社長と役員の給料はいくらであるべきなのか

社長と役員の給料はいくらであるべきなのか
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創業経営者と幹部社員、従業員の給与はいくらであるべきなのだろうか。どのようにバランスさせるべきなのだろうか。

経営トップ以外の幹部や従業員については、その考え方は比較的簡単だ。幹部であれば、その人物のキャリアや能力がどれほど得難いものであるのか。つまり希少価値があるのか、ということに尽きる。ターンアラウンドマネージャーやIPO担当者などがわかり易い例だろう。これら人材はそもそもフリーになることが極めて稀であり、フリーになった途端に金融機関や仲介事業者が群がり、自社の取引先に斡旋しようと試みる。能力次第だが、その給与が高額にならないわけがない。

従業員も基本的に同様だが、営業職であれば成果がこれに加わる判断材料になるだろう。経理や総務と言った従業員であればどの程度の業務処理能力があるのか。いずれにせよ、「能力の高さ」によって給与が決まるマーケット構造にあると言って良い。
しかし、経営者はそうではない。極論をすれば、経営者は100%完全に成果主義だ。株主が自分だけの会社であれば、会社が儲かれば好きなだけ給料を得ることができる。会社という存在を、経営者個人としての株主ファーストであると割り切れば、手段を選ばず儲けを使い切ることにすら法的リスクは極めて低い。

ここで一つ問題提起をしたい。従業員に安定的に20~30万円の給与を支給していれば、なかなかに立派な経営者だ。一方で経営者自身は200~300万円、すなわち従業員の10倍以上の給与を受け取っていることは珍しくなく、中小企業から大企業までよくある構図である。これは非難されるべきことなのだろうか。

わかりやすくベンチャー企業や中小企業の話で例えてみたい。

比較的規模の小さな会社では、お互いの役割が目につきやすい。誰が成果を挙げていて、誰が成果を挙げていないのか。それすらも一目瞭然であることが多く、ここに給与体系を決定する難しさがある。小さな所帯では、誰が給与をいくらもらっているのかをお互いに教え合い、場合によっては経営トップや幹部の給与すら、なぜか知れ渡っていることも珍しくないからだ。

一般従業員の目線に立つと、彼ら・彼女らの給与は働いた時間の長さで決まり、能力の高さで決まり、あるいは売上など、挙げてきた成果で決定づけられるものだ。従って、定時から定時まで会社にいることなどまずあり得ず、自分に比べ経理処理能力も低く、自分に比べ契約をたくさん取ってきているわけではない社長が自分の10倍の給与を受け取るなど憤慨モノとなるだろう。従業員目線で考えた場合、どう考えてもそこに「正義」はない。同じモノサシに立てば不公平極まりなく、利益を掠め取って搾取を行う存在だ。

一方で経営者にとっての給与とは、会社全体の成果に連動したもの以外はありえない。もちろん、ストックがある程度あればフローに直ちに連動させる必要はないが、基本的には前年もしくは進行年度のフローが基準になる。そしてそこには、時に無限とも言えるリスクを背負う経営者の存在がある。利益を上げるために身銭を切り、あるいは莫大な金額を借り入れ、その借金に個人保証をしているのも当たり前だ。公的融資で無ければ、自宅を担保に差し入れている事も珍しくない。
経営者は、仮に毎月数百万円の給与を受け取っていても、ある日突然の売掛金未回収が発生するだけで会社を失い、家を失い、場合によってはより大きな賠償を負うことになる存在ということだ。もちろん、それほど重大な売掛金未回収事故を起こしてしまったような場合でも、従業員であればその責任を追うことは稀だ。故意や重過失がない限りクビになるだけで済み、個人資産やその後の生活にはなんら影響はない。

つまり、「経営者」と「その他大勢」の給与の決まり方は根本的に全く異なるということだ。価値観が合わず、話が噛み合わないのも当然であろう。経営者はリスクに応じたリターンを得て、その他の幹部や従業員はマーケットの受給で決まる給与を受け取っていると言って良い。これを別の例で例えれば、従業員は元本が保証された銀行に定期預金を預けていると言っても良いかも知れない。1000万円以下であればリスクは完全に皆無だ。絶対に、預けた分を返してくれる保証があり、なおかつ利息を支払ってくれる。言うなれば自分の資産を銀行に預け、銀行に100%のリスクを背負って運用してもらい、その分け前の一部を受け取るという契約である。

