倍返し!禁じ手「従業員の給与一律カット」の脅威 ~ある中小企業CFOの経験談~

倍返し!禁じ手「従業員の給与一律カット」の脅威 ~ある中小企業CFOの経験談~
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経営再建策の中でも最後の手段であり、さらに最後の手段の中でも最悪手と言われる事が多い従業員の一律給与カット。
普通に考えれば、頑張って働いている従業員も適当に働いている従業員も、一律で給与をカットするなどあってはならないことくらい、誰にでもわかる。にも関わらずこの経営再建策は、中小企業だけでなく、経営難に陥った大企業でも盛んに行われている手法だ。

なぜなら、これほどまでに即効性があり、なおかつ「直ちに悪影響がない」施策は他にはないからだ。原材料の仕入れと違い、その削減には交渉を必要としない。
もちろん形の上では組合との交渉もあり、また中小企業では従業員代表との合意が必要になるなど、法律の上ではクリアしなければならない手続きは存在する。
しかしながら、すぐに辞めることを考えている従業員でもない限り、例えば給与の5%カットを強く拒否し、受け入れられなければ会社をやめることも厭わないとまでの勢いで抵抗する社員はまずいないであろう。

かくして皆、内心不満を持ちながらもこの「社長からのお願い」を受け入れる。するとその効果は、立ちどころに結果として数字に現れる。
3億円の人件費(給与支払い)を使っている会社であれば、1500万円の経費を“労せずして”浮かすことができたのだから、数字に出てこないはずがないだろう。
人件費が30%の会社であれば、10億円の売上に対して1500万円、すなわち1.5%の粗利益が改善されたことになるのだから、こんなに美味しい方法はない。
更に言うと、給与の削減に伴い社会保障費など関連支出も削減できるのだから、実際の経費削減効果は更に大きなものとなる。

乾いた雑巾を絞ってこれだけの利益改善を果たすのは、並大抵の方法では実現できない。
しかしそれが、従業員の給与削減という禁じ手を使うだけでいとも容易く実現できるのだから、経営者がすぐに飛びつくのも無理はないだろう。

また経営者側にも、一定の正当性があるとも言える方法だ。
法律の詳細な趣旨や内容はこの際脇においたとして、まさに無い袖は触れないのである。
このまま行けば確実に現預金が払底し、5%の給与カットどころか、半年後には事業停止も視野に入っているということであれば、残された僅かな現預金を少しでも食いつなぐために給与カットに手を付けるのも無理からぬ話である。

その事態を招いた経営責任はともかくとして、今は生きるか死ぬかという時には、まずは生きるための最善の方法を取り、その施策のために生まれた様々な傷や歪みは後から是正するというのは、緊急避難の方法としても筋が通っている。

さらに、従業員の一律給与カットは何故してはいけないのか、という理由を考えた場合、その際に発生するであろう悪影響は会社それぞれであり、更に言うと、そのような事を経験している経営者もほとんどいない。
つまり、教科書的な理屈で悪いことなど誰でもわかりきっているのであって、その結果本当に何が起こるのかは、やってみなければわからないし、その結果何が起こるのかを本当に知っている経営者もほとんどいないということだ。

30万円の給与を支払っている従業員を例に取ると、給与を5%削減し、285千円の名目給与にした場合、率直に言って手取りの減少幅は1万円ほどである。
つまり、インパクトほど生活を圧迫することはないとも言え、経営の失敗を従業員の生活を犠牲にして穴埋めしてもらうという、無能で無策な策を採るという経営判断が出来る限り、あるいは大きな影響がないのかもしれない。

さらに経営者であれば、何事につけても基本的な姿勢とも言えるが、この施策によって発生するであろうマイナスの影響と、それによって得られるプラスの経費削減効果が釣り合うのであれば、その選択肢は前提から排除するべきではないということだ。

そしてあらゆるシミュレーションをした結果、ほとんどの場合はマイナスの影響を回避できると判断され、かくして従業員の一律給与カットは実施されることになる。

そして私は、不本意ながらもこのような施策をCFOの立場で実行した事がある経営者だ。
従業員の規模は700名を超える会社なので、削減可能な絶対額としてはなかなかに大きなものがある。
もちろん、それに先立ち、役員や幹部クラス以上の給与削減は既に実施し、最後の手段としての施策である。

