スモールM&Aでベンチャー企業は大きくなれるのか

スモールM&Aでベンチャー企業は大きくなれるのか
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2017年度のM&Aの件数は、大手M&A仲介会社レコフの発表に依ると3000件を越え、前年比15%の増加で過去最高を記録したそうだ。
これらM&Aの増加傾向は2000年代なかばから顕著で、ちょうど団塊の世代が引退を考え始めた頃から、右肩上がりに増加をし続けているのも特徴だ。
そして3000件ものM&Aが全て、数十億円を越えるようなディール(取り引き)とは思えないので、そのほとんどは大きくても億一桁、あるいは数千万円単位といった中小企業レンジのディールが急増していると考えるのが自然だろう。
つまり、団塊の世代が引退し「後継者探し」をするにあたり、その究極の方法とも言える会社の売却を選択する経営者が増えているのだろうと、容易に想像がつく。

結果として私は後からこのような市場の状況を知ることになったが、ちょうどこの時期、確かに中小企業の経営者として数多くのスモールM&Aを手がけた。
時にはCFOとして、あるいは経営企画担当役員として。
CEOとしても事業の売買収に関わったことがあるが、大失敗し、時にはいい買い物であったと思えることもあり、その成績は星取りにすると半々くらいだろうか。

失敗も成功も、そこから得られる教訓は数多いが、ここではその中で、もっとも成功したと思えるスモールM&Aを手掛けた時のお話をしてみたい。
そのディールでは、成功したことそのものよりも、
・買収目的が100%達成されたこと
・典型的なスモールM&Aの持ち込み案件であること
・会社の成長にとって大きな起爆剤になったこと

といった、成功するべくして成功した特徴がある。
つまり、意欲のある中小企業やベンチャー企業が今後、あるいは既に話の持ち込みがあるかもしれないが、実際に直面する可能性が高いであろう取り組みであり、なおかつその際に考えるべき手順や進め方に大きな教訓を得られたということだ。

中小企業や資金力の乏しいベンチャー企業にとっては、企業買収は時にバクチに近い。
ましてそれが、従業員や固定資産を伴う買収であれば一気にリスクは増加する。
そして買収資金は、余程キャッシュリッチな会社でない限り、まず間違いなく銀行借り入れだろう。
M&Aは成長にとって利点が多いという教科書的な読み物は世の中に数多いが、実際のリスクを考えると中々気軽に取り組めるものではない。

しかしやはり、スモールM&Aはベンチャーや中小企業にとっては、上手に使いこなせば極めて有効な選択肢になる。
ぜひリスクを恐れずに、事業の拡大局面であるいは撤退手段として、その可能性を探ってもらいたい。
そんな決断のお役に立てればと、話を進めていきたい。

INDEX
成長の限界
M&Aの目的と交渉
スモールM&Aで会社は成長できるか

成長の限界

当時私は、ある先進的な取り組みをすることで少し知られた企業でCFOをしていた。
製造系の会社であり、規模感で言えば従業員数は50名余りで売上も10億円に届かない段階。赤字の垂れ流しが続いており、第三者割当増資で得た資金で研究開発費と当面の運転資金を賄っている状態の会社だった。
つまり、典型的なベンチャー企業といったところだ。

都市中心部にほど近い、どう考えても工場には向かないオフィスビル。
フロアの一部を試作品の設計と製造のスペースに充てていたが、受注生産対応であり受注があるたびに赤字が膨らんでいく状況だ。
とはいえこれはもちろん、大きなニーズを作り出すための投資期間という位置づけであり、我慢のしどころである。
そして試作品の納品先は誰もが知る大手のものづくり企業ばかりであり、そのうちの1社でも本採用が決まれば一気に桁違いの量産化が見込まれ、黒字が見えてくるというスタートアップの状況。
言い換えれば、潜在的なニーズの存在は把握していたものの、まとまった需要を喚起できない状況の中、営業と見学などアクセスの良さを重視し、都市部にオフィスを構えていたということだ。
技術力には間違いのない定評を得ていた会社だったので、その技術で日銭を稼ぐことは容易なことであったが、第三者割当増資でまとまった資金を得てからは、日銭と将来投資のバランスを大きく将来投資にシフト。
無酸素運動の素潜りを始め、冷たい氷の下を出口を求めて潜行する勇気ある決断を下したという状況だった。

