営業ノルマという愚かな考え方

営業ノルマという愚かな考え方
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心理学の世界には、「正常性バイアス」という言葉がある。
人は命の危険を感じるほどの自然災害や事故など緊急事態に直面した場合、その非日常的で非現実的な光景を前にしてもなお、「自分だけは大丈夫」と考えようとする傾向がある、人間の心の働きの一つを指す言葉だ。津波や火山の噴火といった極めて危険な現実を前にしてもなおこのような心理状態になるのは、一節には、平常心を維持し、もって冷静な行動を取って、生存確率を上げるための本能であるとする考え方がある。

要は、人間にはあらゆる現場、危機、現実認識の場面において、「自分だけは大丈夫」と考える傾向が極めて強い本能が、間違いなく備わっていると言うことだ。
その点については、正常性バイアスに肯定的な立場、否定的な立場の双方で、共通認識になっていると言って良い。

このような人間の性質をもっとも理解し、そして活かしてきた業界をひとつ挙げるとすれば、それはおそらく航空機産業だ。

不吉なことを言うようだが、飛行機は必ず落ちる。
必ず墜落し、今後どれほど科学技術が発達しても、航空機事故による死者が0になることは絶対にない。
それは、自動車事故による死亡者が絶対に0にならないことと同じであり、更に突き詰めると、失火による火事で命を落とし、不注意による転落で命を落とし、おモチを喉に詰めて窒息死する人が絶対に0にならないことと同じだ。
人はどれほどの安全対策を施しても、必ずそれ以上の予期せぬ行動を起こし、そして失敗する。

だからこそ航空機産業は、その世界最大の担い手であるアメリカにおいては、NTSB(国家運輸安全委員会)が全ての航空機事故の原因を調査し、その再発防止を徹底することになっている。
人類が空を飛ぶ技術を手に入れてからおよそ100年。
この間、航空機というものは実にたやすく、そして信じがたい理由で墜落を繰り返してきた。

航空機の整備において、本来差し込むべき場所ではない場所に2つの異なるアダプターが左右逆に差し込まれていたことで、コックピットに正しい情報が表示されず、正確なフライト情報を得られず突然地面に激突したケース。
あるいはアメリカでは、航空機への給油指示に対し、ガロンとリッターを取り違え全く足りない燃料補給のまま飛び立った旅客機が、目的地を前に燃料不足で墜落した事故も発生している。

検証の結果、これらの事故原因として様々な要因が挙げられたものの、根本的な原因は違う場所に差し込むことが出来る2つの同じ形をしたコネクタが存在していることであり、正しい給油量をチェックする仕組みを人間の判断だけで行う仕組みであったことだ。
もちろん書類上のチェックは複数の人間で行うが、コネクタのはめ込みと同様、その確認は属人的な能力で行うにすぎず、1人が2人になっても100%は機能しない。

このような事故を防ぐには、ケーブル長が届く範囲にあるコネクタは全て物理的な形状を変えるだけで済むことであり、航空機の燃料補給は航空機側に機械的なチェックの仕組みをもたせるだけで済むことである(事故後、そのように規則改正が為された)。

このように、属人的でアナログな仕組みに頼るオペレーションは、それがどれだけよくできているものでも必ず失敗が発生する。
なぜなら、人は環境になれると手を抜く生き物であり、ルーティンワークの失敗など絶対に起こすことがないと信じているからだ。

間違ったことを絶対にできないような仕組みを作らなければ、人は絶対に間違う。
同様に、人はなすべき仕事がその通りに流れるような仕組みを作らないと、必ず違うことをやる。
そのような仕組みを作る重要性を、航空機産業の哲学は、多くの経営者に対して提示してくれていると言えるだろう。

同様の観点から、営業ノルマというものを課す組織は極めて愚かだ。
なぜなら、望ましい結果にならないように作られているものは、絶対に望ましい結果に着地しないからだ。
いや、愚かなことは経営者もおそらく理解した上で、それが結局もっとも効率的であるという判断のもとで実施しているということもあるかもしれない。

