本当に優秀なCFO(幹部)の見極め方

本当に優秀なCFO(幹部)の見極め方
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会社経営者にとって一番悩ましい問題と言えば、おそらく優秀な人材をどう確保するか、ということのはずだ。
率直に言ってその他のことは、問題が可視化されていればそれに至るマイルストーンが見えないということは少ない。例えば設備投資。
勝負どころという時に現預金が足りず(というよりいつも足りないが)、生産体制が資金面で整わないことはよくあるが、こんな時に現預金が貯まるまで待っていれば事業環境の変化でたちまち事業は陳腐化する。
このような場合、お金が貯まるまで待つのではなく銀行借り入れで賄うか、第三者割当増資を行い自己資本を積み増してスピードを上げることが一つの解決策だ。
言い換えれば、現預金が貯まるまでの時間を、支払い利息や配当で購入する行為だと言って良いだろう。

優秀な人材を中途採用する行為もこれに近い。
本来会社は、創業から苦楽をともにしたメンバーから幹部社員を育てて事業を大きくしたい想いは、経営者であれば多くの者が持つ自然な感情だ。あるいは若くして採用した社員を大きく育てたいという思いも、多くの経営者が持つ想いだろう。
ぽっと採用した優秀な人間よりも、やはり厳しい時も良い時も一緒に過ごした社員の方がかわいい。

しかし、IPOを目指し、或いは上場間もない会社でさらに事業を大きく育てたいと考えている経営者であれば、残念ながら個人が成長する速さに事業の速度を合わせるわけにはとてもいかない。そのような行為は、人が育つまで事業を育てることを諦め、新しいことにチャレンジすることを放棄することだからだ。創業経営者であれば本能的にできるわけがない。

すなわち、社員を愛していない経営者などいないが、資金調達で時間を買うように、人材育成をする時間をキャリア採用で短縮するという考えは採るべき選択肢であり、極めて合理的であるということだ。既存社員や古株社員との間に生まれる軋轢も含め、中途で採用する役員クラスの人間にはその問題をも引き受け消化する能力が求められるが、もし自社にとってプラスになる人間であれば、迷わず採用するべきだろう。

ここで一つ、大きな問題がある。
そんな人材などめったにおらず、また稀にいたとしてもその能力を見極めるのはとても難しいということだ。
なぜなら、本当にポテンシャルがある人材であっても転職には、ポジティブな要因もあればネガティブな要因もあるからだ。
私自身そうだが、複数社でCFOや経営企画担当役員を務めた上で、とてもやっていられないと思い、独立して今に至る。

自分自身のことなので、私が有能で優秀な人材であるのかは誰かの判断に任せるが、少なくとも私は優秀な社会人でもなく、有能な組織人でもなかったキャリアを持つ。
経営トップが間違った判断をしていると思えば、組織の秩序や会議の空気を読まずに直言し、役員会の場で経営トップを感情的にさせることなどいつものことだった。
さらに致命的なことは、「こいつはダメだ」と見限れば、すぐにでも役員を辞めてしまうことすら厭わない、極端な行動にも出ることだろう。その逆に、自分であればもっと会社を良くできると確信した時には、経営トップを引きずり降ろそうとしたこともある、相当な異端でもある。
要するに、組織人としてかなり不適格な人間ということだ。

そんな私だが、一方で、ベンチャー企業のCFOあるいは経営企画担当役員として、調達した資金は2ケタの億を軽く越える。
M&Aでも、買い手としてあるいは売り手として、同様に2ケタの億を扱うディールをこなしてきたので、少なくともアーリーからミドルにかけてのベンチャーシーンでは、客観的には重宝されるキャリアの持ち主かもしれない。
しかしいくら一定の経験があるとはいえ、こんな異端を好んで採用する会社などあるものではない。
そう悟った私は結局人の会社で働くことを辞め、独立するに至った。

この例で言いたかったことは、中途採用の市場に流通する人材は、必ずと言っていいほどに何かネガティブなものを持ち合わせている可能性が高いということだ。
そしてそれは、自社にとって時に受容しがたいほどのネガティブ要因になり、足りなかったピースを埋め合わせるだけでなく、地雷となって組織を壊すことにもなりかねないと言うことである。

