翼をかすっただけでも撃墜されるというパイロットの命を守る上で致命的な弱点を持っており、事実パイロットの損耗は非常に大きかった。

この状況に対し米国が編み出した反撃の戦法は、やはり「常識をひっくり返す」ものだった。
即ち敵の後ろを取り撃墜をするという格闘戦で勝てないことを知ると、スピードに勝る能力を生かして「一撃離脱戦法」でゼロ戦を撃墜し始めた。
つまり、追い掛けっ子などせずに、高速を活かしてすれ違いざまに攻撃を仕掛け、そのまま直線的に逃げる。
ただそれだけだ。
ゼロ戦の速度では米戦闘機に追いつけないので、米戦闘機にリスクはほとんどない。

ゼロ戦の設計思想は、敵が同じ戦い方と同じ土俵で戦ってくれる限りにおいて有効であったにすぎない。
しかしどんな戦いでもそうだが、相手の得意な型やフィールドを理解することができれば、その土俵を避けるのは当たり前だ。
こうしてゼロ戦は急速に米軍相手に通用しなくなり、熟練パイロットは次々に損耗。
やがて特攻機としてしか、使い道が無くなる存在になる。

これをベンチャー企業の経営に援用して考えると、最初の選択肢である「資源の選択と集中」。
ここまでは間違いなく正解だ。
あらゆることに劣るのであれば、何か一つ、成果に直結する要素で競合相手を圧倒的に上回る何かを作り上げることだ。
極端な安値であったり、極端に優れた品質や品揃えでもいいだろう。
中小零細であっても、売れ筋のなにか一つだけでも利便性や価格優位性を打ち出すことで、存在感を打ち出すことならできるはずだ。

ただし問題は、競合他社がすぐに追随あるいは容易に対策を打ってきた場合の対処法にある。
日本軍の場合、その際の対応方法は資源や技術の制約があり、明確に打ち出すことが最初からできていなかった。
だから日本軍は、2の矢3の矢を打つことができない自覚があったために、短期決戦で戦争を終わらせ、すぐに講和に持ち込むことしか考えていなかった。
最初の圧倒的なインパクトだけで押し切り、勢いのまま要所を陥落させて米国の戦意を挫き、終戦に持ち込むと考えていたということだ。

しかしこの場合、最初の勢いで相手に押し込むことは自分あるいは自らの組織だけで決定できる意志だが、戦意を喪失してすぐに講話に応じるかどうかは相手の意志次第だ。
つまり最初から、自分ではコントロールできない要素に依存して着地点を描いていたことになる。
極論をすれば、米国がゼロ戦の強さに震え上がり、何も対策をしないで逃げ回ることに期待したと言っても良い。

しかし、こんな作戦は現実的とは言えないだろう。
これをビジネスに例えれば、極端な値引き競争を仕掛けた時に、競争相手は驚き震え上がり、短期間でマーケットから撤退してくれることを期待するようなものだ。
自分(自社)でコントロールできない「願望」に頼った戦略は、これほどまでに愚かで、そして概して望まない結果に終わる。

これを中小零細やベンチャー企業の経営で考えると、自社のやり方、自社の意思決定が及ばない範囲で戦ってはならないということだ。
例えば街の板前寿司屋さんが、近くに100円寿司が進出して顧客を奪われたと感じた時に、同様に全品100円にしてしまったら、絶対に勝ち目はないだろう。
同じ価格であれば大規模店舗の方が良いものを使えるに決まっている上に、顧客の母集団が違うのでネタ数でも勝てるわけがないからだ。
この戦略では、競合他社はもちろん大事な顧客の行動にすら影響を与えることができずに、自社の利益だけを削る結果になって早晩立ち行かなくなることは明白である。

顧客が板前寿司に求めることと、100円寿司に求めることは全く異なり、もはや別事業と言って良いだろう。
この場合、自社の努力で変えることができるのは顧客の意志であり行動だけであることを考えれば、顧客が自社に求めていることは何なのか。
そこを見つめ直すことで自ずと答えは見つかるはずだ。
それは決して、1貫300円の美味しい本マグロ中トロの販売をやめ、100円のバチマグロに切り替えることではない。