何れにせよ今回は、やや批判的な立場から、この「営業ノルマ」というものに対し問題提起を行ってみたい。

INDEX
日本人的組織の弱点:「現場力は凄い」が「組織力が酷い」
戦争から学ぶ組織づくりの敗因
成果を評価する仕組みの作り方

日本人的組織の弱点:「現場力は凄い」が「組織力が酷い」

少し筆者の個人的経験をお話すると、私が大学卒業後に入社したのは証券会社のこと。
当時、インターネットと言えば、ニフティサーブが提供するメール通信を極わずかのマニアが利用しているのみであり、なおかつ端末は巨大なデスクトップか、シャープが発売したばかりのザウルス。
入社して最初のボーナスで液晶ザウルスを70,000円で買い、当時普及し始めたグレーの公衆電話とザウルスを繋いでメールチェックをするような時代で、ネット取引やネット証券など想像もできなかった時代だ。
そんな時代の証券会社の1年生がやるべき仕事は、部長から配られる高額納税者リストを上から順番に片っ端から電話をすることである。

今から思えば、高額納税者リストや長者番付が存在していたこと自体も凄い時代だと思うが、なんせ金持ちは金持ちと誰にでもわかっているような時代で、そこに連日、銀行や証券、先物取引の営業マンが次々と迷惑電話を掛けてくる。
ただでさえ低いテレアポの成功率がさらに絶望的に低いに決まっている状況の中で、既に先輩営業マンの手垢にまみれた「お金持ちリスト」に営業をかける日々が続く。

去年まで友人と酒を飲み、彼女とデートすることで人生を謳歌していた元学生たちは、当然この段階でかなり死ぬ思いをする。
向上心がある者は先輩社員や部長に「成功の秘訣」を教えてほしいと懇願するが、そもそもそんなものは上司も持ち合わせていない。
ただ確率論で、「100件に1件はアポが取れる」と言われ、「30人にアポが取れれば1人は口座が取れる」というような意味のことを言われ続けた。

しかしながら、1件に1分の電話営業としても、100件に電話をすれば100分。
つまり、1日に取れるアポはせいぜい5件という計算であり、そのアポのうち30件に1件が成約に繋がるなら、1ヶ月の成約件数見込みは5件程度ということになる。
にも関わらず、新人の1ヶ月の新規口座獲得ノルマは10件とされた。
そしてそのことに、「計算が合わないので達成できないのではないか」と意見すると、ドンコ(分厚い顧客台帳)で頭をぶん殴られた。

結局のところ、この新人時代の私の営業成績は同期100名ほどがいる中で、月によっては30番程度のこともあれば、月によっては80位ほどまで落ち込むこともあり、極めて凡庸なものであった。
経験則として、100件に1件ほどは確かにアポが取れたように思うが、いずれにせよこの間、いや、新人時代を修了し営業の現場に出た後も、会社からは見込み客リストという名の名簿が配られるのみで、アポ確率を上げる方法や、口座開設率を上げる方法についてのレクチャーを受けたことは1度もなかった。

振り返って考えれば、当時、おそらく会社は大きな確率論で動いていたのであろう。
つまり、同期に100人の社員がいれば、同じ見込み客リストを元にしても1ヶ月に10口座の開設を取り付けるものが上位10%は存在し、下位の30%は使い物にならないと言うような具合だ。

今も同じかどうか定かではないが、当時、証券会社は20代の離職率が極めて高く、また20代では給与に大きな差はつかないが、30代になる頃から急激に給与格差が付く仕組みになっていた。
というよりも、30代までに給与分のペイをしない人材は会社を去るか、間接部門に異動するか、関連会社に出向するような制度であった。

成績上位者のもたらす利益が成績下位者のコストを賄って余りあるものであり、なおかつそのようにして生き残ったものが更に大きな利益を会社にもたらすのであれば、これは確実な方法だ。
毎年3桁の社員を採用しているような規模であれば確率統計論としてもあてになる標本が得られ、間違いなく失敗しないだろう。

