ヘッドハンティングされたときの、あるCFOの選択と決断

ヘッドハンティングされたときの、あるCFOの選択と決断
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CFOやCOOなどNo.2の世界で生きていると、ヘッドハンティングというイベントに遭遇することがある。

特に、今現在奉職している会社やCEOのためにできることが無くなった時や、IPOを目指す会社でCFOを務めている場合などでIPOを断念したことが客観的に明らかな場合などには、このような誘いを受けやすい。

VCなどの投資家や銀行マン、事業会社の役員など声を掛けてくる人は様々だが、周囲から客観的な評価を受け、大事な投資先や融資先の役員就任を考えてみないか、と言われるのはやはり嬉しいものだ。

しかしそのような時、その案件は本当に興味を持って検討しても良い引き抜きなのか。
極端な話を言えば、グルメイベント会社が取り込み詐欺と疑われても仕方がないような形で破綻する直前に、漫画喫茶で100万円を渡し「ヘッドハンティングした」無職の若者を社長に就任させるという異様な事件もあった。

このような事例は極端であったとしても、ビジネスの世界は様々な人の思惑が入り混じり、誘い手の思惑は必ずしも自分への肯定的評価とは限らない。
とはいえ一方で、ヘッドハンティングはやはり自分への高い評価であると信じてその話を検討する価値があるのもまた事実だ。
このような逡巡を感じた時、重要なことは自分を客観視し、自分に本当にそこまでの価値があり、相手が本当に自分に価値を感じているのかを見極める冷静さであることは間違いないだろう。
早い話が、自分は誰に対して恥じること無く、誇れる仕事をしてきたという自信があるかどうかだ。

ではそのような時、具体的には何を考えどう行動するべきなのか。
私が何度か経験したヘッドハンティングの中で、ある大手一部上場企業会長から誘われた際の話を引き合いに、引き抜きから転職までの経緯をお話してみたい。

INDEX
その仕事をこなす力量があるか
組織的に動けるか
最終的な決め手となる軸

その仕事をこなす力量があるか

今回の話は、間にヘッドハンターなどが仲介している話ではなく、当時奉職していた中小企業の大株主である、一部上場企業の会長から直接頂いた話だ。
当時の私のポジションは中小企業のCFOで、経営が傾いた会社のターンアラウンドマネージャーのような立ち位置で動いていた。
CFO就任からすでに6年が経っていたが、経営再建の大きな山場を越えようとしている時にCEOと致命的な意見の食い違いが発生し、会社はすでに人手に渡ることが確定してしまった直後であった。
ただし、そのことはCEOだけが理解できていないというかなり特殊な状況で、細かく話せばそれだけで話が終わってしまうので割愛したい。

要は、数年以内に新しい経営陣が乗り込んでくることが確実で、その際には、私のような人間が一番にクビを切られることが確定しているという状況であった。

そのような状況なので、大株主でありながらその投資先のCFOである私を引き抜くことに不義理はない。

しかしながら私は、6年間の経営再建の中で相当な失礼を重ねていた。
追い詰められた会社のCFOとして、強引な交渉はもちろん、会社の再建にあたり工場を格安で借り受け、原材料を最優遇の卸値で取引してもらいながら成果を出せず、またイグジットが必ずしも見通せない中で追加投資の要求をし、実際に出資をしてもらった分を全て紙くずに変えるような真似もしていた。

そんなある日に、その常務から降って湧いたヘッドハンティングの話だ。

「会長が、ずっと君を評価しているんだわ」

という怪しげな語り口から始まったヘッドハンティングの要旨は以下のようなものだ。

・投資先であり融資先でもある会社が、近い将来民事再生法を考えなければならないくらい厳しい状況に追い込まれていること。
・投資は会社から行っているが、融資は会長の個人資産から出ており、自社の役員を送り込むことが道義的に(コンプライアンス的に)難しいこと
・君(私)の経営報告や危機に際しての対応策、行動の速さや適確さにいつも感心していたこと

このようなことを評価し、その会社にCFOとして乗り込んで会社の状況を定量的に整理し、会長と会社の代表として実行部隊になって欲しい、と言うものだった。
そのような光栄な話を聞いた上でも、私は素直に話を聞くことができず、混乱した。
正直その日は、会社が人手に渡ることが確実になり、これまでの投資を全てゴミにしたことをお詫びしに行く日だった。
私も身の振り方を考えて会社を去るつもりであったが、その矢先、私のお詫びから始まった挨拶の言葉を遮るように始まったのが、突然のこの会話だった。

