とあるベンチャーがたどったExit戦略と、CFOとしての軌跡

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前回の記事、「6ヶ月後に会社が潰れるのが確実になった時、ベンチャー企業のCFOがやるべきこと」はソーシャル上で4000以上の「いいね!」、Newspicksでは700を超えるPick、はてなブックマークでは600以上のブックマークをいただき、多くの好評をいただきました。

▶︎「6ヶ月後に会社が潰れるのが確実になった時、ベンチャー企業のCFOがやるべきこと」

今回は、前回会社を存続させるために奔走したCFOのその後をお届けします。
前回にも増して緊迫する状況の中、法的整理やM&Aも視野に入れた会社の最後の意思決定。そしてとあるCFOが辿り着いた結末をご覧ください。

INDEX
■「6ヶ月前」までの奔走
■潰すのか手放すのか
■生き残りを強く決意する
■M&Aという手段
■CFOの限界と責任感
■敗戦後の出来事

 

■「6ヶ月前」までの奔走

前回「6ヶ月後に会社が潰れるのが確実になった時、ベンチャー企業のCFOがやるべきこと」と題し、営業CF(キャッシュフロー)の段階でから赤字を垂れ流し、このままでは会社が6ヶ月もたない状況に陥った際に、CFOの立場で採った施策をお話させてもらった。

ざっとまとめると、

・全部門の生産性や社員の勤務態様、エネルギー政策などを全て数字で可視化し、具体的な再建策を策定・役員や幹部社員の不適任者を大幅に更迭

・会社の状況をステークホルダーに開示し再建策を示した上で、増資による資金調達の協力依頼

といったところだ。

言葉にすると3行だが、この過程で会社は大きく混乱し、一部の役員は怒りに任せて役員会を飛び出し、そのまま戻らなかったことは既述のとおりだ。

地方の安定成長していた会社が第二の創業として始めたベンチャービジネス。

既存の優良事業と関連する、必然性の高い分野への取り組みだったが、工場の建設と用地取得、労務費の固定化によって財務状況が大きく悪化し、優良事業の黒字を全部食い潰す状況だった。

毎月の現金の流出状況を考えると、一刻も早く出血を止めなければ会社が潰れるのは算数の得意な小学生でも想像がつく。
そんな中でCEOに進言し、時には本来の意図を隠して取り組んだ会社の再建策だった。

結果として、役員・幹部のリストラはやり遂げられたものの、既存のステークホルダーからの援助としては、業界の雄である一部上場企業の取引先から僅かな支援を受けられたに留まり、十分な立て直しのための“輸血”は限定的になってしまった。

ここまでは前回の内容だが、そのような中で、経営管理の強化を着実に実行し、大幅な経費削減を実現するものの、営業の数字は相変わらず一向に伸びない状況が続く。

工場の損益分岐点ははるか雲の上のまま虚しく時間は過ぎ去っていく。

どれだけ経費を削減しようとも、生産体制にある工場には削減不可能な人員がおり、人件費や水道光熱費、輸送費、維持管理費が必要になる。

工場の稼働率は低くとも、借入金返済やリース支払いは重くのしかかる。

CFOは会社にとって多くのことで貢献できるが、営業の現場に立って数字を作ることはできない。

もちろんステークホルダーから顧客候補を紹介してもらうなどで側面支援し、営業に同行することはできるが、売上を直接稼ぎ、会社に貢献することはできなかった。

結果として、実行した会社再建策は、やや延命期間が伸びただけで苦しみの時間が長く続くという精神的に非常に厳しいものになった。

結局、このままでは会社は3ヶ月しか現金がもたないという状況にまで追い込まれることになった。

■潰すのか手放すのか

パートやアルバイトを含めれば700人を越える会社だ。
売上高50億円規模の会社は3ヶ月間の施策で劇的に数字が改善できるものではない。
新規売上を獲得できず損益分岐点を越える見込みが立たない以上、追加融資やさらなる出資を募ることは非現実的だった。

この段階に至って考えられる施策は2つ。法的整理の準備に入るか、売れるものなら会社を身売りするかだ。

もちろんM&Aは3ヶ月で話がまとまるようなものではないが、一連の経営危機に陥ってから、最後の手段として水面下でM&Aの準備に入っており、仲介事業者からは候補先の打診も受けていた。
その為CEOには、万が一の際の準備として会社を身売りすることも決断して貰うことを話しながらの再建策だったが、残念ながらその選択肢が現実的になってきた。