しかしながら、このようにして「偉くなった」幹部は、当然のことながら社員の能力を確率統計でふるいにかける組織づくりにしか興味がない。
というよりも、それ以外の方法を知らない。

アポイントを上手に取り、テレアポという要素だけを切り抜けば非常に優秀な結果を残している者。
あるいはテレアポ確率は極めて低いが、会うと必ず口座を開設できる者。
もしくは、なかなかアポも取れず、口座開設には至らないが、一度口座を開設すると億単位の契約を連続して取ってくる者など、当時、同期営業マンの能力とスタイルは非常に多彩で、人それぞれであった。

これは換言すると、テレアポの能力が高いものには必ずそこには何らかの、経験の中で身につけた成功体験があるのであり、会うと必ず口座開設が出来るものには、対面での話し方について何らかの優れた技術があるのであって、大型商談の成功がうまいものには、何らかの特別な営業スタイルが存在すると考えるのが合理的であろう。

これらノウハウはもちろん、属人的な領域でしかできないものもあり、仮にノウハウの共有を図ったところで100%のコピーはできないかもしれない。
しかしながら、テストで30点しか取れない人物はそもそも基本的な理解が不足しているものであり、基礎を教えるだけでも50点は取れるようになる。
シュートの投げ方を知らないままシュートを投げろと強要されていた営業マンは、ボールの握り方と腕の振り下ろし方を教えるだけで、少しは曲がるシュートを投げられるようになるはずだ。

にも関わらず、証券会社に限らず営業力で売上を作っている会社では、総合的な結果での営業成績でのみ社員を評価し、なおかつその「営業機能」をパーツに分解してノウハウ化し、それを戦力化しようとするマネージャーはほとんどいない。
なぜか。
苦労して身につけたノウハウを人に教えるのは損であり、そのようなことに会社も評価軸を置いていないからだ。

会社として組織力を上げるのであれば、テレアポという機能にもっとも優れている人物を定量的に評価し、アポイント後の口座開設率の確率がもっとも高いものにも同様の評価を与え、1成約あたりの契約金額に優れているものにも特別の評価を行うべきだ。
そもそも、プロ野球でもヒットを打つのが上手い打率王、一発を飛ばすのが上手いホームラン王、チームに貢献することに徹している出塁率王や盗塁王など、いろいろな評価軸がある。

にも関わらず、多くの営業会社では会社を陸上競技として捉え、個人成績が優れたものにしか評価を与えないばかりか、あろうことかこのような人物に、別の評価が必要であるはずの組織マネジメントを託す。

多くの日本人的組織はこのようなシステムでピラミッドの頂点に進むようにできているからこそ、「現場力は凄い」が「組織力が酷い」という評価が国際的に定着してきた。

このような常識をもつ経営者には、あるいはテレビ通販で知名度が高い実演販売士、「レジェンド松下」こと松下周平の持つノウハウは属人的な能力であり、彼を特別な人物としてしか見ることができないかもしれない。
しかしながら、彼が属している会社は株式会社コパ・コーポレーションという組織であって、その代表取締役である吉村泰助は、自らが昭和の時代から、露天などでのバナナの叩き売りから身を起こした現場叩き上げの経営者だ。

その中で吉村は、自分の得たノウハウと、売上をあげることができる露天商の観察を繰り返すことで、人は何に興味を持ち、どのようにすれば展示即売の形で購入意欲を掻き立てられるのか。
そのノウハウを全て定量的にデータ化し、一定の訓練でそのノウハウを再現できるマニュアルを作り上げた。
そして立ち上げた会社がコパ・コーポレーションであり、その弟子の一人がレジェンド松下にすぎない。

もちろん松下の場合、すでにコパ・コーポレーションの取締役を務めていることもあり、会社が積み上げたノウハウをさらに自分のものとして完全に身に着け、さらに自分にしかできない売り方の境地にまで達している本物のプロフェッショナルだ。