「おっしゃることが、よく理解できないのですが・・・」

という私に常務は、

「君の用件はわかっている。会社の状況は理解できているし諦めている。君ももう、いても仕方ないだろう。」

そういうと、危機に際して採ったどのような施策を評価しているのかということや、私のどこを評価しているのかということ。
交渉相手にしたら小憎らしかったが、フリーになるなら是非味方に取り組みたい男であること、ちょうどそれだけの大きな仕事があることなどを一気に話してくれた。

正直私はその時、心から疲れていた。
ターンアラウンド中の会社でCFOをすることは本当に厳しい。
思うように会社経営が進められない中で、会社の代表として対外的な役回りをし、投資家や銀行の罵倒は一手に引き受け、必死に仕事をしても、誰かからわずかでも評価をもらえるような立ち回りではない。
さらに、針の穴を通すようにまとめた会社再建策はCEOの「経営判断」で頓挫し、敗戦処理のために一人で株主に謝罪周りをしていた時である。
そんな時に、自分の仕事ぶりを評価する人がいてくれたことに、正直嬉しくて泣きそうになった。
このような感情を持った私もまだ、プロに徹しきれていない甘々の若造だったと思うが、この時はそれほど疲れていたのだろう。

とはいえ、このような提案を心から嬉しく思ったものの、またターンアラウンドの会社かと思うとそう簡単に身の振り方を決められるようなものではない。
自分の力量が足りる戦場であるかもわからない。
話を前向きに考えさせて頂くことだけは約束し、後日詳しい話を頂くことにして、その日はまずは目的であるお詫び行脚と状況説明をこなし、会社を後にした。
帰りの道すがら、新幹線の中でいろいろなことを考えたが、やはりターンアラウンドの仕事は厳しい。

当時の私は、その時の仕事ぶりでターンアラウンドマネージャーとしての力量を認めてもらったのだと思うが、正直当時の会社のターンアラウンドをCFOとして引き受けたのは、本音を言うと半分は勢いとヤケクソだった。

その会社のCFOに就任したのは29歳の時。

定量的に会社を捉え現実的な施策で会社を立て直すある程度の自信はあったものの、最初にその会社のCFOに就任する意志がないかを打診してきた大手銀行の部長から話をもらった時は、余りに厳しい数字にできるわけがないとすら思った。
しかし、ターンアラウンドという未経験の仕事をこなすことで一つ自分の経験値を増やしたいという野心もあり、リスクテイクをしなければ人よりも絶対に上に行けないと考えていた若さ。
リスクを取るには若いうちでなければ体もついて行かないと変なことにこだわっていた思い込み。
いろいろな思いがあって、できるわけがないと思っていたターンアラウンドに飛び込んだ結果の6年間だった。
結果はほろ苦いものではあったが、後悔はしていないし自分が思っているより、自分を精神的・肉体的に追い込むとかなりの力が発揮できることには妙な自信がついた6年間だった。

その上で頂いた、さらに一つ上のステージでのターンアラウンド。
業種もこれまでとは全く違う世界で新たな経験値になる。

もしこれである程度の再建に道筋をつけられれば、自分のキャリアを大きく決定づけられるだろうという思いがある反面、やはりその仕事をこなす力量が自分に十分備わっているのか。
そのことは話を引き受ける上で、最後まで悩むことになった。
会社の可視化や経営状況の定量的な把握そのものは、少し気の利いた人間であれば誰でもできる。
しかしその先に、具体的な再建策の道筋を見出し、株主の利益と従業員の幸せまで見据えた絵を描ける自信があるのか。

私は、ヘッドハンティングの声掛けをしてくれた常務を通し会長に対して、私に対して期待する役割とエクイティとしてのゴール、会長個人としてのゴールを示して欲しいと要請し、またその際に受けられる支援についてもお聞きすることにした。

具体的にはやはりカネだ。
財務状況から定量的に厳しい環境は理解できたので、大株主として、あるいは大口債権者としてどの程度、まだ踏ん張れるのか。
私の力量で期待値をこなす自信はあったとしても、結局そこが生命線である以上、その覚悟について聞かなければならないと考えた。

 

組織的に動けるか

ターンアラウンドの会社で幹部になることは、経験したことがない人には思いもよらない、かなり厳しい世界が待っている。
正直、お金がほしいならもっと割が良い仕事があるはずだし、抱え込むことになる可能性があるリスクを考えると、創業者CEOならまだしも、頭のいいCFOならまずお断りするのが普通の立ち回りだ。

ターンアラウンドの会社では多くの場合、まず幹部職員が首切りにあい、あるいは給与カットを繰り返されていて士気を失っている。
場合によっては従業員の給与にも手がつけられていて、士気の喪失だけでなく幹部社員やCEOに対する怨嗟が社内に溢れている。