会社に務めるということは、この契約に近い。自分の人生における大事な“時間”の運用を人に預け、その時間から生まれた利益の一部を分けてもらうということだ。そのリスクは会社が100%背負う代わりに、利益の分配は多いとはいえない。
反対に、経営者は、銀行に預金を預ければ元本が保証されるにも関わらず、例えば自ら猛勉強し、株式投資で資産を運用することを選んだ投資家だ。資産を100%失うリスクも高いが、その運用益は自らの裁量で処分することが出来る。同様に、他の経営者に預ければ、ノーリスクで生活に困らない程度にはリターンが受け取れるであろう自身の人生における大事な“時間”も自分で運用する。破産することもあるし、巨額の賠償を背負うこともあり、まともな神経の人間には務まらない仕事だが、そういう生き方を選んだということだ。

銀行にお金を預けることを選んだ人が、株式投資で儲けている人を妬むことは余り聞かない。しかしなぜか「時間の運用」に関しては、リスクとリターンを一切考慮せずに不公平感を感じる人が多い。
わからなくもない話だが、これではいつまで経っても、余り付加価値を上げることができない従業員という立場から抜け出すことができないだろう。もし貴方が従業員であり、経営者の給与に疑問を持ったことが有るのであれば、ぜひそのようなところから意識を変えて欲しい。

とはいえ、意識だけで理想的な給与配分を考えることもできないだろう。経営者と従業員の給与とはどのようにあるべきなのか。そしてその決め方・決まり方はどのように考えるべきなのか。以下、経営者目線だけでなく、従業員目線にも立った上で考察してみたい。

INDEX
起業の温度感
No.2が負うリスクと得る権限
ストックオプションとベンチャー企業

起業の温度感

まず、会社を起こすというのはどういうことなのか。拙い経験だが、自らの体験談をお話してみたい。経営者が会社を起こすということはどういうことなのか、という温度感を知って欲しいためだ。
もちろんそのスタートアップは経営者によって千差万別だ。器の大きな経営者もいれば小さな経営者もいるので、感じ方も経験したドラマも人それぞれだろう。私の場合、器が小さく大した能力のない経営者の一例として参考にして欲しい。

私が最初に会社を作ったのは、忘れもしない2011年。東日本大震災の僅か数ヶ月あまり後で、世の中は騒然としている状況だった。前職で務めていたCFOの退任挨拶で東京に行った時、品川駅で新幹線を降りて在来線に乗り換えようとすると、連絡通路の電気が全て消されており、異様な暗さであったことをよく覚えている。

会社を起こして最初に経験した壁は、意外に思われるかもしれないが、「口座開設」だった。私は株式会社を設立し法人登記をして、登記簿と実印、銀行印を作成して謄本を持ち、開設したばかりのオフィス近くにある大手の都市銀行の支店に赴いた。そして必要事項に記入し窓口に行くと、しばらく待たされた上で書類を全部返却されてしまった。

「WEBサイトはお持ちですか?」
「いや、まだ登記が済んだばかりの会社なので、WEBどころか売上金もありません」
「では、WEBサイトが完成したら改めてお越し下さい」
「ちょっと待ってください、WEBサイトなんてワードプレスで5分もあれば作れますよ。そんなもんでいいんですか?」
「申し訳ありませんが、法人口座の開設は厳しく審査をしています。実態が見えない状態では応じ兼ねます」

こんな会話であっただろうか。銀行口座は嫌になるほど押し売りのように開設させられてきたが、開設を断られたのは初めてだった。もちろん、特殊詐欺などの関係で法人口座の開設に厳しくなっている状況は十分理解できることだが、新たな会社を起こした人間の「与信が皆無」というのは、お金を借りるどころか口座開設すら拒否をされるという現実。会社を起こし最初に経験した、「お前なんか信用できない」という強烈な経験になった。