しかし、やはり30年以上経営してきた会社だ。
この段階に至ってもCEOはもう少し頑張りたいと主張し、身売りの選択肢は残しつつも営業に注力し会社を再建する方針にこだわった。
不足することが確実なキャッシュについては、融手(融通手形)や知り合いの経営者からの借入で賄う考えを持っていた。

約束手形には縁がないCFOも多いかもしれないが、融通手形とは商取引の裏付けがない手形を意味する。
通常約束手形は、売掛債権の入金まで買掛債権の支払いを繰り延べしたい場合に発行するもので、例えば90日後に売掛金の入金が見込める売上の場合に、該当する買掛金の支払いを100日後に現金化できる手形で支払うものだ。

通常このように使う約束手形を、商取引の裏付けがない形で発行することは極めて不適切な行為と言える。
手形を決済するあてがないのにそんなことをすれば、経営の意図によっては刑事事件になる可能性もあり、CFOとして選択肢に入ってくるものではなく、賛成できるわけがない。

しかし一方で、これが創業者CEOだと思った。

良く言えば会社を背負っているとも言えるが、悪く言えば会社は自分という存在そのものであり、強い執着心故に手放すことなど絶対にできない。

創業者CEOだけは、いい意味でも悪い意味でもその他大勢の社員・役員とは全く違う世界に生きていることを改めて思い知った。

今更ながらこの社長には、最初から身売り話に素直に耳を傾ける意志など無かったことを知ることになり、暗澹たる思いがしたが、トップが下した意志の中で最善の方法を探すのもまた、CFOの仕事だ。
というより、既にその時は多くの役員を解任し、役員はCEOと私に加え1名の外部役員が居るのみになっていたので、むしろNo.2として会社と社長を支えなければならなかった。

小手先の融手や友人付き合いの経営者からの借入で数ヶ月延命できてもどうにかなる状況ではない。

やや言葉を選ばず乱暴な言い方をすれば、それくらい営業は営業の仕事をしておらず、ハコモノを欲しがる会社がいてくれるのであれば会社を売るべき状況だった。

しかし筆頭株主であるCEOの持株比率は70%を超えており、トップが決断しなければ現実的に強制力を持ってできることは何もない。

ここでCEOがこだわっていたのは、大赤字のベンチャービジネス事業だった。

このビジネスは多くのVC(ベンチャーキャピタル)やメーカーなどから出資を受けることができ、日刊紙に何度も取り上げられていた事業だったので、第2の創業を成功させる事にこだわり、IPOの成功まで漕ぎ着けたいという強い意志を持っていた。

その為、大赤字のハコモノ処分を兼ねて会社を身売りする事に強い抵抗があったわけだが、この状況に至り、私もCEOの意志を叶える為に出来ることを考え、そして一つの方法を思いついた。

それは、創業以来会社を支えていた優良事業を売却し、数千万円ではなく数億円、場合によっては10億を超える売却代金を調達し、本格的にベンチャー事業の立て直しを図ろうとするものだ。

いま、この記事を書いている日は、原子力事業で巨額の赤字を出した東芝が、会社再建のために虎の子である半導体事業を売却する方針を株主総会で承認を受けた日だ。
当時私が建てた方法もまさにそういう施策であったが、優良事業を分社化し売却して、大赤字のベンチャー事業を強い意志で立て直そうというものだった。

実現の可否はともかく、この方針の受け入れ可否について代表に意見を求めると、二つ返事ですぐに進めるよう同意を得た。

同時に私から、「下準備は出来ているものの、M&Aの完了まで6ヶ月は考える必要があるので、個人的借入も含め、手段を選ばない延命策は同時並行で進めてほしい」と伝え、併せて了解を得た。

やっとCEOと、本当の意思疎通ができた気がした。

■生き残りを強く決意する

CEOにとっても恐らく、意志を汲み取り支えて欲しかったであろう私に、やっと自分の思いが通じたと感じたのであろう。

水面下で進めていたM&Aの準備は、CEOと私にとっては正式な経営方針になり、迅速に話を進めるよう催促されるまでになった。

この時、分社化の対象になった事業はざっと40億円ほどの年商があり、経常利益ベースで1億円程度を計上していた。
薄利だがよほどマネジメントに失敗しない限り確実に利益が出せる事業体で、安定性も極めて高かった。