幹部社員を採用する時は、必要なピースであることを見極めるのは比較的な簡単なことだ。
しかしその裏にある、転職市場を漂流している「ネガティブな要素」を必ず見抜き、その人材を採用するメリットとデメリットを正確に見極めなくてはならない。
敢えて繰り返すが、足りないピースを埋めるかもしれないという能力だけに魅力を感じ幹部社員を採用すると、高確率でその採用は失敗する。

しかしそれ以上に問題であり、可能性が高いのは、言葉は悪いが「ただの無能」という可能性だろう。ここで言う無能とは、仕事ができないという一般論を指す言葉ではない。どれほど優秀な人材であれ、間違った会社やポジションに座れば必ず無能になる。
私の古くからの友人は、中堅証券会社で成果を挙げライン(部署持ち)の本店営業部長まで昇進したが、教育関連の上場企業の営業担当役員に転じてからは悲惨な成績しか挙げられず、2年で退任に追い込まれている。

言葉にすると、「適材適所」という単語は極めてチープな教訓に思われるかもしれないが、採用する側も採用される側も、この言葉ほど、噛み締めて欲しいキーワードはない。前述の証券マンの友人は、職人的にエクイティ営業で能力を発揮したが、普遍的にどの業界でも通用する営業センスを持ち合わせていたわけではないと言うことだ。この場合で言う普遍的な営業のセンスと言う言葉は、顧客の利益と自社の利益を芸術的にバランスさせて、双方の満足度を最高まで高められる人物を意味して使っている。このような人材であれば、商材が何であったとしても一定期間の習熟を経れば、どのような業界でも成果を出すことができる。
しかしながら職人的なエクイティの営業マンの場合は、特にリテールの世界でこの傾向は顕著だが、株価予想や相場観という職人的な技術でファンを獲得し、営業成績を挙げていることが多いため、業界が変わると通用しづらいことがあるのは当たり前のことだ。

早い話が、キャリア人材を採用する際に履歴書を盲信し人材を判断すると、とんでもない誤認をすることがあるということだ。
その人材がそれまで成果を挙げることができたのは、普遍的な自分自身の成功パターンを構築しているからなのか。それとも、その環境の中で職人技を追求し成功してきたからなのかをしっかりと見極める必要がある。

私自身もそうだが、なぜか採用する側は、類似の業界で大きな成果を挙げている人材であれば、その人材は普遍的に成功する可能性を持っているのではないかと考える思考回路が働く。
しかしそれは、言うまでもなく大きな間違いだ。その人物が過去に成し遂げた成果など、極論すればほとんど意味はない。
なぜなら、その際のチームスタッフの能力や当人のリーダーシップ、どの程度のイニシアティブを取ったのか、どのような外部要因が在ったのかという状況はまるでわからないからだ。

極論ついでに言わせてもらうと、過去に失敗続きで見るべき成果がない人物であって、それを履歴書に記載している人物であっても、会って話を聞く価値はある。
なぜなら、人物を見極める上でもっとも大事なことは、成功したか失敗したかではなく、成功する課程で何を考えどう行動したのか。あるいは失敗する課程でどのような情報を得た上で、その情報をどのように判断して失敗したのか、そしてその教訓は何であるのかと考えているか、ということだからだ。

きれいに整った履歴書や職務経歴書を送ってこない求職者などいない。
しかしそこに記述されている内容は、仮にその内容を100%信頼するとしても、「過去の成功体験」であって、「これから成功する人物」を見極めるために有効な情報ではない。
その意味ではむしろ、何か能力がありそうなのに、なぜか失敗ばかりしている人物のほうが会ってみる価値があるかも知れないこともあるだろう。

では、本当に優秀な人材とそうではない人材、とりわけCFOクラスの役員を採用する際にはどのようなことに気をつけたいのか。
以下、拙い経験から少しばかりお話できることを問題提起していきたい。