従業員はもちろん、幹部社員にとっていちばん興味があることは、自分が損をせずにどうやって立ち回り、あるいは次はどこの会社にいこうかということであって、顧客満足や製品のクオリティなどといった会社の生命線には一切の興味がない。

当たり前だ。

人間誰しも、3日後の個人クレジットカードの引き落としが不足している時に、誰が他人の幸せの事を考えられるだろうか。
来月の飯を食えているかどうかが不安な時に、顧客満足など知ったことではない。
給料日まで10日あるのに財布の中に1000円しかなければ、客の財布から金を盗むことを考える従業員が現れてもおかしくないくらいだ。

お金がないという惨めな状況はそれほど人の人格やモラルを破壊する可能性があり、そしてターンアラウンド中の会社では、実際に何度か会社の金に手を付けてしまい、不本意な退社の仕方をする従業員を何人か見てきた。
このような負の感情が渦巻き、負のスパイラルに陥り、打つ手が無いからこそ招かれる環境で、どんな状況でもやりこなすと言う自信があるのであれば、それは身の程知らずのバカモノだ。
少なくとも、経験したことがない上で言うのであれば、説得力はない。

顧客満足を高める心意気や品質を守るモラルも、自分の生活が守られることや会社が最低限の契約を守ってくれることが前提にある。
人は、自分が幸せでなければ人に幸せを分け与えることは絶対にできない。
しかし金はない。
カネがない中で、場合によってはさらに人員整理や給与カットを考えなければならない状況の中で、どのように顧客満足を向上させ、そして製品クオリティを高めて会社を再建させられるのか。

こんな曲芸的なことをするのがターンアラウンドの現場だ。
では、ターンアラウンドなどできっこない話で、負のスパイラルに陥った会社はキャッシュが枯渇するまで死を待つしか無いのか。
結論から言うと、死なない方法というだけであれば、全く不可能ではない。

シーズやアーリーといった売上がほとんどないベンチャーならまだしも、ミドル以降の、ある程度顧客と売上がある会社であればいくらでも生き残れる。
その具体的な方法とは至ってシンプルで、収益に応じた人員に会社を縮小することだ。
もっとわかりやすくいうと、売れるものは売ってキャッシュに変えて、次の会社を考えている人には喜んで移籍してもらい、どこにも行く事ができない人間だけを残してしまうことだ。

経営が傾いた会社からは優秀な人間から逃げ出すという空論をすぐに持ち出す人がいるが、私はそれは間違いだと思っている。
正確に言えば、経営が傾いた会社からはCEO以外の全員が逃げ出す。
優秀な人間というものがいれば、ベンチャー企業の規模感ならそもそも経営が傾かない。
さらにいえば、本質的に優秀な人間はベンチャーに、リストラの対象になる従業員の立場でなどこない。

もちろん、ベンチャーや中小企業で働く従業員に優秀な人間がいないと言う意味ではない。
多くの場合、経営トップの牽引力や創業経営者のカリスマで動く会社の場合、個人の能力が秀でているかどうかが大事なのではなく、会社の理念を理解し、方向性を共有し、職務に誠実であるかどうか。
そのことが優秀であるかどうかの大きな判断指標だ。
東大や京大を出ている秀才や一人で会社の売上を作れるカリスマ営業マン、特許をたくさん取れるような技術者を「優秀な人材」というのであれば、机上の空論も甚だしい。

経営が傾いた会社の中で、それでもなお残すべきは、そのような環境の中であっても職務に忠実で、顧客満足に誠実で、周囲に尽くそうとしている従業員だ。
これほど優秀な、ある意味で聖人といってもいい人材が他にいるだろうか。
多少仕事の能率が悪くても、不誠実な人間よりも誠実な人間のほうが味方としてよほどあてになる。

銃を預け自分の背後を守ってもらうのに、優秀だがいついなくなるかわからない不誠実な人間と、不器用だが確実に背中に貼り付いてくれる、信頼できる誠実な人間。
私なら、後者に背中を預けて、その結果敵に撃たれて死んでも仕方ないと考える。

長くなったが、ターンアラウンドの現場とはそういうものだと思っている私は、今回誘われた会社のCFOに就任するかどうか。
会社がまだ組織的に動ける状態であるかどうかを、仕事を引き受ける上での判断材料にしようと考えた。

