芸能界の酸いも甘いも見てきた私が思う、こんな上司についていけ論

芸能界の酸いも甘いも見てきた私が思う、こんな上司についていけ論
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私は過去に芸能界で俳優活動をしていた時期があります。

芸能界というところは少し変わったところでしたが、その中でもこれは然り、と思ったことが一つだけありました。

それは「売れる人は良い師に恵まれている」ということです。

赤塚不二夫さんにその才能を見出されたタモリさん、一歳差であるのにもかかわらず浅野忠信さんの付き人をしていた加瀬亮さん、『るろうに剣心』の和月伸宏さんのアシスタントをしていた、『ONE PIECE』の尾田栄一郎さんなどなど。

良い人材だから師に恵まれるのか、師に恵まれるから良い人材になるのか。それはわかりませんが、良い人材の裏には良い師がいることは間違いありません。こと芸能界においては「誰に師事するのか」はその人の将来を決めるとても重要な要素です。

ビジネスの世界でもペイパルで世界を変えたピーター・ティールは、テスラのイーロン・マスクに投資をしましたし、ソフトバンクの孫さんは、日本マクドナルドの藤田田さんにアドバイスを受けたと言います。

そこで、私なりの芸能界での経験と自身のビジネス経験を元に「こんな上司だったらついていってもいんじゃないか」と思える人はどんな人なのかをご紹介したいと思います。

有名=信用できる、ではない

たまたまその時の時流にウケて一時的に有名になったが、その後すっかり顔を見なくなる人のことを「一発屋」と呼ぶ、ということは皆さんもご存知の通りです。実はこの「一発屋」は制作側の人間にもいます。

芸人やタレントのように表に立って売れている人は、その裏に「仕掛けている人間がいる」ことは想像にたやすく、その人の実力だけで売れているわけではないと見破るのは比較的簡単です。しかしそれが、その「仕掛けている側」の人間だと一気に見破るのが難しくなります。

例えば、当時僕が知り合ったプロデューサーさんの中に、当時40歳ぐらいで大手飲料メーカーのCMなどを手がけていた敏腕と評されている方がいました。そんな大物との接点を持てたのですから、当時の私としてはなんとかしてその人に自分を売り込もうと画策していたのです。

ある時にその他大勢としてではありますが、お酒の席が一緒になったことがありました。私はここぞとばかりに、芸能界で売れ残るためのアドバイスなどをその人に聞いてみました。

売れ残りたければその時々の時代が求めているものを敏感に感じ取る必要がある

とその方はアドバイスを下さいました。

私は「さすが名プロデューサー!言うことが違う!」と心から感心しました。

ところが続けて私が「では今の時代は何が求められているんでしょうか?」と聞いた時に急に歯切れが悪くなってしまったのです・・・。

それどころか「あのCMを作った時は…」「このCMの時に組んだ女優は…」などの過去の話を始めたのです。

イマ、売れているか

確かに売れるためには「時代が求めるものを敏感に感じ取る必要がある」のでしょう。

しかし、その人は当時それができていたかというとNOだったのです。

過去はヒット作に恵まれたけれど、ここ最近は全く売れていない。それで歯切れが悪くなってしまったんですね。その直後に、その人が全く違う製造業に転職されたと聞きました。

当時の私は、社会人としての知識など皆無に等しかったですから、「そんなに才能がある人が他の業界に行ってしまうなんて勿体無い」と思いましたが、何のことはない、才能がないと思ってしまったから、転職を決めただけのことだったのです。

この時に私は、上の人にアドバイスを求める時は、過去の作品がどう評価されていても「今もなお活躍している人」にアドバイスを受けた方がいいのだなと学習しました。

「型」を大事にしているかどうか

とはいえ、今売れている人が将来も売れ続けるのか、というとその保証はないわけです。

では「この人にずっとついていってもいいのだろうか」という判断はどこですれば良いのか。

歌舞伎や茶道・華道などの伝統芸能の教えに「守破離」という言葉があります。「守」とはその道を極めてきた先人たちが残してきた、その道を志すものが外してはいけない「型」のようなものです。

