だから私は会社を辞めた~CFO(COO)が会社を去るとき~

だから私は会社を辞めた~CFO(COO)が会社を去るとき~
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私はかつて、CFOとしてあるいはCOOとして、いくつかの会社で経営トップにもっとも近いところにいた。当然、この立場は会社と一体だ。経営者の全てを理解し、会社を誇りに思い、ステークホルダーにも会社を代表して対応することになる。いうまでもなく、経営トップの次に会社を愛していることにも誇りを持っている。しかし結果として、私はそれら人の会社で務めていた役員のポジションは全て辞任し、今に至る。
小さいながらも会社を経営し、それなりにやって行けているが、独立を決めた理由は大きな夢を描いたからでもなく、どうしてもチャレンジしたかった事があったからでもない。
人の会社で働くことに心底から嫌気が差したからだ。
もう2度とCOOやCFOなんていう立場には戻らないと心を決めて独立し、必死になって自分のリソースを金に変えることで、なんとか生きていく事ができている。これほどまでにネガティブな理由で起業し、曲がりなりにも決算を7期越える事ができたことは不思議な気がするが、ネガティブなパワーも度が過ぎれば前向きな力になるということなのだろう。ではそんな私は何にそんなに嫌気が差して会社を去ることを決めたのか。COOやCFOが会社を去ることを決めるのにはどんな理由があるのか。
相当な覚悟をもって預かっていたポストを去るには、もちろんそれなりの理由がある。小さくはいろいろあるかもしれないが、どんな理由を持ってして、自分の辞任は正しかった、そして経営トップは間違っていたというつもりは毛頭ない。そもそも経営トップとは、No.2以下には想像もつかない責任を背負い、多くの場合、その志も高く、COOやCFOなどが直言することすらはばかられるものだ。
つまり、人の会社で役員を務めるということは、経営トップの一見理不尽にも思える意思決定をも理解する覚悟を持ち、その経営方針の実現に人生を賭ける覚悟をともにする強い意志が必要となるということだ。
そしてその覚悟を持ち役員に就任した者のうち、さらにトップの心を掴めたものだけがCOO(最高執行責任者)として業務を任され、あるいはCFO(最高財務責任者)として金を任される。
COOやCFOが会社を去るというのは、それほどに強い想いを持ち経営トップと会社を支えようとした者が会社を去るということであり、その決断はやはり相当タフなものであったということなのだ。

INDEX
幹部・役員の辞任がもたらす影響とは
辞職理由(1):価値観の違いが埋め難く、未来像をシェアできない
辞職理由(2):信頼関係の崩壊
最悪の事態を回避するための最も簡単な方法とは

幹部・役員の辞任がもたらす影響とは

ところで、このようなポジションの人間が辞めるということはやはり大きなインパクトがあり、例え部長や本部長という肩書を持っているような幹部社員であったとしても、従業員が退職することとは比べ物にならない影響がある。
あるいは読者の中にCOOやCFOの方がいて、僅かでも退任を考えているようであれば、ぜひ自分が辞めることでの会社への負の影響についても思いをして欲しい。
「うちの会社は経営トップの存在感が大きいので、自分が辞めてもほとんど影響はない」と考えているとすれば、それは大きな間違いだ。

なぜか。
一つのわかり易い例でお話をしてみたい。
多くの会社では、一定の規模以上で新規に取引を開始する際には、当然のことながらその会社についてある程度の与信情報を集めるだろう。
その際には、TDB(帝国データバンク)のような与信情報会社を利用することもあり、また取引先金融機関と支店が同じであれば、それとなく話題に出すことで、ある程度の情報を推し量ることもできる。

そして私の場合、これらの手段に加えて登記簿謄本の情報をある程度アテにすることにしている。
登記簿には、その会社の設立年月日や本店所在地、代表者の自宅住所、会社の目的、資本金や発行済株式数の推移に役員名簿など、非常に様々な事柄が記載されている。
お粗末な例で言えば、公式Webサイトには資本金1億円と記載しているのに、実はそれは資本金と資本準備金だけでなく、授権資本枠まで合わせて載せているということもあるが、このような姿勢は既に要注意であることは明らかだ。
また資本金の動きと発行済株式数の推移、それに信用情報会社から得た売上や利益の推移といった情報を重ね合わせると、増資や減資の目的に加え、調達株価までもあぶり出すことができるので、経営者の意図を掴む上で大いに助けになることがある。