そんなスリリングな状況が暫く続くと、試作品の提供から数台程度の買い取り、そしてついには小規模ラインでの採用といったところまで漕ぎ着ける顧客がいくつか出始めてきた。
残り資金を考えると状況は厳しいが、少なくとも誰もが知る大手企業からの受注残が積み上がるのは与信上極めて大きい。

一方で、この段階になると大きな問題が見え始める。
それは、需要に生産能力が追いつかないと言う事態だ。
この時点ではまだ量産化するような段階にはなく、もっとも進んでいる商談でもせいぜいが小規模ラインでの試験採用という段階であったが、それでも受注生産で一つ一つのユニットを社員が手作りで組み立てる生産体制には自ずと限界が訪れる。
というよりも、それだけの完成品を一時的にでも仮置きするようなスペースにすら限界があることは既に見え始めていた。

この段階で考えられる選択肢は大きく2つ。
1つには、自社は試作品やプロトタイプの製造と試験研究に特化し、量産品はアッセンブリーメーカーを探し引き受けてもらうことだ。
もう一つは、自社で一定の製造能力を持ち、もう少しものづくりメーカーとしての厚みを増していくこと。

前者については大きなリスクもなく、資金力の乏しいベンチャーにはとても魅力的な方法になる。
研究開発と試験に特化するということは、裏を返せばそれ以外に逃げ道はないので、技術者も迷いを捨て、その道のエキスパートを目指すことができる。
その一方で、資金力の乏しいベンチャーの発注を受けてくれる会社など存在するのか、という現実的な問題がもちろん課題になるだろう。
この点については、ステークホルダーの協力で台湾のアッセンブリーメーカーの協力を得られる手応えを感じたものの、ただ現地で具体的な交渉を始めた時により大きな課題に直面することになる。

すわなち、製品を量産した時のリードタイムやそれに伴う適正な原価、不良品の発生見込みに伴う予備在庫の適正値などについて、交渉材料をまったく持ち合わせていないということだ。
当然のことながら先方は、その全ての段階でリスクを最大にとり、値段交渉をしてくることになる。
一方で当社は、それに対し一切の合理的な交渉材料を持ち合わせていないために量産時の適正原価すら曖昧なままであり、避けられるリスクに対して負担するコストが大きすぎるという意見が役員会でも出始めた。
それも当たり前で、先方にとっても初めて注文を受ける相手であり、相手は海の向こうの日本。
なおかつ資金力の乏しいベンチャーであることを考えると、リスクを価格に転嫁してくるのも当たり前の交渉だ。
当社の立っているステージを考え多少のコストは飲むだろうという思惑なのだろう、最初から強気の交渉を仕掛けてきた。
つまり、アッセンブリーメーカーに外注するというメリットをこの段階では最大限に享受できないという結論が見え始めていた。

一方で、もう一つの選択肢である、自社である程度の生産能力を備えた上で、量産に近い体制を経験した上で次の手を考えるという方法についてだ。
こちらの方は、早い話が本社オフィス以外に小規模でも本格的な工場を持つということを意味する。
当然のことながら、工場を賃貸とリースの組み合わせでリスクを繰り延べにしたところで根本的に大きなリスクを背負うことに大した違いはない。
もちろん、自社物件を建てて工場を一から造るとなると、吹けば飛ぶようなベンチャー企業にはそもそも与信不足で資金調達もままならない。

結局、新たな生産拠点の確保という基本方針が望ましいというコンセンサスは株主を始めとしたステークホルダーとも共有できたものの、そのために追加の増資を検討しようというほどの積極的な株主も少数派という状況であった。
一方で、本業の黒字化が未達であり、売上規模10億円程度の会社が、新工場建設のための資金を借り入れようと銀行に申し入れたところで、相手にされるものではない。
念のために申し入れたが、銀行特有の言い回しで結果は当然のように、「今回はお見送り」である。