茶道や武道で言うところの「守破離(しゅはり)」の高みに達した人物であるといえるが、しかしながらそれも、大元には基本があり、駆け出しの時代には吉村に「ボールの握り方」を教わり、この世界に入ってきたと言えるだろう。

経営者は、同業他社やライバルよりも高みに行き、そして組織を大きくしたいと願うものの、多くの場合その経営は属人的な能力に頼り、仕事を機能化して観察しようとしない。
その結果、従業員数100名以下のような規模で経営者の目が行き届く場合は会社が組織として機能するが、それ以上の組織になると急に成長が鈍り、あるいは行き詰まる会社が多い。

経営者のノウハウや理念、考え方、仕事の進め方を幹部社員と共有することができないからであり、いくら利益が上がっているからと300人の人間を雇ったところで、そのような組織は烏合の衆であって、やがて利益と内部留保を食い尽くして瓦解することは明らかであろう。

では日本的な発想しかできない経営者は、本当に大きな組織を作ることはできないのだろうか。
大きな組織をマネジメントして、より大きな志を持つことができないのだろうか。

 

戦争から学ぶ組織づくりの敗因

先の大戦を振り返る時、
「物量に勝るアメリカに無謀な戦いを仕掛けた日本」
「軍部の暴走で敗戦に突き進んだ日本」
というような、使い古された開戦批判は世の中にあふれている。
これらは確かに敗戦の一因であるかもしれないが、あまりにも一面的であり、敗戦から多くのことを学ぶべき日本人にほとんど教訓を与えるものになっていない。
正確に言うと、日本は物量でも戦い方でも負けたのであり、仮に物量が対等の条件であれば勝負になったかのような解釈をするのは大きな間違いであって、後世を生きる日本人に間違ったメッセージを残すだろう。

なぜか。
そもそもの誤解として、日本軍は開戦劈頭、無敵の強さを誇り、アメリカ軍を始め連合国軍各国を太平洋の各地で撃破し、一時期米国内では、日本との早期講話に応じざるを得ないという意見まで、政府内で議論の俎上に登ったほどであった。
本論ではないので詳述は避けるが、日本にとっての戦争プランは開戦当初、設計通りに機能し、そして予想以上の成果を挙げることができた事実がある。

しかし、海のターニングポイントとなったミッドウェー開戦での壊滅的な敗北、陸のターニングポイントであるガダルカナルの戦いで敗れた日本軍は、「想定していた流れと違う」という事態に直面した時、一気にその弱さを露呈する。

すなわち官僚組織として、失敗を認めることができず、陸軍も海軍も敗戦の事実を隠し、敗戦から得られる数多くの教訓を公式記録にすることは絶対にあってはならないこととなり、こうして陸海軍は各地で敗戦を重ねながらも、反撃の端緒となる情報の活用を放棄し、意味のある指揮命令系統を自ら破壊した。

時は敗戦濃厚となってきた1944年10月。
日本軍は、台湾に向け北上するアメリカ軍の大規模な艦隊を捕捉し、海軍に残された最後の航空機1200機余りを総動員して台湾沖でこれを迎撃。
その壊滅を図り、戦争の形成を一気に逆転する作戦を立てる。
「台湾沖航空戦」の始まりだ。

そして、このような日本軍の悲壮な決意を知ってか知らずか、米軍はお構いなしに大規模艦隊を北上させるのだが、そこに台湾を飛び立った日本海軍最後の精鋭部隊航空隊が大挙して襲いかかった。
追い詰められた日本軍の戦意は凄まじく、この戦闘の結果アメリカ軍の太平洋艦隊は完全に壊滅。
アメリカ軍空母19隻、戦艦4隻、巡洋艦7隻を撃沈もしくは撃破し、太平洋方面のアメリカ軍をほぼ一瞬で壊滅させ、即日海軍はこの大戦果を世界に向けて発表した。