しかしそれ以上に参考になるのは、やはり役員の出入りだ。
取締役に就任した幹部は、直ちに登記簿に記載することが義務付けられているので、会社の意思決定を担う最高幹部の出入りは、登記簿謄本をみれば簡単に掴むことができる。これもまた、その会社の隠された情報を掴む上で大いに助けになることがある。

極端な例を一つ出してみたい。
私が取引を検討していたある企業では、長年にわたり取締役を務めていた幹部が、何度目かの重任(=再任)登記をされた直後に退任しているという不自然な異動があった。わかりやすく言うと、取締役の任期を2年とすれば、重任とは2年毎に登記し直すということだ。
その人物は長年に渡り取締役を務めていたので、何度かの重任登記があったわけだが、ある年に重任直後に退任していた。

何か不審な動きを感じた私は、その会社を仲介してくれた取引銀行の担当者に対し、その人物に付いて質問をすると、驚くべき答えが返ってきた。
「○○さんですか・・・。実は会社の名前で取り込み詐欺をやって商品を持ち逃げして・・・」
と、その担当者は言い難そうに話す。
そして日刊紙のWeb版アーカイブにはその事件が詳しく報じられており、その損害額は億を越えていることも明らかになる。
さらにその損失は会社の代表印で契約書の作成が為されていたことから、会社がその損害を弁済している最中だったのだが、当然のことながら中小企業にそんな現預金など無い。そのため、分割して賠償をしている最中であることを別ルートから聞かされたが、登記簿からはこのようなことを知る端緒となる情報も得られるということだ。
ちなみにその役員は既に逮捕され、実刑を受けて服役中とのことであった。

なお、これら情報を掴むことは、直ちにその会社との取引を中断することを意味していない。その時の私の対応は、発注額を細分化してリスクを分散させるものであったが、役員がしでかした非常識な不祥事に際しても、最後まで責任を取る経営トップの姿勢にはむしろ人間としての信頼感が増したほどであったが、その辺りのことは最後まで伝えなかった。

ここまで極端ではないにしても、やはり役員の出入りが頻繁な会社はかなり不信感をもつのが正直なところだ。
特に任期途中での役員の退任が目立つ会社は、経営トップが役員に任命するような人物にすら、任期満了まで耐えられないという意思表示をされていることを意味する。
役員クラスの人間の心を掴めていないのか、形ばかりの役員を次々に任命しているのかはそれだけでは判断できないが、そのどちらであったとしても、その会社に十分な人材がいないことは明らかだ。取締役への就任と退任には、自社では気が付けないところで、そのような明確なメッセージを発しているということである。

取締役ですら、その辞任にはここまでの影響力がある。ましてそれが、CFOやCOOの肩書も併せ持つ取締役であれば、その影響力はさらに破壊的になるのが一般的だ。自分の信念のために、そこまで会社とかつての仲間を犠牲にできるか。責任あるポストにある人は、その決断についても最後まで責任を負って欲しい。
それを理解した上でも、なぜ私がこれらポストから降りることを決めたのか。今回はそんなことについて、拙い経験からお話をしてみたい。

辞職理由(1):価値観の違いが埋め難く、未来像をシェアできない

まずは、価値観と将来像についての話だ。

ある意味で、No.2として、あるいはCFOとして、これほどまでに傲慢な退任の理由はない。図々しいと言ってもいいだろう。なぜなら会社とは、経営トップの責任においてその方針が示され、その価値観に従い運営されるべき存在だからだ。個別の施策について、考え方が異なるのであれば大いに意見具申して、議論を戦わせることには十分な意味がある。
しかし、会社が為すべきことや向かう将来像について、経営トップ以外の幹部が指し示すことは明らかに勘違いした行為だ。ここでもまだ議論を戦わせる余地が無いわけではないが、少なくともベンチャー企業においては、経営トップが考える会社の価値観を否定するのであれば、ごちゃごちゃ言わずに自分が会社を去るべきである。

つまり、そう思ったので、私は辞任したということだ。

しかしながら経営者との考え方の違いなど、役員に就くものであれば最初からわかっているだろうという批判は免れない。それなら最初から役員を引き受けずに辞めるべきだというのがもっともな話だ。その批判は甘受しながらも、ここでは次の2つの事例をお話してみたい。

  • 役員になって間もない時期、早い段階で経営者に違和感を覚えて辞任した例。
  • アーリーステージの殻を破るまでは順調に二人三脚で進めたが、次のステージを考えた時に決定的な経営方針違いで相容れずに辞任した話。

