組織の創造的破壊 ~会社を潰さないために経営者が為すべきこと~

組織の創造的破壊 ~会社を潰さないために経営者が為すべきこと~
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会社や組織が常に環境に適応し生きてくのは極めて難しい。
どれほど画期的なビジネスや商品であっても、利益率の高いマーケットにはたちまちフォロワーが参入し、より安価でより使い勝手の良い商品でマーケットを埋め尽くすからだ。白物家電で世界を制覇したかに思われた日本の家電産業も、その天下が続いたのはせいぜい20年。
基本的な機能を模倣することが比較的容易な製品は、たちまち中国や台湾のメーカーが半分ほどの値段で同程度の機能を持った商品をマーケットに出してしまい、日本製品は高額の開発費すら回収できずに赤字に陥るという撤退戦を余儀なくされた。

インターネット業界の淘汰も極めて早い。
もう随分前の話だが、2001年にナスダック・ジャパンに上場したセラーテムテクノロジーという会社があったが、この会社はデジタルファイルの圧縮技術を売りにIPOを果たし、その時価総額は一時期1000億円を上回る狂乱とも言える株価を付ける。
今から考えれば滑稽とも言える話だが、それから数年もせずに類似の技術はインターネット上に無料で溢れるようになり、セラーテムテクノロジーは業績を伸ばすことができず株価は暴落し、やがて上場を廃止した。

このように、ビジネスのアドバンテージを確立できた会社であっても、その優位性を奪われるスパンは確実に早くなっており、フォロワーのキャッチアップまで年単位すらない昨今。
既存のビジネスが生き残るためには、キレイな言葉で言えば、「環境の変化」に併せて自らを変え続けなければならない。

ダーウィンが著したことで有名な進化論には「自己革新」、すなわち生物は緊張や危機感という外部からのストレスに対し、自らを主体的に変えることができた種のみ、生き残ることができた、という考え方がある。

すなわち、地球が氷河期を迎えた時代、わずかに残る温暖な地域に居座り生き残ろうと考え、そしてその試みに成功した種は体を強く、あるいは大きくすることに成功し優位性を確保した。
そして、その競争に敗れた種は淘汰された。
あるいは別の種は、寒さに対応するために体毛を得て、それまで食べることができなかった食物を何十世代も掛け少しずつ食料化することができ、生き残るための進化に成功した。
その種が取りうる選択肢の中でもっとも現実的で、なおかつその種だからこそ出来る方向に進化をしたものだけが生き残りに成功した歴史の結果であり、そして今の生物があると言えるだろう。

ダーウィンの進化論の考え方の一つではあるが、これはもちろん会社の戦い方そのものであり、生き残り戦略そのものでもある。

男性用下着を取り扱っていることだけが妙に有名なグンゼは、その企業イメージとは裏腹に最先端のプラスティック製品や電子機器の製造も手がけており、そしてその会社の興りは、生糸の生産を行う田舎の小さな会社であった。
1896年(明治29年)が創業の年なので既に100年以上の社歴があるが、グンゼの名前の由来はその際の社名である「郡是製絲株式会社」。
郡是とは、「国是」や「社是」と同じ言葉で、当時グンゼが会社を起こした京都府綾部郡の為に、郡を活性化し郡のために役立つ会社に育てたいという思いでつけられた名前であった。

とはいえ時代は明治29年。
日本に工業と呼べるものはほとんど無く、新しい事業など思いもつかない時代にあって、悪く言えば「誰でも出来る」生糸の生産から社業を興した歴史を持つ。
すなわち、地元の養蚕農家から買い取った繭を生糸にして売るという事業だが、最初はロクに糸も紡げず、出来上がった品も最悪のクオリティで、付加価値が全くつかない代物であった。

このような中、創業者とそのメンバーたちはどのようにすれば無駄なく糸を取ることができるのか。
どのようにすればきれいで上質な糸を取ることができるのかを不眠不休で研究し、長い時間を掛けて、1つの繭から驚くほど高品質の糸を無駄なく紡ぎ出す技術を開発し、そしてさらに開発を続ける。

誰でも出来る仕事の領域にいては儲からないというストレスの中、付加価値をあげる研究を重ね、やがて誰でも出来る作業を誰も真似のできない領域に高めることに成功したわけだが、会社の起業としては極めて理想的な流れだろう。