一方で、中小零細の街のビストロでありながら価格競争に訴え、成功しているお店が奈良県にある。
そのお店は夫婦二人で営むテーブル数6つほどの小さな店だが、2年連続でミシュランのビブグルマンに選ばれるクオリティを誇り、なおかつランチのコースは1200円からという驚きの価格帯だ。
そしてディナーは原則予約営業なので、決して安価なランチを広告代わりに使っているわけではない。
ランチで儲けて、なおかつ予約が難しい店として人気を博していることになる。

このお店が価格とクオリティを両立させている理由は、実はそれほど難しいことではない。
通常の高級イタリアンやフレンチであれば、舌平目やスズキなど1匹いくらの高級魚でコースを仕立てるが、こちらのお店ではトロ箱いくらといった安い魚などでメニューを構成しているためだ。

しかし、おそらく店主の腕が凄いのだろう。
シンプルなポワレであっても、安い魚であることがわからないほどのクオリティで、いつ行っても楽しむことができる。
同様に前菜盛り合わせも、ありふれた安価な食材ばかりであるはずなのに、独創的なソースで全く違う食材の楽しみ方を示し、顧客をその店だけの世界に引き込む。

つまりこの店主は、ありふれた食材でも自分の技量で感動的な一皿に仕上げる能力があることを武器にしているということだ。
目的として安価な価格設定にしているわけではなく、地域のランチ平均価格を考慮した上で、自分の努力だけで戦えるマーケットを見出し、そこに存在感を確立したと言うことなのだろう。
もちろん舌平目やスズキを調理させても抜群に旨いはずだが、マーケットのないところで腕自慢自己満足の商売などやろうともしなかった、極めて聡明な経営者であると言い換えても良いかも知れない。

ベンチャー企業や中小零細企業であれば、資源の選択と集中で何か一つ、圧倒的に存在感のあるサービスや技術を確立することが不可欠だ。
ただしそれは、自分や自社の努力が及ぶ範囲のものでなくてはならず、さらにマーケットが求めているものでなくてはならない。
間違っても、競合他社の動向や意志決定に期待しての領域に資源を集中させる過ちを犯すと、必ずその思惑は外れる。

強い武器が結果を出す武器ではない

ところでゼロ戦が米軍相手に通用しなくなり始めた時、日本は何をしていたのだろうか。
結論からいうと、日本は慌てて後継機の開発を始めたのだが、もはや米軍との差は開くばかりであり、いくつかの試作やプロトタイプ、ごく少数の量産機が生産されただけで、結局ほとんど何もできなかった。
そしてそのもっとも大きな原因は、誕生した頃のゼロ戦が余りにも強く、敵を圧倒し続けたからであった。

この戦闘機を三菱に発注した時、日本海軍ですらその完成に半信半疑であった傑作機を手にした日本は、これで米国相手に5年から10年のアドバンテージを握ったと勘違いし、後継機の速やかな開発着手を怠るという過ちをやらかす。
このような姿は、画期的なサービスを世に送り出し、一瞬で多くの会員数を集めてIPOに成功する、ITベンチャーシーンで何度も見かけた光景だ。
SNSというものが世に出始めた頃、紹介制でしか参加することができないことで話題になった某サービスは、もはや廃墟というレベルではない廃れ方をしている。
ITバブル全盛期の頃には、「クリック保証型広告」というような必ずしもユーザー本位とは思えないサービスに巨額の時価総額がついたが、類似のサービスはほぼ総て駆逐された。
本来、新しいサービスにはフロンティアとしてのブランド力くらいは残るものだが、今となっては当時の企業そのものの原型が残っていない惨状だ。

これほどまでに、「会社は上手くいっている時がもっとも危ない時」と、経営者であれば誰でもわかっているのに、その教訓を実際の行動に移す事ができる人はとても少ない。
それもそのはずであり、日本中の秀才をかき集めた日本軍ですらそうだったからだ。
人は必ず、上手く行っている時にはその時間が永遠に続くと勘違いして、現状に気が緩み怠惰になる。