役員になって間もない時期、早い段階で経営者に違和感を覚えて辞任した例

いきなりベンツの最上級クラスを買い、東京都心のタワマンに引っ越した経営トップの話。
これは、役員になって間もない時期に辞任をした時の話だ。そして私自身も大いに反省していることであり、自戒を込めてお話したい。

当時私はまだ20代半ばを過ぎたばかりであり、證券会社を退職後、当時最高の盛り上がりを見せていた業界に役員として迎えられた時の話だ。証券会社で数年程度経験しただけでも、やはりエクイティに関する知識はプロとして通用するものがある。そして、先進的な技術で大手企業に技術を卸していた会社の経営企画担当役員として、主にCFOに近い立ち回りをした。もっと具体的に言うと、必要な資金をエクイティで調達をすることがメインの業務であったと言って良いだろう。金額としては極めて僅かだったが、誰もが知るメーカーとの直接の取引があり、その技術は世間でも話題に上っていたことから、投資家達からの期待も高かった。

そして私は、売上僅か数億円、数年の連続赤字を出していたその会社で、時価総額二桁億円での第三者割当増資を主導する。そして数億円の投資を集めることができ、経営計画の実現に十分なキャッシュを調達することに成功した。

正直この時、自身のエクイティに関する知識が実戦でも生きたことにやりがいと興奮を覚えたが、経営トップとの距離は、直後に暗いものとなってしまう。この時、経営トップは第三者割当増資が成功すると、いきなりベンツの最上級クラスを会社の経費で調達してきた。もちろん利益が出ているような状況ではなく、大事な資本金は経営目的の為に使われなくてはならない。さらに驚いたのは、主要駅に突然支店を出し、その近くのタワーマンションを契約してきてしまったことであった。もちろん社宅としてだ。

会社の現預金は常に1000万円以下の状況で回している時に、突然億単位の現金が口座にプールされたことで、明らかに何かが壊れた。そして経営計画の実現に急に熱意を失い、会社は急速に傾いていくことになる。どう贔屓目に見ても、あの時の経営トップの行動には深慮があったとは思えないが、その後もどれだけ諌めても改善されなかったことから、私は早々に会社を去った。

アーリーステージの殻を破るまでは順調に二人三脚で進めたが、次のステージを考えた時に決定的な経営方針違いで相容れずに辞任した話

次に自社の体力を考えず、インフラ業からコンテンツ業に進出した経営者。業種やシチュエーションは、やや実際とは違う形で例示していることをお許し願いたい。

その会社では、例えばアンチウイルスソフトを製作しているメーカーが、コンテンツ配信業に乗り出そうとしたと考えて貰いたい。ネット上でのコンテンツ配信業には、幾つもの必要な要素がある。例えば一時に集中する傾向があるアクセスを捌くサーバー運営ノウハウや、不正コピー防止対策などは基本になるだろう。サーバーそのものへの不正アクセスを防止するノウハウも必要であり、その対策を専門にする会社やウイルス対策を専門にする会社とも連携する必要がある。

例えばここで、アンチウイルスソフトを製作している会社の経営トップが、「自社もコンテンツ配信業に参入する」と言い出したらどう思われるだろうか。ゼネコンの下請けのうちの1社、例えば設備屋が元請けになろうという試みと言っても良いが、それ自体は勇気ある行為であり、経営トップの判断としてはあり得るかもしれない。しかしこと、コンテンツ配信業に関してはどう考えても荒唐無稽だ。なおかつこの時経営トップが言い出したことは、幾つかの国内コンテンツホルダーから、無名アニメの独占配信権を億単位の対価で得ようとするチャレンジだったと言って良いだろう。

ネット上でのコンテンツ配信ビジネスは、多くのユーザーの幅広いニーズに応えられるラインナップを揃えてこそ形になる可能性がある。つまり、仮に米アカデミー賞クラスの凄いコンテンツの独占配信権を2~3本得たところで、そんなものはペイするわけがないということだ。ましてそれが、無名アニメの独占配信権を得たところでビジネスが成り立つわけがないのは明らかだろう。
下請けが元請けになるためには、夢だけでなく用意周到な準備と体力が必要であり、ベンチャー企業の名のもとに、勢いに任せてチャレンジしていい領域とは言い難い。お金の遣い方として明らかに間違っており、その領域は下請けとして一つの領域を極め、IPOを成し遂げた後で考えるべき次のステージだ。