そのようにして、グンゼが紡ぐ生糸は日本の主要な輸出産業になり、外貨を稼ぐ貴重な企業に育っていくのだが、その一方で、やはり優れた技術は研究され尽くし、模倣されることになる。
同じようなクオリティの商品が市場に溢れ出したら、当然単価は下がり始め、そして会社の属するマーケットは再び低付加価値産業に陥り、儲からなくなってきた。

ここでグンゼが採った生き残り策は、原材料メーカーから製品メーカーになるという選択肢だった。
すなわち生糸をそのまま輸出し、あるいは衣料品メーカーなどに卸して儲かるという単純なビジネスモデルから、自らも最終製品メーカーになる事ができれば、安い原材料を握っている以上、そのマーケットにアドバンテージがあるはずだ、という考え方だ。
危機に際し自らの強みを冷静に見極め、負けないフィールドを探す。
そして生き残りの方向を模索した結果として行き着いた施策であったが、あるいは今の経営者には常識と言える戦術であっても、時代はまだ近代。
情報の少ない時代にあっては画期的な凄いアイデアと賞賛されるべきものであろう。

その後、危機を迎えるたびにコスト削減策として、繊維製品を梱包しているビニール袋の製造を内製化したことでプラスティック素材のノウハウがたまり、繊維製品の肌触りなどを研究する段階で様々な化学的知見を積み上げていく。
そのようにして、会社が危機を迎えるたびに自らの強みを活かす方向に進化してきたグンゼは遂に、1987年には創業の根っこであった製糸業から完全に撤退した。

製糸業から始まった会社は、100年の時を経て全く製糸業を営まない会社になり、気がつけば別物の会社として世界に冠たる企業へと成長していたと言えるだろう。

このように、100年続く老舗といっても良い会社は、環境の変化に直面した時に様々な生き残り策を取り続けた事例が多い。
例えば、ひたすら強みを追求し、他社には絶対に追随できない高みにまで昇り詰めたものや、強みを別の領域に転化し、潔く元の居場所を捨てたもの。
別の考え方では、暖簾分けや出店の展開などでノウハウを横展開し、リクスを分散させたものもいた。

これらのうち、強みをひたすら磨くという生き残り策は一般に、広く経営者の教訓としてはあまり役に立たない。
なぜなら、そのようなビジネスはそもそも真似ができない上に、その生き残り先を選んだ企業で生き残りに成功した事例は、伝統的産業などには散見されるものの、一般的なビジネスの領域で見かけることは稀だからだ。

私たち会社経営者が参考事例として気になるのは後者の2つであり、今ある強みをどのようにして陳腐化させずに、なおかつ環境の変化に対応させながらその強みを進化させていくか、ということではないだろうか。

私はこれを、「組織の創造的破壊」と勝手に呼んで戒めにしている。
すなわち、人は物事が順調に進んでいる時ほど調子に乗り、その時間がずっと続くかのような錯覚を覚える。
実際には、物事が順調に進んでいる時ほど怖いことはなく、落ち着けないと考えるのが経営者の習性というものだが、人を雇っている組織では、経営者のこの感覚を持つ部下はほとんどいない。

うまくいっている組織では必ずその均衡を壊し、危機を与えて自己変革を促す必要があるということだ。

商品が業界で1番売れているということは、その商品を扱う2番手以下の会社の会議室には当社の製品が溢れもっとも研究されているという状態であり、わずか数ヶ月後には、その強みを完全に消されることを覚悟しなければならない。
組織に対し、自社の一番の強みが何であるのかを冷静に見極めさせ、その強みを消されるという最悪の状況をシミュレートして、その重大危機においてはどのように生き残ろうとするのか。
数ヶ月後にそれが現実になることを想定し、真剣に、生き残りをかけた施策を検討する必要がある。

これは決して絵空事ではなく、日本企業の多くが数千億円の投資をして強みを得たはずの半導体であっても、数年も持たずにキャッチアップされ壊滅的な損害を被った教訓からも明らかであろう。
上手く行き始めている時が、会社は一番危機に近い。

これは大きなビジネスだけではなく、小さなビジネスでも、町の焼鳥屋さんでも同じことだ。

突然の余談だが、私の住んでいる街は日本一外食産業で酒の消費量が少ないとされている県に所在し、主要駅の駅前にもほとんど居酒屋はなく、あるのは地元のオジサンが営むような小さなお店ばかりだ。
そんな中、地元資本から始まった焼鳥屋が、このマーケット環境の中で4店舗も支店を構えるまでに大きくなったのだが、この成功の理由は地元民から見れば簡単だ。

