■ 略歴
1975年東京都生まれ、アメリカNJ州育ち 慶應義塾大学卒業、ペンシルバニア大学大学院卒業 2002年ポールヘイスティングス法律事務所入所。
■個人の限界を感じた原体験
Q:これまでの人生をお聞かせください。
生まれは東京で、小学生4年生まで東京にいて、5年生から父の仕事でアメリカの東海岸に住んでいました。小学校から行ったんで、けんかしたり、スポーツしたりして、だんだん自分が逆にいっぱしのアメリカ人になったふうな体でいました。中学校3年まではアメリカで、高校で日本に帰ってきました。
Q:高校に入ってからは、いかがでしたか。
日本に帰ってくるとちょっと浮いた存在になりつつも、慶應志木という田舎の付属校でしたので、変なやつも受け入れる土壌がありました。最初はラグビー部だったんですけど、半年間ですごくつらくなって辞めました。人生初めての挫折がそこですね。その後は、高校・大学はアルバイトやスノボ、DJ、サッカーと、いろいろなことを伸び伸びやって、自分の振幅を広げていきました。
Q:本当にいろいろなさったんですね。
ええ。テレビを見て感動して、捨て犬保護団体に行っていた時期もあります。「手伝いに行かせてください」と週末千葉まで行っていました。しばらくして週刊誌に、その団体の代表が実は募金を募って、私腹を肥やしているんじゃないかと報道されたんです。そこで、メディアの怖さと、そういう時に個人が反論できる力は少ないという意識を持ったんです。記事を見てから電話で「こんな報道なんて信じない。また行きます」と言ったら「今まで来てくれただけでうれしいし、これからちょっと大人っぽい話になるから、もう来なくていいよ。でも僕は頑張るから」と言われました。そういう出来事が原体験としてありますね。
Q:それが司法試験の受験につながるんですね。
その時、個人の持つ力は弱いのだから、自分には何か専門的な職種や武器になるものが必要だと思ったんです。アメリカで最初にアジア人というマイノリティを経験していますし、どこか正義感があったのかもしれません。大学の途中で一念発起して、司法試験を志して大学卒業後に合格し、最初は弁護士になりました。
Q:司法試験に合格すると、弁護士と検察官と裁判官という道が選択肢としてあるそうですね。
はい、やはり原体験から、国内でも海外でもどんな組織でも、通用するスキルを持つことが大切だと思っていました。そこで弁護士を選びました。それが自分には合っていると思っていました。
Q:弁護士としてのお仕事は、どのようなものだったのでしょうか。
外資系の法律事務所で、海外案件の中でも大きな不動産買収や会社買収といったMAを担当していました。会社同士が取り引きを行う際の、契約書の作成や、相手との交渉などを行います。例えば、アメリカの大手スーパーのフランチャイズが日本に進出して日本の会社を買収する。そこでアメリカ側に、アメリカのやり方をそのまま持ち込むのではなく、日本でどういうふうにやるのかを提案していくんです。とかくアメリカ人は「なんでアメリカはできるのに日本でできないの?」みたいに思う人が多いんですよ。弁護士として立場上できることは限られますが、それでも日本のマーケットについて、あなたたちのビジネスは日本だとこういうふうにできるんだよ、ということを伝えていきました。水先案内人のような感じです。
Q:弁護士の中でも企業の金融・法律に向かった理由は何ですか。
端的に言うと、法曹界で一番、カッティング・エッジ(最先端の議論)をされている場所だと勝手に思っていました。英語を使って難しい案件に挑戦してスキルを高めたいという気持ちが強かったと思います。いわゆる町の弁護士とかで人権活動などをやっていたらもっと別の途があったかも。今、ここにはいないでしょうね。
■「それ、今でもできるよ」
Q:弁護士だった頃は、将来のキャリアプランをどんなふうにお考えでしたか。
いつからか、運転席に座っていない気がしていました。運転席に座るのは必ずお客さんで、私は運転席でもなければ助手席でもない。後部座席にいてお客さんから「北澤君、これ、右左どっち?」って言われて「ああ、右ですよ」って答える役割です。お客さんが実際何をやっているかを100%は把握できないというのは、ジレンマでした。
しばらくしてアメリカの大学に留学したのですが、留学前の半年間、社内弁護士のような形でモルガン・スタンレーに出向しました。そこで初めて「今まで付き合っていたモルガン・スタンレーの人たちって、こんなことを考えていたんだ」「ビジネスっていろいろな判断があった上でこうしたいという話があったんだ」と感じました。もしかしたらそこで、プレーヤーになりたいという気持ちが起きたのかもしれません。
その後、昔の出向先の上司から話があり、2008年からモルガン・スタンレーに入りました。専門性を高めたくて弁護士になったのだけれども、弁護士という立場ではドライバーシートに座るような関わり方はできない。運よくビジネスの世界に入っておいでという話が来て、投資銀行に行くことを決めました。
Q:入ってからは、当事者になったと感じましたか。
いえ、今度は助手席でした。見える世界はそれまでとまったく違いましたが、事故した時に一緒に死ぬわけではありません。ただ、前に見える光景は一緒なので、おおっ、こうやって走っているんだ、というお客さんのダイナミズムはすごく感じましたね。
Q:今の会社「お金のデザイン」との出会いを教えてください。
ある団体のパーティーで知り合った今の会社のファウンダーと四方山話をしていたら将来の話になったんです。そのときに「50歳になったら人のためになる仕事をしようと思っています」と、ちょっと青臭い話をしたら、「それ、今でもできるよ」と言われたんです。