まさに世界を震わせる大番狂わせであり、当日のNY証券取引所は大暴落の大荒れの相場となる。
また、昭和天皇も直々に海軍に対し、その戦果について大いに評価するお言葉を下賜されるなど、海軍は一気にその面目を取り戻した。

だがもちろん、この戦果は嘘である。
どれほど好意的に評価しても「誤認」であった。

戦闘終結後に大本営海軍部は「さすがにこの戦果はありえない」と判断し、詳細な戦果分析を行うが、どうやらその全ての戦果が存在しなかったものであることが確実となり、なおかつ攻撃に出た航空機隊が壊滅に近い損害を受け、惨敗に終わった作戦の結果を認識した。
しかしながらその時既に、天皇陛下から直々にお褒めの言葉を賜り、国民は戦果に酔いしれていた時であり、もはや本当のことを言い出すことができない小学生の子供のような状態。
信じがたいことに、「このまま黙ってやり過ごす」という本物の小学生のような方針まで決めてしまう。

そして、この海軍の大戦果を鵜呑みにし、反撃の好機と捉えた陸軍は、最後の決戦の地と考えていたルソン島での戦いを前進させ、レイテ島まで反撃の戦線を広げることを決定。
海軍の了承を得てこの作戦を実行するが、当然のことながら壊滅したはずの米太平洋艦隊は全て健在であったことから直ちに発見され、陸軍の輸送船はことごとく撃沈され壊滅。
最後の決戦部隊として備えていた陸軍主力をほとんど失うことになった。

確かに、欧米各国にキャッチアップしアジアで唯一列強に昇り詰めた日本と日本軍はすごかった。
しかし、日本軍の崩壊間際、動脈硬化でどうしようもなく官僚化していた組織はここまでズタズタに成り下がり、そして敗戦を迎える。
物量に劣っていたから負けたというのは、明らかに間違った組織論の評価であろう。

ここまで、近現代の日本について散々な評価をしてきたが、その一方で、では日本人には大きな組織をまともに運営することができないのか、といえば、決してそのような評価をするつもりはない。
そもそも、日本は「絶対に勝てない」という下馬評を覆して、1894年から始まった日清戦争で当時も今も大国である中国を破り、さらにそのわずか10年後、当時世界最強と言われていたロシアと正面からまともにぶつかり、この戦争まで勝ってしまった歴史があるのだ。
組織の構築や運営、組織マネジメントにも優れていた事は明らかであり、その結果として世界最強と言われた国家を次々と破った実績から考えても、日本人が元来、組織運営に劣っていたわけではないと言えるだろう。

では、日清・日露戦争の時代と太平洋戦争の時代。
同じ日本人でありながら、日本軍はなぜこんなに変遷してしまったのであろうか。

明治の日本的組織は「そのようになるべく」組織を作り上げたからであり、属人的な能力を組織の力として吸収し、組織の強さに転化できる強さを持っていたからだ。
そこには、根拠のない“営業ノルマ”もなく、出来もしないことを精神論で何とかさせようとする頭の悪い指揮官も居なかった。
それは後世の昭和の日本軍とは、全く違うものであったといえるだろう。

 

成果を評価する仕組みの作り方

突然だが、「学歴社会」という言葉にどういう印象を受けるだろう。
多くの人は、学校勉強とビジネスセンスは別物であり、学生時代の記憶力や再現力の高さだけで出世が決まり、あるいは人生が決定づけられるのはおかしいという印象を持つのではないだろうか。
少なくとも、余りポジティブなイメージと共に語られることが少ない学歴社会という制度だが、少なくともこの制度が我が国に導入された当初、明治維新直後の日本では極めて有効に機能した。

なぜか。
江戸幕府が崩壊し明治新政府が樹立されたとは言え、時代はまだかつての武士階級が幅を利かせている時代。
貧しい農民の家に生まれた子供は農業をせざるをえず、商人の家の子は商人になるのが当たり前で、どれほど才能に溢れリーダーシップを備えた逸材でも世に埋もれ、日本の硬直的な仕組みは変わることがなかった。