INDEX
過去の成功を評価材料にしない
技術や知識に逃げる人材は最高に使えない
あらゆることに共通する正解は、相手の立場に立てる発想を持っていること

過去の成功を評価材料にしない

少し私自身の話をすると、私は今、会社を経営しながらたまに「採用面接」を受けに行くことがある。
とはいえ、自分の生活は自分で面倒見られる程の所得は稼げているので、人の会社で働くことに熱意は全くない。
しかし、私自身は自分をフォロワーの経営者と自覚している。つまり、端的な言い方をすれば、人の真似をした上で、既にあるマーケットに参加し、「少し安くて少し良い」サービスを提供して、薄利だがリスクの低い商売を展開する器しかない人間と言うことだ。
だからたまに、金融機関に勤める友人などから、面白そうな経営者がいるからCFOに戻る気がないかと声を掛けられると、どんな経営者なのだろうかと楽しみに会いに行くことにしている。自分の経営者としての器が小さいことを自覚しているので、おもしろそうな事を考えている経営者がいれば、そのスタッフに戻るという人生も魅力的だからだ。

不遜な言い方で恐縮だが、この立場での「就職活動」はとてもおもしろい。
緊張感が全く無い上に、面白そうな経営者に会いに行くという楽しさで面接に向かうのだから、いつもワクワクする思いである。
しかし残念ながら、未だ「この経営者と人生をともにしたい」と思えたことがなく(お互い様だろうが)、今日も小さなマーケットの中で顧客のことを考えながら生きている。

ところで、このような面接を何度か繰り返して感じるのは、ほとんどの場合、相手の経営者に「本気でパートナーを探す」という意志を感じないことだ、といえば、意外に思われるだろうか。おそらく面接をする側にはこれまで、多くの幹部候補の求職者と会い続けてきた上で、一つの「ものの見方」が出来上がってしまっているのだと思うが、面接が作業化していることを強く感じる。そして、過去の経験やスキルから人物像を見極めようとする、悪い意味での雑な質問を受けることが多い。

それだけならまだマシだが、ある時、証券代行の友人から勧められて訪問した会社では社長が急用で不在ということがあり、代わりに管理部門担当を名乗る取締役が出てきたことがある。その事自体は何も不思議な事ではない。経営トップの責任でプライオリティを判断し、どうしても対応できない、それでいて不確実な要素を切り捨てるのは当たり前のことだ。しかし仕事を振った役員にその能力がないのであれば、その面接は悲惨なものになる。

この時、私と向かい合った取締役は名刺交換を終えると、開口一番、
「それでは、志望動機からお聞かせ下さい」
と口を開いた。目線は机の上の名刺。落ち着き無く名刺をめくる動作を繰り返し、一度も目線を合わせないばかりか、顔を見ようともしない。

彼が会話のイニシアティブを執れない人物であることは明らかだった。
そのため、少しでも会話が弾めばと、私は
「貴社はいろいろと魅力的な会社だと思いますが、逆に質問させて下さい。取締役は社長のどこに惚れ込んで、取締役のポストに就任したのか教えてもらえませんか」
と返した。
彼個人の思い入れや熱い気持ちを引き出し会話を弾ませながら、私に対する理解と、私が会社を理解する上で双方の一助になればと思って投げ掛けた質問だったのだが、結果として大変な逆効果だった。彼はさらにしどろもどろになり、実は私は、社長が急用で急遽面接に臨んでいるので不慣れなことをしているという意味の説明を始め、さらに目線は下のままで泳ぐ。

さすがにこれでは話にならない。
経営トップが仮にも取締役の肩書を名乗らせている最高幹部が、社長と会社の魅力すら流暢に語れないなら、この時間は無意味だ。その事をもって、その会社と経営者に直ちに魅力がなくなるわけではなく、むしろ本当に人材に困っていることが窺える出来事になったが、やはり幹部採用のプライオリティ順位が低いという判断は好きになれない。後日、改めての時間設定の誘いがあったが、どうしても気が進まず、丁重にお断りした。

この時の出会いは、証券代行に務める友人からその会社の経営者に対する、個人的な無償の紹介だったが、それでも経営トップの意識にはどこか「面接という作業」という意識があったのだろうか。「パートナー探し」という考えが共有されていたのであれば、代わりに出てきた取締役からあのような言葉が出てくるとは思えない。
非常に不思議な事だが、私は自分の会社で幹部社員を中途採用するなら、おそらく妻と結婚を決めた時以上に本気で悩み、真剣に対応するだろう。ましてそれが求職者本人の立候補ではなく、信頼できる第三者からの推薦であればなおさらだ。
恋愛感情という、背中を押す強烈な動機がない分、その人物とともに人生を歩んでいけるのか、これ以上無いくらいに悩むことは間違いない。