そして不幸なことに、ゼロ戦のアドバンテージは5年どころか半年しか保たずに、日本軍は慌てて後継機の開発に着手するが時すでに遅く、凋落の坂道を転がり落ちる。
これもまた、順調であったはずの事業が傾いて初めて、その対策に乗り出そうとする経営者の姿勢に被るだろう。
使い古されて陳腐なことはわかりきっており、頭の中ではわかっている事実なのだが、経営者はなかなか、「事業が上手く行っている時ほど会社危ない」という事実を認めることができない。
しかしこのことはぜひ、改めて強い思いにして欲しい。

なおこの思いに少し深入りすると、5年や10年ほども会社を経営してきた経営トップであれば何度か痛い目にあっており、このような考え方は既に生存本能のレベルで染み付いている者も多い。
このような経営者は、事業が上手く行っている時にはほとんどの場合、その事業のことなど、極論すれば考えていない。
既に次のことを考え始めており、今ある飯のタネは3年後にはなくなっている覚悟で新しい展開を考えているからだ。

問題は、経営トップのこの思いについてこられる者が、COOやCFOであってもほとんどいないことだ。
まして一般従業員であれば、「うちのトップは、会社が儲かっているのに給料を増やしてくれない」という方向に不満を募らせ、上手く行っていることがますます組織の危機を招くことすらある程である。
もし貴方が役員クラスの人間であって、同様に会社が儲かっているのに給料が増えないことや従業員の給料を経営トップが増やさないことに不満を持ったことがあれば、大いに意識を切り替えてもらいたい。
経営トップが毎晩飲み歩き、豪遊するだけの存在であれば(それで会社が儲かっているのなら逆にすごいが)話は別だが、ストイックで私欲がない人であればそのような場合、必ず次の展開に意識が飛んでおり、その想いをシェアできる幹部を求めている。
既存の事業を全面的に任せることができるか、あるいは次の展開を一緒に考えることができる存在だ。
ぜひ、その経営トップの思いに寄り添って、一緒に会社を大きくして行く意欲を共有して欲しい。

ところで次の展開を考える時、お金もない、人もいない、時間も足りない中小ベンチャーであれば、具体的にどういった方向に、次の展開を考えていくのが正解なのだろうか。
それは一義的には、今あるリソースを無理なくタテヨコに展開することで、事業の裾野を広げていくのが王道だろう。
一方で焼き鳥で大失敗したトリドールのように、突然丸亀製麺という全く違う形態に進み、成功したケースもあるので、成功の方程式など見出すことはできない。
しかし、「このようにしたら失敗する」という事例なら、やはり示すことはできる。
まずはそれだけでも、見えている地雷を避ける役には立てそうであり、いくつかお話してみたい。

その代表的なものは、間違った形での「できることを全て試す」というチャレンジだ。
意外に思われるかも知れないが、日本軍には「世界最大の戦艦大和」以外にも、実はいくつもの「世界初」「世界最大」「世界唯一」があった。
このうち、世界初の正規空母は一定の成果を挙げることができたが、そもそも正攻法ではなく奇策に走る戦法は、そのうちの1つがたまたま成功するかも知れないが、90%以上は壮大なムダと犠牲に終わることがほとんどだ。
イギリス軍が開発しようとした自走無人爆弾は、そのほとんどが試作中に自軍に突っ込んで大損害を出し、ドイツ軍が調教した「敵戦車の下に潜り込み自爆する軍用犬」は、訓練中に使ったドイツ軍戦車の下に潜り込んで自爆し、神様のバチを受けた。

そして日本が作った世界最大の壮大なムダだが、日本は太平洋戦争当時、実は世界最大の潜水艦と、世界最大の空母の両方を建造・保有していた事実があるのだが、このことは余り知られていない。
このうち、世界最大の伊400型潜水艦は実に2012年まで、通常動力型の潜水艦としては世界最大であり続けたほどの、桁外れのバケモノだった。
同様に世界最大の空母信濃は、1961年にアメリカ軍が原子力空母エンタープライズを就役させるまで、世界最大の空母であり続けた。