別の都銀でも断られてしまい、やむなく私は、オフィスから相当離れるが住宅ローンを組んでおり、なおかつ資本金をプールしている個人口座を開設している銀行に赴くと、ここでは一発で法人口座の開設に応じてもらえた。クレカや各種引き落としを10年以上に渡り行っており、個人としてのキャッシュの動きをすべて見せていたからだろう。前職の給与振込口座であったことも恐らく信頼感に繋がったのだと思うが、
「この500万円は新たに設立した会社の資本金です、受け皿になる口座を開設したい」
と申し出ると、ものの10分ほどで開設に応じてもらえた。

意外に思われるかもしれないが、私はこの時本当に嬉しかった。たかだか銀行の口座開設がこんなに大変なものだと思わなかった分、率直に嬉しかった。

既にサービスを提供する取引準備を始めており、中にはクレジットカード決済や電子マネーなど、個人口座では取引が不可能な契約も進めている最中であった。銀行口座の開設が進まないということはそれだけサービスの提供開始が遅れ、残り僅かなキャッシュがどんどん枯渇していくことを意味する。それだけに、本当に嬉しくホッとした思いで何はともあれ、最初の「意外な難関」を越えることができた。

しかし、会社を起こすということの難しさはもちろんこんなものではない。私は前職でCFOをしていたが、経営不振から役員報酬は生活可能な最低水準以下にまで下げており、貯金は底をついていた。その為会社設立に辺り頼りにしたのは国金(日本政策金融公庫)だが、国金は結局、どれだけ精緻で丁寧な経営計画を立て持ち込んでも、お金を貸してくれることはなかった。
とは言え、既に独立は決めてしまっている状態。必要な設備投資や運転資金を考えると、500万円は不足する。やむなく私は親兄弟や親類を頼り、金策をすることにした。

小さな頃から私をかわいがってくれていた叔父や叔母、サラリーマンをしている兄弟、遠い親戚など、あらゆる伝手を頼り金策を申し入れたが、やはり500万円は大金であり、なおかつ親族への借金の申し入れは相当タフな出来事だった。
「そんなことしていないでまじめに働け」
「本当は何があったのか、正直に話してみなさい」
「(10万円を出しながら)これで我慢して、うちは無理」
など、いろいろなことを言われた。

もちろん信念を持ち起業した。勝算もあるからこそ、リスクを背負う価値があるとやる気に燃えていたが、国金にもお金を貸してもらえず、スタートから躓いた資金計画。その代替策として親族に借金を申し入れたわけだが、正直、迷惑を掛けていることをしているのではないか。そんな意識に苛まれることもあった。

結果として、若干の経営計画の修正と必要資金の圧縮の上で、必要なお金を集めることができ、会社はスタートを切ることになる。しかし、起業資金を支えることが大きな存在意義の一つである国金がお金を貸してくれなかったこと、その結果として親族に頭を下げ金策に走り回ったことは、私にとって忘れ得ない記憶になった。

さらにいろいろなことが起きる。色々と使い勝手が良いので、私は自分で借りているオフィス以外に、公的機関が開設しているシェアオフィスも利用していたのだが、そこで知り合ったスタートアップ仲間の話だ。そのうちの一人が、会社の設立が終わったばかりの私を貸し会議室に呼び出し、深刻そうな顔でこう相談してきた。

「100万円ほど貸してくれませんか?」
「・・・無茶言わないで下さい。ギリギリの資金で始めた会社で、個人的な借金を重ねて集めたお金をあなたには貸せません」
「実は、姉が精神病院に入院したのです」
「・・・」
「で、当面の入院費として100万円が必要になりました」
「・・・」
「貴方は、自分の夢を試すチャンスを求めて親族を頼ったんですよね?であれば、私にもチャンスを下さい!」