一方で、私自身もCFOとしてあるいは経営企画担当役員として、かつては多くの幹部社員候補と会い、面接をする側だった。
その上で当時率直に感じたことは、言葉を選ばずに言うと「使えるやつが全然いない・・・」だ。
一部上場企業の管理職や同業他社の役員をしていたというピカピカの履歴書を持ち込む“すごい人”は本当にたくさん面接に来る。そして当時、私が仕えていた経営トップはそういう人材を好んで採用しようとしたが、私はその多くの場合で反対をした。なぜなら先述のように、過去の成功体験はその環境とその時においてのみ通用する経験であって、大事なことはその成功から何を教訓にしたのか、ということだからだ。

だから私は、意見が割れた時には経営トップに対し、2度目の面接を要求して、そしてシンプルに要旨こういった質問をぶつけさせてもらうことにしていた。
「貴方が当社に入社した場合、想定されているポジションは○○です。そのポストで解決して欲しい課題を概説すると、××のようなものがあります。貴方なら、例えばこの問題に対しどう取り組むか、考え方を聞かせて下さい」
というような感じだ。

典型的な優等生の回答は、ほとんどの場合、自分の過去の経験を引き合いに出し、それに似ているのでこうするべきだという内容だ。
それと同じくらい多い回答は、ほとんど情報がないにも関わらず、イメージだけで何とかして解決策を捻出し、必死になって回答しようとするパターンである。そしてその多くの場合、回答は的外れなものであったことから、ほとんどの場合、採用に至らなかった。履歴書を粉飾している人物はもちろん、過去の成功から普遍的な自分の「勝ちパターン」を見出しているわけではない人物をあぶり出すには、このように具体的なケーススタディで問いかけをするのは大きな効果があった。

一方で数少ない、経営トップと私が共に欲しいと思い採用に至った際の回答パターンは概ね、以下のようなものであった。
「情報が少なすぎて、誠実な回答ができない」
「使える予算と時間はどれくらいありますか?」
「それは私の守備範囲外なので、私は貴社が期待する人物像とは違いますね」

早い話が、質問を具体的にイメージできて、この仕事を任された際には幹部社員としてやるべきことのイメージができているということだ。
こういう人材は過去、本当にそういう問題を抱えて困難な場面に直面し、なおかつその場面でイニシアティブを執って問題解決に当たったことがあると推測して間違いないだろう。

面接の短い時間で与えられた情報を元に経営課題を解決できるわけがない。その逃げ道を過去の経験に求めるのは、ある意味では理解できなくもないが、それでもやはり愚かな行為だ。具体的なリソースに質問が及ぶのは、自分の中での成功体験に照らし、その応用をどう展開することができるのかという勝ちパターンを考える意識があると考えて良い。

自分の経験したことではないから解決できないという姿勢は一見すると、ベンチャー企業の幹部には不向きに思うかもしれないが、こういった人材の言葉には嘘がない。そしてこういう人物は、採用されたいがために自分のキャリアに脚色をするようなことはしない。裏を返せば、できると言ったことはできるとあてにして採用できるということだ。

私が中堅ベンチャー企業で採用に関わっていた時には、経営幹部を採用する際にはこのような人物評価を原則にしていたが、幸いにして大外ししたことはなかった。

このような経験を経て私自身が「面接を受ける」立場になって感じたことは、このような本質的な会話で楽しませてくれる経営者がほとんどいないということだ。その理由は、求職者のレベルが余りにも低く、面接慣れしてしまった経営者側が面接疲れしているということもあるだろう。しかしそんなことでは、「仕事探し」ではなく「パートナー探し」をしているような、本物の経営者マインドを持った幹部を採用できないことだけは、間違いない。