とは言え、私はCFOでお金を預かっている立場であっても、この施策には一貫して役員会で反対を唱え続けた。
なぜなら、その費用対効果という定量的な果実は大きなものがあるかもしれないが、そもそも責任を取れないことに対して責任を取らせるという原則は間違っているからだ。

従業員は、ある経営方針のもとで起こった出来事に対し経営責任を負っていないし責任も取れない。
施策を決めるのは役員と幹部であり、その結果の失敗は役員と幹部のみが背負うべきであり、何も失敗していない人間に何かの責任を取らせるというのは明らかに筋が違う。
筋が違うことを人に求めた場合、その他のことに対して筋を通すことができなくなる。
筋を曲げれば、経営者自らが筋を曲げるという、相当強烈なインパクトを社内に大声で発することになるのである。

極論すれば、上司の指示に従うべきであるという筋も、
「お前が先に筋を通さなかったよね?」
と言われれば、返す言葉がない。
「やむを得ない緊急避難だ」
といったところで、
「それ、私に責任がありますか?」
と言われればぐうの音も出ない。

かくして組織の指揮命令系統は機能を失い、指揮命令系統を失った組織は組織ではなく、ただの人の固まりに成り果てる。

もっとわかり易い言葉で言えば、経営者が筋を通さなかったのであれば、私も筋を通す理由はないと、攻撃的な行動に出る従業員が出始めることが、もっとも大きな脅威となるということだ。
具体的には、会社の備品や原材料を着服するような行動に走るものが出始めるのは当たり前で、中には労働基準監督署に駆け込む当たり前の行為を採るものもおり、またある種の政治団体に駆け込むものも出始めることになる。

つまり、会社が従業員を守らないという意志表示をしたのだから、自分も会社を守る義理はないという行動に出始めるわけだが、恐らく一番の脅威はこの、組織の一員であるというアイデンティティの崩壊であろう。

では本当にそんなことは起きるのか、起こったのか。
情けない話であり、救いのない話だが、実際にそんなことを経験した上でのドキュメントを、少し皆さんにお話してみたい。

INDEX
序章:殺到する非難
突然の集団ボイコット
終章:ボイコットの果てに…倍返しの代償

序章:殺到する非難

その時の私の立場は会社のCFOであり、また役員の序列は2位。
つまり会社のNo.2であり、本来であればこのような憎むべき施策を実行に移した敵として、従業員の怨嗟を一身に受けるべき立場だ。
しかしその時、私はまだ30代前半の若さで、また中途入社から数年程度であったこともあり、経営トップと一体であるとは見做されていなかったのだろう。
従業員との距離は、役員の中ではもっとも近い所にいた。
これは、ある意味で経営者として恥ずべき状況だが、職人的なポジションにあり、誰一人部下を持たずに仕事をしている私の存在は、ストレスのはけ口として丁度良かったのかもしれない。
経営トップに対するあらゆる不満が私のもとに集まり、ある現場責任者は私を呼び出し、或いは私を従業員とともに取り囲み、会社は約束を果たさない、社長は自分たちのことを何も考えないという詰問を受け続けた。

この時の私の対応は、どう考えても一つしか無い。
率直なお詫びと、なぜこの施策が必要なのか。
そうしないとどのような事態を招くのか。
この会社に今起きている危機は非常に厳しいものであり、従業員の生活を守るためにも必要な施策であることを、どうか理解してほしいという率直で嘘偽りのない説明を果たすだけである。
あれから10年以上が経ち、後知恵で考えても、これ以外の方法は今も思いつかない。

しかし、中小企業の従業員の給与は決して高くない。
退職金もなく、貯金ができるほどの給与が出ているわけでもないギリギリの生活の中で、なけなしの5%を削られた従業員は殺気立っており、中には、
「あんたはいくら貰ってるねんよ?」
「まさか、私らより高い給料取ってへんやろうな?」
「黙ってんと、はよ答えてーな!」
など、もはや理性的な話ができる状況ではなくなってしまったこともある。

ちなみに会社は、正社員250名ほどのうち200名ほどが女性。
パート・アルバイト従業員500名ほどのうち450名ほどが女性という、女性ばかりの会社である。
女性同士が共通の敵と見定めた時の結束力は凄まじく、私もなかなかに厳しい目に合うことが続いたが、幸いそれら社員のトップである女性幹部は、入社以来、現場の労働時間削減でともに仕事し結果を出して信頼関係ができていたので、最後は現場との通訳になってくれた。