今、日本の、特に個人向けの資産運用は、まだ作り手の側の事情でしか商品ができていません。理由はいろいろありますが、いずれにしてももっとハードルを下げて、個人でもっと身近に資産運用ができるようにしたい。それには顧客側の視点から欲しい商品が必要です。ただ、金融機関がその種の商品を作ると、当然その金融機関の事情を含めた上でのコストや商品設計になってしまうので、やはり独立した会社でやるしかないんです。そこで「一から顧客のために資産運用を再定義しなおそう。みんなのための資産運用を作ろう」と言われて、素晴らしいなと思いました。
Q:葛藤(かっとう)はありましたか。
私は幸いながら年を食っていて、この間に自分のエキスパティズ(expertise、専門知識)を持っていたので、何が起きても大丈夫だという意識はありました。投資銀行の人たちからは「CFOじゃないのがいいね」と言われましたし、弁護士時代から仲がいい信託銀行の人には「北澤さんが仕事をこの会社に移ると聞いて、すごくうれしいです。全然ぶれてませんね」と言われました。
Q:実際に入ってから、苦労なさったことはありますか。
当然のことですが、今までユーザー目線と言っても機関投資家目線、プロ目線でものを見ていましたが、それでは全くだめということですね。金融業界にいて当たり前と思っていたことが、本当は一般の方々にとって聞き覚えのないことかもしれません。まずは自分の固定観念を崩さなければいけない。それが今の会社のサービスの一番重要なところなのですが、真のユーザー目線とは何なのか、日々葛藤しているところです。
■エキスパートばかりだからこそ必要な役割
Q:サービスはどのあたりまでできているんですか。
今、本当に限られたお客さんにプライベートバンクとして試していただいていますが、これからはもっと広くお客さまに、Webサービスとして提供できるようにしたいと考えていて、まさにその作業中です。
Q:各界のエキスパートが集まっている会社という印象です。
そうですね。資産運用の業界30年選手、コンサル出身の経営企画もできるCFO、アメリカ屈指のアルゴリズムの天才といったエッジの立った人間ばかりです。今後は、エンジニアの方々が入ってきてほしいですね。ここからは、しっかりとフロントエンドのサービスを作る側の、特にテクノロジーに長けた人材を増やしていきたいと考えています。今はまさに、チーム作りも含めて再構築している状況です。
Q:COOとしての役割はどういうものなのでしょうか。
私の役割は明確です。今は全員が専門分野を持っていて、そこで一から作れるような人間ばかり集まっています。それぞれのやりたいことを集約して、受け手の側から再構築した資産運用という点を忘れることなく、プロダクトを作っていかねばなりません。そこに必要なのは、しっかりしたロードマップです。意見を集約して、どうしていくか。それを私が担えばいいと思っています。みんなのいいところをどんどん生かしていきたいですね。
Q:苦労する点はどんなところでしょうか。
スタートアップって、人数が少ないじゃないですか。だから誰かがボール拾わなきゃいけない。自分にも守備範囲はあるんですけれども、やっぱり専門分野が多い人間ばかりだと、誰か拾わなきゃいけないときに、そこを拾いに行く人間がやっぱり必要です。最初のベータ版のローンチの際、これができて、これができて、これができてるんだけど、これをつなげるとどうなるんだっけみたいなことが起こったんです。そういうつなぎめの間のボールを拾いに行くことが、必要だと気づきました。それって、全体を俯瞰しないと見えなかったり、自分でお客さんが入ってこうなるんだなっていうフローを想像してみないと、分からないと思うんですよ。全体から通して見る人間が必要です。それって、エクセキューション(執行)ですからね。
Q:エキスパートが多いと、意見が割れることはありませんか。
そういうことは多いです。ただ、まずは自由に意見を言える雰囲気を作るのが大事で、最後に僕がまとめちゃいますみたいなのは違うと思っています。そこはまさに自分たちの根幹になるサービスを作っているので、その関わっている全員が、本心からちゃんと意見できる、その雰囲気作りの方が重要だと思っています。
Q:何か具体的な施策のようなものはおありですか。
とにかくどこでも議論を開始できるようにしています。その時点でコンセンサスを諮った方がいいことがあれば、誰かが会って話そうと言いますし、メール1本でも「これ、どうしようかな。ちょっと話そうよ」といった感じで、ホワイトボードに書きながら話していますね。そういうコミュニケーションがすごくできています。
Q:これまでのご経験が生かされていると思われますか。
すごくありますね。私、元来、そんなクリエイティブなタイプではないんです。弁護士という仕事は、やるべきことをしっかりやっていく仕事です。人って、もうみんな、あっちこっちいろいろなことを言うので、それをしっかりまとめて、じゃあこの方向ねって決めたら、ちゃんとやっていきましょうという、そこの部分を担う役割の人が必要です。特にエッジが立ってる人たちばかりがいるグループだとうまくいきません。でも、そこをしっかりまとめていく。弁護士の話を聞くとこうだし、日本のビジネスとしてはこういうやり方だから、だったらこういうことで、XとYとZが必要だから、ちゃんとやっていこうぜ、というロードマップをしっかり作れる人が主要的な役割を担う人なんだなと思いましたね。
Q:これからどんなことを大事にしていこうとお考えですか。
やっぱり会社の雰囲気作りですね。弁護士って比較的自由に議論するんですよ。投資銀行は個人商店の集まりみたいなものでしたが、お客に愛されるチームは、やっぱりちゃんといろいろな年次の人が自由な意見を言えるチームでした。私たちがやりたいことは、新しいことを世に問うていくことですから、まず理念が共有できる雰囲気がすごく重要だと思っています。そのために、これからも年次も全く関係なく自由な雰囲気で、いろいろな人間が入っても、ちゃんと議論できるようにしたいですね。