しかし、やはり何事も「どうせムリだろう」と最初から諦めるものではない。
後日銀行の担当者から連絡があり、こう切り出された。

「融資はできませんが、別の形でニーズにお応えできるかも知れません。」

どうせ銀行のロジックでつまらない話を持ってきたんだろうと取り合うつもりが無く、適当に話を合わせるつもりで
「でも、お金は貸してくれないんでしょ?」
と茶化して返すが、どうもそういうことでは無さそうだった。
「いえ、条件はありますがこちらの話であれば融資もセットで検討できます」

要約するとこの際の彼の話は、
ある会社を買わないか、という話だった。
微妙な条件なので、買収価額は簿価でも相談可能とのこと。
つまり、初期条件で簿価といい出しているからには、さらに交渉可能であると言っているようなものだ。
業種にもよるが、そもそも生産拠点の場所だけでも確保できればというこちらのニーズに対し、悪い話ではない。
なおかつこの際、最終的な買収価額にもよるが、M&A資金を融資してもよいというのである。

なおこの時、その会社はわずかながら経常利益の段階で黒字が出ており、経営者の引退を織り込むとその給与見合い分だけでも、買収資金の毎月の返済額の相当部分をまかなえる計算が立っていた。
さらに換金は容易ではないとはいえ、実質的に土地建物見合いの融資となる。
銀行もこの段階で、簿価に載っている設備関係は全て除却をした上で、実質的に土地見合いの時価で会社を売却してはどうか、と、先方にも働きかけている空気を強く感じた。

この時、銀行担当者は露骨には言わないが、何を考えているのかはほぼ態度で語っていた。
それは、このスモールM&Aが成立すると銀行にはメリットしか無く、何重にも良い話になるということだ。

このまま先方が廃業となれば、債務の回収に不安が残る上に、優良な取引先が一つ消失してしまうことだけは確実である。
一方でM&Aが成立すると、実質的に不動産見合いの比較的回収リスクの低い大きな融資を一つ、当社と立てることができる。
その一方でその融資したお金は、そのまま元の経営者の懐に全額が入金される。
そしてそのお金は銀行がメインバンクとして預かり、資金運用していきましょうという構図だ。
まったくもって、銀行にとっては都合のいい筋書きであり、これ以上はない「後継者探し」の解決策である。

話がやや前後するが、団塊の世代にあたる経営者が引退を決めてからM&Aが急増した背景にはこのように、比較的小さな地方の企業との取引が深い、地銀の存在が大きい。
もちろん、10億を越えるディールであれば都銀が噛んでいることもあるだろうが、それ以下のスモールM&Aの担い手は、収益源の確保を企図した地方銀行が主要なプレイヤーだ。
当時はそんなことについて思いもよらなかったが、M&Aを重ねていくと銀行側も最初から露骨に
「会社を買いませんか?」
と、ニーズありきではなく最初からディールありきの話を持ち込んでくるようになった。

そのようなきっかけで、生産拠点の確保という大きな命題に対し、スモールM&Aという選択肢が急遽浮上したことで、私は早速そのメリットとデメリットを検討し、役員会に諮ることになった。
初期条件としては、非の打ち所がないよう思われる。
後は具体的に経営計画との整合性を取りながら、あるいは修正を図りながら、この計画の延長線上に当社の目指す未来があるのか。
それを経営トップの想いと突き合わせ、製造担当役員の熱意を乗せることができるのかを検討し、実現性を見極めることになる。
正直、これまでのCFO経験では厳しい局面での事業売却ばかりを担ってきた中での、初めての前向きな買収案件だった。
私自身も、やや高ぶる思いを抑えられず少しだけうまく行きそうな未来予想図に、新たな仕事に取り組む喜びを感じていた。