「ガス抜き」という言葉がある。
現場の不満をひたすら聞いていれば、そのうち言いたいことだけ言って最後はスッキリするという考え方だが、私の経験上でこのような場合、それはありえない。
激しい非難の言葉はその発言者と周囲の人たちのテンションを上げ、上昇気流のように勢いを増して集団を勢いづける。

それでいながら、投げかけられる言葉は先述のようなものであり、回答ができるようなものではなく、また回答をしたところで彼女たちの生活には何の意味もなければ、状況の改善に1mmも役に立たないことばかりだ。
つまり極論すれば「バカ」だの「アホ」だのと言われ続けているに等しく、話し合いの前提として何を話し合うのか、要望は何なのか、どのような回答を引き出せば彼女たちは満足するのかという着地点すら無い。
早い話、カオスなわけだが、経営者自らが招いた結果とは言え、この状況に陥った場合のまとめ方は非常に困難であり、恐らく誰もその有効な打開策を見つけることはできないだろう。

ちなみに私はこの時、まずは数カ月の結果を見てほしいという僅かな「実現困難な希望」を示すことで、この状況が必ずしも長く続くものではない事を理解してもらおうとした。

実はこの、「希望があるかどうか」というものほど、従業員の不満を抑える有効な手段はない。
つまり給与カットはいつまで続くのか。
その給与カットの見返りはいつどのような形で還元されるのか。
本当に今回だけであり、さらなる追加の給与カットなどは無いと約束してくれるのか、

まずは、このあたりの見通しを示すことが、従業員の不満をなんとか緩和するための唯一の方法だ。
なぜなら、経営者と違って一般従業員は、人生の大事な時間を会社に提供することでお金に変えて生活の糧を得ているのである。
その仕事の結果は、翌月に現金支給の形で現れるのが当たり前であり、またそれが社会のルールでもある。

その「毎月享受できる結果」の一部を奪う以上、その見返りはいつどのような形で返すことが出来るのか。
それを示さなければ従業員のマインドは保たない。

こうなれば、後は経営者の普段からの人徳と従業員との信頼関係のみだ。
定量的な説明は不必要で、
「半年間給与をカットさせてもらっている間に、必ず経営を立て直す」
と力強く約束し、その際には従業員の給与と賞与から元に戻し、また上がった利益を少しでも従業員に返す旨の施策を説明し切ること。
力強く説明し、信頼して欲しいと体を預けてもらうこと。

正直、それで場が収まらなければもうどうしようもない。

私の場合、女性幹部の協力もあり収めることができたが、それでもギリギリのことになることも多かった。
負の感情をぶつけてくるだけの相手に対し、なおかつその原因はこちらにある場合に、理を説くことは愚の骨頂である。
会社の状況を説明すればわかってもらえるという淡い期待も無意味であり、言葉は悪いが、今ではなく将来に目を向けてもらう以外に人の感情を収める方法はないであろう。

中島みゆきの歌にもある、「今はこんなに悲しくて~ 涙も枯れ果てて~」という心境だ。
将来に希望を持てる場合に限り、人は今の困難な状況を受け入れ、我慢し、そして会社のために仕事をし続けてくれる。
将来に何の希望もなく、今の「理不尽と感じる状況」が続くのであれば、モラルハザードが一気に噴き出し、良い場合でも従業員の大量離職が発生することになり、最悪の場合には自社の製品やサービスを意図的に傷つけ、会社に報復するものが現れ始める。

従業員の給与一律カットとは、実際にこれほどまでに激しい結果をもたらすものであり、そしてもたらした。

では実際のところ何が起こったのか。
具体的には、一部の従業員は結局、統制の限界を超えて非常に激しい手段に出ることになった。
それは、特殊な政治集団への駆け込みだ。

これは地域柄なのかもしれないが、その会社があった地域では、労働問題の解決を標榜する特殊な政治集団が力を持っており、その従業員が待遇に不満を持ち退職した後、1週間も経たないうちにその構成員が会社に乗り込んできた。