このあまりにも突飛で非現実的であり、当初の資金調達の目的とは違う資金使途には到底賛成できない。
議論に議論を重ねたが、今後も予想されるこの領域での資金需要を満たすことは誠実さに欠けると考え、私は程なくしてその会社を去った。
なお蛇足のようで恐縮だが、やはりその会社は無茶なコンテンツ投資で現預金を全て溶かし、2年経たずにリビングデットに陥った。

どちらも極端な話ではあるが、「価値観の相違」の結論としては、
「経営トップの次に会社を愛し誇りに思う」というマインドを維持できなくなったから身を引いたということだ。
COOやCFOが、頑張って自分のマインドを維持しようと考え始めたら、それはやはり会社を去るべき時だ。

辞職理由(2):信頼関係の崩壊

さてここまでは、価値観の相違を理由に会社を去った時の話をしてきた。次にお話したいのは、信頼関係の崩壊についてだ。
信頼関係というからには一朝一夕のものではなく、この事案、すなわち一つのボタンの掛け違いだけで会社を去るということはなかなかなく、幾つかの理由が重なって役員でいることを諦めたということだ。その前提で読み進めてもらいたい。

1つ目はある意味で、No.2としてもっとも譲れない理由である。すなわち、経営トップ自らが主導するアンモラルな指示の常態化だ。これだけは、COOやCFOの立場であっても職を賭して経営トップを諌め無くてはならない。そして受け入れられなければ、直ちに会社を去るべきである。コンプライアンス意識は会社を守る根幹であり、モラルある経営者の姿勢は従業員とステークホルダーにとって、信頼の源泉だからだ。

2つ目として、経営トップでありながら最終的な責任から逃れる行為。とりわけ、役員会の場などで正式に経営方針として決定され、担当役員以下に作業として落ちているにも関わらず、その途中経過で状況が困難になれば結果から逃げる行為だ。これだけは経営トップとしては絶対にやってはならない。経営トップとは、何があろうとも最終的に責任を取り、体を預けられる存在でなければそのポジションにいる意味が無いからであり、言うまでもないことだ。

以下、経験した事例でお話してみたい。

経営トップ自らが主導するアンモラルな指示の常態化

近年は特に、経営判断の誤りというよりも経営トップの不法行為を漫然と受け入れ、その結果責任として会社だけでなく、個人の人生をも傾けてしまう取締役が目立つ。もちろん会社経営は時に、違法ではないが褒められることではない経営判断をすることもあるだろう。最終的な経営責任を呑み込んだ上で、経営トップが下した決断には究極的には従うことが必要な局面があるかもしれない。

しかしながら、アンモラルであり、なおかつその経営判断を下した上で、結果責任から逃げるような経営トップがいればどうだろうか。役員会で繰り返しその問題を指摘しても、経営トップはのらりくらりと容認し続けていた。結果として問題が起こったにも関わらず、そのトップは一切の責任から逃げたのだ。

ベンチャー企業の経営者という存在は、時に常人の理解を越える。理不尽大王であり、殺したいと思うこともきっとあるだろう。しかし、どこか憎めない愛すべき存在であり、一緒に夢を叶えたいという思いを共有することができるのは、人としてお互いを尊重できる価値観を共有できるからだ。その範囲を軽く逸脱するような無法者は、「ベンチャー企業の経営者だから」という理由で許されることなど、もちろんありえない。このような限界を感じたら、どれほどの要職にいようとも直ちに会社を去る必要がある。

法外な時価総額による資金調達と、それに対する経営トップの姿勢

これはある意味で、CFOとしての愚痴だと思ってもらっても良いかもしれない。というよりも、CFOであれば誰しも経験しているであろう、経営トップからの理不尽な資金調達の要求だ。

それぞれの立場で責任を背負い、ギリギリ実現可能な高みを各役員が担っていると言っても良いのがベンチャー企業だ。そのためCFOも、「無茶言うなよ・・・」という経営の意思決定を背負うことも珍しくないが、例えば、売上高が10億円で、営業利益の段階ですら黒字が出ないような状況で、時価総額70億円換算の株価による第三者割当増資など通るものではない。いくら役員会の意志とは言え、こんなものは努力の範囲外だ。

そのため私は、各ステークホルダーには予め、楽観的に振れた場合、ボトムで推移した場合、現実的なラインで推移した場合の経営計画を説明して回ったが、もちろんこの場合の資金調達計画は楽観的に振れた(=ほとんど根拠がない)数字を元にしている。更にその数字は、仮に想定通りの受注が実現できたとしても急激な成長に資金手当が追いつかず、その際には改めての資金調達を前提とした内容だ。要するに、CFOの立場から言えばメチャメチャということである。