M&Aの目的と交渉

こうして、取引先の地銀から持ち込まれたM&Aという形での、郊外での生産拠点の確保という話はにわかに最有力候補となった。
しかし、いくら魅力的に思える方策でも、それが当社の経営計画を満たすものであるのかを検証する必要がある。
短期的な視点で魅力的であっても、中長期的な経営課題を解決する上で、その方向の延長線上にこの施策を置いても大丈夫なのか、ということだ。
そこで改めて、当社が近いうちに埋めたいと考えているピースを検証し、M&Aと整合性が取れるのか、経営計画上の課題を改めてボードメンバーで再確認し、議論を繰り返した
そしてこの際、当社が抱えていた経営計画上の大きな課題は以下のものであることを共有した。

・量産化一つ手前の規模で、小さな生産ラインを組み上げる広さの新しい拠点を確保したい
・若手社員ばかりで熟練の職人がいない当社の弱点を、熟練の職人を採用することで教育を充実させカバーしたい
・これら解決が急務な課題を、可能であれば自己資金で賄いたい

このうち、1つ目は問題なくM&Aで解決できるものであり、そのために行うものだ。
2つ目については、買収候補の会社は地域の老舗と言っても良いものづくり企業であり、50代、60代のキャリア40年を超える職人がゴロゴロいた。
ものづくりのレベルを底上げするために、M&Aによって「ついでに」満たされると言うには余りにももったいないほどに、極めて望ましい副産物であり、図らずもこの課題も共に満たさせる緒になりそうである。
3つ目については、その意図するところはキャッシュの持ち出しをする余裕がなく、投資は改めて第三者割当増資を検討して賄えないか、というものだ。
そのため、土地建物見合いの融資を銀行が出してくれることでM&A資金に充てられるのであれば、わざわざ増資を考える必要もなく銀行借り入れで十分になるだろう。

つまり、今回地銀から持ち込まれたM&A案件は、基本的には当社の経営計画上の課題を大きく解決する可能性を孕んでいるものであった。
こうなれば、まずは話を進めない理由がないという結論を役員の総意として得ることができ、事業買収を進めることになった。

私は早速、取引先の地銀にその意向を伝えると、併せて似たような買収候補先になるものづくり企業をいくつか紹介して欲しいと依頼した。
何事もそうだが、新しいことに取り組む時に、誰かが勧めてくれたものに決め撃ちをするのは望ましくない。
この場合で言えば、例えば先方は簿価見合いでの売却も考えられるという前提だが、多くのM&Aを仲介してきた銀行から適正な売却価額についての参考意見を聞いていないはずがない。
つまり、銀行とも相談した上での相場観に基づいた交渉開始価額ということだ。

しかしそれは本当に妥当なのか。
私はCFOという職責の本能で、「高い」「適正」「安い」という判断を数字でわかりやすく把握できないディール(取り引き)をあらゆる局面で拒否する。
そのため、話を持ち込んできた銀行に他の候補をいくつか挙げてもらうように依頼し、同時に私は、旧知であったスモールM&A専門の仲介会社に連絡を取り、ニーズを伝えた上でいくつかの候補先を提案して欲しいと依頼を出した。

お互いに接点のない複数のルートから、それぞれ複数の案件の提案をもらう。
M&Aという、値段があってないようなマーケットで買収や売却をする時には、その適正値を見定める上でこの意識は必ず持ち合わせるべきであるからだ。
また、一般にM&Aマーケットでの適正価額は、1年も経てばその情報は陳腐化するほどに状況の変化を受けやすい。
そのため、ある程度の相場観を持っていると自負している場合でも、客観的な状況把握は常に必須になるだろう。
この作業を怠れば、適正なディールであるか判断することすらできず、交渉材料を持ち合わせずに値交渉のテーブルに付くことになってしまうので、必ず心掛けて欲しい。