意味がわからない上にメチャメチャだ。嘘をつくなら高額療養費制度のことくらい知っておけと思うが、しかし私はこの話を聞きながら手が震えて自分の感情を上手に抑制できない自分を感じていた。悲しさや、怒り、憎しみ、申し訳無さ、いろいろな感情が渦巻いた。なぜなら、私が金策を申し入れた親族にとっては、私はこのように見えていたんだろうという事実に気がついたからだ。
理由が何であれ、信頼できない話を理由に金を貸してほしいと申し入れる人間は、相手にはこのように見えているということだ。この惨めな嘘で金を貸せと言っている男の姿が、私には自分自身に見えた。そして、そんな自分になけなしのお金を貸してくれた親族を思い、私は絶対にお金を返し、事業を成功させる思いを強く決意した。

結局私は、「これが私に出せる限度です。これをお姉さんのために使って下さい。私の言葉をどのように理解するのかは、貴方次第ですよ。」
と言い、2週間以内に返すという言葉を信じ(信じてないが)、15万円を渡した。なぜ貸したのか、正直今でもよくわからない。ただ、そうするべきだとなぜか思ったことを覚えている。

国金(日本政策金融公庫)は、事業がある程度軌道に乗り利益が出始めたところで、追加の設備投資が必要になり再訪したのだが、通り一遍の書類を書くだけで簡単に融資の決済がおりた。いろいろな審査基準があるのだと思うが、私には、本当に大変な時は貸してくれないくせに、リスクが低くなると貸すのかよと、感謝の反面で複雑な思いであった。
お金を貸してくれた親族には、概ね3年以内に、10~20%の利息をつけて全額返済することができた。100万円貸してくれた親族には、120万円といった感じだ。この恩は、本当に一生忘れない。

そして、2週間後の返済を約束して15万円を貸した男だが、その後シェアオフィスに現れず、電話にすら出なくなった。聞いた話では元々消費者金融にも借金があり、そのほとんどは競馬とパチンコで作ったものだと言うことだった。なぜそんな男が、スタートアップが集まる公的機関のシェアオフィスに居たのかは謎だが、少しでも「金の臭いがする」相手には、手段を問わずに集ろうとするヤカラが世の中にはいるということだ。これはこれで、起業に辺り良い勉強になった。

No.2が負うリスクと得る権限

多かれ少なかれ、会社経営者であれば、起業時にはいろいろな思いをして会社をつくるものだ。楽しいことよりもキツイことのほうが多いと思うが、上記ではそんなお話をさせてもらった。その上で、次にお話したいのは、会社経営者はそんな思いを幹部社員や従業員と共有するべきか、という話だ。給与を決定する上でも、この考え方は避けて通れない。なぜなら、経営者そのものではなくとも、経営者マインドを共有し、その価値観を理解できるのか。そのことは、特に中小ベンチャー企業であれば極めて重要な評価基準になるからだ。

具体的な例でお話してみたい。ある会社でCFOをしていた時の話だ。その経営者に仕えていたのは3年半ほど。最後まで価値観も経営姿勢も違和感しかなかったが、ある日その経営者は私にこんなことを言ってきた。

「貴方はCFOですね。CFOの役割を言って下さい。」
「求めている答えがわかりかねますが、一義的にはキャッシュを繋ぐこと、有効に活用すること、最大限の効果を求めることでしょうね。」
「では、そのキャッシュに本当に責任を持ってください。CFOなら私と同じように、銀行借り入れに個人保証をして自宅も担保に入れるべきでしょう」
「支離滅裂ですね、本気で言っているなら、この会社を貴方と私でシェアしましょうよ。株式の半分を私に譲渡して下さい。」
「それこそ脈絡のないことでは?」
「社会的にリスクを負うということは、リスクを処分することが出来る権限を有していることが前提だからですよ。判断を下す権限のないリスクについて責任を負うなんてきれいごと、誰が信用するんですか」
「わかりました、会社のリスクを本当に背負う意志がないということなのですね」

こんな会話であっただろうか。私は銀行の借入金に個人保証を入れることなど、大したことだと思っていない。実際に今私は、会社を経営しているので、全ての借入金に個人保証を付けている。誤解を恐れずに言うと、自分でマネジメントできる範囲での個人保証など、その存在すら気にしたことがない。なぜなら、いざとなれば踏み倒せばいいからだ。