しかしこの「物凄い兵器」、最後まで全く何の役にも立たない壮大なムダに終わった。
なおかつ空母信濃の場合、1944年11月19日に竣工しそのわずか10日後、横須賀から呉に向かって航海していたその途上で、米海軍の潜水艦に発見・補足され数発の魚雷により、一瞬で撃沈されてしまった。

資源もなく、熟練の乗組員を育成し続けることも難しい状況では、一点豪華主義でシングルタスクに全力を傾けるという選択肢もありえるだろう。
会社でも、1つのプロジェクトに社運を賭けて取り組むという経営判断も、時には考えられる。
しかしそれは、当たり前だが成功の見込みがある場合の話だ。

この時の空母信濃は、どれほど艦体を頑丈に作り、そして巨大であっても、既に空母に離発艦できるような熟練搭乗員など日本に残されていなかった。
さらに、巨大な空母を操艦できる乗組員もいなければ、空母を護衛するような巡洋艦も駆逐艦も残されていない状況である。
そのような中、ろくな護衛もつけないまま僅かな乗組員の操艦で呉に向かい、当たり前のように撃沈された、ただそれだけの「世界最大の空母」という存在に終わってしまった。

同様に巨大潜水艦伊400は、既に日本の潜水艦は戦闘ではなく通商破壊にしか用いることができないことが明らかであったにも関わらず、技術の粋を尽くして攻撃的な潜水艦を建造し、ほとんど出番が無いままに終戦を迎えた。

どちらにも言えることは、間違った形での「自分にコントロール可能なタスクへの注力」だ。
しかし人は、時に成果に繋がらないことが明らかであるにも関わらず、自分にできる仕事をとにかく進めることで、何かをしていたいと願う。
そして、一従業員であればまだしも、経営者がこの心理状態に陥ると巨大な艦も1発の魚雷で沈む。

この事例でお伝えしたかったことは、僅かな経営資源をどのように使うのか、優れた技術や技術者をどのような方向に展開するのか、という意志決定は、トップリーダーにしかできないということだ。
そして意志決定が終わり命令を受けた部下たちは、トップリーダーの意志に従うことで、意義のある仕事を積み上げることもできれば、無意味で残酷な結末を迎えることもある。
全てはトップリーダー次第だ。

結果という観点でも見てみたい。
先に挙げた空母信濃や伊400型潜水艦はもちろん、戦艦大和も含めて、技術の粋を尽くして投入された最新鋭の「凄い兵器」は、巨額の国費を投じたにも関わらずその戦果は限りなく0に近い。
一方で、大正初期に建造され長年に渡り運用し、既に旧式化していた戦艦「金剛」や「榛名」は、太平洋戦争を通じてもっとも大活躍した日本海軍の武勲艦となり、今なおその活躍は語り草になっている。

これは、最新鋭の強い兵器が必ずしも結果を出すわけではなく、時代に適応して生き抜いてきた兵器こそが、本当に結果を出す兵器であったことを色濃く物語っている。
或いは企業経営もこれと同じであるように思えてならない。

本当に現場を知り尽くしているのは、高い給与で引き抜いたすごい経歴を持つ役員ではなく、長年に渡り工場で汗をかいてくれた古参幹部だ。
その力を引き出せていないのは経営者である自分自身の能力に問題がある。

新しい事業に着手するのももちろん大事だが、長年に渡り会社を支えてきた事業の価値を十分に引き出していないのに、闇雲に新しいことを始め、社運を賭けることは果たして正しいのか。
今の事業の中に、眠っている価値の再発見をすることは本当にできないのか。
それこそ、金剛や榛名のように。

役に立つのは、凄い兵器ではなく便利な兵器という教訓が活きることもあることを、時に思い出して欲しい。

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1973年生まれ。とある企業の経営者。 大手証券会社からキャリアをスタートし、広告代理店やメーカーなどを経験する。 CEOを2社、CFOを3社ほど経験し、現在はマーケティングと人材開発を主なサービスとした企業を経営している。