いきなり身もふたもないことを言うようだが、スモールM&Aにおいては買収・売却価額はほとんどが交渉担当者の交渉能力で決まると言ってもよい。
かつて私は、数億円から始まった事業売却を、交渉によって三倍強までに引き上げたことがある。
さすがにこの際は、交渉方式をひっくり返す荒業まで持ち出したためだが、基本的に交渉担当者の能力で値交渉は大きく変わってくることに変わりはない。
そしてその交渉とは、買い手の立場であれば売り手に対し、「どうしてもこの相手と売却話をまとめたい」と思わせることであり、売り手の立場であれば、「どうしても今、この会社を買いたい」と強く思わせることに過ぎない。
そうすれば、多少の瑕疵や不確定要素などは無視して、一歩踏み込んだ積極性を引き出すことができる。

そのために必要なものは、大前提が最新の相場観、つまり交渉を始める始値の適正価額を把握すること。
そしてその始値を上下動させるのは、DD(デュー・デリジェンス)と呼ばれる、財務・法務上の観点からのその会社の調査。
財務DDでは、その会社の帳簿が正しく実態を反映しているのか。
簿価に記載のある財産は本当に存在しているのか。
逆に簿外に存在する債務はないのか、といった状況を精査するものであり、その結果によって会社の額面が大きく変わる。
法務DDでは、その会社が締結している契約から生じる義務や権利からどのようなリスクが想定されるのか。
これはもちろん、契約をしていないことによって生じるリスクも調査され、その典型的なものに労働契約書を結んでいない会社が抱えるリスクなどがある。
未払い残業代などもわかりやすいリスクであり、時にその額は億に昇ることもあることから事業価値を一気に毀損する可能性もあり、大いに注意する必要がある。

そしてこれらの情報を参考に、始値に加算されあるいは減算されて得られた数字が一応の理論値となるが、これに更に、どうしても売りたいという熱意、どうしても買いたいというニーズという、先述の要素が上乗せ或いは値引き要因になってくる。
大きくはこの3つの要素で、M&Aの最終的な価額は合意に至る。

そして、適正な始値を推測するため複数のルートから得た情報から考えると、今回最初に地銀が持ち込んできた案件は極めて望ましい買い物であるという結論になったことから、併せてもう1社、別ルートから紹介された中からもっとも望ましい案件と併せて、並行して交渉を進めることになった。

ただしこの場合、別ルートからの案件は大変失礼な話だが、当て馬という言い方がもっとも近いかもしれない。
交渉は常に、決め撃ちすると主体性を持って交渉する余地が狭くなる。
そして多くの場合、仲介会社は自社のタダ働きを嫌い、仲介に関し専任条項を要求してくる。
これは、特定の会社と交渉に入ればお互いに、他の会社と交渉しないという約束事だ。
つまり売り手にも買い手にも他社(他者)との交渉を禁止する取り決めだが、これほど無意味な条項はないので、売り手であっても買い手であっても可能であれば、必ず拒否をするべきだろう。

考えてもみて欲しい。
世の中でニュースになるようなM&Aにおいて、このような条項をつけている契約というものを見たことがあるだろうか。
ほとんどの場合、ある会社が会社ごと、或いは事業を切り売りする時には、複数の相手と交渉して定性的な条件を煮詰め、最後に定量的な条件は入札で行うという流れをとる。
多くの人にとって記憶に新しいだろう、シャープの鴻海(ホンハイ)精密工業への売却にしても、売り手側(既存株主と債務者)は最後の最後までホンハイと産革(産業革新機構)を競り合わせ条件を戦わせて、好ましい条件を引き出させることに腐心した。

スモールM&Aであっても、あるべき姿は何も変わらない。
複数の買収希望者をプレイヤーとして参加させたほうが、売り手側は有利に話を進められるのが理である。
同様に、複数の買収案件候補がある構図にするほうが、買収側は有利に話を進められる基礎的条件になる。
そしてその前提を自社だけが知っているのであれば、専任条項を外させた上で、売却側の場合は複数の買い手候補を見つけ、買収側の場合は他にも候補をおいて並行して話を進めることだ。
このようにして競合相手を創ることで、「どうしてもこのチャンスに売りたい」「どうしてもこの会社を買いたい」という方向に交渉相手の意識を振れさせることが、スモールM&Aでは大きな価格形成の要因になる。よく覚えておいて欲しい。