ここでいう踏み倒すとは、借りたまま返さないと言う意味ではない。会社が事業を営んでいる限りにおいて、誠実に借金を返すのは当たり前だ。しかし、万が一会社が立ち行かなくなり借金が返せなくなるのであれば、もはやどうしたところで返しようがない。現実的な方策として、金利分だけでも毎月返済して誠意を示すことであり、それくらいであればどうにかなるだろうということだ。
つまり、自分の意志で経営判断を下し、その結果を受け入れる権限と覚悟を持っているなら、借金を怖がる理由など無いということだ。自分の無能さが招いた結果なら、地面にオデコを擦り付けて謝ることも大したことではない。しかし、人の経営判断に対して無限定なリスクを負うような行為は、どう考えても筋が合わないし、そんな責任のとり方を信じるほうがどうかしている。

だからこそ、CEOは特別な存在だ。銀行も証券会社も取引先も、頼りになる番頭がいたところで、結局のところ、最後まで会社に責任を取る事ができるCEOの言うことだけを絶対的な基準にして取引することが出来る。そのため、結論から言うとこのような覚悟の求め方は完全に誤りだ。
COOやCFOは会社の経営結果に対して最終的な責任を負うことができない。経営トップが下した経営判断に対して、その意思決定に参加した範囲では責任を負うが、せいぜいのところ給与を返上して辞任する程度がもっとも重い責任の取り方だろう。もちろん、大企業など役員の責任と権限が明確になっている場合や、中小ベンチャーであってもCOOやCFOに重過失がある場合は別だが、それにしたところで実質的なリスクなどたかが知れている。
株式会社における給与の決まり方は、「CEOとそれ以外」という区分しか存在しない。COOもCFOも、取締役を兼務していれば法的リスクを負う可能性が皆無ではないが、実質的な権限がないことに対して賠償義務を求められることなど、無視できる程度のリスクだ。

その意味では、取締役という制度は本当によくできている。最近では、日本でも執行役員制度というものがすっかり定着したが、執行役員という存在は法的な根拠のある役員ではない。会社がそれぞれのルールで置くものであって、法的な立場は従業員と大きな違いはない。しかし取締役は違う。
その存在は法律で明記されており、取締役に在るものはその会社の登記簿に名前が登記され、部外者でも誰でも閲覧と確認が可能になる。その会社が誰に法的身分を与えたのか、誰でも見ることが出来る仕組みだ。
そして多くの場合、取締役の給与は2段階で決まる。即ち「給与」と「役員報酬」だ。このような役員のことを「使用人兼務役員」というが、わかりやすく言うとサラリーマン兼役員。つまり、会社の業務について、極めて限られた部分においてのみ、経営判断を下す権限を与えていますよ、という会社の意志表示であり、そのリスクに応じた報酬を、役員報酬として支給しています、という構図だ。

ちなみに私の場合、最初に役員になった会社では、使用人(サラリーマン)部分の給与が50万円、財務担当役員としての報酬は20万円であった。役員在任中に受け取ったこの報酬部分については、理由はともかくとして、この報酬を限度としたリスクは確実に背負うということになる。5年間在任していれば、在任中に自分の職掌下で起きたことに対して、場合によっては1000万円以上の責任を負うこともあり得るということだ。

COOやCFOは、会社の経営について本当の意味でリスクを負っているとは言えないかもしれない。然しながら、中小ベンチャー企業においては、取締役という身分を与え、リスクに見合った報酬はいくらであるのか、ということを役員に自覚させた上で、その経営判断責任や執行責任を背負わせるという意味合いは非常に有効だろう。外部に対する無限定な責任ではなく、責任の裏返しとして受け取る役員報酬についてのリスクを明確にし、自覚させること。どこまでいっても、やはりCEOとそれ以外の存在は同一視することはできない。とはいえ、純粋な従業員に対し、支給済みの給与に対してリスクが存在するなどという環境をつくるのはもはやパワハラだ。