マーケットが存在しないと思われているだけに、大手居酒屋などが皆無なので、「少しでもコマシな店」には、僅かしかないとはいえ、それなりに存在する需要が集中する。

その地元系の焼鳥屋さんは自らの成功でそのことを証明して見せたのだが、一度そこに存在するマーケットの規模に目処がつけば、やはり大手は素早い。
その焼鳥屋さんから僅か10mの場所、さらに駅前から近くより便利な場所に、280円均一のあの黄色い焼鳥屋さんが出店してきた。

これほどまでに、会社やビジネスは上手くいっている時ほど誰かに凝視されていると言ってもよく、虎視眈々とそのマーケットは狙われている。

では、そんな前提を理解した上で、会社はどのように「創造的破壊」を促す仕組みを作れるのか。
どうすれば環境に適応し続け、生き残ることができる組織を作ることが出来るのだろうか。

INDEX
アメリカ軍が世界最強で居続けられる理由
「弱いほど強い」日本人から学ぶこと
経営者たる資格

アメリカ軍が世界最強で居続けられる理由

ある意味で、生き残りをかけて戦い、そして結果を出し続けている組織の最たるものがアメリカ軍だ。
文字通り、負ければ死ぬ組織であり、その生き残り策については当たり前だが本気の度合いが違う。
そしてこのアメリカ軍には、「組織の創造的破壊」という仕組みが驚くほどに浸透し、状況に応じて常に組織の形を変えていく仕掛けに溢れている。

例えば人事だ。
多くの軍隊では、大将を最上位として、以下中将、少将までが将官と呼ばれる階級となる。
陸軍であれば将軍と呼ばれ、海軍であれば提督と呼ばれる特別な階級だ。
それに続くのが大佐、中佐、少佐の佐官と呼ばれる階級で、大尉、中尉、少尉の尉官と呼ばれる階級が続き、これ以下が大きく「下士官」「兵」となる。

将官は文字通り一軍の将であり、軍や師団といった一軍全体の指揮を執る存在。
佐官は連隊長や大隊長、あるいは海軍であれば艦長などを務め現場の指揮を執る。
尉官は駆け出しの若手士官であることが多く、小隊や中隊といった小規模部隊の指揮を執る存在だ。

そして世界中の軍隊では、当たり前だが軍人の階級は下から順番に上がっていき、特に選ばれたものが将官に昇り少将、中将、大将と出世していく仕組みを持つ。

これは我が国の自衛隊も同じであり、ごくわずかの優秀な自衛官のみが、少将に相当する将補(陸将補、海将補、空将補)という階級まで昇ることができて、さらにその中から、選ばれたものは中将に相当する将(陸将、海将、空将)に就任することが出来る。
なお自衛隊では、諸外国の大将に相当する職は4つのポストしか無く、陸海空自衛隊のトップである「陸上幕僚長」「海上幕僚長」「航空幕僚長」に加え、自衛隊全体のトップである「統合幕僚長」だけだ。
従って同時に存在する大将は4人だけということになる。

そして多くの諸外国と同様、自衛隊でも一度将(中将)に昇ったものが将補(少将)に落とされることはなく、特殊な例外を除き、大将に昇ったものが中将に落とされることはない。
しかし米軍は、これらとは全く異なる人事システムを持っている。

米軍では、現役軍人が昇る最高位は少将だ。
現役軍人である限り、固定的な階級として少将以上に就くことはない。
一方で、軍事作戦が展開される時、アメリカ軍は一軍の将である少将を束ね、効率的に軍事組織を運用するためにこれら少将の中から、特に中将、必要に応じて大将を任命する。
つまり、平時は少将を務めている者の中から、その戦闘にもっとも適した専門知識とキャリア、戦闘経験を持つものを特に中将や大将に任命し、そしてその他の少将をその指揮下におさめ、ミッションを遂行させるという仕組みだ。
世界中の軍隊や自衛隊のように、固定的に最高責任者が決まるのではなく、あくまでも目的に応じて最高指揮官を決定する仕組みが取られている。

これを会社組織に例えれば、出世の上限は平取(取締役)までであり、皆が現場部長職を兼任する。
しかしながら新たなミッション、例えば新製品を開発する本格的なプロジェクトを立ち上げるとなった時、開発部門、営業部門、経理部門、財務部門、製造部門の担当取締役をプロジェクトメンバーとし、その中からもっとも適した取締役を、役員会において正式に時限付き常務取締役に昇進させる、という具合である。