なおこの場合、複数の候補を用意するということは、交渉相手だけでなく、それを仲介する会社にとっても大きなプレッシャーになる。
なぜなら多くの場合、仲介会社の収益は成功報酬であり、ディールをまとめない限りまず間違いなく悲惨な大赤字に終わってしまうからだ。
そのため交渉の各過程においてギリギリの局面になった時、自分たちのディールを何とかして成立させたいという思惑が働き、自社のクライアントに対して妥協を勧めたくなるベクトルが働く。
当事者同士の交渉だけなら素直に聞き辛くとも、「仲介のプロ」である担当者から言われたことであれば素直に聞いてしまいたくなるのもまた、人情というものだ。
こうして交渉相手は、もう少しなら妥協を考えてもいいか、という方向に意識が振れることになる。

しかし誤解を恐れずに言うと、仲介会社は仲介のプロであって、クライアントの要望を満たすプロではない。
担当者の言うことを真に受けるのは避け、あらゆる局面で客観的な自分なりの指標を保たないと、この程度の交渉術ですら高い買い物を、或いは安い売却をしてしまうことになるので、併せて注意をしてもらえれば幸いだ。

このようなことを目論んでの、複数ルートから複数の候補の提案を受け、更に当て馬と言っても良い買収候補を1社残した形でだが、M&Aの交渉はスタートを切った。
なお言うまでもないことだが、基礎的な環境を整えれば、そこから先は礼と誠意を尽くした交渉が重要になることも、併せて忘れないで欲しい。
小手先のテクニックに走った、誠意と礼儀をわきまえない交渉術は、必ず悪い結果に終わる。
それもまた、間違いのない真理だ。

スモールM&Aで会社は成長できるか

さて、このようにして始まった交渉だが、初顔合わせはお昼の食事会からだった。
いきなりの酒席は距離が近すぎ、またどちらからの会社でビジネスライクにという規模でもないことから、いきなり双方の経営トップ同士で、最初から近い距離感で話を進めようという思惑で交渉は開始された。

そしてお互い、ディールを前向きに進めてく意志確認を終えると、ここから先は初期条件の確認を済ませ、財務・法務を基本にしたDD(デュー・デリジェンス)に入っていくことになる。
なおこの際、先方が出してきた初期条件は3.5億円。
純資産に対し、3年分程度の経常利益を上乗せしたものだ。
税引後ではないあたりに、既に交渉のバッファを乗せてきている先方の意志が窺える。

細かな途中経過は割愛するが、この際に明らかになった問題は、歴史のある会社のことである。
やはり帳簿に記載があるにもかかわらず、実存しない資産がてんこ盛りの状態だ。
電話加入権やゴルフ会員権と言ったお約束の有価証券だけでも、軽く100万円単位で行方不明もしくは既に無価値である。
帳簿に記載がある車両のいくつかは実質的に経営者個人の所有物であり、こちらも簿価での引き取りになるだろう。
さらに、利息の返済すら10数年も滞っている他社への貸付金もあり、大型の工作機械まで今どこにあるのかわからないという始末だ。

このような作業を繰り返して消し込んでいくと、やはり実質的に価値がある帳簿上の資産は、購入から日が浅い工作機械に土地だけになる。
もちろんそれが買収側の大きなメリットであり、今なお十分に稼働している工場や土地建物を格安で手に入れられることになるのだが、これがスモールM&Aにおける大きな魅力の一つだ。
新築物件を買うよりも、既に無価値に近い不動産を格安で購入しリノベーションした方がお得だという流行りの考え方は、会社経営でも確実に同じことが言える。
売却側にとっては不満が募る可能性がある交渉局面だが、だが実際問題として中古の工作機械や資材などの市場価格は簿価と同程度かそれ以下というのが現実である。
「そこまで評価が低いなら、こちらで換金するので譲渡内容から除外して欲しい」
と言ったところで、確実に持て余す。
結局のところ、この局面では最初こそ交渉相手にややフラストレーションを溜めさせる過程にはなるものの、誠意を持って交渉にあたれば大きな問題になることはないだろう。