ならば、その中間にいる役員は正々堂々と法的な身分を持つ取締役に据え、その責任の裏返しとして役員報酬を支給する。執行役員制度でも実施可能であろうと思うが、これが、役員に対する筋の通った給与(報酬)の考え方ではないだろうか。

ストックオプションとベンチャー企業

結局のところ、経営トップは目的に応じて必要な金額を受け取る。役員は、その能力の高さや能力の希少性を考え合わせた上での使用人部分の給与を支給し、一方で役員報酬部分を明確にして、報酬の一部に責任部分を裏書きさせる。従業員は一定のルールに従った公平感のあるルールを基本に置き、その上で能力の高さや能力の希少性を考慮に入れた給与を決定する。

会社を3つの層に分けて、このように考えるのが合理的であろうと考え、運用している。

具体的な金額は、経営トップは自分の裁量で好きな報酬を受け取って良いだろう。
役員への給与(報酬)は、少なくとも従業員から目標になり、夢を持ってもらえる金額は出したいところだ。
従業員の給与水準だが、これは完全に経営者の経営思想次第だ。
率直に言って、人の定着率が悪く、入れ替わりが激しい業界であれば、最低限の給与で「使い捨て」前提も一つの考え方だ。そのような状況だからこそ、世間水準以上の給与を支給し、人の定着を計るという考え方があってもよいが、ここはCFOの立場でもかなり苦しむところだ。

何に苦しむのか。それは、目に見える定量的な成果を出すために必要な施策と、中長期的に人を育て人材を確保するという、目に見えない2つの成果を同時に追う必要があるからだ。

わかりやすい例を挙げてみたい。
私がものづくり企業でCFOをしていた時の話だ。工場での過酷な生産作業はやはり人の定着率が悪い。採用コストをどれだけ掛けても、応募してくる正社員やパート・アルバイトは多いとはいえず、離職者を補充するので精一杯の状況だ。

その中で経営トップはある日、こんなことを言い出した。
「仲介してくれる人がいて、東南アジアから技能研修生を受け入れることが出来るらしい」

2017年頃になって随分と批判され、マスコミ報道も目立ってきたのでご存知の人も多いだろう。いわゆる「技能実習生」という制度だ。最低賃金の1/2~1/3で「研修生」を受入れ、建前は日本のものづくりなどの技能を学ばせることを目的にし、発展途上国を経済的に支援しようというもの。しかしその運用の現場では、極めて低コストで文句を言わない労働力として活用されている実態もあり、社会問題化した制度だ。この時に経営トップが導入を検討したのがこの制度だった。

ものづくりを教えるという名目であれば、技能実習生を使うことが出来る。しかし、当社の工場でノウハウになるような技能が身につかないことはわかりきっている。生産ラインは単純化されており、従業員に求められるのは、思考回路を停止して正確に手足を動かすことだけだ。

「定量的には合理的ですね。しかし、制度の本来の目的ではない利用方法なので、調査させて下さい」
「そんな考えすぎなくても、みんな使ってるし悪いことじゃ無いだろう」
「変則的な利用ということが気になるのです。一度その仲介をする人に私も会わせてもらえませんか」

こんな会話であっただろうか。今から思えば、いかにもCFOの立場からの意見具申だ。考えることと言えば、リスクヘッジのことばかり。本当のリスクなんぞ背負ってないくせに、リスクを避けることばかり考えて、なおかつそれが会社と社長のためであると信じて疑わない。
もちろん、言っていることは正しい。筋は通っているが、どうせ調査は、リスクを見つけ出して「ほら見て下さい、リスクがあります」と説明することが目的に過ぎない。経営トップの心に届くものにはならないだろう。何よりも、調査をしたところで大した情報など出てくるはずもない。

この例えで言いたかったことは、会社経営に無限定に責任を背負っているCEOの経営判断や興味に異論を唱えるのであれば、最低限でもその目的を理解し、目的を実現するためにより良い案を考えろということだ。この場合、経営トップの目的は人手不足を解消し、さらにより安い労働力を安定的に確保することだ。この目的は経営者として極めて正しい。制度を利用する上で多少の問題はあるかも知れないが、運用の現場で実際の就労者を厚遇することも可能であり、双方にとって良い落とし所を見つけ出せればお互いの利益にもなるだろう。