この会社を分社化し、年商10億円程度の会社の子会社にする。
おかしな話と思われるかもしれないが、CEOはこの生き残り策を選んだ。

方針が決まったからには私も無茶を承知で腹をくくる必要がある。
ベンチャービジネスの運転資金の毎月の欠損は、1億円の売上に対して約2000万円。借入金返済やほとんど機能していない設備のリース支払いが重かったが、イレギュラーな支出を含めれば年間3億円は考える必要がある。

営業体制を根本的に見直し、1年間はこの状況が続く中でも生き残れることを考えれば、6億円は調達したいと考えた。

業種にもよるだろうが、未上場の企業がもつ経常利益1億円のビジネスの売却に6億円の価値はまず認められないのが常識だが、必要なものは仕方がない。

方針をまとめることが出来たので、迅速に動きを開始した。

同時に、にわかに前向きな希望を持つことができたCEOは営業にはっぱを掛け、自らも以前のように営業の最前線に出ていくようになり、少しだけ社内の空気が明るくなった。

やはり、資金繰りに苦しみ金策ばかりを考えている経営者の顔色は社内に伝播する。
逆もまたしかりだ。

今更のことだが、CFOはCEOに対して金の心配をさせてはいけないのだということを強く思い知った。
CEOが金の心配を始めると明るく前向きな事業を語ることができず、従業員に夢を見させることができない。
CEOに元気がないと、その顔色を見ている従業員の活気も失われる。

指揮官にも、足を銃で撃たれても顔色一つ変えない心と意思の強さが必要かもしれないが、CFOはそれに甘えてはいけない。
私自身手を抜いたり、何かをサボったりしたという思いはないが、ただ結果として、CEOに金の心配をさせていたのは事実だ。

急に元気を取り戻し動きが良くなったCEOを見て、この状況になるまでに、他に何か出来ることは無かったのかと改めて自身の力不足と、CEOのような強さを持っていない自分に不甲斐なさを感じた。

CEOは、生き残るために必死になることを強く決意した。
私もそのCEOを必死になって支えなくてはならない。

■M&Aという手段

M&Aの準備交渉が始まった。
この段階ではまず、M&Aの仲介事業者と仲介条件を話し合い決定する。
水面下で動いていたので、仲介事業者はすでに、購入を強く希望している企業に当たりをつけていた。

予備段階で伝えていたような、会社全体ではなく優良事業の売却のみだったが、話が違うと問題になることはなかった。
やはり本当に欲しいのは安定性の高い優良事業の方で、どう転ぶかわからないハコモノ大赤字は要らなかったのだということ、ウチのCEOが変わり者であることを改めて思った。

この時に話を進めていた仲介事業者は3社。

A社が打診してきたのは、広い意味では同業他社だが元々は異業種で大きくなった会社で、売却後にベンチャービジネスとの相乗効果が期待できる相手ではなかった。

B社が打診してきたのは同業の一部上場企業で大手の会社だ。経営者の人となりもよく知られており、よくぞこの会社を連れてきてくれたと内心感謝の気持ちでイッパイだったが、もちろん嬉しい気持ちを顔色に出す訳にはいかない。

C社が打診してきたのは同業他社で未上場だが大手だった。

3社3様だが、購入に関心を持ってくれる会社が3社も集まってくれた初期条件は極めて良い。

しかしこの予備段階で少しトラブルがあった。
最初に具体的な話しを持ってきたのはA社だったが、この時、私が不在の時にCEOと掛け合い、専任仲介を要求していた。

「専任仲介でないと紹介できない」という、足元を見た発言まであった。

M&Aを経験したCFOならあるいは同様の要求をされたことがあるかもしれないが、多くのM&A仲介事業者は骨折り損を嫌い専任仲介、即ち他の仲介業者と同時並行で話を進めない約束を盛り込もうとする。
それが業界で良くある要求であることは、大手証券会社出身である私は良く知っていたが、お行儀よく応じる義務も必要もない。