そのミッションがユーザーからの要望メインで行われるものであれば、営業担当取締役が常務取締役に選ばれ他の4取締役を部下とし、指揮下に組み込む。
社運をかけた新製品の開発であれば、開発部門の取締役を昇進させる、と言った人選だ。

そしてミッションが終わればまた常務取締役の任を解かれ、平取に戻り、別のプロジェクトでは別の役員の指揮下に入る。

米軍はこのようにして、ミッションごとにもっとも適任である将軍(提督)を責任者に据えることで、決して特定の「偉い人」という不効率な存在を作らない。
もしそんなことをしてしまうと、どれほど優秀な軍人であっても作戦の「癖」が出て容易に出方を読まれてしまい、また個人の思い込みや偏見、あるいは経験則などに囚われた、「偉い人のやり方」で、いつも、どのような仕事も、どんな目的のミッションであっても、進められてしまうことになるからだ。

どれほど優秀な人間であっても、絶対に向き不向きはあり、全ての局面に適したリーダーなどいないことを考えると、この考え方は極めて合理的だ。
一度役職を固定させてしまうと、軍隊という組織の性質上、上位者の命令は間違っていても覆し難い。

一方で、例え後輩であっても年下であっても、適任者を役職上の上位者にしてしまい、さらにその権限の表裏一体である責任も追わせることで強い緊張感を生み出し、先輩だから言うことを聞く、かつての上司だから言うことを聞かざるを得ない、という状況を発生させない。
万が一、そんな理由で「部下」である少将の言うことを聞き入れ、さらにミッションに失敗することがあれば、そんな「常務取締役」は退役に追い込まれるだけである

これを別の表現で言えば、軍事作戦という、合理性を徹底的に追求しなければならない組織においては、特定個人の「手垢」を組織に絶対に付けさせない、という考え方であるとも言える。
常に合理的な観点から物事を追求するためには、特定の人間の意向や考え方に過度に影響を受け、組織が間違った判断をする事態を避けなければならないということであり、「属人性の排除」を徹底していると言えるだろう。

なおこのような人事の仕組みは、残念ながら我が国の自衛隊には存在しないが、一方で「幹部自衛官」と呼ばれる自衛官は、通常2年以上、同じポストに居続けることはない。
早ければ1年以下、長くとも3年以内に異動になり、次々とポストを入れ替えて仕事をするが、これは自衛官個人がどれほど優秀であっても、その組織に、一人の自衛官の「手垢」を付けさせないためだ。

特定個人の指揮官を同じ部隊で長く指揮を執らせると、その部隊は多かれ少なかれその指揮官の色に染まり始め、場合によっては指揮官独自のルールまで生まれ、合理性からは程遠いことになる。
指揮官が長年同じポストにいれば、部下とも悪い意味で人間関係が生まれ、緊張感は緩み、上も下も完全にぬるま湯に浸った組織に成り果ててしまう。

指揮官が2年ごと、早ければ1年で交代する組織は大変だ。
まず人間関係を作るところから始まり、状況報告の作業を毎回行い、そして改革するべき点について指導を仰ぐ。
新任指揮官も、当然だがそのまま組織を引き継いで何ら組織改革を行わないようであれば、自身の人事考課がマイナスになるので必至だ。
短い期間で目に見える成果をあげようと能力をフル回転させ職務に励み、その指示を受ける部下もまたフル回転と緊張感の中で、常に組織は破壊と再建を繰り返しながら運用されることになる。

そして指揮官が、やれることはだいたいやれたかな、と思い始めるようなちょうど2年が経つ頃、無情にもその指揮官は異動になり、新しい指揮官が来るわけだ。

短期的に利益を上げることも求められる企業の効率性とはまた違った価値観であるのは間違いないが、とは言え長期的に見て、常に組織を不安定な状態に追い込み決して安定させず、もって緊張感の中で環境に適応させようとする考え方としては非常に参考になることが多い。

ミッション単位で考えた場合では、指揮官の入れ替え制度というものは自衛隊に備わっていないものの、そこに至る幹部自衛官の緊張感の維持と組織の破壊性、あるいは流動性確保という意味では効果的な制度が運用されていると言えるだろう。
企業経営の中でも、そのエッセンスを取り入れてみる価値は十分あるといえるのではないだろうか。

 