この状況に際し私は、事前根回しでの可能な限りの取り込みを自分の職責として役員会に約束したが、最終的な投資の呼び込みは経営トップからのプレゼン以外で実現できるものではないとして、ステークホルダーと投資家を集めた説明会の開催設定を提案し、了承されていた。不本意だが、CFOである自分の肩書きだけでは通すことなどとてもできない条件であると、諦めていた案件ということだ。

そして迎えた当日。
経営トップは「重要な営業案件」を理由にドタキャンし、私の責任で必ず資金調達を実現するように電話で指示をしてきた。
説明会は流会、資金調達計画を白紙に戻し、事後処理をした後に会社を去った。

経営トップが熱い思いをもち、自らの信念を語ることで無茶なファイナンスを通すことが可能な状況までは作り上げていた自負があった。にも関わらず、最終的に「梯子を外された」感が強い結果に終わり、今までの不信感も重なって私の中で最後の糸が切れたという形だ。
経営トップもわがままかもしれないが、COOやCFOもわがままである。熱意と誠意を持って責任を全うしようとしている役員に対し不誠実な立ち居振る舞いをすれば、それは簡単に信頼関係の崩壊を招くことに繋がり、会社を去る理由にもなり得るだろう。

経営トップに対する個人的な信頼が揺らぐと、CFOにできる仕事は余りにも少ない。

最悪の事態を回避するための最も簡単な方法とは

さてここまでは、経営トップとの価値観の違いや信頼関係の崩壊が起きれば、役員であっても会社を辞めるべきという話だった。しかしそもそも考えてもらいたい。その事実がCOOやCFOの主観ではなく、本当に経営トップが極悪非道の経営者なのであれば、そのように考えるのは自分だけではないはずだ。であれば、他の役員や幹部社員も同様に経営トップを見限りかけている可能性が高く、会社は崩壊寸前になっているはずである。
もしそうだと言いきれないのであれば、それはCOOやCFOであるあなたの独りよがりな逃げであって、自分が会社を辞めることに対し、自分を正当化しているだけかもしれない。
そして他の役員や幹部だけでなく、一般従業員やステークホルダーですらも、自分と同程度に経営トップへの信頼が揺らいでいると確信できるのであれば、それは辞めるべきは自分ではなく経営トップかもしれないということである。経営トップの求心力がそこまで落ち、会社が崩壊寸前とも言える状況なのであれば、やはりその状況から逃げるのは、「沈む船から一番に逃げ出そうとするネズミ」という非難は免れない。

そのような価値観を持っていた私は、ある会社でNo.2をしていた時、経営トップを追い出して自分が社長になろうと画策したことがある。なおこの時、従業員の多くが経営トップを見限り、経営トップの次に持株比率の高い大株主からは正式に、経営トップを会長にして私を社長にする提案もなされていたほどの状況だった。
ただ、その実現はやはり極めて困難だ。創業経営者の会社に対する執着心と熱意は常人の想像を大きく越える。大株主から会長に祭り上げるような提案をされた経営トップは激怒し、大株主とは以降対立関係になってしまうが、その後の経営不振からその株主は当社の経営から手を引いた。

そして、経営不振の末のM&Aによって、事実上の子会社になった段階で、私は行動を起こす。親会社となった会社に対し、経営トップよりも自分の方が有能であると主張して、自分を社長にしろと直訴するという非常識な行動に出た。逆に言えばそれほどに、この時の経営トップの姿勢はあらゆる社員や関係者から求心力を失っていたということだ。そして私は散々に悪あがきをして、最終的に私のほうが会社から追い出された。

この例で言いたかったことは、一旦大きな責任を背負ったからには、辞めるということすらも時には逃げると言われても仕方がないことであり、どれほど惨めでカッコ悪くとも最後までやり切ることを模索するのも、一つの選択肢ということだ。
この場合の私の忠誠心は、従業員と、株主を始めとしたステークホルダーにしか向いていなかった。そして自分の考える「あるべき会社の方向」と「経営目標」に向かって障害になるものは排除するという基本に立ち戻った場合、それは取りも直さず経営トップそのものであると考えたということだ。そして自分に与えられた権限と、従業員やステークホルダーの大きな支持という影響力をあらゆる方法で使い、辞めさせられるまで辞めないと決めて相当非常識な行動に出たのが一連の流れであった。