明らかに普通の政治組織の構成員とは思えない人たちである。
その要求は4ケタに達する解決金の要求であり、従業員個人への文書に依る謝罪だ。
受け入れられない場合には、受け入れられるまで、会社の周辺で抗議活動をし続けるというものである。

余り詳細にお話するのは差し障りがあるので控えるが、会社周辺での抗議活動というのは、もはやまともな企業活動が不可能なレベルの、恐らく皆さんが思われているような内容だ。

もちろんこんな法外な要求は呑めないので断ったが、早速その「抗議活動」が始まり、連日長時間、会社の周囲はエライことになってしまった。
しかし警察に相談しても、当時、警察が動ける事案ではないということで、一応パトカーは遠巻きに見ているものの、ただそれだけである。

やむを得ず弁護士を通じ和解を申し入れるが、弁護士が持ってきた解決案はこれもまた、なかなか私の常識では厳しいものだった。
それは、4ケタではないが、決して2ケタではない数字である。

更に弁護士いわく、「これを支払うほうが賢明な解決策です」とのことであり、不本意ながらもその条件で和解した。

なおこの際、会社の顧問弁護士事務所は、地域だけでなく日本でも有数と言ってもいい有力事務所であり、決して日和った交渉をした結果と言うものではない。
相手の行為をやめさせる有効な手段がない以上、これが最良の落とし所であり、なおかつ類似のケースでの相場であるという。

決して納得できるものではなかったが、それしか方法がないのであれば仕方がない話である。
結局のところ、ますます何のための給与一律カットか訳がわからないことになったが、つまるところ、筋が通らない事をすれば、予想外の事が起きてしまうということ、脇の甘さに繋がるということを思い知らされた出来事であった。

 

突然の集団ボイコット

そんな中、給与のカットが半年を超え、経営トップが各部門を周りもう少しの間、給与カットを続けたい旨を説明してから事態は急変する。
正確には、給与カットと共に変則的な生産工程を伴う新規受注が入り、それによって新たなラインの組み直しと併せ、強烈な負荷が現場に掛かったことの複合的な原因と考えるべきだが、突然一部の従業員が、集団で職務のボイコットに打って出てしまった。
それは、生産部門の直接手を動かしてくれる核になる従業員であり、また完成品のチェックを専門知識を持って行う極めて重要な部署の社員だ。

このようにして、生産ラインはある日完全に停止。
毎日定時に納品物を納めることが生命線であった会社は、突然の生産停止でパニック状態になる。

まず納品物の性質が、毎日定時に納品先に納めない限り、人の命にも関わるというものであったので、得意先からのクレームは鳴り止むことはない。
さらに、得意先ではその欠品を手をつくして調達する必要もあることから、業務に支障が出て、また余計なコストが膨大に掛かることになる。

まずは得意先に飛んでいき、いつ生産再開が出来るのか、なぜこのような事態を招いてしまったのかという状況説明をしなければならないのだが、そのようなことが出来る役員は私と経営トップのみ。
そして経営トップは、
「俺は現場を立て直すから、お前が得意先を廻ってきてくれ」
と告げ、怒り狂ってあろう得意先には全て私が一人で向かうことになった。

率直に言って、すべての現場が初対面である私が行くより、全ての現場に面識がある経営トップが行く方がいいと思うのだが、腰が引けている者が行くより、気持ちを維持できている自分が行くほうがまだマシであると言えるかもしれない。
かくして私は、人の命にも関わるような重大な失態をしでかしたお詫びに、30箇所以上の得意先を廻ることになったのだが、この時は本当にキツかった。

当然のことながら、顧客が気にするプライオリティは
・いつ正常化するのか
・なぜこんなことになったのか
・発生した損害をどう補償してくれるのか
という感じである。
そしてその全てに、その段階ではまだまともに回答することが出来る状況ではないのである。

状況発生の直後であり、まずはお詫びに向かい最低限の誠意を見せることが今できることの全てであり、状況を正常化させるには集団ボイコットした従業員が戻ってきてくれる以外の方法はまずありえない。
その数は30名ほどに及び、正社員のわずか10%ちょっとではあるのだが、実は正社員の中でも工場の生産ラインで指揮を執っているのはその程度の人数で、他の正社員は全く違う部署の社員であった。