「弱いほど強い」日本人から学ぶこと

このような事を理解し、なおかつある程度機能するような組織を作り上げてもなお、日本人的な組織は弱い。
正確には、劣勢に陥り弱い立場にあり、組織が存亡の危機に立たされている時には強いが、優位な立場にあり、肌感覚でわかるほどの危機がない場合は極めて弱いという変な特徴がある。
日本は近代において、日清戦争においては当時東洋最強と言われた清国(中国)に完全に勝利し、それに続く日露戦争でも、世界最強と言われていたロシア相手に辛くも勝ちを拾うことができた。
おそらくその事実だけは、歴史の教科書にも載っているので単語として記憶し、知っている人も多いはずだ。

一方で、なぜそのような勝ち目のない戦争を勝ち続けることができたのか、ということを合理的な観点から調べると、参考になることが非常に多い。

日清戦争の場合。
この戦争の帰趨を決めた大きな戦いは1894年(明治27年)9月に戦われた黄海海戦であったが、この海戦では、日本はまともな軍事組織の構築に着手してからまだわずか20年程度。
明治維新から30年も経っておらず、まともな国家予算すら無い国がいきなり世界の大国と戦争をしようというのだから相当な無茶だ。
現にこの時、清国(中国)軍には世界最高水準の戦艦が2隻、強い防御力を持つ装甲巡洋艦が2隻、敵の攻撃を凌ぐある程度の防御機能を持つ防護巡洋艦が3隻、巡洋艦が3隻という戦力があった。
それに対し、日本海軍が保有し直接戦力になる艦と言えば防護巡洋艦8隻のみ。

なお軍事に詳しくない人であれば通常、軍用艦であれば全て戦艦と呼んで、詳しい違いはわからないのではないだろうか。
そのため少し解説するが、この時代の「戦艦」という言葉は軍用艦のクラスを表す言葉だ。
すなわち、敵艦を一発で沈める強力な主砲を備え、自らはその強力な主砲をまともに食らっても戦い続ける強力な装甲を持つ強力かつ巨大な軍用艦、それが戦艦と呼ばれる艦種だ。
次いで強いのは、主砲の威力は戦艦ほどではないが、防御力は戦艦並みに強く、多少の攻撃を食らっても沈まない装甲巡洋艦。
その次に強いのが、ある程度の防御力を備え、ほどほどの攻撃力を持つ防護巡洋艦。
そしてその下が通常の巡洋艦だ。

改めて比較すると、この黄海海戦を戦うべく黄海の海に集結した中国側の戦力は、
戦艦2 装甲巡洋艦2 防護巡洋艦3 巡洋艦3

それに対し日本軍は、
戦艦0 装甲巡洋艦0 防護巡洋艦8 巡洋艦0

である。

更に付言すると、防護巡洋艦の主砲では中国軍の、当時世界最高水準にあった戦艦2隻には何発まともに砲弾を命中させても、撃沈することは絶対にできない。

このような前提で、もしあなたが日本海軍の司令長官であり、この戦力で清国軍を撃破しろと命じられたらどのように戦うだろうか。

もちろん「できません」という回答はありえない。
すでに戦争は始まっており、日本の主力はこの8隻のみである。
この戦力で戦い勝てないのであれば、日本は敗戦し植民地化され国家は失われるだけだ。

その後には、多くの国々がそうなったように、日本は中国の一部としてあの五星紅旗(中国の国旗)の、漢民族を表す大きな☆の周辺にある、小さな☆の一つになっていたであろう。
その際には六星紅旗という、別の歴史になっていた。

この際、日本海軍が必死に考え結論を得ようとした手法は、ある意味で経営者のマッピングと同じである。
すなわち日本の戦力は何が強く何が弱いのか。
中国の戦力は何に強く何に弱いのか。

その結果は明らかであり、日本が中国に勝っていたのは艦隊全体の速度だけである。
つまり、軽量級ボクサーがヘビー級ボクサーに比べフットワークが軽いということを改めて確認しただけであって、スピードで翻弄し相手の主砲を喰らわないようにして相手にたくさんのパンチを叩き込むという戦い方を何とかして形にすれば勝てる、という結論だけだ。

なおかつこの時、世界の軍事常識では、海戦の帰趨を決めるものは戦艦の主砲であり、遠距離から強力な主砲を撃ち込む事が可能な戦艦は、敵の全ての戦力をノーダメージで駆逐すると信じられていた時代である。
しかし日本に戦艦はない以上、非常識な戦い方を考えざるを得ない。

そこで日本は、足だけは早いこの防護駆逐艦に、非常識とも言える速射砲、すなわち威力は弱いが砲弾を撃ち出す速度だけは早い主砲を装備させ、軽いパンチを相手に対し無限に叩き込む戦い方を考案する。