なおこの際、実在しないものが帳簿にてんこ盛りであるという現象は、相手が不誠実であるわけではない。
多くの中小企業では同じような感じであり、さらにそれが業歴数十年にもなる会社であれば、経営者がいろいろな都合で現金や資材を出し入れし、そのまま忘れているもザラであることから、極めて普通の現象だ。
相手の誠意を疑うような局面ではない。

法務DDでも同様に様々な問題点を追求していくが、こちらは先述のように一番問題になることが多いのは労務関係だろうか。
ケースバイケースだが、潜在リスクとして把握と評価がしにくいのはやはり人の問題だ。
未払い残業代などはこの段階で精算しリスクを引き継がないことがもっとも望ましいが、買収側経営者のやり方によってはその潜在債務を引き継ぎ、リスクだけ交渉価額から差し引いた上で、実際には精算しないというかなり際どいことをする人もいるようだ。
通常の感性であれば、大きさが限定できないようなリスクは全て精算した上で会社を引き継ぐのが望ましいだろう。

このような過程を経て、最終交渉のベースに決まったのは2.8億円。
これでやっと、円満な事業の引き継ぎは5合目を越えた辺りというところだ。
もっとも難しく、困難な仕事がここから始まる。
それはなにか。
買収される会社の従業員に対し、M&Aの交渉が進んでいるという事実を明らかにして理解を得ることだ。
本来であれば最終交渉のベースが決まっている時には、経営者同士の交渉はほぼ終わっている段階にある。
ただし従業員に状況を開示する際には、まだ決まったことは何も無いという演出も必要になり、買収側の役員を中心に、売却側の役職員と様々な面談を繰り返していくことになる。

当社にとっては、土地建物や様々な器械に加え、そこで働く従業員も何よりも重要な資産だ。
形ばかりの「従業員は資産」というお題目ではない。
M&Aの大きな目的の一つに、ベテラン従業員の確保という考え方がある以上、一人の欠員も出したくないという思いから、このファーストコンタクトはとても重要なものになる。

幸い私は、不本意な事業売却により吸収される側の交渉を担当したこともあり、その辺りの機微は多少、肌感覚に身についている。
そのため、焦らずに時間をかけ、従業員の理解を得ることに何よりも重きをおいて、ベテラン職人の引き継ぎを無事に終わらせることができた。
吸収される側の言葉に出来ない複雑な思いは、成し遂げてきた仕事と、職人個人に対する心からの敬意を持ち合わせていないと本当に難しい。

なおこの際に、もっともネックになったのは意外にもテクニカルなことであり、それはなんと、株式の所在が掴めないというものだった。
その会社は元々、当主で数代目であり、創業当時は株式会社を設立するために5人の発起人が必要であるという時代。
その後、発起人で分配して持っていた株式は実質的な経営者に集中させたが、その後相続のたびにわずかずつ親族に流れ、そのうちの一部の株式は所在不明になり、あるいはすっかりと疎遠になり連絡がつかない縁戚の所有になっていることが判明。
これらのうち集められるものは可能な限り買い戻してもらったものの、ほんの数%程度、最後まで株主を探し出すことができない株式が残ることになった。

法律上、一部の株主が反対するだけでもディールを全く別の方式で進めることが求められることもあるのがM&Aだ。
結局この時は、当社はその経緯には関与せず、現経営者から100%の株式を譲渡された前提で契約を進め、その内容に問題がある場合には譲渡側のリスクで解決する特約をつけた。
M&Aには、それぞれに特殊事情があり、複雑なトレードオフが発生するものだが、ぜひ根気よく話を進めて欲しい。