この章でお伝えしたかったことは以下の2つだ。

  • どれだけたくさんの求職者と会っても、一人ひとりを本気で見極める姿勢を失わないこと
  • 過去の成功体験は参考程度にしかならないということ

本当に優秀なCFOや幹部を見極め、採用するには、この基本的な姿勢だけは絶対に失ってはならない。

技術や知識に逃げる人材は最高に使えない

話は、私が面接を受ける立場に戻る。
こんな不遜な求職者でも、一人だけ、会話を楽しめる社長がいた。その社長との出会いは、お互いの取引金融機関からの紹介だ。そしてその取引金融機関の担当者は私と10年以上の付き合いであり、私が過去に何に成功し、何に失敗してきたのか。その全てを予め先方に伝えていると言うことだった。

その社長が挨拶もそこそこに、開口一番私に聞いたことと言えば、
「なあ、どうやったら社長の代わりに経営計画を立てて資金調達の担当をするなんてことできたんか、教えてくれへんか?」
であった。さらに本当にできたのか、それは社長が無能だっただけじゃないのか、という趣旨の質問を重ねてくる。

この雑な質問のぶつけ方をつまらないと思われるかもしれないが、私にはその社長から本気でパートナー探しをしている意志が強く感じられたので、ワクワクする思いだった。
このような抽象的で、それでいて本質的な質問をぶつけられた時、自信のない相手はまず目が泳ぐ。そしてなんとかして模範解答をしようとして、木に竹を接いだような話を始める。しかし残念ながら、経営者として大した仕事をしていないのであれば、その努力はほとんどの場合、気の毒なくらい内容が薄いものになってしまう。

一方で自分がしてきたことに誇りと自信がある人物であれば、その話しぶりに実があることはもちろん、雑な質問をどうコンパクトに回答するのかというコミュニケーション能力も推し量ることができるので、とても良い話の切り口だ。

この期待を感じさせる問いに対する私の回答はまず、本当の意味でできたのかどうかはわからないということ。そして、これまで仕えた社長はお世辞でも何でも無く、一つの価値観を作り上げた人物ばかりであり、さらに愛すべき人が多かったという前提をおいた上で、要旨以下のように答えた。

  • 会社を社長の次に愛しており、社長のことを誰よりも愛していれば誰だってできることで、大して難しい仕事ではない
  • その上で真剣に社長と向き合い、会社の将来像を社長と本気で共有すること
  • 後は拙い言葉であってもかまわないので、それを計画に落とすだけの作業に過ぎない。絵心がなく文章が下手でも、魂がこもっていれば必ず人を動かせる

と言うものだった。

もちろん細かく言えば、このような経営計画にはB/SやP/Lの精緻な予想(余り意味はないが)、資本政策の裏付けとなるエクイティの知識、CF計算書など資金面の裏付けを作れる採用計画などの各種計画書を作成する能力も求められるだろう。しかしそんなものは、採用する側からすれば、CFO候補であれば備えていて当然の知識である。ましてやこのケースの場合、取引先金融機関から人となりを含め、細かな情報がいっている前提だ。であれば、何ができますという細かなスキルを説明する必要もない。

「自分であればどういう切り口で相手の人物を見極めるだろう」
と考えた時、同じような価値観の質問が飛んでくれば、やはり本気で取り組みたくなる。その後この社長とはとても話が盛り上がり、正式に役員就任のオファーを受けることになった。ただ結果としてこの時は、どうしても私の生活を最低限維持するだけの報酬が出なかったので、とても残念だったが、オファーはお断りしてしまったが、今でも心残りではある。

私のような異端を採用するべきであるとは、一般論としてはとても思えない。そのため自分の話は特殊な例外なのではないかと思ってはいるものの、一方で、理想的なキャリアを持つ人材を採用したケースで良くある失敗のケースだ。特にアーリーからミドルクラスのベンチャーに成長しつつある会社では、よくあることだが、CFOや経営企画担当役員として地銀や都銀など、金融機関で役職者をしていたというキャリアを盲信し、採用する経営者は本当に多い。

断言するが、このようなキャリアの持ち主は、仮に金融機関のサラリーマンとして有能であったとしても、ベンチャー企業の経営判断をする上で優秀であるような人材などほとんどいないので、本当に採用を考えている際には、慎重になったほうがいい。なぜならこのような業種の優秀なサラリーマンは、大前提としてベンチャー企業の経営者としてもっとも向かない分野で優れた成果を挙げてきたからだ。少なくとも、ベンチャー企業での経験が無いままダイレクトに採用するのであれば、そこには新卒採用を一から育てるのと同等の、経営者と同じマインドを持つ人材を育てる苦労があると思った方が良いだろう。