しかし、法律的な要請もあり、アルバイトやパートだけでは動かない生産ラインで、彼女たちの現場復帰が唯一、正常化の方法であった。

しかし、説得交渉は全く進んでいる状況ではなく、現場を放棄した彼女たちの意志は非常に強固であった。
そんな中で、上記のような詰問を得意先から受けるのである。

「顔なんか出さんでいいからはよ何とかせーよ!」
「人の命に関わる仕事をやっている自覚あるんか?」
「何で下っ端のお前が来るねん!トップを連れてこいや三下!」
など、名刺を差し出したらまず破られ、容赦ない怒号から入るのは当たり前である。

そして、
「だから早く答えろ!こっちにも段取りがあるんやから、いつになったら復旧するねん!」
「顔を見せればなんとかなると思ったんか?舐めんなよ」
「答えられへんなら帰れ!」
と、言葉はどんどんエスカレートしていく。

しかし唯、頭を下げて謝罪を続けるしか無い。
・復旧の見通しは立っていないこと、逐一最新の情報をお耳に入れることをお約束すること
・その間、同業他社に出来るだけの手配をして、差額は弊社が負担すること
・補償については改めて話し合いに応じる意思があること
などと伝えるのが精一杯である。

このようにして、わずか30数年ではあるが、人生の中でもっともハードな謝罪行脚をやり終えたが、その間にも集団ボイコットをした社員との復帰交渉は、全く進んでいなかった。
ただひたすら、「何とか帰ってきてもらうように説得してくれ」というトップの指示で、女性幹部が一人一人と連絡を取り、交渉している状態。
パートやアルバイトは現場に出勤しているものの、何もすることがなくボーッとしているという無駄な状況すら放置されていた。

仕方ないので、交渉事は引き続き女性幹部に委ねることにし、併せて私は結婚などを理由として退職した有資格者に連絡を取るよう指示。
現役時代の給与よりも少し割増するので、期間限定で復帰できないか、片っ端から電話をするように総務に指示を出し、併せて違う部署から何人かの正社員を、明日から本社工場に出勤するよう指示を出した。
そして女性幹部と打ち合わせ、この戦力でまずは半分程度でも稼働率を確保できないか相談し、検品の工程を省略すればなんとか回せるだろうという手応えを掴む。

正直に言って、検品の工程を省略することは相当な非常手段だ。
ただその時は、そうしないとより重大な、納品先での命に関わる時代を漫然と放置することになるので、やむを得ず緊急的な措置としてこのラインで仕事を進めることにした。

併せて、この状況で会社に残って仕事をしてくれている社員のためにも、役員が先頭に立って汗をかく必要がある。
私は生産ラインの仕事は不得手だったが、それでも、生産ラインの後工程での清掃作業や廃棄物の処理工程、あるいは仕入れ品の箱出しや棚入れなどは少し聞けば出来る作業であった。

そのようにして、深夜に及んだ作業が終わるまで社員とともに汗をかき、清掃工程などは自分が請け負うから早く帰れと社員を帰らせるようなことをして、なんとかこの事態を招いた役員の一人として誠意を見せた。

正直、何の役にも立たない自己満足的な行為であることは自覚していたが、経営トップはこの状況でも夜の22時には帰宅してしまうのである。
そうなれば、私が一緒に汗をかかないと現場が完全に崩壊することはわかりきっていた。

なぜこの状況でそんなことが出来るのか、本当に解せない思いではあったが、このようにして何とか、最低限の生産能力の復帰が見え始めた頃に、職場を集団ボイコットした従業員たちから、やや信じがたい要求が会社になされた。

それは、経営トップの退任と私の経営トップへの就任。
その条件が受け入れられるのであれば、会社に戻っても良いというものであった。

無茶苦茶である。
確かに私はその会社の株主でもあったが、それでも0.5%程度だ。
外部のエクイティも入っている会社だったが、それでも創業者比率が70%ほどある状態であり、仮に経営トップが形だけ入れ替わったところで、経営のイニシアティブを採れるような状況ではない。
仮に握れるとしても、私はCFOであり、定量的な観点からの会社運営には自信があったが、経営トップに就く器ではないことは十分自覚していた。