具体的にはまず、現在のCEOだけでなくボードメンバーの何人かと会わせて欲しいと要請した。
ボードメンバーはそれほど重要ではなかったが、CEOとの面会は、当たり前だが譲れない話だ。
どれほど組織がボロボロになっていても、CEOに志と経営に対する想いが残っていればまだなんとかなる可能性があるが、CEOの目が死んでいれば、そんな会社にCFOとして行くのはただの自殺行為だ。
さらに、このような環境で大株主の代表で会社に行けば、CEOにとっては敵になりかねないCFOであり、敵視されれば職務は不可能になる。
CEOが口うるさい株主に対して敵対するだけの心理状態になっていれば、CFOにできる仕事はやはり少ない。

ボードメンバーと会うことで、会社の中がどれほどささくれ立ち、どれほど経営に対して熱意を持っているのか、あるいは失っているのかも知りたかった。
この時に、「何人か」と会わせてほしいというと、CEOは必ず会って欲しい人・会わせたい人を選んでくるので、その人選からもいろいろなことがわかる。
もちろんこの時、「あなたは会社に対して熱意を持っていますか?」などという上から目線の愚問はしない。

ただ、

「私はCFOとしてこの会社に誘われているのですが、入ったほうが良いと思いますか?」

と聞けば、その人が守りたいもの、その人が守ろうとしているものがある程度わかる。
情熱があるまともな役員なら、こんな質問は怒るはずだ。
情熱がなくとも、会社を想う役員なら幾つか質問を返し、私を試すだろう。
先がない会社の役員であれば、いわずもがなである。
そんな思いを持ってCEOと役員数名への面談を申し入れ、かつもう一つ申し入れたのが、

「本体から私以外にもう1名の役員を出してもらうこと」だった。

なぜか。

確かに、会長個人から会社に融資しているから、本体から役員を出すことはできないという条件は説得力がある。
そのパートとして個人的に雇われた私が役員に就任すれば、問題は無さそうだ。
ただし、上場会社である本体からは出資も出ているのだから、その見合いとして役員を出すことは大義名分がたち、おかしくないはずだ。社外役員でも良い。

逆に言えば、私だけが就任し、本体から役員が来ないのであれば、就任先の会社に対して極めて失礼で、本気で経営再建に取り組む意志はないと言っているようなものだ。
この提案を断るのであれば、おそらく会社の再建は難しいと考えており、本気で会社の立て直しをする意志がないのであろう。
その意志がどの程度本物かを確かめたくて、この条件をつけた。
この結果を聞いた上で、私は身の振り方を考えることにした。

 

最終的な決め手となる軸

結論から言うと、これらの条件のうちCEOと役員との面談はOKが出たが、本体から、社外役員を含む一切の役員の派遣は認められなかった。
話自体は大変光栄であり、これまでの恩を別の形でお返しするためにもぜひ引き受けたい話だったが、この条件が認められないとなると、アウェイの戦場で孤軍奮闘しなければならなくなる。

経営者としての力量だけでなく、時には周囲をなぎ倒すような影響力を行使しなければならない仕事になるだろう。
強引な経営手法というものに無縁で、定量的で理詰めに周囲を動かすことでしか影響力を発揮できないと思っていた私は、さすがに強く逡巡した。

そしてちょうどその時、別の大株主である投資会社の担当部長から、投資先のCFO就任を打診された。

同じCFOの役職だが、ステージとしてはスタートアップに近く売り上げも5億円程度。
先進的な技術でIPOを目指す会社だが、会社の規模感で言えば正直CFOに高い給料を払いIPOの旗を上げる段階ではない会社だった。
自分のキャリア感ということを考えると、売上も従業員も10分の1以下であり、客観的にはキャリアダウンということになるだろう。

しかし、客観的なキャリア形成よりもその仕事が面白いかどうか、やりがいがあるかどうかで次のCFO職を考えてみたかった私は、先入観なくその会社のCEOとも会ってみることにし、結局私はその会社のCFOに就任することを選んだ。

ターンアラウンドのキャリアを積み、その世界で自分の存在感を作り出すか。
スタートアップに近い会社で一から組織を作る仕事を選ぶか。

CFOとして生きることを決めるのであれば、私の選択肢はこの2つであり、そして選んだのは後者だが、最終的な決め手になった理由は社外役員を派遣して貰えなかったからでも、IPOという前向きな仕事がしたかったからでもない。
ただ単純に、CEOを好きになれるかどうかだった。

私は、CFOにとっても最も大事なものは何かと聞かれた際には、

「CEOと会社を誰よりも好きである気持ち」

と答えることにしている。
その他の能力は本気で仕事に取り組めば、大体のものは後からついてくる。
しかし、会社とCEOを好きであり、好きで在り続けたいという気持ちや情熱を持つことができるかはCEOの人となりや経営思想に大きく依存してしまうものだ。
ではなぜ、CFOにとってCEOと会社を好きで在り続けることがそんなに大事なのだろうか。