具体的な事例で話してみたい。
私が経営企画の担当役員として入社したある会社には、すでに大手都銀出身という立派な肩書のCFOがいた。既に50代なかばであり、年齢にふさわしい華やかな経歴を持つその人物は、履歴書だけを見ると当時30代に差し掛かったばかりの私にはとても太刀打ち出来ないと思えるような、素晴らしいキャリアの持ち主であった。

しかしながら、結論から言うとその人物は最高に使えなかった。
例えば第三者割当増資に際してだ。第三者割当増資を行う際には、一般的にDCF(ディスカウント・キャッシュ・フロー)方式や類似会社批准方式など、いくつかの株価を算定するための理論値を活用する。未上場企業であっても、これらの指標は増資に際して参考にされる事が多い。

しかし多くの未上場企業の増資の場合、理論値は言葉を選ばずに言うとエクスキューズであり、企業の実態と可能性を正確に現すには程遠いものになる。
極論をすれば、発行体と資金の出し手が納得できる水準が決まってから、後付けで理論株価を算出して、公認会計士の印鑑(鑑定)を取るようなことすらありえるくらいだ。逆に言えば、イグジットの確度さえ高ければ、全くあてにならないベンチャー企業の出来上がりの理論株価など、参考にもならないということである。なぜなら、類似会社批准方式は主に過去の実績に対する評価であり、成長著しいベンチャー企業の株価算定として役に立たず、DCF方式は同様にベンチャー企業に適用すると、将来の数字を見込んだ「取らぬ狸の皮算用」であり、同様に信頼性が低いものに過ぎないからだ。

結果として、そのビジネスにはどれくらいの将来性があり、概ねどの程度の成長を遂げるのが現実的な予想なのか。
そしてその予想の中でIPOなどのイグジットを見据えて、その確度から割に合う時価総額での投資を考えるのが投資家というものである。

にも関わらず、頭の良い「優秀な無能」はベンチャー企業でCFOを任されると、理論株価にしがみつき、それがさも適正な株価と信じて疑わない。
そして、そもそもが信頼性が担保されていない経営計画であるという前提を無視し、そこから算出された理論株価を絶対視して、「増資をするなら、この株価を中心に考えるのが妥当です」などと愚かな意見具申をする。

言うまでもなくこのような姿勢は、そのような方法しか、現実に対処する処方箋を持ち合わせていないからだ。これまで、会社の株価は理論値で算出するものという、極めて狭い世界で生きてきた人間が要職を任されると、このような愚行をやらかし、そして絶対に後戻りができない資本政策において、致命的な失策をやらかす。

言うまでもないがこのような場合、CFOにとっての正解は「発行体のイニシアティブで株価を作る」だ。イグジットを見据えた上で、応援をしてくれる投資家に対してどの段階で、どの程度のキャピタルゲインを提供するのが適切なのか。その際の経営のイニシアティブを維持するにはどの程度の安定株主比率を維持するべきなのか。あるは別の観点で、将来的に東証一部まで上がるつもりがあるので、外部には今の段階でこの程度しか放出したくない、という考え方もあるだろう
そして後付で、そのような将来設計に対して株価を作るというのが、ベンチャー企業のあるべき資本政策だと言って良い。もちろんそれに応じてもらえるかどうかは別問題だが、少なくとも信頼性が担保されていない経営計画に基づき算出された理論株価と、どうせ大差はない。あとは、現実的なイグジットを見据えた上で、投資家が割に合うと思うか思わないかだ。

頭の良い素晴らしい経歴の持ち主でも、ベンチャー企業を経験していない「優秀な人材」は、その経験値が豊富な分、ベンチャーの現場で通用しない理論や経験に逃げ込むきらいがある。このような人材は、決して採用してはならない。

あらゆることに共通する正解は、相手の立場に立てる発想を持っていること

身もふたもないようだが、結局のところ優秀なCFO(幹部)とは、あらゆる状況でステークホルダー全てにとっての利益の最大公約数を考えることができる人間だ。一般論のような結論で恐縮だが、スキルがあることは当然の前提とすれば、この能力以上に重要視することはないだろう。