しかしながら、この要求の反響は相当大きかった。
まず、現場を取り仕切る女性幹部がこれに諸手を挙げて賛成。
工場の正常化のためにも最良の1手であると経営トップに対しても強くこの案を受け入れるよう要請。
さらに経営者の奥さんまで、
「とりあえず、社長になったフリだけでいいから暫くの間、社長になってくれへんやろうか」
ということを言い出す。

しかしこれは卑怯である。
創業経営者と同等か、あるいはそれ以上に会社のイニシアティブを手放す気がないのが、経営トップの配偶者というものだ。
いわば当面の間、名前だけ社長になってくれという下心であり、そんな無責任な神輿には乗れない。

しかしながら生産現場では、危機に際し顧客周りをして土下座に近いような真似をし、また連日、現場に入りその立て直しを主導して一緒に汗をかいてくれたのはNo2の方ではないか、という意見が思ったよりも大きくなっていた。
適切な分析かどうか、恐らく一般化はできない話だが、経営トップはその責任の重さからパニックを起こし思考停止に陥ることもあり得る。
冷静な行動ができ、やるべき行動を落ち着いて取ることが出来るのは、結果責任が伴わないNo2だからだ、という側面が必ずあるものだ。

実際に私は、この期に及んだらもうやるべきことをやって、それでもダメなら法的整理をするべきだと思っていた。
つまりこれも、形はともかくとして責任からの逃避である。
いざとなれば逃げればいいと思っているNo2と、逃げるという選択肢を絶対に取る意志がない経営トップとでは、精神的な追い詰められ方が違う。
だからこそ私は、そのようなトップが居るからこそ落ち着いて行動できたと思っているのだが、従業員の目にはそのように映らず、期せずしてこのような事態を招いてしまった。
厄介だが、とりあえず何らかの答えを出さなければならない。

 

終章:ボイコットの果てに…倍返しの代償

この状況に際し、私は経営トップが会長に棚上げされる事を受け入れるはずなど無いことがわかりきっていたので、現場の要求と経営側の都合とを併せた折衷案として、私が副社長待遇の立場で状況にあたることとして、トップの了解を得た。
といっても、既に事実上その立場である。
ただ、現場には私が副社長待遇でより大きな責任を持つから、まずは現場に復帰してくれという苦肉の策だ。
しかし、このような有名無実な提案は受入れられず、結局数名を除き、この時の騒動に関わったほぼ全員の社員が退職した。

まずはこれが、従業員の一律カットを行えば何が起きるのか、ということの、私が体験した出来事の一部始終である。
言葉が足りずなかなか臨場感を持ってお伝えできないが、モラルハザードはもちろん、会社への忠誠心、帰属意識、仕事に対する責任感の全てが崩壊した。
そしてその状況に、経営トップも冷静な判断力を失い、まともではない経営判断と行動を繰り返した結果、状況は悪化の一途をたどる。

これが、わずか5%の人件費(給与支給ベース)にペイする出来事であろうはずはない。
その立て直しにどれだけのコストと時間が費やされたのかは、もはや計算も難しいほどだ。

そしてまだ、話は終わりではない。
当然のことながら、ある程度復旧した生産ラインとは言え、100%にすることが当面の間難しい以上、生産体制を正式に縮小し、利益率の低い顧客、あるいは戦略的にプライオリティが低い顧客から解約を申し入れざるを得ないということになる。

本当はそんな顧客などおらず、その全てが大事な顧客であるのだが、提供している製品の性質上、生産能力の限界を超える出荷は絶対にやるべきではなく、現状での生産体制で可能な顧客の範囲まで縮小均衡せざるを得なかった。

元々、従業員の給与一律カットにまで手を付けざるを得ない経営状況の会社だ。
工場を経営している人であればわかると思うが、工場経営は固定費という大きなハードルがあり、そこを越えるまでは、稼働率が何%であっても絶対に赤字である。
そして固定費を抜ければ、やっと変動費に見合った利益率の計算が立ち、逆に言えば固定費ラインに近づけば近づくほど、利益率は悪化する商売である。
つまり工場の稼働率を下げるということは利益率を悪化させるということであり、加速度的にキャッシュフローが悪化していくことを意味する。

しかし、「無い袖は振れない」という経営者の言い訳と同様に、「生産能力のないものは作りようがない」というのが現場の声だ。
またこの時、一連の騒動で発生した納品遅延の影響で、一部の顧客とは損害補償の話し合いが始まっている状況であり、その交渉の行方によってはさらに恐ろしいことが起きる可能性があった。