しかし、ジャブはしょせんジャブである。
何発撃ち込んでも敵をKOすることはできないはずだ。
にも関わらず、日本はこの戦い方に活路を求め、黄海海戦に臨んだ。

そして結論から言うと、日本はこの戦いに大勝し、
中国軍の主力戦艦は、セオリー通り2隻とも撃沈できなかった。

いったい何が起こったのか。
日本海軍の無数の砲弾は中国軍の主力戦艦を撃沈することはできなかったが、いくら威力が軽いと言っても実弾が無数に艦に叩き込まれてくるのである。
艦上構築物(艦の上にある設備や艦橋など)はめちゃめちゃに破壊され、艦上にいる中国海軍の軍人は次々に死傷し、主砲は破壊されもしくは砲手は命を落とし、すぐにその機能を失った。

日本海軍は海戦が始まると、中国軍の主力を目掛け高速でその間合いに一気に突進し、至近距離まで肉薄して、威力の軽い砲弾を次々とその艦上に叩き込んだわけだ。
確かに、防御力に優れた戦艦を沈めることが不可能なことに間違いないが、艦上構築物を全て破壊された戦艦など、撃沈できないだけで浮いているに過ぎないだけの、無力な存在である。

なおこの時、中国軍主力戦艦2隻のうちの1隻であった定遠が受けた直撃弾は、記録されているだけで実に159発。
操艦も可能で戦場を離脱する航行能力も残されていたが、艦橋が破壊されもはや戦闘は続行不可能と判断されたことで、戦場から離脱し、主力艦でありながら最前線から早々に離脱している。

別の主力戦艦であった鎮遠も、このメチャメチャでデタラメな攻撃を喰らい続け、同様に逃亡するが、操艦を誤りほどなくして座礁し無力化。
残された中国海軍の艦船も同様に日本軍の非常識な攻撃の前に、防御装甲を持たない、あるいは十分でない艦5隻は遂に撃沈される。
そして日本海軍の沈没艦は0であった。

この戦いは、遠方から敵を1発で確実に仕留めることが出来るライフル銃を持った相手に、果物ナイフで戦いを挑んだと言っても良い無茶な戦い方であろう。
相手に向かって叫びながら突進する間に1発打たれれば即死。
なおかつ、相手の懐に飛び込んで果物ナイフを振り回しても敵を仕留められるものではない。

理論上合理的な作戦ではありそうだが非常識極まりなく、死を覚悟し、絶対に成功させる強い意志を持たなければ遂行不可能な作戦であったが、それをやり遂げた。

具体的なエピソードは異なるが、日露戦争においても、圧倒的な劣勢にあった日本軍は非常識で世界に類がない戦い方を選び、陸でも海でも勝利してロシアを撃破した。
いわば日本は、知恵を絞り、どうしようもない条件の中で敵に勝つためにはどうすればいいのか、という命題に命をかけて取り組み、そして勝利を手にし続けたと言えるだろう。

劣勢であればあるほど非常識な強みを発揮したわけだが、そう思うとどのように追い詰められ、あるいは勝てそうにない状況に追い込まれたとしても、冷静で客観的な観点から合理的な思考能力を維持する限り、出来ないことなど世の中にそうそう無いという事実に気が付かされ、勇気づけられる。

これはもちろん、企業経営にも通じるであろう。
自社の強みは何であるのか。
あるいは何であればできるのか。
これは競合企業との戦いだけではなく、1対1の接客の場合でも同じことだ。

すなわち、顧客の求める要望に自社のコストやクオリティでは応えることができないことが明らかな時、断るのはいとも容易い。
しかし、顧客が口に出して要求する要望など極めて表面的なことばかりであり、本当のニーズは別にあるものだ。
その時顧客に対し、「お聞きした要望を全て満たすことは出来ませんが、お客様の満たしたいプライオリティをお聞かせ下さい」と話しかけ、プライオリティにそった再提案をすれば、少なくとも勝負になる事はありえるだろう。

商売とはモノやサービスを売ることではなく、顧客の役に立つという商行為であって、その結果としてモノやサービスが移動し、対価として現金を受け取るという現象が発生するだけだ。

このような当たり前の「目的的な意識」を持っていた日本海軍は、「敵を沈めること」ではなく、「敵を無力化すること」が本当の目的であることに気が付き、上記のような作戦を実行し結果を得たわけだが、弱者ほど形にこだわらず、本当の目的に気が付きやすい。