結局最後には、親会社の判断もあり、私は辞任することになったが、この時ほどに「やりきった感」を感じる辞任は後にも先にも一度もない。
自分の責任から最後まで逃げずに、自分の信じることのためにやれることは全てやりぬいた。
ただこのような事例は、一般論としては決して成り立つことはないだろう。
もし本稿を読んで頂いている方の中にCOOやCFOがいたとしても、この行動はこの時の私を取り巻く、あらゆる意味で特別な環境であったからの選択肢であったと考えて貰いたい。

COOやCFOとして、腹の中に言いたいことを呑み込んでいることはないか。
不信感を口に出さずに、会議の席で下を向いてただ、時間が経つのに任せたことはないか。
経営トップの言っていることが理解できないにも関わらず、理解しているフリをしたことはないか。

もしこれらのことについて、一度もないというのであれば、貴方と経営トップの関係は極めて良好だろう。理想的なトップとNo.2の関係を築けている。
しかし率直に言ってCOOやCFOの立場にあるものでも、経営トップの理不尽とも思える意思決定に際し、「どうせ意見具申しても無駄だ」と諦めが先に立っている役員はとても多い。
不信感を感じたら、「社長、貴方の言うことは信じられない」と言わなければならない。なぜなら、経営トップの一番近いところにいる人間が、経営トップのことを信じられないというのであれば、外部の人間はもっと経営トップを信じられないからだ。
そのような経営トップを放置して裸の王様にしているのは、No.2である貴方のせいかも知れない。

もちろん、経営トップの言っていることが理解できないのであれば、「社長、貴方の言っていることが理解できません」と言わなければならない。自分が経営方針を理解できないままにCOOの職務を進めようとしているなら、そのような役員は無能極まりないからだ。
CFOも同様に、経営トップの言っていることが理解できずに銀行対応や株主対応をできると考えているのであれば、不誠実というレベルではないだろう。そもそも、そんなことで会社にとって最高のパフォーマンスでの資金運用ができると考えているのであれば、おこがましいにも程がある。

にも関わらず、意志を共有し体を預け合わなければならない役員が経営トップの全てを理解しようとしていないケースはとても多い。そして仕事で最高のパフォーマンスを上げられない原因を時に経営トップのパーソナリティに求め始める者も出始めてくる。やがてこのような不信感は積み上がり、理解できないという思いは大きな不満となって辞職に繋がるというパターンも数多く見てきた。

意外に思われるかもしれないが、経営トップは
「この施策の目的が何なのか、社長の言っていることが理解できません」
などという言葉が大好きだ。
なぜなら、わかってもいないのにわかったふりをして幹部社員のフリをしている人間ほど、会社を傾け、経営目標を危うくするものはないからだ。
このような率直な疑問に対し、
「黙って言われたことをやれ」
「理解できないって、お前何年役員やっているんだ」
などの非生産的な暴言が飛び出す経営トップなら、迷わず見限っても良い。
その程度のトップに、大きなことを成し遂げるような器もなく、人生を預ける価値もないだろう。
しかし多くの経営トップは、幹部社員からのこのような直言は大好きだ。そして自分の考えが間違いなく組織に浸透するために、幹部社員には100%の理解をさせようと努力する。

つまり、会社でCOOやCFOにある者にとって、会社を辞める理由の多くが、経営トップと誠実に深くコミュニケーションを取ろうとすることで解消されてしまう可能性すらあるということだ。
多くの場合、信頼感の欠如や価値観が共有できないことを理由とした辞任は、この程度のことに過ぎない。
であれば、そもそも辞める必要など、そうそうあるものではない。

不信感や理解不足は、小さな芽のうちから毎日繰り返し、摘み取ることだ。
大きな不満や不信感に成長してからの摘み取り作業は、既に双方が感情的になっており、解決が難しくなっているものである。

「ちょっと待って社長、今のところ私理解できません」
極論をすればこのように、会議で社長の話の腰を折り、もう一度そこを聞かせてくれとリクエストするのもとても良いアイデアだ。
ぜひ日頃から、経営トップと幹部の間に不信と無理解の目が育たないように、経営トップも幹部も努力をしてみよう。
そうすればきっと、ボードメンバーの結束は強固なものになるはずだ。

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1973年生まれ。とある企業の経営者。 大手証券会社からキャリアをスタートし、広告代理店やメーカーなどを経験する。 CEOを2社、CFOを3社ほど経験し、現在はマーケティングと人材開発を主なサービスとした企業を経営している。