そのような中、画期的で驚くべき仕組みが明治政府から発表され、大衆を驚かせる。
それは、国民はだれでも、その出自や親の職業に関わらず、学問を修め優秀な人間であることを証明すれば、軍高官にも政府高官にも取り立てるという明治新政府の方針であった。
学歴社会の始まりである。

親の職業も関係なく、出自にも左右されずに、ただ勉強し良い成績を修めれば大臣にも大将にもなれるとあっては、実質的に残る身分制度や格差に苦しむ国民も奮起し、競うようにして学問を修めるモティベーションを駆り立てられる。
そして実際に良い成績を修めたものから出世する社会が作られ、出自や出身地によらずに能力本位で上に行ける仕組みは我が国を大いに活性させ、世界の列強を驚かせる強さを持つことになった。

この際、社会的に低い身分から世に出た人物の事例には事欠かないが、一例を挙げると、日露戦争において20余万の日本陸軍を率い、満州の荒野でロシア軍30万の大軍を撃破した児玉源太郎・陸軍総参謀長などは下級武士の出身である。
半隊士(30名余りの小隊指揮官)から始まった軍歴であったが、戊辰戦争で大いに戦果を上げたことで次々に昇進を繰り返し、遂には日本陸軍の総大将である大山巌を支える総参謀長となって20万人以上の日本陸軍を指揮。
当時世界最強と言われたロシア軍を撃破し世界を驚かせ、世界中にその名を知られる男になった。

学歴社会や成果主義といったものが本当の意味で機能し、実力のあるものから責任を任され、そのようにして明治の陸海軍、そして日本政府は驚くほどに有機的に機能することができた。
これは紛れもなく、「黙っていても機能する仕組み」を作り上げた成功事例であると言えるだろう。

ではそのようにして有機的に機能していた日本軍は、なぜ昭和の頃には見るも無残な組織に成り果てたのか。
それは紛れもなく「既得権益」であり、「居心地の良い組織」化してしまった制度疲労の所以だ。

すなわち、学歴主義が浸透すると、もともとは実力主義であったこの制度が間違った方向に進化を始める。
今も中央省庁には「東大閥」「京大閥」という言葉があるように、どれほど優秀な人間であっても、公務員の最高位である事務次官には、東大や京大以外の学歴を持つものが就任することは稀だ。
というよりも、それ以外の学歴のものが、それ以前の段階で出世ルートに乗ることがまず無い。

出身大学が実力のバロメーターではなく、出身大学ごとの互助会となり、自らのポストを後輩に申し送りし、次のポストを先輩から引き継ぐようになれば、もはや学歴社会は完全に元の意味を失う。

昭和の陸軍や海軍でも同じことが起きた。
軍部では高官の子女を妻にした者、同郷出身者や同じ兵科出身のものなど優遇し、ポストに就く人間の経歴は固定化され、実力は一切考慮されなくなり、出身地や出身高校といった要素は実力の客観的指標ではなく既得権益の象徴になった。

その結果として、日本海軍が壊滅する端緒となったミッドウェー海戦のように、航空部隊である空母機動部隊の指揮官に、実力や専門能力の有無ではなく、年長者であるという理由だけで全く畑違いの水雷屋(艦船からの魚雷攻撃の専門家)である南雲忠一が指揮官に就任し、そして惨敗した。

これらの話の教訓は、制度設計は目的的に行うべきであり、そして想定通りに機能しているかを厳格に、そして定期的にチェックをする仕組みが必要であるということだ。
さらに、どれほど過去に機能した制度であっても、人は必ず怠惰に慣れ、居心地の良さにあぐらをかき、元の制度は権力者の手によって上書きをされるという事実。