このことは交渉事でもそうだが、相手がどのような心理状況で交渉に臨み、そしてプライオリティの順位はどのように考えているのか、捨ててもいいと考えていることは何なのか。相対する交渉相手からその真意を読み解けるのは、決して口八丁手八丁の演出が上手い人物ではない。小手先の技術で少しでも自分にとって利益の上積みを図ったところで、そのような取引は良い結果をもたらさない。
大事なことは、相手にとっての利益を理解し尊重した上で自分の利益とのバランスを熟考し、なおかつ交渉という短い時間の中で現実的なオファーをする能力だ。相手の求めている利益を真剣に考え、共に悩めば必ず自社の利益との落とし所を掴むことができる。

第三者割当増資に際してもそうだが、平凡なCFOは単に増資を得ることにしか興味がない。もちろんそれだけでも難しいことであり、相手の利益と自社の利益のバランスを取れる交渉能力は大したものだが、それだけでは不十分だ。

特にCVC(コーポレートベンチャーキャピタル)を相手にした交渉の場合は、その能力の不足は致命的なものになる。CVCの場合、その目的は多くの場合、本丸は本業のビジネスにある。このような場合、相手のビジネスを本質的に理解し、自社が提供できるリソースは何であり、それは相手方にとってどのような利益をもたらすことができるのか、そして自社は、その取引でどのような利益を得ることができるのか。このイニシアティブを執ることは、単に増資を成功させることよりも累乗的に難しくなる。

しかしその一方で、言葉は悪いが多くの場合、CVCで交渉相手になるような大きな会社の担当者はサラリーマンであることが多い。そして大変失礼な言い方かもしれないが、ビジネスを真剣に考える熱意と真剣さに関しては、ベンチャービジネスの経営者に比べ、そのような相手は相当程度に与し易い。
つまり交渉相手の目的やニーズを理解する能力さえあれば交渉のイニシアティブを執りやすく、双方にとっての利益を最大化することが比較的容易になるということだ。
彼我の要求を比較し、交渉相手の立場をも理解した上での利益提供を考えることは、CFOにとってもっとも必要とされる能力であることは間違いないだろう。

話は変わるが、私は本稿のように不定期に自分の知見を執筆する依頼を受けることがある。その中で一つ、編集会社を介して税理士事務所から事業承継やスモールM&Aに関する知見を執筆して欲しいという仕事を受けたことがある。実際の仕事の内容なので、趣旨が変わらない範囲で話を一部架空のものに差し替えてご説明するが、ご容赦願いたい。その依頼内容はざっと以下のようなものであった。

ターゲット:スモールM&Aに興味がある経営者(特に事業承継について)
記事の目的:特定のキーワードでSEO順位を上げ読み手の役に立ち、受注に繋げること
主な構成:M&Aの手法の説明、税理士事務所グループの仲介事業者と取引することのメリットを中心にわかりやすく

私自身、大きなディールだけでなく、1億円以下のスモールM&Aも何度か手がけ、小さな町工場の事業承継で会社を買収したこともあるが、そのような場合に活用したのはやはり司法書士と税理士事務所であった。ディールの規模が小さい場合コストは抑えなければ割に合わない上に、そもそもディールが小さければリスクも小さいので、よくある対応だ。弁護士や公認会計士でなくとも、M&Aを熟知した司法書士や税理士によるDD(デューデリジェンス:事業の精査)を通していれば現実的なリスクを回避できる事が多いので、このような取引は一つのセオリーであり、いわば手慣れた原稿になる。なんら難しいものではない。

一方でこの際の依頼には、一つの条件がついた。先方の税理士事務所グループからは、M&Aの全ての手法について満遍なく説明をする内容を中心にした上で、経営者の役に立つ内容にして欲しいというものだった。

断言するが、スモールM&Aで実際に想定できる手法など、株式の売却に依るM&Aのみである。たまに会社分割や事業譲渡に依る手法を特別な事情があり望むオーナーもいるが、事業承継を始めとしたスモールM&Aではレアケースだ。また、第三者割当増資をM&Aの手法として理解すればそこまで言及する必要はあるかもしれないが、いずれにせよスモールM&Aに興味を持った経営者が興味を持つ手法といえば2~3程度である。