明治時代の「弱小」日本海軍にはこのような強さがあり、日本人的な強さを今日に伝えてくれている。

 

経営者たる資格

さて、このように困った性質を持つ日本人組織だ。
組織が上手くいき安定している時にはどうしようもない烏合の衆に成り果てるが、いったん危機を迎えその生存すら危ぶまれる状況になった時には、極めてクリエイティブ、かつ非常識とも言える新しい戦い方を発見し、世界を驚かせる。
この性質は間違いなく、大きな組織でも小さな組織でも、それどころか経営者個人の性質にも見られるものだ。
それでは経営者は、このような組織と自らをどのように統率し、環境の変化に応じて生き残り続ける仕組みを作るべきなのであろうか。

突然の余談だが、私の旧知の経営者は、会社に内部留保が溜まり始めると「やる気が無くなり勘が全く働かなくなった」という経験から、常に内部留保を持たずに現預金を吐き出し続け、個人でも身の丈に余る住宅ローンを組み、それも返済し終わると今度は家1件が買えるような高級車をローンで購入するというかなり無茶な生活をしている。
これは贅沢が目的と言うわけではなく、その経営者いわく、「常に余裕のない状態にしないと経営者として頭が鈍る」ということであったが、正直クレイジーにも思える。

しかしその経営者の会社は常に増収を続けており、そのような事情で利益こそほとんど無いものの、会社と個人の借入残高は大きくなる一方だ。
これほどまでに、ただでさえ経営者というリスクを背負って生きていてなお、居心地の良い環境に甘んじると直ちに居場所を失うことになる現実。
そしてそれを知り尽くしているからこそ、自らを物理的に追い込むクレイジーな経営者。

それを経営者ではない一般従業員を含む組織にどのように浸透させるのか。
もちろん、実績に応じた給与制度の導入など極めて無意味で浅はかな考えだ。
そもそも、そんな給与制度で活躍できるような人材は人の下で働かず、自ら会社を興すに決まっている。

人の下で働くことを選び、一定の安定と一定の収入を約束された環境で力を発揮できる人材には、リスクとリターンのバランスがとれた評価制度で成果に報いる必要があり、その状況は永続的ではないという緊張感を発生させなければならないということだ。

ではそのためにはどうすればいいのか、という答えは極めて難しい。

ちなみに先述の経営者は、高級車のローンを完済し終えるとすぐにその車を売り飛ばし、次にはカスタム費用だけで新車2台分になるハイエンドのプリウスを新たに購入していた。
経営者自らもどうすればいいのか悩んでいる中での意味不明な行動にも思えるが、どこか憎めない。

結局のところ、大きな組織にも小さな組織にも通じる万能の処方箋などあり得ない。
もしそんなものが存在し実証されていれば、おそらくノーベル賞ものの大発明であろう。
そしてそれはこの先も、断言してもいいが絶対に見つかることはない。
もちろんこのコラムをどれだけ真剣に読んで頂いても、その答えはこの後の段落にも書いていない。

その一方で、もしその答えに近いものがあるとすれば、それは経営者自らが常に追い込まれている状態にあることだと考えている。
この場合で言う追い込まれた状態とは、余裕を失いパニックになり、現金も使い果たし、頭を抱えている経営者の姿を見せるということではない。
先述の変わり者の経営者のように、経営者自らが生き残るために、必死になり勘を働かせている状態で居続けることだ。

そもそも、一般従業員には大変失礼な話だが、経営者以外の従業員は会社の経営状況など知るはずがない。
仮に全ての財務諸表を勘定明細付きでオープンにしたところで、その意味を理解できる社員など100人のうち5人いれば良い方であろう。

では従業員は会社の「風」をどこで感じるのか。
それは間違いなく経営者の態度であり、会議の際に何につっこみ、どのような事を問題視するのかという姿勢そのものだ。

経営者が毎日遊び歩き酒を飲み、朝は赤ら顔で酒臭い息を撒きながら出社してくる様な会社は、間違いなく従業員の士気が緩む。
経営の実態にかかわらず、自社の今の状況が永続的に安定し、自分の今の生活が良くならなければ不満を感じるだけであり、悪くなることなど夢にも思わないであろう。
そして上手く行きかけた会社はたちまち烏合の衆に成り下がり、内部留保は瞬く間に溶け、会社は一気に崩壊に向かう。