何よりも、経営の現場にリスクが存在しないことなどありえない。経営トップはそのリスクを全て背負った上で、リスクとリターンを秤にかけて経営判断を下す。
その経営トップに対して、
「社長、それはだめです。リスクがあります。」
などという反論は噴飯モノだ。
しかし世の中のCFOや役員は、この稚拙なレベルの反論をよくやらかす。私自身もそうであったが、ぜひ経営トップの心根までを理解した上で、意味のある対案を出して欲しい。

一方で、給与制度の中でもやや特殊だが、ベンチャー企業経営者が好んで導入したがるストックオプション。これに関しては、私はCFO時代も経営者になっても、これほど無駄なものはないという考えが一貫して変わらない。特に、立ち上げメンバーであるというだけで、一般従業員にまでストックオプションをばら撒くという経営者がいれば、これはCFOとして或いは役員として、全力で止めていいと思う。

なぜか。
ストックオプションが給与として持つ意味合いは成功報酬だ。その成功とは、実際に利益になる状況を考えるとIPOを果たした場合に限られる。つまり、IPOを成功したことに対する報酬といっても良い。それ以外に、ストックオプションが現実の報酬になることはほぼ、ありえない。
しかし、一般従業員にとってIPOを果すということは、現実的な「鼻ニンジン」になりえない。その意味を理解し、IPOを果すために寝食を惜しんで働こうというモチベーションを喚起しようというのは極めて非現実的だからだ。しかも、実際にIPOを果たした未来を想像したところで、自分が持つ権利がいくらになるのかという想定など出来るはずもなく、500万円なのか1億円なのか。正確な試算は経営者にもできないだろう。

なおかつ、ストックオプションがもたらす弊害だ。IPOを果たすまでに入社した社員には、時に億を越える報酬をもたらすことがあるのに、IPO後に入社した社員には全く恩恵がないのは当たり前で、なおかつ同じ年齢・同じ仕事で資産状況と生活レベルに大きな差がつく。
スタートアップの時から間もない時期に入社した事をもってして、リスクに応じたリターンとして相応と言えるかもしれない。しかし従業員にとっては、シャープに入社する事も設立から3年目のIT企業に入社することも、さほどリスクは変わらない。大手企業でもいつでも潰れるし、中小企業でもいつでもIPOで大化けする。
早期に入社したということだけをもってして、少なくとも数千万円単位になることもある特別報酬を支給する意味合いは極めて薄い。従業員のモチベーションを喚起する方法としてというよりも、経営者の自己満足に過ぎないと、ぜひ反論して欲しい。

ちなみに私自身はかつて、CFOとして経営に参加して欲しいとよく人の会社から誘われることがあり、今もたまにある。今さら人の会社に務める気はないのでお断りしているが、たまに興味がある会社があれば、給与は安くてもいいのでストックオプションを付ける気はありますか?と聞くことにしている。
経営者として、人の会社を大きくしてその夢を共有するのであれば、大きくできたことに対する成功報酬も受け取らなければ面白くないからだ。ストックオプションの意味を本当に理解している経営者であれば、使うべきツールであることは間違いない。

結局のところ、給与の決まり方は2つ。
リスクを背負って受け取る権利が生まれる報酬。
リスクは皆無で、能力に対して支払われる報酬。

前者は上も下も青天井だが、後者はマーケット次第。
そして経営者は前者で、サラリーマンは後者であり、役員はその中間だ。

経営トップであれば当たり前の価値観だが、もし従業員や役員の立場で自身の給与に疑問を持っている場合、是非参考にして欲しい。

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ABOUTこの記事をかいた人

1973年生まれ。とある企業の経営者。 大手証券会社からキャリアをスタートし、広告代理店やメーカーなどを経験する。 CEOを2社、CFOを3社ほど経験し、現在はマーケティングと人材開発を主なサービスとした企業を経営している。