この段階で、会社の利益以上に優先することなど何も無い。

私は内心、上手く行かなければ責任問題モノだと覚悟しながらも、
「専任仲介にはしない。M&Aはビット(入札)で行う。仲介できないと言うなら降りて頂いて結構だ」
と突き放した。

正直手を引かれることを心から恐れていたが、結果としてA社は、「先方からOKが出た」という口実でビットに同意した。

せっかく3社が興味を持ってくれているのに専任仲介にすれば、交渉相手は1社になる。
当然のことながらそれでは、絶対に、そしてすぐに事業を売却しなければ会社が潰れる弱い立場である自社が主導権をもって条件交渉できるわけがない。

もちろん、ただでさえ無茶な6億円もの条件を引っ張り出せるわけがない。
一方でビットにすれば、交渉段階から直接の売却代金はもちろん、事後のビジネスアライアンスなどで有利な契約をオプションで付けられる可能性も出てくる。

絶対に売りたいという自社の立ち位置と、絶対に買いたいという購入側の立ち位置を対等にすることがこの段階での必須条件だ。

最初の関門は突破した。

第2関門は最低入札価格だ。
ここはストレートに最低6億円を条件に交渉に入り、同意できる場合のみデューデリジェンス(事業価値の調査・精査)の段階に進むと、強気で伝達した。

ここでも、3社とも手を引いてもおかしくない状況だったが、C社の仲介先のみが降りて、A社とB社の仲介先は残った。
具体的な条件交渉の段階まで、「絶対に購入したい」という会社が2社残ってくれた。

これ以上はない大成功だ。

このような段階を経てM&Aの交渉を進めていったが、自社内ではその間、会社の分社化も行わなくてはならない。
そうなると、本来は話がまとまるまで株主やステークホルダーには内緒にしておくべき身売り話をディスクローズする必要がある。
さすがに、取り繕った理由で売上高50億円の会社から、40億円の事業を切り出し分社化するような行為を説明できない。

1人、1社と丁寧に説明して回ったが、大手VCや一部上場のメーカー、金融機関系投資会社など様々な株主のいる会社だったこともあり、それぞれの利害と思惑から時に交渉は難航した。

しかしながら、最終的には複数の株主から、話がまとまった後に一定条件で株式の買い戻しをする(株主から降りる)ことで全株主の理解を得られ、分社化の手続きは穏便に進めることができた。

後は6億円にどれだけ上乗せが出来るか、CFOとしての交渉の腕の見せ所だ。

■CFOの限界と責任感

交渉にはほとんどの場合、私が1人であたることになった。
当時まだ30代前半だった若さを考えると、なぜ上場企業や、業界では名を知られた大企業の経営者や交渉チームを相手にあれほど渡り合えたのか我ながら不思議に思うが、追い詰められた人間の強さというのはそういうものなのだろう。

A社の仲介先a社とは価値観が合わず、なかなかうまく話が進まなかったものの、B社の仲介先b社とは、同業他社であるということもあり、またベンチャー事業である本体にも一定程度の興味を持ってくれたことから非常にスムーズに話が進んだ。

生産能力が余って大赤字を垂れ流している事情もb社はよく知っていたが、同じベンチャービジネスへの参入を検討している最中だったこともあって、「本体へも一定程度出資し、一緒にビジネスを進めていきたい」という条件も引き出すことができた。

もはやb社は完全に味方に取り込み、「この会社を絶対に欲しい」と強く思ってもらうことができた確信を持った。

自社としても、「手を組むならここしかない」という腹の底の本音もあったので相思相愛だと思っていたが、それを口にするのはまだ早い。
その本音を言って良いのは、契約書に調印が終わった後だ。
自分の顔色と態度で、入札額が1億円変わる可能性がある。

ポーカーフェイスという言葉の意味と、なぜそれが出来る人間が賭け事に強いのかを思い知ることになった交渉期間だった。

そしてデューデリジェンスが終わり、様々な予備交渉を経て、a社とb社から条件の提示が為された。

b社のその内容は『売却する子会社の買取価額を10億円とし、その他、本体への出資交渉を引き続き始めたい』と言う破格のものだった。

仲介業者B社からそれを電話で伝えられた私は、まだ話がまとまったわけでもないのに、不覚にも目頭が熱くなる思いがした。

これで本格的な経営再建ができると、明るい展望が見えたことに、電話を切った後しばらく動くことができなかった。

一方でa社が出してきた条件は、『本体の買取価額は4億円しか用意できないものの、不足する2億円(最低入札額6億に対する不足)分は、本体である親会社に社債で貸し付ける』というものだった。