突然だが、ここで一つ自衛隊のリーダーシップ論をご紹介したい。

軍隊組織は一般に、組織層が3つに分かれている。
すなわち、士官、下士官、兵だ。

このうち兵は、一般に20代以下の若者だけで構成されており、徴兵制のある国では若者が数年の兵役で勤めを果すことでその要員を確保する。
自衛隊の場合、2年もしくは3年の任期付きで自衛官に採用し、必要に応じて雇用期間を延長することもあるが、一般に30歳を迎える頃までに下士官(陸曹、海曹、空曹)に昇進できなければ雇用は継続されない。

下士官は世界中でそうであるように、自衛隊でも、50歳くらいまでは「正社員」として働き続けることができ、一般にほとんど転勤もなく、職人としてその基地、その兵科のスペシャリストとして働き続ける。

そして士官だ。
この階級は一般に少尉以上の階級をさし、軍事大学(自衛隊の場合、防衛大学校)を出た若者が20代そこそこで少尉に任官され、その後、中尉、大尉、少佐、中佐、大佐、少将、中将、大将と階級を駆け上がっていく。

もちろん少尉であっても、10年務めた兵よりも何階級も上であり、50歳で自分の父親の様な年齢のオジサンが、防衛大学校を卒業し、幹部学校を経て現場に出た途端に、部下に付くことがある。

23歳そこそこの若者が突然50歳前後のおじさんたちを含む経験豊かなベテランたちを部下に持ち、陸上自衛隊の場合、50人前後の小隊を預かることもあるわけだが、当然のことながら統率に苦労するのは目に見えているだろう。
まして軍事組織は緊張感を緩めるわけにはいかない。
年齢など関係なく、隊長である若者自らがもっとも強い緊張感の下で部隊を指揮しなければ、組織がまともに機能するはずも無いからだ。

ではこのような組織を任された若者は、どのように部下を統率するのだろうか。

一つの事例だが、防衛大学校を卒業し幹部教育を受け部隊に配属された若者が小隊に配属されると、食事の際に部下を差し置いて自らが先に箸を手に持つことはない。
部下の全員が揃い、全員が食事を摂れる状況が整ったことを確認する前にメシを食い始めるような隊長など在りえないからだ。

同様に、真夏の炎天下の下で行われた演習において、想定が終わり(演習が終了し)、部下が地面に腰を下ろし水筒の水に口をつけているときも、新任の隊長は決して腰を下ろしたりはせず、水筒の水を部下の前で飲むようなこともほとんどない。
なぜなら、自らが携行している水筒は部下のための非常用の水であり、自分の存在は、部下が十二分に働くためだけに存在していることを強く自覚しているからだ。

当然のことながら、部下が腰を下ろし休養している最中は、部下の疲労度や回復具合、この後どこまで演習を継続できるかといった戦力分析を行う時間であって、自分も腰を下ろし休む時間であるなどという考えを持っている者も皆無だ。

そのようにしてストイックに自らを追い込み、その職責に応じた役割と危機感を見せることによってのみ、50歳の部下はこの23歳そこそこの若者を、「ちょっと応援してみるか」という気持ちになり、上司として認める。
馴れ馴れしくニヤニヤしながら近寄って来た上に、「いやー、今日の演習はキツかったですねえ~」などと言いながら一緒に水を飲むような若者であれば、舐められネチネチ苛められるのがオチであろう。

会社組織も同様で、経営者自らが危機感を持ち、自分の存在は会社と組織のためにあるということを体を張って見せつけること以上に、部下の緊張感を維持する方法は皆無だ。
どれほど優秀なコンサルタントを雇い、MBO(目標管理制度)などで部下を奮い立たせても、経営者自らが間の抜けた態度で、毎日遊び歩いているようであれば機能するはずもないのが現実だ。

結局のところ、「組織の創造的破壊」という考え方が会社の存続を担保する魅力的な選択肢であることは間違いないが、その原動力になるのは経営者がどれだけ緊張感を持ち、会社と組織のために一番貢献しているのかを、言葉ではなく態度で示すこと。
様々なテクニックはその前提があるから機能するのであって、その前提が無ければ何をしても絶対に機能しない。

あっけないようで恐縮だが、会社を潰さないために経営者がまずするべきことは、経営者自らが自分のスタイルを、創造的に破壊し続けることであるといえるだろう。

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1973年生まれ。とある企業の経営者。 大手証券会社からキャリアをスタートし、広告代理店やメーカーなどを経験する。 CEOを2社、CFOを3社ほど経験し、現在はマーケティングと人材開発を主なサービスとした企業を経営している。