さて、このようにして成立したM&Aだが、両社の融合は上手く行ってM&Aは成功したのか、という話だ。
ディール成立当初こそ、心理的な抵抗と若造の経営者が会社を買収したことに感情的な反発を見せることもあったベテラン職人たちだが、これまでと変わらない待遇とこの先も安定して事業を続けていく若い経営者にはやはりどこか期待感を持つものなのだろう。
すぐに前向きな協力を得られるようになり、そうなると本体から若手のエンジニアをベテラン職人の下にアシスタントでつけることで、熟練のものづくりを学ばせようという人事を進めた。
するとやはり、50代や60代のベテラン職人にとって、孫のように若い20代のエンジニアはどこかかわいいものだったのだろう。
すぐに教え魔になり、数十年のベテラン職人の経験を惜しげもなく若手に継承していく好循環が発生した。
一方でわずかでも作業に余裕があるようであれば、元々のM&Aの目的である、当社の作業拠点としての生産ライン構築を、買収した工場に設置を始め、その助言をベテラン職人に求めた。

最初こそ、新しいライン構築に逃げ腰だったベテランたちも、興味を示しだし、積極的に足を運んでくれるようになる。
何のことはない、ベテラン職人たちも皆、固定されたメンバーで過ごす、何も変わらない日常に退屈を感じ、刺激を求めていたということだ。
ちなみにこの時に買収した会社は総勢10数名の小さな会社で、新入社員などもう10年は入っていない状況であり、ほとんどが50代60代のおじさんばかりである。
その中に、初々しい若手が教えを求めて素直に下につくわけであり、かわいくないはずがないだろう。
改めて、自分には人に教えられるものがあるという自尊心を強くくすぐられ、しかもこれまでとは違う新しい工業製品を量産化する立ち上げの仕事を任されるのだから、想像以上の力を発揮し、会社のために力を尽くしてくれた。

そして目論見通り当社は、その会社から出る黒字と旧経営者の役員報酬で十分に、事業買収にかかる借入金返済額見合いを、毎月消し込んでいくことができた。
そして郊外に、即日から100%稼働できる大きな生産拠点を得て、さらにベテラン職人を得ることにも成功し、これ以上はないM&Aの成功をおさめる結果になったことに、大いに満足ができた。

振り返ってみれば、定量的な条件には確かにいくつかのテクニカルな要素と上手な交渉術があるかも知れない。
しかし、そこで働く従業員の心をつかみ戦力に変え、さらにそれぞれの従業員が会社で働く満足度を高めることができるのか。
この点は本当に、経営者の人事センスに大きくかかっている。

私達は会社を買収して最初に、その会社の土地や資産が必要であるという姿勢は一切採らなかった。
このあたりに演出は一切なかったが、それよりもむしろ、ベテラン職人たちの知恵と経験に価値を見出して、最初に本体の若手社員を彼らの下につけることから始めた。
純粋に、その工場オペレーションや工作機械一つに関する知見を吸収させたいという欲求からであったが、この施策がいかにベテラン職人たちにとって、忘れていた情熱と知的好奇心を呼び起こすのに十分なトリガーになったかは先述のとおりだ。

事業承継の手段として会社の売却を考えている経営者の場合、既に新しいことに取り組む意欲を失って久しい。
そしてそこで働く従業員たちは変わらない環境、変わらない毎日にすっかり慣れてしまい、その能力や本来持っている仕事に対する情熱のほとんどを眠らせてしまっているだろう。
しかしM&Aの転機に仕事のおもしろさと情熱を思い出した従業員たちは、思いもかけない力を発揮することもあるということだ。
そしてそれが本体で働く従業員の危機感にも繋がり、2つの組織は相乗効果で良い方向へスパイラルアップしていくことになる。

スモールM&Aは単に財務や資産といった評価が容易な効果だけではなく、硬直的になりがちな組織や日常に前向きな創造的破壊をもたらし、ベンチャー企業に不可欠な、柔軟な組織運営の起爆剤にもなり得るだろう。
この成長の選択肢は、経営者であれば持っておきたい方法の一つであることは間違いないなさそうだ。

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1973年生まれ。とある企業の経営者。 大手証券会社からキャリアをスタートし、広告代理店やメーカーなどを経験する。 CEOを2社、CFOを3社ほど経験し、現在はマーケティングと人材開発を主なサービスとした企業を経営している。