それは、巨額の補償金の支払いというだけのことではない。
生産能力を縮小し、納品先として絞った顧客から解約を申し入れられる可能性があるということだ。
しかし、巨額の補償金を支払うような体力は会社にはない。

経営判断のプライオリティとしては、
・現在残っている顧客を繋ぎ止めるために、あらゆる手を尽くす
に尽きる。
その為、巨額の補償金を支払うリスクには誠実に対応する必要があるが、だからといって現預金などそれほど残されているわけでもないので、交渉事に多くの選択肢が用意できるわけでもない。

結局のところ、現実的に何が出来るかと言えば、一時金を持ち出したくないこちらの事情と、何が何でも補償金相当の埋め合わせをさせなければ気が済まない先方との折衷案は、納品単価の切り下げである。

こちらとしては、事実上の補償金の延べ払いだ。
相手側からすれば恒常的なコストの切り下げであり、十分受け入れられる案である。
このようにして、契約を維持した相手のほとんどとは納品単価の切り下げで和解を得ることになった。

さて、このような結果をもたらした出来事の元々の出発点は何であっただろうか。
売上比で言うと1%そこそこの経費の削減を目的とした、従業員の給与一律カットであった。
最初の1ヶ月程度は所与の目的を達成し、なんとかなるという幻想を楽しめたかもしれないが、その反動は直ちに激しい形となって現れ、経営の屋台骨を吹き飛ばした。

もちろんこれが原因の全てではなく、きっかけの一つであったと言うべきであろう。
ただ結果として、この出来事を契機としてもろくなっていた経営基盤は崩壊し、会社は自主再建の断念へと急速に向かっていくことになる。
生産体制を縮小せざるを得ない上に、契約単価の切り下げを余儀なくされたのであるから、もはや工場経営が維持できる状態ではないことは明らかだ。

そしてこのような事例は、決して「経営能力が低い」中小企業経営者に限った話ではない。
大企業もまた同じようなことをするものであり、従業員の給与一律カットを実施した会社といえば、シャープの事例が記憶に新しい人も多いはずだ。

シャープもまた、2012年の春から管理職の給与を5%カットし、後にカット幅を10%まで拡大した。
そして従業員の給与についても、当初の給与削減幅は2%だったが、それを5%に拡大するなど、給与の一律カットという悪手に手を染め、その結果経営再建が為されただろうか。
ご存知のように、2016年にホンハイ精密工業に買収され、自主再建など全く期待できないレベルで低空飛行した結果、外資の傘下に入ることになった。

当たり前である。
生活習慣病と同じで、会社は経営者の体質そのものだ。
経営者がある日突然断酒する、あるいは禁煙するということができ、また生まれ変わったように思考回路と発想を切り替えることが出来るのであれば、経営危機を招いた際の緊急避難として、給与カットは意味があるかもしれない。

然しながらその実態は、医者から「塩分は控えるように」と言われラーメンのスープを飲むのを止めたか、「糖分を控えるように」と言われコーラをダイエットコーラに替えた程度のものであり、根本的な問題の根絶に取り組むほどの強い意志は皆無であって、従業員の給与がわかり易い生贄に差し出されただけである。

問題の根治に取り組む意志がない経営者が採用する「従業員の一律給与カット」とは、だから全く無意味な施策なのだと断言できる。
この施策を採用するのであれば、経営者自らが会長や相談役に退き、問題を0リセットで解決できる可能性がある外部の経営者を雇い入れるべきであって、その事態を招いた役員も更迭するべきだ。

そこまでしてやっと、この緊急避難的な悪手は、稀に意味がある最終手段になり得る。
どうかそのようなことを考えている経営者がいれば、参考にして欲しい。

本当にその給与カットで、経営状況を改善する見通しが立つのかと。
それがないまま目先のわかりやすい施策に逃げたのであれば、それは全て会社に倍返しで帰ってくるであろうことを、どうか肝に銘じて欲しい。

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1973年生まれ。とある企業の経営者。 大手証券会社からキャリアをスタートし、広告代理店やメーカーなどを経験する。 CEOを2社、CFOを3社ほど経験し、現在はマーケティングと人材開発を主なサービスとした企業を経営している。