しかもその社債は転換条項付き社債で、転換額を決めずその時の会社の時価によるとするものだった。

エクイティを少し知っているCFOならよくわかると思うが、こんな転換条項付きの社債はゴミだ。

ゴミというよりも、わかり易い毒まんじゅうと言うべきかもしれない。

2億円分を時価で普通株に転換できるという条件は、「親会社が倒産寸前になることを予見し、時価総額が事実上0円になったところを見計らい、転換権を行使して99.9%株主になることを目論んでいます」と言っているようなものだ。

余りに礼を失した提示にやや怒りを覚えながらも、a社がいなければb社もここまでの条件は出してくれなかったことは明らかだったので、感謝しなければならない。

CEOに両社の条件を取りまとめて報告し、a社が考えているであろう思惑なども噛み砕いて説明したが、当然この2つの条件提示は比較にもならない。

CEOも内容を理解し、b社を選びa社には断りの連絡を入れるよう指示をされた。

私はすぐに仲介事業者A社に断りの連絡を入れ、そしてb社の社長と自社CEOの面会を段取りした。

東京の本社ビルでb社の社長と会ったCEOは非常に上機嫌で、M&Aを正式に実施することを最高経営責任者同士で確認。

事務・契約手続きは先方の専務と私で行うことが合意され、1週間後にはb社の社長が当社を訪問し、その帰りに夜は一席設けられることまで約束がなされた。

「この段階なら言ってもいいだろう。」

そう思った私は先方の交渉責任者であった専務取締役に、立場をわきまえない様々な高飛車の態度を心から詫びて、これから末永いお付き合いになるであろうことに感謝した。

帰りの新幹線の中で、CEOと缶ビールで乾杯した。

しかしここから、思いもよらない展開を迎えることになる。

翌日は土曜日だった。

会社は土曜日も動いているが、私は休みを取っており、その間に会社にa社の社長が乗り込んでいたことをその日の夕方に部下から電話で聞かされた。

骨折り損になったことを抗議にでも来たのかと、随分無駄なことをしに来るものだと軽く考えていたが、そういうことではなかった。

a社の社長もまた、どうしても当社が欲しいという気持ちが本物だったのだ。

そして私は、この時に自分が出社していなかったことを心から悔やむことになる。

翌週の月曜日、出社した私はさっそくCEOから呼び出された。

結論から言うと、開口一番

「すまん、本当にすまん、b社との売却話、断ってきてくれ!」

そうストレートに言われた。

空いた口が塞がらないというより、怒りで言葉が出てこないとでもいおうか。

色々な言葉がノドに一斉に上がってきて全部詰まってしまった状態とでも言うのだろうか。

私は口を開いた奇妙な表情のまま固まってしまった。

何かを言いたいのに言葉にならず固まっている私の顔を見て、CEOは理由を説明し始めた。

確かにb社の条件は魅力だが、a社の社長と土曜日に会って気が変わったこと。

10億円のストックが入金されたところで、フローが改善するわけではないのでまたいつか資金繰りが悪化するのは目に見えているということ。

そんな状況で、a社の社長は、自社であれば多くの仕事を発注でき、仕事を出すことを約束するのでストックではなくフローで数字が改善できる、という申し出があり、ありがたかったこと。

嘘や作り話は一切なく、話も盛っていない。

このタイミングでのちゃぶ台返しの理由を、CEOはこのように語った。

■敗戦後の出来事

正気に返り、私はa社の思惑から考えてそんな空手形を信じることがどうかしていることや、近い将来、本体を乗っ取られる事になることの必然性を必死になって説いたが、もはやCEOは聞く耳を持っていなかった。