会社組織に例えれば、どれほど手柄を上げた役員であっても、CEOが特別扱いし、その仕事ぶりに対する不断の評価を怠るようなことがあれば、どれほど優秀な役員であっても半年で凡人以下の無駄なコストに成り下がるという教訓であるといえるだろう。

ではなぜそのような教訓が、「営業ノルマの愚かさ」に通じるのか。
それは、そこに組織を組織たらしめる目的が欠如しているからだ。

組織が有機的に機能し何かを成し遂げるには、その組織に属する構成員が大きな目標で意志を統一する必要がある。
その手段としてノルマが存在するのであり、そのために必要な仕組みが整備され、併せてそのことを達成するための仕組みが十分にあるのであれば、ノルマという名の「任務」は間違いなく機能するだろう。

しかし多くの場合、上場会社において営業員に課せられるのは、上場会社として必ず成長をしなければならないという大前提から出された予算であり、それを単純に割り振っただけの数字である。

ハッキリいってこんなもん、営業員からすればクソ食らえだろう。
達成をすることに組織に属している喜びもなければ達成感もない。
生活のため、金を稼ぐ手段としてのみ、我慢ができる仕事であるというだけだ。

そしてそのストレスは、上場会社でなければさらに経営者のハードルが上がる。
なぜその数字を達成しなければならないのか、という説得力をどのようにもたせるのか。

断言するが、「そうしないとお前の給料も出ないからだ」と少しでも考えるようであれば、それは経営者ではなくただのピン跳ね屋である。
従業員の貴重な人生の時間をコストをかけ購入した上で、そこに付加価値を生み出すのは経営者の仕事であって従業員の仕事ではない。

営業ノルマというものが、
「このように行動すれば」「必ずこうなるはずだ」という定量的データの上に存在するものであればもちろんいいだろう。
ただその場合、成長はないので付加価値も上がらず、給料も変わらないという事実は理解させる必要があるかもしれない。

要は、人をノルマという精神論で追い立てたところで、そこに至る道筋が存在しないものはどうあっても絶対に達成できない。
逆に、なるべくしてなる結果であれば、ノルマというよりも作業の目安に過ぎないが、まずはその仕組を作ることが、成長の手段として「ノルマ」を課すことができる出発点になるだろう。

繰り返すが、できない人間にできないことを任せたら絶対に失敗する。
組織の慣例や学閥、先例主義の中で、出来もしない司令官に就任せざるを得ず、日本を敗戦と壊滅のどん底に追いやった戦犯として今も非難されるミッドウェー海戦の司令官、南雲忠一中将は、ある意味でこのような制度の犠牲者であると言えるだろう。

そういった意味で、できないことがある可能性を前提にしたような営業ノルマというものの存在はどれほど愚かなものであるのか。
それは経営者の無能の裏返しであり、自分の無能をパワハラで従業員の能力の無さにあると転化し、ささやかでちっぽけなプライドをなんとか維持しようとする詰まらない考え方だ。

「自分だけはそんな経営者ではない」と考えず、従業員や部下に対し指示する仕事は、本当にそれに至る明確な道筋を経営者として示すことができているのかどうか。
是非一度、下働きをしていた時代を思い出し、逆の立場になって考えてみてはどうだろう。

多くの場合、経営者の持つノウハウは得難いものであり、その知見はその社員にも価値があるもので、多くの付加価値を連鎖的に生み出す可能性があるものだ。
しかし経営者自身が定量的でも定性的でもなく、組織力を発揮することに興味もないならば、会社はどこまで言っても鍋蓋であり、社長と社員しか存在しない組織になる。

そんな社長には、近現代史の日本軍の失敗はとても教訓に溢れたものになっているので、ぜひ一度、数世代前の私たちの先人の経験に、学んでみてはどうだろうか。

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ABOUTこの記事をかいた人

1973年生まれ。とある企業の経営者。 大手証券会社からキャリアをスタートし、広告代理店やメーカーなどを経験する。 CEOを2社、CFOを3社ほど経験し、現在はマーケティングと人材開発を主なサービスとした企業を経営している。