「守」で型を学び、土台を作れて初めて型「破り」なことができるステージにいけます。そしてその型破りがその人の個性になりアイデンティティーになる。それが「型」から「離」れたその人にしか表現できないものになっていく、という教えです。

以前、NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」(2012年放送)に歌舞伎役者の坂東玉三郎さんが出演された際におっしゃっていた、師匠である守田勘弥さんから言われた、

型破りな演技は、型を知らずにはできない。型をしらずにやるのは、型なしというのだ

という言葉が印象的で今でも覚えています。

「型」はどんな時代であってもこれだけは外せないと、その道を極めてきた人たちが残してきた宝です。それだけ長い年月を経て受け継がれているということは、時代の浮き沈みにも左右されない本質だとも言えます。

ところが、今のトレンドに捉われすぎると、この先人たちが大事にしてきた「型」を忘れてしまいがちになります。真の意味で売れ続けている人たちは、その「型」の重要性を知っているので、後輩たちにもしっかりとその「型」を教えてくださいます。

ビジネスの世界では今日までの常識が明日ひっくり返るなんてことはよくありますよね。だからこそ、どんな状態にあっても「型」を大事にしながら一線を走り続ける人についていくことで、どんな時代であっても対応出来る人材になれるのではないかと思います。

特定の人に奢るのか、誰にでも奢るのか

芸人さんの世界では「先輩が後輩に奢る」という不文律があります。

しかし、その実際は「誰彼構わず奢っているわけではない」ようです。例えば吉本興業では、相手が誰であれ先輩は後輩の飯代を出すのがルールだとテレビでも言われていますが、業界の芸人さんが全員そうしているわけではありません。

これは知人の若手芸人さんから聞いた話です。とある大物芸人さんが「もちろん、お祝いの席では後輩には奢るが、本当に奢りたいと思う奴は数えるぐらいしかない」とおっしゃっていたそうです。

その大物芸人さん曰く、「こいつに奢りたいと思う奴は、こいつなら売れると思う奴。そういう奴に投資している感覚。酒の場でしか教えられない、現場のリアルな雰囲気や自分が大事にしているこだわりがある」のだそうです。
つまり第一線を走る(走ってきた)人は、奢る相手を「選んでいる」ということなのです。

最前線で活躍し続けている人だからこそ、こいつはと思う感覚が養われているのだと思います。そして多くの場合、「自分も過去に先輩にそうしてもらった。未来の後輩に奢ってやれと言われた」から奢っているのだとか。

ただ、気前よくおごってくれるからといって、必ずしも上記の大物芸人さんのように志を持っている人とは限りません。見栄やプライドのためにやっている場合もあります。特にそれこそ「一発屋」で終わる人は、一時の収入を散財するように奢ってしまうことが多いようです。

「奢る」という行動一つとっても、「誰に奢っているのか」という意図があるかどうか、その奢りが消費なのか投資なのかの違いは、師事をする人を選ぶ上で非常に重要な指標になると言えます。

裏を返せば、「売れている人に投資の感覚で奢ってもらっていた人」に師事すると、同じように投資してもらえるような可能性があるのです。(もちろん、奢られる対象になることが前提なのですが)

つまりは…こんな上司についていけ!

役者時代の経験から私が思う「ついていくべき上司」とは、

  • 過去売れたかどうかではなく、今もなお売れている
  • その道の先人たちの教えである「型」を大事にしている
  • その「型」を継承すべき後輩を選んで、意図的に関わっている

という3つの条件を満たす人ではないかと思うのです。あなたの師事したいと思う上司にはいくつ当てはまりましたでしょうか?あるいはあなたが上司ならいくつ当てはまっているでしょうか。

孔子は論語の中で、「故きを温(たず)ねて新しきを知れば、もって師たるべし」と書きました。歴史を深く探究し、そこから新しい発見を得られる人こそが、指導者になる資格があるということだと私は解釈しています。

今にして思えば、それは芸能界であったとしても、どうやら同じだったようです。

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