CFOの仕事は、言うまでもなく金にまつわること全てだ。
銀行から融資を取りつけ、投資家から出資を募り、IPOを考える段階では、広く世の中から投資を集める仕事にも中心的な役割を果たす。
いわば、CFOにとっての商品は会社でありCEOだ。
CEOと会社を好きでない人間がどれだけ論理的に「おすすめ商品」を説いたところで、誰が本気で耳を傾けるだろうか。

会社のビジョンや方向性を熱っぽく語り、その裏付けとなる定量的な資料を用意し、広く世の中からお預かりした資金を元に将来どのようなワクワクする仕事を仕掛けたいと考えているのか。
それができなければ、財布の紐が堅い投資家の心を開くことなどできず、リスクしか考えない銀行マンの興味を引くことはできない。
定量的な資料を冷静に客観的に示すことがCFOの仕事であると言う人もいるかもしれない。
私もそのような考え方を否定するものではないが、どうせ同じ仕事をするなら、CEOと同じやんちゃ坊主になって熱くなる方が楽しいじゃないか、ということだ。

いつも冷静で堅実な発想をし、CEOのブレーキ役をするのももちろん大事だ。
CEOとはだいたい、ブレーキの壊れた車のような性格をしていることが多く、飛ばすことは考えても止まることは考えていない頭のおかしな人間が多い。
だからこそ、いつでもリスクを計算でき、それを定量化・可視化しCEOの目となり耳になるCFOは会社の成長にとって重要な存在になる。

しかしそのCFOも、CEOと会社に対して冷めた目を持ち、常にリスクばかりを計算しているようではCEOと同じ夢を見ることはできず、本当の意味で将来をシェアすることは出来ないと思っている。
わかりやすく言えば、冷静な行動と熱い心を持って仕事に取り組みたいということになるだろうか。
CEOは普通、例え羽交い締めにして止めても、熱い気持ちと熱い行動で外を飛び回って遊んでいる。
そんなやんちゃなCEOを愛し、会社を守り会社を愛する気持ちを持ち続けること。

私が考えるCFOにとって最も大事な価値観とはそういうものだったので、両社のCEOと会った上で、スタートアップの会社のCFOに就任することを決めた。
このような判断基準は、裏を返せばCEOを嫌いになれば会社を辞めるのか、ということに繋がるが正直言うとその通りだ。

もちろん、CEOのことが人間的に好きになれず、共に事業を大きくすることにやりがいを感じなくても、キャリア形成の一つの手段として、一段落つくまでその会社で過ごすという方法もあるかもしれない。
プロ意識の強いCFOであれば、きっと冷静な財務マンの役割に徹することで、CEOとは違う存在感を出すことで評価を勝ち取ることもできるだろう。
しかそのような立場でCFOが集めた金は、投資家や融資元に対して誠実といえるだろうか。
その仕事ぶりは、誠実な男だと周囲の目に映り、機会があればより有望な別の投資先や融資先に斡旋したいという評価を勝ち取れるだろうか。

私をターンアラウンドの世界に引きこもうとしてくれた常務と会長は、私を評価したポイントとしてこんなことを言っていた。

・最後まで逃げようとしなかったこと
・会社のために呆れるほど尽くしたこと
・状況を正確にディスクローズし、誠実であったこと

これらのことは、正直会社と社長が好きでなければ到底出来ることではない。
逆に言うと、会社と社長が好きだったからこそ出来たことであり、第3者の評価を喜ぶのは少し違和感がある。
結果としてそうだったというだけだからだ。
会社と社長のことが嫌いになったら、きっと先週入ったバイト君よりも先に逃げる。

楽な環境であれば常に冷静沈着な顔をして「CFOでございます」としていられるかもしれないが、スタートアップであってもターンアラウンドであっても、CFOが楽をできるようなステージなどありえない。

あるとすれば、それは仕事をサボっているか目の前のやるべき仕事が見えていない無能なCFOであるかのどちらかだ。
追い込まれた環境でも逃げずに最後まで戦うことができるかどうか。
それは一緒に戦うCEOを好きで、会社の事業を愛しているかということに尽きる。
最終的に、そんな理由で私はヘッドハンティングをお断りし、スタートアップの会社のCFOに就任した。

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ABOUTこの記事をかいた人

1973年生まれ。とある企業の経営者。 大手証券会社からキャリアをスタートし、広告代理店やメーカーなどを経験する。 CEOを2社、CFOを3社ほど経験し、現在はマーケティングと人材開発を主なサービスとした企業を経営している。