それどころか、

「それは疑いすぎと言うものだ」

「物事をうがって考えすぎる、それが君の悪いところだ」

そう説教が始まり、私は思わず掴みかかりそうになる自分を抑えることで精一杯になった。

結局説得は失敗に終わり、私は本当に仲介業者B社を通じてb社に対し、辞退する旨の連絡を入れ、翌日東京に1人でお詫びに行くことになった。

もちろんb社の社長も専務も出迎えてくれず、交渉の際に一度も話をしたことがなかった課長さんが出迎えてくれたが、挨拶にだけ応じてくれて10分で追い出された。

程なくして私は、このままでは近い将来確実に会社を失うことになることをCEOに改めて警告し、身辺整理といろいろなことに感謝を伝え、会社を去った。

最後にせめて、6億円の調達資金のうち、申し出があった既存株主に対して、僅かな額だったが株式の買い戻しまで出来たことは少しばかりの慰めになった。

a社が乗り込んでくることが確実な状況で、世話になった株主の持株比率をほぼ0%にされ、彼らが経営権を握るところは見たくなかった。

私は株主でもあり、その後も部下の多くが連絡をくれたので会社の状況を細かに把握できていたが、私が去って2年後、結局私が予見した通りになった。

会社はa社99.9%保有の子会社になり、見せしめのように、分社化した子会社と親会社を合併させて、元の一つの会社に戻すことまでした。

まるで、4億円で親子とも手に入れたことを見せつけるかのようだったが、正確に言えばa社はこのM&Aで実は結果として1円も出しておらず、タダで会社を手に入れたことになる。

というのも、本体には繰越欠損金が7億円あり、a社が傘下に収めた時はほぼ全額がそのまま残っていたが、a社は会社を傘下に収めると、すぐにa社が持つ稼ぎ頭の事業をこの会社の事業に付け替えた。

繰越欠損金が無くなるまで法人税を収める必要が無いからだろう。
毎年、消し込みが出来る上限程度までこの会社で利益を処分していたようだ。

最初からそこまで見越していたのだろうが、余りの手際の良さは正直私の想像以上だった。

一方で、当時は理解できなかったが、今から思うとあの時、CEOはなぜa社を選んだのか。
少しは理解できるような気がする。

一つには、資金繰りに追われ会社を潰し全てを失うことが極めて現実的となっていた状況に、私が思う以上に、CEOは耐えかねていたということだろう。

この気持だけは、CEOにしかわからない。

CFOと偉そうにいったところで、何の債務保証もしていない。

会社が潰れても、何も失うものなど無いと言ってもいいだろう。

一方で創業者CEOは、会社を潰すことは普通に考えれば生活の基盤も家も、全てを失うことに直結する。

精神的な追い詰められ方が桁違いだったはずだ。

その心理を、”あの土曜日”にa社社長に巧みに見抜かれ、「フローで安定させる」という殺し文句に落ちてしまったのではないだろうか。

もちろんそんな約束が果たされることは無かったのだが、違法性もなければ契約が成立していたことを証明する方法もない。

むしろ、CEOの心理を理解し一番不安であった部分をケアしきれなかった自分の落ち度を思い、そこを理解していたa社社長こそ、本当の意味で交渉力を持っている人だったと言うべきだろう。

自分がもう少し、CEOの心根を理解できる人間であれば、CEOという人間が、どれほど強く見えても弱さを併せ持っている存在であることを理解できていれば、こんな結果にはならなかったはずだ。

私自身、会社の先行きが立たなくなった時に、CFOとして選択した方法に間違いがあったとは思えず、合理的な行動を取ったと今でも思っている。

しかしながら、CFOとして、あるいはNo.2として、CEOの気持ちを一番理解してサポートをしなければならないという役職においては、何も仕事をしていなかったことになる。

最悪の仕事ぶりだったと言ってもいいだろう。

私は有能なCFOであったとは言えない。

CFOは金融技術や知識に長け、交渉力を身につけることに日々努力することはもちろん大事だ。

しかしそれよりも、実はもっと大切なことがある場合もあることを、それぞれの立場で考えてもらえれば何よりだ。

本稿を少しでも参考にして頂けるのであれば、そのようなことを感じ取ってもらえたら何よりだ。

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ABOUTこの記事をかいた人

1973年生まれ。とある企業の経営者。 大手証券会社からキャリアをスタートし、広告代理店やメーカーなどを経験する。 CEOを2社、CFOを3社ほど経験し、現在はマーケティングと人材開発を主なサービスとした企業を経営している。