むしろスモールM&Aや事業承継に興味をもった経営者が知りたいのは、

  • いくらお金がかかるのか
  • どれくらい時間がかかるのか
  • どのようなリスクがあるのか

という要素に尽きる。

ご丁寧に、法律の規定に沿ったM&Aの手法とその際の法的手続きを全て説明する記事があったとして、誰がそんな記事を読むだろうか。
そんな情報は、インターネットでM&Aに関する情報を検索している段階の経営者にとって全くのムダ知識であり、95%くらいは必要のないものだ。

そういった考え方を間に立つ編集会社に伝え、スモールM&A(事業承継)に興味がある経営者に特にターゲットを絞り、記事の構成を考えるということで良いか、という編集方針に了解を取り、私は上記3つの視点を中心に記事を書く了承を得た。なおこの際、スモールM&Aの実際で使う手法としては、株式譲渡、会社分割、事業譲渡、第三者割当にほとんどのスペース(文章の分量)を使い、その他の手法は触りだけを紹介するに留め納品した。

しかしその直後、エンドユーザーである税理士事務所の担当者が相当なお冠で抗議をしてきたと、編集会社から聞かされる。
理由は、
「株式交換や三角合併などに依るM&Aに関して、ほとんど説明がない」
「これでは、全ての手法を比較した上で、読み手である経営者に選択肢を提供できない」
「執筆者は実は、難しい手法を知らない素人なのではないか」
というものであった。

確かに私は、株式交換や三角合併など、スモールM&Aや事業承継の現場では100%活用される事がありえない手法については相当な省略をした。予算の都合上、そういったキーワードで検索する経営者にとって本当に必要な情報を手厚く説明するための構成であったのだが、どうやらそういった意図は全く伝わることはなかったようだ。
結局私は、先方が求める記事の再構成と、納品物の要望である「読み手の役に立ち、受注に繋げること」という条件の両方を満たすことなど不可能だとして、この仕事を断った。ターゲットとする読み手の心理を理解せずに構成を作った上で成果を上げるなどいくらなんでもムチャであり、そんな不誠実な仕事はできない。

この事例でお伝えしたかったことは、おそらく税理士事務所グループの代表と直接話すことができれば、私の構成を支持しただろうということが一つ(編集会社にはその要望を申し入れたが断られた)。曲がりなりにも経営者であれば、目的に照らして何を為すべきかというマイルストーンの置き方を間違えることはないだろう。今一つが、経営感覚のない担当者に重要な仕事を任せると、形そのものが目的化し、本来の目的ではないことにプライオリティを置くという、狂人的な間違いをおかすことが多々あるということだ。そして世の中の多くのCFOにも、このようなタイプが非常に多い。

経営計画書や資本政策、その他経営の根幹に関わる各種資料は、そこに経営トップの想いがこもっており、なおかつそれを理解するCFOが持ち歩いてこそ、本当に意味を持つものとなる。
数字のつじつま合わせをした上で、
「当社には将来性があります、エビデンスはこれです」
などと言ったところで、誰がその内容に共感をして仲間になってくれるだろうか。

このようなCFOに経営計画書をもたせ、ステークホルダーを回らせることは、
「事業承継を考えている経営者のために、三角合併の説明も詳しく書いて欲しい」
と言っている担当者に等しい。
自分が向き合っている顧客や取引先のことを理解できていない人間に会社の根幹に関わる仕事を任せると、これほどまでにめちゃめちゃな失敗をやらかす。

スキルと経験があることは当然かもしれないが、極論をすれば、スキルと経験がなくとも、自分が向き合っている仕事に関わるプレイヤーの利益がどこにあるのか。
そのことを真剣に考えられる人材であれば、それはCFOであれ営業マネージャーであれ、与えられた仕事で必ず成果を挙げることだろう。

本当に優秀なCFO(幹部)を見極めるのであれば、ぜひこのような考え方を参考にして欲しい。

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1973年生まれ。とある企業の経営者。 大手証券会社からキャリアをスタートし、広告代理店やメーカーなどを経験する。 CEOを2社、CFOを3社ほど経験し、現在はマーケティングと人材開発を主なサービスとした企業を経営している。